九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

ペルー戦に見るオシム・ジャパンの到達点  文科系

2007年03月31日 20時06分40秒 | Weblog
 「組織的に走れるサッカー」。オシムのこのスローガンの出所は以下だろう。全選手が上手くて、強くて、大きくて、速ければ何も文句はないが、日本人はどうしても強さ、大きさに欠ける。個人のはしっこさだけに賭けるなら、これを過信しすぎて体力で粉砕されたジーコ・ジャパンのオーストラリア戦に突き当たる。協調的な判断・予測を速めつつ、組織的に走り尽くす。日本民族の得意そうなスタイルをオシムは採っている。
 「敵の球を奪うべく全員協調して走り回る」。ホワードが防御の最前線にもなるということだ。その分オシムは、得点がない場合でもけっしてホワードだけのせいにはしない。奪ったその球を素早く組織的に敵陣に運ぶ。「ボールを持った人、受け手に見える人の他に、第三、四とどんどん前へ走る」、「ディフェンダーが時に攻め上がるリスクを冒すのもよし。そのかわりその跡には誰かがカバーに入る」、「ボール保持者は、球離れを早く」などなどが徹底された。「少しの手抜きも見逃さない」と選手たちは驚いているようだ。
 さて、このチームで異色の常連・骨格アスリートを眺めてみよう。誰よりも先ず浦和レッズの鈴木啓太。守備陣も攻撃をというように「ポリバレント(一人複数役)」が要求されるなかで、守備専門の異色中盤である。彼の守備はどんな局面になっても絶対に裏切るまいと、絶大な信頼が示されている。オシムの言う「チームに水を運ぶ選手」の典型である。次いで、川崎フロンターレの中村憲剛。無名チームの急上昇に乗ってぱっと現れ、そのまま定着してしまった初の選手と言える。自チームでは鈴木啓太と同じ守備的中盤というポジションにいながら、テンポと球離れ良く、流れるように攻撃にも参加していく人物だ。オシム曰く、「サッカーをよく知っている頭の良い選手」だそうである。
 さて、こういうチームが、中村俊輔、高原直泰が入ってみて、どう変わったのか。二対ゼロで勝利しても、オシムの評は辛かったのである。去年十月にゼロ対一で破れたガーナ戦の高評価とは好対照をなす。そう、確かに練習マッチで結果オーライを語るだけでは将来性も何もないではないか。何が悪かったのだろう。
 前半はボールが流れていず、ぎくしゃくしていたとオシムは語った。この関連なのだろうが、中村俊輔への風変わりな講評があった。「彼は百%のスーパーパスばかりを狙っている。そんな事が成功する選手はこの世にはいないはずだ」と。つまり、良いパッサー、走り込み上手がそろっているのだから普通は簡単に繋ぎ、敵を崩すまでラストパスなどは待てという意味ではないか。対してその中村はこう述べている。「とにかく今日はゲームの流れをとめないことを意識した。サッカーをよく知っている選手が多く、とくに中盤の連係はスムーズだった。もっといろいろできたと思うが、オレ個人はまず結果を出さなきゃいけなかったし」。高原もこのチームを高く評価した。「非常に面白いサッカーをやっていて、将来が期待できるチーム」。この高原は後半からはチームの流れに乗っていたようだが、俊輔が中村憲剛に代わってからはボールがさらにスムーズに流れだして良かったと、オシムは暗に述べたのである。
 なお、日頃口うるさい評論家たちも去年十一月のサウジアラビヤ戦辺りからはおしなべてオシム絶賛である。六勝二敗という対外仕合結果も関連していようから、今後負けた時に「結果オーライ批評論」か否かを見てみたいものだ。また、オシムの就任以来、彼の逆質問攻めもあって、マスコミのサッカー眼もどんどん向上しているようである。
  
 以前にも当ブログに書いたことだが、オシムという希有の人物を紹介しておく。

 オシムは初め、数学で大学院、学者を薦められていたサラエボ大学学生兼プロフットボーラー。旧ユーゴ国内一流を経てフランスで活躍後に、監督、人間としての「活躍」が凄い。ストイコビッチなど世界的名選手の宝庫と今でも語り草になっている国代表監督に上り詰めた実績。その実績の頂点を継続中に、旧ユーゴ国家が祖国(当時はユーゴの一地方)サラエボを包囲したことに抗議して、辞任、亡命。なのに祖国の憎み合う各地方やその選手の誰からも愛し、尊敬された人物。以降、隣国のギリシャやオーストリア、そして日本でも優勝経験を重ねた希有の監督。これが大の日本びいきときているのである。東京オリンピック参加時の想い出が好感触だったと語っている。そんな人物をこのせせこましくなった現代日本という土地で身近に見つめ、探求できる機会などめったにあるまい。日本の専門馬鹿たちに、彼の「人間として芯が通った」爪の垢でも煎じ飲んで欲しい。
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昭和区の動きと今後の予定        九条 ひかる

2007年03月31日 10時59分48秒 | Weblog
こんにちは、お久しぶりのお知らせです。
(最近の動き)
① いま、改憲の手続法である「国民投票法」が衆議院で審議されています。
 自民党、公明党は、地方選挙後の4月12日に委員会採決、13日には衆議院本会議で採決する構えでいます。
「昭和区九条の会」は、①慎重に審議すること。②金で憲法が買える問題。③公務員・教員が意見表明できない制限条項。④最低の投票率が定められていないこと。
などの「不公平な内容」を是正することを憲法調査会の全委員にメールで要請しました。
② 昭和区内の地方選挙の候補者に「公開質問書」を届けました。
 残念ながら回答があったのは、共産党の「さとう典生」候補だけでした。
その他の候補者が所属する政党は、「改憲派」ですが、大事な憲法のことですか ら「回答」をしても・・・・と思います。
共産党の「さとう典生」さんの回答は以下の通りでした。
①現行の憲法九条をどう評価されていますか。

(回答)世界平和をつくるための人類の英知での結晶だと思います。また、第二次世界大戦を引き起こした当事者である日本国民の「二度と戦争をしない」という反省の証です。

②自民党の「新憲法草案の九条」についてどう評価されますか。

(回答)「海外での戦争」への道をひらくものであり、絶対に認められません。しかも徴兵制まで可能になるもので危険です。

③ 憲法九条を変え、戦争ができる国になることをどうお考えですか。

(回答)国際協力と言い、アメリカの戦争に協力し、日本の若者を海外の戦場に送ることになるのは明らかであり許せません。

④公の秩序、公益の名で国民主権、基本的人権が制限される事をどうお考えですか。
(回答)現憲法の「公共の福祉」と違い、国家を優先するものであり、戦前のような国家主義の発想であり、とても許せません。憲法が政府・権力者をしばるものという近代立憲主義の考えを否定するもので認められません。

