九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

安倍政権と世界の報道 2

2006年09月30日 08時24分24秒 | Weblog
9月29日付の「しんぶん赤旗」の記事です。

1 アメリカ  「 米政府・議会・メディアから 安倍政権に注文 “靖国史観の是正を”」

 安倍新内閣発足を機に、首相の靖国神社参拝や侵略戦争正当化の誤った歴史観の是正を求める声が海外から一斉におこっています。特に米国からは議会やメディアに加えて現職の国務長官までが注文をのべるなど、これまでの政権交代ではみられなかった異例の事態になっています。
 27日付の米紙ニューヨーク・タイムズは「安倍晋三氏のアジアにおける課題」と題した社説を掲載し、小泉首相の誤りは「醜い侵略の歴史を美化した」ことだったと指摘。安倍首相に対し「過去の失敗を大胆に捨て去る必要がある」「第1歩として前首相が挑発的に繰り返した靖国神社参拝をやめると宣言すべきだ」と要求しました。
 ワシントン・ポスト紙も25日付の社説で、安倍氏について「過去をごまかすことでは小泉首相より上だ。安倍氏は東京裁判の正当性を疑問視してきた」と指摘。「新首相は歴史に誠実でなければならない」「過去の誤りを認めないなら責任ある民主主義として受け入れられないだろう」とのべました。
 主要メディアの厳しい対日観は、米議会に反映した米国内世論をうけたものです。安倍政権発足直前に開かれた米下院外交委員会ではハイド委員長が「事実に基づかない靖国神社の歴史観は是正を求める」と発言。次期委員長就任が取りざたされるラントス議員は「ナチス指導者に花輪をささげるようなもの」と靖国参拝中止を求めました。
 こうした批判をうけ米政府の対応にも変化がでています。ライス国務長官は26日、メディアからの質問に、日中関係打開は過去に問題があったことを認めてこそ前進できる」「政治的意思が必要だ」と安倍首相に注文をつけました。ブッシュ政権はこれまで日米首脳会談などで日中問題を内々にとりあげてきたものの、表向きは静観の態度をとっていました。
 時事通信によると、国務省の日本部長経験者は、安倍首相はワシントンで一般的には歓迎されているものの「安倍氏がこれまであいまいにしてきた靖国神社参拝がどうなるか、みんなじっと見ている」とのべています。
  
 ※ ハイド委員長、ラントス議員の、米下院外交委員会での発言詳細については、別稿で紹介したいと思います。 

2 マレーシア  「改憲姿勢に強い警戒」

 マレーシアの星州日報紙は27日、社説で安倍新首相が歴史認識や靖国神社参拝であいまいな立場を取り続ける一方で、日本の平和憲法改定をめざしていることに強い警戒心を示しました。
 社説は、「安倍氏はまず、小泉前首相が残した歴史観の問題を解決しなければならない。しかし、中国や韓国との関係改善を強調しても、靖国神社参拝についての立場をあいまいにしたままでは、中、韓両国の懸念を深め、首脳会談再開の提起はできないだろう」とのべています。
 また、安倍氏が平和憲法の改定を公約していることについて、「国際社会で日本が政治的軍事的役割を強めるもの」で、「戦争の記憶が消えないアジア諸国民を不安に陥れる」と指摘しています。

3 英国各紙【ロンドン=岡崎衆史】   「戦後最もタカ派」

 安倍新内閣の発足について英各紙は27日、同首相が平和憲法改定や愛国主義教育を進めようとしているタカ派だと紹介する記事を掲載しました。
 インディペンデント紙は安倍氏を、「第二次大戦後最も若く、恐らく最もタカ派の首相」と描写。政策について「防衛力を強化し、愛国主義を強め、戦争を放棄している日本の憲法を改定することを公約してきた」と指摘しました。
 デーリー・テレグラフ紙は、「新指導者は日本と中国の亀裂を修復しなければならない」と題した記事を掲載し、安倍氏に対して、小泉前首相の靖国参拝が引き起こした日本と中国の対立を修復するよう求めました。
 同紙はまた、安倍氏が平和倭憲法改定を進めようとしていることを挙げ、「外国での軍事介入支援につながることを恐れる多くの人々を心配させている」と伝えました。
 フィナンシャル・タイムズ紙は「問題なのは外交、憲法改定、教育改革など、安倍氏が最も強調する政策が日本の有権者の心を大きく動かすものではないことだ」と指摘。世論調査を示し、日本人の関心が社会保障や財政、格差是正にあるのに、「これらの分野について安倍氏の政策は最もあいまいだ」とのべています。

4 アジア版英紙   「靖国参拝やめるべき」

 アジア版の英紙フィナンシャル・タイムズ28日付は、日本の安倍新首相にたいし、中国との関係改善を真剣に望むのならば、靖国神社参拝をまずやめるべきだと主張する論評記事を掲載しました。
 記事は、安倍氏の登場は小泉首相の靖国神社参拝でこじれた対中関係打開のチャンスとの期待があるものの、同氏にその役割が果たせるかどうか不明だと指摘。
 靖国神社境内にある戦争博物館・遊就館の歴史観にふれながら、首相の靖国参拝には外国人だけでなく多くの日本人も反対していると強調。日中関係の打開には、「日本の首相が過去と決別して靖国神社への参拝をやめるという結論を避けることはできない」とのべています。

