九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

島根の松江は、朝鮮に近い(保守系)

2006年05月31日 01時09分59秒 | Weblog
27日から30日にかけて、島根県の松江市の団体の研修会講師に呼ばれて、鳥取の米子空港経由で、松江に行ってきました。また、石見銀山にも行ってきました。
それにしても。米子から松江まで、宍道湖かに大きな橋がかかっていましたが、でもまあ島根半島などの細い道をぐるぐる周って、やっと松江に着きました。
6年前とたいして時間が変わらないのです。農道よりちょっと広い道が基本で、車同士のすれ違いや、歩いている人との関係で、危ないなと何度も思いました。
ふと持って行った地図で、松江と名古屋、松江と朝鮮半島の距離を測って見ましたら、ほぼ同じ距離(500キロ位かな)でした。いや近いと思いました。
今回、民団と総連とが合併しました。新潟は反対したとの報道です。
ここ島根県からも北朝鮮に拉致されています。鳥取県ででもです。
私は、将来、韓国と北朝鮮との合併も視野に入れるべきだといいました。
それが日本国内では、現実となりました。文科系さん、守るさん、あの朝鮮半島は、北九州といい、山陰といい、近い距離にあるのです。
太平洋岸に居て、のんびりと守る旗が出来ましたとか、文科系さんですか、名前忘れましたが、著書の紹介をしている暇はないのではないでしょうか。
とりわけ文科系さん、この日本の国防についての識見を自分の言葉で語って下さい。
なお石見銀山ですが、あれは、徳川幕府が、関が原の戦いで負けた毛利から取り上げた天領でした。良い町並みが残っていたりその坑道にも行ってきました。
綺麗な川、でもここで鉱夫は、懸命になって働いたのでしょうね。この鉱山は、大正時代まで続いたようです。
私もまだあの韓国に行っていないのです。早目に1度、行ってきたいと思っています。
守るさん、文科系さん、韓国の現代の韓国ドラマではなく戦争映画のビデオでも借りてきて、よく戦争とか北と南の関係とかなど、見て下さい。すでに見ておられたら御免なさい。
では、再度、文科系さんの憲法問題とかイラン問題などへの復帰を期待しています。
では。

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「読書会報告その2」佐和隆光著「日本の『構造改革』」その② 文科系

2006年05月30日 00時08分00秒 | Weblog
グローバリズムやポスト工業化社会は好むと好まざるとにかかわらず世界史の動向であり、否応なく対応が迫られる後戻り不可能な世界的潮流である。そこから、日本の市場を時代に合致した自由、透明、公正なものにする市場主義改革と、その害を除く「平等な福祉社会」とが必然の流れとなっている。
グローバリズムの下で先進国が迫られているポスト工業化社会に生き残っていく道は、以下の2分野だろう。一方の、IT(情報技術)を取り入れたハイテク製造業・経営のプロセスは、無数の技術者、事務屋を放逐せざるをえないといった側面がある。他方の柱、金融、情報、通信、医療、教育などのソフトウェア産業は、人文・社会科学的素養を軽視してきた日本では極めて育ちにくいものとなってしまった。こうして、国家経済政策はこの上なく難しくなり、終身雇用は崩れ、再教育を経ないでは多くの人々が取り残されざるをえないような世の中に、否応なくなってきてしまった。
なればこそポスト工業化社会の負の産物に対する対策、「平等な福祉社会」という手当がその分、急がれる。個人・国家間の所得格差、リスクの増大、1人勝ち、「投機の時代」に必然的な不正などなどへの、再出発の手当である。市場主義改革の元祖サッチャーの後97年に生まれた労働党・ブレア政権の超重点施策がその参考になろう。「首相就任直後の記者会見で、『優先するべき政策を三つあげてください』との記者の質問に対して、ブレア首相は『一にも、二にも、三にも教育だ』と答えた。サッチャー時代に進んだ公教育の荒廃という事態の改善を最優先の政策課題にすえるということを、『公正』という観点からブレア首相は強調したのである」(P66)
こうして「平等な福祉社会」とは、以下のようなものと著者は語る。「要するに、『排除』される者のいない社会、そして『自分という人的資本への投資の原資を提供する』役割を、福祉に担わせる社会をめざす」(P83)と。教育を重視し、福祉に人的資本を高める役割を与えて、皆に希望を持たせ、そうして失業をなくする社会ということである。