⑤いま審議されている「国民投票法案」についてどうお考えですか。

(回答)①現憲法に対する「クーデター」的な法案であり、絶対許してはなりません。②お金の力でマスコミを使い、国民を洗脳することが可能になる条項は大問題です。③改憲派が圧倒的に有利に世論操作ができるような仕組みは民主主義の否定です。④国民投票の過半数が、改憲派の有利になるようにされている点も認められません。


【今後の予定】
① 八事・興正寺前宣伝・・・4月13日(火)午前10時から11時。
② 西友前宣伝・・・4月28日(土)午後3時から4時。
③「春の海上の森散策」  4月22日(日)午前9時、区役所北側集合
           (会費)500円、(交通)乗用車乗り合わせ
④「昭和区平和美術展」  5月19日から23日(予定)・・詳細は別途ご連絡
            たくさんの作品をお待ちしております。
⑤「二周年のつどい」 8月5日(日)午後1時30分から4時(予定)
           (会場)名古屋市公会堂4階ホール(会費)未定  
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「昭和区九条の会」の動き     九条 ひかる

2007年03月31日 10時07分57秒 | Weblog
「昭和区九条の会」の動きをお知らせします。
① 国民投票法案反対の署名、事務局への郵送、世話人宅への届けなどで10名、
 30筆の署名が集まっています。
② 国民投票法案を自民、公明は選挙後にも強行採決しようとしています。衆院の 特別委員会の委員全員に「慎重審議をすること、不公平な内容を是正すこと」を 求めるメールを打ちました。
③ 名古屋市会議員候補、県会候補に公開質問書を出しましたが、回答があったの は共産党の「さとう典生」さんだけでした。
  自民、公明、民主の候補者は、音なしでした。今回の選挙では自民党本部は  「自主憲法制定を公約」(新憲法草案)していますから、何らかの見解を寄せて 戴けると思っていましたが、残念でした。
  *質問と回答は次の投稿で載せましたので、興味のある方はご覧下さい。
④ 憲法改悪の一里塚である「国民投票法案」を通してはならないと考えていま  す。「正々堂々と改憲を否定すればよい」とおっしゃる方もおられますが、いま 国会で審議されている「国民投票法案」は、改憲派が考えに考えた仕組み(必ず 承認される)が随所にちりばめられています。
  いまの憲法と自民党の「新憲法草案」と比較され、現行憲法がよい(一部不満 はあるにせよ)と思われる方は「国民投票法案」の廃案に力を貸してください。
  ★4月10日(火)午後6時30分から   栄公園(三越北側)
   改憲手続き法反対! 緊急県民集会が開催されます。よろしかったら参加下   さい。
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韓米自由貿易協定  落石

2007年03月30日 09時59分40秒 | Weblog
お隣、韓国とアメリカの間で自由貿易協定の交渉が
大詰めを迎えています。
韓国国内には、反対運動も強まっています。
(日本は農業の、とくに米の問題がいつもネックになっています)
しかし韓国大統領は前向きにようです。

この問題は日本にも影響があるはずですが、
あまり報道されていません。
私もどんな影響があるのか?ワカリマセン。
でも、アメリカとメキシコが自由貿易協定を結んだ結果、
日本の産業界は打撃をうけ、その結果、
日本はメキシコと自由貿易協定を結んでいます。

今回の韓米の交渉が、どんな影響を日本に及ぼすのか?
教えて下さい。

この自由貿易協定、安全保障と深く関わっているとしたら、
最近の6ケ国協議の成り行きとも連動していそうです。
その辺りはどうなんでしょうね?

     
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昭和史研究家・半藤一利氏に聞く②  マガジン9条より

2007年03月29日 20時58分39秒 | Weblog
 「日本国憲法のこぼれ話し」

 前回のお話では、半藤さんご自身の経験からも、いわゆる政府案だった松本蒸治案よりも、GHQの憲法案の方を当時の日本国民は歓迎しただろうということを興味深くお聞きしました。ところで、先日、NHK教育で放送した『焼け跡から生まれた憲法草案』をご覧になりましたか?

半藤  ええ、観ました。

編集部  敗戦直後から、鈴木安蔵や馬場恒吾、森戸辰男ら在野の学者やジャーナリストたち7人が市民案としての憲法草案を作り上げた、という内容でした。

半藤  その話は、私の本(『昭和史 戦後篇』平凡社刊)でも書いたんです。とてもいい案ではあったんですが、あのまま通るとは思えませんね。ただ、あれが、GHQ民政局(実際の日本国憲法草案作りに携わった部局)あたりの人たちに大きな影響を与えたことは確かでしょうね。なにしろ、民政局には憲法学者は一人もいなかったんだから、影響されないわけがない。

編集部  それから、近衛文麿国務大臣の委嘱を受けて、京都大学の佐々木惣一元教授が作ったと言われる草案というのもありましたね。

半藤  これもとてもかなり先進的な草案だったと言われているんです。で、私もこれを一生懸命探したんですけど、残念ながら見つからない。しかし、これが近衛大臣に渡ったことは間違いない。しかも、これを近衛さんは天皇に渡したことも確かですから、天皇もこれを読んでいるはずです。そして天皇が、こういうものができているから参考にしたらどうか、と幣原喜重郎首相に渡し、それを幣原さんは松本烝治国務大臣(憲法問題調査委員会委員長)に渡します。ところが松本さんは、なにしろ帝国憲法でいいじゃないかという人だから、なんだこんなもん、って捨てちゃったんですね。あれが日の目を見ていれば、また別の展開もあったかもしれないけど。この佐々木案は、多分、宮内庁にあるはずなんだけど、宮内庁が出してくるわけもない。だから、佐々木案は「幻の憲法草案」なんです。

編集部  幣原首相は何度もマッカーサーに会っていますね。その場で「戦争放棄」という言葉がポロッと幣原さんの口から出た、というような----。

半藤  そこは難しい。どっちが言い出したのか。幣原説とマッカーサー説の両方ある。でも、幣原さんの口から出たというのも確かです。幣原穏健外交と言われるくらいの国際協調派ですし、昭和2年のパリ不戦条約(ケロッグ・ブリアン協定)のときの全権大使だったわけだから、不戦の意味で言ったと思いますね、僕は。9条の第1項は不戦条約とほぼ同文ですからね。

