九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

随筆 「ハーちゃんと僕」    文科系

2017年03月30日 11時22分00秒 | 文芸作品
保育園玄関出入り口を開けるとすぐの廊下に、今年入学予定で六歳のハーちゃんが早帰りの準備万端を整えて待ち構えていた。手早く靴を履きながら「ジジ、遅いねー!」、その全身が喜びを表しているから嬉しくなった。歯医者に行くための早迎えだと言ってあるのに。

 娘夫婦は、我が家のすぐ近くに住まいを決めて、こんなふうにいろんな育児仕事に僕を引っ張り出してきた。0歳の時にもうそうだったし、単に育児仕事だけではなく、運動会とか「親子」キャンプなど女男二児の保育園行事にもどんどん。若い頃の僕が保育園参加も含めたイクメンの走りと娘自ら体験してきたからのことなのだが、パパだけでなく、まだ健在のババを差し置いたジジのこれだけのイクメンって、ちょっと珍しいはずだ。
 イクメンと言う以上に教育パパならぬ教育ジジもやってきた。と言っても、まだこんな程度だが。自転車に乗れるようにしたり、運動会のための竹馬も僕が作って、僕も教えた。週一土曜日の水泳教室はほとんど、若いママやパパに混じって見学しに行きたくなるのだし、二か月に一度のその教室進級テストの一~二週前などは二人で市営プールに行って欠点を修正してやったりもする。そんな帰りの公園で運動会の前などは正しい走り方まで教えてきた。だからこそなのだと確信しているが、水泳は二五メートルがクロールできるクラスだし、運動会リレーではアンカーとしてクラス一バネの利いたダイナミックな速さを見せているなーと、教育ジジは目を細めていた。ただし僕にとっては、これらすべてが、我が子に日曜日などにやってきたことを繰り返しているに過ぎないのである。ハーちゃんが習っているピアノ・レッスンも、娘にしてきたようによく付き合っている。「小学校前教育は、何かスポーツと芸術一つずつ。それが一番」という教育方針も僕と娘夫婦で一致しているのである。もちろん、お婿さんもこれらを僕とともにやってきた。彼と僕が仲が良いのもこうして、ハーちゃんの御陰なのである。孫もカスガイということだろう。

「恋人同士みたいだね」。これは、去年白樺湖の大きな遊園地に出かけた時に娘夫婦が僕らにかけた言葉だ。ほぼ全ての遊び遊具目指して、僕と二人であちこち飛び回っていたその光景を評したもの。こんな時は、「ランナー現役を続けていて良かったー!」と自分ながらしみじみと思うのである。〈日々一緒に遊んできて教育ジジやってきたけど、恋人ねー……〉。
 日曜日の午後、玄関のブザーが鳴る。パパが開けた扉の鍵音諸共、居間でビデオ・サッカーを観ている僕の膝めがけてハーちゃんが駆け込み、飛び込んでくる。こんなところも確かに、恋人みたいなのだ。膝の上のハーちゃんは時にお姫様抱っこの体勢も取るし、僕の首筋に両手を回したりもするから、大好きな「ごっこ遊び」であり、その恋人同士。ただ、CDがいっぱい揃えてあるディズニー・アニメの男女場面のごっこ遊びかも知れぬと気付いてからは、途方に暮れてしまうようになった。そう気付いたのは、こんな場面があった時だ。
 四〇歳を超えた僕の息子と我が家で出くわしたときには、ハーちゃんの恋人役はたちまち彼に替わるのだ。僕に対してよりもかなりべたべたしている。アニメのごっこ遊びと思えばこの全部が理解できるのだが、ちょっと際どいこんな「遊び」がはて何歳まで続くのか。そう想いを馳せると、ちょっと寂しく、一種切ない気持ちになった。
コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ということで、タイ戦 1970

2017年03月29日 20時58分56秒 | Weblog
一言でいうと酷かった 笑

ザッケローニ、アギーレ、ハリルときた中で最低の内容だったんじゃないかな。
とにかく、山口と高徳、森重のスキルが絶望的に低すぎた。
ボールを持った時に周りを殆ど見てないのよ。
特に森重。前半から森重がボールを持った時に、原口、久保、岡崎、香川と
両サイドバックが何度となくパスコースを作る動き出しをやるのを何も見ない。
結局相手マーカーが付くまでボールを離さないからパスが繋がらず相手ボールへ。
山口と高徳に至ってはそのまま相手にプレゼント笑
相手がタイで、繋いできたから良かっただけでこれがドイツやブラジルならば8点は軽く獲られたわ。
タイは健闘したという意見もあるが、それは間違い。
健闘ではなくあんな稚拙な守備からのボール回しをする日本相手に無得点を最大の反省にしないと駄目だよ。
そして、昨日のゲームで分かったのは、アジアではどんなまずいサッカーをやっても日本はとりあえず勝ってしまうということ 笑
久保や少し前の本田、岡崎、俊輔等決められる選手さえいれば勝てる。
しかしこれはある意味不幸。弱点を磨けないわけだから。
今のスタイルで世界相手には話にならない。
カウンターを軸に戦いたいのは分かるがその為のボール扱いが出来ない選手を使っても世界では何もさせてもらえない。
ルックアップして繋げる選手を作らなきゃこのサッカーは終りだよ。
サウジやオーストラリアはスカウティングはやる。
吉田にマーカーを張り付け森重に持たそうとするだろう。後は久保にマンマークしておけば日本は機能不全。少し苦労した方がいいと思うね。じゃないと先無いわ。
川島はよくやった。前よりもギラギラした部分が無くなって落ち着きが出て良かったよ。意味不明の飛び出しが消えたから 笑
コメント (5)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

随筆紹介  「松ぼっくり拾い」    文科系

2017年03月29日 12時17分07秒 | 文芸作品
 松ぼっくり拾い   K・Kさんの作品です


 老人ホームにお世話になっている母を気分転換にと外出させた。
 家族で昼食後、五歳の孫娘が持ってきた松ぼっくりの絵本を母は興味深そうに見ている。ページをめくりながら思い出したように口を開いた。「青森にいた時は、よく松ぼっくりを拾いに行ったね」、遠くを見る目になって話し始めた。