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安倍政権と世界の報道 へそ曲がり

2006年09月29日 17時32分23秒 | Weblog
 まず始めに、10月2日からおよそ1カ月入院することになりました。「ブログ」ともしばらくお別れになりますが、出来るだけ早く戻って来たいと思っています。よろしく。

 さて、安倍政権発足について、世界はどんな反応をしているかを知りたいと思い、大手紙を調べたもののほとんど掲載されていません。わずか「しんぶん赤旗」だけとはなんとも情けない話かと思います。
 昨日と今日、掲載されていたので、まずは昨日の分から転載します。


1 イギリス【ロンドン=時事】  「哀悼表現 他にもある」

 27日付の英紙タイムズは社説で、安倍内閣発足を受け『過去倭ごまかさず、毎年の靖国神社参拝で中国を愚弄(ぐろう)せずに」戦争の犠牲者へ哀悼の意を示す方法はあるとして、安倍晋三首相は東アジア諸国との関係を悪化させない方法を見つけなければならないと強調しました。
 社説は、「過去の(歴史)問題に正直にきめ細かく対応することで日本の潜在能力を引き出す歴史的チャンスがある」とも論じました。

2 ドイツ【ベルリン=中村美弥子】  「愛国主義教育への懸念」

 26日に発足した安倍内閣について独メディアは、平和憲法が開廷され、愛国主義教育が強化されることになりそうだと報じています。
 ウェルト紙27日付は安倍氏について、『日本の軍国主義の過去に無批判である。日本の戦争犯罪に対する謝罪を認めないだけでなく、東京裁判の正当性さえ疑問視している」と紹介。戦犯をまつる靖国神社に何度も参拝し、北朝鮮に対する強固な態度で政治のスターになった安倍氏のもとで、愛国主義教育が強化される恐れがあると懸念を表明しています。
 公共ARDテレビは26日のニュースで、「安倍氏は平和憲法を変えようとしている。今後、自信に満ちた役者として日本倭安全保障の舞台に登場させることを狙っている」と報じました。

3 韓国   「“強い日本”に対する執着 」

 26日発足した安倍新政権について韓国メディアは、「強行保守人士、全面布陣(京郷新聞26日付)などと警戒感を強めています。
 朝鮮日報(電子版27日付)は論説委員名のコラムで「昨日発足した安倍内閣は保守的な色彩が強い顔触れとなった」と指摘。「慰安婦」問題などで暴言を繰り返してきた麻生外相の留任や、歴史教科書を「自虐史観」と攻撃してきた中川昭一氏の政調会長起用に言及し、「今後も韓日関係は順風満帆というわけにはいかなそうだ」と述べました。
 小泉政権によって行き詰った日韓関係の改善につながるとの期待もある一方で、韓国日報社説(27日付)は「今まで彼(安倍氏)が見せた姿は期待より憂慮を起こさせる」と述べました。
 同紙は、「最も大きな憂慮は彼自身の歴史認識と“強い日本”に対する執着だ」と指摘。安倍氏の憲法改定や1995年の村山談話に対する発言に触れ、「このような歴史観をそのまま押し通せば、韓中両国との溝が深まるばかりか、米国との対立にぶつかる」と警告しました。

4 中国【北京=菊池敏也】    「カギは実際の行動だ」

 中国の新華社通信は26日、安倍晋新内閣の発足について「新首相は内政、外交の試練に直面」と題する論評を伝え、安倍氏が首相就任後に直面する三大試練として①アジアの隣国との関係改善②国内の社会格差の縮小③財政再建 ― を挙げました。
 論評は、安倍氏が中韓両国訪問に意欲を意欲を示していることを紹介し、「最大のカギとなるのは実際の行動だ」として、靖国参拝問題での安倍氏の出方を見守る姿勢を示しました。
 また、「安倍氏は歴史認識と靖国神社参拝問題で『あいまい』戦略をとり、村山談話の軽症、侵略戦争の歴史的評価と戦争責任の認定で言葉を濁している」と指摘しました。

5 レバノン【ベイルート=松本眞志】   「 日本の“新保守主義者”」
  
 アラブ首長国連邦のアルハリージ紙20日付は、レバノン大学教授のマスード・ダヘル氏による安倍晋三氏に関する論評を掲載しました。「 日本の権力の座にある『新保守主義者』」と題する論評で同氏は、安倍氏の政治姿勢とその特徴について、次のように紹介しています。
 ①アジアにおける日本のイメージと利益を損ねるとの反対があるにもかかわらず米国とあらゆる分野での関係を促進する点で小泉首相の後継者だ②中国や韓国などアジア諸国が反対している小泉前首相の靖国神社参拝を手本にしている③現在を、日本がアジアで政治、経済、軍事、文化のあらゆる分野で主導権を復活させる歴史的好機とみている④戦力の保持と海外での軍事行動への参加を禁じた日本国憲法第9条を変える試みを進めている。  
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「我々はなぜ金太郎飴だったのか」その4  文科系

