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日本の政治劣化、ここまで   文科系

2021年08月31日 16時16分01秒 | 国内政治・経済・社会問題

 「自宅療養」? 「宿泊施設療養」? コロナ患者に対するこれらの言葉を一体どう解したら良いのか。大阪や東京などではここに「重症患者」が含まれているから、これらの言葉はもう「命の選択」が始まっているということ。「重症なのに落とされた人」。命の選択を体よく言い換えた言葉にすぎない。事実、こう発表されたのである。
『(7月以降)自宅・宿泊療養中死亡45人』
 こういう病床不足が東京五輪強行によってもたらされた事もすでに明らかとなった。こうして、死者総数1万6000人超えというコロナ最悪状況を招いた東京五輪である。国政にとって主権者の命ほど重視すべきものは他にないというのに、国は国民の命を賭けて五輪開催を選択し、賭けに失敗したのである。

 さて、この間中、活動制限によってこれだけ国民が心身を弱らせている時に、日本国国会が開かれていない。総選挙前の野党質問、追及を嫌ってのことだと言われてきた。国会絶対多数にアグラをかいた行政による、立法に対する暴力である。ウソやご飯論法、口から出任せ答弁で国会を「乗り切ってきた」、その延長流儀なのでもあるのだろう。

 さらには、この総選挙前にあるはずの自民党総裁選挙をめぐって、候補者らの安倍前総理詣でが続いているという。9年間の総理経験を通じて、国民の給料をどん底まで落とし込んできたお人が国政を握っているわけだ。絶対多数の立法も、そして行政首班指名でも。このお方はさらには、黒川検事総長実現目指して、司法権までも握ろうとされて失敗すると言う実績もお持ちである。検事総長が、国の裁判への起訴権を唯一握る機関の長だから、そうなる。立法・行政・司法という三権の分立、この破壊工作こそ首相経験9年間の集大成でもあったのだろうか。
 三権分立の破壊寸前まで行ったお方が、国の政治を握っている。ちなみに、このお方が最高顧問をやられている「日本会議のよびかけ文」は、こんな日本国家観を国民に訴えている。

『 125代という悠久の歴史を重ねられる連綿とした皇室のご存在は、世界に類例をみないわが国の誇るべき宝というべきでしょう。私たち日本人は、皇室を中心に同じ民族としての一体感をいだき国づくりにいそしんできました。
 しかし、戦後のわが国では、こうした美しい伝統を軽視する風潮が長くつづいたため、特に若い世代になればなるほど、その価値が認識されなくなっています。私たちは、皇室を中心に、同じ歴史、文化、伝統を共有しているという歴史認識こそが、「同じ日本人だ」という同胞感を育み、社会の安定を導き、ひいては国の力を大きくする原動力になると信じています。』

 ここに言う「わが国の誇るべき宝」の価値をどうしても認められない僕などは、「社会の安定を導き、ひいては国の力を大きくする原動力」にはなれませんよと述べておられる。こういう政治思想は、全体主義にしかならないはずだ。習思想を奉じずば、国民にあらずというのと同様の意味において。

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今、日米関係を考えるために  文科系

2021年08月30日 12時43分33秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)

 米中覇権闘争をアメリカが激しく仕掛け始めている中で、日本の政治進路はますます難しくなっている。ただでさえ、国民一人当たり購買力平価GDPがコロナ渦以前の19年度で台湾(世界20位)はもちろん30位韓国にも抜かれて33位へと落ちぶれ、結婚できぬ若者が溢れ、出生率、少子化記録を年々塗り換えて来た惨めな国なのだ。こういう諸困難を抱えた近年においても安倍・日本会議がこんな国家運営方向に励んできたわけだが、貧困化の解決方向をねじ曲げる右翼ポピュリズム流の全体主義イデオロギー(政治方向)の典型という以外にない。

『私たちは、皇室を中心に、同じ歴史、文化、伝統を共有しているという歴史認識こそが、「同じ日本人だ」という同胞感を育み、社会の安定を導き、ひいては国の力を大きくする原動力になると信じています』(日本会議のよびかけ文から)

 こんな「同胞感」こそ、「社会の安定」を導く? 「国の力を大きくする原動力」? では是非訊ねたいのが、これ。購買力平価一人当たりGDP世界5位の国が、わずか25年で33位にまでに落ちぶれたのはどうしてか。そのきっかけとなった(日本)住宅バブルとその破裂は誰が起こしたのか。アジア通貨危機を燃え上がらせたのは米日金融だったが、リーマンショックで世界景気を長く奈落の底に引きずり落とし、99%の貧困化をさらに進めて、そんな世界的災厄を官製バブルによって粉飾し続けているのは誰なのか。これに対して、上記の「同胞感」がどんな力を生み、社会的安定をもたらしたか、これに答えてほしいものだ。

 最近のアメリカ世界戦略には三つの時代区分があった。1990年ほどまでの冷戦時代、その後湾岸戦争を発端ににわかに起こってきた「テロとの戦争」、そして今は米中覇権闘争に血道をあげ始めている。そもそも、これらの「世界戦略」時代区分に共通して流れる本質はなんであったか。そんな答えも無しに米中トゥキディデスの罠という泥船に巻き込まれていくのは真っ平である。

  何よりも今は、アメリカがなぜ保護貿易主義という乱暴狼藉に走ったのかを考えてみるが良いのだ。国家累積赤字がGDPの四倍というアメリカに同調し続けるのは、同じく二倍という日本の貧困化を招いただけだったのではないのか? 今日本と世界に最も必要なのは上記「同胞感」などではなくって、その正反対物、まともな職を作り増やす世界的計画・構想力だろう。短期金転がしに励む金融資本主義も、その正反対物である。

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米に見えた新自由主義経済の破綻  文科系

2021年08月28日 08時00分37秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)

 昨日もこのことを書かせていただきましたが、旧拙稿を再掲させていただきます。


【 米経済学者の反省が深刻  文科系
2019年12月01日 04時45分00秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)

 米政経週刊誌ニューズウイークの日本版最新号に、表記の内容の記事が載っていた。その題名は「宗旨変えしたノーベル賞学者」とあり、その代表としてまずはポール・クルーグマンの最近の反省の言葉をあげているが、とにかくこの記事内容の要点を要約しよう。ちなみに、このクルーグマンは、日本のアベノミクスなどの金融・経済・財政政策にも随分密接に関わってきたお方である。

 クルーグマンは現在、こう反省しているのだそうだ。
『アメリカの製造業を支えてきた中間層が経済・社会的な大変動に見舞われることに気付かなかった。中国との競争でアメリカの労働者が被る深刻な痛手を過小評価していた、というのだ』

他の経済ジャーナリストなども今は、経済学者らの過去理論を批判しているのだそうだ。
『多くの経済学者が福祉を犠牲にし、効率性を最優先して「高賃金の雇用を切り捨て、低コストの技術産業に未来を託した」というのだ』

という反省から、この論文の末尾まとめはこういうものになっている。こちらは、もう一人のノーベル賞経済学者・ジョセフ・スティグリッツが90年代から指摘し続けてきたグローバリゼーション批判なのだそうだ。なお、このブログにはスティグリッツ関連のエントリーは多くあるので、以下のようにしてお読みいただける。当ブログ右上欄外の検索欄に彼の名前を入れて、その右の「ウエブ」欄を「このブログ内で」と換えて、🔍印をクリックする。