 五十年前、父の転勤のため八戸市で四年過ごしたのを私も思い出した。薪ストーブでの焚き付けに松ぼっくりを使うので、休日に家族でおにぎりを持って防風林の松林へ松ぼっくりを拾いに行った。そのころ小学生だった私は初めは兄弟で競い拾った。一つずつ布袋を持ち誰が早くいっぱいにするかと負けん気をだした。でもすぐに飽きて砂浜で遊んだ。
「波が来たら逃げるんだよ。海の底に引きずり込まれるから」母が繰り返し注意していたのを覚えている。今でも波は怖い。帰りは籐でできた乳母車に、松ぼっくりが入った布袋と一緒に弟が乗ったのを皆で押した。

 松の語源の一つに、春に受粉して秋に実がなる。そのまま冬を越し二年目の春から大きくなり、中の種が風に乗って運ばれると、松ぼっくりは木から落ちる。待つのが長いからまつという説もあるとか。北国の冬は長い。春は本当に待ち遠しかった。
「濡れて閉じているのは、ストーブの周りに置いて乾かすと開いたよね」母の話は続く。いつまでも松ぼっくりの絵本に見入っていた。
コメント (3)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

安倍一族の虚言癖   らくせき

2017年03月28日 10時14分26秒 | Weblog
安倍さんをはじめとして最近の政治家は簡単にウソをつくようです。
「ポスト真実」というそうですが・・・
アメリカは知りませんが、日本の場合、戦前の歴史を改竄しようという
歴史修正主義を信奉している人たちに多くみられるような気がします。
大義のためには嘘も方便、といったところでしょうか?
その虚言癖がついつい出るのでしょうか?

コメント (11)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

薄汚れた国!   文科系

2017年03月28日 10時14分26秒 | 国内政治・経済・社会問題
 ここによく書いている、ネトウヨ諸君のことで少少。

 これだけ誤った自国歴史観(3月25日の「日本右翼近代史論はこう誤っている」を、特に南京大虐殺については13日の「南京虐殺史実の決定版」を参照)を、しかも近隣諸国の反発を承知で、さらに靖国参拝などによってこれ見よがしに示すようにして、持ってきた政府って、どれだけ酷いのだ。多分以下が背景にあるのだろうということで一言。

 日本国民一人当たりGDPの歴史的推移を調べてみた。各国比較順位も含めて。1995年、2005年、2015年で、こう推移している。数字は、国連統計だ。
 順位は、5位、23位、32位と極端に落ちていく。1人当たり金額も、43,774ドルが34,629ドルにまで落ちた。95年と15年とそれぞれ10位の国との比率を観てみると、その劣化ぶりが分かる。3位であった95年は10位の国の126%だったものが、2015年には57%にまで落ちてしまった。他国がどんどん上がってきた間に、日本GDPだけが急減しているからだ。10位の国はこの20年に、34,871ドルから60,514ドルにまで上がったのである。
 これが「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と呼ばれてアメリカまでを買い漁った日本国の末路なのだ。いくら少子高齢化が進んだと言っても、これは酷すぎる。少子化自身が、若者の希望の無い将来、希望のない国の現れでもあるのだし。ちなみに、不安定労働者ばかりで、大人一般の給料がこれだけ増えなければ、若者に希望など全くない国と言うべきだろう。
 また、先進国は皆少子化というのも暴論。これは、20世紀末ごろのことで、英米仏などは持ち直して、出生率2を超えている。

 こうして、希望のない国こそ、為政者が美化せざるをえないのだと、そういうことだろう。「世界に冠たるドイツ」のヒトラーも、「東洋の神国にして、満蒙開拓に明日を観よ」と大音声した東條も、同じようなことをしたように。しかして現実の日本たるや、世襲政治家が跋扈し、官僚は身内(と言っても、各省毎の「身内」)を助け合うだけの互助会のよう。他の99%にとっては薄汚れた、みすぼらしい国というしかないのである。

 こんな国を懸命に美化する右の方々、何のためにこんなことに血道を上げるのか。本当にご苦労様な事である。
コメント (4)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

随筆紹介  「ペット虐待大国」    文科系

2017年03月28日 09時29分18秒 | 文芸作品
  随筆  ペット虐待大国   S・Yさんの作品です
   

 ひょんなことからまた犬を飼い始めた。
 以前飼っていた犬たちが亡くなって二年、もう飼うまいと決めていたはずだったのに。寂しくはあるが、犬の面倒な世話がない生活、それにも慣れてきていたというのにだ。
 始まりは県外にある動物愛護団体に行った時だった。近くに犬のケージを積んだトラックが停まっていた。荷台に、臭くて汚れた小さな黒い雌犬がいた。まだ愛護団体も手をつけてない、たぶん処分される犬たちのうちの一匹だ。まったく元気がない。見過ごすことができなかった。
 後々、衝動的に連れ帰ったその犬を見ながら「なんてことだ!」幾度自分にも、社会にも舌打ちしたことか。虐待を受けていたその犬は人間を信用していない。脅えきっていて目も合わさず、体中が震えている。心を閉ざしたまま、わが家のリビングのケージ(大型犬用なのでかなり大きい)の隅っこで這いつくばっているだけ。食欲もない。
「ごめんね、環境が変わったから怖いよね。大丈夫だよ。でも、身体を洗わせてね」
とにかく臭いのをなんとかしたい。終始震えてはいたがシャンプーはなんとかできた。しかし、耳は粘土を詰めたように耳垢でいっぱい。しかも片耳は折れている。爪もまるで猛禽類のように伸びている。足裏は毛で覆われて肉球が見えない。これでは歩くこともままならない。
 犬の爪には血管が通い、爪を切らないと血管も伸びる。下手に切ると血管をも切ってしまう。病院に連れて行きたいが、脅えているので大丈夫だろうかと不安が先に立つ。

