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安倍政権と世界の報道 へそ曲がり

2006年09月29日 17時32分23秒 | Weblog
 まず始めに、10月2日からおよそ1カ月入院することになりました。「ブログ」ともしばらくお別れになりますが、出来るだけ早く戻って来たいと思っています。よろしく。

 さて、安倍政権発足について、世界はどんな反応をしているかを知りたいと思い、大手紙を調べたもののほとんど掲載されていません。わずか「しんぶん赤旗」だけとはなんとも情けない話かと思います。
 昨日と今日、掲載されていたので、まずは昨日の分から転載します。


1 イギリス【ロンドン=時事】  「哀悼表現 他にもある」

 27日付の英紙タイムズは社説で、安倍内閣発足を受け『過去倭ごまかさず、毎年の靖国神社参拝で中国を愚弄(ぐろう)せずに」戦争の犠牲者へ哀悼の意を示す方法はあるとして、安倍晋三首相は東アジア諸国との関係を悪化させない方法を見つけなければならないと強調しました。
 社説は、「過去の(歴史)問題に正直にきめ細かく対応することで日本の潜在能力を引き出す歴史的チャンスがある」とも論じました。

2 ドイツ【ベルリン=中村美弥子】  「愛国主義教育への懸念」

 26日に発足した安倍内閣について独メディアは、平和憲法が開廷され、愛国主義教育が強化されることになりそうだと報じています。
 ウェルト紙27日付は安倍氏について、『日本の軍国主義の過去に無批判である。日本の戦争犯罪に対する謝罪を認めないだけでなく、東京裁判の正当性さえ疑問視している」と紹介。戦犯をまつる靖国神社に何度も参拝し、北朝鮮に対する強固な態度で政治のスターになった安倍氏のもとで、愛国主義教育が強化される恐れがあると懸念を表明しています。
 公共ARDテレビは26日のニュースで、「安倍氏は平和憲法を変えようとしている。今後、自信に満ちた役者として日本倭安全保障の舞台に登場させることを狙っている」と報じました。

3 韓国   「“強い日本”に対する執着 」

 26日発足した安倍新政権について韓国メディアは、「強行保守人士、全面布陣(京郷新聞26日付)などと警戒感を強めています。
 朝鮮日報(電子版27日付)は論説委員名のコラムで「昨日発足した安倍内閣は保守的な色彩が強い顔触れとなった」と指摘。「慰安婦」問題などで暴言を繰り返してきた麻生外相の留任や、歴史教科書を「自虐史観」と攻撃してきた中川昭一氏の政調会長起用に言及し、「今後も韓日関係は順風満帆というわけにはいかなそうだ」と述べました。
 小泉政権によって行き詰った日韓関係の改善につながるとの期待もある一方で、韓国日報社説(27日付)は「今まで彼(安倍氏)が見せた姿は期待より憂慮を起こさせる」と述べました。
 同紙は、「最も大きな憂慮は彼自身の歴史認識と“強い日本”に対する執着だ」と指摘。安倍氏の憲法改定や1995年の村山談話に対する発言に触れ、「このような歴史観をそのまま押し通せば、韓中両国との溝が深まるばかりか、米国との対立にぶつかる」と警告しました。

4 中国【北京=菊池敏也】    「カギは実際の行動だ」

 中国の新華社通信は26日、安倍晋新内閣の発足について「新首相は内政、外交の試練に直面」と題する論評を伝え、安倍氏が首相就任後に直面する三大試練として①アジアの隣国との関係改善②国内の社会格差の縮小③財政再建 ― を挙げました。
 論評は、安倍氏が中韓両国訪問に意欲を意欲を示していることを紹介し、「最大のカギとなるのは実際の行動だ」として、靖国参拝問題での安倍氏の出方を見守る姿勢を示しました。
 また、「安倍氏は歴史認識と靖国神社参拝問題で『あいまい』戦略をとり、村山談話の軽症、侵略戦争の歴史的評価と戦争責任の認定で言葉を濁している」と指摘しました。

5 レバノン【ベイルート=松本眞志】   「 日本の“新保守主義者”」
  
 アラブ首長国連邦のアルハリージ紙20日付は、レバノン大学教授のマスード・ダヘル氏による安倍晋三氏に関する論評を掲載しました。「 日本の権力の座にある『新保守主義者』」と題する論評で同氏は、安倍氏の政治姿勢とその特徴について、次のように紹介しています。
 ①アジアにおける日本のイメージと利益を損ねるとの反対があるにもかかわらず米国とあらゆる分野での関係を促進する点で小泉首相の後継者だ②中国や韓国などアジア諸国が反対している小泉前首相の靖国神社参拝を手本にしている③現在を、日本がアジアで政治、経済、軍事、文化のあらゆる分野で主導権を復活させる歴史的好機とみている④戦力の保持と海外での軍事行動への参加を禁じた日本国憲法第9条を変える試みを進めている。  
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「我々はなぜ金太郎飴だったのか」その4  文科系