編集部  それを、憲法に入れようか、と。

半藤  まあ、幣原さんは松本案を提示したくらいだから、明治憲法の全面改訂などは意図してなかった。でも、ポツダム宣言を読めば、明らかに憲法改正をせざるを得ないことは分かるはずなんだけど、当時の日本のリーダーたちはそうは読まずに誤魔化そうとした。でも誤魔化しきれなかった、ということでしょうね。


「憲法は日本とアメリカの『合作』で生まれた。

編集部  このほかにも、いろいろな憲法草案はあったようですね。

半藤  そうです。新聞で発表された共産党案やほかにも二つ三つぐらいありました。そういうのを、GHQは全部入手して読んでいるんですね。


編集部  それでは、日本の民間人たちが作った憲法草案が、GHQの草案にある程度影響を与えていると考えていいんでしょうか。

半藤  いいんじゃないでしょうかね。


編集部  改憲論者のほとんどの人たちが、現憲法はアメリカの押し付け憲法だ、と言いますね。でも、今のお話を伺っていると、ある意味で日本国憲法は日本とアメリカの合作であるとも考えられますね。

半藤  そうです。マッカーサーが「憲法は天皇陛下と私の合作だ」「天皇陛下がいなければこの憲法はありえなかった」というぐらいに合作なんですよ。


編集部  『憲法九条を世界遺産に』(集英社新書)の中で、太田光さんと中沢新一さんがしきりに「戦争はもう絶対にしたくないという日本人の感情と、理想主義に燃えたGHQの若いアメリカ人との奇跡の合作だった」と言っています。

半藤  その通り。まったくそれでいいんです。そしてその上に、戦争の悲惨さや残酷さをよーく分かっているマッカーサーと天皇の合作なんです。天皇は本当に戦争嫌いな人です。天皇には、ひどいことをしてしまった、という想いがあったと思うんです。マッカーサーも軍人ですから戦争になると燃えちゃうんですが、平時にはすごいインテリなんですね。だから、この二人の合作という言い方もできるんです。


編集部  ではやはり、押し付け憲法論はおかしいと。

半藤  そういう言い方をするなら、戦後日本のあらゆるものがアメリカの押し付けですよ。先ほどお話した「5大改革」すべてが押し付けです。じゃあ、それらを全部やめなきゃいけないでしょ、押し付けがダメと言うなら。安倍首相が「戦後レジームの抜本的見直し」なんて言ってるけど、女性の選挙権も労働組合も財閥解体も農地解放も教育改革もみんな元に戻したいんですかね、特高警察の復活なんかも含めて。教育だって、私は今度の教育基本法改正なんか、憲法改正に近い酷さだと思っていますから。


「戦後、日本の基軸は平和憲法だった」

編集部  半藤さんは、きっちりと憲法9条の改定には反対であるとおっしゃっていますが、いつごろからそう思い始めたのでしょうか?

半藤  私はずうっと憲法を大事なものと思ってきましたから、何も変わってないんです。他が変わっちゃったから、アカの先端にいるように言われ始めたようだけど、そんなことはない。「ほんとにお前、文春にいたのか」なんて言われることもありますよ。いたもなにも、私は一応、文春の専務までやってたんですけどねえ(笑)。
 私の歴史観を簡単に説明しましょう。
 明治の日本というのは、富国強兵とかなんとか言ってそれを中心にして国民が意思統一して動くんですが、軸になるのは天皇制です。これは立憲君主制です。そして国家目標が富国強兵だったわけです。それでうまくいってたんですが、日露戦争が終わった後、うぬぼれて調子に乗って、機軸である立憲君主制では面白くない、もっと世界に冠たる天皇制にしよう、というんで国家神道になっちゃった。それで、国家目標は富国強兵なんてもんじゃなく、もっとでかい太平洋・大東亜・八紘一宇---なんてバカなことになって、結局国を滅ぼすような戦争に突入していくんですね。


編集部  そして戦後、日本の機軸が変わったんですね。

半藤  そうです。それが平和憲法なんですよ。それでみんながまとまってやっとここまで来たんです。国家目標は自由と平和。新しい国柄を作ったものとして、ずっと戦後は変わっていないはずだった。今まで60年間、日本が持ち続けてきた国柄は現実としてあるんですよ。だから、日本人はこれをもっと大事にしなけりゃいけない。国際紛争が起きたとき、日本ほど調停に適した国はないんですよ。戦争をずっとやってませんから。歴史的にみても、これほど人畜無害な国もない。人畜無害じゃつまらないって言う連中もいますが、これでいいじゃねえかって、僕なんかは思いますね。


編集部  紛争調停国として世界に信頼される日本。いいですよねえ。

半藤  今の戦争ってのは、きわめて危険極まりない理由で起こっている。テロなんて呼んでるけど、戦争というべきなんですよ。要するにアメリカという大国が勝手な理屈を立てて、アイツは悪いヤツだから叩いてもいいんだ、あの野郎が俺を睨んでるから先に殴っちゃえって。これじゃ世界は滅びますよ。そのときに、この平和憲法を持った日本が、これこそ人類を生かすための最大の理想です、これを目指して頑張ろう、というのはなんら差し支えないと思うんですけどね。でもこれを言うと、そんな夢みたいな理想主義を日本がやったことがあるのか、って批判されます。しかし、やったことがないからこそ、今がチャンスなんです。理想主義をどんどんやっていけばいいんです。


※戦後、新しい日本の機軸となった平和憲法。
しかし今、その機軸を揺るがそうとする動きが強まっているように感じます。
次回、今の日本がどこに向かおうとしているのかについて、伺います。

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インドネシアがシンガポールに砂の輸出を禁止

2007年03月29日 16時07分20秒 | Weblog
シンガポールを核とした東南アジア共同体への道は
なかなか平坦ではなさそうです。
最近、インドネシアがシンガポールへの砂の輸出を禁止。
シンガポールでは建設用の砂が3倍になったそうです。
またシンガポールが買収したタイの通信会社をめぐって
軍事情報の漏洩を危惧するタイから強く牽制が。
またマレーシアはいつでもシンガポールへの水の供給を
ストップさせると警告しているとか・・・

これはシンガポールが経済的な繁栄を独り占めに
しているという隣国の反発があるためのようです。

しかし弱点を強みに変えることこそ外交の真髄。
今後のシンガポールの動向に注目したいものです。

                    落石

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昭和史研究家・半藤一利氏に聞く①  マガジン9条より

2007年03月28日 15時26分04秒 | Weblog
 ・・私の「戦中・終戦直後史」・・・

 編集部  1945年、日本が戦争に負けた年、半藤さんは確か15歳でいらっしゃいましたね。そのときは、どちらにおられたんですか?