 この雌犬には名前がなかった。年齢もわからない。ブリーダーに繁殖用に飼われていたと聞いた。長年にわたり何度も何度も子どもを産まされたあげく、しだいに産む数が減ってきたので不要になったのだとか。繁殖の時期だけはまともな餌を与えられたが、普段はろくに食べさせても貰えずに、狭い劣悪な環境に閉じ込められていたという。名前の代わりに番号が付けてあったと、トラックの運転手は言っていた。

 うちに来て三日目、やはり食べないので夫と動物病院へ連れて行くことにした。ぶるぶると脅える犬に「大丈夫だよ、大丈夫」と車の中で背中を撫で続ける。ほんとは抱きしめてやりたいのだが、抱こうとすると猛烈に暴れるのだ。抱かれることに異常なほどの恐怖心を持っている。
 評判のいい病院を選んだ。男の人を怖がるので担当は女医さんになった。
「この爪では歩けないよね」やはり血管が伸びきっていたので、医師は止血しながら爪を切り、足裏の毛をバリカンで刈った。肉球が出てきたが、後ろ足指を骨折していた。耳掃除だけで一時間、炎症を起こしている。歯槽膿漏で歯もボロボロ、食べられないはずだ。歯石除去と抜歯をしなければならない。入院になるそうだが、予約が二カ月先までとれないので、ドッグフードは柔らかいものや缶詰にすることにした。
「ペットショップがあるのは日本だけですよ。生き物を商品のように店頭販売するなんてねえ」。治療をしながら医師が言う。だから悪質なブリーダーが商売にしてしまう。店頭で高額で売られている犬は当然売れ残る。値下げして売る場合もあるが、大半は殺処分される。それも子犬はほとんどが餓死させられるそうだ。命の扱いが間違っている。この国は法治国家で文明も進んでいるのに、なぜこんなに野蛮なのだ。他国のように、需要があってから注文に応じて繁殖させるという法を早急に作らねばならない。
私は怒り心頭だ。
「ところで名前は付けましたか?」医師はカルテを作らねばならない。
「あっ、『すず』にします」

 すずは ほんの少しずつ私たちに慣れて来た。うちに来るまで閉じ込められていたので、外の世界を知らない。名前を呼ばれたこともない。尾は根元から切断されていたのでしっぽを振ることもなかった。何もかもが初めてで震えてばかりだったが、一カ月もすると、夫と散歩ができるようになった。どうやら散歩は気に入ったようだが、帰ってくると自分のケージにまっしぐらで、相変わらずケージに入ったまま出てこない。
 ある時、すずがケージに向かいながらテーブルの下で立ち止まった。同時にたまたま夫が何か喋りながらテーブルに近付いてきた。と、すずがヒィーというようなかん高い声を上げると海老のように背を丸めて走り出し、ソファや椅子にぶつかりながらケージに飛び込んだ。そのままワナワナと震えている。唖然として私と夫は顔を見合わせた。言葉が出てこない。今の今まで夫と散歩に行っていたのに、なぜ急に夫に驚いたのか? おそらくテーブルの下からは夫の腰から下しか見えず、太い男の声がしたので驚いたのだろう。恐怖のトラウマがあるのだ。
いったい何があったのだ? 犬が悲鳴をあげるなんて、私ははじめて聞いた。すずは今までどんな怖い思いをしてきたのか? 胸を衝かれた。
 守ってやろう。なんとしてもこれから先は守ってやろう。

 すずと暮らし始めて二カ月になるが、あの時の悲鳴以外、声を聞いたことがない。一度も吠えない。長年の恐怖生活で声も失ったのだろうか。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

グローバルヒストリー上の今(6) 文科系

2017年03月27日 10時47分04秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
(6)ある老碩学、「米中の明日」論  

 最後になった。こういう世界経済転換からくる世界政治の近未来を予測しているドナルド・ドーア著「金融が乗っ取る世界経済 21世紀の憂鬱」(2012年6月第五版)のあとがきほとんどを抜粋してみたい。なおこの著者は、英国の政治経済学で伝統ある「ロンドン大学LSE」を出て、そこのフェローの資格を得ているイギリス人。かつ、若いころの東大留学時代(江戸時代の教育制度を学びに来た)からの日本オッカケでもあって、日本文学者ドナルド・キーンのマクロ経済版のようなお方だ。本書を書き上げたころは85歳と推定されてなお、この「日本語」健筆。本書中には、60年前の日本にこんな生き生きとした「論壇」があったとして、こんな下りもあった。

『一方に、「岩波文化人」(私の親しい友人であった丸山真男や加藤周一や、まだ珍しく元気であった鶴見俊輔をはじめとして)、他方に、彼らを「進歩的文化人」と野次って、その愚かさを攻撃する「保守派」の福田恒存や江藤淳など、その間の論争を懐かしく思い出す』(P109)