『最大の負け組はやはり、アメリカの労働者だ。経済学者はかって、好況下では労働者は自分たちの賃金を引き上げる力を持つと考えていた。だが最近の見方はちょっと違う。多国籍企業が全世界を自らの縄張りに収めて四半世紀がたち、グローバル化した資本は国内に縛られたままの労働者よりも優位に立った。
 主流派の経済学者たちがこれほど急に左寄りになったことに驚いているのは当の経済学者たちだ。多くは前述の格差問題に関する会議でこのことに気付かされた。来年の米大統領選挙では、経済学者達の支持は中道のジョー・バイデン前副大統領よりもエリザベス・ウォーレン上院議員やバーニー・サンダース上院議員などの革新系候補に流れているとの声も参加者からは聞かれた』

 この記事に内容としてちょうど呼応するあるニュースが、最近の当ブログに紹介してある。半世紀ぶりのようなビッグニュースであって、8月21日のエントリー『英米流経済、歴史的敗北宣言??』である。まず、その書き出し部分を抜き出してみる。
『 どうやら、数十年続いた英米流経済に世紀の歴史的敗北宣言が出されたようだ。本当にこの様に正すかどうかは今後を観なければ何も信用出来ぬが、少なくとも内外に向けてのポーズとしては。小さな記事だが、20日夕刊に標記の内容と分かる人には分かる出来事が、報じられている。今になってなぜと考えてみたが、その意図も以下のように既に明白。この大事な記事の見出しは、
「株主最優先を米経済界転換」?? 
 この中日新聞記事の書き出しはこうだ。
米主要企業の経営者団体「ビジネス・ラウンドテーブル」は19日、株主の利益を最優先する従来の方針を見直し、従業員や顧客、地域社会など全ての利害関係者の利益を尊重する新たな行動指針を発表した。これまで米経済界は「株主利益の最大化」を標榜してきたが、大きな転換点となる」 』


 こうして、株主資本主義が誤っていたと、米経営者からも米経済学者からも反省表明がなされていることになる。日本でも安倍政権が、クルーグマンのインフレ・ターゲット論(「2%目標」論)をいつまで延ばしても実現できないので、いつの間にか放棄したことによって、アベノミクスの誤りをなし崩しに認めざるを得なくなった。が、この政権は、なんの反省表明もだしていない。

 中国など、一定技術がある中進国への工場移転。豊かな金融先進国においては99・9%と0・01%とさえ言われる、凄まじい格差。この格差の底辺は、就職氷河世代など日本病と言われるほどにアメリカよりも日本の方が遙かに早く、深刻になっていたのである。それを現日本政権は、通貨をどんどん刷るという財政ファイナンス・株バブルと為替操作とによって「経済は上向き」などとごまかしてきただけで、口先反省の声さえ聞かれないのである。国民一人当たり購買力平価GDPはもう世界4位から31位まで落ちてしまって内需は乏しいのに、この大量緩和の出口に待っている円売りから一体どう逃れるつもりなのだろう。その時には、現在政府が頼りにしている1500兆円の個人資産などは、ドル化に走るに違いないのである。アメリカがずっと、これを狙って来たのだから。】

 

 

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新自由主義経済世界はとっくに、こう破綻、次は?  文科系

2021年08月27日 08時16分03秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)

 標記のことで一言。
 このブログにリーマンショック以前からずっと、アメリカ批判を安倍政権批判以上に行ってきたのは、批判すべき点が多いからという断片的な批判のための批判なのではない。日本国民の幸せのためにこそ、と言うよりも世界の庶民の幸せのためにこそ、アメリカ流新自由主義経済が世界から退いてもらわねばならぬと述べてきた積もりだ。
 特に冷戦以降に世界中で起こった通貨危機・「バブル弾け」などから世界のお金や企業自身がアメリカに奪われるとともに、アメリカ自身も含めたOECD各国などからまともな職業がなくなって失業者、不安定労働者が溢れるという現象を指摘してきた。ちなみに、アメリカ本国でさえがもうとっくに「新自由主義経済批判」を始めているのである。

 アメリカの経団連・大企業社長達が作るビジネスラウンドテーブルという団体は、こんな声明を出している。小さな記事だが2019年8月にこんな出来事が、報じられている。この大事な記事の見出しは、『株主最優先を米経済界転換』?? 
 この記事の書き出しはこうだった。
『米主要企業の経営者団体「ビジネス・ラウンドテーブル」は19日、株主の利益を最優先する従来の方針を見直し、従業員や顧客、地域社会など全ての利害関係者の利益を尊重する新たな行動指針を発表した。これまで米経済界は「株主利益の最大化」を標榜してきたが、大きな転換点となる』

 また、ノーベル賞経済学者クルーグマンでさえが、こう語り始めたのである。
「アメリカの製造業を支えてきた中間層が経済・社会的な大変動に見舞われることに気付かなかった。中国との競争でアメリカの労働者が被る深刻な痛手を過小評価していた」(ニューズウイーク日本版2019年12月3日号)
  トランプの乱暴極まる貿易保護主義(新自由主義の正反対物である)はこうして、アメリカにとっては「なりふり構っていられない」という必然だったのである。これを、バイデンは是正しようとしているかどうかを観察してみるが良い。

 さて、アメリカの中国「敵視」・米中対立は実は「ここ」から始まっているのである。一言で言えば「株バブル頼みの金融・株主資本主義」が「物作り資本主義」に敗れて、さらに、物作り資本主義で貯めた金によって、近い将来金融でも負けると恐れ始めた、ということだろう。
 アメリカはどうするのだろう。外っておけば、中国近辺に世界の経済、物作りがこれからも集まり、新発展をも遂げてゆくだけで、日米金融バブルになど世界の金はもっと集まらなくなっていく理屈である。(それどころか、米の国家累積赤字は、GDPの4倍などと言う発表もある。日本は2倍だと言ってきたが、これは例によって怪しい数字だと思っている。)米が中心となってやったアジア通貨危機の反省から台湾も韓国も中国に近づき、そのことによって国民一人当たり購買力平価GDPで、日本をとっくに抜いていった。貿易保護主義に踏み切ったアメリカも含めて、世界中が今、人のまともな職業をこそ必死に求めているのではないか。

 リーマンショックではとても厳しい根本的批判が始まっていた新自由主義経済をどうするかは、今はもうアメリカとかG7とかではなく、世界が決めるべき時代になったはずだ。そうでなければリーマンショック(やがてはGAFAW・ショックや、日本官製バブル・ショックも??)のような世界の難問は何も解決しないのだから。斉藤幸平の「人新世の『資本論』」の「解決」方向も含めて。

 

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八十路ランナーの手記(367) 新走法、こう改善中  文科系

2021年08月26日 00時11分08秒 | スポーツ

 前回に18日までのことを書いたが、以降21日外走り7キロ、22日家の階段18段を90往復、24日にはジムで90分12.1キロと走った。すべてそれなりの目的を持ってのぞんでいるわけだが、24日の出来から判断して順調に来ていると思う。

 24日は30分3回を、こう走った。3.8、4.1、4.2キロと。これすべて基本は時速7~7.5キロのLSDと、プラスしてインターバル・スピードアップなのだが、最後30分では時速9.5キロを10分程やっている。新しい走法で自分としての高速の走り方を探っているということ。18日の階段往復は、地面を「跨ぐ走法」から「つつく走法」に換えて2年近くなって腿がちょっと弱っていると感じたのでその弱り方を探りつつ同時に、腿やつま先を鍛えてみたわけだ。