半藤  新潟県の長岡市です。生まれは、東京の向島なんですが、疎開していて、そこで長岡中学に入りましてね。で、敗戦のときは中学3年で、勤労動員ですよ。津上製作所という軍需工場でしたね。

編集部  そこで何をお作りになっていたんですか?

半藤  ネジでしたね。あれは、何のネジだったのかなあ。なんか爆弾のネジだときいていたんですが、とても大きなネジでねえ。それを、旋盤で研ぐんです。私は、地元のヤツらと組まされてたんですが、コイツらが長岡中学の悪党3人組でね、僕が疎開だっていうもんだから、みんな私に押し付けやがってね、あはは。連中は何もしないで、僕だけが一日中働いてるの。

編集部  8月15日というのは、とてもいい天気だったと聞いているんですが、長岡もやっぱり。

半藤  そう、いい天気でしたね、本当にいい天気。

編集部  天皇の放送、いわゆる玉音放送ですか、それをお聞きになったときは、どう思われました?

半藤  なんだかよく聞き取れなかったんですが、聞いた瞬間、ああ、負けたんだな、ということはすぐに分かりましたね。終わってから、多分、和田信賢アナウンサーだったと思うんですが、彼が「謹んで読み上げます」と丁寧にもう一度読み上げたんです。そこまで聞かなくても、もう分かってはいましたけどね。
 全部聞き終わってから解散になったんですが、そのワル3人が「もうこれで、俺たちの人生は終わりだ、アメリカが来て俺たちはみんな奴隷にされるんだから」って。それで「南の国へ送られてしまうから、今のうちにいい事しようじゃねえか」と言うから「何すんだ?」ってたら、「タバコ吸おう」って。ははは、かわいいもんです。それで、防空壕に入りましてね、生まれて初めてタバコ吸いましたよ、僕は。

編集部  まじめな中学生だったんですね。

半藤  まあ、まじめなほうだったでしょうね。そのタバコがとても不味かったのは覚えてるなあ。で、それが終わって「次は何だ?」「もちろん女だ」なんて。あははは。そんなにうまくいくかあ。そんな風で、あまり深刻ではありませんでしたね。ただね、ああ、これで終わりなのかと、なんかバカバカしいなとは思いました。

編集部  バカバカしい?

半藤  そう、あれは一体なんだったのか、という感じですね。私は向島で東京大空襲を受けてます。もう周りすべてが火の海。悲惨でしたね。でもね、それより最初の疎開先の茨城県下妻というところで受けた銃撃が怖かったですねえ。下妻中学に入っててやっぱり勤労動員で、日立製作所の学校工場でネジ作ってました。このころはもう、やたらと敵の飛行機、P51ですが、こいつが上空を飛びまわってるんです。しかし、戦争というのはヘンなもんですよ。そんな中でもノンビリと魚釣りなんかに行ってるんです。近所のおじさんと二人で、小貝川の土手を釣竿かついで歩いてたら、そのP51が2機、まっすぐこっちへ向かってきて、ダダダダッッと撃ってきた。思わず腰を抜かしましたね、こっちはまだ中学生だし。この間『硫黄島からの手紙』って映画観たんですが、まさにあの通りですよ。真正面から狙って撃ってくる。


編集部  そんな田舎町の中学生まで狙われるような状況----。

半藤  もうこれはいけねえや、と思いましたね。でね、ここで僕が助かったのはほんの偶然。世の中に絶対なんてもんはないんだ。だから、俺はこれからは「絶対」なんて言葉は使わねえぞ、と思いました。「日本は絶対勝つ」とか「絶対日本は正しい」、「俺の家は絶対に焼けない」なんて事はありえない。それが、このころ私が抱いた一番の感想だったんじゃないかなあ。だから今でも、右でも左でも「ナントカは絶対正しい」とか言うのを聞くと、ふん、と鼻で笑いたくなるんですね、私は。


編集部  日本が負けたということが分かって虚脱状態に陥るとか、それまで軍国少年だったのがコロッと変わってしまった、などという話をよく聞きますが、半藤さんの場合はいかがだったんですか?

半藤  まあ私は、勤労動員行ってたときも、2年上の女学生と工場の裏でラブシーンやってたりしてたからなあ。それを先輩に見つかって、物凄い勢いで何度もぶん殴られたり。軍国少年じゃなかったでしょうね。どちらかというと、非国民扱いされてましたから。だから、ショックで茫然自失なんてことはなかった。私はさっきも話したように東京で大空襲も体験してますし、たくさんの人たちが目の前で焼け死んでいくのを、この目で見てるんですよ。それを僕らは助けられない。軍だって国民を助けるなんてことはしない。むしろ、軍がなんでもない無辜の民を殺す、そういうのを身に沁みて感じていたから、厭戦---じゃなかったけど、でも、反軍的な気持ちは確かにありましたね。


編集部  では、戦争が終わってホッとしたというか、喜んだというか。

半藤  あんまりそうは感じなかった。ただ、ああこれで俺の人生は終わりなんだ、という風に。15歳だから、兵学校へ行くとか士官学校へ進むとか言う連中もいたけど、僕は兵隊なんかに行くつもりはまるでなかったし。まあ、徴兵されれば仕方ないかという諦めはありましたけど。なんだかすべてチャラという感じで、妙に何もかもたいしたことはないんだ、もう終わりなんだから、そんな風に思っていたんじゃないかなあ。


編集部  虚脱感みたいなものなんでしょうか?

半藤  そう言えるかもしれないね。まあ、どうせ南の島かカリフォルニアあたりに送られて、アメリカの奴隷になるんだろうな、なんて考えてましたから。それを、家に帰って親父に言ったら「バカモン、何考えてんだ、お前は。日本の男どもをみんな船で連れてくのにどれだけ金がかかると思ってんだ、そんなことアメリカがやるはずねえじゃねえか、バカ」ってね。まあ、私はそんな程度の中学生だったわけですよ。

・・・「マッカーサーと共にやってきた五大改革」・・・

編集部  敗戦間もない昭和20(1945)年8月30日、マッカーサー元帥が厚木飛行場に降り立ちます。「そんな中学生」だった半藤少年は、マッカーサーをどう思っていたんでしょう。

半藤  いやあ、なにしろカッコいいと思いましたね。丸腰にサングラス、コーンパイプをくわえて悠々とタラップから降りてくる写真が新聞にドーンと載ったわけですから。軍人らしい軍人だなあ、と。


編集部  そのマッカーサーが、矢継ぎ早に布告を出しましたね。

半藤  そうですね。まず、9月11日に連合国軍総司令部(GHQ=General Headquarters)から、主要戦犯容疑者39人の逮捕指令が出されました。22日には軍国主義的・超国家主義的教育の禁止、これによっていわゆる教科書の「墨塗り」が始まります。続いて29日には検閲制度の廃止、そして10月11日には「5大改革」というのが発表されます。


編集部  その5大改革の中身とは、どんなものだったのでしょう?