『 「序文に代えて」で書いたように、一九四五年は正に、「終止符を打って再出発」の時期だった。人類同士が7000万人を殺した戦争に対する反省はそれくらい深かった。
 将来、金融化経済の不合理さ、不公平さに対して反省する時期は来るだろうか。同じく7000万人を殺さないで。歴史の教訓があるとすれば、「不可逆的に見える傾向でも、永遠に続くことはない」、であるし「大きな戦争がなければ大きな社会変化もない」である。
 そう考えると、どうしても世界の軍事力、外交力のバランスという現実にぶつかる。本書で描いた日本経済のアングロ・サクソン化は、米国が西太平洋における軍事的覇権国家であり、日本と安全保障条約を結んでそこに基地を持ち、その基地を移設しようとする内閣(たとえば鳩山内閣)を倒すくらいの力がある、という事情と密接な関係がある。
 詳しく論じる余地はなかったが、三、四〇年も経てば、西太平洋における覇権国家は中国になっているだろう。2010年、北朝鮮が韓国の延坪島を砲撃した。世界的な非難が広がる中、アメリカは黄海での韓国との合同軍事演習に航空母艦ジョージ・ワシントンを派遣した。この空母の航入を、中国は一時激しく拒否した。後で認めることになるのだが、この事件は長い冷戦の始まりにすぎないだろう。米ソの冷戦は半世紀近く続いた。熱戦にならず、何千万人もの犠牲者を出さずに終わったのは、ゴルバチョフが東中欧における米国の覇権を認め、「負けた」と手を上げたからだ。
 今度は半世紀も要さないだろうが、中国が勝ちそうだ。なぜそう思うかと言えば、次の条件を勘案しているからだ。
 ○ 今後の米中の相対的経済成長力
 ○ 政治的課税力ー国庫歳入の成長力
 ○ 国威発揚の意思の強さー軍事予算拡大の用意
 ○ 人的資源・・・・・・・・
 西太平洋における覇権の交代はほとんど必然的だと思うが、それについての大問題が三つ。
①アメリカにゴルバチョフがいるか、である。それとも、何千万人もの死者が出そうな実際の衝突、つまり戦争の勝ち負けに決済が委ねられるだろうか。
・・・・・・・・・
③60年もの間、日本を行ったり来たりし、日本人の友達が多い私にとって大変関心が高い問題だが、土壇場になっても、日本は依然として米国に密着しているのか。独立国家として、米中が何千万人を殺しかねない衝突に突き進まないよう、有効に立ち回れるのかどうか。

 「新書」の目的が、挑発的な問いかけで読者を考えさせることだとしたら、挑発はこのくらいで十分だろう。このあたりで筆を置いていいと思う。』


(終わり)

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

グローバルヒストリー上の今(5)  文科系

2017年03月26日 07時04分15秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
(5)「世界経済にアジア時代到来」、その規模  文科系
  

 米大統領選挙とイギリスEU離脱と以降に世界情勢が大転換していくと、多くの論者が語り始めている。ただ、「こういう米英(的金融グローバリズム)の没落」を今まで見つめてきた人でなければ、これの世界史的意味は分からないはずだ。「30年程の長い過渡期から、質的変化が・・・」という今と見えるのである。

 昨年秋の中日新聞連載「インタビュー トランプの米国」に、法政大学教授・水野和夫(三菱UFJモルガン・スタンレー証券チーフエコノミスト、内閣府大臣官房審議官などを経て、現職。著書に集英社「資本主義の終焉と歴史の危機」など)が登場し「ゼロ成長を前提に」と名付けた記事があった。そのいくらかを抜粋すると、
『歴史的にみれば外へ外へと広がっていくグローバル化、そして五百年に及ぶ資本主義の限界を示した』
『安全保障政策も、オバマ大統領が「世界の警察をやめる」と言った延長線上にあり、(中略)グローバル化で世界の富を呼び込む戦略を、自らひっくり返そうとしている』
『資本主義を地理的に広げられなくなった後、金融の世界なら成長できるとの見方はあったが、マネーが自己増殖してバブルが崩壊するパターンを繰り返している。そのたびに中間層が没落し、特にリーマン・ショックが決定的だった』
『日本は日中韓プラスASEAN(東南アジア諸国連合)との連携を模索するしかない』

 この水野氏の名前を挙げてその議論を意識して、筑波大学名誉教授・進藤榮一はこんなことを語る。ただ念のために言っておくが、水野・進藤両氏とも、「日本は東アジアとこそ連携せよ」という結論は同じだ
「金利生活者の安楽死」を予言したケインズを採って利子率の長期的低下から資本主義の終焉到来を述べてきた水野和夫らの論は、こういう世界史の側面を忘れているのではないか。先進国がゼロ金利、マイナス金利でも、新興G7は5%金利を続けてきたことを。こうして、プラント輸出なども含めて日米の金、資産も、水とは違ってどんどん高い所へ流れていったと。なお、国際銀行の貸付金にこの逆流が起こったのは04年のこと、アメリカなどのゼロ金利政策が始められた頃であるのが面白い。また、08年のリーマン後は、アジアへのこのお金の流れが激増した。こうして、進藤榮一の結論。
『資本主義の終焉ではなく、資本主義の(東アジアにおける)蘇生だ』

 次に、進藤が指摘するアジア資本主義の勃興ぶりの数々を観る。
 EUは法優先の統合だったが、アジアは事実としての統合が先に進んでいる。これについては、ある製品を面、部分に分けていろんな国で作ってこれを統合するとか(モジュール化)、その単純部分は後発国に先端部分は日本になどへと発注してコストをどんどん下げるとか、後発国の所得水準をも上げることに腐心しつつ周辺国の一般消費市場を拡大していくとか、等などが進んでいる。この結果としての、いくつかの製品、輸出などの国際比較例も挙げてあった。
 先ず2015年の世界に占める自動車生産シェア。アジア・北米・欧州の比率は、51・2%、19・8%、20・2%であり、アジアの内訳は、中国27・0、日本10・2だ。結果として例えば、インドが、新日鉄住金を2位に、中国企業を3~5位に従えた鉄鋼世界一の企業を買い取ったというニュースも、何か象徴的で面白い。ルクセンブルグに本社を置くアルセロール・ミッタル社のことである。
 
「東アジア主要産業の対世界輸出における各国シェア」という資料もあった。電気機械、一般機械、輸送機械三区分の世界輸出シェアで、1980年、2000年、2014年との推移資料でもある。三つの部門それぞれの、1980年分と2014年分との比較で、日中のシェアを見てみよう。電気は、日本69・7%から11・1%へ、中国は、0・7%から42・8%へ。同じく一般機械では、日本88・6から19・1と、中国1・5から51・7。輸送機械は日本が最も健闘している部分でそれでも、97・4から44・8、中国0・2から18・5。なお、この最後の輸送機械については韓国も健闘していて、0・6から20・8へと、日本の半分に迫っているとあった。