2006年09月29日 00時13分10秒 | 国内政治・経済・社会問題
1 土台が上部構造を規定すると言い、他方で上部構造が土台に反作用すると言います。そして、いわゆる社会主義的変革においては、後者の上部構造の「相対的独自性」が極めて重要になってきます。政権を取ってから土台を変えていくという、過去の国家の歴史にはなかった過程をたどると規定されているからです。つまり社会主義的変革においては、上部構造でイニシアティーフが取れなければ政権がとれず、新しい社会は来ないはずだと言いうるわけです。

2 上部構造の相対的独自性とか、その土台への反作用とか言われたもの自身については、古典の中には僅かですが、こんな論述が残っています。土台は上部構造諸領域に直接に何かを作り出すということはなく、それらの中の歴史的に与えられた独自の枠組み、諸条件を、外から間接的に変えうるだけだと。しかしながら、階級性とか「労働者的」とかいう表現、考え方には、こういう上部構造諸領域の独自な発展に対して外から土台的な物を持ち込みがちだという傾向が含まれていたのではないでしょうか。「階級性が科学性を保障する」という「方法論」は機械論の一種にもなりうるもので、客観主義の危険性を常にはらんでいます。土台を重く見過ぎる政治(主義)が政治学、哲学、文学などと絶えず摩擦を起こしてきた過去の世界的・歴史的姿は、極めて悲しむべきその証明であったとは言えないでしょうか。

3 1、2からすると、政治学、哲学、文学など専門学者たちの尊重ということが極めて重要になってきます。しかしながら従来の政治は、これらの方々からは学ばず、逆にこれらの方々への統制ばかりが目立ちました。その結果として多くの人材を失ってきたというのも明白な事実だったと思います。ましてや、外部の学者などとの討論などは、狭められるばかりではなかったでしょうか。こうして残った人々の作る政策、方針はますます、機械論、客観主義の色彩を帯びてくることになったと言えるのではないでしょうか。

4 客観主義は、戦略を考え、政策を作る過程で、「土台の上部構造への規定性」という視点から見たその都度の社会認識、その宣伝を重視しすぎて、実践的契機を軽視するという特徴をも有することになります。こうして、社会変革が結局、認識・宣伝の問題に矮小化されていなかったでしょうか。「客観的に明日がそこにあるのだから、それを知らせるだけでよい」と表現できるような姿勢です。しかしながら、そういう「正しい」認識、宣伝が進まないならば、その元である実践的世界を重視しつつ、そこからもう一度戦略を練り直すという努力が必要だったのではないでしょうか。人々が認識を進め、深めれば社会が変わるという側面は確かに存在するでしよう。しかしながら、2の諸側面も含めて、様々な生活点、生産点で実際に日々人々が変わりあい、生活を改善しあっていなくとも社会への認識を深め、広めあうことができる考えるならば、それはやはり客観主義の一種という誤りなのだと考えます。「改善の感性は十分にあるのだから、あとはそれを整理し、認識、宣伝すればよい」というのではなく、「改善の感性自身を実践的に育て合わなければ、必要な認識も生まれないし、広がらない」と言い換えても良いと思います。


終わりにさて、こんな事を何故今むしかえすのかというご批判もあるかも知れません。今こそもう哲学よりも行動の一致だろうとも言われ、政治の表面に見える姿は既にこんな論議を必要とはしないはずだとも指摘されそうです。でも、世界観政党が、己の世界観の根本をなし崩しソフトランディングさせていくというような姿には、一種やはり根本的に胡散臭いものを感じざるを得ません。そう見ている人々は多いと思うのです。
また、客観主義のままでしかもそれを表面上は隠しておいて、将来「正しかった」と強弁できる日が来るだろうなどという姿勢であるならば、それは二重の意味で論外というものではないでしょうか。
いずれにしても歴史に汚点を残すことになります。過去の文献は残っているのですから。世界観政党が、自らの公式世界観解釈史に汚点を残す。それこそ、取り返しのつかないことだと考えます。
    (終わり)
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安倍内閣発足と世論調査  へそ曲がり

2006年09月28日 15時00分45秒 | Weblog
 安倍内閣の発足を受けて、「朝日新聞社」が26日夜から27日にかけて、緊急の全国世論調査(電話)を実施しています。その結果と解説が今日の朝刊1面に掲載されています。

