緩やかに迫る不穏。
M.ハネケに3度めの挑戦。
直接的な描写をしないことは分かっている。胸の仕えが下りるような結末が来ないことも承知している。
それでも自分なりに真相を探そうとしなければならないわけなのだが、登場人物が多く、男爵一家を中心に馴染みのない肩書きがあるなど、まずは設定の整理で手が一杯になる。
次の段階に進むと、今度は村人のほとんどが何かしらの火種を抱えていることが分かり、これまた厄介なことに。
微妙に間をおいた間隔で発生する奇妙な事件。犯人はもちろん分からない。しかし誰もが怪しいといえば怪しい。
狂言回しである「先生」は、この現象を当時の北ドイツ地方故のものだったのではと語るが、よく考えればこの物語、多分に普遍性を有していることが分かってくる。
もちろん男爵の子供に対するしつけや、ドクターの言動など、個別の事項をとってみれば特殊ではあるかもしれないが、いつの世もどこの国でも、人々を不安にさせる要素があり、そのいずれも事の根源はたいてい人間の内側にある。
我々は、たまたま営みの空間の広がりから、不安から逃れられる時間と場所を得ていることによって精神的に救われているに過ぎないのかもしれない。
実際、行動範囲が極度に限定される子供にとって状況は過酷だ。家庭での虐待、学校でのいじめ問題の解決が難しい原因はまさにそこにあり、それは本作で舞台となっている小さな村にも当てはまる。
最後の場面は例によって肩透かしと見えなくもないが、戦時へと時間の次元が変わることによる紛れ、そして先生にとっては村を離れることによる解決を明確に表現している。
裏を返せば、世の中の事象はズバッと解決するよりもうやむやに流れていくことの方が多いし、そうならない場合は、人間の内に潜む不安や悪意に支配される恐れがあるということだ。
難解だが、やっぱり巧いなとは思う。
(75点)
M.ハネケに3度めの挑戦。
直接的な描写をしないことは分かっている。胸の仕えが下りるような結末が来ないことも承知している。
それでも自分なりに真相を探そうとしなければならないわけなのだが、登場人物が多く、男爵一家を中心に馴染みのない肩書きがあるなど、まずは設定の整理で手が一杯になる。
次の段階に進むと、今度は村人のほとんどが何かしらの火種を抱えていることが分かり、これまた厄介なことに。
微妙に間をおいた間隔で発生する奇妙な事件。犯人はもちろん分からない。しかし誰もが怪しいといえば怪しい。
狂言回しである「先生」は、この現象を当時の北ドイツ地方故のものだったのではと語るが、よく考えればこの物語、多分に普遍性を有していることが分かってくる。
もちろん男爵の子供に対するしつけや、ドクターの言動など、個別の事項をとってみれば特殊ではあるかもしれないが、いつの世もどこの国でも、人々を不安にさせる要素があり、そのいずれも事の根源はたいてい人間の内側にある。
我々は、たまたま営みの空間の広がりから、不安から逃れられる時間と場所を得ていることによって精神的に救われているに過ぎないのかもしれない。
実際、行動範囲が極度に限定される子供にとって状況は過酷だ。家庭での虐待、学校でのいじめ問題の解決が難しい原因はまさにそこにあり、それは本作で舞台となっている小さな村にも当てはまる。
最後の場面は例によって肩透かしと見えなくもないが、戦時へと時間の次元が変わることによる紛れ、そして先生にとっては村を離れることによる解決を明確に表現している。
裏を返せば、世の中の事象はズバッと解決するよりもうやむやに流れていくことの方が多いし、そうならない場合は、人間の内に潜む不安や悪意に支配される恐れがあるということだ。
難解だが、やっぱり巧いなとは思う。
(75点)
この町のいや~な雰囲気とか、ささいな出来事が悪だったり、教育というテーマで悪が芽生える過程を巧く描いてましたね。
犯人探しでなくてもこんなにも深く魅せる。
答えを求めない、様々な解釈をよしとする姿勢は好きです。
おかげさまで、どんな勘違いしてようとも堂々と文章が書けますし、
それは置いといても、
人間がいるだけ考えもあるわけで、
どれが正解と言えないのは、まさに本質だと思うんですね。
じわじわと毒気が伝わってきました。
「ファニー・ゲーム」ほどの不快感は
ありませんでしたが、、、、。
でもハネケ監督の世界は好きです。
私の場合、好きとは言い切れないけど何処か引っ掛かる。
そんな位置付けになっています。
切り捨ててしまうのも、のめり込むのも何か悔しい。
映画界にとってかけがえのない毒気だと思います。