他方、困難な局面にある大国日本は、グローバリズムから教訓を得ること、それへの正しい対応も迫られている。
狭義のグローバリゼーション・世界市場経済化は東欧崩壊もバネになって以前から世界史の流れだった。ヒト、モノ、カネ、情報、サービスの国境を越える移動のことだ。その流れに乗ったクリントンからブッシュに替わった21世紀になって、アメリカは全く変わった。ブッシュ就任後すぐになされたのが、石油資本の要請による京都議定書からの離脱、ネオコンの意向からのABM制限条約離脱だった。そして、9.11から、アフガニスタン、「悪の枢軸」対策へと進み、世界・国連の意向に反して民主主義大国でありながら自らイラク戦争を起こしたのである。こういうブッシュは、財務省と金融資本によって支えられていたクリントンに対して、国防総省と軍需資本の代表と言えるだろう。
保守主義とは、市場主義、小さな政府、自助という経済・政治的側面と、自国の秩序・伝統による異端排除という文化的側面とを併せ持つと語って、その前者中心のものを著者は新保守主義と呼ぶのだが、ブッシュは後者の側面中心であると言う。ちなみにクリントンは、アジア通貨危機の鎮めなど、「グローバル世界市場の統治役」を買って出たが、ブッシュはそういった世界市場統治役すら放棄している。ブッシュの下のアメリカは失業率と双子の赤字も高め、世界不況予測の大元にもなっていると言えるが、こういう中でブッシュが「グローバル世界市場の統治役」を捨てたということは、世界の将来に向けて極めて深刻な問題となっている。世界金融危機が起こりやすくなっているのに、世界不況の鎮め役がもういないというわけだ。国連の名前も、ブッシュがイラク戦争でこの上なく貶めていることでもあるし。こうしたネオコンのユニテラリズムの下で世界は今、このうえなく不安定な状況になったと言えるのである。

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「昭和九条の会」のノボリがやっと出来ました。

2006年05月29日 11時22分45秒 | Weblog
 写真のようなノボリが出来てきました。

 「色」はグリーンやオレンジ等色々話し合ってこの取り合
 わせに決まりました。出来上がってみると、爽やかで遠くからでもよく目立ちそうです。

 「文字」は中央に「日本の宝。 憲法九条。」と完結に力強く訴え。サブタイトルに若者にも分かり易い話しかけ言葉で「戦争はキライ! 平和がスキ! 」と入れました。

 昭和区を中心にした街角や、公園や、学園、イベント会場にこの「ブルー」と「飛び出す黄色」のノボリを数多くはためかせたいと思います。

 ノボリは、一枚千五百円ほどかかりました。三十枚作って費用は四万五千円ほどかかりました。団体名を白地にしましたので、他の九条の会の活動にも活用してもらえると考えています。

 最後に、会員の皆様にはノボリを立てての街頭活動に参加いただいたり、ノボリ
制作の費用のカンパなど宜しくお願いいたします。

 ※ 街頭アピールの日時や、ノボリのカンパの詳細についてはニユースや事務局   電話731-2749までご連絡ください。

   
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静かに国を愛したい  中日新聞より

2006年05月28日 11時17分06秒 | Weblog

今朝の中日に「5月を送る」という欄があり、
愛国心についての記事が載っていました。
一部を転載します。

 ふつうの人間は、目に見えるもの、手に触れるものなら
 愛することができるが、国家という抽象的なものを
 愛することはなかなか難しいことなのだ。
 私達が郷土を愛するのは、ふるさとの山や川、
 人々の生活や村のぬくもりという肌で感じ、
 目に見えるものを通して愛するのであって、
 抽象的な郷土を愛するわけではない。
 国家もむろん同じである。
 小学一年生が、学校の周りの美しい森や川、
 畑に感動し素朴な郷土愛を持ったとしても、
 六年生で卒業の際、それらがショッピングセンターや
 高速道路、駐車場に変ってしまっていたら、
 どう郷土愛を教えたらいいのだろう。
 若い世代に国や郷土への思いが薄れていったのは
 平和ボケのせいだけではない。
 思いを寄せる対象を壊し変えてしまった私たち大人の責任でもある。
 ・・・
 この日本のたたずまいは市場原理主義では守れないのだ。
 愛国心は声高に叫ぶと空っぽの国に見えてくる。