2006年09月29日 00時13分10秒 | 国内政治・経済・社会問題
1 土台が上部構造を規定すると言い、他方で上部構造が土台に反作用すると言います。そして、いわゆる社会主義的変革においては、後者の上部構造の「相対的独自性」が極めて重要になってきます。政権を取ってから土台を変えていくという、過去の国家の歴史にはなかった過程をたどると規定されているからです。つまり社会主義的変革においては、上部構造でイニシアティーフが取れなければ政権がとれず、新しい社会は来ないはずだと言いうるわけです。

2 上部構造の相対的独自性とか、その土台への反作用とか言われたもの自身については、古典の中には僅かですが、こんな論述が残っています。土台は上部構造諸領域に直接に何かを作り出すということはなく、それらの中の歴史的に与えられた独自の枠組み、諸条件を、外から間接的に変えうるだけだと。しかしながら、階級性とか「労働者的」とかいう表現、考え方には、こういう上部構造諸領域の独自な発展に対して外から土台的な物を持ち込みがちだという傾向が含まれていたのではないでしょうか。「階級性が科学性を保障する」という「方法論」は機械論の一種にもなりうるもので、客観主義の危険性を常にはらんでいます。土台を重く見過ぎる政治(主義)が政治学、哲学、文学などと絶えず摩擦を起こしてきた過去の世界的・歴史的姿は、極めて悲しむべきその証明であったとは言えないでしょうか。

3 1、2からすると、政治学、哲学、文学など専門学者たちの尊重ということが極めて重要になってきます。しかしながら従来の政治は、これらの方々からは学ばず、逆にこれらの方々への統制ばかりが目立ちました。その結果として多くの人材を失ってきたというのも明白な事実だったと思います。ましてや、外部の学者などとの討論などは、狭められるばかりではなかったでしょうか。こうして残った人々の作る政策、方針はますます、機械論、客観主義の色彩を帯びてくることになったと言えるのではないでしょうか。

4 客観主義は、戦略を考え、政策を作る過程で、「土台の上部構造への規定性」という視点から見たその都度の社会認識、その宣伝を重視しすぎて、実践的契機を軽視するという特徴をも有することになります。こうして、社会変革が結局、認識・宣伝の問題に矮小化されていなかったでしょうか。「客観的に明日がそこにあるのだから、それを知らせるだけでよい」と表現できるような姿勢です。しかしながら、そういう「正しい」認識、宣伝が進まないならば、その元である実践的世界を重視しつつ、そこからもう一度戦略を練り直すという努力が必要だったのではないでしょうか。人々が認識を進め、深めれば社会が変わるという側面は確かに存在するでしよう。しかしながら、2の諸側面も含めて、様々な生活点、生産点で実際に日々人々が変わりあい、生活を改善しあっていなくとも社会への認識を深め、広めあうことができる考えるならば、それはやはり客観主義の一種という誤りなのだと考えます。「改善の感性は十分にあるのだから、あとはそれを整理し、認識、宣伝すればよい」というのではなく、「改善の感性自身を実践的に育て合わなければ、必要な認識も生まれないし、広がらない」と言い換えても良いと思います。


終わりにさて、こんな事を何故今むしかえすのかというご批判もあるかも知れません。今こそもう哲学よりも行動の一致だろうとも言われ、政治の表面に見える姿は既にこんな論議を必要とはしないはずだとも指摘されそうです。でも、世界観政党が、己の世界観の根本をなし崩しソフトランディングさせていくというような姿には、一種やはり根本的に胡散臭いものを感じざるを得ません。そう見ている人々は多いと思うのです。
また、客観主義のままでしかもそれを表面上は隠しておいて、将来「正しかった」と強弁できる日が来るだろうなどという姿勢であるならば、それは二重の意味で論外というものではないでしょうか。
いずれにしても歴史に汚点を残すことになります。過去の文献は残っているのですから。世界観政党が、自らの公式世界観解釈史に汚点を残す。それこそ、取り返しのつかないことだと考えます。
    (終わり)
コメント (4)
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