九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

ザックジャパン(148) ACLでも浮彫、日本の弱点  文科系

2014年03月30日 13時40分54秒 | 文芸作品
 講談社サイト「現代ビジネス」に、3月20日付けで山本昌邦が「JリーグのクラブがACLで苦戦を強いられるのはなぜか!?」というコラムを書いている。さわりの部分を抜粋してみよう。
『ここ最近はグループステージ突破にも苦労するほどで、昨シーズンは出場(日本)4チームのうち3チームがベスト16入りを逃してしまいました』
『(今年今現在)Jリーグ2連覇のサンフレッチェ広島、同2位で天皇杯優勝の横浜F・マリノス、リーグ戦3位の川崎フロンターレ、同4位のセレッソ大阪が出場していますが、各チームが2試合を終えた段階で勝利は川崎の1勝のみです。4チーム合計で8試合を消化しながら白星がたったひとつというのは、危機的状況と言わざるを得ません』
 以上が、山本の文章の動機、テーマなのだが、彼の結論はこうなる。
『原因はスタイルのミスマッチにあります』
『Jリーグのクラブは、ほぼ漏れなくボールをしっかりとつなぐポゼッションサッカーを志向します。自陣からショートパスをつなぎ、コンビネーションを使って相手守備陣を揺さぶり、決定的なチャンスを作り出す。(中略)
アジアの国々は違います。韓国や中国のクラブは、日本ほど攻撃に手数をかけません。自陣からでもロングボールを放り込み、突破力と決定力を持った外国人選手を生かそうとしてくるのです』

 さて、この弱点分析は実に正しいと思う。ロングボールを屈強な外人選手など目がけて放り込まれて、そこからの2、3次攻撃も含めた速攻で得点されるという弱点である。これが実は、ザックジャパンが示す好不調の波の出所にもなっているとここでも何度も述べてきた。去年の代表遠征に見られた「弱い10月と強い11月」とも言える大きな差もここにあったと指摘されてきたし、もう少し詳論してみよう。

 日本通常の攻守スタイルはこういうものだ。
①攻撃は、現在世界の最先端、パスを繋ぎ尽くす得点法
②守備は、前後どちらに構えても、縦に詰めた密集・コンパクト陣で敵ボールをより多く奪うやり方
③以上から必須となる敵カウンターに対する対策は、前陣からも常にプレスを掛けて良いパスを出させず、後陣はラインと、オフサイドトラップの精度とを上げること。

 こうして、山本が語る「スタイルのミスマッチ」とは、上の③の難しさを敵に衝かれると弱いことだと言える。山本も語っているように、ACLの敵は韓国にしても中国にしてもここ数年今や、南米、西欧の第一線実力FWを雇い始めた。この両国上位チームは国内の戦いだけでなく、ACLの日本チーム対策としてもこれが有効だと認識しているということだろう。上記③の対策、精度をしっかり上げないと、ACL中韓勢には勝てなくなったということだ。逆に言い換えれば、このアジア対策がしっかりしたJチームから、代表の弱点をカバーできる選手も生まれてくるとも言える。日本代表チーム・コンセプトから上記①②が抜けることは今後も決してないのだから。身体の屈強さではなく、技術とスピードで勝負する日本の宿命戦略①②を外す事は出来ないはずだ。

 
 さて、ブラジルWC大会の予選リーグ対戦3チームは全てカウンターが上手い。ザック・ジャパンが見事なカウンターを食うか食わないか、ここが勝敗の分かれ目になるだろう。「日本前陣の前からのプレスと後陣の押し上げ」、ブラジルWC最大の見所の一つだろう。セレッソの柿谷、山口、川崎の中村、横浜の栗原、斉藤ら代表候補には、敵カウンター対策をこのACLの闘いでチームと相談を重ねつつ、どんどん積み上げていって欲しいと願う。 
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世界経済情勢の焦点、「新興国」への空売り  文科系

2014年03月29日 14時09分11秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 僕と同じように世界政治経済の一大焦点を観ている人は、まともな経済学者ならば多いはず。世に喧伝されている一部ブリックス諸国も含んだいわゆる「新興国の通貨引き下げ」問題に大国の空売りを絡ませる見方である。真壁 昭夫(まかべ・あきお)という方が、講談社の「現代経済」に書いた文章を抜粋したい。こういう方だ。
「1953年神奈川県生まれ。76年一橋大学商学部卒業後、第一勧業銀行入行。ロンドン大大学院修了。メリルリンチ社ニューヨーク本社出向、みずほ総研主席研究員などを経て、05年信州大学経済学部教授」
 日本のマスコミもこのように、単に儲け手段としてではなく世界政治情勢としての空売り情報を、もっと多く伝えて欲しいといつも思っている。もちろん、その真っ最中の情報などは出てくるわけもないが、これが世界政治に争いを持ち込む大悪影響などはどんどん知らせる必要があるのではないか。現代国家間最大の弱肉強食現象。これをやられた方は、必殺仕事人でも雇いたいほどに憎しみを募らせるはずなのである。それも、やられたとさえ広言できずに、密かに憎しみを募らせるしかないのである。本当に、なんでこんなことが許されるのか。一国の通貨や国債とか、その(大きな)会社の株とかは、その国の生死運命を左右するようなものなのだが。そういう国や人の命がかかったような重要なものを、実商いの何十分の一という少額で大幅安にしていく方向でギャンブルが出来る仕組みなのである。 

 金融市場では、ソロス氏が中国の資産の空売りを始めたとの噂も出ている。そうした観測の真偽を確かめるすべはないものの、金融市場に対する影響は無視できない。同氏の動きに追随する投資家も出てくるだろう。
ソロス氏の想定では、2~3年以内に中国政府の政策の矛盾が明確化すると、中国政府の防御壁が決壊する懸念が高まると見ているようだ。確かに、長い目で見るとそのリスクを過小評価することは適切ではない。同氏が中国をターゲットにする意図は理解できる。

 懸念される「フラジャイル・ファイブ」
「フラジャイル・ファイブ」とは、大手金融機関が、経済基盤のぜい弱性のため、通貨が変動しやすい新興国5ヵ国を指す。具体的には、ブラジル、インド、インドネシア、トルコ、南アフリカを意味している。
 これらの新興国は特定の輸出品に対する依存度が相対的に高く、世界的な市況の変化の影響を受けやすい。しかも、経常収支は赤字基調が続いており、先進国からの投資資金の流入が減ると、経済全体に大きな影響が出やすい国だ。
 米国の金融緩和策縮小は、これからも継続される可能性は高い。当面、投資資金の流出等で当該国の株価が下落し、通貨が売られやすい状況は続くと見られる。中国や新興国の経済が、世界にとって無視できないリスク要因という構図が続くと見た方がよいだろう。】



