九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

ポイチジャパン(8) 川崎が抜けた   文科系

2018年10月21日 | スポーツ
 広島突然の停滞などもあって、川崎が急に抜け出してきた。昨年の優勝チームとしてはここでの抜け出しはとても大きく、優勝が見えたと言いたい。このチームにしてさらに、斉藤学が初得点して自信を付けたことが、優勝への着実な一歩になっていくと思う。選手たちの喜びようを見ると、斉藤のこれを全員が待ち望んでいたようだし。

 ついでに、名将オリベイラが率いることになった浦和が鹿島を破り、ACL参加権内に殴り込んできそうだ。どうも、東京が落ちそうな気がする。J1降格争いがまたかってなく熾烈で、Jは近年珍しいほどの大混戦になっている。


 さて、川崎の神戸戦である。33分までに神戸の3対1には、驚いてしまった。それも、出だしの高位プレスが凄まじく、神戸ゴール前30メートルほどの潰し守備がまた強烈だった上に、先発したイニエスタが例によって視野が広く、力が抜けたトリッキーなパスを自由に回していたし。正直、川崎の負けかなとも感じたが、「神戸がこのまま、前でも後ろでも強烈という潰しに走り続けられるとは思えない」とも、僕の観戦ノートには書いてある。
 案の定、前半43分、家長の得点で2対3、前半の内のこれが大きかった。しかも、アシストは10番大島のドリブルである。

 後半10分過ぎ辺りから、神戸の走り、プレスが甘くなり始めた。予想外に速く、走力が落ちている。監督の「とにかく、守備に走れ!」が、通じない走力、体力しかないチームなのだろう。これは名古屋にも似ていて、今のJでは致命傷になる欠点だと考えている。だからこそ、再三繰り出されていた斉藤学のドリブルが効き始めて、16分にドリブルシュートで、3対3。ここまでの経過、結果全体からみて、ここで勝負あったというものだ。
 あとは、川崎の一方的な走りばかりが光っていく。25分には神戸ゴール正面近くで、家長・大島・小林・大島と回された失点。これは神戸の走力のなさをも示し、アスリート集団としては屈辱の場面と言える。家長のヒールパス、小林の壁役までが入った回しだったのである。

・久々の先発、斉藤学の初フィットが、川崎(優勝)やACLに向けてこの上なく大きい。パスが上手いこのチームにあって、学のドリブルは凄まじい武器になるはずだ。
・家長という選手を、改めて見直したもの。小林悠と並んで、万能の選手だと思った。
・それにしても、川崎はよく走る。この走りを守備にも発揮させたところに、鬼木監督の功績があるのだろう。今のJでは、走力がなければまず勝ち抜けない。ということは、選手層が厚くないと勝てないということでもある。
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安倍の恐怖政治  文科系

2018年10月20日 | 国内政治・時事問題
 以下の文中にもある通りに、これは『9月22日ブログ拙稿「文科省「汚職」事件へのある論考」』の続きの文章である。安倍一強長期政権の悪い「政治主導」という恐怖政治が、どうやら始まったようだ。佐川や首相官房など各省庁官僚らの「忖度」もふくめて。財務省佐川の忖度改ざん事件などは既に部下を1人殺しているのである。
 以下は、昨日付けたコメントを一部書き直してエントリーにしたものである。


【 先日の文科省汚職、次官ら2人の辞任事件は、安倍政権の悪辣きわまる恐怖政治の一環と、僕は見ている。この次第は9月22日ブログ拙稿『文科省「汚職」事件へのある論考』に書いた通りだが、ここにも一言。

①「汚職」金額が、10万円前後までのもので、大々的に犯罪者扱いされて辞任とは??!

②汚職と言えるかどうかも怪しすぎる事件であった。その証拠は・・・
 一つ、政治家主催の会合だったから「利害関係者ではない」という判断、認識の下に次官らはこの接待に出席している。
 二つ、別件で以前に逮捕された同僚がこの会合の中心人物であって、辞任した次官らは彼に「参加費を払おうか?」と申し出ていて、「必要なし」と返事されても、一部は支払っていた。
 三つ、というように、この事件は先に逮捕された同僚の自白が無ければ何も起こらない「別件逮捕」のようなもの。それを、この逮捕者の自白だけでずるずると芋づる式に罪を作って大々的な新聞報道にした。こんな点には、検察の恣意、悪意を感じざるを得ない。

 前川喜平氏やモリカケ問題から始まった「文科省VS安倍政権」がもたらした「文科省弾圧・恐怖政治」開始というのでなければよいのだがと、願うばかりだ。美濃部達吉事件、滝川事件のような・・・・。】


 安倍の政治は「経済、国民生活」は口先だけ。本当にやりたい事は趣味のような「日本主義」。
 現に政治生命をかけると述べてきたに等しい2%目標などは、どんどん先延ばしになったのだし、自慢している株高などは日銀や政府積立金をつぎ込んで、国債を日銀が買うという財政ファイナンスという禁じ手までを総動員したに過ぎないもの。この大幅緩和からの出口戦略が関係者の恐怖になっているのである。それでいて、国民1人当たりGDPはこの20年で、世界3位から30位に下がっている。失業率の改善などとマスコミ連呼が続いているが、昔だったら誰も就かぬような低賃金の不安定職ばかりではないか。だからこそ内需は冷え冷えのまま、外需にのみ頼って行くという悪循環。それが今アメリカの保護主義で大慌て、言われるままに大型兵器をどんどん買い込み始めるという始末なのだ。

 そして、安倍が実際にやってきた事はこれ。憲法改悪、教育勅語さえ賛美する教育・教科書改悪、靖国などで中韓と仲違い、マスコミ右傾化、産軍の大々的復活などなど。彼のやっている事を「趣味の政治」と述べている人々も多いのである。
 
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ポイチジャパン(7) 長友佑都が、中島翔哉を絶賛!   文科系

2018年10月19日 | スポーツ
 18日中日新聞夕刊に、表題のことで良い記事があった。見出しが、まさにぴったりの、これ。
『「10番」中島 風格十分』
 この記事内容が、本人以外からも取材していることがわかるものであって、記者の熱意、研究心なども感じられて、単なる報道ではないもの。文化記事はこう願いたいものである。野球にはこういう記事は常にあるのだから、サッカーでもどんどんこれを増やして欲しい。

 最も目が行った箇所がここ。長友がウルグァイ戦の中島にこんな最高評価を与えたというのだ。
『ドリブルお化けですね。この勢いならビッグクラブに行ける』
 これが、長くヨーロッパ第一線で世界の若手を蹴落としてはレギュラーを張り続けてきた長友の言葉だからこそ価値が高いと読んだ。それも、ディフェンスを職業としてきたベテランの目が見た評価なのである。僕としてはまた、この「ドリブルお化け」という表現に思わず微笑んでしまった。ここには「足が速い、そして、体幹も強いと自負して来た自分から見ても『お化け』に見えて、このドリブルはちょっと潰す自信がないかもしれない」とのニュアンスも感じられる。中島から見たら最高の褒め言葉だろうし、事実、ウルグアイ戦の中島はそんなプレーばかりだった。

