「美しい村」の議員日記

南アルプス山麓・大鹿村在住。自給自足農業、在宅ワーカー、2011年春より村議会議員。

チェルノブイリから19年

2005年04月26日 | 脱原発
 1986年4月26日のチェルノブイリ原発事故から19年。多くの人たちにとっては、もはや忘却のかなたにあるのかもしれない。しかし、チェルノブイリはいまだ終わっていない。
 国内には幾つか今も支援を続けるグループがあるが、例えばチェルノブイリ救援中部の人たちは1990年以来ウクライナの人たちと交流を続け、新生児のために汚染されていない粉ミルクを送ったり、医療機器を寄附したりなど、さまざまな援助を続けている。
 大地の放射能汚染は今も続いている。例えば原発から60~70㎞離れたウクライナのナロジチ地区での昨年の食品放射線測定結果を見ると、野生のきのこでは最高58200ベクレルもの放射線が測定されている。きのこでは90%以上が基準値を超えている。野生のベリーも最高7540ベクレルで、78.8%が基準値を超えている。
 一般の食品は他地区から持ち込まれるものが多いのか、数値は低いが、牛乳・乳製品では18.3%基準値を超えている。汚染された牧草地で酪農が行われているせいだろうか。
 ナロジチ地区は避難地域になっていたが(広河隆一『チェルノブイリ消えた458の村』にも出ています)、政府が居住地域に格上げしたそうだ。でも、汚染がなくなったわけではない。セシウム137の半減期は30年だそうだから、まだ半分にもなっていないはず。
 汚染地域の多くは美しい田園風景の広がる自給的な農業地帯だ。でも、大地は汚染されたまま、外からの食品を購入しなければ、安全な食物を得られない。

「津波」の影響が、すぐ目に見えて感じられるものだとすれば、「放射能」は、人々を徐々にむしばんでいきます。何年も、何十年もかけて……。(中略)そして、1986年4月26日から、私たちが遠ざかれば遠ざかるほど、チェルノブイリがより身に迫って感じられるようになるのです。医学的・社会的・精神的なチェルノブイリが……。(中略)インド洋で起こった地震と津波の犠牲者についての公式データが、20万人に上るとすれば、ジトーミル州では、チェルノブイリ事故後18年の間に、住民数が同じ人数だけ減っています。私たちは、常に恐怖におびえ、明日に対する信頼感を持てないまま、ここに住んでいます」(救援中部「ポレーシェ」より、「チェルノブイリの人質たち」基金代表ヴラディミール・キリチャンスキー氏の言葉)