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「よたよたランナーの手記」(45) 僕のランニング、今までと今後  文科系

2014年03月29日 11時54分43秒 | 文芸作品
 個人でも組織でも人間活動ならなんでもそうだが、「中長期的総括から今の課題」という視点・作業が大事だと振る舞ってきた。自分の活動に「良い気分」を創り出すために。僕のこのランニング自身も、50歳前と60歳ころと、そして心臓手術以降との3回のそういう作業が役に立って今の力があると振りかえることができる。3年のブランクの後によたよたとランニングを再開した1年半を、昨日振り返ってみた。物忘れが激しくなった老人のこういう作業にこそ、この「手記」やダイアリーに書き込んだ「ランニング結果メモ」やが、役に立つ。

 約3年ぶりのジム通いの再開が12年9月23日。15分で、1.6キロとある。それが次の26日には30分、3.3キロになったが、それまで家の階段往復(50~130)などと基礎体力を維持していたおかげなのだ。「時間的には意外に出来る」と嬉しかったものだが、時速7キロって歩いているのとあまり変わらない。12月15日に初めて30分4キロを超えた時には、最高時速8.5キロの心拍数が150内外だった。ここから暫く、何度かの怪我・脚の故障との競り合いが始まるのだが、「今思えば」こういう事に気づく。
 3年のブランクの間に階段登りで維持してきた心肺能力・脚力では、この程度の速度が限界だったのだ。ただこれは今思えばということであって、こんな解釈・判断もあり得たはずだ。「この年齢で、しかも3年のブランクがあっては、もうこれ以上は無理なのだ」。つまり「ひょっとして、無理でないかも知れない」と思い、足掻きを重ねたから今の嬉しさがあるということになろうか。とにかく、ここから1年ほどは「怪我の克服」と現状維持が続いて、先が全く見えない時だった。

 さて13年10月1日、速度は上がらなくとも30分2回を走り始めた。そして「この速度ならこれで翌日に疲れもそんなに残らない」と発見したことは、大きかったと思う。そして11月8日からは7キロ弱の外回りコースを並行して走り始めた。すると、12月になって質的変化が起こる。10キロ時の持続が可能になったのだ。心拍は155以上にもなったけれど、この速度で20分近く走れるようになった。そしてさらに、14年3月現在の現状走力は、こんなところまで急到達することになった。心拍155なら11キロ時で、その日の調子にもよるが15分は走れると。長いウオームアップ時間がどんどん要るような身体になっているし、日によって調子の波も大きいのだが、ウオームアップ歩行時間も含めた30分2回で10キロ近くまで行けるようになったというのはそういうことである。

 身体のどこも痛めないでギターをいつまでも弾き続けたい。ブログ原稿書きとか読書とかを長時間やっても、背中や腰や目を痛めたくない。こんな思いが上のランニング努力を支え続けてきてくれたとも言える。なにしろ、身体酷使から生み出される疲労物質は、酸素で排出してくれるはずだ。酸素摂取能力こそ全ての健康な活動の源泉になると信じてきた。身体の中で酸素を最も多く使用する脳を含めて。ただ、多量の酸素摂取は同時に活性酸素をも多く取り込み、これが細胞の酸化・老化を早めるから、その対策が欠かせない。僕の場合は赤ワインで毎日取っているポリフェノールが、効果ありと信じてきた。「フランス人はあれだけワインを飲んでるのに、どうして成人病が少ないのか」というフレンチパラドックスが日本でも一時有名になったが、ランニングで活性酸素を多く取り込む僕にもこれがなかったら血管の老化などがもっと進んだはずであって、ランニングもこうは行かなかったと確信している。

「どんなサプリ・クスリよりもまずランニング。それが無理なら、ウオーキング」
 糖尿病がある僕の連れ合いも、ウオーキングで精一杯血管老化などを防いできた。活動年齢を長引かせる最良の方法なのだと思う。そんなおかげがあったのだろうが、しばらく中断していたヨーロッパ旅行をこの2年2回とうとう再現できた。彼女の場合下肢を少々鍛えないといけないとも今回自覚できて、それが今後の課題になったのだが、何とか前向きに乗り越えていけるはずだ。
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日本株、ブラックマンデーに次ぐ売り越し!   文科系

2014年03月27日 15時28分00秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 重大な経済情報です。その割に新聞などに載っていません。阿修羅掲示板にあったある経済ジャーナリストの記事紹介からのものです。

【 東京証券取引所が発表した投資主体別売買動向によると、3月10日から14日の外国人投資家の売り越し額が9700億円に達したそうだ。これだけのまとまった売り越し額は、1987年のブラックマンデー時の1兆1220億円(87年10月19日~24日)に次ぐもので、26年ぶりの大幅売り越しとなった。近隣で戦争の危機があった欧州市場を上回る下落幅となり、相変わらず日本株のボラティリティ(変動幅)の大きさが際立った。】

 この情報提供者はこのあと、3月11日前後に欧州各国で「フクシマ事故後3年」というテレビ報道番組が相次いで放映された影響を指摘していました。日本政府がいくら情報を隠して「コントロール」を振りまいても、天網恢々疎にして漏らさずということでしょう。衛星映像だってあるのだし、海への拡散はいくらでも正確に指摘、予測できるはずなのだ。
今後にも、4月消費税以降は特に、注目です。

 
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随筆 「世界古代文明の始まり方」  文科系 

2014年03月26日 01時48分20秒 | 文芸作品
 トルコ旅行のバスの中、ある方と大論争になった。議題は、トルコは今現在宿泊してこれを書いているコンヤという都市の近くにあるチャタル・ホユックという古代「都市」の位置づけをめぐって。二人ともが初めて勉強したこの「都市」は、世界最古四大文明(メソポタミア、エジプト、インド・インダス川流域、中国・黄河流域。それぞれ差があるが、紀元前三八〇〇~三〇〇〇年ほどにできた)よりもはるかに古い。紀元前七〇〇〇年ほどにできたもので、農耕、牧畜などがあって、三〇〇〇~八〇〇〇人の「都市」を形成していたという。ただ、支配階層など身分の存在を示すものは未発見ということだった。なお、この遺跡自身の発見が一九五八年だそうで、全容解明は遥か先の話らしい。四大文明までの歴史がより細かく解明できる考古学、人類学上でも最重要遺跡の一つとして、二〇一二年に世界文化遺産になったばかりだそうだ。

 さて、農耕・牧畜と大規模共同体の形成の後にできたはずの身分・階層、奴隷制度、国家、宗教などがないからここは文明とは言えないというようなことをお相手が語ったところから論争が始まったのだった。対して僕は、こういう性格の「都市」がこんな昔にあったとすると、このチャタル・ホユックは人類史を塗り替えるような、世界四大文明と比肩できる大発見だと強調したことになろうか。支配機構、奴隷制度、大建築物、宗教などを重く見るか否かという意見の違いに過ぎないのかもしれない。「四大文明はこれらすべてがあったところに特別の意味がある」というがごとき彼の主張が、僕にはこう見えて仕方なかったのだ。農耕・牧畜・大規模共同体の形成の歴史的意義を軽視していると。

