サッカー雑学や選手エピソードだけとか、エキセントリックさだけ、単なるゲーム報告のようなライターばかりが多い日本である。これらの「専門家」は要するにゲーム分析が出来ない。ゲーム分析が出来るという意味で良い仕事をするライターが評価されて下らないのが淘汰されなければ、日本のサッカーの成長・発展にも良くないこと甚だしいだろう。Jリーグ発足20年、「昔の雑学だけで持ってます」とか「ゲームの逐次報告しかできません」というようなのはどんどん消えていって欲しい。そういう観点で見る時、例えば木崎伸也などは逆にどんどん世に出したいと、僕は望んでいる。
彼が初めて目に入ってきたのは、10年ワールドカップ後9月のパラグァイ戦記事だった。中村憲剛と香川とが当時の日本では珍しいような超長いワンツーで得点して、1対0で勝利したゲームの得点場面に焦点を当てた作品だ。当時世界15位。南アで負けたあのパラグァイ相手。この「歴史に残る」得点のことは、僕もここで何回も語り続けてきたが、その初め10年9月17日の当ブログ・エントリーをこう結ばせていただいた。
【 こうして、結論。これはナンバー最新号記事の冒頭の表現であって、憲剛・香川によるこの得点への評価として、僕も大賛成。木崎伸也の文なのであるが、分析力、表現力も含めて、優れたスポーツ記者だと思う。
『一瞬のプレーに、日本サッカーが目指すべき方向性が凝縮されていた』 】
この末尾の今ではさらに輝かしいと分かる表現の通りに、この時・この得点にこそ、今の香川の世界に輝く立場と、今なお日本の方向性であるものが、既にきちんと予測されていたのである。
さて、この木崎伸也がやはり最新号のナンバーで、味のある記事を書いている。ブラジル戦が何故だめだったのか。イタリア戦はどうして改善できたのか。この2戦の間で何が起こったのか。日本コンフェデ戦全体の焦点とも言えるこの部分を、まさに木崎が描いている。その短い記事の題名は「レシフェの夜にザックと長谷部が語り合ったこと」。木崎がここに目を付けた事自身が、三つの闘いすべてを最も良く分析・理解できているということでもあると、僕は読んだのだった。
ザックのゲーム戦略が何も実行されず、個ばかりに走ったブラジル戦。不安になったザックが、長谷部に会談を申しこんだこと。その内容でもって、選手会議がもたれたこと。その成果があっての、あのイタリア戦なのである。木崎によると、このイタリア戦後に長谷部はこう結んだそうだ。
『今日の試合は間違いなくこれからの日本代表のターニングポイントになる』
これは並の表現ではない。「このゲームから、日本の明日、ブラジル大会像が見えてきた」というようなものだろう。ザックの助けもあってのことだろうが、こういう言葉が使えるキャプテン・長谷部はやはり賢いのだろう。全体を見て、分析できるという意味で。
( 追記として なお、ほぼ上と同様の経過、分析を以下の拙稿でも期せずして描いているので読んでいただければ、また嬉しい。ブラジル戦の「本田独走」を予測・心配した記事が87号。ブラジル戦批評というよりも一部選手批判が88、90号。なお、90号では上のザック・長谷部会談自身にも触れている。
ザックジャパン(87)本日ブラジル戦、本田の改心に期待 2013年06月15日
ザックジャパン(88)”日本の長所が出ていないゲーム!”2013年06月17日
ザックジャパン(90) これがゲーム評というもの 2013年06月21日
なお、90号で紹介しているのが、異国の地でこれらすべてを見抜いた人物のブラジル・イタリア戦評。イビチャ・オシムが語った言葉の数々を紹介した。 )
以下、ここにコメントとして付けた文章を添付もすることにした。大事な内容と思うので。
『 サッカー評で、こんなことを書き続けてきた。
学問の論文などでは、信用ある人の良い論文箇所の「引用」をどんどん行う。ここから取ったと「出典」を明記して。そういう物が入っていない作者だけの文章は、普通は程度の低い物と観られる。その学問の伝統を学んでいない奴ということだろう。さらには、他に引用されることが多い論文は非常に評価の高い論文になる。
ところで、サッカー評では作者の言葉だけの文章のなんと多いことだろう。まるでこう語っているごとくだ。他の評など参考にしない。オレの文章だけでよいのである。これでは、学問の世界ではおそらくこう言われる。「多分、独りよがりという意味で独断の人なんだろう」。
監督の言葉の引用を何故行わないか。長谷部のようなキャプテンとか、オシムとかの言葉や、同僚のライターの過去の名分析をどうして引用しないのか。自分が今問題にしている選手を描いた過去の名分析文などは不可欠の要件のはずだ。これらがない文章は、不勉強丸出しの独りよがりの文と同じで、そんなのばかりでは、サッカー評論の世界に積み重ねも出来ていかないはずだ。』