九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

普天間基地はどこへ?    らくせき

2010年11月30日 19時26分31秒 | Weblog
中日の記事。「普天間、日本全体で解決を」
沖縄知事選の県民の意向を、こう書いています。

どんな解決策があるのか?

①米軍グアム基地を公共事業と考えて追加援助する。
自民党影の内閣・防衛副大臣・佐藤さん。

②沖縄には海兵隊は不要。今後はアメリカとの粘り強い交渉を。
元内閣官房副長官補・柳沢さん。

この柳沢さん、小泉さんから麻生さんまでの安全保障担当。
鳩山さん、菅さんの外交能力について
「本格的に交渉するストレスに耐えられないのだろう」と、
厳しい指摘も。

こんな難しい交渉の出来る政治家はいるんでしょうか?
沖縄県知事に再選さえた仲井真さんくらいかな?

また、喫茶店のおかみさんは、「交渉ごとは周りが騒いでいる時は
すすまないもの。静かにしておくほうが得策。
でも、騒音はなんとかしてほしいね。」と。

菅さんでも、騒音くらいなんとかする気で交渉したら
実現するんじゃない?
夜間など、時間制限をキチンと守らせる。
地位協定を厳守させる、見直すなど、することはあると思うけれど・・・

塵も積もればヤマとなる。
じゃない。
愚公山を動かす。
でした。

それじゃ票にならないかな?




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着々と成果をあがげている北朝鮮外交?①   らくせき

2010年11月30日 14時02分15秒 | Weblog
今回の砲撃事件に米韓は強く反発、
しかし戦争にはならないであろう。
では、この事件で誰が一番、利益を得たのか?

アメリカではないし、まして韓国でもない。
日本・ロシアでもない。
中国でもない。
残るは北朝鮮である。

北朝鮮の目標はなにか?
軍事大国となるとともに、経済の発展を目指すこと。

軍事大国の条件は核の保持。
ここ10年ほどで、タフな交渉で、北はみごとに核を手にした。
それを得るために、大きな代償を払い、。
経済制裁で大きな打撃を受けた。

しかし中国との間の経済交流は、
衰退することなく、発展しているという。
国境の橋を渡って、北へゆくトラックには中国製品が積み込まれているという。

韓国の太陽政策で北に投資された資産も
北の経済に一定の効果をもたらしている。
韓国の撤退した後には、中国からの投資が行われているとも。

農業も、最悪の時期は脱して、回復しつつあるという。

もちろん核開発などは、人海戦術だから
かなりの被爆者が出ているという。
国民の生活は楽になっていない。
国民の生活を犠牲にした成果ではあるが。

北の外交で、一番したたかなのは、中国とのカンケイを壊さないことかも知れない。

中国は対米関係で北を必要としてきた。
その重要性は、韓国と国交を持ったことで、重要性は小さくなっているが、
今回の事件でも中国は北を見放してはいない。

中国が砲撃事件を快く思ってはいないには明らか。
しかし、その中国は6者協議の開催を呼びかけている。
これが今の中国にとって一番の手。

北は中国のいうままに動く操り人形ではない。
これは北が「主体思想」を確立したこととカンケイがある。
中ソの間にあって、「主体思想」を主張したことは
決して大国に従属しないという意思表示であった。

北は、中国を利用する外交能力を持っていると見るべきでは。
そうだとすれば、今回の事件で、中国が北へ強い影響力を行使するであろう、
という期待は、あまりしないほうが良いのではないだろうか?

モチロン、中国が、北に対して、日本よりの姿勢を取るかも、
という期待も無理な注文でしょう。
                   (続)

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思えば遠くに来たもんだ・・・プログ立ち上げ六年目を迎えて。    プログ管理人

2010年11月30日 01時49分23秒 | Weblog
 思えば遠くへ来たもんだ
 故郷はなれて六年目
 思えば遠くへ来たもんだ
 この先どこまで行くのやら