 ところで、四大文明よりも古い「都市」は、チャタル・ホユックだけではないとこの後に分かった。イスタンブールも紀元前六五〇〇年には「都市(一定規模の定住)」があったようだし、チャタルほど大きなものではなくとも、トルコ南のメソポタミア(イラク)には農業、牧畜実施を土台とした「都市」がいくつか見つかっているようだ。ただ、この農業、牧畜と都市出現の関係が難しい。この流れで大切なのはこういう理屈かと思う。
①狩猟・採取経済では、一カ所にたくさんの人々が住めないし、第一定住という事自身があり得ない。食料に限りがあり、季節移動生活になるからだ。
②また、狩猟・採取経済では、遊んでいられる身分も奴隷制度も出来ない。そもそも貧富の差が小さすぎて奴隷を支配する軍事組織も出来ないからだ。
③農業、牧畜が生まれて初めて、一定数の定住、貧富の差、その軍事支配機構、奴隷制度などが生まれたと言える。
④世界最古四大文明は、以上を経て出来上がった。だからこそ、農業、牧畜があって、三〇〇〇~八〇〇〇人が定住していたチャタル・ホユックが紀元前七〇〇〇年に存在したことが、画期的な意味を持つわけである。
 ところでさて、こういう文脈の中で、紀元前六五〇〇年のイスタンブールに一定数の定住があった事、イラクにチャタル・ホユックよりも古い農業・牧畜地帯があった事が大切な意味を持つわけである。

 さて、以上から見れば日本の三内丸山遺跡などはなかなかのものと分かる。紀元前一万年ほどに始まったと言われる縄文時代、その前期中葉には集落があったのだから。もっとも縄文時代は草創期、早期、前期、中期、後期、晩期の六期と、紀元前四世紀まで続くのだ。ただ、「縄文農耕論」が問題になるほどに、日本農業の発生時期は大問題らしい。
 こういう歴史を考える時、今どき「日本人、日本人」と何か特別の人類、区分のように叫んでいるネトウヨ連中が笑える。三内丸山も含めて以上に述べた現生人類の全てが、何回もあったアフリカ脱出に起源をもつ人類がいる中で(ハイデルベルグ人とかネアンデルタールとか、ジャワ原人とか北京原人とか)、十五万年ほど前にただ一度アフリカを出た女性グループから生まれた兄弟だということだけははっきりしているのだから。そしてこの兄弟達に五万年ほど前に「人類共通文法」ができたと、これは現代の大言語学者チョムスキーの学説である。こういう流れを経て、農業・牧畜のイラク・メソポタミア、何千人もの定住・チャタルホユックから、世界四大文明へというのが現代文明への構造的な流れであろう。これらの子孫としての日本人はだからこそ、北方起源・混血説も示しているように、朝鮮民族や昔の満州人と兄弟もいい所なのである。兄弟とケンカしてどうするのか。部族兄弟のけんかが今見えるとしたら、共通の部族先祖はさぞ泣いていることだろう。もっと言うと、文字にせよ仏教にせよ、全て彼等から学んだものである。彼等から直接学んだものでないものは、縄文の壺、漆器というほどにごく少数である。だからこそ、漆器の事を英語でジャパンと呼ぶほどなのである。

 現代社会に繋がっている古代文明発生を学ぶほどに、世界人類は兄弟という思いが強くならざるを得ない。逆を言えば、日本の特徴、外国の最近の特徴を善悪くっきりと分けてのように語るやり方こそ、悪しきナショナリズムのやり口のはずだ。

(3月11日当ブログ初出。今回改作)
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新聞の片隅に載ったニュースから(141)    大西五郎

2014年03月25日 09時11分03秒 | Weblog

慰安婦問題「新談話を」 首相側近・萩生田氏が発言(14.3.24 中日新聞)

自民党の萩生田光一総裁特別補佐は二十三日、従軍慰安婦問題をめぐり旧日本軍の関与と強制性を認めた河野洋平官房長官談話の検証で「新たな事実が出てくれば、それに基づき新たな政治談話を出すことはおかしなことではない」と述べた。都内で記者団に話した。萩生田氏は安倍晋三首相の側近。これに対して韓国外務省は同日夜、「極めて不適切な発言だ。非常に遺憾で容認できない」との見解を表明、反発した。
安倍氏と朴槿恵韓国大統領が初めて正式対話の席に着く日米韓首脳会談が二十五日にオランダのハーグで開かれるのを前に、韓国は態度を硬化させている。
萩生田氏は新たな談話について「個人の考えだ」と強調。首相が戦後七十年の節目の二〇一五年に検討している談話とは別のもの想定していると説明した。この発言に先立ち民放番組では、首相が談話を継承する考えを示したことに関し、新しい談話作成は「否定していない」と主張した。
韓国外務省は、萩生田氏発言に関する日本政府の「明確な立場表明」を要求した。首相が河野談話の見直しはしないと十四日に表明したことを強調し、これを「否定する見解」だと指摘した。
日米韓首脳会談は米国が開催を要望。韓国は、日本が一定の譲歩をしたため朴氏が出席できる環境が生まれたとして、会談に応じると表明していた。
民主党の海江田万里代表は宮崎県小林市で「新たな談話を出すと河野談話の全面否定になる。首相が言っていることと違う」と述べ、萩生田氏発言を批判した。

□□――――――――――――――――――――――――――――――――――――――□□

 またまた首相側近からの危ない発言です。安倍首相が「河野談話を見直すことは考えていない」
と表明したのに、「首相は新しい談話作成は否定していない」と首相発言を否定するような見解を首相の一番近くにいる人間が表明したのです。韓国は「非常に遺憾で、容認できない」と反発しました。
 安倍首相の歴史認識を韓国や中国のみならずアメリカからも疑問視する声が上がっていますが、安倍首相はそれを打ち消す発言を行なっています。「河野談話の見直しをしない」というのもそうですし、オランダ・ハーグでアンネ記念館を訪問して「歴史の事実に謙虚に向き合い、次の世代に語り継ぐことで世界の平和を実現したい」と記念館館長に語ったりしています。
 それなのに衛藤晟一首相補佐官が首相の靖国参拝にアメリカが「失望した」と表明したのに対して、「むしろ我々の方が失望した」と述べたり、本田悦朗内閣官房参与が「首相の靖国参拝の必要性」を米紙に語ったり、この萩生田総裁特別補佐の発言と、こうも立て続けに出て来るということは、失言のように見えますが、案外首相の口からは言えないことを、側近が代わりにしゃべって周りの反応を見ようとする高等戦術なのかも知れないと思えるようになりました。
 一つ一つの事象に「またか」で終わらせずに、キチンと誤りを指摘し、反対していくことが必要だと思いました。
                            大西 五郎
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「よたよたランナーの手記」(44) 「LSD」  文科系

