九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

琉球新報より    らくせき

2015年06月30日 19時14分58秒 | Weblog
自民党の大西英男衆院議員(東京16区)は30日、「誤った報道をするマスコミに対して広告は自粛すべきだと個人的に思う」などと国会内で記者団に述べ、安全保障関連法案に批判的なマスコミ報道へ再び圧力をかけた。党内若手議員らの勉強会で25日に同様の発言をし、党執行部から厳重注意処分を受けたものの「問題があったとは思えない」との認識を示した。野党側は強く反発。与党内でも批判の声が出ている。
 大西氏は、安保法案が徴兵制につながる恐れを指摘する報道に関し「徴兵制は全く関係ない。そう報道している一部マスコミがある。懲らしめないといけない」と強調した。
(共同通信)
コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

仮想敵政策、「中国脅威論」 その2  文科系

2015年06月29日 15時07分53秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
4 アベ安保法制と中国脅威論

 さて、アベ安保法制政権は、以上のような侵略性を有するアメリカにぴったりと付いてきた政権なのである。いや、新たにより主体的に付いて行き直そうとしている。武器輸出三原則放棄・兵器輸出・開発協力などなど、この実体経済世界不況下でまともな職業を国内に作れない窮状に対して、自らの商売がらみとも明言しつつのことだから、僕は怖い。
 軍事で儲け出すと、アメリカのように後戻りが出来なくなると恐れる。軍事縮小はすぐに失業者をもたらすのだから、実体経済不況が続く中では拡大の一途を辿る必然性があるはずだ。ヒットラー時代のドイツのように。また、これが拡大の一途を辿るように国家予算を付けさせるべく、軍需会社が各級の議員をも育成していくものである。ちょうど原発村のように。また、このことは、アイゼンハウアー以来この50年以上もアメリカで続いてきたことでもあって、産軍政複合体として私たちには強い既視感があるはずだ。

 これらすべての流れを「正当化」するための(中国)脅威論というのが、この「仮想敵国」創出、安保法制策定の実像だと言いたい。

5 大日本帝国国防方針で振り返る仮想敵国の役割

 大日本帝国国防方針改訂は「第一仮想敵国」を、こう替えていった。それまではロシアだけだったのを「ロシア、アメリカ、中国」と替えたのが、1918年6月。この3国対等から、新興経済大国・アメリカ筆頭となったのが1923年2月である。そして、29年の世界大恐慌を控えたこの直後には、以下のようなことが起こっていく。31年満州事変からアジア・太平洋戦争、もしくは41年の太平洋戦争に向かって、文字通り雪崩を打つ勢いだと、今改めて振り返ると唖然とする思いだ。問答無用・戦争まっしぐらの内外政治と言える。また、以下の出来事の中で現代との共通性がいかに多いか。それがまた、怖いと思う。

23年2月 帝国国防方針の第一仮想敵国が、ロシアを含んだ3国対等から、アメリカ単独になる。
25年1月 日ソ基本条約調印(北の憂いを無くして)
 同年2月 治安維持法公布(国内反対派を抑える)
28年6月 張作霖爆破事件(満州への手始め)
31年9月 柳条湖事件、満州事変勃発
32年2月 満州国建国宣言
32年11月 国際連盟リットン調査団報告書審議開始
 柳条湖事件を日本の自衛行動とは認めず、満州国建国を、自然な民族自決運動の産物とも認めなかったものである。
33年3月 帝国、国際連盟脱退の詔書発布
 世界に対する問答無用の宣言とも言える。今アメリカが当時の日本のように国連をほぼ無視しており、イラク、シリア攻撃を国連の制止を振り切って有志国を募ってやって来た状況と酷似していないか。
コメント (59)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 仮想敵政策、「中国脅威論」 その1  文科系

2015年06月28日 19時54分56秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 仮想敵政策、「中国脅威論」  文科系

1 はじめに

 このエントリーは次の二つの過去エントリーの続編と言える。14年8月1日「中国脅威論の大嘘」と、翌2日「大嘘『中国脅威論』に、また大嘘の積み重ね!」のことだ。この後者の方は、最近までここのベスト10に度々上がってくるなど読者が多いものであり続け、その状況を踏まえてこの5月20日、6月15日にも、拙コメントを新たに付け加えさせていただいた。安倍政権による安保法制の仮想敵国がますます中国に収斂されてきた模様を踏まえてのことである。紛争・戦争前夜政策という、そんな実感がじわりとわいてくるのである。そんな今、以上のエントリーなどの論争相手たちに反論した全ての見解内容をまとめて、そこに新たな文章を付け加え、以下のエントリーとする
 中国発案のAIIB設立に現れたその隆盛と、そこへの日米の冷淡さを片目で見るにつけても、そんな気になるのだ。なお、明日のその2、後編でこの稿は終わる予定だ。
 後編では、新たにアメリカが第一の仮想敵国と定め直されてから、アジア太平洋戦争までがいかに速かったかという年表を振り返ってみたい。仮想敵国の大喧伝は、戦争前夜とも言えるのである。そのつもりはなくとも、事実上そうなって行くという「人間疎外的歴史進行」も含めてのことである。