 こうして、最終消費地としてのアメリカの役割がカジノ資本主義・超格差社会化によって縮小して、中国、東南アジアの生産と消費が急増し、東アジア自身が「世界の工場」というだけでなく、「世界の市場」にも変容したと述べる。これを更に続けると・・・。例えば日本の東アジアへの輸出依存度を見ると、1985年、2000年、2014年にかけて17・7%、29・7%、44・5%と増えた。対して対米国の同じ依存度は、46・5%、29・1%、14・4%と急ブレーキがかかっている感がある
 ちなみに、世界3大経済圏(の世界貿易シェア)という見方もあるが、東アジアは、アメリカを中心とした北米貿易協定をとっくに抜いて、EUのそれに迫っているのである。2015年の世界貿易シェアで言えば、EU5兆3968億ドル、東アジア4兆8250億ドル、北米2兆2934億ドルとあった。

 次にさて、この東アジアが2000年代中葉以降には更にこう発展してきたと語られる。
 東南アジアの生産性向上(従って消費地としても向上したということ)と、中国が主導役に躍り出たこと、および、インド、パキスタンなどの参加である。この地域が世界でさらに頭抜けて大きい工場・市場に躍り出ることになった。例えば、世界からの直接投資受入額で言えば2013年既に、中国・アセアンの受入額だけで2493・5億ドル、EUの受入額2462・1億ドルを上回っている。

 これらの結果リーマンショックの後には、世界10大銀行ランクもすっかり換わった。中国がトップ5行中4つを占め、日本も2つ、アメリカは1つに過ぎない。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本右翼近代史論はこう誤っている   文科系

2017年03月25日 08時59分20秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
 日本会議、ネトウヨ諸君の日本近代史理解における根本的誤りを、その総体として最も簡略にして示してみたい。

① 教育勅語に書いてある教育目標、徳目を「いーことが書いてある」とよく語るが、完全な誤りである。勅語の中のこれら全てが、天皇家の発展のためにこそ国民が身につけるべきことという文脈になっているからだ。勅語の後半、全体の半分以上が、そういう文脈である。

② ①は、「大日本帝国憲法」が国民主権でなく、天皇主権であることに呼応しているということだ。教育勅語を褒めることはこういう「天皇・臣民体制に戻って良い」と述べているに等しい。

③ 南京虐殺は、満州事変・国連脱退以降の大日本帝国が国際法無視確信犯になったことを示した。これほどの大罪は、裁かれるのが当たり前である。

④ 東京裁判を、「東京裁判史観」とか「連合国史観」などと呼んで、一方的かつ不当なもののように言う見方はこうして、これが上記③から裁いた事実を無視してのみ成り立つ暴論である。満州事変・国連脱退に全く触れず、南京虐殺を否定するのは、こういう全く不正義な自己正当化の為と言える。

⑤ こうして、以上全てを推進したA級戦犯を祀ってあるという意味で、靖国神社への政治家参拝に中国などが反発するのは当たりまえだ。そういう政治家は、上のここまで全てを認めないと言動しているに等しいのであるから。
コメント (10)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

面白かった国会中継   らくせき

2017年03月24日 08時26分26秒 | Weblog
籠池さんの切り札は奥さんのファックス。
しかも奥さん同士の間でやりとりされたもの。
こんなに女性が中心の政治的に汚ない事件も珍しい。

男同士では、安倍さんは籠池さんの敵じゃない。
奥さん同士のやりとりを公開してほしい。
なかなかの見世物でした。

ウヨの内部分裂という点に
時代がそのまま映し出されているけれど・・・
コメント (6)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

グローバル・ヒストリー上の今(4)   文科系

2017年03月24日 00時20分35秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
(4)随筆 「ならず者国家」  

「ならず者国家」という言葉をちょっと前に使ったのは、ブッシュ大統領。ところが、アメリカこそが今一番そう呼ばれるに相応しいと、愚考する。このように。

 一、9・11を起こしたと言われるイスラム原理主義一派・「アルカイダ」は、その元をたどればアメリカが育て上げた鬼子、「レーガン(元大統領)の聖戦士」と呼ぶ米知識人もいるほどだ(例えば、ノーム・チョムスキー)。アフガニスタンを反ソ連勢力にするためにアルカイダを育て上げ、そこにアルカイダ政府を作ったのも、その後9・11画策者を匿ったとかで、アフガニスタン戦争を起こしてこの政府を潰したのも、アメリカだ。これではまるで、いわゆるマッチポンプではないか。アメリカにとって不本意にも結果的にそうなったのか、最初から予期していてこうなったかはまだ分からないのだけれど。とにかく、ソ連があった時となくなってからと、イスラムへのアメリカの態度、戦略が180度転回したのは、誰の目にも明らかなこと。

 二、今、中国の南沙諸島問題などで国際仲裁裁判所の決定が出たことが世界の大問題になっているが、国連の司法機関である国際司法裁判所の数々の判決を最も手厳しく無視し続けてきた国は誰あろうアメリカである。中米の国ニカラグアがアメリカをこの司法裁判所に訴えて全面勝利判決を何度勝ち取っても全て無視したという、中南米では有名な歴史的事件が存在する。一九八〇年代、ここに反政府軍を組織して時の政府を潰す過程において、争われた裁判だ。当裁判所は「不当な武力行使」という言葉まで使って、アメリカのニカラグアに対する国際テロ行為に有罪判決を何回か下したが、全て無視した。無視したと言うよりも事態はもっと酷くって、こんなことすら敢行したのである。裁判の一つで敗訴した後に、反政府軍育成金一億ドルを議会決定して見せたのである。さらには、一七〇~一八〇億ドルと算定された賠償命令も鼻であしらった。

