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ベルリン物語

2015-05-21 | 気になる本

川口マーン恵美(2010)『ベルリン物語-都市の記憶をたどる』平凡社
 明日よりベルリンとドレスデン、ロマンチック街道などのツアーに参加します。ドイツは2度ほど行った記憶がありますが、ベルリンとポツダムや中世の都市の町並みに興味があり、JTBのツアーに申し込みました。予備知識注入のために、手にしたのがこの本です。
 戦後70年、安倍首相は戦争法案を提案しました。秘密保護法や日米ガイドライン改悪、米軍辺野古基地建設強行、オスプレイ購入配備などきな臭い話が国民合意なしでどんどん進んでいます。忘れてほしくないのは、戦争の悲惨であり再び戦争する国にしないはずで、憲法中でも9条の意味でした。先の太平洋戦争の教訓は、侵略戦争でありアジアの国々を資本の都合により植民地化したことです。戦後の平和と繁栄があるのは平和民主勢力の闘いがあり、軍事費を抑制し海外派兵にブレーキをかけてきたことに依ります。今そのブレーキが効かなくなるという、大きな岐路にあると思います。忙しくて政治的関心が薄くなっている若者が、戦争に参戦する危険性が強いのです。
 著者の川口マーン恵美さんの経歴はよく知りませんが、本の内容は洞察力に優れているものです。ヒトラーがなぜ生まれたのか、ドイツは償いをどうして来たのか、ベルリンの壁の崩壊後は東西の融和は、EUの危機は乗り越えられるのか、その中心国ドイツからの歴史は多くを学ぶものがあります。安倍さんが世界を飛び回っていますが、ドイツから学んで欲しいものです。以下、気になるポイントのメモです。
 プロローグからドイツ統一は1871年で、プロイセン国王はドイツ帝国の国王となり、首都はベルリンに置かれた。ドイツの産業革命はイギリスよりだいぶ遅く、1930頃に始まり、その後の工業化はすさまじかった。進歩的なベルリンは1933年ヒトラーがそれを消滅させた。ベルリン宮殿は再現されたのだろうか?
 第2章「ドイツ帝国の時代」から、1907年に英、仏、露が3国協商を結び、ドイツは列強に包囲された。1914年6月28日サラエボで皇太子とその妃が暗殺された。8月1日ヴィルヘルム2世は対ロシア戦の開戦をつげた。8月3日にはフランスがドイツに宣戦を布告した。ドイツ人はすぐに終わり勝てると信じていたようだが、4年におよびドイツ帝国は消滅した。
 第3章「ワイマール共和国の時代」から、1918年にドイツ帝国は滅び、19年にワイマール共和国が誕生した。ベルリンは350万人、ほかに百万都市はハンブルクとミュンヘンしかない。1919年ドイツもインフレになった。その理由は戦争賠償とも言われるが、著者は国債発行であるとしている。インフレで儲けたのは政府で、多額の借金が帳消しにできる。(日本も同じ道を繰り返さないこと願う)
 第4章「帝国議事堂」では、1933年2月27日の夜、帝国議事堂は燃えていた。ヒトラーが党と自らの命運を賭けた総選挙の、6日前のことである。帝国議事堂放火事件の裁判が始まり、消防関係者は別件逮捕、罷免、または死亡している。「共産党の武装蜂起の始まり」とされた。そして共産党員狩りが始まった。ヒトラー独裁が始まり、ゲシュタボが設立され、ユダヤ人弾圧がされ労働組合が解散させられた。(写真は再建された連邦議会議事堂)
 第6章「ベルリン崩壊、ポツダム会談と原爆」で、戦後の世界秩序の構築で米のトルーマン、英のチャーチル、露のスターリンがポツダムで会談した。三者はその前にテヘランとヤルタで会談している。ルーズベルトの跡を継いだトルーマンは、秘密裏に進めていた原子爆弾の開発いわゆるマンハッタン計画を知り、原子爆弾を使うことを画策していた。7月26日トルーマンは日本にポツダム宣言を送った。天皇制を残す文言はなく、日本は受け入れる条件がなかった。トルーマンは日本の早期降伏を望まず、原爆投下のタイミングを計り、投下を指示した。
 エピローグ
 1990年ベルリンの壁が崩壊した。統一後の現在では、財政難有、教育問題、外国人問題など問題があるが、プラスの発展方向に発展を遂げてきた。ベルリンは今や壮大で美しい首都である。近代史のあらゆる出来事を体験し、栄え、滅び、そして再生した町。ドイツで将来住みたい町は?と訊かれたら、私(著者)は迷わずベルリンと答えるだろう。
コメント
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