2 中国脅威論の大嘘

 安倍政権の安保法制関連仮想敵国が中国だとは、ますますはっきりしてきた。そしてこの仮想敵国「創出」に関わる日米の画策狙いも、また明白。
「日米が東アジアで、新たにわざわざ仮想敵国を創り出している」
 この創作ぶりについては、14年8月のエントリーからはじまって、そこの論争に関わる全ての僕のコメントで実証してきたつもりである。
①喧伝された中国の軍事費額は、確かにもの凄い急増数字を示している。が、これは国民総生産がもの凄く増えてきた反映としての見かけ上のものだ。現に、軍事費の対GDP比率ではこんな急減なのである。
『50~70年代平均は6.35%であったのが、経済が好調に変わるとこうなっていく。80年代平均2.3%が、90年単年度には1.4%で、同じく12年度には1.24%だ』。
 そして、上の文章にこうも付け加えた。
『対GDP比で1%枠を持つ我が国だから、その技術力からしたらまー日本の軍事力の方が強力だと思うよ。あちらは巨大な国でこちらはちっぽけな国だから、「国防」、兵士の数で見るなら陸軍、その給料インフレ率などが遙かに高くなるはずだしね』

②地球の裏側まで出かける現代遠征戦争の最大必須兵器は、原子力空母。これがなければ遠征して敵地上軍を叩く戦争は出来ないとも述べさせていただいた。湾岸戦争、イラク戦争などは、まず空から地上を叩いておいて地上軍が出て行くやり方である。この原子力空母は現在世界に11艘で、アメリカ保有数が10、あとはフランスに1艘だけだ。アメリカの侵略性向の何よりの証拠である。ジョージ・ワシントン号が横須賀を母港にしたのが08年、リーマンショックの後であることに加えて、中国の台頭が目立ち始めた頃である。この船がこの5月18日に7年ぶりに米国に帰り、代わりにドナルド・レーガン号がやってくるなど、すべて中国対策であるのは明白なことだろう。

3 アメリカの侵略性こそ、世界の脅威

 こうして、アメリカの方が中国よりもはるかに怖いと述べつつ、この侵略性の根源、諸現象、「(中国)仮想敵」創出をこのように述べさせていただいた。
 この創出の背景を世界の理論史から見れば言うまでもなく伝統的経済学、ケインズ、マルクスなどによって昔から唱えられてきたこのこと。恐慌状態から有効需要の欠乏に直面して、腐朽しつつある(グローバル)資本主義による「(米日)経済の軍事化」である。そして、この行き着く先は、初めは意図しなかったものも含めて、実際の戦争でしかあり得ないことになるとも、述べさせていただいた。

 嘘の理由を創ってまでイラク戦争をなぜやったのか。独立国シリアに、どうして内戦を仕掛け続けているのか。ほぼ100年来の冷戦の相手・東欧圏が消えたのに、9.11を機会として、従来の「悪の枢軸」に加えて「テロの脅威」をこの世に作り上げて、さらなる軍事力増強を図り続けたのは誰だったか。こうして、アフガン、イラク、シリアがぼろぼろになって、イスラム国すらアメリカの兵器で戦っているという始末ではないか。アメリカ製兵器という以上に、アメリカがイラクなどを通じて意識的にイスラム国に大量の兵器を渡るようにしてきたという世界マスコミ情報も多いのである。


(明日に続く)
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「よたよたランナーの手記」(122) ラン極楽の再スタートへ  文科系

2015年06月28日 00時53分47秒 | スポーツ
「よたよたランナーの手記」(122) ラン極楽の再スタートへ  文科系

 21,23,25,27日と走ったことになる。微かなものだったから、左膝痛はもちろん、右アキレス腱も注意して鍛えてきて完治させられたようだ。27日、本日は11.5キロ時を5分ほど走ったが現在何ともない。それだけでなく、故障を取り戻すべく1日おきで4日、いつも10キロ弱を走ったにしては、疲れがないのである。こんなふうにもうちょっと鍛えてから、12キロ時に挑戦してみよう。

 11キロ時だとまだ、心拍数が時に155を超えるようだから、これが155以内に収まり、普通150近くになったらこの挑戦をやってみるつもりだ。僕の経験的現状認識からすると、案外「案ずるより産むが易し」と思っている。ピッチ数をあげるよりも、僕の昔のピッチ1分で160歩近くまで落とした方が心拍数は上がらないとも分かってきたことだし。11.5キロ時でもこのピッチ数で走れば、心拍数が150ほどに間もなく留められるようになると思う。