    

一方で市場原理主義と説き、一方で子供たちに愛国心を説く。
この政治家の言動がいかに理にかなったものであることか!
この記事はよく理解させてくれます。


         愛国心一杯の落石





 
 
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「読書会報告その2」佐和隆光著「日本の『構造改革』」その① 文科系

2006年05月27日 10時30分02秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
この本は全体で4章立て。1章は経済構造改革理論と実践とを巡る近年の世界史がまとめられ、そこから改革方向原理が示される。そして2章は日本が現在どういう構造改革を迫られているかという詳論、3章が日本が避けて通れないグローバリズムの説明、4章が日本の経済構造改革の具体的方向ということだろう。今後、1章を今回に、2、3章を「情勢論」として2回目に、4章を3回目にというような報告にする積もりだ。

「近年の経済構造改革理論」
 まず、79年にイギリス首相になったマーガレット・サッチャーのサッチャリズムから説き起こされる。サッチャリズムとは、70年代以降の英米を席巻した経済学、「市場万能主義」に基づくものだが、これを古典派経済学のアダム・スミスの「市場」を復活させたものと見て新古典派経済学と呼ぶ。
このサッチャリズムの実績についてまず、ケインズの財政金融政策という既得権益にあぐらをかいて「大きな政府」に慣れきった人々に「小さな政府」と「市場主義」を突きつけて、まがりなりにもイギリス病から脱却させ、経済活性化を成功させた面はあると語る。ケインズの財政金融政策は、それまでの古典派経済学では失業とか景気不安定とかを説明できず、それへの対策として提出されたものだと説く。適宜な財政出動によって有効需要を作り出し、資本主義経済につきものの過剰生産からくる不況や失業の対策としたわけだと。
さて、作者はこのサッチャリズムの「市場主義改革」の負の部分に大きく着目する。福祉予算はかえって拡大したし、多数派の敗者・少数の勝者が生み出されたなどから、「経済的合理性は、政治の論理に打ち負かされることが多いのである」(P12)とまで結論している。
次に、このサッチャリズムを日本に取り入れようとしたのが99年に小渕内閣が打ち出した「経済戦略会議」の「最終報告書」だと展開されていく。日本は折しも慢性的不況さらにデフレ下の「失われた10年」の真っ最中、それへの対策がこれだったのだが、著者はこれを「『20年遅れのサッチャリズム』以外の何物でもない」(P5)と言い放つ。そして、この2年後に発足した小泉内閣の性格がこう語られていく。「『経済戦略会議』の最終報告書に盛られた市場主義改革のマニュフェストを実践することを、最優先の政策課題にかかげた内閣として、後世の歴史家により語り継がれることであろう」(P12)と。しかしながら「20年遅れ」は、本家戦略の一部のみを踏襲し、その酷い結末は受け継ぐことになったと断じて、「民主主義体制下において、『痛み』の偏在が社会的に受け容れられるはずはない」(P14)と予言している。こういう小泉は「ポピュリズム的政治手法の使い手」であると述べられている。
さて今後の方向についてだが、この章での著者は学者の矜持をもって原理的な立論をしている。社会主義経済は「計画」というものの難しさから崩れ、市場に任せておけば人々は幸せになるという「市場主義」は論証も立証もされたことがない呪文のようなものだと語り、本来の経済学は今はもう原理的には存在しないとして、こう語っている。
「理想とあおぐ社会のあり処を見失ったいま、私たちは、何を寄る辺にして生きればいいのだろうか。この設問に対する私の答えは、『変化への適応』である」(P25)
そして、上記文中の「変化への適応」について、21世紀最初のものをこう語っていく。「不自由、不透明、不公正きわまりない日本の市場経済を浄化すること」と「平等な福祉社会を作る」こととの「同時遂行である」と。(P27~28)なお、これらの表現には著者独特な意味が込められているのだが、それについては次回以降明らかにしていくことになる。
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待ちきれない。七月着工「戦争資料館」          まもる

2006年05月26日 13時54分44秒 | Weblog
 かねがね空襲などで多くの犠牲者を出した愛知の戦災の記録、とりわけ名古屋大空襲など戦災の記録を展示する記念館が無いのか不思議でした。
 また戦争を記録伝承し、平和を語る記念館が日本第三の都市名古屋に無く、他府県や外国の友人が来る度に恥ずかしい思いをしていました。

 て゛も、今日の中日新聞の記事を見て「ほっと」しました。それによると、NPO法人「平和のための戦争メモリアルセンター」が、来年5月をめどに「戦争と平和の資料館」を県・市の建設があいまいなため先行建設すると言う事です。
 県や市は建設の請願は採択したが予算不足を理由に建設を先延ばしにして来たようです。
 そこでこのNPOが主体になって、個人からの土地と資金の寄贈をうけ名東区よもぎ台での建設に踏み切ったと言います。
 開館は鉄筋三階建て延べ5百㎡に ①愛知の空襲 ②戦時下の暮らし ③十五年戦争の全体像 ④現代の戦争と平和 など四つのテーマで展示するといいます。

 これでやっと日本の大都市の責務が果たせたような気がしました。
 本当に来年五月の開館が待ち遠しいです。それにしても自治体の姿勢が情けないですよね。官ののやることは民でですか?
 みなさんは 如何でしょうか。        
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ちょっと変化球  落石

2006年05月26日 08時08分06秒 | Weblog
筆坂さんの「共産党」を読みました。
そうなの!と思うことが多く、面白かったです。
とくに最高指導者の退陣話。
普通、経営に失敗した社長は退陣しますが、
全然、退陣しない会社だなあと感じていました。

9条を守る力のひとつですから、広い支持を得るには、
情報公開は必要でしょうね。

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また同じ手口で・・・  落石

2006年05月25日 09時24分18秒 | Weblog
国会での「愛国心」議論を聞いていると、
小泉さんの答弁に同じパターンが見えます。

「こころの問題を規制する積りはない。
そういう法律ではない。」

これって日の丸法案で聞いたような???

同じ手口はダメよ!

だいたい、愛国心のない国民っているの?
そんなこと法律で決めようなんて
国民を信用していない証拠でしょう。

 (陰の声 そう信頼してないの。だから・・・)
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瀬戸市の戦跡と小森陽一さんの講演のご案内

2006年05月24日 00時26分53秒 | Weblog
 瀬戸戦跡は、二次大戦中瀬戸市郊外の山中に建設された「地下軍需工場」のことです。丘陵に五箇所の坑道が掘られ愛知航空機の工場が名古屋市から疎開したものです。現在は坑道の入り口しか見学できません。また雨天の場合は博物館「瀬戸蔵」に行き、戦時中の瀬戸物による生活物資の代用品等を見学します。

 また午後から「瀬戸九条の会主催・平和を願ってやまない人々のつどい」に参加し、全国九条の会事務局長「小森陽一氏」の「九条をめぐる状況について」の講演を聴く予定です。 
              

 ※詳しくは昭和九条の会事務局 052-731-2749 まで
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問題あるッスか?               いまどき

2006年05月23日 23時24分27秒 | Weblog
 改憲、護憲といろいろ言い分は有るみたいですが、九条このままでいかんのですか?
親父が生まれた頃から六十年間、今の九条でなんとかやってきたのでしょう。
 一人の戦死者もなく、そこそこの経済を維持して。
 
 自衛隊が憲法に違反するのか? 憲法が自衛隊に違反するのか?

 理屈の上では水と油 相容れない様だけれど、六十年間壜の中で喧嘩しながらも一緒に住んできた。壜の中は白濁したり分離したりしたけど、外から見れば羨むような二人三脚。
 先延ばし・スッキリしようの批判もあるようですが、先延ばし結構。
 多少スッキリしなくてもこのまま百年延ばしたいような気がします。

 普通の国でない、品格のない国、独立自尊のない国。 いいじゃないですか。

 誰かが困るのですか?       
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自主・自立があるべき日本の形        常識がえる

2006年05月21日 22時18分02秒 | Weblog
 立ち上げ人さんから、「あるべき日本の形をふまえた安全保障の提案を」との呼びかけがありました。
 多岐にわたる内容でとても浅学の私に歯の立つ問題ではありませんが、ここで是非提案したいのは「自主・自立=国益を根底に据えよ」と言う事です。
 日本はアメリカと同盟をしていますがアメリカではない。中韓から批判を受けているがわが国は中国でも韓国でもない。
 しかし こんな当たり前の事が脅かされ続けていて、日本の自主・自立極言すれば尊厳さえ危なくなっています。
 特に対米従属は日増しにひどくなっています。軍事では米戦略への一方的編入軍事費負担。経済でも同様な事態が進行中です。
 アメリカとの協調・協力もすでに日本の自主・自立・国益を侵し始めているように思えます。
 そこで 自主自立の国防・自主自立の経済・普遍性的自主文化の創造
を根底に諸改革がなされる必要があるように思います。
 アメリカ帝国の傍若無人の奔流に流され没することのないように自主自立・国益
の二本足で確り立ち続けようではありませんか。
 ただし 決して軍事大国にならぬよう歯止めをしっかりして、狡猾な外交と生き残れる経済改革と誇るべき文化の創造で生き抜かねばなりません。
              
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国民は、戦果を思い一喜一憂しました。   戦歌の訪ね人

2006年05月21日 12時27分52秒 | Weblog
 日本人は体験した「戦」をどのように感じ表現してきたか?これを知る事は戦争体験の乏しくなってきた今の時代の我々にとって大切な事だと思います。                                       「戦歌の訪ね人」の記事を書こうと思い立ったのも単なる反戦キャンペーンではなくて人々の心に「戦」がどのように映り、感じられたかをリアルに知りたくて始めた者です。
 また 資料としてよく引用する「昭和万葉集」について「反戦歌集」との誤解があるようですから簡単にこの歌集について説明したいと思います。

 「昭和万葉集」全二十巻は講談社より「万葉集」に倣って、昭和五十年という節目に時代を後世に残すため、著名歌人に委嘱し専門歌人・庶民の歌人の短歌から四万五千首を選び編んだ一大歌集です。
 この歌集を読むと、歌人も庶民も昭和という時代の中で奮い立ち、感激し、慟哭し、愛し合った様子が手に取るように伝わってきます。単に反戦歌集でない事は載せられている次の歌を詠めば明白です。太平洋戦争開戦時の人々の歌です。

  ものあらふみづしのをみな妻どもも涙して聞けり刻々のラジオ   吉川英治

  声のかぎり万歳を云ひてうつろなる我の涙の垂りてゐたりき    森 快逸

  らうらうと大詔よむ聞けば愈々命ささげむと思ふ          同上

  話しかくる妻を抑へて九つのみ霊のみ名をひれ伏してきく     野島萱穂
           ※九つのみ霊・・真珠湾の特殊潜航艇攻撃で戦死した兵

これらの歌から当時の多くの国民の興奮や決意が伝わってきます。
 このことはリアルな現実であり否定も肯定も許さぬ事実です。これらの歌から何を感じどう判断し、我等の時代に生かすかは、夫々の個人の責任であり課題だし思います。
 「戦歌の訪ね人」の私もこうした歌を訪ねながら、その頃の人々の心に迫り「戦」について考えて行きたいと思っています。
                        
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「読書会報告、その1」、三国陽夫著「黒字亡国」その④ 文科系

2006年05月21日 10時05分24秒 | Weblog
この著作全6章の後半3章が対策各論と言うべきものだ。それぞれ最短の要約をすれば、こんなことだろうか。
①国内消費者の需要、内需を高め、対応した生産拡大を図る。
②アジア諸国から買い物をし、アジアで円を使ってもらう。
③貯蓄を通して銀行が投資するという間接金融から、個人が株式、債券に直接運用するという直接金融に変える。
このそれぞれが各章において諸外国の前例、著作などを引用しつつ、論述されていく。課題の現象とその解明がもう分かっているのだから、対策の詳論は不要だろう。ただ、これら全体に関連する説明部分をいくつかあげておくにとどめる。
「(ペルーの経済学者エルナンド・デ・ソートは)どの国の経済も外需依存によってある段階までは成長するが、その後はなかなか成長できずに伸び悩む、(中略)その理由について内需が拡大しないからだと指摘し、内需を拡大できるかどうかは消費者、あるいは個人の所有する富を資本に転化できるかどうかにかかっている、と主張している」(P153)
「あまりに外需に依存することから、過剰設備、過剰生産に陥りやすい。かのカール・マルクスも『資本主義は過剰生産から恐慌に入り破滅に至る』と予言していた」(P153)
「アルゼンチンは19世紀の後半から第1次、第2次世界大戦期にかけて、世界でも有数の経済大国だった。広大で肥沃な土地を利用して、農業や畜産業で貿易収支は黒字となり、その首都ブエノスアイレスは国際都市として賑わった。ところが、農業から工業への構造転換がスムーズにできなかったため、第2次世界大戦後は凋落の坂道をまっしぐらに転げ落ちることになった。時代の要請に合わせて経済構造を変えることは、経済政策としては理解できても、政治としてそれを具体化することは至難の業であり、どの国も成功するとは限らない」(P232)

「黒字亡国」はこれで終わりです。前にも言いましたように、次回は岩波新書の「日本の『構造改革』」(佐和隆光京都大学経済研究所所長)です。構造改革と言っても、この場合は経済構造改革のこと、少し休憩してから始めようと思います。
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「読書会報告、その1」、三国陽夫著「黒字亡国」その③ 文科系

2006年05月20日 11時06分58秒 | Weblog
他方アメリカはと言えば、国を挙げての借金繁栄、いわゆるバブル好景気という状況が続いてきた。
「アメリカの家計、企業、政府、金融機関部門が金融・資本市場から資金を調達している額を名目GDP比でみると、現実に史上最高の水準となっていまもなお記録を更新している。(中略)アメリカの負債の増加は、主として家計の住宅ローンが牽引している」(P61)
「日本が輸出代金の黒字分を国内に円で持ちかえらないことを前提に、アメリカの繁栄は成り立っている。(中略)アメリカでは『赤字による繁栄は日本の円高恐怖症に支えられている』と分析されている」(P63)
「アメリカでは、日本に支払った金がそっくり戻り、本来失うべきベースマネー(中央銀行券とそこの当座預金の合計額を指し、銀行の信用創造の基礎、つまりベースとなる通貨)が回復する。(中略)アメリカでは過剰流動性が発生し、カネがあふれる」(P129)
「この動きは、ヨーロッパ某国の友人の言葉を借りると、日本名義のクレジットカードをアメリカに無制限に使わせているようなものだ、ということになる。夫婦の関係にこれを置き換えてみると分かりやすい。(中略)悪妻と呼ばれても、妻には妻の言い分はある。夫婦間の話し合いは十分になされており、夫が妻にクレジットカードを渡している限り、好きな買い物をするだけ、ということになる」(P126)
さて、こういう事態解決の展望はどう書いてあるか。以下の事実を見ても、もの凄い難問であることは確かなのだ。日米の貿易状況を正しく反映した円高ドル安に戻そうとすれば、日本の円換算ドル資産が激減する。ドルの比率が高い日本の対外資産は04年末434兆円にも上っているというそのドル資産が。形としては米国債などの債券投資、株式投資、融資などなどの目減りである。この点の是正が始まりかけているというような歴史的現時点においては、例えば行く末に関わってこんな心配を語る人がいる。
「日本の黒字以上に、『ドル基軸通貨体制』が維持可能かどうかが心配だ。米国の経常赤字は2005年に8000億ドルを超え、1兆ドルに達しようとしている。どう考えても大きすぎる。最近、米国の有名な投資家が海外株式投資を勧めている。今回のドル安が、歯止めのないドル暴落への転換点になる可能性もある。今のままでは、日本の海外資産は激減しかねない」(高尾義一・朝日ライフアセットマネジメント常務執行役員。5月17日毎日新聞掲載)
アメリカのバブル弾け、激烈な不況、日本大被害が目の前にあるというわけだ。こういう事態を避けるためにということでアメリカとの共存共栄の道もあると、こんなふうに皮肉っぽく語る人もいることをこの著作はまた述べている。
「日本の経済関係者の間で時として、『ここまできたら日本にとっての唯一の選択肢は通貨のドル化である』という自嘲的な会話が交わされる。仮に自国通貨としての円を放棄してドルを採用すれば、為替リスクもなくなり、輸出で稼ぎ出した黒字をそのままドルで持ち続けても、なんら問題は起きない。しかし、通貨のドル化とは、いわば日本がアメリカの一つの州になることにほかならない」(P184)
さて、「米州になるのではない独立国日本を再確立していく」問題解決策は存在するのか。あると見てもそれは可能なのか。

                           (その④に続く)
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「読書会報告、その1」、三国陽夫著「黒字亡国」その② 文科系

2006年05月19日 21時46分10秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
「膨大な貿易収支累積黒字分をドルでアメリカに預けてきた」というこの問題はよく誤解されるように、金持ちの日本が利子の高いアメリカに「自由意思による投資を続けてきた」ということとは全く意味合いが異なる。先回に見た通り円高にならぬように、日銀を大元にした銀行などが輸出企業の在米ドル代金を引き受けて代金を円で立て替えたり、またさらに歴史的に円売りドル買いを重ねるということを繰り返してきたのだが、それでもなお円高圧力がかかり続けるという、そういう状況があり続けたのであった。つまり、「アメリカに置いておかざるを得ない資本」なのである。そしてさて、こういうことの結末を作者はこう表現する。
「金融への負担は1980年代から加速度的に増大し、1990年代半ばから最後の貸し手である日銀の能力の限界を試すような事態になっている。円の切り上げを避け輸出を拡大して黒字を蓄積した結果、厄介な歪みを抱え込んだ。この10年間の歪みは慢性的なデフレとなって日本経済を蝕んできた」(P73)
なお作者は「純債権大国は、物価が上昇しにくい構造である」として、英米の過去を例にとって、以下の3点を指摘している。過剰な設備投資が既に存在すること。長期的な円高傾向から輸入品の価格がどんどん下がってきたこと。資本輸出で流動性の高いベースマネーを失っているので、銀行貸出金を積極的にのばせなくなっていること、この三つである。
こういう純債権大国日本の結末のさらに大詰めはこうである。
「日銀はデフレに対して決して手を拱いて見ていたわけではない。日銀の総資産は1994年3月末の約50兆円から2005年3月末の約150兆円へと3倍に急増しており、名目GDP比で10%から30%に達している。(中略)アメリカのFRBの6%、ヨーロッパ中央銀行の12%に比べてはるかに高い」(P132)
「日銀が紙幣をどんどん刷り、銀行預金が増えているのに、地価も株価も物価も低落が長期化しており、力強い経済成長軌道への復帰はなかった。かって経験したことのない状況である」(P134)
以上を要約してまとめると、こんなことになるのであろう。
輸出企業が儲けた金は総てアメリカにあり、その企業周辺には日銀などが立て替えた金が回っていても、それ以外では設備投資は進まず、雇用は増えず、安い輸入品で国産品は圧迫され、こうして健康な投資が全く進まないので、円が銀行などにじゃぶじゃぶしているだけの、そんなデフレ状況がもう15年も続いてきたということだと。

他方アメリカはと言えば、国を挙げての借金繁栄、いわゆるバブル好景気という状況が続いてきた。

                           (その③に続く)

(皆さんへ。こういう連載の間も別の投稿を入れて下さって一向に構いませんので、よろしく。また、連日連載とは限りません)
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