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随筆紹介 父の牡丹餅   文科系

2024年04月25日 12時28分10秒 | 文芸作品
随筆紹介 父の牡丹餅  K.Kさんの作品です

 彼岸近くになると父が一度だけ作った牡丹餅を思い出す。大正生まれの父は昔気質で、「男子厨房にはいらず」、台所など入らなかった。家事も全て母任せ。男は外で働き女は家を守る。そんな父が一度だけ牡丹餅を作った。後にも先にもこれっきり。
 弟が誕生した時だった。私と妹の時は特になかったのに。家長制度にこだわる父は「跡取り息子ができた」と大喜び。不器用なのに頑張って握りこぶしほどの大きさの牡丹餅を、お櫃の上に並べたとか。ご飯粒がお櫃にくっついて大変だったらしい。母は「余程嬉しかったんだね!」と、この話を後々も目を細めて何回もしていた。
 小豆は邪気を払う効果はあると信じられたり、晴れの日に食べられる風習があった。父としては精一杯の気持ちだったのだろう。子どもが生まれて三日目に、母親の乳が出るように「三日目の牡丹餅」と呼ばれる大きな牡丹餅を食べさせる地域もあるらしい。

 家の事情で上の学校に行けなかった父は、息子に望みを託した。決して裕福ではない家計から工面して進学させた。博士号を取得した時は、本人よりも父の方が輝かしい顔だった。満足そうに何回も頷いていた。
 ところが、弟は結婚してお嫁さんの実家に近い九州に家を建てた。これには父はひどくがっかりした。跡取り息子を取られたと感じたらしい。私と妹はそれぞれ嫁いでも、幸い実家に近い所に住んでいるから、寂しいとは思えないのだが父の考え方は違った。

 家の後を息子が継がないならと終活を始めた。墓を始末してお世話になっている寺に、母と永代供養を申し込んでいた。戒名までつけてあったのは驚いたが。老人ホームの申し込みもしてあった。そこで母は百歳の今も過ごしている。嫁いだ子に世話をかけたくないという決断だったと思う。
 父は亡くなる少し前に私の家に来て、「世話になった」と暇乞いの挨拶に来た。嫌な予感がした私は「縁起でもないことを」と応えたが、その頃には体力の限界を感じていたのだろう。律儀な人だった。
 今年は父の十三回忌。私も父の歳に近くになってくると、その時の気持ちが分かる気がする。


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「裏金問題」の「表現」(その2)   文科系

2024年04月16日 15時56分00秒 | 国内政治・経済・社会問題
 先回のエントリーに続いて、その2を書いてみたい。今回はこういう主旨のものだ。国会議員、政治家の大罪を日本人はすぐに忘れる。だから政治は一向に良くならず、また「第二の戦前」などと語られ始める始末。ところで、人が政治事件をすぐに忘れることについて、そういう諸事件をきっちりと表現しなければ、覚えていられないのだということを書いてみたい。
 
 まず、前回書いたことの要約。
①国の「法律」を作る「国権の最高機関」が国会である。
②裏金問題が示したのは、その国会の構成員である議員らの多くが「法律違反の確信犯」であったということだ。
③これは、警察官が犯罪を犯し、裁判官が被告人から賄賂をもらうのと同じ事であり、国民に託された最大任務における背信ということであるから、解任が当然だろう。

 さて、人間はどんな物事、事項も言葉で表現しなければ、その印象は薄れたままで、認識も深まらず、すぐに忘れるものだ。犬という言葉でさえ、この言葉に込められた知識は、幼少期から犬を体験するごとに同じ「犬」という言葉を思い出し、使ってより詳しく、正確に深めて来たのである。「自民党議員の圧倒的多数が、政党パーティーを開いて裏金作りをやっていた」という認識、「印象」程度では、その罪の大きさは表現されていないから、すぐに忘れるということだ。こんな重大事態は正確に表現してこそ、より正確に覚えていられるのではないか。それが上記の①~③だと言いたい。「裏金」は、「犬」など目に見え、手で触れる「物」ではなく、複雑なある社会事件だから、その表現も子どもでは手に負えぬ難しいものである。

 諸団体などで重大すぎるミスを犯した時に「始末書」というものを書いて、提出する習慣があった。これを二度と起こさないためには、「そのミスの重大さを自覚する必要」があるからである。始末書は、この重大さを表現して、自分や周辺に戒めとするものである。今回の関係国会議員らは全員、こう言う始末書を書いて、罪の重大さを自覚すべきである。でなければ彼らはこれをすぐに忘れていくだろう。選挙のためには、忘れたくて仕方ないことのはずだからだ。