 走るのは楽しい。また、サイクリングを活用したトレーニングも時間を見つけては大いにやっているが、僕のお好みの庄内緑地公園を巡るこれを何回も重ねていきたい。あそこの周回コースは2.5キロ近くと大きくって本当に気持ちが良いし、木陰で休むことも出来る。現役時代のサイクリング仲間、S君が今年現役を退いて既に久しぶりの併走しているから、これも重ねていくことになるだろう。これも、楽しみである。

 話は換わるが、最近のジムではウェートトレーニングにも力を入れている。僕が一番弱い腕を前に押す力(ベンチプレスを腰掛けてやるようなもの)を最も注意して伸ばしている。初め28キロでやっと僕流基準の10回にできたのを伸ばしてきて、35キロも10回できるようになったし、今では42キロに挑戦し始めて、はじめ1回しかできなかったのが3回できるようになった。それでも、腕を引っ張る力の方は70キロを10回できるのだから、まだまだである。心なしか、胸が厚くなったようだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

琉球新報より    らくせき

2015年06月27日 19時39分26秒 | Weblog
琉球新報が、百田氏の発言について反論しています。事実を踏まえた、報道はかくあるべし、という内容です。


宜野湾市内13区にまたがる米軍普天間飛行場は沖縄戦で1945年4月に本島に上陸した米軍が住民を強制排除し、占拠した。同月下旬に本土決戦に備え、滑走路建設が始められた。
 現在の飛行場施設内には宜野湾村役場(当時)や住居、畑、馬場、国の天然記念物に戦前指定されていた「宜野湾並松」などがあり、住民の生活風景が米軍によって奪われた。
 米軍は土地接収後、居住していた住民を野嵩収容所などに送り、立ち入りを禁止した。宜野湾市史によると、住民は46年9月に出された宜野湾村嘉数への帰村許可を皮切りに、沖縄戦前に居住していた地域に帰ることが許された。だが、現在の飛行場区域内で暮らしていた人々は帰ることが許されず、周辺への居住を余儀なくされた。神山、中原、新城、宜野湾などの地域ではいまでも多くの土地が接収されたままだ。
 また百田尚樹氏が取り上げた普天間飛行場の騒音訴訟で、那覇地裁沖縄支部は(1)騒音の特質から騒音実態を把握することは容易でない(2)地元回帰意識の強さや地理や交通、住宅事情を考慮するとやむなく住み始めた人が相当数いる(3)騒音はいずれ解消されると合理的な見通しで住み始めた人が相当数いる-との判決を下している。基地周辺に「選んで住んだ」との指摘は当てはまらない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ハリルジャパン(11) 岡崎、プレミアへ  文科系

2015年06月27日 14時52分40秒 | スポーツ
 僕がここで08年からと最も長く熱烈に応援してきた岡崎慎司が、とうとうプレミアリーグに行くと決まった。1部残留をぎりぎりで決めたレスター、浦和のボランチ阿部が2年ほどいたクラブなのだが、14億円ほどの移籍金でマインツから合意を取ったらしい。3年以上の複数年契約というから、レギュラーで使うというような高評価、高く買われたものである。岡崎としては、幼い頃からの夢だった「イングランドはプレミア・リーグでのプレー」を果たしたことになる。この上は、同じ夢が挫折に終わった香川に代わって、是非3年間レギュラーを守り通してほしいものだ。としたら、中田英寿なみの選手ということになったと言いたい。ただ日本が苦手なFWでこれを果たしたということになれば、まーヒデを抜いたと見て良いのかも知れない。

 凄いことだと思う。日本が得意の中盤からは、ヒデ、小野、俊輔などがそれぞれ外国で長く活躍してきた。FWの活躍は、特に岡崎の半分ほどの成績を世界で上げた選手もいない。それどころか、強豪リーグのFWでレギュラーを取った選手さえいないのではないか。それを、今世界一の強豪ブンデス・リーグで2年連続得点ランクベスト10(7位と8位?)という成績をひっさげて、世界一の人気リーグに堂々と買われていくのである。

 今年一年、またサッカーと代表が楽しみになった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

それを言っちゃあオシマイよ    らくせき

2015年06月27日 08時50分32秒 | Weblog
百田さんと自民党の議員さん。
議員さんはバッジをはずしてから。
道徳教育が必要なのはアナタたちかも。

コメント (17)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

高齢者貧困化、その背景   文科系

2015年06月26日 08時09分57秒 | Weblog
高齢者の9割が貧困化 「下流老人」    

 週刊朝日に表記題名の記事があった。
 現役人生の最も多くを社会福祉に関与してきた僕として、読んでいて涙が出てくるような記事であった。そして、こんな時いつも出てくる言葉が、これである。
「なにもないゼロどころか、この上ないマイナスから始まった戦後日本をここまで復興させた功労者たちに、この仕打ち!」
「挙げ句の果ては、歴代為政者たちのこんな自己正当化までを許してきた始末。『高齢者への莫大な出費を、少ない若者に支えさせる歪み!』。その結果がこれだ。高齢者を社会のお荷物のように扱う介護政策の貧困。世代間離間政策。
 