 因みに、今回中国を裁いたその基準である国連海洋法条約にはアメリカは加わっていない。自分は例外にしてくれと無視してきた条約で中国を非難しているのである。大国だから許されていると見るならば、それ以上の大きな問題、鋭い対立がここには潜んでいることを、人は知るべきだと思う。世界平和組織の存否を巡る、世界史的対立と述べても良いだろう。これは、19世紀以前までの「弱肉強食」無政府的戦争世界を「名実ともに」もたらしてもよいと考えるか否かという、世界観的対立、問題である。

 三、「私たちはいまや大きな岐路に立たされています。国連が創設された一九四五年にまさるとも劣らない、決定的な瞬間かも知れないのです」
「今日に至るまで、国際の平和と安全に対する幅広い脅威と戦い、自衛を超えた武力行使をすると決める際には、唯一国連だけが与えることの出来る正当性を得なければならないという理解でやってきました」
「いかに不完全であれ、過去五八年間、世界の平和と安定のために頼りにされてきた大原則に根底から挑戦する、単独主義的で無法な武力行使の先例を作ってしまうものなのです」
これらは、二〇〇三年九月二三日第五八回国連総会開会日における、アナン事務総長の冒頭演説からの抜粋。「単独主義的で無法な武力行使の先例」を作ってしまった「決定的な瞬間」。その年に起こったイラク戦争を批判した言葉なのである。

 四 さて、アメリカこれだけの国連無視は、一九九〇年前後の冷戦終結後には更に激しくなったと見ている。これだけ国連無視を続けるのにここから脱退しようとしないのは、都合の良い時に利用したいだけとも見てきた。そして、こういうアメリカの姿は日本人に報道されること少なく、問題にされることはもっと少ないのだが、これは日本のマスコミ、ネット社会にバイアスがかかっているからだろう。アメリカは、ケネディ大統領の六一年国連総会演説を思い出すべきだと思う。
『戦争にとって代わる唯一の方法は国連を発展させることです。……国連はこのあと発展し、われわれの時代の課題に応えることになるかもしれないし、あるいは、影響力も実力も尊敬も失い、風と共に消えるかもしれない。だが、もし国連を死なせることになったら──その活力を弱め、力をそぎ落とすことになったら──われわれ自身の未来から一切の希望を奪うに等しいのであります』

『戦争にとって代わる唯一の方法は国連を発展させること・・・・、──その活力を弱め、力をそぎ落とすことになったら──われわれ自身の未来から一切の希望を奪うに等しいのであります』と語り出された言葉の後半、「国連の力をそぎ落とすこと」は、アメリカ自身が正に今、行っていること。そんなケネディのダラス暗殺事件は、この演説の二年後のことだった。そしてこの暗殺は、アメリカ産軍複合体の仕業と言われている。

 産軍複合体とは、その背後を考えるならば、そして今の大統領選挙における非難合戦に習うならば、ウォール街に他ならない。そしてウォール街とは、アメリカ金融。さらに、ドナルド・ドーア、この長年の「日本追っかけイギリス人老政治経済学者」の著書名に習うならば、まさに「金融が乗っ取る世界経済 21世紀の憂鬱」(中公新書 2012年第5版)の張本人という事である。そしてさらに、彼らと世界人民との矛盾こそ現世界最大問題と語るのが、アメリカ人哲学者ノーム・チョムスキーの「覇権か生存かーーアメリカの世界戦略と人類の未来」(集英社新書2004年)。この2冊の本をここの読者に是非お勧めしたい。


(続く)
 なお、以降は2回続き、その目次はこうなる。
(5)世界経済では、アジア時代が既に到来 
(6)ある老碩学、「米中の明日」論』  
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

グローバル・ヒストリー上の今(3)   文科系

2017年03月23日 15時28分08秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
(3)ギリシャ危機をゴールドマンはどう活用したか 

 この拙稿は「ギリシャ財政危機と金融 2016年10月14日」の姉妹編に当たります。岩波新書、進藤榮一著「アジア力の世紀」からの引用です。今の国際金融の暗躍、政治との結びつき、その世界大諸影響の凄まじいまでの大きさを示しています。同書の202~203ページから引用します。

『 金融危機が海を越えて伝播する構造は、〇七年夏にフランス最大手銀行BNPパリバのローン凍結ショックが、米国サブプライム・ローン危機の発端となつて、〇八年九月のリーマン・ショックにつながったことにも象徴される。
 BNPパリバは、傘下のファンドを通じて、米国金融機関の発行する低所得者向けサブプライム・ローンを大量に購入し、そのローンが支払不能に陥り、解約を凍結した。そのニュースが金融市場を駆け巡って市場は混乱し、〇八年九月一五日、全米四位の投資銀行リーマンプラザーズ社が破綻、金融危機が勃発した。のち、全米一位のゴールドマンサックス社と二位のモルガンスタンレー社は、銀行持ち株会社に業務転換し、五大投資銀行すべてが姿を消すことになる。
 その間、欧州の金融機関が、米国製の証券化商品を大量に買い込んでいることが明らかになり、欧州金融機関の信認が揺らぎ始めたのだった。そして〇九年一〇月、ギリシャ政府の債務残高隠しの発覚をきっかけに、ユーロの信認が一挙に失われて、危機は欧州の大手金融機関に及んだ。
 EUは〇三年、ユーロ加盟の条件として、財政赤字がGDP比三%以内、政府債務残高がGDP比六〇%以内にあることを定めていた。ギリシャは、ユーロ圏に加盟するために、紛飾決算まがいの手法を使って、財政赤字も累積債務も実態より低く報告していたことが判明した。その報告書に、ゴールドマンサックス社が関与していた。かつて八七年夏に始まるアジア通貨危機の陰で、米国のヘッジファンドが暗躍していたように、ギリシャ危機の背後に、米国のファンドと財務省が暗躍していると噂された。米国が金融危機回避のため、欧州に仕掛けた危機だとも、時に位置付けられる。
(中略)  
 米国発金融危機が、リーマン・ショックを経て欧州債務危機へと転形し拡大したのである。危機はギリシャからアイルランド、ポルトガル、スペイン、イタリアへ波及した。メディアはそれら諸国の頭文字を取って、豚を連想させる「PIIGS(ビッグス)」と呼び、EUとユーロの脆弱さを侮蔑気味に指摘して、EUの分裂・解体を予測した。』