 9.5キロ時10分は、難なく走れた。ピッチ165ほどと少なくして、その分「地面ツツキ」を強めてストライドを延ばして走った。と言っても、後ろ足離陸時に親指で地面を蹴らず脚全体で地面をつつく力だけで走るのが疲労が少ないとも分かってきた。この方が同じ9.5キロ時でも長続きするのである。「細い筋肉よりも太い筋肉で走る」ということなのだろう。
 この他、フォームの上で気にしたのが、このこと。一つは、よく言われる「骨盤の前傾」。これがないと、脚の振り出しに余分な力が要って不自然になるのだ。顎を引いた上半身を立てて、臍を前に出して走るような前傾姿勢を心がけている。この姿勢がいわゆる「腰が落ちない走法」として、なによりも地面つつきが効率よくなるようだ。
 そしてもう一つは、左右のストライドを同じにすること。左脚が弱い僕はこれが難しいのである。「左右両足を同じような形で腰の下に持ってくる」という感じを心がけている。
 この二つ、無意識に走っているとまだよく出てくる癖だが、だいぶ板に付いてきたと思う。そうでなければ、「9.5キロ時10分をピッチ少なく」などは今はまだできなかったはずだ。

 最近の自分としてはかなり力強く走れていると思う。今の段階でもこのスピードで30分は走れるとの感触も得られたから、良かった。と言っても、この力で外走りをしたらまだ9キロ時でも30分は続けられないだろう。それほどにマシンよりも外走りの方がおそくなる。
 それにしても、昨シーズンの記録を見てみると、この「1月23日、ジムの後半30分が4.85キロで、この最後20分は10キロ時だった」とか「2月5日外走り7キロの内、後半4キロをキロ当たり6分10秒」などって、凄いと今は驚くのである。秋の好調を楽しみにして、もうちょっと頑張ってみよう。走法が随分合理的に変わってきているのだから、希望はあるはずだ。

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「桜」出席の安倍後援会員に告ぐ  文科系

2021年08月24日 11時54分04秒 | 国内政治・経済・社会問題

 桜に招待されてきた歴代安倍の後援会員は、国政私物化、税金の不法支出の手段というか、ダシにされたわけなのだが、そのことを今はたして十分に自覚されておられるかと、問うてみたい。こういう不正な税金支出が自分に対して行われたというその自覚である。
 多分何も自覚などされていないはずだ。もし少しでも反省があったのなら、政治資金規正法違反で罰された第1秘書が今地元でまたまた完全復活しているなどは起こりようのないことだからである。

 こういう「分かり切った」事実を見ても、安倍というのは悪辣に過ぎる政治家、選挙法違反の確信犯なのだと言える。

 こんな男が戦後最長政権を続けて、また第三次内閣もなどと噂され始めているのだから、彼を頼りにしてきた自民党はもちろん、日本の政治もどれだけ腐りきっているかということ。何をやっても、選挙に勝ちさえすれば良く、「私が国家である」と言えるようになる国??

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随筆 「最強の野菜スープ」  文科系 

2021年08月24日 10時58分07秒 | 文芸作品

「この子は野菜を馬のように食べますから、よろしくお願いします」。結婚式前に母が今の連れ合いに改まったように姿勢を正してお願いしていたこの言葉をいまだに覚えているのはなぜなのか・・・。このごろはこれを思い出すことさらに多く、八十路過ぎた感傷も絡んでかしみじみ感じられるのが〈母のこの言葉、何と有り難いものだったことか!〉。八十過ぎてもランナーを続けられ、活動年齢が延びているその原動力がスポーツ好きと並んで間違いなくここにあるようだ。最近このことを何倍も感じ、識り直した。

「野菜スープを昨晩作ってみました。簡単で味付けもコンソメだけで十分ですね。普段は毎日朝食時にファンケルの冷凍青汁を解凍して飲んでいますが、沢山の種類の野菜の栄養を摂るにはこの野菜スープは絶好ですね。両親も美味しいと言って喜んで食べていました。両親へ出すメニューが一つ増えたので助かります。また作り置きしておけば色々アレンジできますね。ありがとうございます。感謝です。」
 嬉しいコメントが返ってきた。僕のある日のブログ記事「最強の野菜スープ」に付けられたものである。三年越しのブログ友。神奈川に住み、十歳程年下の僕と同じランナー、Gさんの日記ブログには、九十歳を超えたご両親の介護日誌も入っている。即、応答した。
「Gさん、この優しい味はいわゆるダシなどの旨味の一種で、日本人も特に好きなもの。フランス料理の野菜と肉で作るミネストローネと同類の味なのも、なんか面白い。ご両親の『喜んで食べていました』も嬉しかった。大根やカボチャは甘さが出るし、トマトは酸味が加わる。タマネギやセロリはその独特の味を加えるし、ね。『作り置きして、アレンジ』の良いのがあったら教えてください」

「最強の野菜スープ」、これはこの六月に手に取ったある本の題名。著者、熊本大学名誉教授・前田浩は抗がん剤でノーベル賞級と世界に知られた権威であって、この本はスポーツマンにとっては格別に大事な大事な活性酸素対策の書である。「はじめに」に書かれているこの書の要点を示すスローガン風の文章と、野菜スープの作り方とを紹介してみよう。
「抗がん剤の研究者だからこそ、がん予防にも力を入れたい」
「野菜スープは猛毒の活性酸素を消去する物質の宝庫」
「野菜に含まれる各種の抗酸化物質が連携して害を防ぐ」
「野菜スープはがん予防に確実につながる」
 こういうスープの作り方だが、前田先生が常備している野菜は、キャベツ、タマネギ、ニンジン、かぼちゃで、これに各季節の緑黄色野菜を適宜加える。例えばそれら五百gほどをざく切り、一口大切りなどにして、重さの三倍(千五百ml)ほどの水を加えて火にかける。沸騰する直前に弱火にして、三十分煮込んで出来上がり。なお、ニンジン、大根などは皮をむかず、セロリやキャベツ、ブロッコリーなどの外側の色濃い葉なども、特に抗酸化物質が多い部分だから、よく洗って全部使う。調味料は入れなくても、好きなものを入れても良いが、僕は固形のコンソメスープの素を水五百mlに一つほど入れ、塩適宜をその日その人の好みに合わせて加える。特にこの液体スープ自身が生野菜の何十倍などという各種抗酸化物質の宝庫なのだそうだ。

 ここで、これらの背景理論を紹介してみよう。人間は運動するが、その時大気から取り入れる酸素とともに活性酸素を吸収してしまう。この活性酸素が人生最凶の細胞老化物質であって、これを中和しないと体中の細胞老化が進み、癌もできる。こういう活性酸素を中和してくれる抗酸化物質こそ、緑黄色野菜などが育むファイトケミカル。これでもって細胞老化、癌も防げるという理屈なのだ。ポリフェノールやカロテノイドを代表とするこれは、普通に野菜を食べるだけなら野菜の固い細胞壁、細胞膜に包まれたまま多くが便として放出されるが、煮込んで細胞膜が破れるとスープに溶け込んでくるのだ。だからこのスープが、細胞老化対策の宝物になるのだ、と。血管細胞の老化を防げば、免疫系強化などにも、いわゆる血色とか若い皮膚とか美容にもなるのだし、老人斑を薄くしたり、白内障や抗癌延命にも効いたという数々の実験結果も書かれていた。スポーツマンは特に、多量の空気と同時に取り込む活性酸素を中和させねばならないということだ。
 
 切り餅二つをチーンしてどんぶりのこれに入れれば立派な食事になる。生ソーセージや生協の豪牛「ヒレ肉の切れ端」をフライパンで焦げ目が付くまで炒めて入れると、香ばしくて美味い酒の肴だ。わがお連れ合いも「これを飲むようになって、よく寝られるようになった」と言いつつ、作り置いたのをどんどん活用してくれるから、上記分量が一日でなくなっていく。スポーツ習慣も加わって、「活動年齢百歳まで」になるかも知れない。