 高齢者の貧困が問題になっている。内閣府調査の<世帯の高齢期への経済的備え>で、60~64歳で貯蓄が「十分だと思う」と答えた人は3.6%。「かなり足りないと思う」と答えた人はその10倍、35.5%だった。

「老後の貧困は、ひとごとではないのです」
 そう警鐘を鳴らすのは、生活困窮者支援のNPO法人「ほっとプラス」の代表理事で社会福祉士の藤田孝典さんだ。6月半ばに出版した新刊『下流老人』(朝日新書)で、「このままだと高齢者の9割が貧困化し、貧困に苦しむ若者も増える」と書く。
 藤田さんは貧困高齢者を下流老人と名付けた。普通に暮らすことができず下流の生活を強いられる老人という意味で、日本社会の実情を伝える造語だという。

「年収が400万円の人でも、将来、生活保護レベルの生活になる恐れがあります」(藤田さん)
 実際に生活保護を受給する高齢者は増加中で、今年3月時点で65歳以上の78万6634世帯(受給世帯の約48%)が生活保護を受けている。昔なら子ども夫婦に扶助してもらうことが当たり前だったが、今は核家族が多い。頼りの子どもは派遣切りやニート。高齢で大病して貯蓄も尽きたら……。

 藤田さんは、『下流老人』の中で高齢者が貧困に陥るパターンを五つに大別した。
【1】本人の病気や事故により高額な医療費がかかる
【2】高齢者介護施設に入居できない
【3】子どもがワーキングプアや引きこもりで親に寄りかかる
【4】熟年離婚
【5】認知症でも周りに頼れる家族がいない
 本人の病気と家族の介護をダブルで抱える人もいれば、60歳を過ぎて妻と別れ、途方にくれる男性もいる。
「1部上場企業で働いてきた男性が、離婚してから食事や趣味にかけるお金を節約できず貧困になる人もいます」(同)

 こんな例もある。藤田さんが警察で保護した60代の男性は、不動産会社社長で、バブル期は資産が2億円あった。だが土地が転売できず破綻。それでも社長っ気が抜けなかったらしい。
「6年前に彼がお弁当とお茶をスーパーで盗んで捕まったとき、所持金が100円なのに、スーツを着込んでいました」(同)
 この元不動産会社社長は「食いっぱぐれるはずがない」「老後の心配無用」と年金も払っていなかったという。

 80歳の老母と45歳の息子のこんな生活苦もある。福祉施設に勤める息子の給与は手取り23万円。亡き夫の会社が傾いたときに息子が借金を被り、返済が毎月数万円ある。築40年の賃貸マンションの家賃を息子が払い、母親が光熱費と食費を払う。母親は病院通いをしながら、息子の大学時代の奨学金も年金から返し続ける。
「奨学金は息子名義だが、何年か払えない時期があり、親の私に支払い通知が来た。額は多くはないが息子からも頼むと言われて、この先十何年は私が払わないと」
 母は息子がいないと年金だけでは住めず、その息子が母に寄りかかる。

 関西で生活困窮者の支援をする生田武志さんは、貧困から人が落ちていく様子を、「カフカの階段」として図式化した。
 労働、家族、住居を失い、金銭を失い、ついには野宿という究極の貧困状態に。生田さんによれば、落ちるときは一段、一段落ちるが、最下段まで落ちると、簡単には上に上がれない。住所がないとハローワークで職も得にくく、生活保護を受けるのに時間がかかることも。
「生活保護の申請をしなかったり、申請しても追い返されて野宿になる高齢の方にもたびたび出会います」(生田さん)


 これに関連する日本の老人物として、以下の随筆をお読み願えれば嬉しい。それぞれこれへの関連の仕方は漠たるものだが、全て随筆だから心、実情がにじみ出ている積もりだ。以下それぞれ、他人の随筆紹介が二つ、拙稿が間の一つ。「家族葬」(5月27日)、「自分の身体は自分で守る」(6月11日)、「親の不思議」(6月23日)だ。
 バックナンバー、過去記事にはこう入る。右欄外のカレンダーの下にある年月欄クリックから。5月27日なら、15年5月をクリックすると上のカレンダーがその月分に換わるから、その中の27日をクリックすればよい。
コメント (12)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「よたよたランナーの手記」(121) ラン極楽小休止  文科系