 南野の先取点への、密集を縫ったような長いグランダー・アシスト・パス。同点に追いつかれて引き離した2得点目は大迫のシュートによるものだが、このシュートは中島のシュートを相手GKがやっと弾いた地点へ大迫が詰めたもの。いずれの得点も、中島のドリブルが生みだしたものとも言える。このようにどんな時でも前へ、ゴールへと攻め入り、シュートに結びつけてしまう選手なのである。相手DFから見れば、こんな怖い選手はいない。『だから俺は「お化け」と感じたよ』・・・。同じ左サイドで、後ろから中島を見守り、支えた長友のこの言葉! これとは別記事にこんな彼の言葉もあった。「(前目に出て自分がおとりになったり、後ろを支えたりして)中島には『行って来い』という感じだったね」。

 165センチの小回りだからこそ、大男揃いの世界のDFを恐怖させられるのだろう。つまり、身体が小さすぎることを武器に換えている選手なのだ。この姿は、スポーツの一つの醍醐味だろう。
『(中島が)何度も繰り返す言葉がある。「サッカーは楽しいもの。常に楽しむようにしている」』。
 記者が伝える中島のスタイルだそうだが、日本人が大好きな牛若丸や舞の海の楽しさや、日頃の独特かつ厳しい鍛錬やを偲ばせてくれる。屈託が無くかつ晴れやかな中島のあの笑い顔にいつも惹かれて来たのは、こんな醍醐味の勝者と感じられてきたからに違いない。


 こういう記事を書いたこの記者に大きな賛辞を贈りたい。
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安倍の「哲学」がおかしい   文科系

2018年10月18日 | 国内政治・時事問題
 二日前16日の「太平洋戦争か15年戦争か」で示した安倍政権の歴史観点は、当然「太平洋戦争だけ」というもの。戦犯意識も極めて希薄だからこそ、大陸への侵略も「進出」等と歴史の教科書を改めさせることになるのだし、A級戦犯を合祀した靖国参拝問題でも国際的物議を醸し出す事になった。だからこそ、この戦争への反省らしきものさえ外向けの言葉にすぎず、内向けでは明らかにこう振る舞ってきたのである。
「植民地主義なんて、西欧も同じことをしてきて、同罪だろうに・・・」
 これは、国際連盟という世界平和組織が20世紀初頭の世界史に初めて生まれたという、当時の世界史方向がなにも考慮に入ってない態度なのである。その国連から、満州事変を非難されて脱退せざるを得なかったことも顧みないからこそ、以降の無法行為は何も悪くないと語っているのだろう。ちなみに、現在国連制裁を重ねられてきた北朝鮮でも、さすがに国連を脱退するという国際無法者確信犯にはなれないでいる。
 こんな安倍政権は、今までの日本史教科書からすれば、大変な上からの教科書・教育改悪勢力ということになる。

 国民が立派な自律的主権者に育ちあうべきと期待される一般的教育行政でも、上から目線が酷い。そもそも、GDP当たり教育費比率が後進国並みの低さである。そのことによってもたらされているのが、貧困国並みに多人数を見させられている教員の少なさ! これでは、塾にも行けない低所得世帯は、貧富の世襲に陥るばかりであろう。日本の教育制度はこうして、貧富の世襲を拡大再生産するばかりのもの。それでよいとする思想には、民主主義の匂いが全く欠落していると愚考するものだ。

 先進国には珍しい死刑制度もそうだ。世界の先進OECD諸国では、死刑存続は日米だけ。サッカー・ワールドカップのロシア大会ベスト16国でも日本だけに死刑制度残存という時代錯誤であって、国家による主権者生命軽視とも本日の中日新聞に書いてあった。死刑制度を存続させている国は、「イスラム諸国」とか「社会主義諸国」とか、全体主義の臭いがする国家ばかりである。


 こんな政治でよしとしているのに、税金だけはとても多く獲っていく。道路税と言える高速道路料金は、世界一高い国だろう。住宅建設に関わる様々な税も、世界トップクラスのはずだ。つまり、他国比較で税が安いように見せかけて、目に見えない所でふんだくって来た国である。と、このことは案外国民が知らない事のようだ。
「民をして知らしむべからず、寄らしむべし」とは、封建時代の政治。安倍がしている事はこうして、国民に対しては秘密多すぎの自己都合ばかり。だがこの歪んだ国粋主義、反民主主義は、グローバリズムの今世界からの批判に有形無形に遭遇する事もまた必然。狭い狭い日本しか見させないようにしようというのは、続けられることではない。まるで趣味のような教科書改悪や憲法改悪は、そういう全体主義的独裁政権の恣意的極まる顕れと言いたい。

 こんな恣意的政治をやっているからこそ、日本国民1人当たりGDPが、世界3位から30位に落ちてしまったのである。僅かこの20年の内に。これほどに酷い国民生活悪化こそ、偽の「愛国」政治家の証明になるだろう。


   
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ポイチジャパン(6)ウルグァイ戦  文科系

2018年10月17日 | スポーツ
 世界5位相手に大勝利と思う。が、何よりも先ず、ロシア大会のベルギー戦のことを思い出しつつ、失点が大いに気になった。特に、セットプレー失点と、三浦の軽率すぎるバックパス・プレーが。
 また、スピード感あふれる日本らしい攻撃がクローズアップされているけど、これは日本の得意技。Jに来る歴代のブラジル選手が元々褒めてきた日本選手の最大長所である。そういう速い攻撃は、ロシア大会において、選手全体に国際大会に向けての自信も生まれていた事だろうし。

 僕は何よりも中島翔哉の「前を向いて、常に仕掛けるプレー」に目を見張った。これがよくシュートに繋がるなどことごとくのように成功するのだから、敵からすればこんな怖い選手はいない。最初の得点になった南野への長くて、強くて、速いパス! これに対する南野のファーストトラップも、見事すぎるほどだった! 速くて大きく、敵が付いてこられないもの。大迫の2得点目も、中島のシュートをキーパーがかろうじて前へ弾いた地点に大迫が詰めていたものだ。これで日本は勝ちを決めねばならなかった。なのに、崩れた。

 後半最初から、ウルグァイが攻めた。こんな時に起こった12分だったかの三浦のバックパスは、本当に酷いもの。理由は分からぬが、あのプレーだけで僕が監督なら暫く彼を使わない。どんな理由があったにせよ、敵のフォワードの1人が全く見えていなかったプレーで得点献上をやらかしたセンターバックなんて、怖くって使えるわけがない。

 新聞に大迫のこんな言葉があったが、このゲームで見落とせない重要な事を語っている。
『両サイドバックがバランスを取っていたからこそ、中盤左右が厳しいサイド攻撃に行けた』
 中島と堂安は、長友と酒井に感謝しなければならないわけだ。彼らの「バランス取り」がなければ、ブラジル大会のように両サイドが守備にかけずり回されるというような、ブラジル大会よりもさらに強い相手だったのだから。
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太平洋戦争か15年戦争か   文科系