 武田鉄矢歌ではないが、このプログもこの十一月で五年がたち六年目に入った。
 立ち上げた2005年は総選挙が行われ自公両党で三分の二を超える圧勝
となった。
 すると予想通り改憲勢力から声高に「普通の国になろう・・・」の大合唱が
聞こえ始めた。
 こうした状況に危機感を持ったが護憲の旗印を掲げる良い方法が見つからなかった。
 そんな時友人が俳句のプログを立ち上げた。
 「そうだ 微力でも、無力ではない」護憲のプログを立ち上げることにした。
 数名の友人、知人に投稿を依頼した。
そしていつのまにか五年の歳月がたった。現在までの投稿数は3867件、(一日平均2人)トータル訪問者数167207人、一周平均訪問者2000人である。GOOプログは約150万だから上位2000位~3000位にランクされている。

 これを支えてくれているのが常連投稿者の落石さん、文科系さん、ネット虫さん、まもるさん、平和平さん、保守系さん、故へそ曲がりさん、千里眼さん、キャツチホンさん、只今さん、などなどです。またコメントにも多くの方に参加していただいています。深くお礼を申し上げます。
 
 そして記事の内容も、平和・憲法問題に限らず人間的なテーマならば大歓迎と間口を広げました。
 内外の状況は政治、経済、外交。文化どれをとっても厳しさを増しているように思えます。
 だからこそ、ささやかではありますが、自由な討論のこの場を利用していただきたいと思います。

 

 
 
 
 
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やはりタヌキオヤジでした。   らくせき

2010年11月29日 15時48分06秒 | Weblog
沖縄知事選は現職の勝利。
イハさんもよく戦ったといえそうです。

韓国の砲撃事件は、選挙に影響があったんでしょうかね?

評価はどうでしょう?

クローズアップ現代に出演していた
仲井さん、決して、県外移設ということは言いませんでした。

言質を取られないような態度。

思ったとおりのタヌキオヤジでした。

選挙に勝つためだけのリップサービスだったようです。

あんなオヤジにだまされる理由はなんだったんでしょう。
知っていて投票したんでしょうか?

複雑な感情?
もりあがらない選挙戦というのは、
こういうことだったんですね。








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辺境の人      らくせき

2010年11月29日 13時01分17秒 | Weblog
辺境に棲む日本人は、なんだかよく分からないもの、
これに出くわしたら、とりあえず宥和的な態度を取る。
そして誰かが、これはスゴイと言い出すと、たちまち集団感染する。
態度を保留して時間をかけて吟味するのではない。

こういう特質を持っているそうです。
そして、これは、政治家、政治評論家の間の議論の場合にも
影を落としているといいます。

情理をつくして政策、理念を理解してもらう、というのではなく、
どちらが事情通か、上位者であるのか、が争われる。

あなたより情報が多い、だからあなたより、正しい結論が出せる。
という上位者であることを争う。

コメンテーターとして事情通が登場すると、私達はコロッと降参してしまう。

日本辺境論(内田樹・著)にこんなことが書いてありました。
私のことを言われているようです。



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チキンレースは止めて欲しい  文科系

2010年11月29日 09時08分41秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)

 チキンレース。複数の車を断崖などめがけて猛スピードで走らせ合って、どちらがより瀬戸際まで持ったかで度胸を競い合うゲーム。「負けた奴がチキン、つまりヒヨコだ」と確認しあうことを目的とする決闘と言っても良いだろう。このゲームを何回も繰り返せば、究極最悪のケースは、断崖から転げ落ちる大破綻しかない。断崖落下を戦争に置き換えれば、これは人類史の大昔からこう呼ばれてきた。戦争をちらつかせた瀬戸際外交と。相手の我慢の度を確かめあいながら、少しずつ無理難題、攻撃をエスカレートさせ合っていくというやり方だ。
 ところで、朝鮮半島が、どんどんこうなりつつある。これはそもそも一体、何故なのか。本来は、こうなるはずのない両国なのだ。
 まず、極貧の北に自分からは戦争等できっこない。そんなことをすれば、首領様御一家がフセイン御一家のようになることは目に見えているのだから。ならば、テポドン、原爆開発、今回の戦争にも等しい砲撃行為など、北のこのチキンレースぶりは、一体何が狙いか。極貧への支援、首領様独裁体制固めを保証してくれとおねだりを繰り返しているというのが常識ではないか。こんな北よりもむしろ、米軍、アメリカが絡む南のチキンレースぶりの方が遙かに複雑怪奇な歴史、様相を見せていると僕には観えるのだが、どうだろう。