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「不倫」カップルを辞めさせられない管首相??   文科系

2021年08月23日 10時00分56秒 | 国内政治・経済・社会問題

 昨日のエントリーで書いた「不倫」カップルの一方首相補佐官の和泉洋人を、管首相は、どうして辞めさせられないのでしょう。裏も表も、酸いも甘いもあまりにも多く結びつきすぎてきたし、これほど便利な替わりを官房長官時代も通じて育成することもやってこなかったしで、まさに一蓮托生なのでしょうか。二人の出張は必ず「コネクティングルーム」という公私混同ははっきりし過ぎた「不倫」カップルを咎められないのも、首相と一蓮托生だから。

 それにしても、このコロナ渦中に、内閣官房の「健康・医療戦略室」を、和泉洋人室長、大坪寛子次長とこのカップルで占め続けるとは。・・・流石の「人事で政治をやる管」というところですか。そして首相という虎の威をかりた狐よろしく、世界の山中伸弥さんを二人で恫喝しに赴いたり、国立研究開発法人日本医療研究開発機構内部では「大坪氏に逆らえば、辞めてもらう」と和泉氏?!

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書評  古賀茂明著「官邸の暴走」  文科系

2021年08月22日 14時48分15秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など

「コロナ渦中でも五輪強行へ」という過程の真っ最中、この6月に出たこの本は、さらけ出されて来た政府の無能を余すところなく解明してくれているようだ。それもそのはずで、著者は総理官邸内部に通じられたこんな経歴のお人なのだ。今の経済産業省官僚から08年自民党内閣の行革・公務員制度改革の中心に座り、そのまま民主党政権にも関わって、民主政権最後の野田内閣になった11年9月に経産省退職という。原発の否定、「I'm not Abe」などで有名なお方だが、安倍・管総理官邸官僚には元経産省官僚が多く、こういう元同僚からの直接間接の情報も多いのだろうなと、この本を読めばよく分かるのである。つまり、今、この人にしか書けなかった、安倍・管政治の実態本! 

 全8章のこの著作の主たる内容を著者はまず、「安倍・管・官邸官僚三人四脚で築いた四つの負のレガシー」と述べている。「官僚(を)支配」(1~3章)、「マスコミ(を)支配」(4章)、「地に堕ちた倫理観」(5~6章など)、「戦争のできる国づくり」(2章)の四つである。加えて最後の7~8章は、「のっぴきならないほど落ちている日本の国力」「真の先進国になるための改革」となっている。以下今回は、「地に堕ちた倫理観」の焦点(中の焦点)に絞って内容紹介してみたい。この焦点こそまた、「(五輪開催に執念を燃やしながら)コロナワクチンが何故これだけ遅れたのか」につながる所だからである。第5章「力不足で思考停止の管内閣」の第1節「哲学なき政権には倫理もない」の触り部分の要約と言って良い。なお、以下の『 』内文章はすべて、本文抜粋であることを示す。

『管政権発足直後から「ポスト今井(文科系注 安倍官邸官僚第一の人物)」として注目を浴びた人物がいる。内閣総理大臣補佐官の和泉洋人氏だ』
『安倍政権の頃から、アジア各国へのインフラ輸出を手掛けてきた総理補佐官の和泉氏は、海外出張に部下だった大坪寛子氏(現厚労相大臣官房審議官)を同伴していた。和泉氏が内閣官房健康・医療戦略室の室長で既婚、大坪氏はシングルという関係だった。ところが二人の出張の際、総理補佐官室の担当者が外務省担当者に、二人のホテルの部屋を内部でつながった「コネクティングルーム」で予約するようにとメールで指示していたことが発覚。ミャンマー、インド、中国、フィリピンと、18年の四度の海外出張が公私混同の「不倫出張」だったという疑惑は、国会で何度も追及された。不倫自体、許されないことだが、明らかに怪しまれる「コネクティングルーム」でのホテル予約を部下に命じたのは、公私混同の最たるもの。』


『この和泉・大坪カップルは、19年8月にも京都大学ips細胞研究所へ二人で出張し、ノーベル生理学医学賞受賞者の山中伸弥教授に対して驚くような発言をしている。大坪氏が「ips細胞への補助金なんて、私の一存でどうにでもなる」と言い放ち、再生医療の実用化に向けた研究予算を打ち切る方針を告げたと報じられたのだ。
 国費の予算配分とは、行政内部でオープンな手続きを踏んで決めていくものであり、「私の一存で」という発言は非常識極まりない暴言である。しかも、この恫喝の約3時間後に、京都でデートを楽しむ二人の写真が週刊文春に掲載された』

『さらにこのカップルは、国立研究開発法人日本医療研究開発機構(AMED)の運営にも不当に介入していた。AMEDは、医療分野の研究開発とその環境整備を担う機関だ。・・・・しかし内閣官房に設置されていた健康・医療戦略室の次長が18年7月に医療技官の大坪氏となった頃から、(AMED)理事長らに「各省の予算のマネジメントなどは全部、健康・医療戦略室を通すように」、「担当大臣など政治家の方々とコンタクトを取るな」などの干渉が始まったという。
 また令和元年度後半の調整費80億円が、大坪氏が推進する「全ゲノム解析計画」に使われるということが、健康・医療戦略室による不透明なプロセスで決まったという。反発する理事、執行役および経営企画部長は、和泉氏の執務室に呼びつけられ、「大坪氏の言うことを聞いてうまくやらなければ、人事を動かす」と恫喝されたとの事実も明らかになっている』
 そして事実、末松誠理事長(元慶大医学部長)が20年4月のコロナ流行・学校閉鎖という緊急時に、任期満了をそのまま適用してAMEDから追い出されてしまった。このことについてiPS細胞の山中伸弥氏が事前にあげていたこんな不安の声も無視されてのことだったと、古賀氏はこう書いている。
『「しばらく前からAMEDでは、末松誠理事長が思う存分リーダーシップを発揮できない状況にあり・・・20年4月に末松理事長は就任から5年を迎えるが、感染拡大の深刻さを考えれば、理事長の任期を1年でも延長して、困難に立ち向かうべきではと思っている」(日経バイオテクオンライン2020年3月27日)』

『今私たちは、日本が世界のワクチン開発競争で決定的敗北を喫したのを目の当たりにしている。20年春に山中教授が危惧した通りの展開ではないか。本書が出版される21年6月頃には、・・・・日本では高齢者へのワクチンの接種さえ終わらないという事態に、国民は苛立ち、どうして日本国内ではワクチンや治療薬の開発ができないのか? と疑問が呈されているだろう。その時、不倫カップルが、ワクチンや治療薬の開発に迅速に回せるはずだった予算の大半を大坪氏のプロジェクトに使ってしまったのだということを国民が知ったら、おそらく二人は霞が関にいられなくなると思うのだが。それでも、管氏の威光で官邸に居座り続けるのだろうか。』

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八十路ランナーの手記(366)地面つつき筋を強化中  文科系

2021年08月21日 00時06分29秒 | スポーツ

 この5日以来、2週間ぶりにこれを書く。今の段階の試行錯誤をいろいろやってみた2週間だったが、このように走った。ジムが、7日1時間で8・5キロ、9日同8・4キロ、13日75分で9・1キロ、18日80分でジャスト10キロ。外走りはこの間、15日の8キロだけだ。夏は例年無理をせずジム走りで心肺機能維持だけに努めて秋のシーズン入りを待つのだが、今年は標記のことに試行錯誤中。