2018年10月16日 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
はじめに
 現代日本では、標記の論争がまだ続いている。その理由は、右翼学者のほんの一部(と安倍政権)が、15年戦争説を頑強に否定しているからである。右翼学者の種本の結論をオウム返しするだけのネトウヨ諸君にはこんな知識を持つお人は少なくって、この重要性も分かっていないはずだ。二つの違いを明確にしたうえで、なぜ右翼学者がこれに拘るのかも愚考・報告しておきたい。

 二論はどう違うか
 15年戦争とは、1931年の満州事変、32年のリットン調査団報告、33年の国連脱退から、1945年に終わった太平洋戦争までを連続したものと捉えるところからうまれた概念である。対するに、満州事変は1933年の停戦協定でいったん終わっていて、以降には繋がらないという少数説が近年日本の世に押し出されてきた。10月3日当ブログのエントリーの『書評「近現代日本史と歴史学」(成田龍一日本女子大学人間社会学部現代社会学科教授著。中公新書、2012年2月初版)』の本の中でも、このことは明記されてある。歴史像、歴史学が「歴史現象に臨む問題意識」によって変わってくるという同書の重要指摘から起こった典型のような議論の一つということだろう。いくら後者が少数意見だとしても。
 さて、どちらが正しいのだろうか。

 「非連続」説は、何を変えるか?
 端的に言ってしまえば、対米戦争を満州事変から切り離したり、中国・インドシナ南下戦争とも無関係としてしまえば、帝国主義日米同士の戦争という事になって、日本の罪が軽くなる、無くなるということなのだ。そういう立場からこそ、ネトウヨ諸君が語るこんな議論も勢いを得るわけである。
「植民地なんて、西欧もずっとやってきたことじゃないか?」
「日本だけが何故非難されるのか?」

 「非連続説」の誤り
 非連続説のどこが誤っているのか。まず、相手アメリカ側が、こう否定するだろう。そして、おそらく全世界がこれに賛成する。
「満州事変によって傀儡政府を作り、国連でこれを反対日本1票で非難決議がなされ、国連を脱退して以降、中国南下を繰り返して無法者になっていった国の得手勝手な理屈である。我が国も国際社会も、満州事変以降、日本の行動にどれだけ非難、警告を発してきたか。太平洋戦争が、そういう非難を暴力で打ち消そうとした国際的確信犯の無法行為である事は明らかである」
 日本もドイツも、遅れて発達した資本主義国として先進帝国の既得権に挑んだことは確かである。そこに現代から観れば、または歴史論というものの難しい問題が含まれる事も確かなことだろう。が、日独伊は、当時の国際連盟を全く無視して戦争を始めた事もまた明らかだ。世界の明日を作るためには、国際組織は極めて大事である。大国がこれを無視すれば、必ず動乱が起こるのだから。アフガン、イラク、シリア戦争と、そこから生まれて世界を悩ませて来た難民問題のように。

 文科省と安倍政権の確執
 最後だが、この問題は現在日本の政治世界において、標記の形で重大な内部闘争が起こっていると僕は観ている。文科省の教科書がほぼ15年戦争の観点で書かれてきたからである。そういう文科省内「勢力」を一掃し、自分の意思を教育に貫いていく大変な闘争を安倍政権が挑んでいると、僕は観て来た。「大学における軍事研究」でも間違いなく同じことが起こっていると考えているのと同じことだ。
 そんな「政治主導」は、真っ平ゴメンである。これほど大きな国の進路をば、たった一人の首班政権がその一時に過ぎぬ議会内多数を頼みに強引に決めてしまうなんて! 民主主義、多国間主義発展の世界史に対して悪名を残すような、途轍もない罪科と考える。現在アメリカがさらに大々的に展開し始めた国連無視の数々と同様に。大国の国連無視や勝手な歴史観などは、世界に大変な動乱と民衆の不幸を作るだけだ。
 世界の常識とは違うこんな「戦争観」を我が国にだけは広めようというのは、国連の下に多国間主義で世界の平和を構築していこうという人間観、世界観に敵対するようなやり方である。流石は、国連無視をどんどん深めてきたアメリカに従い続けてきた国ということか。
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随筆紹介  「年を取る覚悟」    文科系

2018年10月15日 | 小説・随筆・詩歌など
 年を取る覚悟  S・Yさんの作品です


 近頃、十年ほど前にある男性が言った言葉が思い出されてならない。

 当時八十歳近かったこの男性は、終活と称して身の周りの品々の大半を処分したと言った。アルバムの写真も全て捨てたと聞いたときは、少なからずショックを受けた。友人や家族、たくさんの趣味の仲間たちとの思い出、絆までが消されてしまったような気がしたからだ。病が彼をそうさせたのだろう。その時はそう感じた。
歳月を経て、いま私も彼に似たような心持になってきたことに驚いている。年齢相応に体の不調はあるが、不治の病というわけではない。ただ老いてきたことで不思議なほど物欲が薄れてきている。これは自然の成り行きなのだろうか。以前に収集していたテレフォンカード、切手のたぐいは今後どうすればいいのか。持っていても仕方がない。欲しくて求めたはずの食器や服飾品の数々、使う頻度が少なくなって仕舞ってあるだけ。そしてそれらがあることすら忘れていることが多い昨今。有名人のサイン入り色紙やTシャツ、こんなものどうすればいいのか。持っていても意味がないものばかりに思えてくる。

 そういえば先の男性がこうも言った。「高年になったら親しい友は作るな。居なくなる率が高いから、より寂しくなるばかりだ」そんなものなのか。でも今の私にはそれはできそうにない。どちらにしても歳をとるということは、いろいろと覚悟がいることだ。

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ポイチジャパン(5) パナマ戦、ウルグァイ戦   文科系

2018年10月14日 | スポーツ
 3対0という得点の割には、パナマ戦を僕はそんなに評価しない。理由は二つほどあって、先ず一つがこれ。
 ロシア大会後の今の代表なら、70位の国相手にこれくらい出来て当然ということ。ワールドカップ大会6連続出場の常連国で、かつロシア大会であれだけ出来てベスト16が3回目という今なら、こうなって当たり前と考える。ベルギー戦等を観ている選手たちも、今の日本は世界20位ほどの国と自負していることだろうし。とにかく、得意の攻撃的中盤を生かした攻撃力は世界相手に開放されたのである。特に、精神的に解放されたのが大きい。なんせ、今をときめく世界の名選手エデン・アザールをして「これだけ予想外に苦しめられた相手は、僕らの世代では初めてだ」と語らせた事が大きい。

 もう一つの理由がこれ。70位の国相手にあんなばらばらの守備をしていてはお話にならないと。ただし、守備という言葉はもう時代遅れであって、潰し、それも組織的潰しと言った方が適切だと考えるのだが、それが出来ていなかった。サッカーで守備というとどうもゴールを守るという印象だが、今の守備は高位置で潰しに行くことが多いのであって、それがばらばらだった。それでも、この程度の相手には得意のスピードを生かした攻撃力が発揮されればあの程度のゲームは出来てしまうということだろう。「攻撃は最大の防御なり」という相手、ゲームになったということだ。この攻撃でも、特に原口と、青山が光ってくるのも必然。