2015年06月25日 10時18分00秒 | 文芸作品
「よたよたランナーの手記」(121) ラン極楽小休止  文科系

 13日に走って翌日から台湾旅行。20日に帰って21、23日と走った。台湾旅行でも17日山地にそびえていた五つ星ホテルの周囲を30分ほど走った。他にも、玄奘寺という名所の脇にあった900段ばかりの山上の塔への上下をやった。この900段上下は旅行の有志スケジュールに組み込まれていたもの。その有志たちは、(20、30代と覚しき10人ほどなどは特に)、スタートと同時にかなり意気込んで、文字通り全員が僕を追い越していった。もっともこういうときは最初が肝心としっかり体験してきた僕は、スタート直後10分ほどはとにかくゆっくりと歩いた。いわゆる、ウヲームアップ(その後に好調を呼ぶ「呼び水」)の積もりで。だけど僕は少々トレーニングとして取り組む積もりだったので、後半には頑張った。その結果、確か一番に帰ってきたはずだ。結構、山上の施設もしっかり回って、帰りのスタートはけっして早い方ではなかったはずだったが。

 さてこれでも、先回もちょっと書いたが、右アキレス腱が微かに痛み思い切り走れないから、ラン極楽がいったん遠のいた感じというのは、変わりない。こうなると僕の生活はなんか失楽園である。先回の最後もこう結んだのだが。
『そんなことから最近はよくウエートトレーニングにも時間を割く。仰向けになった腹筋台で目を閉じてゆっくりと30回ほどの上体起こしをしていると、いろんなことが思い浮かぶ。〈へろへろになった昨日。それが今日、これだけの回復・・・まだまだラン極楽を続けていける。そう言えば、激しく走った後のこの小休止も、極楽、極楽! 目を開けてみよう。真上の強い明かり・・・ちょっとまぶしいな・・・〉』
 このアキレス腱痛も必ず復旧させてやる。全力で走れるラン極楽を必ず取り戻してやる。アキレス腱への注意を少し怠っていたようで、ちょっとその「かばい方」「抵抗力増強」を時間をかけてじっくりと研究しないといけないが、いつでも、どんな場面でも、きっと道はあるはずだ。僕はそう信じてやってきて、ここまで走れるようになっているのだから。この旅(訳あってアメリカの旅行社が企画したものに参加。中国からのアメリカ帰化人などが最も多かった)で僕としてほんの片言英語で話し込んだドイツ人の大学生にも「私の父親よりも若く見える」と言われた。この女の子は台湾の大学院に留学中で「国際コミュニケーション」を勉強中とのことだったが、この旅に来た両親と現地合流した、愛用らしきショーツ姿の生足もすらっとした美人さんだ。僕とも仲が良くなったその父親は55歳なのだそうだが、総体的に外人に比べて日本人は若く見えるようである。

(ここからは、今日のランを終えて改めて書くもの) 今日25日のランは、暑くなった最近としては珍しく頑張って、60分で9.5キロを走った。基本LSDの上に、随分久しぶりの11.5キロ時10分を入れたが、アキレス腱は早くも何ともなかった。この間単期間に、あれこれ考えたトレーニングだけでこうなっていたということ。僕のラン・身体科学もなかなか大したものである。だからこそ、59歳から始めたランニングで、今でも11キロ時が走れるんだろう。いや、12キロ時も近く可能だという気がしている。この場合の「可能」とは僕流の、こういう意味だ。12キロ持で、10分は走れると。15キロ時以上でも、いや20キロ時でも10秒なら走れる人は多いはずだから。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本国の不思議     らくせき

2015年06月23日 09時52分22秒 | Weblog
安倍さんを支えているものに吉田松陰があるらしい。
しかし吉田松陰は決して国を売るようなことはしない。
安倍さんは、まずアメリカで安保法案の成立を約束した。
吉田松陰がこれを聞いたら破門は間違いないと思う。
すくなくとも今の外交政策をよしとはしないと確信します。

一般に右翼とされる人達も対アメリカとなると腰が引ける。
これって一体なぜなのか?

どこでこうなってしまったのか?不思議の国、日本。
安倍さんが日本人としての誇りを持っていると感じられない。
愛国心が欠如していると思われる。






コメント (7)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

随筆紹介 「『親』の不思議」   文科系

2015年06月23日 09時36分59秒 | 文芸作品
 『親』の不思議   H.Tさんの作品

真夜中に電話のベル。何事がと、おどろいて受話器を。隣の棟のAさんの引きつったような声。いつもおだやかな方なのに……。
「加代さん。すぐ来て!」、おびえた声だ。
「百足が、百足が出た」と。私はパジャマのまま走った。
 部屋の中でふるえている、寝間着姿のままのAさん。
 私は、ふとんの中を見て、枕カバーを外して振ってみたが、居ない。
 Aさんは、”確かに観た”と。まだ歯を鳴らしている。部屋の隅、タンスなどの裏側にも居ない。殺虫剤を吹き付けて、私は帰った。