 金大中から盧武鉉のころの08年までは、こんな雰囲気だったことを思い出す。まず、太陽政策が生み出した種々の両国の国交、交流政策。そして、06年には、「戦時作戦統制権」をアメリカから韓国に近い将来に移譲するとまで、決定されていたのであった。つまり「韓国の自主国防、在韓米軍は後景に退く」という方向が決まっていたのだ。こんな雰囲気の中でどんどん強力になってきたのが、アメリカや韓国右派による太陽政策批判である。「太陽政策の方がむしろ、核危機政策など頑なな北の態度を助長させてきのだ」と。そして、盧武鉉の不正献金疑惑、退陣、疑惑への事情聴取、自殺。さらにその後には、北の核危機のエスカレート、テポドン誇示、天安艦撃沈、そして今回の抗争水域演習・報復発砲死傷事件と続いている。何かおかしい。なお、天安艦沈没事件は、06年に決定済みだった「戦時作戦統制権」の韓国への移譲を中止させてしまったし、普天間移転問題を「抑止力論議を起こして」暗礁に乗り上げさせ、鳩山内閣の崩壊に繋がっている。

チキンレースをやってオネダリを繰り返しているはずの北が、本気で戦争をやろうしているかのごとくに、アメリカや韓国右派は叫んでいるのである。まるで、戦争違法化の流れに逆らって一家全滅させられたフセイン一家のクェート侵略と同様の北による南侵略(や日本侵略)が明日にでもあるというように。こんな非常識な情勢論がまかり通るような瀬戸際にどうしてなったのだろうか。北の首領様御一家も、フセイン一族の死滅をその目で見たばかりのはずだ。

 これらはすべてが、不自然である。チキンレースを戦争に発展させない為には、イラク、イスラエルの例を見ても、アメリカに指導権をにぎらせないことだと思う。北による今回の南領土陸地発砲・死傷事件は戦争行為そのものとも言えるが、そこまでの覚悟をしているとは到底思えないのである。あくまでも、「おねだりチキンレース」の範囲ではないか。だからこそ卑劣な北も、今回はこう述べた。「死傷者が出たのは遺憾である」。遺憾も何もなく、戦争が起こっても仕方ない自体だとは、僕も思うのだ。不思議なことである。

 なお、以上を書いていて、一つ連想することがあった。現在小沢一郎が置かれた状況は、盧武鉉韓国大統領の末期にそっくりではないか。中国をも含めた「東アジア共同」への志向、米国との確執、不正献金疑惑、その裁判への発展、そして「失脚?」なのか?
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ナイスな関係もっとアピールを            ネット虫

2010年11月28日 10時23分38秒 | Weblog
 中野翆がサンデー毎日にこんな文を書いていて大いに共感した。
 それによると毎日新聞の10月3日二面に10行ほどの小さな記事があったという。
 それは「感謝の表明 船員救助受け中国大使館」と題された記事の感想にについてである。
 氏によれば「感謝」と「中国」という活字の取り合わせが近頃の厳しい対日姿勢の中国のイメージとかけ離れていて目を引いたという。
 その記事によると太平洋を航行していた中国貨物船の乗組員が急病になり、救助を求めた結果通報を受けた日本側は海上保安庁の巡視船や海上自衛隊の航空機で東京の病院に搬送、一命を取り留めた。これに対して中国大使館は日本側に深い謝意を表明したこという。
 中野氏は此の事件の報道について問題を提起している。そのひとつはこれを報じたのが新華社からのニュースだったこと、つまり日本のメディアは把握していなかったのかという疑問。そして、今日中の関係がぎくしゃくしているときこそ、もっと大きな扱いをしてもいいのではないのかということである。
 何よりも日本の公正さの一面を内外にアピールする機会であり、中国もこれに対して相応の良識を表明したという友好のあかしでもあろう。
 私も氏の言うようにこうした時期だからこそメディアは齟齬ばかりでなく、希望も積極的に報道してほしいと思う。
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朝鮮戦争は再発するのか?   らくせき