 さて、以下の言及は文中のこの部分に関わります。
『ギリシャは、ユーロ圏に加盟するために、紛飾決算まがいの手法を使って、財政赤字も累積債務も実態より低く報告していたことが判明した。その報告書に、ゴールドマンサックス社が関与していた。・・・・・ギリシャ危機の背後に、米国のファンドと財務省が暗躍していると噂された。米国が金融危機回避のため、欧州に仕掛けた危機だとも、時に位置付けられる』

 米国の「金融危機回避」のために欧州に仕掛けたギリシャの「粉飾決算まがいの手法」とは何か。デリバティブ、金融派生商品はまさにこの粉飾決算にこそ使いうる物。そのことを示した拙稿が当ブログに存在します。
 〇七年一月二一日拙稿「日本財界が1週間に七五〇〇万ドルをパクられた話」がそれ。元モルガン・スタンレーのトレーダー、フランク・パートノイが実体験を書いた「フィアスコ」という本の内容紹介です。AAAの格付けが付いたデリバティブを買って時価計上で決算書に載せると、何割高かの粉飾決算ができることになっているという、そのことが書いてある興味深い本です。
「シンガポール発、英国ベアリングズ社のデリバティブ大穴によって損失を被ったのが日本大企業だと分かったときの喜び! 四月決算を控えて、デリバティブがさー無数に売れるぞ! 我々は今まで、死に物狂いに金が欲しい人々をこそ、最上の顧客にしてきた!」
 世が不景気で荒れるほど、投資銀行の出番という訳なんです。

 それにしても、このギリシャ危機をユーロ瓦解に結びつけようとして、これでさらにドイツマルクの空売りにまで折を見ては度々結びつけていくというゴールドマン、アメリカ財務省の大仕掛け! その凄まじさには身震いが出ます。そして著者はこの一〇〇年に1度のリーマンショックが、「一九二九年世界大恐慌から世界大戦へ」とならなかった今回の事情までを、こう説明している。「大欧州」と「新興国市場」がショックアブソーバーとして働いたからだ、と。世界の有効需要創出こそ争いを協調に転化する最大の鍵とは、正にケインズ経済学の焦点。現在世界のマクロ経済問題解決方向を深く考える最大のヒントがここにあると読むのは、この著者や僕だけではないはずです。

 なおまた、こういう米国自らが作ったという事情もあるのに、いくつかの南欧諸国などを日米などが「PIIGS(ビッグス)」と呼ぶのを聞くと、何とも複雑な、嫌な気分になります。自らが貶めた人々を「ブタ」と嘲笑っている、この感覚! ここにこそ、世界の暗い現実の全てが存在しているようで・・・。
コメント (1)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ハリルジャパン(89) 眼下の敵が原口に注目  文科系

2017年03月23日 00時09分29秒 | スポーツ
 UAEの新聞にこんな記事が載ったと、サッカー・ゾーンのサイトに報告があった。最も簡単に要約すれば
『皇帝ホンダは終わった。怖いのは原口だ』
 その記事一部を紹介してみると、

『「原口がいなければ日本は脱落していた」
「原口がいなければ、日本はすでにW杯の6大会連続出場のレースから脱落していただろう。本田のゴールから(最終予選での日本は)7ゴールを決めているが、そのうち4ゴールが彼のものだ。UAEはヘルタのスターがゴールしていない唯一の相手になる」
 最終予選の初戦となった昨年9月のホームUAE戦(1-2)で、ベンチスタートとなった原口は後半途中に投入された。それ以降の4試合に全てスタメン起用され、4試合連続ゴールを記録している。UAEとしては直接対決での印象が薄いだけに、「原口に警戒せよ」との論調が強まっているようだ。
 そして記事では、「原口の活躍は、日本代表にふさわしい監督であるか疑問の残るハリルホジッチへの、プレッシャーを押しとどめる結果になった」として、ハリル監督の手腕を疑問視。解任への道のりを救ったのが原口であるとしている。』

 ハリルの記述を除いては、本当にこの通りだと思う。ただ、この原口の報道はなんとも物足りない。ゴールのことだけしか書いてなくって、なぜこれほど彼がゴール出来るのかを全く分析、考察してないのである。これでは、スポーツ読み物として低級と言うしかないだろう。

 原口が今、歴代代表の中でも最高度の選手として立ち現れているのは、南ア大会予選時の岡崎と同じほどのレベルと思う。今の原口の何が良いって、前回にこう書いたとおりである。
『原口の、自分で敵ボールを奪い取って相手ゴールまで迫っていく再三のプレーなどは、日本の過去の国際戦では考えられなかった質のもの。彼が連続得点できるのは、ゴールに結びつくチーム・ボール奪取世界水準に通じ、達しているからと見たものだ』
 ちなみに原口がある時のこの事をこう語っていたのを記憶している。「あれは狙っていた」と。つまり、ある局面で、高い位置の、さらにシュートや、アシスト・得点に結びつけやすい敵ボール奪取を狙っていて、それを成功させたという意味なのである。本当に彼には、このボール奪取・ドリブル・シュート、もしくはスルーパスで得点という態度が凄く感じられるし、これが今の世界サッカーを急変させている最大ポイントなのだと言いたい。

 日本にも、本当に凄い選手が現れたものだ。日本代表チームにとって辛うじてこれに匹敵する価値がある今の選手は、長谷部だけと言える水準だと思う。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ポピュリズム」と「反知性主義」、ある論議   文科系