2014年03月22日 01時31分04秒 | スポーツ
 ランニング力向上の最良トレーニングの一つにLSDとかいう科学的法則があるが、20日はまさにそう走った。ロング(長い時間)、スロウ(ゆっくりと)、ディスタンス(長い距離を)だったかな? この内実は、赤血球が増えるなど酸素運搬能力が最も向上するやり方ということらしい。今日はその通りで、3本やって1時間半13キロほどだったろう。もっとも、こう走ったのは苦肉の策なのだ。先週土曜日に右脹ら脛に走った軽微な痛みが不安で、日~水曜日と4日の間を置いた上に、おっかなびっくりで大事を取ったのである。ちょっとの異常にも慎重になるのが、年寄りランニングを続ける要諦。おかげで、本日は何の異常もなかった。ただ、前日19日に30キロほどサイクリングをやって来たその疲れが残っていたせいなのか、脈拍が高かった。時速9キロでも、150を超えることも多かったのだ。それで、押さえて走らざるを得ないということもあって、そのかわりに1時間半走ったと、これが久しぶりの20日LSDの舞台裏である。この年でも、良いトレーニングになったはずだ。翌21日のおしっこがかなり黄色だったから。22日にはもう白くなっているから、疲労物質が中一日で捌けたということだろう。もっとも、最高持続速度からちょっと落として走った場合の疲労は、走った距離ほどには多くないものだ。

 19日の30キロサイクリングは、日進市・弁天池辺りまで行ってきた。名東区の極楽から向こうなど坂が多くって大変だったが、これもまたサイクリングの醍醐味。帰りの梅森坂経由も下り坂、上り坂とバラエティーに富んでいた。イギリス発祥で「パスハンティング」と言って、峠を乗り越えた数を記録していくサイクル・マニアも多いと聞く。もっともイングランドの峠は日本と違って大変低いと聞くが、これも往時の中長距離王国英国で紳士の克己心を鍛える嗜みの一つだったのだろうか。坂を上る時には、そんな事を思いながら愛車をこいでいた。坂を下る時は背中を丸めて、まるでハンドルの真ん中にキスしているような感じになる。そんな時にメーターに目をやると時速50キロというような急坂もあった。牧野が池では、まだ薄茶色ながら太陽の暖かさが感じられる芝生にしばらく寝そべっていた。仰向けで雲をあれこれ掴むように遊びながら。
 それぞれの体力に合わせて長時間やれる有酸素運動。老人の健康生活にとって、サイクリングは最適のスポーツだと世に宣伝したい。僕の今の体力も四十代に続けた自転車通勤で鍛え、保たれてきたものと思っている。
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プーチンのクリミア演説抜粋   文科系

2014年03月21日 12時53分09秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 プーチンがクリミア独立問題について演説した全文を読んだ。ここでもご紹介した名古屋の「街の弁護士日記」に全文が載っている。以下は、そこから抜粋させていただいたものだ。プーチンをけっして好きなわけではないが、述べている事は筋が透っていると感じた。ロシアの議員、クリミア・ウクライナ関係者を前にした、30分を超える大演説である。日本のマスコミも、国際紛争があった時には当事者双方の情報をもっともっと流すべきだろう。イラク戦争は、アメリカ・西欧だけの情報で嘘の理由に踊らされて、大変な悲劇の結末になったはずだ。クリミアを巡る現在の日本世論も、そうなりかけていないだろうか。
 ここでプーチンが述べている事は、僕がここで述べてきた国際情勢論にたまたま非常に似ていると感じた。アフガン、イラク、リビア、コソボ、「アラブの冬」にも僕と同じようなふれ方をしている。ドル崩壊も間近いアメリカと、ロシア。どっちもどっちと見れば、アメリカの無理押しはロシアの目からこそよく見えると、そこら辺りが正解という気がする。

【 (前略) 二つ目に、これが最も重要なのだが、我々は国際法に違反したのか?
私は確かに上院からウクライナで軍事力を行使していいという権利を与えられた。しかし、まだ行使していない。ロシア軍はクリミアに派遣されていないのだ。クリミアの部隊は、国際条約に基づいて駐留する部隊だけだ。
確かに我々はクリミアの部隊を増強した。しかし、強調したいのだが、クリミア駐留部隊の上限要員を超えたわけではない。上限は2万5千人。これまでは、単にその上限までは必要なかったというだけだ。
独立を宣言と住民投票を発表した際、クリミア自治共和国議会は国連憲章を根拠とした。民族自決の原則だ。思い出してほしい。当のウクライナもソ連から脱退するときに同様の宣言をした。ウクライナは民族自決を使ったのに、クリミアの人たちはそれを拒否される。なぜなのか?

このほかにも、クリミア指導部は有名なコソボの先例を参考にした。それは西側が自ら作ったものだ。全くクリミアと同じケースであり、セルビアからコソボが分離することを認めたものだ。これも一方的な独立宣言だったが、そのときは中央政府の許可は何ら必要とされなかった。
国連の国際裁判所は国連憲章第1条2項の原則に同意し、2010年7月22日付の決定で次のように指摘した。文字どおり引用する。
「安全保障理事会は一方的な独立宣言について、一律禁止にするような結論は出さない」
「国際法は、独立宣言について適切な禁止、というものを規定していない」。

すでに明かだろう。引用を強調したいわけではないが、私は抑えることができないので、公的文書から抜粋をもう一つ紹介したい。
それは2009年4月17日付の米国による覚書だ。
それはコソボの審理のときに国際裁判所に提出されたものだ。
「独立宣言は国内法に違反することが度々起こる。しかし、それは国際法に違反していることを意味しない」。
自分たちで書いて世界に向けて吹聴したのだ。
すべてをねじ曲げ、そして今度は憤慨している。どういうことだ?
クリミアでの行動はすべてはっきりと、これ(コソボの例)と一致する。
なぜかコソボのアルバニア人はよくて、クリミアのロシア人、ウクライナ人、タタール人は禁止されているのだ。
なぜなのか?
そして欧米は今度は、コソボは特例だと言う。それは結局例外だったということか?
コソボの紛争では多大な人的被害があったから?それは法的根拠になるのか?
国際裁判所の決定はそんなことはまったく触れていない。二重基準どころではない。驚くべき原始的な直接的な皮肉だ。