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「裏金問題」の「表現」   文科系

2024年04月10日 10時02分04秒 | 国内政治・経済・社会問題
 この「政党パーティー裏金作り問題」だが、今朝の新聞を見ても国会が未だに大揺れだ。自民は新たな法案作りに進みたい一心だし、野党は「事態の解明が全く不十分」と強調している。これは野党が正しい。以前の裏金、リクルート問題でも、当時の新たな法案や、政党助成金新設などが、政界浄化に何の役にも立たなかったということだから、問題の深い根っこ、事態の解明、理解が不十分なのだと思うしかないのである。さて、この「裏金作り目的のパーティー問題」は、どこが、どう、問題なのか。この理解がいい加減だと、また同じことが起こる。なんせ、国会議員というものは選挙が全てで、選挙のためには何でもやるという動物と示してきたのだから。

 国会とは国の「最高権力機関」とされており、国の法律を作る組織である。その法律を作る国家最高「権威」組織の人物らが、しょっちゅう法律違反を犯す。それも集団で談合し合って、同じような法律違反を、何度も、何度も。これって、考えてみればこういうことだろう。
 警察官らが泥棒などの犯罪を犯したり、教員がしょっちゅう生徒を虐めたり、裁判官らが犯罪常習犯からたびたびワイロをもらっていたり。こういうとんでもない罪なのだが、国会議員の最大の関心、選挙当選には裏金も要るらしく、いつまでたってもなくならない。これは、「統一教会員を選挙に大々的に活用、動員するために、国会議員らが教会の広告塔を努めてきた」のと同根のことである。つまり、違法選挙のための常習的犯罪活動。警察官の犯罪や、教員の生徒虐めは、社会に託されたその本分における背信なのだから、それと同じ厳しさで臨まれるべきもの、それがこの問題の本質的性格なのだ強調したい。厳しく言えば、「即辞職」とされてさえ良いものだ。

 以上のことを、どうもマスコミさえ分かっているのかどうか、事柄の理解が不十分なのだと思う。事柄の十分な理解のためには、問題の言葉による正確な表現が必要なのだが、日本国民はこれが得意でないように思えて仕方ない。


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僕の病状報告  文科系

2024年04月02日 11時53分08秒 | その他
今の僕の病状を記しておきたい。ここを読んでいる友人へのお知らせというほか、少しでも、関連ある人がいたりして、体験談などなにか役に立つきっかけになるかもしれないと思い立って。
今日、心配してくれた親友、ギター友達のメールに、こう答えた。

『ごめん。
さらに、この手術が取りやめになったことも知らせなくって、ごめん。

この手術(心房細動に対する、カテーテルアブレーションという手術。足の付け根の血管などからカテーテルを入れて心臓に届かせ、心臓内壁の余分な心拍を生み出す電気通路を低温で焼き閉ざすもの)には、ワーファリンなど出血血液凝固力を解く薬が不可欠であって、ストーマからいくらかの出血がある僕にはこれが使えないので、結局、手術中止になった。以上が分かっていて手術を申し出て、万端準備を進めてきたのだったが。
なお、ストーマからの出血で貧血になっていて、この10日ぐらい、医者の指示でこの薬もやめている。そしたら見事に、ストーマの尿に血も混じらなくなった。となると、心房細動が起こった場合におこりうる血栓による脳梗塞などが心配になるのだが。細動は今のところ薬で極めて順調に調整されている。

ただ厄介なのが、ぼくの体調。もっとも厄介なのが、腎臓の機能が落ちていること。貧血も以下のことにかかわっているかもしれない。
22年の9時間という長い膀胱摘出手術後入院中に2度も感染症にかかって(多剤耐性菌の)、その時に腎機能が普通人の2分の1以下になったままなのだ。僕の手術の詳細を端から付き添ってきた医者である兄の言葉によれば、「あの時お前は死にかけたのだぞ。たまたま年齢の割に体力があったから生き残ったが、その後遺症が腎臓内の異変として残っているのだ」
この腎機能低下がもたらす症状なのだと思っているが、体がだるく、すぐ、というよりも常時、眠くなる。昨日などは昼も含めて二度寝したのだが、その夜は今朝まで11時間近く寝られた。
頭も働かず、物事にやる気も起きないしして、ブログも書けない。ただし、ギター練習は違って、結果がすぐ分かり、楽しいからか、何とかやっている。今は、数か月「アクエリアス」に励んだ後、僕の暗譜曲群から、「郷愁のショーロ」、次いで今は「大聖堂」をやっているが、この計3楽章は弾いていて特に楽しい曲だ。今の僕には、ギターがあることが本当に救いになっているよ。
今日はここまで、また書くね。』


 以上は、22年9月に第2~3ステージの膀胱がんから膀胱全摘手術を経て、今に至っている僕の現状です。ここにずっと書いてきたランニングは、去年23年5月までは1時間8キロ近くまで復活させたのに、ストーマ内にまじる血が多くなるので以降ランニングもやめているものです。ただし、体力維持には勤めていて、家の18階段を50往復程度はできています。
なお、がんの転移については、オプチーボという薬を手術後1年半ほど月1で点滴してきたから、ちょっと安心しています。本庶祐さんがノーベル賞をもらった、画期的な「癌が出す人間免疫妨害障壁を打ち破る薬」です。この9月まで再発がなければ、まず一安心なのですが。

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