 地面をつついてその反動で走る新走法の筋肉を付けていた。2年前までの跨いで走る走法の筋肉が明らかに弱くなっていると自転車をやってみると分かってきたから、「地面つつき走法のストライドを広げること」に努めて時速10キロでもピッチ160ちょっとなどに励むなどと。こういう練習は、80歳寸前で1年半かけて身につけた全く違う新たな合理的走法を定着、強化させるのが目的だ。自分でも良くやるよと思いながら。

 結果は、意外に行けると思うということ。全体として脚が軽くなって、着地時の右膝が前に出すぎて曲がる癖も小さくなってきた。昔の跨ぐ走法の最後のころは、地面を強く叩く短距離走行が次第にできなくなっていたのが、この走法になって1年半を過ぎた今はかなり思い切って足裏全体で地面を叩く力が戻ってきた。だからこそ、「地面つつき走法」でストライドを広げる練習もしようと思えたのである。心肺機能は明らかに弱くなっていると分かるが、この機能で血液を「地面を叩く筋肉」の方に回せれば、つまりそこの筋肉の血管が増えていけば・・・、と言う願いなのだ。秋の記録は案外伸びるかも知れないとも思っている。心なしか、臀部外側に筋肉が付いてきたとも感じられる。なお、最近アシックスの厚底靴に換えたのだが、これがこの走法には大変合っていると感じられた。明らかにかなりタイムが伸びるのである。もっとも夏は基本的にLSDだけなのだが、ちょっとピッチ走法に換えてスピードを上げたり、ストライドを特に大きくしたりした時の速度計数字によってそう感じた。

 なお、7月11日のこの第360回に書いた「書評 最強の野菜スープ」は、走る身体にも大変良いと実感している。走れば身体に入ってくる最悪の細胞老化物質・活性酸素を中和してくれる抗酸化物質の最大の宝庫料理が運動する身体には良いに決まっているということだろう。ちなみに、難聴の耳もちょっと聞こえが良くなったし、腕の老人斑も明らかに薄くなってきた。連れ合いもこう言っている。
「このスープを摂るようになってから、よく眠れるようになった」。
 酸素を体中で最も多く消費する脳細胞も健康になるのかも知れないなどと思ったものだ。なお、この本の著者は、抗がん剤、抗酸化物質取り込みの研究によるノーベル賞級の世界的権威だそうだ。ランナーには特にお勧めしたい一冊である。

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太平洋戦争 岩波近現代史シリーズ要約 五   文科系 

2021年08月20日 01時06分46秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など

 太平洋戦争の東條英機


はじめに
 41年12月8日、この日を当時の子どもがどう覚えていたか。そういう記事を一気に読んで、すぐに表記の記事を書こうと、僕は思い立った。当時の子どもたちの心にさえ深く刻み込まれた「戦争への感動」、その象徴的存在であった東条首相への熱狂ぶりについて書いてみようと。僕の同人誌にも往時の軍国少年、軍国少女がお一人ずついらっしゃる。お二人とも、その後の人生はなかなか優秀だったろうとお見受け出来る方々である。今は多分、その正反対の人生観をお持ちのはずだが。
 東条英機は、A級戦犯の象徴的存在。41年12月8日開戦時の首相にして内相であって、陸軍大臣を兼務した、現役の陸軍大将である。また、陸軍参謀総長も兼任していたから、大元帥・天皇の大本営の幕僚長でもあった。彼の前歴には、関東軍憲兵隊司令官というものもあった。満州国の治安の要に位置する機関であって、35年9月から37年2月のことである。娑婆、「地方」(軍隊は軍隊の外の世界をこう呼んだのでした)、世相にも、よく通じているのである。
 彼は、天皇の信任は篤く、水戸黄門まがいの「民衆査察」を行い、ラジオ、新聞を上手く使って民心を躍らせ、掌握した。ヒットラーにも劣らないその掌握術を、ご紹介したい。種本は例によって、岩波近現代史シリーズ10巻本の第6巻「アジア・太平洋戦争」。この巻の著者は吉田裕・一橋大学大学院社会学研究科教授である。【 】がほとんどであるが、ここからの抜粋を示している。 

1 人々の東條支持熱
 その人気は、一時の小泉旋風などという次元のものではない。戦争の英雄たちの、そのまた大元締、空前絶後の国民的大英雄なのである。そういう大英雄が、マスコミによって実に身近な存在に描かれるところがまた、お見事というほかはないのである。
 【 東条首相は、各地で国民に熱烈に歓迎された。42年7月27日、大阪の中央公会堂で開催された「大東亜戦争完遂国民総力結集大講演会」の折には、講演を終えて退場する東条首相を熱狂した群衆がとりかこんだ。28日付の『朝日新開』は、その場の状況を、「熱狂した数千の聴衆は帽子、扇子を打ち振り打ち振り、〃万歳々々″と歓声をあげ、(中略)あつといふ間に東条さんを取り囲む。「しつかりやります、やりますとも」「米英撃滅だ、東条閣下お願ひします」「東条首相万歳」と群がる市民は熱狂して全く感激のるつぼだ」と報じている。これが誇張でないことは、同日の首相秘書官の記録に、「公会堂発」、「総理自動車会衆の圧倒的歓迎に取り囲まれ約十分、会衆の中を徐行す」とあることからもわかる(伊藤隆ほか編『東条内閣総理大臣機密秘録』東京大学出版社1990年)。
 さらに、東条に関するすぐれた評伝をまとめた作家の保阪正康も、この頃の東条について、「東京・四谷のある地区では、東条が毎朝、馬に乗って散歩するのが知れわたり、その姿を一目見ようと路地の間で待つ人がいた。東条の乗馬姿を見ると、その日は僥倖に恵まれるという〈神話〉が生まれた」と書いている。東条は、一般の国民にとって、「救国の英雄」だった(保阪『東条英機と天皇の時代(下)』) 】

 当時、東条報道を新聞がどう行ったかもなかなか興味深い。【例えば、42年8月18日付の『読売報知』は】として、こんなことが抜き出されていた。
【 「忙中忙を求める東条さん」、「割引市電で街の視察 鋭い観察力と推理力の種は正確なメモ 拾った民情必ず”決済”」という見出しの記事を掲載し、「キビキビした政務の処理、そして電撃的な民情視察・・・国民は曾てこれほど”首相”を身近に感じたことはなかった。・・・とにかく、そこに新しい一つの”指導者の形”が打ち出されているのは確かだ」と論じている 】

2 民心操縦ぶり
【 総力戦の時代は、多数の国民の積極的な戦争協力を必要不可欠なものとする。そうした時代にあっては、力強い言葉と行動で、直接国民に訴えかけるタイプの指導者が求められる。東条は、そのことをよく理解していた。43年9月23日、東条は側近に次のように語っている(伊藤隆ほか編『東条内閣総理大臣機密秘録』東京大学出版社1990年)
  国民の大多数は灰色である。一部少数の者が批判的言動を弄するものである。そこで国民を率いてゆく者としては、此の大多数の国民をしっかり摑んでぐんぐん引きずつてゆくことが大切である。大多数の灰色は指導者が白と云へば又右と云へばその通りに付いてくる。自然に白になる様に放つておけば百年河清を待つものである。
 東条の芝居がかったパフォーマンス、特にたびかさなる民情視察は、識者の反発と顰蹙をかった。特に、東条が住宅街のゴミ箱をチェックしてまだ食べられるものや再生可能なものが捨ててあると非難したことは多くの国民の失笑をかった。首相として他にやるべきことはないのかという批判である 】