 明くる日、またしても深夜の電話で、私は走った。
「また百足が!」。「速く、速く、来て!」。着くなり、言うには、
「ゆうべあんたが、しっかり見てくれなかったから……」、がたがた震えて青くなっているAさん。  
ふとんカバーを剥がし、枕カバーを取ると、やはり百足が飛び出して来た。
「やっぱりあんたがしっかり見てくれなかったから、二晩も……」、Aさんは昨夜と同じ事を言う。やっと側にあったスリッパでたたき、動かなくなった百足を抑えながら、
「夜中に私を呼びつけないで! 近くには娘さんが居られるのに……」
 声を荒げる私に、
「娘は働いているから、疲れているでしょう。寝かせてやらな、かわいそうでしょう」
 ”私だって二晩も真夜中に呼びつけられて、もー大変。大迷惑です”
 腹立ちと怒りとで、ひっくり返りそうだ。スリッパの下で動かなくなった百足を紙袋に入れ、踏みつけて紙にくるんでいると、
「私の棟のダストシュートに捨てないで。生き返ってまた来ると怖いから、他の棟のダストシュートに捨てて!」
”勝手ババァー、人をなんだと思っているんだ、いいかげんにして。二度と来ないから”と、声にならないひとり言。

「娘は働いているから、疲れているでしょう。寝かせてやらな、かわいそうでしょう」。この言葉が、私の頭の中でぐるぐる回っている。時計は三時を指し、外は真っ暗闇の真夜中。帰って、お茶を入れて、ほっと一息。私はAさんのように子どもはいない。両親は数年前に逝った。決して人に誇れるような親ではなかった。働いて働いて、貧しい時代を生きただけの親。
 でも、子どもの私をAさんと同じように、どうにも理解できないエゴ愛で守り育ててくれた時も……。そう思ったら、胸がいっぱいになり、目が濡れた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

琉球新報より     らくせき

2015年06月22日 10時04分08秒 | Weblog
沖縄戦で大本営がゲリラ戦を目的として、やんばる地域の十代の少年らを集めて組織した「護郷隊」の一部で、上官の命令により少年同士による制裁が行われていた実態があったことが分かった。名護市教育委員会の市史編さん係嘱託員、川満彰さんが複数の関係者から証言を得た。少年らの中には仲間の射殺を命じられ、実行していたケースもあるという。「上官絶対」の軍事論理が少年らを支配していた現実が浮き彫りになった。
 護郷隊は、米軍の沖縄上陸を見据え、1944年秋から召集が始まった。少年らは幼なじみの5、6人のグループに分けられ、在郷軍人が上官として訓練指導に当たったとされる。爆弾を持っての体当たりや背後からの急襲といったゲリラ戦の訓練が昼夜問わず実施される一方、山や谷、民家があってもひたすら直進するといった訓練も課された。その課程で上官への服従や全体責任を押し付ける軍事論理の浸透も図られたとみられる。
 川満さんや元隊員の証言によると、少年らは地域の幼なじみだったため、結束が固かったという。しかし、上官が同じグループの別の少年を殴るよう指示し、少年が従ったケースもあった。結果として少年が少年を制裁し合う構図が生まれていったという。
 その中にはスパイ嫌疑がかけられた少年の射殺も含まれており、上官の命令により複数の少年が目隠しをされた仲間に対して一斉に銃を発射。犠牲になった少年は集合時間に遅れただけだったという。
 軍事教育は徹底していたが、実際に沖縄戦が始まると、少年らの親戚や知人が米軍に投降して近くの収容区に入っていたことから隊を無断で離脱するケースが相次いだ。地域の結び付きの強さを裏付ける一方、少年同士の制裁は終戦後も大きな影響を地域に与えた可能性がある。川満さんは「軍事論理により、地域の人たちが苦しみ続けるということを学んでいくべきなのではないか」と話した。
(中里顕、阪口彩子)

<用語>護郷隊
 主にやんばる地域の十代の少年らで組織された第三、第四遊撃隊の秘密名。それぞれ第一護郷隊、第二護郷隊と称した。スパイ養成機関として知られる陸軍中野学校出身の将校が派遣され、主に同地域を中心にゲリラ戦を展開することが任務とされた。地の利を生かす狙いがあったが、全く知らない土地に配置された少年も多く、162人が戦死した。



コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

随筆紹介 「ベルマーク雑感」    文科系

2015年06月21日 13時46分40秒 | 文芸作品
 随筆 ベルマーク雑感  H.Sさんの作品

 バナナを買った。バナナの包装フィルムにベルマークがついているのを見つけた。
 懐かしい思い出がよみがえった。二人の娘が小学校に通っていた頃、せっせと集めていた。

 奇数の場合はじゃんけんで勝った方が学校に持っていく決まりを二人で作っていた。
 企業のベルマークの教育資金援助は、娘が通っていた学校にとって大いに役立ってくれたはずなのに、娘たちが卒業、社会人となって久しい現在、ベルマークのことはすっかり頭から抜け落ちていた。
 この事業に賛同する企業が、自社製品のラベルに、ちいさな釣鐘模様のマークを印刷して販売する。そのマークの付いた商品を児童の保護者が購入。マークを切り取って集め、学校に持ってゆく。学校はそれを集めて企業に送る。
 企業から、一点一円としてカウントされ、一円が教育資金として学校に支払われた。百円の商品で一点がもらえる仕組みだったので、ひとり、ひとりの持ちよる枚数は少なくても、結構な金額になり、備品、教材を買う資金として大いに役立っていた。

 バナナを手に取った私は、企業の教育資金協力が五十年も続いていたことに驚き、会社の子供達への思いやりと、真面目な姿勢が嬉しかった。
 私の買った住友フルーツのバナナのベルマークは、1・5点。このバナナ二つで三円もらえる。常時、このバナナを買っていたのにどうして気が付かなかったのだろうと、一瞬考えた。孫が、今年から小学校に上がった。これが記憶を呼び戻したのだと、気づいた。
 ずい分勝手なことだと、我ながら呆れる。早速、東京の孫に電話を入れ、この運動に孫が学ぶ学校が参加しているのかどうかを聞いた。
「集めているから送ってちょうだい」と、返事が来た。
 この日から、ベルマークのついた商品を、注意して探すようになった。

 ある、ある。白鶴酒造の酒。日清製オイリオの油。味の素のコンソメスープの素。森永製菓のキャラメル。明治製菓のチョコレート。牛乳石鹸。グンゼの子供用下着等。百五十社が協力しているとのことだ。
 集めたマークの商品から、私の家の日常が透けて見えるようになっているのに気付いた。
 それはこういうことだ。白鶴酒造の酒で晩酌をする夫。日清オイリオの油でとんかつを作り、味の素のコンソメで味付けしたスープを添える。おやつは、森永のキャラメル。明治製菓のチョコレートを食べ、住友商事のバナナを食べる。お風呂では、牛乳石鹸を使い体の清潔を心がける。孫にはグンゼの子供用の下着を送る。私の家はこういう生活をしていますと、教えているようなものだと笑えたが、集めることを止める気はさらさらない。

 パソコンを使ってベルマークの付いた商品を探すのは容易いことだが、私は自分の目で賛同企業を探しながら使う商品を手に入れている。老人世帯なので多くの商品を手に入れるわけではないが、思わぬ企業がこの運動に参加していることを知るのは楽しいことだ。
 ベルマークの効用は、学校が資金を得るだけでなく、私にとっても面白い作業になった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

報道特集がもう11年前に今の安倍さんの安保法案を検討したいと

2015年06月21日 10時44分04秒 | Weblog
紹介してました。
どうやって9条をクリアーすrのか?という智恵をしぼっていたわけです。
これは外務省と防衛省の夢だと。

9条はしっかりと機能していたんですね。この70年間。
自民党政権と亜米利加軍の喉元にささった棘なんですね。

安倍さんが改憲を打ち出して、いよいよ総仕上げの段階に。
それをアメリカ議会で約束する一国の総理を持っている国。
世にも不思議な国。

それに答えを出すのは国民です。そう憲法は保障しています。
安部孫悟空が縦横に飛び回ているのも、憲法の掌のうえの出来事。

決着の時が近づいてきています。   
しっかりと見定めて・・・



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

改めて、『日韓不幸の源』    文科系

2015年06月20日 10時19分03秒 | 文芸作品
 現在これを書いている今は台湾滞在7日目の最終日で、台湾師範大学宿泊棟にいる。この7日間、台湾は親日的とよく言われる通りのことを感じてきた。だからこそ、韓国に比べて15年も早く植民地に出来たわけであって、台湾が植民地になったのは1895年、韓国よりも15年も早い。植民地期間は韓国が35年に対して、台湾は50年である。独立王朝を誇ってきた朝鮮は、それだけ植民地化への抵抗も激しかったのだと、改めて振り返っていた。そこで、表記のことを改めてまとめ上げてみた。

『 ちょうど五十年前の一九六五年六月二二日、日韓基本条約が調印された。この七月には、「アジア・太平洋戦争敗戦七十年」に関わって、安倍首相の新たな談話も出るようだ。去年だったか「ハルピン安重根記念館設立で韓国が中国に謝意」というニュースに管官房長官が怒りの談話を発表したという出来事もあった。「伊藤博文暗殺のテロリストを褒め称えるとは、日本に対してなんたる失礼、侮辱!」と、正式抗議までしたようだ。そんなこんなで、この機会に日韓問題について、改めて愚考を開陳してみたい。