 さて、16日のウルグアイはこうはいかない。世界順位5位というのは高すぎるし、南米代表チームは組織が駄目だとしても、日本以上に攻撃が得意だから、パナマ戦のように打ち合ったら負ける。青山の守備はおそらく通用しないと思うから、先発しても後半には替わるだろう。伊東はもちろん、南野も同じだ。大迫、原口に、ボランチは柴崎岳、三竿健だが、柴崎はトップ下で先発するかも知れない。攻撃的サイドには中島翔哉も先発するだろう。今の柴崎も中島も、潰しが出来るからだ。センターバックはがっちりと、吉田と槙野。なお、富安が出てきたらそれはそれで面白いのだが、佐々木は出るだろう。等々最善の手を駆使して、ポイチ監督が形振り構わず勝ちに行くはずだ。

 とにかくこの16日は、得難いほどの非常に楽しみなゲーム機会になると思う。特にロシアの代表たちにとっては、生き残りが掛かってくるゲームになるはずだ。


 話は違うが、それにしてもセレッソは馬鹿だ。ユンジョンファンのような名監督はなかなか居ないのに。あれよりよい監督なんて、そんなに居るわけがないんだよ。選手の声を重んじて監督の方を切ったって、どこかと似ている。グランパスだ。この両チーム、とにかく監督を見る目がないね。時代の先取りならぬ、後手後手を踏んでいくのだ。
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随筆  俺の「自転車」   文科系

2018年10月12日 | 小説・随筆・詩歌など
 今七十七になる俺は、週に三回ほど各十キロ近くランニングしている。その話が出たり、ダブルの礼服を着る機会があったりする時、連れ合いがよく口に出す言葉がある。
「全部、自転車のおかげだよね」。
 この礼服は、三十一歳の時、弟の結婚式のために生地選びまでして仕立て上げたカシミアドスキンとやらの特上物なのである。なんせ、俺の人生初めてにして唯一の仮縫い付きフル・オーダー・メイド。これがどうやら一生着られるというのは、使い込んだ身の回り品に凄く愛着を感じる質としてはこの上ない幸せの一つである。よほど生地が良いらしく、何回もクリーニングに出しているのに、未だに新品と変わらないとは、着るたびに感じること。とこんなことさえも、自転車好きの一因になっているのだろう。

 初めて乗ったのは小学校中学年のころ。子供用などはない頃だから、大人の自転車に「三角乗り」だった。自転車の前三角に右足を突っ込んで右ペダルに乗せ、両ペダルと両ハンドル握りの四点接触だけで漕いでいく乗り方である。以降先ず、中高の通学が自転車。家から五キロほど離れた中高一貫校だったからだ。やはり五キロほど離れた大学に入学しても自転車通学から、間もなく始まった今の連れ合いとのほぼ毎日のデイトもいつも自転車を引っ張ったり、相乗りしたり。
 上の息子が小学生になって、子どもとのサイクリングが始まった。下の娘が中学年になったころには、暗い内からスタートした正月元旦家族サイクリングも五年ほどは続いたし、近所の子ら十人ほどを引き連れて天白川をほぼ最上流まで極めたこともあった。当時の我が家のすぐ近くを流れていた子どもらお馴染みの川だったからだが、俺が許可を出した時には、文字通り我先にと身体を揺らせながらどんどん追い越していった、子ども等のあの光景! この元旦サイクリングと天白川極めとは、今でも度々思い出す俺の人生の幸せハイライトだ。元旦の川岸や平野の向こうなどに四人で観入った日の出も!
 この頃を含む四十代には、片道九キロの自転車通勤もあった。この距離をロードレーサーでほぼ全速力するのだから、五十になっても体力は普通の二十代だ。生涯最長の一日サイクリング距離を弾き出したのも、五十近くになったころのこと。知多半島から伊良湖岬先端までのフェリーを遣った三河湾一周では、豊橋から名古屋まで国道一号線の苦労も加えて、確か走行距離百七十キロ。一回りよりもさらに下の今は亡き親友と二人のツーリングだった。
 その頃PTAバレーにスカウトされて娘の中学卒業までこれが続けられたのも、その後四十八歳でテニスクラブに入門できたのも、この自転車通勤のおかげと理解して来た。ただ、高校、大学とクラブのレギュラーだったバレーボールはともかくとして、テニスは最後まで上手くならず、その後はトラウマになったほど。なんせ今でも、絶好のボレーを失敗した場面などが悪夢となって出てくるのだから。

 さて、五十六歳の時に作ってもらった現在の愛車は、今や二十年経ったビンテージ物になった。愛知県内は矢作川の東向こうの山岳地帯を除いてほぼどこへも踏破して故障もないという、軽くてしなやかな逸品である。前三角のフレーム・チューブなどは非常に薄く作ってある割に、トリプル・バテッドと言ってその両端と真ん中だけは厚めにして普通以上の強度に仕上げてある。いくぶん紫がかった青一色の車体。赤っぽい茶色のハンドル・バー・テープは最近新調した英国ブルックス社製。このロードレーサーが、先日初めての体験をした。大の仲良しの孫・ハーちゃん八歳と、初めて十五キロほどのツーリングに出かけたのである。その日に彼女が乗り換えたばかりの大きめの自転車がよほど身体に合っていたかして、走ること走ること! 「軽い! 速い、速い!」の歓声に俺の速度メーターを見ると二十三キロとか。セーブの大声を掛け通しの半日になった。
「じいじのは、ゆっくり漕いでるのに、なんでそんなに速いの?」、「それはね、(かくかくしかじか)」という説明も本当に分かったかどうか。そして、こんな返事が返ってきたのが、俺にとってどれだけ幸せなことだったか!「私もいつかそういう自転車、買ってもらう!」と、そんなこんなで、この月内にもう二度ほどサイクリングをやることになった。片道二十キロ弱の「芋掘り行」が一回、ハーちゃんの学童保育の友人父子と四人のが、もう一度。芋掘りは、農業をやっている俺の友人のご厚意で宿泊までお世話になるのだが、彼にも六歳の女のお孫さんが同居していて、今から楽しみにしているとか。

 残り少ない人生になったが、まだまだこんな場面が作り続けられるだろう。そして、ランナーで居られる間は、続けられると考えている。自転車で作った体力が退職直前になってランを生んで、退職後はランが支えている俺の自転車人生。
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中日新聞紙面批評(2)  文科系

2018年10月10日 | 文化一般
 9月24日の同じ題名のエントリーに付けたコメントをご笑覧に供することにした。掲載順に載せる。デフォルメされ、強調して書いているが、これは問題を分かりやすくするため。以下の批判を持ちながらも、この新聞への僕の実際の評価は結構高い。毎日新聞とか、次は朝日新聞とかを取っていた時期も長かったのだから。以下の転載に当たって、補足修正した部分もある。