3 政治力の源泉、宮中工作ほか
 マスコミ総動員で作ったこういった東条の「表の顔」の他に、政治家としての裏の顔があるのもまた当然。
 【 政治資金の面でも、東条首相は有利な立場にあった。陸相として陸軍省の機密費を自由に使うことができたからである。この点については、いくつかの証言がある。例えば、元陸軍省軍務局軍事課予算班長の加登川幸太郎は、「何に使ったかわからんけど、東条さんが総理大臣になった時、(中略)三百万円という機密費三口を内閣書記官長に渡せ、と来るんだね。(中略)あの頃二百万円あったら飛行機の工場が一つ建ったんだから」と回想している(若松会編『陸軍経理部よもやま話』)。 (文科系による中略)
 なお、臨時軍事費中の機密費の支出済額をみてみると、42年段階で、陸軍省=4655万円、海軍省=2560万円、44年段階で、陸軍省=1億2549万円、海軍省=1865万円であり、陸軍省が機密費を潤沢に使用していたことがわかる。
 東条首相の政治資金の潤沢さについては、44年10月15日に、反東条運動の中心となっていた政党政治家の鳩山一郎が、近衛文麿と吉田茂(戦後の首相)との会談の中で語っている内容が参考になる。同席していた細川護貞は、その内容を次のように記録している(『細川日記』)。
  一体に宮内省奥向に東条礼賛者あるは、附け届けが極めて巧妙なりし為なりとの話〔鳩山より〕出で、例えば秩父、高松両殿下に自動車を秘かに献上し、枢密顧問官には会毎に食物、衣服等の御土産あり、中に各顧問官それぞれのイニシアル入りの万年筆等も交りありたりと。又牧野〔伸顕元内大臣〕の所には、常に今も尚贈り物ある由。
 この後、鳩山は、「東条の持てる金は16億円なり」と語り、近衛は東条の資金源は、中国でのアヘンの密売からあがる収益だと指摘している。アヘン密売との関係については確証がないが、46年7月の国際検察局による尋問の中で、近衛の側近の富田健治が、東条はアヘン売買の収益金10億円を鈴木貞一陸軍中将(興亜院政務部長)から受けとったという噂があると指摘している。興亜院は、アヘンの生産と流通に深くかかわった官庁である。皇族への「附け届け」については、史料的に確認することができる。42年12月月30日付の「東久邇宮稔彦日記」に、「この度、陸軍大臣より各皇族に自動車をさし上げる事となれり」とあり、この日、東久邇宮のところには、陸軍省関係者から、アメリカ製の自動車が届けられているからである 】

 

(終わりです)

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太平洋戦争 岩波近現代史シリーズ要約 四   文科系  

2021年08月19日 00時25分59秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など

  太平洋戦争と天皇

 

 表記のことについて、右翼の方々はこのブログでもこのように語られてきた。天皇の統治権は形式的なものであって、戦争政策においても実際に何かを決めたというわけではない、と。そのことについてこの本(岩波新書日本近現代史シリーズ10巻のうち、その6「アジア・太平洋戦争」、著者は、吉田裕・一橋大学大学院社会学研究科教授)はどう書いているか。それをまとめてみたい

 

1 軍事法制上の天皇の位置 「統帥権の独立」

『統帥権とは軍隊に対する指揮・命令の権限のことをいうが、戦前の日本社会では、大日本帝国憲法(明治憲法)第11条の「天皇は陸海軍を統帥す」という規定を根拠に、この統帥権は天皇が直接掌握する独自の大権であり、内閣や議会の関与を許さないものと理解されていた。
 明治憲法上は、立法権、行政権、外交権などの天皇大権は、国務大臣の輔弼(補佐)に基づいて行使されることになっており、統帥権だけが国務大臣の輔弼責任外にあるという明文上の規定は存在しない。それにもかかわらず、天皇親率の軍隊という思想の確立にともない、制度面でも統帥権の独立が実現されてゆく。1878(明治11)年の参謀本部の陸軍省からの独立、1893(明治26)年の軍令部の海軍省からの独立、1900(明治33)年の陸海軍省官制の改正などがそれである』
『一方、参謀本部と軍令部(統帥部と総称)は、国防計画・作戦計画や実際の兵力使用に関する事項などを掌握し、そのトップである参謀総長と軍令部総長は、陸海軍の最高司令官である「大元帥」としての天皇をそれぞれ補佐する幕僚長である。この場合の補佐は、国務大臣の輔弼と区別して輔翼とよばれる。国務大臣は、憲法に規定のある輔弼責任者だが、参謀総長・軍令部総長は、憲法に明文の規定がない存在だからである。
 軍事行政と統帥の二つにまたがる「統帥・軍政混成事項」については陸海軍大臣が管掌したが、国務大臣としての陸海軍大臣も統帥事項には関与できないのが原則であり、参謀本部・軍令部は、陸軍省・海軍省から完全に分立していた。以上が統帥権の独立の実態である』

2 「能動的君主」としての天皇

9月6日決定の「帝国国策遂行要領」
『統帥に関しては、「能動的君主」としての性格は、いっそう明確である。天皇は、参謀総長・軍令部総長が上奏する統帥命令を裁可し、天皇自身の判断で作戦計画の変更を求めることも少なくなかった。また、両総長の行う作戦上奏、戦況上奏などを通じて、重要な軍事情報を入手し、全体の戦局を常に把握していた(山田朗『大元帥 昭和天皇』)。通常、統帥権の独立を盾にして、統帥部は首相や国務大臣に対して、重要な軍事情報を開示しない。陸海軍もまたお互いに対して情報を秘匿する傾向があった。こうしたなかにあって、天皇の下には最高度の軍事情報が集中されていたのである』
 そういう天皇であるから、重大な局面ではきちんと決断、命令をしているのである。本書に上げられたその実例は、9月6日御前会議に向けて、その前日に関係者とその原案を話し合った会話の内容である。まず、6日の御前会議ではどんなことが決まったのか。
『その天皇は、いつ開戦を決意したのか。すでに述べたように、日本が実質的な開戦決定をしたのは、11月5日の御前会議である。しかし、入江昭『太平洋戦争の起源』のように、9月6日説も存在する。この9月6日の御前会議で決定された「帝国国策遂行要領」では、「帝国は自存自衛を全うする為、対米(英欄)戦争を辞せざる決意の下に、概ね10月下旬を目途とし戦争準備を完整す」ること(第1項)、「右に並行して米、英に対し外交の手段を尽くして帝国の要求貫徹に努」めること(第2項)、そして(中略)、が決められていた』
 さて、この会議の前日に、こういうやりとりがあったと語られていく。