半藤  それはね、【1】婦人解放 【2】労働者の団結権(労働組合の結成奨励) 【3】教育の民主化 【4】秘密審問司法制度撤廃(つまり、特高=特別高等警察などという公安秘密警察制度の廃止) 【5】経済機構の民主化(財閥解体)などといったものですね。


編集部  そういう改革の流れの一環として「憲法」があったと理解していいんでしょうか。

半藤  よろしいんじゃないでしょうか。だけど、その5大改革の前に「皇室問題」があるんですね。まあ、皇室というより天皇個人をどうするのかというのが、当時の日本でもアメリカでも最大の難問だったわけです。この難問に対してどう答えを出すか、というものとして新憲法の問題があったと考えたほうがいいと思いますね、私は。


編集部  つまり、天皇の地位をどう新憲法に規定するか、ということですね。それが「象徴」ということで落ち着いて、昭和22(1947)年に日本国憲法が発布されます。それを、当時17歳の半藤さんはどのように受け止められたのでしょう?

・・・「終戦直後、ほとんどの国民はGHQ案を支持していた。・・・

半藤  率直に言って、憲法の前文、九条を読んだときには、本当にこれで日本は良い国になると思いましたね。戦争をもうやらない国なんだ、ということは、新しい日本の生き方だと心底思いました。


編集部  周りの友だちの反応はどうだったですか?

半藤  どうだったんでしょうね。今になると、はっきり分かれますよね。「あれは良いものだ」という者と「あんなモンだめだ」という者と。戦争体験なんて簡単に言いますけど、同じ戦争の中にいたって、場所によって違います。感じてない人はまったく感じてない。まったく無自覚な人間もいるわけだから。


編集部  戦争の中にいても感じない?

半藤  そう。私なんか子どもだったけど、戦争体験、いやっていうほど持ってますよ。そういう戦争体験をたくさん持っている人は、たいてい今でも「日本国憲法は良い憲法だ」と言います。ところが、安穏と暮らして戦争について何も考えなかった人たちは違うんだな。それからね、軍隊に行ったからって戦争体験じゃないんですよ。


編集部  軍隊と戦争体験は違う、と?

半藤  そう。僕に言わせれば、ある種の軍隊は一番安全なんだ。メシはちゃんと食えるし防空壕は完備してるし、武器だって持ってる。都会で空襲に晒されていた一般市民よりよっぽど安全なんだ。例えば占領後のシンガポールなんかでノンビリしてた将校や下士官なんて、戦争体験なんかまるでしてないでしょ。とにかく、場所によるってことだけど。


編集部  場所や部署や地位によっては、軍隊は楽なところだったんですね。

半藤  過酷な体験なんか一つもしないで、軍隊暮らしを満喫したようなヤツに限ってバカなことを言うんだ。「憲法改正」だとか「アメリカから貰った憲法だ」とか言うヤツをよく見ると、不思議はないんだね。恐ろしさも悲惨さも感じてないんだから。私なんか、子どものころは物凄くいい憲法だと思っていましたからね。そういうのを読んだり聞いたりすると、すごく腹が立つんですよ。


編集部  そういう話を、お友だちとはしなかったんですか?

半藤  中学生のとき? うん、あまり喋った記憶がない。でもね、長岡だって空襲で随分やられてて、同級生で一家全滅で自分だけ生き残ったとか、そういうのたくさんいましたから、話はあまりしなかったと思うけど、私も周りの人も含めて、新しい憲法に対して不快感を持った人なんていなかったんじゃないかなあ。


編集部  一般国民は圧倒的に新憲法を歓迎していた、と。

半藤  そう思うなあ。日本政府はGHQにせかされて「松本烝治案」という憲法案を提出します。これがとんでもない代物で、明治憲法とほとんど変わっていない。この草案をウチの親父が新聞で読んで「何だこりゃ、前の憲法と何も変わってねえじゃねえか」と怒ってましたね。「万世一系の天皇をいただく我が大日本帝国は不敗の国」なんてのを、このときの政府の連中はまだ後生大事に持ち続けていたんですね。もしもこのとき、業を煮やしたマッカーサーが「松本案」と「GHQ案」を両方国民に示してどちらを選ぶかを問うたら、国民は圧倒的にGHQ案を支持したと思いますね。そういう平和への想いが満ちてましたから。

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選挙は結果が全て。戦略的に考え投票しよう。

2007年03月28日 02時54分13秒 | Weblog
 「どちらが勝てるかを基準に、直前の世論調査をにらんで。」

3月22日に告示、4月8日が投票日の東京都知事選をめぐって、さまざまな声が私のところにも届いています。反石原慎太郎でどうにか一致団結して選挙戦を戦えないかと、私も考えました。
 実際に札幌市長選挙では、事実上、民主党系の現職、上田文雄氏を共産党が独自候補を立てないことで応援をすることになりました。実に44年ぶりに候補者擁立を見送ったという経緯があります。札幌でできたんだから、他のところでもできるだろうと思うところはあります。
 ただいつも共産党に対して、独自の候補者を立てるな、協力してもらいたい、ということを言うつもりはありません。例えば東京都について言えば、石原都政に対して、議会では全面的に対決姿勢でのぞみ、知事の交際費の使い方など明るみに出して問題化させてきたのは共産党だった。そのことについてはやはりきちんと敬意を払わないといけないし、早くから候補者を出して準備をされてきた共産党推薦の候補者に、のっけから降りて欲しい、というのでは、話にもならないと思います。