『 スポーツ哲学が弱い (文科系)2018-10-06 11:01:21
 本日6日「スポーツ哲学が弱い日本」というエントリーを書いた。このエントリーの岡田武史や古田敦也の表現を使えば、アマチュアリズム体育と「芸能のようなプロスポーツ」しかない日本と言い換えても良いだろう。新聞も同じように見える。文化・芸術としてのスポーツ、国民皆スポーツ、生涯スポーツの観点がない。

 文化、芸術を鑑賞するというだけの観点は、芸能を観ているようなもの。それを見せる人は興行主だ。新聞社がやっているテレビでも、芸能としての野球の興行主という方針、自覚が大部分なのだろう。相撲のようにやる人が僕らの学生時代などに比べてずっと少なくなっているスポーツはやがては廃れるのに、やる人がこれよりもずっと多いスポーツが全く軽視されている。国民皆スポーツ、生涯スポーツという公共性に欠ける。』

『 アスリートは早死にするが・・・ (文科系)2018-10-07 11:45:22
 スポーツ鑑賞の視点ではなく、やるスポーツ、国民皆スポーツ、生涯スポーツという観点から一言。
 標記の言葉、知識は、循環器などの医者の間では既に常識になっている言葉。
 特に、無酸素運動専門のような人が、活性酸素対策を教えられていないようなケースで、この言葉が当てはまるのではないか。僕のジムにも多くいる、走らないで筋肉を鍛えようというだけのウエートトレーニング専門の方々がこれに当たるだろう。脂肪が剥がせないから、太い筋肉も鋭角的には見えず、若いのにはっきり言ってただのデブである。10キロ程度走れるようになるのはそんなに難しいことではないのに、方法が分からないから諦めているように見える。
 相撲取りは流石に筋肉(と脂肪)の塊、ただのデブでは到底ないのだが、引退後対策をきちんとしている人がどれだけいるのか。だからこそ、相撲取りはみんな早死にとは、誰でも知っていることである。
 と、こんなスポーツをこの現在あるがままで若い人に勧めるのは罪だとさえ、僕は言いたい。今時にタバコを教えているようなものではないか、とさえ。国民皆スポーツ、生涯スポーツの時代なのだから、特にそう言いたい。

 例えば、マスコミが大相撲記事を載せる時、相撲の勧進元のような興行的観点ではなく、上のような「公共的観点」をも書いて欲しいものだ。
 そしてもう一言、生涯スポーツという公共的観点から言えば、相撲人口とサッカー人口とを公平に見ながら、それらの記事配分を考えて欲しいものだ。

 他の事だが、僕は日本芸能の家元制度が大嫌いである。尺八吹きの名取りの友人が、こんなことを言われていた。「師匠の第一の高弟である」と自負するお方だが、「師匠が死んだらあの2世を「我が師」と呼ぶのかナー!?」と。
「和楽器の大元締めは能楽師。大変な権力である」。
 いずれもぜんぜん芸術の世界らしくない、嫌な行事、所作、状態ばかりを連想させるものだ。
 日本の芸能マスコミはこんな点をどう考えているのだろうか? 何の信念、哲学もないように思える』

『スポーツマスコミの地方性 (文科系)2018-10-09 03:52:12
 中日新聞を読んでいると、「スポーツの地方性」なるものをいつも考えざるを得なくなる。野球はドラゴンズで、サッカーはグランパスの記事しかないと言って良いから。このファンが圧倒的に多い事は分かるが、それも関わって中日新聞がこれを後援しているからだという側面があると考えた。つまり、「投資している分、その元金も取らなきゃ」という「共存共栄」の感じがする? が、これは自社利益というだけのこと、公共的観点ではない。愛知県記事4面、國際記事1面とちょっとというのと同じ考え方だ。

 さて、ドラゴンズやグランパス応援じゃないサッカーそのもの好きには、全く面白くないスポーツ面だ。そもそもドラゴンズの勝ち負けが全ての新聞になっている。野球好きだけでスポーツ好きは切り捨て、それもドラゴンズ好きだけで野球好きは切り捨てということになってはいないか。そもそもこれは、失礼である。

 ちなみに、こんな視点で五輪の記事はどう書くのだろう。愛知県出身の、東海地方出身の選手に焦点を当てる?

 以上につき、僕にはこんな感じさえする。 
 相撲には、「西○○。××県出身」って、野球にはないよね。「3番長島。千葉県出身!」なんてね。それと同じ事を新聞がやってるんじゃないか。相撲のこれは、各藩があった徳川時代の名残なのではないか。 

 まとめとして、国民皆スポーツとか、生涯スポーツとかの観点が皆無だから、こんな事になっているのではないか?』

『事ほど左様に・・・ (文科系)2018-10-09 04:46:45
 以上書いたように、こんなに旧態依然な哲学、編集方針では、新聞は斜陽になるはずだ。

 斜陽になれば、重視していない部分の金を削るだろう。「地方性には金をさくから、国際性は倹約する」とか、「古典芸能や相撲、ドラグラは変わらぬ体制で・・・」とやっているから「文化、スポーツをやる人、やる記者」等新分野が軽視されているのではないか。これではじり貧だと思うがどうだろう。相撲、能楽のような狭い趣味とか、宗教の古いお説教趣味も持った年寄りだけの新聞。ネットに負けるはずだ。

 僕と同じ千種区に住んで家庭を持っている、二人の子どもも新聞は取っていない。こんなに新聞を隅々まで読む僕の子らなのに。ただし40代初めの彼らは、ネット検索は凄くやっている。』

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ポイチジャパン(4)中島翔哉、ユンジョンファン、そして川崎  文科系

2018年10月08日 | スポーツ
 いつもサッカー記事に目を通すのだが、今日三つの事に目が行った。一つは、ポルトガルにいる代表攻撃の顔・中島翔哉の大活躍。そして、セレッソ大阪のユンジョンファン監督更迭かというニュース。鹿島相手の川崎の闘いを描いた日刊スポーツの記事だ。この最後の記事を読むとどうも、川崎の2連勝が濃厚と感じられてきたものだった。

 中島翔哉は、強豪スポルティングリスボン相手に2ゴール2アシストで勝利。これで7ゲーム4得点と、得点ランク2位に上がってきた。
 ユンジョンファン監督の更迭は簡単にすべきではないと思う。どのチームでも実績を上げたからセレッソの監督になる事が出来て、セレッソを初めてここまで持ち上げた監督ではないか。多分、今急速に進化している日本サッカーの流れについて迷いが生じてきているのだと思う。こういうときの監督は問題を整理する時間も必要なのではないかと愚考した。
 川崎の日刊スポーツ記事はとても良いので、そのままご紹介したい。この記事は、「準優勝常連」だった風間監督が去った後このチームがどう強化されたかがとてもよく分かるのである。この攻撃型チームが現在は失点最少チームになっているのだが、その秘密が分かったような気がした。