3 1941年9月5日、天皇と両総長とのやりとり

『よく知られているように、昭和天皇は、御前会議の前日、杉山元参謀総長と水野修身軍令部総長を招致して、対米英戦の勝算について厳しく問い質している。
 また、9月6日の御前会議では、明治天皇の御製(和歌)、「四方の海みな同胞と思ふ世になど波風の立ちさわぐらむ」を朗読して、過早な開戦決意を戒めている。
 ただし、天皇は断固として開戦に反対していたわけではない。海軍の資料によれば、9月5日の両総長による内奏の際、「若し徒に時日を遷延して足腰立たざるに及びて戦を強ひらるるも最早如何ともなすこと能はざるなり」という永野軍令部総長の説明のすぐ後に、次のようなやりとりがあった(伊藤隆ほか編『高木惣吉 日記と情報(下)』)。
 御上[天皇] よし解つた(御気色和げり)。
 近衛総理 明日の議題を変更致しますか。如何取計ませうか。
 御上 変更に及ばず。
 永野自身の敗戦直後の回想にも、細部は多少異なるものの、「[永野の説明により]御気色和らぎたり。ここに於いて、永野は「原案の一項と二項との順序を変更いたし申すべきや、否や」を奏聞せしが、御上は「それでは原案の順序でよし」とおおせられたり」とある(新名丈夫編『海軍戦争検討会議議事録』)。ここでいう「原案」とは、翌日の御前会議でそのまま決定された「帝国国策遂行要領」の原案のことだが、その第一項は戦争準備の完整を、第二項は外交交渉による問題の解決を規定していた。永野の回想に従えば、その順番を入れ替えて、外交交渉優先の姿勢を明確にするという提案を天皇自身が退けていることになる』
 こうして前記9月6日の「帝国国策遂行要領」は、決定された。つまり、対米交渉よりも戦争準備完整が優先されるようになったのである。続いて10月18日には、それまで対米交渉決裂を避けようと努力してきた近衛内閣が退陣して東条内閣が成立し、11月5日御前会議での開戦決定ということになっていく。この5日御前会議の決定事項とその意味などは、前回までに論じてきた通りである。

 

(あと一回で終わります。次回は、当時の「東條英機」です)

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太平洋戦争、岩波近現代史シリーズ要約 三  文科系

2021年08月18日 00時58分15秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など

しゃにむに、密かに、不意打ち開戦へ

 

 前回のこのまとめ部分は、日米の戦争責任論議における最重要点だから、説明が要りますね。
「なお、この5日の御前会議の存在は、東京裁判の当初の段階では米軍に知らされていなかったということです。ハルノートとの関係、「日米同罪論」との関係で秘密にしておいた方が都合良かったと、著者は解明していました」

 米国務長官ハルの覚書が駐米日本大使に手交されたのが41年11月26日、外務省がこれを翻訳して関係方面に配布したのが28日でした。対して当時の日本政府はその行動を、このように説明してきました。ハルの、この4要求を「最後通牒」で「高圧的」と断定。それゆえ「自存自衛の為」(12月8日、宣戦の詔勅)の開戦を、12月1日の御前会議で決定、と。誰が考えても、国の運命を決めるような大戦争の決断経過としては動きが急すぎて、不自然です。この不自然さを、著者の吉田氏はこう解明していきます。

 そもそも1国務長官の覚書とは、1国の最後通牒などと言える物では、到底ない。よって、10月に退陣した近衛内閣が進めていたように、アメリカとの条件交渉の余地はまだまだ充分過ぎるほどに存在していたのである。対して、入れ替わったばかりの東条内閣が、ハル・ノートを最後通牒と断定し即戦争を決めたように語られてきたわけだが、これは完全に日本のあるタクラミに基づいている。その狙いは、
・生産力で10倍を遙かに超える差がある強大なアメリカの戦争準備が整わぬうちに、戦争を始めたかった。日中戦争進展にともなって臨時に大増強した太平洋周辺戦力はアメリカを上回っていたからだ。
・それも、完全に油断させておいて、不意打ちで開戦したかった。日本側は、十二分に準備を整えておいた上で。
・東条内閣は、発足20日も経たぬ11月5日の御前会議でもう12月初頭の開戦を決めていて、戦争にまっしぐらだったのである。その日に決まった「帝国国策遂行要領」をその証拠として、著者はこう書いている。
『「帝国は現下の危局を打開して自存自衛を完うし大東亜の新秩序を建設する為、此の際、英米欄戦争を決意し左記措置を採る」とした上で、「武力発動の時期を12月初頭と定め、陸海軍は作戦準備を完整す」と決めていた。引き続き外交交渉を継続するとされていたものの、実際には、その性格は開戦決意をカムフラージュするための「欺騙外交」としての側面をつよめてゆくことになる』
 なお、前にも述べたように、この11月5日の御前会議は、東京裁判当初までアメリカには隠されていたものである。以上のように軍人内閣のやり方は、「出来るだけ速く、密かに、しゃにむに戦争へ」「相手とは交渉を続けるふりをして油断させつつ」「それも、相手に知られない不意打ちで」というものであって、このことはその4にまとめた以下の事実によっても証明されている。
【『よく知られているのは、真珠湾への奇襲攻撃である』。開始8日午前3時19分、対米覚書手交4時20分というものだ。この点については従来から、こういう説があった。対米覚書の日本大使館における暗号解読が遅れたとされてきたのだ。これにたいする本書の解明はこうなっている。
『外務省本省は13部に分かれた覚書の最終結論部分の発電をぎりぎりまで遅らせただけでなく、それを「大至急」または「至急」の指定をすることなしに、「普通電」として発電していたことがわかってきた』】
 

 「アジア・太平洋戦争」の開戦原因に関わる経過を、最後にもう一度まとめておく。
1 「日本が、中国侵略から南部仏印侵略へという動きを強行した」
「このイギリス権益の侵害に対してなされた、アメリカによるたびたびの抗議を無視した」
「こういう日本の行為は、ドイツの英本土上陸作戦に苦闘中のイギリスのどさくさにつけ込んだものでもあった」
この間の上記の経過は、本書では結局、こうまとめられている。
『結局、日本の武力南進政策が対英戦争を不可避なものとし、さらに日英戦争が日米戦争を不可避なものとしたととらえることができる。ナチス・ドイツの膨張政策への対決姿勢を強めていたアメリカは、アジアにおいても「大英帝国」の崩壊を傍観することはできず、最終的にはイギリスを強く支援する立場を明確にしたのである』

2 そのアメリカに対しては、交渉するふりをして、その太平洋周辺戦力が不備のうちに、不意打ち開戦の準備を進めていった。
その直前の様相は、こういうことであった。
『(41年7月28日には、日本軍による南部仏印進駐が開始されたが)日本側の意図を事前につかんでいたアメリカ政府は、日本軍の南部仏印進駐に敏感に反応した。7月26日には、在米日本資産の凍結を公表し、8月1日には、日本に対する石油の輸出を全面的に禁止する措置をとった。アメリカは、日本の南進政策をこれ以上認めないという強い意思表示を行ったのである。アメリカ側の厳しい反応を充分に予期していなかった日本政府と軍部は、資産凍結と石油の禁輸という対抗措置に大きな衝撃をうけた。(中略)以降、石油の供給を絶たれて国力がジリ貧になる前に、対米開戦を決意すべきだとする主戦論が勢いを増してくることになった』

 

(あと2回続けます)

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米は、北京冬季五輪を潰すだろう  文科系

2021年08月17日 01時41分48秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)

  この調子だと、アメリカが北京五輪を潰すのは確実である。中国の全体主義的体質はずっと前から分かっていたのに、なぜ最近になってここまでやるのか。中国の経済「第一位」大国化が目前になり始めて、「米ドル含めた覇権国・マッチョ体質」がこれを容認出来なくなったのだろう。そんな体質が紛々、北京冬季五輪潰し宣言のような以下の時事通信ニュースをご覧あれ。こんな事がこれからどんどん続いていくはずだ。
 アメリカのこの闘争、よほどの戦果を勝ち取らねば止むことはないだろう。斜陽アメリカにとってそんな戦果が今でも果たして存在するのだろうか? 習退陣??
 米中闘争は、米の執念からそれほどに熾烈。中国を最大貿易相手国とする斜陽日本はよほど理論武装して掛からぬとさらに傾いていくだけ。「『人事』で『政治』をやる」しか能のなかった安倍・管には、到底無理なことだが、他の誰かが立候補できるのか?