2010年11月28日 09時37分48秒 | Weblog
北の砲撃で朝鮮半島は緊張が高まっています。
今日から米韓の軍事演習が行われます。

北は手を出さないだろうというのが専門家の見方のようです。

もし米韓と北の戦闘が始まったら中国はどうするでしょうか?
北の核を確保するために参戦せざるを得ないという見方もあります。

まあ、そこまで行かないとして、緊張がやがてゆるむとしても
考えておかなくてはならないことがあるようです。

       

日本の立場を確認しておくことです。
日本は、半島情勢が緊張した時、どういう態度をとるのか?

第一に、日本に対する攻撃には、断固、反撃する。
これは9条には違反しないでしょう。
専守防衛路線を明確に表明すること。

第二が日米安保に対する態度を明確にする。
前原さんの考えでは、米軍が参戦した場合、
米軍が日本の基地から出撃することを支持するでしょうし、
もう暗黙の了解となっているかも。

しかし、ベトナム・イラク戦争とは違って、
朝鮮半島はミサイルの届く範囲であること。
北が反撃のために基地にミサイルを撃ち込む可能性は高い。

こうなると日本にたいする宣戦布告となるわけですから・・・

日本は、どういう対応を取るのか?
静観するのか?反撃するとすれば、どこまで?

これを議論しておく必要があるでしょう。

    

もうひとつ、半島が戦火に見舞われれば、
避難民が多数日本にやってきます。

これをどう受け入れていくのか?

戦争にならなくても、考えておくことはあるようです。

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風邪で寝ている。誰か書いて!  文科系 

2010年11月27日 12時45分09秒 | Weblog
 風邪で寝ています。昨日は欠稿だったね。誰か書いて!

 朝鮮情勢が恐ろしく不安! 天安艦事件以来、アメリカの産軍複合体連中の策動が感じられて仕方ない。「大量破壊兵器がある」と国民に信じさせて、イラク戦争にまで世界を持って行ってしまった、あーいうやり口を。「彼らは、どこかで戦争を続けなければ、オバマに国防予算が一方的に減らされる」とノイローゼにでもかかっているのではないかなどと空想してしまうほどに。リーマン破裂以来の米国家予算は、超大赤字なのだし、金融以外の景気が良くなる兆候は、ほぼ無いのだろうし。だって、製造業のどこかの株が上がる場合でも、「投資会社が目を付けた?」と考えてしまうような、そんな米国なのでしょうし。

 天安艦事件も実にいーかげんなモノだったのであって、最近は日本のマスコミでさえ半ば「マユツバ」のような書き方になっている。あの事件は本当に忘れてはならず、日本人も今後の情勢判断の為にこそ、よーく覚えておかないといけないと思う。この事件だけについてその当初から、追跡拙稿を以下のようにずーっと載せていますので、ご覧願えれば幸いです。
 5月9、13、15、21、26、29、6月10、11、18、7月18、25日
 例によって、ブログ右欄外最下段にある年月で「2010年5月」を選択しクリックしていただくと、右欄外最上段の方にあるカレンダーがその月分に変わりますから、あとは5月9日なり、13日なりをクリックしていただけば、それぞれの1日分原稿が全部出ます。よろしく。誰かが語っていましたが「過去に、良い原稿がいっぱいあっても、どんどん過ぎ去っていくのが残念、勿体ない」。と、手前味噌ですが、よろしく。「大事な事件を一つ追跡すると、関係国家の政治が全部分かる」と思うのですよね。ただし、天安事件自身は、まだ真相は藪の中です。あれで鳩山内閣が潰れたという面があることは確かなのだと見ています。
 
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中日新聞25日付「こちら特報部」に武器輸出三原則見直し問題が掲載!     ネット虫

2010年11月26日 11時38分00秒 | Weblog
11月25日(木)の中日新聞も)朝刊「こちら特報部」欄(出田阿生、加藤裕治、秦淳哉 記者)が、武器輸出三原則見直しを見開き2面を使って取り上げています。「武器輸出三原則 見直し議論大詰め」という縦の白抜き見出しをはさむ形で、「北砲撃で加速 懸念」「平和主義に風穴も」の横見出しが並んでいます。