【 川崎F堅守で堅首「球際の厳しさ」鹿島との差埋めた 10/8(月)7:40配信 日刊スポーツ
<明治安田生命J1:鹿島0-0川崎F>◇第29節◇7日◇カシマ

首位の川崎フロンターレが連覇へ価値あるドローだ。3位鹿島アントラーズと0-0で引き分け、2位サンフレッチェ広島と並んでいた勝ち点を57とした。前半38分、エースFW小林悠(31)がPKを失敗。後半は流れを失いかけたが、リーグ最少失点を誇る堅守で、ゴールを死守した。3連勝中だった鹿島の勢いを止め、残り5節は勝ち点1差の広島との一騎打ちになる。たくましさを増した川崎Fが、連覇へ前進した。

阿部の退場で10人になった後半ロスタイム。川崎Fはセットプレーに強い鹿島の3本のコーナーキック、ロングスローの猛攻をしのぎ、勝ち点1をもぎとった。前半、PKを含む2本の好機を逃したFW小林は「決めていれば楽になったし勝ち点も積み重ねられた。チームには申し訳ない」としながらも、アウェーでの引き分けに「すごくポジティブにとらえている」と振り返った。

17年元日の天皇杯決勝。鹿島にCKで先制され、延長戦ではロングボールからのルーズボールを押し込まれ優勝を逃した。小林、DF谷口が口をそろえたのは「鹿島との差は、練習から数センチの球際の厳しさを求める差」。鬼木監督の下、球際で戦う姿勢、ボールを取られたらすぐに複数で奪い返す速い攻守の切り替えを徹底した。練習では、激しく守備にいかない選手が浮くまでになり、現在は、優勝した昨季を上回るリーグ最少失点(21失点)、リーグ最少の被シュート数(191本)を誇る。スキを見せず、相手に好機を与えない泥臭い姿がチームをたくましくした。

アウェーの洗礼で、ピッチに水がまかれず、パスサッカーが発揮できない逆境にも動じなかった。川崎一筋16年目のMF中村は「僕自身が長い歴史の中で、今までのうちだったら最後のセットプレーでポンとやられるというのを繰り返してきたところもあるので。タフさも球際の強さもすごくついたと思う」と10人での勝ち点1に手応えを口にした。DF奈良は、相手のカウンターをファウルで止めたMF阿部に「自分を犠牲にしてチームを救ってくれた」と感謝し「そういう選手の思いをしっかりチームのパワーにして、次戦に備えたい」。勝負強い王者の風格を増した川崎Fが、連覇へ前進した。【岩田千代巳】 】
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トランプ、米中冷戦時代を開幕  文科系

2018年10月07日 | 国際政治・時事問題(国連・紛争など)
 標記の事は、このブログの過去至る所でこれの予言者らとその論とを紹介してきたもの。そのように予言された時がついに到来したようだ。トランプもそう言っていることだし。

 先ず予言の一人目は、元外務省国際情報局長・孫崎享。こういう地位にいた人物がその後「反米」の一方の旗手になったのは、彼が往時の日本を巡ってこんな情勢認識を持つに至ったからだ。
「日本住宅バブル弾けとアジア通貨危機とは、アジア新興工業国を引き連れた『ジャパンアズナンバーワン』をアメリカが引きずり下ろすために仕掛けたもの。自民党政権は、このアメリカの恫喝に負けて、日本国民とアジア諸国民とをアメリカに売り渡してしまったということだ。その後既に25年にも及ぶ『日本一人負け』、貧困化・少子化現象などは、このことの結末に過ぎない。往時の日本国民一人当たりGDPは世界3位。それが今は30位と、落ちぶれてしまった」
 以上のような孫崎の論からは、「米中冷戦」は世界史の必然という認識になる。ということが示されるエントリーを上げれば、『日米外交一つの転換点・・・(3)2018年09月03日』など。

 次に来るのが、ロナルド・ドーアさん。20世紀の英から米への覇権交代を見続けられてきた方だし、若い頃江戸期教育制度研究を目的に東大に留学して以来の親日派・イギリス人政経学者である。アメリカが「ジャパンアズナンバーワン」を潰したことについても研究怠りない90ウン歳というお方だ。この関係の直近過去ログは『米中関係、老碩学の予言 2018年10月05日』があるが、このお方の「金融が乗っ取る世界経済 21世紀の憂鬱」の内容紹介連載を是非お読み願いたい。これは、今の日本人必読の書だと思う。

 そして最後が、最近紹介してきた、『原油・ドル体制の危機 2018年09月30日 』。F. William Engdahlというアメリカ人、石油と地政学に関するベストセラー本の著書の國際情勢論である。この方はまー、大きくはアメリカ人大碩学ノーム・チョムスキーの流れを汲むお方だろう。そして、このチョムスキーの年来の国際情勢論については「覇権か生存か アメリカの世界戦略と人類の未来」を検索願いたい。当ブログ右上の「検索ラン」にチョムスキーなり「覇権か生存か」なりを入れて、その横を「当ブログ内で」として天眼鏡印の検索をクリックして頂けばよい。


 とこんなことを言わなくともこの冷戦時代突入はトランプがすでに至る所で公言しているもの。「大国競争時代突入」。アメリカエスタブリッシュメントは、負けそうになった相撲の土俵をどんどん広げるようにして、国際法を投げ捨てる暴力をすでに開始しており、その今後ずっと酷くなるはずの罪、悪名をこの愚かな大統領一身になすりつけようという覚悟を決めたようだ。
 それにしても、何が起こるか分からない、大変な時代があっという間に来てしまった。そこへ持ってきてまた、愚かすぎる我が国の宰相である。今まで通り「アメリカにどこまでもついて行きます。集団安保も結びましたし」と揉み手のお追従笑いをどこまで続けられるのか、この度はまた「日章旗」を掲げるかどうかで、またまた韓国と諍いを始めてしまった。アメリカが対中防波堤にと工作してきたインドでさえが、アメリカからの制裁を覚悟してのように、大変高価なミサイル・セットをロシアから買ったという時代なのである。イラン制裁には中ロだけでなく、EUも反旗を翻したようだし・・・。アメリカ・イスラエルがどんどん裸になっている。
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「よたよたランナーの手記」(231) 涼しくなって来たから  文科系

2018年10月07日 | スポーツ
 やっと涼しくなって来た。狂ったような夏の間、6月になったころからは戸外で走るのはゼロ、ずっと市営吹上スポーツ・センターのジムでトレッドミル専門。77歳の身体にはこの暑さは辛かったこと! ただし、ジムだからいろんな人と話しながら筋トレもやってきたし、トレッドミルでは蹴り足が弱くなるからと、いろんな対策をしてきた。
 スクワット50回とか、新たにレッグ・レンジも取り入れた。NHK・BS1の土曜日夕方にある「ランスマ」の最後に金哲彦さんらが良くやっている、片脚を前方に大きく降り出して地面すれすれまで股を開くあの動作である。片脚20回ほどやると、結構きついからよほど効いているということ。金哲彦さんがいつも強調している股関節の柔軟化運動にもなっているようで、絶好のラン補強運動だと感じる。どんなスピードでもピッチ160以内に抑えるというのも、蹴り脚を強化するための僕なりの工夫である。僕は、ピッチ数にはとてもこだわりを持ってきた。時速8キロ以下なら、ピッチ140でも走れるというように。これは、僕のような高齢者では珍しいはずだ。

 そんなこんなで、結構体調はよい。こんなふうに。以下の距離数字は断りがない限りいつものように、30分×2回の走行距離だ。マシン使用に1回30分という制限があるからであって、1回目の距離にはウオームアップの歩行、緩走時間帯も含んでいる。

 9月以降昨日まで9日しか走っていないが、最高は8・9キロ。そして現在の体力回復度に関わって、昨日こんな実験もやってみた。随分久しぶりに10月4日、6日と中1日で走ってみた。結果は、4日が75分で10・2キロ、6日が8・5キロ(4・1と4・4)といずれもLSDだが、どうということはないという感じ。心拍がちょっと高くなるけど、事後の筋肉疲労度は普通で、スピードはむしろ2日目に上がるのである。ただ、これを上げすぎると急に筋肉疲労が出るのだろう。

 これから例によって、この距離を日ごと100~200mと上げていきたい。まず9・5キロが一つの関門で、もし10キロに届いたら、16年の前立腺癌陽子線治療前の記録になるが、これはウオームアップ時間を別に取らねば無理だろう。当時に比べて、ウオームアップ時間が3倍は必要になったからである。でも、また時速10キロで30分走れたら、嬉しいな!
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随筆 「スポーツ哲学」が弱すぎる日本  文科系

2018年10月06日 | 小説・随筆・詩歌など
 07年頃、岡田武史のサッカー観に関わって、古田敦也、平尾誠二との対談本を紹介したことがある。岡田、古田のこんなスポーツ観も表明されていた。

「岡田 どうも日本ではいまだに、『体育=神聖なアマチュアリズム』『プロスポーツ=芸能』という感じでとらえられてしまう。本来は、違うものなんだよ。芸能とは違う『プロスポーツ』があるということを確立して、意識上にカテゴライズしていかないと、今後、日本のスポーツ界全体が伸びないと思う。
 古田 テレビの放映権をコミッショナーが持てるようになれば、かなり変わると思うんです。プロスポーツは興行である反面、半公共的な存在であるということにも気づくと思うんです」


 正論だと思う。しかしすぐに、次の問も浮かぶ。「芸能とは違う『プロスポーツ』」とは何か?「プロスポーツは興行である反面、半公共的な存在」とはどういうことなのか? 「スポーツの文化としての価値、楽しさを国民に広げつつ、それとともに初めて発展していくプロスポーツ」ということであるはずだ。ちなみに、Jリーグ百年構想は、こういう考え方を日本に初めて大々的に表明し、行動に移ったプロスポーツ関連団体の宣言なのだと思う。生涯スポーツが、公共的なもの、考え方であるように。対して、例えばプロ野球が芸能というのは、これを観る人の立場、つまり鑑賞対象という立場なのだろう。芸能を見せる人とは、まー興行主と同じことなのだから。大相撲には興行主が居て、これは芸能を提供する人と同じことだ。しかし、相撲をやる人には生涯スポーツという観点があり得るのであって、これは相撲を自分がやる文化活動として捉えると言うことであろう。

 さらに一歩つっこんで考えてみたい。スポーツはどういう文化なのか。簡単なことである。音楽や絵画と同じ芸術なのだ。聴覚の芸術、視覚の芸術と同じように『身体感覚』の芸術と言えばよい。ところが岡田武史も語ったように、こういう考え方がヨーロッパと違って日本には全く定着していないのである。日本では「体、健康を作ること」というスポーツの「体育」「身体だけ」という一面だけが強調されてきた。戦前の「強兵政策下の『体育』『運動』」や、最近では、アメリカの強兵策「ビリーズ・ブート・キャンプ」を応用した「シェイプアップ、ダイエット・スポーツ論」みたいなものである。

 さて、さらに突っ込んで「『身体感覚』の芸術」の説明だが、これは結構難しい
「テニスで、『追いつかないかな?』と感じたボールに、うまくさばけた脚がぴたっと決まった瞬間の快感」
「野球で、投球の伸びが今ひとつという日々が続いて悩んだ後に、凄く伸びるボールが投げられたときの体を走る快感」もある。「余分な力がここで入ってしまったなどとは全く感じられず、すーっと全身が協調していて『なお、いくらでも力が入る感じ』」などと言ったら分かる人には分かりすぎるはずだ。体軸、肩、肘、手首などの使い方がぴたっと一瞬間に一致したということなのだと思う。
 こんなのも同じことだ。
「久しぶりに山に登った後3~4日して疲れが取れた頃(この日数が人や運動の激しさによって違うのは当然のことだ)、長い階段が楽しく上れるあの感覚」

 見られるとおり、これら全てがただ体だけの問題ではない。頭脳、視覚などによって体を鍛え、導き、動かして、その動きや結果を「体で味わい、確かめている感覚」というものが存在するのである。運動感覚、身体感覚、この働き、「効果」は絵画や音楽と同じ物なのだ。しかもこれは「自作自演を自分で鑑賞」というものであって、自ら行う芸術なのである。単なる鑑賞ではないということだ。これが分かれば、楽器の楽しみなどと同様に、非常にやみつきになる物なのである。

 僕もこんなことを青年時代から感じ、考えてきたが、日本にもこういうことを語る著作がやっと現れてきた。勝ちや名誉ではない本当のスポーツ好き、生涯スポーツ家にぴったりの、こんな本をご紹介しよう。
 玉木正之「スポーツ解体新書」(NHK出版)

 ちなみにこの作者、「巨人軍がプロ野球を徹底的に駄目にしている」と語る人である。古田も岡田もそう考えているようだ。読売巨人軍はいわば興行主なのであって、野球を芸能としてみせる立場ということだろう。
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米中関係、老碩学の予言   文科系

2018年10月05日 | 書評・番組・映画・演劇・美術展・講演など
 米中経済・関税問題は、単なる経済問題では到底済まなくなる。ということを2011年に予言していたあるイギリス人老碩学の言葉を紹介する。若くして東大に江戸時代の教育制度を学びに来て以来日英を行き来してきたような、政経版ドナルド・キーンのようなお方だ。
 以下も去年11月にここにエントリーしたもの。ロナルド・ドーア著書への言及はこのブログに多いが、こうすればバックナンバーが読める。ブログ右上の検索ランに彼の名前を入れて、その右を「当ブログ内で」として、天眼鏡印をクリックして検索をかける。すると、ブログ本欄が全て彼のことを書いたエントリーに替わるから、好きなものをお読み願えるということ。よろしく。


【 東アジア諸国に脱アメリカ徴候  文科系

2017年11月15日 | 国際政治・時事問題(国連・紛争など)

 東アジアサミットなど一連の首脳会議で、アメリカの力、信用が急激に衰退していると示された。北朝鮮問題、中国の南シナ海領有権問題、一帯一路開発問題など、現下ほとんどの東アジアをめぐる重要問題において、以下のように。

 北朝鮮問題では、「国連の制裁枠内でよろしい。それ以上のことは不要」という中ロの方向が支持された。「独自で、どこまでも制裁強化を」という日米の方向は浮いてしまったということで、安倍首相の「圧力を最大限まで強め、向こうから話したいという状況に追い込む」という演説も虚しく響いた。ましてや、「北を完全破壊する」と語ったトランプの言葉は、アメリカ軍部にさえ支持されていないと判明した。加えて、最大当事者の一方である韓国政府が以下のような態度を改めて表明したのでは、日米の振り上げた拳も一体どこへ向かうのやらということ。韓国首脳はこんなことを述べたのである。
①米韓安保は、これを軍事同盟には発展させない。
②北への軍事行動は、起こさないし、起こさせない。

 さて、今にも北との戦争が始まるかのように吹き回った日本のマスコミは、何と無責任な連中かと今は思わずにはいられないのである。

 次いで、南シナ海問題。これについてトランプは、ベトナム、フィリピンに対してちょっと口を利いたらしいが、ほとんど脈のある反応を得られなかったようだ。要は「当事者2国で解決します」という、中国の立場と同じものしか返ってこなかったのである。直接の当事者がそう語るのだから「公海」問題も困難な事態が起こるだろうとも言えなかったということだ。

 なお、もう一つの中国一帯一路開発問題でも、アメリカは「参加要望」のようなことを演じたらしい。これに絡んだ中国主導のアジア・インフラ開発銀行とともに、日本の面目丸つぶれということだろう。日本が総裁を務めるアジア開発銀行の将来も、中国の大陸陸海横断開発への参加も、弾き飛ばされたままということになっていくのだろうか。

 物経済の長期不振から、隠密裏のような金融グローバリゼーションに活路を求めてきたような日米。結果として、アジア通貨危機、ロシア通貨危機、南米通貨危機、リーマンショックなどなど数々の金融搾取を働いてきたものだが、その陰で世界にどれだけ不審感を植え付けて来たことだろう。その揚げ句が、嘘の理由で始まったイラク戦争、アラブの春の内乱と混乱、公然たるシリア内乱工作、今度は「北の脅威」では、もうどの国も付いては来ないと、そんな世界情勢到来と観る。

 こんなある老碩学の文章を改めて、再掲してみたい。

『 ドーア本あとがき、「米中関係」で「挑発」 文科系 2016年10月08日

 今紹介している、中公新書、ロナルド・ドーア著「金融が乗っ取る世界経済 21世紀の憂鬱」(2012年6月第五版)のあとがきほとんどを抜粋してみたい。これを読めば、この本が日本の民主主義信奉者にとっていかに大切な書であるかが分かるというもの。

『「序文に代えて」で書いたように、一九四五年は正に、「終止符を打って再出発」の時期だった。人類同士が7000万人を殺した戦争に対する反省はそれくらい深かった。
 将来、金融化経済の不合理さ、不公平さに対して反省する時期は来るだろうか。同じく7000万人を殺さないで。歴史の教訓があるとすれば、「不可逆的に見える傾向でも、永遠に続くことはない」、であるし「大きな戦争がなければ大きな社会変化もない」である。
 そう考えると、どうしても世界の軍事力、外交力のバランスという現実にぶつかる。本書で描いた日本経済のアングロ・サクソン化は、米国が西太平洋における軍事的覇権国家であり、日本と安全保障条約を結んでそこに基地を持ち、その基地を移設しようとする内閣(たとえば鳩山内閣)を倒すくらいの力がある、という事情と密接な関係がある。
 詳しく論じる余地はなかったが、三、四〇年も経てば、西太平洋における覇権国家は中国になっているだろう。2010年、北朝鮮が韓国の延坪島を砲撃した。世界的な非難が広がる中、アメリカは黄海での韓国との合同軍事演習に航空母艦ジョージ・ワシントンを派遣した。この空母の航入を、中国は一時激しく拒否した。後で認めることになるのだが、この事件は長い冷戦の始まりにすぎないだろう。米ソの冷戦は半世紀近く続いた。熱戦にならず、何千万人もの犠牲者を出さずに終わったのは、ゴルバチョフが東中欧における米国の覇権を認め、「負けた」と手を上げたからだ。
 今度は半世紀も要さないだろうが、中国が勝ちそうだ。なぜそう思うかと言えば、次の条件を勘案しているからだ。
 ○ 今後の米中の相対的経済成長力
 ○ 政治的課税力ー国庫歳入の成長力
 ○ 国威発揚の意思の強さー軍事予算拡大の用意
 ○ 人的資源・・・・・・・・

 西太平洋における覇権の交代はほとんど必然的だと思うが、それについての大問題が三つ。
①アメリカにゴルバチョフがいるか、である。それとも、何千万人もの死者が出そうな実際の衝突、つまり戦争の勝ち負けに決済が委ねられるだろうか。
・・・・・・・・・
③60年もの間、日本を行ったり来たりし、日本人の友達が多い私にとって大変関心が高い問題だが、土壇場になっても、日本は依然として米国に密着しているのか。独立国家として、米中が何千万人を殺しかねない衝突に突き進まないよう、有効に立ち回れるのかどうか。

 「新書」の目的が、挑発的な問いかけで読者を考えさせることだとしたら、挑発はこのくらいで十分だろう。このあたりで筆を置いていいと思う。』

 これまで2度にわたってここに紹介し、後は3度目が残っているこの本によれば、「アメリカではこうだ」という理屈の下に、日本が米国共々経済から外交、軍事にいたるまでいかに危ない橋を渡って行きつつあるか。そのことが、日本経済最新変化の解明を通じてとてもよく分かる本だとつくづく考え込まされている。
 なおこの著者は、「ロンドン大学LSE」から、そこのフェローの資格を得ているイギリス人。かつ、若いころの東大留学時代(江戸時代の教育制度を学びに来た)からの日本オッカケでもあって、日本文学者ドナルド・キーンのマクロ経済版のようなお方だ。本書を書き上げたころは85歳と推定されてなお、この「日本語」健筆。本書中には、60年前の日本にこんな生き生きとした「論壇」があったとして、こんな下りもあった。
「一方に、「岩波文化人」(私の親しい友人であった丸山真男や加藤周一や、まだ珍しく元気であった鶴見俊輔をはじめとして)、他方に、彼らを「進歩的文化人」と野次って、その愚かさを攻撃する「保守派」の福田恒存や江藤淳など、その間の論争を懐かしく思い出す』(P109)」』


 日米の国家累積赤字は、それぞれのGDPに対して2倍と4倍。これらの国が自他国民向けにその国家財政で出来ることはもう知れている。対するに、中国の対外収支は伸びるばかり。対外互恵関係、いわゆる「ウインウイン関係」も、好む好まぬにかかわらず中国の余裕が大きい。株などで儲け逃げていくばかりの日米にどこの国が寄って来るのかと、どんどんなっていくことだろう。トランプのやっていくことは、物経済は保護主義で、金融は規制撤廃を迫ると、そんな自分勝手、得手勝手ばかりになっていく。】
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