『 米紙、トヨタの五輪対応に疑問 北京大会こそ辞退を 2021年07月26日20時56分

 【ワシントン時事】米紙ワシントン・ポスト(電子版)は25日、東京五輪用のCMの国内放映を見送ったトヨタ自動車の対応に疑問を呈し、来年の北京冬季五輪こそ「ボイコット」すべきだと唱えるコラムを掲載した。

トヨタ社長、開会式出席見送り CMも放送せず―無観客五輪

 コラムは、CM見送りと豊田章男社長の開会式欠席について「不幸なことに彼らは違う五輪をボイコットしている」と指摘。中国政府のウイグル族弾圧や香港での自由の抑圧に触れ「体制礼賛を正当化する式典に、何事も起きていなかったかのように企業幹部が列席するのは想像しがたい」と訴えた。
 トヨタは国際オリンピック委員会(IOC)との間で北京五輪を含む2024年大会までの最高位スポンサーの契約を結んでいる。
 コラムは新型コロナウイルスで日本国民の多くが五輪開催に反対していることにも言及。一方「忘れてはならないのは、日本人が刑務所送りを恐れることなく、自由に不満を表明できることだ」と述べ、CM見送りへの違和感を強調した。
 また、今回トヨタが「政治的決定を迅速に行えることを示した」と指摘し、北京五輪についても素早い対応を促した。』

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太平洋戦争、岩波近現代史シリーズ要約 二  文科系

2021年08月16日 04時02分04秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など

3 太平洋戦争の二つ目の性格、日米同罪論に対して(その2)

 ここでまとめるのはこういうことだ。
『「日米同罪論」あるいは自衛戦争論の第3の問題点は、それが日本が戦った戦争の国際法上の違法性を無視ないし軽視していることである』
 この違法性は、まずこのように展開されていく。
 戦争に関わる当時の国際法には、第1次世界大戦の痛切な反省が色濃く反映されている。まず第1は、戦争の違法化の論議が起こり、あい次いで植民地における民族運動の高揚、民族自決原理の台頭があった。たいして満州事変以降の日本は、22年に中国関連で日本も加わって結ばれた9カ国条約への違反を重ねており、これを事実上棚上げしていたと言える。この条約は当時の戦争違法化、民族自決権を盛り込んだアジア・中国版とも言える国際法であったのに。先回に見たハル・ノートもこの9カ国条約を基としているが、日本軍は正にこの条約内容においてこそ、ノートに反発していたのだ。
『 参謀本部戦争指導班の11月27日付の業務日誌は、ハル・ノートの対日要求の中に「4原則の無条件承認」が含まれていることにも言及しながら、「米の回答全く高圧的なり。而も意図極めて明確、9カ国条約の再確認是なり」と記しているし(軍事史学会編『機密戦争日誌(上)』) 』
 つまり、当時の日本軍部は自らも参加した9カ国条約を守る意思など無かったということだ。

次いで、こう語り進められる。
『同時に、開戦にともなってさまざまな国際法上の違法行為が発生したことも忘れてはならない』
『よく知られているのは、真珠湾への奇襲攻撃である』。開始8日午前3時19分、対米覚書手交4時20分というものだ。この点については従来から、こういう説があった。対米覚書の日本大使館における暗号解読が遅れたとされてきたのだ。これにたいする本書の解明はこうなっている。
『外務省本省は13部に分かれた覚書の最終結論部分の発電をぎりぎりまで遅らせただけでなく、それを「大至急」または「至急」の指定をすることなしに、「普通電」として発電していたことがわかってきた』
 もう一つの違法性はイギリス、オランダに対するもので、イギリスに対してはこう展開されている。
『日米間の場合には、事前の外交交渉が存在し、戦争開始後とはいえ交渉打ち切りの通告がともかくもなされた。しかし、日英戦争の場合には、外交交渉も最後通牒もないままに、真珠湾攻撃の1時間ほど前に、いきなりマレー半島への強襲上陸を開始しているのだから、国際法上の違法性はこちらの方がきわだっている』
オランダに対しては、このイギリスよりもさらに酷く、こうまとめられている。
『イギリスに対しては、真珠湾攻撃後に発表された天皇による宣戦の詔勅の中で(宣戦布告がなされているとも言えるが)、オランダに対しては宣戦布告をせず、豊富な石油資源を有するオランダ領インドネシアを「無疵で手に入れたいという意見」が強かったからである』

 こうして著者は、まとめる。
『日本政府は宣戦布告の事前通告問題の重要性をほとんど認識していなかったといえよう』


4 太平洋戦争の三つ目の性格 「アジアのため」?

 右翼は、大東亜戦争という言葉が好きです。「大東亜共栄圏」とも語るように、白人の横暴からアジアを守る闘いだったと言いたいわけです。著者はこういう主張をいくつかの点から批判していきます。
 最初は、この戦争に際してマスコミなどを「白人対アジア人とは、語るな」と統制していたことをあげています。独伊がお仲間だったからです。また、フランスに対独協力派ヴィシー政権が誕生すると、40年8月にはこんな協定を結んでいます。
『フランスが極東における日本の優越的地位を認め仏印への日本軍の進駐を容認する、それと引き換えに、日本は仏印全土に対するフランスの主権を尊重する』
 「白人の仏印全土への主権」を、日本はいつまで認める積もりだったのでしょう? 作者はこんな事を語って見せます。
『このことは、インドシナ地域の民族運動の側から見れば、日本とフランスは共犯関係にあることを意味する』
 
 それどころか、そもそも開戦理由などは後付けであったと、その経過を著者は明らかにしていきます。
・『41年11月2日、昭和天皇は東条首相に、戦争の「大義名分を如何に考うるや」と下問しているが、東条の奉答は、「目下研究中でありまして何れ奏上致します」というものだった』
・宣戦の詔勅では、「自存自衛の為」と、述べられています。
・12月8日開戦後、7時30分のラジオでは、情報局次長によって、こういう放送がされたということです。
『アジアを白人の手からアジア人自らの手に奪い返すのであります』
・このラジオ放送には、こんなおまけが付いています。この概容を掲載した翌日の朝日新聞では、「白人」という言葉はどこにも見当たりません。かわりにあるのが、「アングロサクソンの利己的支配」。すり替わった理由は、上に述べた通りです。
・12月10日に「大東亜戦争」という呼称を、大本営政府連絡会議で決定。次いで12日に「大東亜戦争」の意味を説明して「大東亜新秩序建設を目的とする戦争」と宣言されました。この「新秩序建設」は、後で述べる11月5日の御前会議決定にも出てきます。

 日本利権と軍事優先ですべてが決定され、理由は後からくっつけたということは、明らかでしょう。このことは、41年10月18日に近衛文麿内閣が総辞職して東条英機内閣が成立したその事情にも、示されています。近衛内閣は、41年4月から始まった日米交渉において、アメリカの最大要求であった『日本軍の中国からの撤兵』を『何らかの形で撤兵を実現することによって交渉の決裂を回避しようとし』ていました。これが軍部に拒否されて近衛内閣は総辞職し、以降2ヶ月弱で日英・日米戦争に勇往邁進していったわけです。関連して、開戦決定御前会議は従来言われていたような12月1日ではなく、11月5日だったと著者は述べています。なお、この5日の御前会議の存在は、東京裁判の当初の段階では米軍に知らされていなかったということです。ハルノートとの関係、「日米同罪論」との関係で秘密にしておいた方が都合良かったと、著者は解明していました。

 

(あと2回ほど続けます)

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