前半(右面)では24日(水)の民主党「外交・安全保障調査会」第1回総
会の議論を紹介。「これまで非核三原則とともに日本の平和主義を支えて
きた武器輸出三原則が緩和されれば、風穴が開き、どんどん拡大解釈され
ていきかねない」(那谷屋正義参院議員)「東アジア共同体構想からも大
きく逸脱するのではないか」(今野東参院議員)という「緩和」反対議員
の発言などが引用されています。後半(左面)には、同日、調査会直前に
開かれた市民と議員の院内集会の様子が大きな写真付きで取り上げられ、
参加した市民のコメントも紹介されています。「緩和」賛成派の加藤朗さ
ん、反対派の孫崎享さんの「識者」コメントが最後に掲載されています。

紙面では、事件が軍備増強の追い風になることへの懸念と同時に、「(両
者は)関係ない」「切り離して考えるべき」との発言も紹介されており、調
査会総会での議論でも、事件が「緩和」論の大きな追い風になっている
わけではなさそうです。

武器輸出禁止原則の放棄に向かうという重大な歴史の転換点であるにも
関わらず、マスメディアの扱いは大きくありません。その中で貴重な特集
記事だと思います。残念ながらウェブサイトで見ることは出来ません
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困った金親子     らくせき

2010年11月25日 19時45分24秒 | Weblog
北朝鮮が韓国の島を砲撃。
衝撃の事件でした。

そのわりに日本国内は平静です。
金親子の火遊びだと感じているからでしょうか?

しかし、困った金親子です。
これで東アジアは、ますます平和から遠ざかり、
ナショナリズムが力を増すことも考えられます。

ここは、中国頼みの外交ではなく、
9条を錦の御旗にして
積極的に平和を訴えていく外交をやって欲しいものです。

もちろん、今の外交路線もそれなりの意味はありますが、
そこは9条の国。
菅さん、宝の持ち腐れにしないように。
9条を掲げても一文の損にはなりませんよ。

二刀流でいきましょう。
いまは北朝鮮を非難しつつ、
9条を使って、不戦を訴えるのも良いかも。

これなら米も中国も文句はないでしょうよ。

田中宇さんの解説の一部です。

私の見方では、北が異様に激しい砲撃をしてきたのは、
北の「宗主国」である中国が台頭し、
韓国の「宗主国」である米国が衰退する流れの中で、
北の激しい攻撃に対して、
米韓がどのくらいの強さで北に報復・制裁してくるのか、
確かめるのが目的だ。
案の定、米韓は、激怒するそぶりを見せつつも、
国連での北朝鮮制裁を強めることに消極的だ。

つまり、落日のアメリカ、日の昇る中国という新しい事態に
金さん親子のほうがいち早く反応したということ。

日本のマスコミが、中国の動向に注目しているという
報道をし、菅さんも中国に期待するのは
もうアメリカには頼れないことを感じているから。

韓国と日本は、9条を表看板にして新しいカンケイを
つくっていく時期にきているのでは?
モチロン、アメリカの同意を得て。









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立ち止まって考える   只今

2010年11月25日 17時44分41秒 | Weblog
大相撲中継の画面に、「裁判員裁判で少年に初の死刑判決」というテロップがながれました。
 そこで思いだしたのは、昨年の三月に開かれた日本ペンクラブの「死刑を考える」シンポジュウムでのこと。
 死刑には反対という瀬戸内寂聴に、「大量虐殺した戦犯にも反対するか」と問われ、寂聴はこう答えました。
 「人それぞれ考え方の違いがあっても、死刑ということについて立ち止まって考えることがだいじなこと」で、「大量死刑と同じ戦争に反対して、一緒に牢屋へ行く友人の一人に瀬戸内寂聴がいる、と鶴見先生に仰有っていただいたが、私も88歳、惜しくない。ものを書く人間は想像力が命であり、その想像力で死刑囚のことを考えたい」。

 これに応えた処刑寸前の死刑囚の詠んだ句。
 「冬晴れの天よつかまるものが無い 尚道63歳」身を委ねる何もない冬晴
 
 「水ぬるむ落としきれない手の汚れ 公洋28歳」汚れを自覚している
 
 そして死刑執行は今日か明日かと30余年心揺れる大道寺将司の句。 
 「時として思いの滾る寒茜」 
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。「庶民革命」(今日の『中日』三面大見出し)をつまぜかさないためにもと、区役所に行ってきました。 

2010年11月25日 16時21分32秒 | Weblog
  署名を求めた人は誰か、と聞かれたが、「誰か判らない」という個所に丸を打つと無効になるかも知れないと「受任者」という個所に丸を打ってしまった、と昨夕言ったおばさんに、朝のゴミ出しに会ったので言いました。
 「確認するために、一緒に行ってあげてもいいですよ」。するとおばさんは、「大儀だし、それに私、嘘をついたのだから、もういいです」。
 そうですよね、大儀ですよね、と私は大きく頷きましたが、散歩の足を伸ばして区役所に行きました。

 縦覧場所には6人の係員が応対しており、順番待ちが3人程。
 私の前の人は、「有効」と知って頭を下げ、ついでに聞いていました。
 「私たち夫婦は、同じ所で一緒に署名したんですが、調査票が来たのは私だけ。妻にはなぜ来なかったのでしょうか」。
 すると係員は、「その事情は、ここでは判りかねます」と言い、言われたその人は、「こなかったことは、有効ということですよね」と自分に言い聞かせるようにして席を立ちました。
  
 私の番になったので、「アカの他人の署名確認はできますか」と問うと、
 「個人の秘密に関わることなので、それはちょっと」と当然の答えが返ってきたので、前の人を見倣って素直に引き下がりました。
  
 このように会場は、「あぁ、よかった」という人、「そんなー」という人など多くの人がいるにもかかわらず、とても静かな雰囲気なのです。
 かってのこのような場では、その昔、政党関係・労組関係の人たちと係員との間に激しい理詰めのやりとりかなされてきたように思っていた私にとって、昂ぶりのみられない会場は、いわゆる普通の市民が多いことの反映だろうと、とても印象的でした
 
 
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随筆 「 ”何処よりきたりしものぞ”騒動」  文科系 

2010年11月25日 15時31分14秒 | 文芸作品

 初めての孫が生まれた。生まれただけではなく、娘家族三人、ウィークデーは我が家に同居中である。直線距離三百メートルほどのアパートに住んでいる彼ら、金土以外は母子ともに我が家で寝泊まりだ。夕食も、ほとんど我が家。両家族四人で作り、食べ、後片付けと、毎日適当に分担しあっている。

 さて、ベッドでもぞもぞしているモノを見た第一印象が、これだ。「何処よりきたりしものぞ!」。山上憶良の有名な短歌「シロガネもコガネも玉も」の前に置かれた長歌の一節である。このモゾモゾ、一体どこから来たのかと、それが実感だった。こんな成長も想像したりするから、なおさらのこと。こんなモノが一年も経つと片言をしゃべり始め、三年も経つとペラペラになるなんて信じられんな、などと。ちょっと前の外出でしばらく観察していた三歳児なんて、すでに立派な人間なのである。ワガママもリクツもちゃんと主張していた。我々老人は、一~二年では何も起こらないというのに(いや、急に老けたりは、するか?)、すぐに、どんどんあんなふうになっていくモノ! そんな人間が、一体どこから現れ、もぞもぞとここにいるのだ?!
 さて、今は生後二ヶ月に近く、笑い出した。モナリザみたいな意識した微笑みはちょっと前から気付いていたし、顔面がそう動いてしまった「ニカッ」は生後すぐにもあったが、今は何かちょっかいを出すとはっきりとニカッとする。人間の笑いは、類人猿にはない高度な段階の技能なのだそうだ。こんなに無力なくせにすでにそんな凄い力を持っているこいつは、すでに人間になっている! そんなわけで今は僕とも、こんなつきあいになってきた。わざとらしく泣いている時などに抱き上げてやると、ぴたっと止まり、モナリザの微笑み。そこでもう一つ何かをやってやると、ニカッ。とても面白い。飼っている黒猫・モモのクールさに比べれば、はるかにホットなのである。そう言えば世界に名だたる「クールジャパン」の営業マンの売りが、このニカッであったな、なるほど。気分が良くなるせいで、こんなことまでを思い出させてくれるニカッなのである。

 こんなに楽しくなってきた時に、さてさて、実につまらないことが起こった。つい昨日のこと、連れ合いと娘が始めたケンカの結末として、娘が自分の家へと出て行ってしまったのである。「私の言うことが聴けないなら、もう面倒みたくないから、家に帰りなさい」。それで、日々新たに好奇心をつついてくれたこの楽しみが、ちょん! ただの里帰り明けならば我慢もしようが、例によって発端はくだらんもの。ただ双方が気が強かっただけ。連れ合いの沈鬱、憮然を観察しつつ、僕もこんな思案に暮れる真っ最中なのである。
「いずれ厳しい共働き子育てが始まる。この機会に親子三人で修業をつむのも大事。幸い彼は、俺よりもずっといろいろやってくれてるんだけど、娘は俺に似て仕事を始めるのが遅く、時間の計算も弱すぎる。それに、もう、こんな約束も出来とるんだしな。月二回の日曜日午前に、俺と三人で散歩しよう、と。彼も参加したいとか、注文しとったな。我がお連れ合いさんは、どうするんだろう? そっちは、彼女の遅蒔きの修業」
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私の十二月八日②         ネット虫

2010年11月24日 20時34分23秒 | Weblog
 興奮しながら登校

                     高木三郎
                           (当時:国民学校高等科2年生)

国民学校高等科2年14歳のとき、昭和16年11月末、日米交渉も最終案で決裂寸前であった。

12月8日朝、友人らと登校途中で学校に到着する直前のことであった。校門近くの文房具店のラジオから、勇ましい軍艦マーチが流れて、「帝国陸海軍は、八日未明、西太平洋において、米英軍と戦闘状態に入れり、」と張り詰めたアナウンサーの声が聞こえた。引き続いてハワイ真珠湾攻撃の大戦果発表(・・・米太平洋艦隊壊滅・・・)に、友人らと思わず万歳を叫び興奮しながら登校した。

朝礼で校長先生から「宣戦の大詔」の発表が行われ「いよいよ日本は、支那をはじめ米英オランダとも戦争することになった。この戦争は大東亜建設のためであって、戦争に勝つため銃後の守りをしっかりやらねばの指導があった。

開戦当初は連戦連勝で、学校中みんなは興奮と緊張につつまれた。また、「撃ちしやまん」「欲しがりません勝つまでは」「天皇陛下の赤子なり」兵隊さんに負けるな」などの声が聞かれた。


(追記)
昭和17年4月就職で、国際電気通信(株)講習所依佐美支所(技術予科)に入ったとき聞いた話から、昭和16年12月2日夜、ハワイ真珠湾攻撃に向かう南雲機動部隊(空襲部隊:航空母艦6隻、警戒部隊:軽巡1隻・駆逐艦9隻、支援部隊:戦艦2隻・重巡2隻、哨戒部隊:伊号潜水艦3隻、補給部隊:給油艦など7隻から構成)に、開戦日を知らせる電文「ニイタカヤマノボレ1208」が、ここ依佐美送信所経由で発信された。

当時、依佐美送信所長波700KW送信機と短波20KW送信機3台を日本海軍が作戦用に使用、横須賀操縦(各地の軍施設から送られた電信を紙テープに暗号にさん孔、重要度順に自動発信機に掛けられ)で、依佐美(長波・短波)や小山(短波)を経由し発信された。










      大和魂の権化のような校長先生

                        岩本 晢
                                (当時:国民学校1年生)

 あの日のことは今でも良く覚えています。我が家では4人子どもがいて、私は歯を磨いていた時に父から戦争が始まったことを聞きました。父はあの有名な大本営発表を聞いたのです。