昨日までは白と言っていたのに、明日には黒と言うようなものだ。あらゆる紛争は人的犠牲が出るところまで行かなければならないということか?
もしクリミアの地元自警団が事態を掌握しなかったら、同じように犠牲が出たかもしれない。幸いそれは起きなかった。ただの一つも武力衝突は起きなかったし人的犠牲もなかった。なぜか?答えは簡単だ。市民と彼らの意思に反する形で戦うのは難しいだけでなく実際には不可能だからだ。
これに関してはウクライナ軍に感謝したい。それは決して小さくない部隊だ。武装兵は2万2千人。武力に訴えなかったウクライナ兵士に感謝したい。もちろん、これに関しては別の見方も出てくる。クリミアにロシアが武力によって干渉したと。でもそれはおかしい。
一発も発砲せず、一人も犠牲者を出さない形で武力介入が行われたことが歴史上あっただろうか。私はそうした例を知らない。

親愛なる皆さん。ウクライナを取り巻く環境は、まるで鏡のように今世界で起きていること、そしてかつて世界で起きたことを映し出している。地球上で2極化世界(冷戦)が終わった後も、世界は米国率いる西側は、政策を実行するのに、国際法ではなく、「力の原則」に従う方を好んだ。
彼らは自分たちが選ばれたもので、例外だと信じた。世界の運命を決めることができるのは常に彼らだけに与えられた権利だと。彼らはそのように振る舞っている。それが正しいと言わんばかりに。
国家の主権に対して武力を使い、同盟を組むのが常套手段だ。我々に賛同しないものは、我々の敵だとみなす。攻撃を合法だと装い、国際機関の必要な決議を破り、様々な理由で都合が悪くなれば、国連、安保理をすべて無視する。

ユーゴスラビアでもそうだった。1999年のことをよく覚えている。自分でも目の当たりにしたが、信じれなかった。欧州の偉大な都市の一つであるベオグラードが数週間のうちに空爆で破壊されたのだ。そしてその後、本当の武力介入が始まったのだ。
果たして安保理決議は、ユーゴスラビアのこの問題について、こんな風に解決しようという内容だったか?そんなわけはない。そしてアフガニスタン。イラク。リビアではあからさまに国連安保理決議に違反した。飛行禁止区域を守る代わりに空爆が始まったのだ。
一連の「カラー革命」(一部の旧ソ連諸国で起きた革命)もそうだ。それが起きた国では、圧政や貧困、展望のなさに人々が疲れ果てていた。それは理解できる。
しかし、そのような感覚が皮肉なことに利用されたのだ。
利用した方の国(欧米)は、それがスタンダードだという。
しかしそれは彼らの人生や伝統、文化には当てはまらなかった。結果は、民主主義や自由の代わりに、カオスだった。暴力の激突であり、政権転覆の応酬だった。「アラブの春」は「アラブの冬」へと変わった。
(以下略)】
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新聞の片隅に載ったニュースから(140)     大西五郎

2014年03月20日 18時56分13秒 | Weblog
 上野千鶴子さん山梨市長と「和解」(14.3.19 毎日新聞)

 山梨市が中止方針を撤回した社会学者、上野千鶴子さんの講演会が18日、同市で開かれた。望月清賢市長が冒頭、「上野先生に無礼を働いた」と陳謝すると、上野さんは「過ちを改めるに、はばかることなかれ」と応じ「和解」が成立。会場は聴衆約400人で満員になり、上野さんは「ひとりで最期まで在宅で」と題して1時間半にわたり熱弁をふるった。最期に「今回の講演料は市に寄付します」と表明し、喝采を浴びた。
 講演会を巡っては、少年の性に関する上野さんの過去の発言などを挙げて望月市長が「表現が強すぎる」などと中止を申し入れた。しかし、市民の抗議などを受け、17日に一転して開催を決めた。

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この記事では望月市長が上野さんの少年の性を巡る過去の発言(熟女に癒してもらえばいいなど)の表現が強すぎるなどと「中止を申し入れた」となっていますが、16日の毎日新聞では、「望月市長は『住民から抗議もあり、公費開催はふさわしくないと判断した』と説明。」となっています。
「市民からの抗議」が中止のきっかけのようですが、島根県松江市で「はだしのゲン」が学校図書館の開架から教員室などに「しまい込まれた」事件も教育委員会にかかってきた市民からの電話に教育委員会が過剰に反応したためでした。東京都美術館が造形作家の作品に政治の右傾化に反対するメッセージを書いた紙が付いていたため、「市民からの抗議」を恐れて美術館側がメッセージを取り除くよう要求しました。
最近自分に気に入らないことがあるとネット上で攻撃し、それを見た人が同調していわゆる「炎上」することがしばしば起きていますが、ネトウヨと呼ばれる人たちの間でよく起こるようです。これらの人たちは自分で事実かどうかを確かめようともしないで、冷静に考えれば「はたして本当だろうか」と思うようなことでも「ネット上に書かれたことは事実である」(メディアはなかなか本当のことは書かない)と決め付けて抗議の声を挙げるというケースが多いとジャーナリストの安田浩一さんの「ネットと愛国」という本に書いてありましたし、15日の中日新聞の「ネットで何が・・・」でも、「何かの事件が発生すると『在日コリアンの仕業』とのネット上の書き込みがあふれる」と指摘しています。ネット上のキャンペーンを読むとお二人の指摘のようなことが起きていると思います。一種の狂気を感じます。
これに行政が必要以上に反応しているのが問題です。山梨市の場合も(人数は明らかにされていませんが)講演会に反対する電話なりメールで中止の判断をしたということですが、多くの市民は講演会を支持し、中止を思い留まらせ、会場は満員になったことを見れば、市の側が抗議に過剰に反応し、方針を誤ったと云えます。行政は抗議の声の大きさに怯むことなく、言論・表現の自由をしっかりと守ってほしいと思います。
                                    大西 五郎
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随筆 「至福のホームコンサート」  文科系

2014年03月20日 16時03分28秒 | 文芸作品
 4日土曜日、表題のことがあった。演奏者は3人、いずれも中部アマチュアギターコンクールの優勝者ばかり。初めは去年の総合優勝者Tさん。次が、今年の総合優勝者Kちゃん、今年の第32回日本ジュニアギターコンクール総合優勝者で、小学6年生である。そして最後が、このコンサートの企画・開催者Uさん。今年のシニアの部第1位の方であり、この日の会場提供者でもあられる。僕は枯れ木も山の賑わいで、唯一の単なる聴衆。もっとも、Kちゃんのご両親もいらっしゃったけど。笑顔がいつも素敵なお父さんと、美しくって思慮深げなお母さんと。
 このホームコンサートって、本当に至福。何か気になれば演奏者の直ぐ脇へ行って、それを観させていただくことも出来るし、ギター経歴なども気軽に問答してもらうことが出来る。そんなこんなで、アマチュアの最高峰である演奏者たちの個性が目の前に全部見えるのだ。下手くそな僕で僭越ながら、それを表現してみよう。おおむね他の皆さんにも確認済みのものでもあって、間違ってはいないと思うし。