2017年03月22日 10時56分08秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 ポピュリズムを「大衆の反逆」という意味でも使い、「大衆の反逆」に「反知性主義」という意味を付与する論議があるようだ。東洋経済で渡辺靖とかいう慶応大学の文化人類学とかの教授が、アメリカのホーフスタッターとかいう歴史家のそういうお説を紹介していた。これは明らかに、伝統的な言葉の使い方を誤っている。いや、ねじ曲げている。それも現状肯定的に。
 「反知性主義」という場合の知性を「支配者の側のもの」という意味を付与して使っているのである。「知性」についてこんな使い方をするとどういう事態が起こるか。

 知性とは99%の民衆にはないものとか、知性とは人を利己的に支配する1%が持っている便宜的手段ということになる。こんなことになったら99%は何を頼りに己を虐げる「知性」ある1%に対して合理的かつ有効に反逆しうるのだろう。
 いつか、リチャード・ホーフスタッターという御仁のお説自身を覗いてみたいと思ったものである。彼の名を覚えておこう。

 
 ただ、上記のことには、こんな現代史的事実が対応しているとは言えるかも知れない。
 社会にキープされている情報が凄い量になっている。が、これへのアクセスに関わって、こういうことが起こっている。米国当局の大々的盗聴などのような違法入手情報も含めて自由にいくらでも活用できる人々と、巨大マスコミの情報程度という人と。前者が後者を支配しやすい道理である。なんせ、メルケルの私的電話さえ盗聴したのだから、世界のどんな要人をも脅迫できる情報を持っているとも言えるのだから。これを情報(量)の非対称性と言うらしい。
 これを踏まえて物を言えば、確かに「知性とは、支配階層だけのもの」と言える側面がある。が、ここからこういう事実に対して善悪論をやる必要が生じるだろう。そして僕は、民主主義をいやしくも標榜する社会ならば、こんな状況は正していくべきだと思う。マルクスが唱え始めたように「支配階級が時代の思想手段を握りやすい」という状況も民主主義的改革の最大改善目標になるはずだ。

 つまりこういうことだろう。ポピュリズムとか、反知性主義とかを語る場合にも、まともな人間であるならば以上のことは忘れてはならないと。
コメント (3)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

グローバル・ヒストリー上の今(2)   文科系

2017年03月22日 10時28分47秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
(2)米社長たちはこうして「金融の馬車馬」になった 文科系 2016年09月28日

 以下は、24日エントリー、ある本の要約①の抜粋である。ドナルド・ドーア著「金融が乗っ取る世界経済 21世紀の憂鬱」(中公新書、2011年10月第一刷発行)。今後ここで、3部構成のこの本にあわせて、②、③と要約していく予定だ。この本の内容は、僕が10年ここで新たに勉強し直しては原稿を書き続けてきて、たどり着いた現代世界の諸不幸の大元の解説と言える。
 この本に展開されていることは、日本人にはなかなか書けないもの。ここに描かれた動きが日本で目に見えるようになったのは最近の事であるし、この最新の動きは、英米経済の動きと比較研究してはっきりと見えてくるというもの。作者は、イギリス経済学の伝統を学び継いだ上で、日本江戸期教育の研究目的で東大に留学され、以来熱心な日本ウォッチャーを続けられたというお方。しかも、この本自身も自分の日本語で書かれているようだ。訳者名が付いていないからである。
 以下は、その第一回目の要約のそのまた抜粋である。世界経済がこのようになったからこそ、今の世界の諸不幸が生じていると、そういう結論、大元解明のつもりである。


『米企業利益のうち金融利益の割合が、1950年代までは9・5%であったものが急増して、02年には41%と示される』

『機関投資家の上場企業株式所有シェアがどんどん増えていく。1960年アメリカで12%であったこのシェアが、90年には45%、05年61%と。そして、彼らの発言力、利益こそ企業の全てとなっていった』

『企業から「金融市場への支払い」が、その「利益+減価償却」費用とされたキャッシュ・フロー全体に占める割合の急増。アメリカを例に取ると、1960年代前半がこの平均20%、70年代は30%、1984年以降は特に加速して1990年には75%に至ったとあった』

『彼らの忠実な番犬になりえた社長は彼らの「仲間」として莫大なボーナスをもらうが、「企業の社会的責任。特に従業員とその家族、地域への・・」などという考えの持ち主は、遺物になったのである。こうして、米(番犬)経営者の年収は、一般社員の何倍になったか。1980年には平均20~30倍であったものが、最近では彼の年金掛け金分を含めば475倍になっている。その内訳の大部分は、年当初の経営者契約の達成に関わるボーナス分である。全米の企業経営者がこうして、番犬ならぬ馬車馬と化したわけだ』

『「証券文化」という表現には、以上全てが含意されてあるということだ。企業文化、社長論・労働者論、その「社会的責任」論、「地域貢献」論、「政治家とは」、「政府とは・・?」 「教育、大学とは、学者とは・・?」、そして、マスコミの風潮・・・』


 最後のこれは、24日には書いてない事。以下のような数字は日本人には到底信じられないもののはずだ。この本の73ページから抜粋した、アメリカ資本主義の象徴数字と言える。
『2006年のように、ゴールドマン・サックスというアメリカの証券会社がトップクラスの従業員50人に、最低2,000万ドル(当時のレートで17億円くらい。〈この記述周辺事情や、最低と書いてあるしなどから、1人当たりのボーナスの最低ということ 文科系〉)のボーナスを払ったというニュースがロンドンに伝われば、それはシティ(ロンドン金融街)のボーナスを押し上げる効果があったのである』 
 これだけの強食がいれば、無数の弱肉が世界に生まれる理屈である。2006年とは、08年のリーマンショックを当ブログでも予言していた史上最大のバブル、サブプライム住宅証券組込証券が頂点に達していたウォール街絶頂の時だった。この結果は、失った家から借金まみれの上に放り出された無数の人々の群であった。しかもこの動きはアメリカのみに留まらず、イタリア、スペイン、ポルトガル等々にも、そこの失業者の大群発生にも波及していくのである。こんな所業を放置しておいて、どうして世界の景気が良くなるなんぞと言えるのだろうか


(続く)
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする