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「我々はなぜ金太郎飴だったのか」その3  文科系

2006年09月27日 22時09分41秒 | 国内政治・経済・社会問題
さて、以上のような全体を振り返った時、従来の正統な「変革の哲学」、科学的社会主義思想には、客観主義という重大な欠陥があったということに突き当たります。古今東西多くのマルクス主義(的)哲学者達が、こういう批判を行ってきました。戦前のヨーロッパでは、ルカーチ、グラムシ。戦後すぐの日本でも、マルクス主義の客観主義的理解を批判する「主体性論争」が有名です。古在由重、真下信一、丸山真男、村松一人、清水幾太郎などなど、そうそうたるメンバーが岩波の雑誌、「世界」などで論争しました。この論争において客観主義批判を行ったのは、真下、丸山の両氏です。清水氏らの科学(万能)主義や古在、村松氏らの「正統派」弁証法的唯物論者に対して、「人間の主体性というものはどこ行っちゃったの?」という論争だったと言われています。さらに比較的近くでは、戦前からのマルクス主義哲学者・古在由重氏の追悼論文集「転形期の思想」(梓出版社、1991年刊行)にも、そのような批判論文が多く収められています。
過去に全般的危機論こそ誤りとして退けられましたが、貧困、困窮が変革を起こすという発展途上国型変革論、視点が今でもまだまだ暗黙の主流なのではないでしょうか。重ねて言いますが、困窮が変革を起こすものならば、失業やニートが激増し、年収200万円社会というように格差が深刻になり、また高齢者に厳しすぎるようになった日本で、労組や変革の陣営が力を減じているということが説明できません。それどころ、労組の方が労働者を獲得できないこんな時代に、逆に体制側が労働者の「自主的」組織化を進めえてきたという例は、この数十年山ほど存在しているのではないでしょうか。自主管理活動、QC活動、提案活動などは「経営者主導の大衆運動」という側面さえありました。「アメだけでなくムチもあっただろう!」と言ってみても、始まりません。そんなことは当たり前の話ですから。
「経済、『土台』が人々の生活を困難にしている。そのことを『学び、知らせ、宣伝する』ことに努めれば議会で多数を占め、やがて世の中が変えられるはずだ」という理論は人々を獲得できていないのです。それは、変革方針を考える哲学が以下のような誤りを持っていたことに呼応するものだと、僕は考えるに至りました。マルクス主義哲学、科学的社会主義のいわゆる土台と上部構造の関係の捉え方に客観主義的な誤りがあったと、そういう哲学で政治戦略を考えることしかできなかったからだと。
以下次に、そういう哲学にかかわる批判的まとめを数点にわたって行い、結びとしていきます。
(続く)
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