   見出し 1 : 安倍内閣 支持63% 不支持18%   「頼りない」34%

 安倍内閣の発足を受け、朝日新聞社は26日夜から27日にかけて、緊急の全国世論調査(電話)を実施した。内閣支持率は63% 不支持率は18%。発足後、初めての支持率としては小泉内閣の78%に及ばないが、最近では橋本内閣の61%を上回る戦後歴代3位の高水準だ。ただ、内閣の顔ぶれについては「新鮮だ」35%、「そうは思わない」38%と見方が割れる。
「強力な内閣だ」との見方は23%にとどまった。一方、来年夏の参院選に自民と民主のどちらに勝ってほしいかでは、自民が47%、民主は36%だった。
 内閣支持率は女性がやや高い。支持政党別では自民支持層が89%と圧倒的だ。ただし無党派層は47%で、小泉内閣発足時の74%には及ばない。
 内閣を支持する人にその理由を聞くと、「政策の面から」が28%、「なんとなく」27%、「首相が安倍さんだから」24%と割れた。
 強力な内閣だと思うかと尋ねると、「頼りない」34%が「強力」23%を上回った。小泉内閣発足直後、「強力」との印象が多かったのと対照的だ。ただ、回答で最も多かったのは「その他」の43%。新内閣の「実力」は今後、見定めようという気配も漂う。
 安倍首相が最優先課題にあげる臨時国会での教育基本法改正については、「今の国会にこだわらず、議論を続けるべきだ」が66%と多く、「今の国会で成立を目指すべきだ」は21%にとどまった。「改正する必要はない」は6%。首相の意気込みとは裏腹に世論は慎重のようだ。
 これに対し、小泉内閣から引き継いだ最大の懸案である中国や韓国との外交の改善については、「積極的に取り組んでほしい」が83%に達した。民主支持層では9割近く、内閣支持層や自民支持層でも8割を超えた。
 中韓との外交改善のカギを握る歴史認識を巡り、安倍首相が自らの認識を示していないことを「評価する」は24%で、「評価しない」の52%を大きく下回った。「評価しない」は自民支持層では44%、民主支持層では73%、無党派層でも半数を超えた。


   見出し 2 : 民意 判断これから(解説)

 今回の世論調査の結果をみて、ある自民党三役経験者は2つのことを言った。「安倍首相はまだ、古い自民党を嫌いな層を自分の力で政権支持層へ替える党首力は持っていない」。そして、小沢民主党との2大政党対決の今後は「やはり中間保守の争奪戦になる」というのである。
 小泉政権と安倍政権の違いは、発足時の内閣支持率の高低だけにあるのではない。構造改革推進のため古い自民党をぶっ壊すと言った小泉前首相には、だからこそ、経済の閉塞(へいそく)状態を生んだ自民党に対して強い不満を持つ都市部無党派層を自分に振り向かせる逆説的な力があった。
 もとより安倍首相のアプローチは違う。教育改革はじめ理念面を中心に保守再構築をめざし、いわば自民党の右の壁から中道保守を含めて保守層全体を固め直す発想だ。
 だとすれば、小泉政権時には自民党に寄り添った層が判断保留の踊り場に移ったとしても不思議ではない。安倍首相は小沢民主党代表に対して個人レベルでの支持で差をつけたが、参院選への期待度を見る限り、民意は自民と民主のどちらが勝者かは現段階ではまだ判断していないようだ。安倍首相がまだ、右から中道、さらに左まで巻き込んで自民党を底上げする迫力を得ていないことを物語るのではないか。
 民主党は今後、格差是正やアジア外交立て直しで左から中道を採る戦略を強めるだろう。安倍政権も当然、それに対抗せざるを得ない。来年夏の参院選にかけて2大政党のどちらが説得力ある政権公約を出せるか、民意はそれを判断材料にしようとしているようにみえる。(曾我 豪)
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「我々はなぜ金太郎飴だったのか」その3  文科系

2006年09月27日 22時09分41秒 | 国内政治・経済・社会問題
さて、以上のような全体を振り返った時、従来の正統な「変革の哲学」、科学的社会主義思想には、客観主義という重大な欠陥があったということに突き当たります。古今東西多くのマルクス主義(的)哲学者達が、こういう批判を行ってきました。戦前のヨーロッパでは、ルカーチ、グラムシ。戦後すぐの日本でも、マルクス主義の客観主義的理解を批判する「主体性論争」が有名です。古在由重、真下信一、丸山真男、村松一人、清水幾太郎などなど、そうそうたるメンバーが岩波の雑誌、「世界」などで論争しました。この論争において客観主義批判を行ったのは、真下、丸山の両氏です。清水氏らの科学(万能)主義や古在、村松氏らの「正統派」弁証法的唯物論者に対して、「人間の主体性というものはどこ行っちゃったの?」という論争だったと言われています。さらに比較的近くでは、戦前からのマルクス主義哲学者・古在由重氏の追悼論文集「転形期の思想」(梓出版社、1991年刊行)にも、そのような批判論文が多く収められています。
過去に全般的危機論こそ誤りとして退けられましたが、貧困、困窮が変革を起こすという発展途上国型変革論、視点が今でもまだまだ暗黙の主流なのではないでしょうか。重ねて言いますが、困窮が変革を起こすものならば、失業やニートが激増し、年収200万円社会というように格差が深刻になり、また高齢者に厳しすぎるようになった日本で、労組や変革の陣営が力を減じているということが説明できません。それどころ、労組の方が労働者を獲得できないこんな時代に、逆に体制側が労働者の「自主的」組織化を進めえてきたという例は、この数十年山ほど存在しているのではないでしょうか。自主管理活動、QC活動、提案活動などは「経営者主導の大衆運動」という側面さえありました。「アメだけでなくムチもあっただろう!」と言ってみても、始まりません。そんなことは当たり前の話ですから。
「経済、『土台』が人々の生活を困難にしている。そのことを『学び、知らせ、宣伝する』ことに努めれば議会で多数を占め、やがて世の中が変えられるはずだ」という理論は人々を獲得できていないのです。それは、変革方針を考える哲学が以下のような誤りを持っていたことに呼応するものだと、僕は考えるに至りました。マルクス主義哲学、科学的社会主義のいわゆる土台と上部構造の関係の捉え方に客観主義的な誤りがあったと、そういう哲学で政治戦略を考えることしかできなかったからだと。
以下次に、そういう哲学にかかわる批判的まとめを数点にわたって行い、結びとしていきます。
(続く)
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71歳72キロの山本です。 皆さんコメント有り難う。