 その後学校へ行ったら、大和魂の権化のような校長先生から開戦の話がありました。1年生でしたから、その時の中味は忘れましたが、例の熱誠溢れる話でした。

 その後に「九軍神に続け」という話をラジオなどで良く聞き、また標語を見ました。一部の上級生が「なんで十軍神でなくて、九軍神か知ってるか」と言う質問をしてきましたが、難しいので、無視していました。戦後にその中味が分かりました。










         日本はものすごいものだ

                        熊川 賢
                          (当時:国民学校4年生)

 昭和16年12月8日、朝のラジオニュースの時間、アナウンサーの「大本営発表、大本営発表」という予告の後、「帝国陸海軍は本8日未明、西太平洋において、アメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり」という内容であった。

 その後、アナウンサーは「着々と戦果を拡大していますが、油断は絶対に禁物であります」というフレーズを何回も何回もくり返した。

 「未明(みめい)」とか「禁物(きんもつ)」などは、初めて聞く言葉であった。十日ほど前に、父が買ったラジオが役に立ったのである。

 「西太平洋において」というのも不思議であったが、その時間に発表できる戦果がマレー半島上陸、上海での米英砲艦撃沈だったからであろう。真珠湾攻撃などはやや遅れて発表されたのである。

 私は、おまけにもらった「グリコ日記」に書いていている。

 「今日の明け方、日米こうしょうはれつして、日本軍は、まだ敵軍がねているとき、グアム島、ウエーク島、ハワイなどを大ばくげきした。日本はものすごいものだ」。

 多くの国民の、「やはり!とうとう、やったか!」という緊張感は、「勝った、勝った」とやや浮かた感じに変わっいったように思う。

 何日か過ぎたころ、母の実家の祖父の様子が耳に入った。

 「自分は日露戦争に行った。あれは勝ちいくさだと、よくいわれるが、勝った形の講和条約をまとめてくれたのはアメリカだ。それと戦争して、勝てるわけがない」などと、いってのだそうだ。こんなことが憲兵の耳にでも入ったら大変だと、気が気でなく、心配しているそうだ。

 私の父は、昭和12年、日中事変勃発の翌月の8月に召集され、2年間の従軍後に帰還した。しかし、昭和19年の再召集では帰ることはできず、ルソン島の土となった。終戦の1カ月前であった。
                  









              日米開戦の日

                       荒武千恵子
                              (当時:国民学校5年生)

その日はよく晴れ上がって、冬にしては暖かい日であった。

 朝6時半ごろだったかと思うが、急にラジオが ”臨時ニユースを申し上げます。臨時ニュースを申し上げます。”と連呼した。

”本日未明、太平洋上において、米英両国と戦闘状態に入れり。”という言葉で家中に緊張が走った。

 その日の11時頃だったか,小使いさんが教室にやってきて、先生になにやら話していると思ったら、 先生がこちらへ向き直り、満面の笑みを浮かべて

 ”おい。みんな。日本軍は真珠湾で、航空母艦、戦艦、巡洋艦などをやつけたそうだ。”

 ”万歳! 万歳! 万歳!”

 ちょうど算数の時間で、持っていたそろばんを片手にみんなで万歳を繰り返したのを覚えている。
 
 家に帰ると、父が竹藪の前にござを敷き軍用行李を出して、中のものを虫干ししていた。

 父は陸軍予備将校だったので、自分で、軍服や皮のゲートル、サーベル、水筒、軍靴などを用意していたのである。

 それを並べながら、私をそばに呼んだ。

"お父さんは何時陛下のお召しがあるかわからない。 何時お召しがあってもいいように準備はしてあるが、お父さんが出征してしまったら、おばあちゃんは年だし、お母さんは身体が弱いし、お前に頼んでおくしかない。よくお母さんを助けて弟妹の面倒を見るように。

 フランスには昔ジャンヌダルクという少女がいて、先頭に立って戦って国を勝利に導いた。

 お前も何かあった時には、千万人と言えども、吾行かんの気概を持って戦え。”と、言ったのである。

 小学校5年生の小さな少女にこんな言葉を残さなければならなかった父の気持ちはどんなに辛かったかと思う。

この文章は、荒武さんのご厚意により次のブログから転載させていただきました。

「80ばあちゃん」






コメント (3)
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