 Tさんは、大阪の方。大学時代からのギター弾きで、退職後この10年間を先生に通われたとのこと。信じられないような話で、大学時代からの基礎が余程良かったとしか思えない。いろんなギター技術の模範みたいなカッチリと安定した演奏をされる。アマチュアなのにレパートリーの広さがまた凄くって、常時20曲はあるとのこと。バッハ、「11月のある日」「アンダルーサ」「アルハンブラ」等々、もっともっと多くを弾かれた。
 Kちゃんは、メルツの「ハンガリー幻想曲」、パガニーニ「超絶技巧練習曲」など。あの小さな体、か細い腕手のどこから、あんな強烈な音・表現力をほとばしり出せるのかと、いつも、ただ、目を見張るばかり。32回目だったかの全日本ジュニアにおいて、「小学生でのジュニアグランプリ」は過去3~4人と聞いた。近頃有名な村治佳織、奏一姉弟などもここを通った口であって、プロとしての大成功がほとんどもう保証されたも同じ6年生だ。
 Uさんは、ソルの練習曲作品31の19番や「ガボットショーロ」「フリア・フロリダ]などをいつものように音楽性豊かに優しく弾いてくださり、場が和んだものだった。ただ、今日のホステス役ということで、随分遠慮しておられたようである。彼女については、ここでもよく紹介した「ギター遊びの会」のお仲間でもあり、またご紹介する機会もあるだろう。

 話は替わるが、一昨日5日は名古屋マンドリン合奏団(第52回)定期演奏会というのを、名古屋市芸術創造センターへ聴きに行ってきた。ギターもあったし、多分低めのマンドリンである「マンドラ」とか、マンドリンをバイオリンとするとチェロのように大きな「マンドロンチェロ」とかを初めて見たり聞いたりして、興味津々だった。初めのほうの演奏がなんか音質が悪く、後に行くに従って良くなっていったと感じたが、あれが演出であったら嫌だなとも思った。3部に分かれていたから、せめて1、2部を入れ替えたほうがもっと気が利いているのではないか。それ以上に、あらかじめ誰か1部の音を注意する人がいなかったのかと、不思議な気もしたものだ。最後のマスカーニと「未完成交響曲」とが良かったので、全体としては満足したのだが。
 それにしても、大学のギター・マンドリン同好会のOBたちがこの会をずーっと52年続けてきたらしいその努力には、頭が下がる。会場も満員であったりして、この国、この地の音楽文化の発展にとって、数人のちょっと優れたプロの出現よりも音楽の普及にとって遙かに計り知れない功績があったのではないか。
 なお、事後にこんな事もあった。僕の中・高一貫校、そして同じ大学と通した同級生が1人出演していたのでちょっと同窓会のような趣もあって、終わってから5人ほどで食事をして、その後、僕の行きつけのスポーツバー「グランスラム」にご案内した。演奏会場の近くだから、歩いて行けるのだ。みなさん大いに興味を持たれたらしく、このうちの誰かがお孫さんでもつれてここに来られればいいと僕から申し上げた。実現すれば僕にとってこんな嬉しいことはない。

(2010年09月07日に初出掲載、再掲)
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随筆 「音楽感動疲れ、かな?!」  文科系

2014年03月19日 02時04分53秒 | Weblog
 オーボエの音が、こんなに複雑で、大きく、重厚なものだとは思わなかった。その独特の「振動感」でもって二間続き二十畳ほどの客間を、その障子や襖までも振るわせているようだ。後で聞けば、倍音が最も多い部類に属し、しかも弱音では鳴らせない楽器なのだそうだ。昔は、今のトランペット代わりに使われた木管楽器とのこと。そう振り返ってみればなるほど、あの重厚な感じが納得できるという、そんな音質なのである。
 また、これと競うように、ギターの音。こちらはオーボエと対照すると一種鋭い透明感となって、やはり部屋の隅々にまで迫ってくる。意識して最も遠くの南障子際までこの時だけ席を移した僕には、きちんとそう聞こえた。まさに、競演、協奏。「アランフェス協奏曲」の第2楽章である。スペインの作曲家ロドリーゴが1939年に作った、音楽好きならば誰でも聞き覚えがある「哀愁」の名旋律だ。マドリッド近くの古城、その歴史を回想するのが第2楽章だと聞いている。

 今日は、我が家の「ギター遊びの会」。僕の家を中心に、春夏秋冬3周りを繰り返してきた同門友人がギターで遊ぶ宴会、確かその14回目である。普通はギターだけで、独奏、重奏、合奏など、各人が準備してきたものを、順番も決めずに、気分が乗った順にてんでにやっていく。が、今日は、特別なゲストがあった。娘の友人に大学音楽科を卒業したオーボエ吹きがいて、僕らの先生と彼女のこの共演となったのである。彼女は、この大都市で名の知れたあるアマチュア市民オーケストラで、パートリーダーをやっている。とはいえこの共演は、予め先生から彼女に楽譜が渡されていて、電話打ち合わせはあったものの、合わせるのは全くのぶっつけ本番だ。単音楽器であるオーボエはともかく、複雑な和音奏法があって読譜が難しいギター名曲で、しかもぶっつけ本番って、先生にはホントに失礼してしまった。が、その分、この圧倒的なボリューム感が僕らの心を揺さぶったこと! この協奏の音とともに、この情景を後で思い出すほどに、先生の決断にどれだけ感謝してもしたりないという気分に、今も浸っている感じである。

 先生のご家族3人も参加されたし、僕の連れ合いも娘も、1歳になったばかりのハーちゃんもこの共演には同席させていただいた。驚いたことに、1歳のハーちゃんが最後まで娘の膝の上で、おとなしくしていたのである。冬でもよく出かける散歩などでいろんなものを黙ってきょろきょろと見続けるのが好きな子だけど、最後まで演奏者をじっと見つめて身じろぎしない体だったのである。演奏時間の間は「いろんな感じ」の中に浸っておれたに違いないのである。先生のお子さんお二人は、小学5年と年長さんほど、ハーちゃんに対する以上にこういう雰囲気がためになったと思いたい。人生への期待感を育てる教育になればなーなどと、これは大事なことのような気がしている。

 計画して、買い物して、料理も4つ作って、かなり疲れたけど、今は充実感いっぱいだ。参加のみんなにも感謝いっぱいだ。

(2011年10月16日当ブログ掲載、再掲)
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随筆 ギター演奏、いろんな老い方   文科系