2006年09月27日 22時04分35秒 | Weblog
 早いもので感動のあの日から20日も過ぎました。
 この20日の間にまたそれ以上の喜びを味あうことが出来ました。と申しますのは本当に多くの方々から「見ましたよ、あの中日スポーツの顔写真最初は判らなかったけど選手と見間違える程の投球ホームでとても素晴らしい!!」とか「二軍の選手の記事だと思った。」とか云ったお世辞交じりのお話しを沢山聞きました。
 教えている少年ソフトの子供たちからは「僕も早くスピードコンテストに出たいな!」なんて云われ株を上げましたし、孫の「るな」小4からは「校長先生から”るな”のおじいちゃん凄いね!!」と云われたとか・・・・・
 民主商工会の週報では「落合さんから、一度投げて欲しい」と云われたとか、云われなかったとか。」というジョウクの記事にされる始末で、一つの話題になつたことは確かです。
 ソフトの子供たちには「夢はキッと叶うから、何事も一生懸命になつてやろう。」と真実味をもって励ましたり出来た20日間でした!!

 私一人の事にもこんなに大勢の方々が一緒に喜んで下さったのかと思うと今さらながら「メディア」の力の偉大さ怖さにも驚かされました。
 こうした巨大メディアやこのブログのような小メディア、様ざまなメディアを充分活用して、九条を守る大切さや、平和の尊さを昭和区いや世界中に発信し続けてゆく運動を発展させたいと心に誓った20日間でした。
 また 生活の中から何か発信していきます。 続信 乞うご期待!!

     
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「戦前」内閣に対抗してオシャベリを 落石

2006年09月27日 07時40分47秒 | Weblog
安倍さんの内閣が誕生しました。
教育基本法や憲法を変える内閣。
戦える日本、「戦前」がやってきそう。

日本国内だけの運動から、さらに広い繋がりが
必要とされていますが・・・

出来れば、お隣の国の人と、お茶飲んで話し合う。
そんな出会いが欲しいですね。

フランス革命は「サロン」で、準備されました。
オシャベリこそ、重要な言論のツブテです。
私の出来るのは、オシャベリです。
ドンドン、井戸端会議のシャベリをしましょう。




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面白い!

2006年09月26日 14時19分18秒 | Weblog
九条の改正を笑ひ言ふ議員このちんぴら負けてたまるか

                        岩田正


             


憲法は1センチも譲れない        辺見庸


          

         赤旗月曜インタビューより(落石)

  


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閑話休題 ”僕の熱中事” 文科系

2006年09月26日 00時34分49秒 | Weblog
僕は芸術、スポーツ何でも、鑑賞よりも自分がやらなきゃ気が済まない方で、三つばかりの「やっているもの」を持っている。中でも、最も熱中しているのがクラシックギター。若い頃から独学で主としてカルカッシ教則本を思い出したようにやってきたが、定年後は教師について習い始めた。現在まで25ほどのギター曲が弾けるようになった。といっても人前で弾けるのはその半数ぐらい。この10月から11月にかけて3カ所の発表の機会を持つことになっている。10月の終わりにギター・デュエット(ソル作曲「月光」)、11月には独奏が1回(タレガ作曲「アラビア風奇想曲」)と、その1週間後フラウト・トラベルソという古楽器の伴奏でもう1回(宵待草、浜辺の歌、ゴセックの「ガボット」)。
こうは言っても人前で弾くのは指が震えるのだ。初めの頃など曲にならなくて、最近精神安定剤を飲んでやるとやっと「聞き手に迷惑ではないだろう」という程度にはなったか。先生の勧めなのだが、ほっとできるようになったら「人前に出る機会」が増えた。
ギターっていいよ!まずちょっと愁いを帯びた音色が好きだ。そして旋律と和音伴奏とをピアノのように自分1人で弾けるのね。旋律を響かせつつ、それをいろんな形、奏法の和音で浮き立たせていくのが、とにかく心地よい。それでいてピアノと違って持ち運びが簡単。僕は2泊以上の旅には必ずギター持参。毎日の練習を欠かせたくないのが1番の動機、外国旅行にも必ず持っていく。
例えば、中国は雲南省の少数民族の古都、麗江(ナシ族)、大理(ぺー族)それぞれの民族旅館中庭、誰もいない静かな夕暮、1人で練習したのは凄い思い出になっている。
因みに、外国旅行ではホテルよりも「旅館」の方がずっと良い。日本へ来る外国人も、同じ事を言いますよね。その国を味わえるんです。

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百人の教師がブログを作れば!!!     いらちのイタチ

2006年09月25日 22時19分37秒 | Weblog
教育基本法を死守しなければならないと考えている教師がいるのなら、なぜもっとアクティブにビジブルに動かないのか。たとえ一人でも英雄的に抵抗する姿を見せようとしないのか。ブログを立ち上げて教育基本法改正反対のセンターになろうとしないのか。通常国会のときからあまりに静穏すぎて不気味だったが、安倍政権ができて臨時国会が始まろうとしているのに何も動きがない。何度も言ってきたが、教育基本法は憲法の内面法規であり、すなわち大日本帝国憲法にとっての教育勅語と同じペアの存在であり、これを改正されることは大坂城の外濠を埋められることと等しい。だからこそ、改憲勢力は教育基本法改正を決定的な里程標として外さず位置づけてきたのであり、この手順と目標は何十年も前から変わっていないのだ。改憲勢力の方が教育基本法の意味と重要性をよく認識している。「護憲は息の長い戦い」などと嘯いて悠長に構えている者が相変わらず多いが、その情勢認識が根本的に誤っていることを一刻も早く知るべきだ。

危機感を持っている百人の教師がブログを作れば、百騎のブログ軍団ができる。経験から言って、それはネットの中の声として決して小さくはならない。外濠が埋められ、天守閣が焼け落ち、城を枕に滅びるのなら、その気があるなら、せめて幸村になって歴史に名前を刻むことを考えたらどうだ。百騎の精鋭の武者を編成して、家康の本陣まで疾駆突撃して討ち死にしたらどうだ。乾坤一擲のワンチャンスに賭けたらどうだ。意地を見せろ。生と抵抗の証を残せ。教育基本法の殉教者となれ。信念と美学に殉じて滅べ。

 ※ブログ「世に倦む日々」9月22日の記事 「地裁判決と教育基本法改正・・信念と美学に殉じて滅べ」より抜粋しました。

            
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安倍晋三氏の歴史認識における自己矛盾  へそ曲がり

2006年09月25日 12時14分15秒 | Weblog
 25日付「朝日新聞」第11面の「風考計」で、若宮啓文論説主幹が『祖父とチャーチルに何を見る』という見出しで、安倍氏の歴史認識について述べています。
 長い論稿なので、後半の部分を転載します。

 今度の総裁選では谷垣禎一氏も麻生太郎氏も、あの戦争の多面性を認めつつ、中国に対しては「侵略戦争」であったと明言した。安倍氏だけが「侵略」と言わず、「歴史認識は歴史家に任せるべきだ」の繰り返しだった。
「侵略」や「植民地支配」をわびた村山首相談話について、あるいはA級戦犯を裁いた東京裁判についても言葉が煮えきらないのは、本音ではそれを認めたくないからに見える。「歴史を単純に善悪の二元論でかたづけられるのか」と著書で強調している。

 そんな安倍氏に警戒の目を向ける外国メディアは多いが、今月、強烈なパンチを浴びせたのがドイツのニュース週刊誌シュピーゲルだ。ホローコーストの歴史的事実を認めようとしないイランのアフマディネジャド大統領に「安倍氏は似ている」と書いた。
 いささか度の過ぎた比喩である。ホローコーストを作り話だと言うこの大統領は、安倍氏とは比較にならない教条主義者だ。加えて言えば、安倍氏はナチスに対しては決して甘くない。
 実は彼が「古今東西の政治家で最も決断力に富んでいた」と言うのは、ナチスに真っ向から戦った英国のチャーチル首相なのだ。著書では、、チェンバレン内閣の「融和政策」が「結果的にナチスドイツの侵略を招いた」とし、断固たる信念で勝利に導いたチャーチルを高くたたえている。
 なにやら北朝鮮に強硬姿勢をとる自分を重ね合わせているようであるが、おやっと思ったのは、安倍氏もナチスの行為については「侵略」と、こだわわりなく断定していることだ。「歴史家に任せる」とか、「善悪二元論はとらない」などとは書いていない。
 チャーチルが首相になった時、欧州に覇を求めるナチスはチェコ、ポーランドなど周辺諸国に次々に兵を進めていた。やがてフランスも占領する。
 だが、これを侵略だと言うのなら、満州支配に飽き足らず、上海へ南京へと次々に進撃し、膨大な被害を与えた日本の戦争は、なぜ侵略だとすっきり言えないのか。チャーチルの警告を無視し、ヒトラーと手を結んで米英と戦った日本の是非も、やはり「歴史家に任せる」というのだろうか。シュピーゲルが問いたいのは、そういうことではないか。
 そもそも、いまさら「歴史家に任せる」もなかろう。満州事変からの中国進攻はどう見ても侵略であり、見通しなき米英との開戦も愚かな選択であったというのが、まっとうな歴史家のほぼ一致した見方だからだ。「任せる」のなら、これに逆らうことはない。
 さて、岸氏は外相や首相になった時、国会で自身の戦争責任を聞かれ「巣鴨などで十分に反省した」と何度も答えている。それでなければ首相は務まらなかったはずである。
 おじいさんの強さ、したたかさは見習うのがよい。同時に、その負の部分はクールに見てほしい。
 明日はいよいよ内閣総理大臣への就任だ。安倍さん、ここは新たな見識を示して、シュピーゲルを見返していただけないか。
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冬の行事「キャンドル・アピール」について    九条 ひかる

2006年09月25日 01時09分33秒 | Weblog
 昭和区九条の会では二年目の今年も、平和アピールの企画をいくつか計画して皆さんと交流したいと思っています。
 世話人会で話し合われた企画は、秋・・平和ハイキング 冬・・平和キャンドル
春・・平和展覧会 夏・・二周年記念イベント などです。
 秋の海上の森平和ハイキングの企画はすでに十月二十二日の開催にむけて準備中です。
 そして、新企画としての「キャンドル平和アピール」を十二月に開催しようと準備を始めました。夏と違い冬の平和行事がないので、この企画を定着させる事によって市民のみなさんに平和について考えてもらえる機会をと考えているわけです。
 そしてこの企画を単独企画ではなく他の九条の会との共催として成功させたいと考えています。

先日この「キャンドル平和アピール」(仮称)について、昭和、千種、みずほ九条の会の役員5名で第1回実行委員会を行いました(みずほは3名の方が参加)。
 アピールの日は、12月9日と12月8日(日米開戦の日・金曜日)のふたつの候補がありましたが、8日の午後6時頃から、キャンドルを灯し、阿由地通りを行進して「平和と憲法九条を守れ」をアピールすることにすることになりました。
 詳細は今後詰めることになりますが、準備の関係で日時と歩くコース(博物館から今池まで約3キロ)を決めました。また、コースの途中の公園などで「ミニ集会」を開き、平和演奏、歌などを行う方向ですすめることになりました。
 今後も三つの「九条の会」から参加した実行委員で詳細を決めることになりますが、次回は10月4日午後6時から「瑞穂区の喫茶店」で行います。実行委員会に参加してもよい、とお考えの方は「昭和区九条の会」の事務局までご連絡ください。
 (連絡先)FAX・TEL 052-731-2749です。
   
            

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時刻むカネタタキの音鎮魂歌   郁子

2006年09月24日 12時27分11秒 | Weblog
575の会という句会での一句です。
作者の郁子さんの祖父は、戦前、親愛知新聞の主筆を務めたことのある桐生悠々。
その悠々の句です。

 蟋蟀は鳴き続けたり嵐の夜

昭和8年、信濃毎日新聞の主筆だった悠々は、「関東防空大演習を嗤ふ」という
記事を書き、在郷軍人会などから激しく批判されます。
不買運動にまで広がった責任を負って辞任。
名古屋市守山区に引っ越して、「他山の石」という小冊子を発行、
軍国化してゆく時代を批判し続けました。
現在の日本とは違って、検閲や発禁処分のあった時代。
日支事変を論じた号は3ページにわたって記事が削除されました。
何回も発禁にあいながらも、筆を折ることはありませんでした。
そして昭和16年、太平洋戦争の始まる直前に亡くなっています。
蟋蟀の句は、「他山の石」発行の心意気を詠ったものと思われます。

蟋蟀の句を踏まえて、カネタタキの句を読むと、
また新たな感慨を覚えます。

    

新愛知新聞は、戦前に名古屋にあった新聞社。
桐生悠々は信濃毎日と、新愛知の主筆を務めています。
新愛知新聞は、戦時の言論統制のために、名古屋新聞と合併、
現在の中日新聞となっています。

    

戦争が本格化し、新聞も政府の広報機関と化したなか、
小冊子「他山の石」が国民に与えた影響は、決して、
大きなものには、なりませんでした。
しかし、今日の日本を考える場合、その意義は大きいと思います。
現代、私達はウェブというメデイアを持っています。
一人一人が「他山の石」を、簡単に発行することが出来る時代です。
悠々は、発禁の他、資金繰りにも苦労、たびたび紙面で慨嘆しています。
しかも私達は、ネットワークで繋がっています。
言論の自由を圧殺しようとする動きや、情報統制に対して、
このメデイアを十分に使いこなして対抗していきたいものです。