 しかしあまりにも石原都政がひどいので、あと4年間これが続くと、日本の政治はどうなってしまうのか、という危機感がとても強くあるものだから、できるかぎり反石原の候補者を一本化してどうにか勝てる選挙戦をしていかないと・・・と私も言ってきました。まず、基本は石原知事を辞めさせる、という大原則をみんなで確認をすることです。なぜ石原知事がだめか、というところでは、人権無視、側近政治、都政の私物化など、これぐらいの問題認識は共有できるのではないでしょうか。石原氏を知事の椅子から降りさせた後、どういう都政をつくるか? については細かいことを言い出すと、分裂するので、ざっくりとした共通認識を持っていればいい。例えばきちんと情報公開をするとか、公私混同をやめる、学校現場の人権無視を止めるなど、政権構想は4つか5つでいい。そこを確認してより勝てそうな人に、候補者を1本化していくというのが、勝つための方法論だったと思います。
 が、今となっては、反石原陣営では、浅野史郎氏と吉田万三氏の分裂選挙になることはもう仕方がない。仕方がないとしたら、戦い方においてある種の紳士協定みたいなものを作り結ぶことが必要でしょう。
 主敵は石原氏なのです。そこを攻撃することに100%の労力を費やさなくてはならないのに、ここで内輪もめのようなものことをしていてはだめです。お互いの支援者が、罵詈雑言を言い合うようなことをやればやるほど、石原氏に有利になるだけです。
 これからは、石原氏を倒すためには、どうすればいいのか、そのことを個々の有権者がぎりぎりまで考えることです。
 もっと具体的に言えば、投票日の1週間前か、4,5日前に新聞に発表される世論調査を見て、その時点で一番石原を倒すことができる可能性の高い人に票を集める。そういうキャンペーンをやったらどうでしょうか。浅野氏か吉田氏、どちらかを応援するのではなく、直前の世論調査の結果を見て、反石原一番手に票をかためる運動、これしかないです。

 その候補者がどういう人で、どういう思想信条を持っているのかよくわからないのに、反石原というだけで、その人に投票していいんですか? ということを言う人も必ずいますが、それでいいんです。選挙というのは、「よりまし論」でいいんです。なぜなら、定数一を取らなくてはいけない首長型の選挙については、勝たないと意味がない。結果が全てなんです。得票総数では反自公を上回っていたなんてことを言っても、そんなものは自己満足でしかない。
 そこをみんなわかっていなくて、選挙運動も一生懸命やればいいみたいな、変なアマチュアリズムがある。それじゃだめなんです。「清く正しく」みたいなものは、選挙に負けたら何も意味を持たないんです。
 選挙権は、我々の持っている最大の武器です。逆に言うと選挙で結果を出さないと、いくら市民運動を一生懸命やっても、抵抗運動をやっても、今の政治は続くのです。今、市民のリアリズムが、ほんとうに必要です。


「都民のみなさん。戦略的投票行動を。」

 民主政治は政党なしには、動きません。やはり職業的に政治という仕事に従事する人間がいないと民主政治は運営していけませんし、主義主張を同じくする人たちがグループを作っていく政党のない民主政治はありえない。日本の場合、自民も民主もあまりにもひどい体たらくだから、無党派が脚光を浴びているが、私は無党派というのは、あくまで過渡的なものだと考えています。無党派層が既成政党に対して批判をすることで、政党が一歩でも二歩でも脱皮するのが本来の姿です。無党派が権力を担うことはできないのです。

 私はみんなから民主党に甘いと言われますが、今の安倍政権を変えるには、現実的には民主党が権力を取るしかないのです。民主党員にはいろいろな人がいて、私が見る限り、「右・左・まんなか」それぞれ三分の一ずついます。今は、安倍政権との対抗上、かなり左に寄ってきてバランス良くなっているし、割合と正しい路線を示していると思います。だから市民派、護憲派には、ここでだだをこねたら、それ以上どういう選択肢があるの? と私は問いたい。

 民主党、自民党が大連立を組むことは、ありえません。ただ、例えば、参院選で自公過半数割れしたら、政党再編はありうることです。自民党はどうしても過半数を取るために、同じような考えをする民主党議員に手を突っ込んでくるでしょう。それはそれでいい。自民党の中からも、飛び出してくる議員がいると思います。こんな右よりの自民党はもう耐えられないと言って。その時は「憲法改正を軸とした政党再編」はありうると思う。そうなったらちゃんと、総選挙で国民に問えばいいんだと思う。
 そうした時に、自分たちこそが「一番正しい護憲派だ」「あれはインチキな護憲だ」などという議論を絶対にしちゃいけない。それはあまりにもリアリズムの欠如です。いろんな護憲があっていいんです。守るべき最後の一線だけは共有しておけば。「憲法9条は変えない。」「集団的自衛権は認めない。」「自衛隊は海外で武力行使はしない。」それだけで十分でしょう。

 日本の市民派はどこか子どもっぽいところがあります。理想主義を掲げるのはいいですが、場面によって日本人はもう少しおとなにならなければと思います。イギリスには「タクティカル ボーティング (戦術的投票)」という言葉が、一般の市民の間に普通にありますが、日本でもそれをやらないとだめですよ。
 直近の都知事選挙、これからやってくる参議院選挙、衆議院選挙、それから場合によっては、憲法改正の是非を問う国民投票などは、大人になり“人民戦線”で立ち向かわないと、ほんとうにもう戦後民主主義はくずれてしまう。私は危機感をつのらせています。


選挙は私たちが持つ最大の武器。だからこそ一票を無駄にすることなく、
「戦略的投票」を選択したいと思います。山口先生、ありがとうございました。




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分裂状態は憂慮するが。       一方の風

2007年03月27日 15時03分23秒 | Weblog
 これまでも共産党はオール与党に与せず行政の問題を炙り出してきました。共産党都議団の働きも慎太郎都政を追い詰める1つのきっかけとなったのではないかと思っております。宮城も以前は新進・公明→民主・社民→自社公民とオール与党への歩みを進めてきたわけですから、その追及を免れるのは難しいでしょう。

 それを今更政策協定も無しに「御前等は落選するから引っ込んで自分を支援しろ」と言ったところで共産党側が憤慨するのも当然と言えましょう。

 1つ気になるのは、「共産党も『現実的』になって民主党に歩み寄れば支持者が増える」と吹聴されていること。しかし共産党が2000年の右傾化により支持者を減らしたというのは、他の方もブログで指摘するところです。にもかかわらず今更「右傾化すれば支持者が増える」というのは詭弁にしか聞こえません。『現実』主義を支持するのであれば既に多くの政党がありますし、むしろ『現実』主義化により旧来の支持者を失い、それこそ崩壊の一途を辿るだけでは。

 なお、運営委員の一人が「比例区は社民に集中」と発言されましたが、これは「風」の公式見解と見て宜しいんでしょうか。そうなると、「選挙区は民主、比例は社民」と、1980年の社公合意以来続いてきた社公民路線と何ら変わりが無いような気が致します。となると、最早「平和への結集をめざす市民の風」というより、「民主・社民への結集をめざす保守2大政党制論者の風」に変質したとも言えるのでは。「政策とは無関係に、とにかく政権交代さえすれば政治はよくなる」という類の意見に与することは出来ません。細川・羽田連立政権で現在の分裂・対立の原因ともなっている小選挙区制が成立し、「よりまし」「民主リベラル」とも言われた村山・橋本連立政権で消費税増税などが成立しているのですから。さらに、民主党が更なる右傾化を遂げたとき、「よりましで自民党を支援する」といった行動を取ることも出来ません。

 分裂状態は自分も非常にもどかしく思っております(故に全野党共闘が出来た沖縄の取り組みは非常に大切だと思っております)。だからこそ、政策最優先の冷静な議論と粘り強い取り組みが必要だと考えます。93~98年の連立政権の悲劇を繰り返さないためにも。


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現場の希望の灯を消すな。     風

2007年03月27日 01時26分33秒 | Weblog
みなさん、ここで、浅野さんを推さなくて石原三選になるなら、 将来ともに禍根をのこしますね、必ず!!!
日本の未来を暗く塗りこめることになるでしょう。

 ほんとうに、何故!何故!何故! 分からないのかしら?

今朝、友人から彼女の東京の知人の紹介してもらいました。その手紙の中にこんなことが書いてありました。

 彼女は劇団をしながら、西宮で小学校の先生を続けていますが、 先日の卒式、君が代で立たなかったのは彼女一人だけだったそうです。一年前は、まだ、父兄の中にも立たない人が多かったのに、「 頼れる党」の先生は、立ったそうです。いつも逃げてずるいと言ってました。

 そして、春休み、6年生が担任になるのをみんないやがって、 彼女にお願いお願いとたのまれるので、頼まれたらいいわよ、と言ってて、やはり、引き受け手がなくて、「お願いします」と言われたそうです。
そこで彼女は、「また君が代で座りますよ」と言ったら、 「だったら、いいです」 とさっとあきらめたそうです。
 でも、いやがっている弱い同僚のところに話がいくとしたら、 申し訳ない、結局弱い者がいじめられるのよね、と言ってました。
そして、彼女の教育の現場では、どんどん“うつ病”の先生がふえているそうです。
それに、管理職に55才すぎたら、すっとなれるから登用試験の申請してくださいと言われたけどしなかったって。
 このごろ、校長先生や管理職のなりてが少ないそうで困ってるみたいね。 窒息状態の現場は、管理管理でみんな気力が失せてきているそうです。

だから、石原じゃなくって、浅野さんじゃなければ、日本は 生き返らないって!



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東京は燃えているか? 都知事選の情勢。   ネット虫

2007年03月26日 10時42分22秒 | Weblog
 立川駅で第一声を終えた石原は、午後には有楽町で街頭演説をする。神奈川の松沢成文知事、埼玉の上田清司知事も応援にかけつけ、青少年問題などで結束する「首都圏連合」の実績をアピールする。

 ・・ズバリ、現在の戦況分析はこうだ。・・

「自民党本部が毎週、世論調査を重ねていて、その動きが注目されています。3月の頭は石原が約40ポイント、浅野は約30ポイント。中旬の調査では石原は変わらず、浅野は30を若干切った。ちなみに共産の吉田万三(59)は7弱、黒川紀章(72)は3弱。浅野の下落は誤差の範囲内ですが、この間、浅野はテレビに出ずっぱりで、一気に石原への肉薄を狙ったが、伸ばせなかった。浅野は経験豊富だが、新鮮さにはやや欠ける。これからです」(浅野陣営の関係者)

 他の調査ではテレビ局と新聞社のデータがある。テレビは石原45弱、浅野30強、吉田が7で黒川が3。新聞社の数字は石原30強、浅野25、吉田5弱、黒川3弱。これらの調査で共通しているのは石原と浅野の差が10ポイント程度だということだ。石原陣営の関係者はこう言っている。

「同じ10ポイント差でも30VS.20なら安心できるが、40VS.30だとあっという間にひっくり返されてしまう。向こうは射程に入ったと見ていると思う。大接戦だ」

 どの調査でも「まだ決めてない」という無党派層が3割くらいいる。こうした層は「変化」を求めるので浅野が受け皿になれば逆転できる。石原が10ポイント差に泡を食っているのはこういう事情だ。

「学会員の桜金造(50)が出馬したのは、石原のタカ派路線を嫌う学会員の票が浅野に流れないための“受け皿”という見方がある。だとしたら、石原陣営の仕掛け。焦りの表れとみていいと思う」(東京都選出の国会議員)

 選挙結果は告示後の勢いの伸びで決まる。石原には年齢から来る体力負けの心配もある。

【2007年3月22日掲載】

※まだ無党派層が30パーセントある。あと10日だ10ポイント追い詰めよう。

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やったね安藤が金!浅田は銀!  落石

2007年03月26日 10時05分33秒 | Weblog
素晴らしい演技でした。
名古屋の関係者も大喜び。
中日新聞も大喜び。

「やったね沸く愛知・王国が世界リード」の見出し。

でも、ちょっとハシャギ過ぎちがウン?
本文のどこにも「王国」なんてないよ。

スポーツになると、ちょっとハシャイデモいいけど・・・

本当の王国なら2人ともアメリカなんぞに行かないでしょ?

ついでに一言。
オープン戦の松井選手などの一球一打を
全国ネットで放送するのやめてくれない?
もう少し客観的に。
女子フィギイアの結果なんて日本人2人の顔だけで、
3位が誰ともいわないテレビの全国ニュースってあり?



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盛り上がりを欠く都知事選?  落石

2007年03月25日 11時04分08秒 | Weblog
サンデー・モーニングによれば都知事選は
今ひとつ盛り上がりに欠けているという。
東京に住む息子に聞いても
「誰がなっても変わらないじゃん」とのこと。
関心は全然ないみたい。

本来、選挙はお祭的な要素が強い。
今は禁止されたが、選挙事務所の裏では
炊き出しが行われていた昔のほうが活気があったみたい。

あれはダメ、これはダメという禁止ばかりの
選挙法は、いいかげんに変えたほうが良い。

買収あり、戸別訪問あり、今の日本なら、もう大丈夫。

選挙を楽しくしたいなあ。
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城山三郎の持論。         まもる

2007年03月24日 23時43分39秒 | Weblog
 経済小説で有名な城山氏の原点は氏が搭乗するはずだった「人間機雷・伏龍」の特攻隊員としての体験である。「伏龍隊」は海底に潜んだ少年兵が竹ざおに装着した爆雷を敵の舟艇に突き上げて自爆する本土決戦用の特攻部隊である。
 城山さんはその後、自分の体験を作品にした。その「一歩の距離」という作品で、「志願する物は一歩前へ」と特攻兵器への搭乗を迫る司令に対して、死と生を隔てる一歩を踏み出すかどうか葛藤する少年兵たちの絶望的な心中を書いている。

 また、城山氏はその後 「指揮官たちの特攻」を書く際に、特攻隊員が最後の一夜を過ごした部屋を見たときの様子を、「柱や鴨居が刀傷だらけ。出撃の悲しみと鬱憤を晴らそうと、狂ったように刀を振り回したのでしょうね。<特攻を考え、命じた奴は、修羅だ>という怨念の声が聞こえるような気がしました。」と瀬口氏に語ったという。
 予科練生たちの乗る飛行機がなくなり、余剰人員の有効活用として発想された「人間機雷」。城山氏は、こうした特攻を命じた側に常に厳しかった。
「日本が戦争で得られたのは憲法だけだ」。それが城山さんの持論だ。と瀬口氏は結んでいる。
 氏のご冥福をお祈りすると共に、戦争体験者としての城山氏に長生きしてもらい、「憲法の意義」についてもっと語って欲しかったと思う。


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イラク攻撃から四年。      天木ブログより

2007年03月23日 02時00分24秒 | Weblog
米国のイラク攻撃の誤りをここであげつらう気はない。4年たった今も、日々悪化するイラク情勢を前に政権末のブッシュ大統領が苦悶している姿を思い起こすだけで十分だ。ラムズフェルド前国防長官の後を受けて責任者となったゲーツ国防長官の姿がメディアにまったく登場しなくなった。そう思っていたら、18日CBSのインタビューで次のように語っていた。「我々がやっていることは基本的に(イラク政府が自立するための)時間稼ぎ。これが戦略目的のすべてある」(3月20日読売新聞)。これがすべてを物語っている。

 イラク攻撃の誤りを指摘した自らの正しさを宣伝つもりはない。少しでも中東情勢を知っていた者であれば、誰しもがあの時の米国のイラク攻撃に気づいていたはずだ。

 そのイラク攻撃を「正しい」と公言して支持した小泉前首相は勿論のこと、それに追従した官僚、財界人、御用学者、有識者、そしてメディアは、潔く自らの誤りを認めるべきである。

 なぜ米国は誤ったのか。米国のイラク攻撃の真相にもっとも肉薄した内部告発本が昨年10月米国で発売され100万部のベストセラーとなった。ワシントン・ポスト紙の記者ボブ・ウッドワードの手によるSTATE OF DENIALがそれだ。その翻訳が日本経済新聞出版社から「ブッシュのホワイトハウス」という題名で日本でも発売された。上下二巻、七百数十頁に及ぶウッドワードの「ブッシュのホワイトハウス」を私は週末を使って通読した。そしてあらためてブッシュ大統領とその政権の罪の深さを思い知った。あくなき権力欲。真実を見ない、聞かない、傲慢さ。異論を申し立てる者を遠ざけ、排除する狭量さ。平然と嘘をつくあつかましさ。権力内部のあくなき競争と面従腹背。そしてなによりもゴルフシャツ姿で市民を空爆する非人間的米国指導者の姿が、そこにはあった。

 そのようなブッシュ政権と運命を共にした小泉前首相の五年半はまた、小泉政権そのものがあたかもブッシュ政権と相似形の姿を見せて、日本を欺き、破壊した五年半であったと思う。しかもその米国が変わりつつある今、日本は変われないままに、ブッシュの米国にさえ取り残されようとしているのだ。

 この期に及んでも、「あの時は大量破壊兵器が存在する疑いが確かにあった」、とか「米国を支持した事は当時の判断では正しかった」などと強弁する者がいる。彼らこそ、渾身の力を振り絞って書かれたボブ・ウッドワードの「ブッシュのホワイトハウス」を読むべきである。当時のブッシュ政権のおそるべき稚拙な戦争決定過程を知って慄然とするであろう。そしてまともな判断力のある者ならば、何も知らずに米国を支持したおのれの軽薄さを認めざるを得なくなるであろう。

 「ブッシュのホワイトハウス」の中でどうしてもここで一言触れておきたい箇所がある。それは占領の直後にイラクの治安回復と復興を任された退役陸軍中将ジェイ・ガーナーに関する記述の部分である。ガーナーは破壊した後のイラクについて何の計画も持たないブッシュ政権の手でイラクへ派遣され、混乱のままわずか一ヶ月で更迭された人物だ。何から手を着けていいかわからない混乱の中で、ガーナーを支え、共に苦労をした末に非業の死を遂げた奥参事官(当時)と井上書記官(当時)もまた日本政府からイラクへ放り込まれた。「いったい何のために自分はバクダッドに派遣されたのか。何をしたらいいのか誰もわからない混乱状況だ。自分でなすべき仕事を見つけるしかない」そう報告していた奥参事官の悲鳴を、駐レバノン大使であった私は聞いていた。彼はまたガーナー中将の突然の更迭に憤慨していた。「米国はいったい何を考えているのか」と。それから半月後、奥参事官たちは非業の死を遂げる。その真相はいまだに明らかにされていないが、あらゆる状況証拠から、私は混乱した米軍による誤射の犠牲だと思っている。その真実がどうであれ、はっきりしていることは奥、井上という前途洋洋たる二人の外交官は、米国のイラク占領の実態を把握することなく、ただひたすらに対米協力の姿勢を内外にアピールしようとした当時の外務省幹部の犠牲者だったということである。彼らの無念さを思うと悔しくてならない。

 ボブ・ウッドワードは、3月24日号の週刊現代のインタビューの中で、次のように語っている。


「日本はブッシュから真実を知らされないままイラクに行った」
これこそ今の日本外交の本質をついている言葉だ。

ブッシュ大統領は国民に対して真実を語らなかったことが最大の問題なのだ」
これこそ小泉前首相が謙虚に耳を傾けなければならない言葉なのである。

 イラク問題の総括は日本ではまったくなされないまま、時と共にうやむやのまま忘れ去られようとしている。それを許してしまうにはあまりにも大きな歴史的間違いである。


              
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