2014年03月18日 01時28分34秒 | 文芸作品
六年ほど前から、ギター仲間がギター持参で開くホームパーティーを主催してきた。同門の中年以降の人々がほとんどで、男女半々の八名ほどが春夏秋冬と年四回集まり、他に臨時の参加者もある。僕としてのこの会への望みは、こんなことだった。年を取ると次第に下手になるはずで、それに抗していくそれぞれの知恵などを寄せ合いたいものだと。ところが、予期せぬ出来事続出となった。

 ギター演奏関連の何もかもを放りだしてしまったのは、Kさん。ギター一切をすっぱりと打ち切ったのであるが、長年集めたCDをどさりと会に送りつけてきた。こんな言葉を付けて。
「未練を残さず止めたいが、CDには困った。その気持ちは分かってもらえるよね? 皆さんで分け合って下さい」
 こういう方は、他の趣味などでも同じ対処をされるのだろうか? 僕と全く同年齢の方なのである。
 これ以上上達しないからという理由で、僕と同じ先生のところへ通うのをすぱっと止めてしまわれた人もいる。このAさん、ギターはやめないと予告された通りで、僕らのパーティーには今も出席されて、演奏もしていただいている。とても上手な方で、教室を止めた理由について、こんなことを語っておられた。「きっと、何か変なプライドがあるのでしょうね」。
 僕よりも数歳上、超名門企業の重役さんだった現役時代から二〇年以上もギターを続けてこられた方である。
 かと思うと、次の方はちょっとマニアックだ。Aさんと同じように現役時代から二十年以上はいろんな先生についているのだが、その後半の年月をギター曲として最も有名な「アルハンブラ宮殿の思い出」一本に費やしてこられた。というのは、この曲がトレモロ奏法という特殊な弾き方をし、その右手四本指の細かい動きが老人には至難の業だということが関わっている。で、今でも彼のこの曲、決してお上手とは言えず、かといってずっと上手な他の曲は弾きたくはないということで、僕らのパーティーにも二度来られただけだ。でも、彼と僕を含めてこの会を始めた三人は、今でも親友同士。来一月にも一泊の温泉旅行に出かける。二人はギターを持ってくるが、彼は持ってこないという。ギターが縁の三人にして、これまた不思議な話だ。それにしても、ほぼ一曲を十年以上って、驚く。
 最後は僕のこと。独学の後に退職後に習い始めて丁度十年なのだから、腕は知れている。が、マニアックが一つ。「暗譜曲リスト」を持っていることだ。大好きで忘れたくない曲を時に新しく習った曲と入れ替えたりしながらリストにしていて、その都度のレッスン曲と並行して十日に一回り程度はずっと弾き続けてきた。ところが、最近今の二十五曲ほどの維持が怪しくなったのである。それでつい三日前、三曲を外した。入れ替え以外で外したのは初めてのことだが、タレガのアラビア奇想曲、ビラローボスのプレリュード1番などだ。この三つを選んだ理由はこういうものである。最初の五年内に習った曲であって悪い癖も付いており、腕が落ちてきたこのごろは特に上手く弾けなくなって、弾いていて気持ちよくないのである。そこで思った。ほとんどすべての曲が気持ちよくなくなる時も来るのだろうな。それでも、僕は弾き続け、教室にも通い続けるだろう。そういう形で老いを受け入れていく積もりでいる。幸い昔のことはよく忘れるし、良かった昔を引き合いに出して、老いとけんかしても良いことはないだろう。
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ネットで何が・・・差別者の不思議な二重基準     らくせき

2014年03月17日 15時44分32秒 | Weblog
こんな記事が最近の中日に載っていました。

事件が起きるとネット上には「在日コリアンの仕業」という書き込みがあふれる。
アンネの日記事件も同じ。

その際、在日の仕業という根拠とされるのが
「在日の場合メデイアは名前を報じない」という虚説。
産経だけが報じてリベラルなメデイアは在日の犯罪を隠ぺいしていると
いう虚説も。

また差別的な書き込みを消す、「差別らくがき消し隊」も、
在日による自作自演とされる。
日本人が差別的と言う誤解を世界に広めるための反日工作という。
その根拠が、そんなことを「生粋の日本人」がするわけがない、という理由。
また差別らきがき消し隊の「チ」の書き方が日本人じゃないとも。

記事の執筆者は、こんな感想を述べています。
日本人=善、在日=悪、という図式に固まった人達がネット上に日々、
書き続け、街などでリアルな差別表現があると報じられると、自作自演扱いをする。
このダブル・スタンダードが不思議さは変じゃないかと。

思い出すのは、中国侵略の根拠とされる報道写真を
日本刀の持ち方が日本人ならしないものと、小さな事実を取り上げて、
写真は偽物、自作自演と断定する手法と酷似していると。

あのナチが天下をとっていく時の手法。
「生粋の日本人」と「純粋なドイツ民族」はそっくり。
どこかの元首相が改憲はナチに見習え、と言ったが、着実に実行されている。

一度目は悲劇。二度目は喜劇。

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随筆 夢に描いた演奏会  文科系

2014年03月17日 06時10分25秒 | 文芸作品
 こんな演奏会を創り出してみたかった。そんな夢をとうとう叶えたというお話をしよう。

 舞台は名古屋市南東郊外、民家風ログハウスの小演奏会場。時は春も真っ盛りの3月31日。西と南に庭があって、北西には咲きかけた紫木蓮、本日の庭のヒロインだろう。その根本にはユキヤナギが、そのちょっと南に離れた所からは満開レンギョウの黄色が、それぞれ目に飛び込んでくる。珍しい演奏会とあってか、30人ばかりの小会場は1部に続いて2部も満員だ。
 演奏は僕たちの先生。「朗読コンサート」と銘打った会のメーンの出し物は「プラテーロとわたし」。スペインのノーベル文学賞詩人ファン・ラモン・ヒメネスの詩に、マリオ・カステルヌオーヴォ=テデスコが曲を付けた作品だ。朗読者はある「おはなし会」の会員の方である。
 「プラテーロとわたし」の朗読コンサートを聴いたのはこれで3度目だが、先生の初めて聴くこの演奏はどういうか、とにかく生き生きとしている。強弱、緩急ともに落差が大きく、要するに動きがあるのだ。また、クラッシックギターの持つあらゆる表現技術・奏法を作曲者の指定以上に、それを乗り越えてちりばめていたのかもしれない。この演奏がまた、朗読者の低めで落ちついて温かい声をよく浮かび上がらせ、小さな椅子にぎっしりと並んだ30人が食い入るように見つめ、聴いていた。