                   落石




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青白く光った「薬」  へそ曲がり

2006年09月24日 01時10分15秒 | Weblog
 1カ月ほど前に作成した原稿です。投稿する機会を考えていたのですが、他の投稿やコメント作成が多く、なかなか紹介することが出来ないままになっていました。
 昨日、「困多詐狂」さんからのコメントを頂いたので、ちょうどよい機会かと思って投稿します。

 戦争も終わりに近づいたある日のことである。近所のおばさんたちが家へ集まっていた。「国防婦人会」の集まりではなかったかと思う。部屋の隅でぼんやりと眺めていた。
 どこかのおばさんが1人1人に白い紙に包んだものを渡していた。“何だろう?”と思った。甘いものに飢えていた時代である。きっとお菓子に違いないと思った。
 すぐそばにいたおばさんが開いて見せてくれた。お菓子ではなかった。透き通った薄いコバルト色のものだった。ちょうど氷砂糖を細かく砕いたほどの大きさであった。
 おばさんは言った。“これはねえ、すぐ楽になるお薬よ”。「薬」って何だろう?「楽になる」ってどういうことだろう?とは思ったものの、まだ小さかった私には意味が判らない。やがてそのことは忘れてしまった。
 戦後になってそのことを思い出し、母に尋ねた。“知らない”との返事だった。何度も尋ねていくうちに、“お前の記憶違いだろう”と言われてしまった。でも、間違いなく憶えている。とは言っても、尋ねても同じ答が返ってくるだけである。そのままになってしまった。
 
 大学時代、壜に入った薬品を見せてもらったことがある。あの時の「薬」とそっくりである。再び母に尋ねた。“あの時の薬は「青酸カリ」ではなかったの?”
 母の返事は“もう忘れた”であった。いつもなら会話する時には必ず目線が合っていた。この時だけはそっぽを向いたままだった。遠くを見ているような目付きだった。
 はっとした。「忘れた」ということは、以前には「知っていた」ということになるのではないか?思い出したくないことがあるに違いない。そうだろう、我が子を自分の手で殺さなければならない、そんなことを思い出すのは我慢が出来なかったのではないだろうか?それが“もう忘れた”という言葉になったのではないか?
 悪いことを聞いてしまったと思った。
 それ以後、この話は「タブー」にした。代わりに「本土決戦」に関する本を手当たり次第に集めた。答えはその中にあった。
 当時、日本軍は「本土決戦」を叫んでいた。「一億総特攻!」・「一億玉砕!」がスローガンであった。赤子・幼児・老人などは足手纏ということで、決戦の前に「毒殺」するという計画もあった、一部には「薬品」も配布されたと書かれていた。
 
 事実だろうか?確かめたくても、既に母はいない。私より年配の人に聞いてみたい。でも、母と同じ気持ちにさせてしまうかも知れない。残酷なことになってしまう怖れもある。こうなると誰にも尋ねることが出来ない。
 このまま心の中に閉まっておくべきだろうか?
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「心で書いて憲法9条理解 立場超え『写九』人気」  キャッチホン

2006年09月23日 15時05分25秒 | Weblog
すでにご存知の方もあろうかと思いますが、
知人から紹介を受けたことをご紹介します。
神戸新聞WEB NEWS(9月19日)のタイトルのような見出しの記事がそれです。
要点は、次のようなことです。

改憲の動きに危機感を抱いていた熊本市の主婦が写経の体験から発案、「これを九条でやれば」。
この主婦は友人の印刷屋に頼み、上質の和紙にうっすらと九条を書いた「写九用紙」を作った。
長野県の大学講師がインターネットで紹介したところ、全国から百件近い反響があった。
神戸にも今年夏に、「平和写九をすすめる会」が発足。この会の呼びかけ人は、
「九条はたった百三十一文字。心をこめて書き写せば理解が深まるはず」
「余白にメッセージを添えて首相官邸に送ったり、平和の学習会で利用したり、
いろいろ活用法を考えて」と呼びかけている。

詳しくは、次のアドレスの「神戸新聞WEB NEWS」をご覧下さい。
 http://www.kobe-np.co.jp/kobenews/sg/0000116483.shtml

なお、検索エンジンで「写九」を検索しますと、関連したHPがさらにありました。


追記
中学1年の夏休み。社会科担当教師による宿題は、
 「憲法の全文をノートに書き写してくること」
でした。
意味がわかっているわけでもないのに、この宿題を果たしたことは、
ある種の満足感をもたらし、いまも記憶に残っています。
就職して、職場の同僚たちから、
 「おまえの中学は、“赤”だ」
といわれて、驚きました。
こんなことがあってさらに忘れられなくなったのかもしれません。
近年になって、再挑戦してみようと思ったことがありますが、果たせていません。
そこへ「たった百三十一文字」という話です。
やれないとはいえないな、と思っているところです。

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