575の会という句会での一句です。
作者の郁子さんの祖父は、戦前、親愛知新聞の主筆を務めたことのある桐生悠々。
その悠々の句です。
蟋蟀は鳴き続けたり嵐の夜
昭和8年、信濃毎日新聞の主筆だった悠々は、「関東防空大演習を嗤ふ」という
記事を書き、在郷軍人会などから激しく批判されます。
不買運動にまで広がった責任を負って辞任。
名古屋市守山区に引っ越して、「他山の石」という小冊子を発行、
軍国化してゆく時代を批判し続けました。
現在の日本とは違って、検閲や発禁処分のあった時代。
日支事変を論じた号は3ページにわたって記事が削除されました。
何回も発禁にあいながらも、筆を折ることはありませんでした。
そして昭和16年、太平洋戦争の始まる直前に亡くなっています。
蟋蟀の句は、「他山の石」発行の心意気を詠ったものと思われます。
蟋蟀の句を踏まえて、カネタタキの句を読むと、
また新たな感慨を覚えます。
新愛知新聞は、戦前に名古屋にあった新聞社。
桐生悠々は信濃毎日と、新愛知の主筆を務めています。
新愛知新聞は、戦時の言論統制のために、名古屋新聞と合併、
現在の中日新聞となっています。
戦争が本格化し、新聞も政府の広報機関と化したなか、
小冊子「他山の石」が国民に与えた影響は、決して、
大きなものには、なりませんでした。
しかし、今日の日本を考える場合、その意義は大きいと思います。
現代、私達はウェブというメデイアを持っています。
一人一人が「他山の石」を、簡単に発行することが出来る時代です。
悠々は、発禁の他、資金繰りにも苦労、たびたび紙面で慨嘆しています。
しかも私達は、ネットワークで繋がっています。
言論の自由を圧殺しようとする動きや、情報統制に対して、
このメデイアを十分に使いこなして対抗していきたいものです。
落石
作者の郁子さんの祖父は、戦前、親愛知新聞の主筆を務めたことのある桐生悠々。
その悠々の句です。
蟋蟀は鳴き続けたり嵐の夜
昭和8年、信濃毎日新聞の主筆だった悠々は、「関東防空大演習を嗤ふ」という
記事を書き、在郷軍人会などから激しく批判されます。
不買運動にまで広がった責任を負って辞任。
名古屋市守山区に引っ越して、「他山の石」という小冊子を発行、
軍国化してゆく時代を批判し続けました。
現在の日本とは違って、検閲や発禁処分のあった時代。
日支事変を論じた号は3ページにわたって記事が削除されました。
何回も発禁にあいながらも、筆を折ることはありませんでした。
そして昭和16年、太平洋戦争の始まる直前に亡くなっています。
蟋蟀の句は、「他山の石」発行の心意気を詠ったものと思われます。
蟋蟀の句を踏まえて、カネタタキの句を読むと、
また新たな感慨を覚えます。
新愛知新聞は、戦前に名古屋にあった新聞社。
桐生悠々は信濃毎日と、新愛知の主筆を務めています。
新愛知新聞は、戦時の言論統制のために、名古屋新聞と合併、
現在の中日新聞となっています。
戦争が本格化し、新聞も政府の広報機関と化したなか、
小冊子「他山の石」が国民に与えた影響は、決して、
大きなものには、なりませんでした。
しかし、今日の日本を考える場合、その意義は大きいと思います。
現代、私達はウェブというメデイアを持っています。
一人一人が「他山の石」を、簡単に発行することが出来る時代です。
悠々は、発禁の他、資金繰りにも苦労、たびたび紙面で慨嘆しています。
しかも私達は、ネットワークで繋がっています。
言論の自由を圧殺しようとする動きや、情報統制に対して、
このメデイアを十分に使いこなして対抗していきたいものです。
落石