 数曲の独奏に入って、その中にはフェルディナンド・ソル作曲「エチュード 作品6の11番」が入っていた。これがまた、先生の僕に対する何かお返しのような気がして、ちょっと嬉しかった。というのは、去年に続いて2回目のこの会は、弟子たちが実行委員会を作って実現してきたものであって、僕はたまたま実行委員長だったからだ。委員長といってもなんの権限、権威もなく、当日に限って言えば駐車場の整理兼雨中の案内係のようなことをしていただけだ。1部2部の司会はそれぞれ、A氏とUさんに頼んだし、受付はKちゃんがやってくれた。A氏はわざわざヒメネスの人生と作品までを調べてきて司会談話のなかに織り込んでくださったし、Uさんはといえばこの日の為に作ったという黒のスーツでその細めの美しさが際立って見えた。余談だが、この会場の持ち主がやはり聴衆として参加しており、あとでこんな感想を漏らされていたと聞いた。「なんか、感じの良いお弟子さんばかりで、羨ましかったです」。そう、A氏もUさんも、とても感じが良かった。そして、この家の持ち主も負けずに感じが良くって、これがまたリコーダーなどのサークル、演奏会などをやられてきた方であって、この会場もそういう体験からイメージを膨らませてきた彼女の「夢の産物」らしい。
 さて、こういうイメージの演奏会を長く温めてきて提案したのは、間違いなく僕である。会場ログハウスのパイン材の壁に4~5枚の絵が掛けてあるが、これも僕のいろいろ語った願いの一つを先生が生かしてくれたものだった。やはり弟子の1人S氏が絵をやると聞いて、先生が当日の為に頼んで下さったのである。全てがスペインの光景、情景だった。中でも最も目につく場所には、グラナダ辺りの「フラメンコ小屋」(タブラオ)で中年女性が長いモスソを翻して踊っている。僕も観光で訪れたことがあるのだが、古ぼけた薄暗い庶民の場所という感じがとてもよくでていて感心していたものだ。

 さて、この演奏会では、演奏が終わってからが僕の最大の出番と言って良い。実行委員会のメンバーで会場を作り直して、「ワイン・チーズパーティー」に模様替えしていく。ワインは赤白5本をそろえ、チーズはロックフォールなどの青カビと、白カビをそろえた。去年の会で、こんな体験があったから安心して。このパ-ティーを当てにしてくる2部への参加者は、ブルーチーズが好きな人が多いのだ。つまり食通が揃っている。
 
 ワインは全部なくなった。チーズは少し残った。これらを飲み平らげる合間に、先生にいろんな曲をみんなが注文していたし、2回目にして皆がもうこの会に病みつきは明白である。音楽といろんな特技を持った弟子たちの作品と、ワインとチーズ。生きている限り、弟子たちの力で続けていきたい。我が親愛なるギター仲間たちはみんな、間違いなくそう思っているはずだ。春夏秋冬と各1回、7~8人で4年も続けあってきた変わり種宴会「ギター遊びの会」の結晶の一つなのである。
 こういう機会、場所から先生に新しいお弟子さんが見つかること、それも僕らの最大の望みである。大好きなギター音楽、それを職業とする人が普通に食っていける日本であって欲しい。

(当ブログに、2012年06月13日掲載の再掲です)
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随筆   「音楽」の友達   文科系    

2014年03月17日 04時46分51秒 | 文芸作品
 今朝、ギター仲間Nさんからこんなメールがあった。冒頭の文言からして、その嬉しさのほども分かろうというもの。『おはよう? こんな時間に目を覚ましてしまった。でも善は急げ、朗報です』。午前二時四四分発送とある。
 【昨日レッスンが終わってからAさん宅に行ってきました。彼から「一度私の『月光』を聴いて欲しい」ということで。大変驚いた。半年くらい前に聴いたのとは違い格段に上達されていたので。ゆっくりたんたんと、そしてしっかりとしたテンポとタッチ。私も要望されて『月光』を弾いたが、確実に私の負け。でも嬉しくって涙が出てきた。絶対に人前で曲を弾かなかった彼が「自分の演奏を聴いて欲しい」という気持ちになったというのが、嬉しかったなぁー。(以下略)】
 この二人、あるギター教室の七十に近い同門生で、Nさんとは同じ歳、Aさんは一つ上。去年の早春、発表会の打ち上げ会で知り合ってから二年足らずのお付きあいだ。そして、打ち上げ会の一二日あとに我が家に三人が集った「ギター遊び・飲み会」以降しばらくして、ある事件が起こった。Aさんが教室を辞めてしまったのだ。この事件の微妙さを部外の方々に分かってもらうのはとても難しいのだが、こんなことだと推しはかってきた。
 まず、Aさんが教室の先生に大きな不満を持ち始めた。どうも、僕たち二人の批評から『先生が、この年寄りとしてはこんなもんだろうとだけ扱ってきた』と思い至ったらしい。僕らの関係もナーバスなものになってきた。特に、僕の古いアルペジオ楽譜二枚にショックを受けたとしきりに語られる。定年後先生につく以前、一人習いの昔から、ちっとも上手くならないのでいつも基礎に帰って弾き込んできてぼろぼろになった二枚であった。これのことも含めて、彼はおおむねこんな思いを抱いていたのではないか。
〈習って二十年。ちっとも前進しなかったのはタッチがいい加減だったからだ。練習時間と熱意とでは誰にも負けぬと自負してきたが、それもどうもあやしい。俺のこのギター、これから一体どうしたら良い!〉
 以降の彼は、僕とは話したくないようだった。今分かるのだが、僕が何気なく口に出した言葉が彼をずいぶん傷つけてもいたようだ。
 そして、彼との接触を委ねたNさんからこう聞いたのが、去年の晩夏。「別の先生について、音だしの基礎練習だけをやってきたらしい」。秋には、Nさんの努力で三人の下呂温泉一泊旅行が実現した。Aさんは、僕らが思いもしなかったことだが、Nさん持参のギターでその音だしだけを披露してくれた。見違えるようにしっかりしたタッチだった。Nさんが事実通りに褒めていたし、僕も言葉に注意しつつ何かを言ったと思う。この時の彼の心境! 帰宅翌日のメールにこうあった。
 「正直言ってお二人の前でギターを弾いた時は、清水の舞台から……の心境。緊張感を凌駕した恐怖感。結果、弾き終わって『汗びっしょり』でした。お二人に対する敬意のつもりで弾きました」
 ギター、「音楽」へのなにかとてつもない愛着を僕に感じさせた。
 その後しばらくして「曲の練習に、『月光』に取りかかられた」と聞いていた。

 この三人で出発した「ギター遊びの会」の方は二回目以降もずっと続き、来新春で春夏秋冬ともう二回り、八回目になる。常連出席も男女八名と賑やかなパーティーに育っている。Aさんがここに戻って来ること、これがNさんと僕の暗黙の誓いのようなものだ。その理由は自分でもよく分からないが、こういう「音楽」の場所に彼がいないのは、おかしい。

(2009年の頃の作品。再掲です)
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