 六五年の日韓条約合意、締結までに十四年もかかった……。両国の立場が大きくかけ離れ過ぎていたからだ。その理由をたとえば六月一日の中日新聞が、二つの問題に集約できると述べている。この二つとは、①三五年間の植民地支配をどうとらえるかということ、②①の「賠償」について名目と金額のことである。加えてさらにこの二つそれぞれに別の難問が付け加わってくる。韓国は①を明治維新直後からの日本武力侵略史と捉えているのだろうし、①も②も太平洋戦争以前の「歴史」問題であって、連合国による日本「裁き」とは別個に二国間交渉だけにゆだねられたものだったということだ。

 これらの問題をさらに難しくする対立点もあった。日韓条約交渉に臨んだ当初の日本側久保田代表が、韓国植民地化は合法的になされたとか、インフラ整備など韓国近代化に貢献したなど良いことも多数あったから在韓財産を請求できるはずだと語ったのである。韓国は当然、武力による侵略であったし、財産請求などとんでもないと反応した。このような対立、認識の相違こそ日韓関係を難しくしてきた原点、大元だと僕は観ている。
 この久保田発言は後にお詫び付きで完全撤回される。それなのに、この久保田発言の思想が今でもいわゆるネット右翼諸氏の理論の骨子であり続けているということが、興味深いところだ。難しくて当然なのである。韓国植民地化までに日本がどれだけ長く、どんなふうに武力を使ったかという歴史認識について、日韓間には大差がありすぎるのだから。痛みを与えた側よりも痛められた側がその記憶を消せない理屈だ。この数年僕も調べてみたが、日本が韓国に行った以下のことなどを、日本人はどれだけ覚えているだろうか。

 日本の武力侵略は、明治維新直後一八七五年の江華島事件にまでさかのぼることができる。これは、「ペリー来航・即首都への川をさかのぼり砲撃しつつ侵略」と言えるようなものであって、韓国にとっては大事件であった。九三年の東学教徒反乱事件は日清戦争のきっかけになったものだが、日本軍がこのときどれだけの朝鮮人を殺したことだろう。日本軍隊が平時の常時外国駐留を認めさせたのも朝鮮が初だし、九五年には、こんな大事件も起こった。夜陰に紛れて宮廷深くに忍び込んだ日本人が王妃暗殺という大事件を引き起こしている。日本の駐朝公使が主導して、王妃の死体に石油をかけて焼くというショッキングなものである。この背景の性質上、世界的な大問題になった事件でもあった。王妃・閔妃が初め清国と、次いでロシアと連携して、日清戦争後の反日機運に動いていたからである。首謀者・三浦梧楼日本公使のこの残忍な行為に顕れた反日への憎しみこそ、日本側の一部の人々がその後の日韓関係をどう理解してきたかを象徴しているように僕は思う。

 安重根事件は一九〇九年にハルピンで起こったが、韓国の記念館パンフレットではこれを「ハルピン義挙」と記している。この問題の理解は難しい。当時の「法律」から見れば当然テロリストだろうし、今の法でも為政者殺しは当然そうなろうから。が、三五年かけて無数の抵抗者を殺した末にその国を植民地にしたという自覚を日本側が多少とも持つべきであろうに、公然と「テロリスト」と反論・抗議するこの神経は、僕にはどうにも理解しがたいのである。「向こうは『愛国者』で、こちらは『テロリスト』と言い続けるしかないのである」という理解にさえも、僕は賛成しかねる。
 今が民主主義の世界になっているのだから、やはり植民地は悪いことだったのである。「その時代時代の法定主義」観点という形式論理思考だけというのならいざ知らず、現代世界の道義から理解する観点がどうでもよいことだとはならないと思う。「テロリスト」という言い方は、こういう現代的道義を全く欠落させていると言いたい。当時の法で当時のことを解釈してだけ相手国に対するとは、言ってみるならば今なお相手を植民地のように扱うことにならざるをえないと、どうして気づかないのだろうか。僕にはこれが不思議でならないのである。こんな論理で言えば、南米で原住民の無差別大量殺人を行ったスペイン人ピサロを殺しても、スパルタカスがローマ総督を殺しても、テロリストと呼んで腹を立てるのが現代から観ても正当ということになるだろう。

 
 江華島、東学教徒反乱、王妃暗殺、安重根・・・、植民地化に至るまで強圧・反乱鎮圧という悪循環的エスカレートを繰り返していくこれらに類した事件・惨事は、これらの間にも他に山ほど続いていく。こういう日本統治史の象徴とも言えるのが、政治犯刑務所。この残酷きわまりない統治、治安機関は、繁盛を極めていくばかりであった。一九一〇年の朝鮮併合は、こういう四十年近い歴史の一つの結末なのである。
 併合前四十年と併合後三十五年。この全体に対する真摯な反省が日本国民に生まれないうちは、正常化などうまくいかないにちがいないのである。』
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする