九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

書評 渡辺明が見た藤井聡太   文科系

2020年09月30日 15時27分34秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など

 これは書評である。ただし、ある本ではなく、ある文章の書評だ。あまりに面白く、かつ人物を描いたルポルタージュ(現地報告)としても後世に残るような名文と感じたから、こんな異例の書評を書くことにした。今日本を大きく騒がせている藤井聡太をこともあろうにスポーツグラフィック・ナンバー1010号が特集して大きな話題になったが、そこにこういう文章が収められている。『渡辺明「敗北の夜を越えて」』、作者は大川慎太郎という将棋記者らしい。この文章には何よりも先ず、日本将棋界に藤井聡太革命とも言える事態が起こったことが余すところなく描き切られている。ついで、そこまでの名文が出来上がったのは、棋聖戦敗北の当日夜に潔すぎるほど正直に「敗戦の辞」を語った棋界の第一人者渡辺明の人柄、功績とも言える。このことに関わって文中こんな下りがあるので、それを初めに紹介しておきたい。

『別れ際、「徹夜ですよね。原稿、頑張ってください」と渡辺は微笑んだ。
 一人になってから、彼の人間性について思いを巡らせた。なぜ棋士人生を揺るがすような痛恨事を、その日のうちにこれだけ率直に語ることができるのか』
  ちなみに、この記事原稿の主要部分は翌日の昼が締め切りだったとのこと。だからこそ渡辺が「負けた場合には『社会的ニュースになるはずだから』、この夜の内に」と、大阪から東京に帰る21時発新幹線車中で大川の取材に応じることになっていたもの。そう、このルポの冒頭に描いてあった。この二人、なにか積年の信頼関係が偲ばれたものだ。

 さて、まずとにかく、「敗戦の辞」を追ってみよう。
『車中、渡辺が「終盤力が違いすぎるよなあ」とポツリと漏らした。これが、敗局について発した初めての言葉だった』
『それでも(最終局の)終盤戦で藤井に指された8六桂という自玉の逃走路を封じられた一手について語る時は、少しばかり早口になった。「まったく見えなかった」と渡辺は憮然とした表情で言った』
『冒頭で挙げた2つの手(第1局は1三角成り、第2局は3一銀)と、第4局の8六桂。藤井は勝局のすべてで、自身を代表するような名手を放った。そんなことは一流棋士でも生涯で5回披露できれば十分だ。・・・・ 渡辺の口調が熱を帯びてきた。
「過去にもタイトル戦で負けたことはあるけど、この人にはどうやってもかなわない、という、負け方をしたことはありません。でも今回はそれに近かった」
 白旗を揚げたようにも聞こえた』
『36歳の渡辺は藤井の倍の年齢だ。・・・・藤井の登場によって自分の将来の立ち位置が見えてしまったということはないのか。緊張しながらそう尋ねた。
「それは今日、棋士全員が思わされたことでしょう」
 穏やかな声色で渡辺は答えた。そこには自嘲も謙遜も悲嘆も感じられなかった』
『藤井との対決はこの棋聖戦が最後ではない。今後、彼とどう戦っていくのか。
「現状では藤井さんに勝つプランがありません。だっていまから藤井さんのような終盤力を身につけようとしても無理だから」』
 と、このルポはここまで来て、ここの冒頭に書いた「徹夜ですよね。原稿、頑張ってください」へと続いていく。

 さて、このルポの結びである。
『最大の注目は、1カ月前の敗北の夜「プランがない」と語った藤井との再戦だ。
 「次は普通にやります」
 渡辺は一呼吸おいてから続けた。
「棋聖戦は藤井さんとのタイトル戦初対戦だったので、向こうの情報はほとんどなかった。でも番勝負で指して分かったこともある。だから次は普通にやりますよ。何度も負かされ続けたら自分の将棋をガラッと変えることも考えるでしょうけど」
 藤井と再び相まみえるのは遠くない未来だろう。おそらく私はまた、取材を依頼するはずだ。その時、渡辺は負けた場合のことを伝えてくるのだろうか。』
  この文章は、今回の棋聖戦敗北の夜を控え、それに備えて起こった、「負けたらその日のうちに新幹線で取材に応じる」と渡辺が大川に応えてきたその異例を受けているのである。

 以上、このルポは、藤井聡太という18歳の若者が日本の伝統文化の一角に起こした革命的出来事と渡辺明という人物とを描き切ったようで面白い文章だし、同時に取材方も含めて文章として極上のものとも読んだ。この記者、大川慎太郎を今調べてみたが、日本大学法学部新聞学科を出て、講談社などにも勤務し、今は雑誌「将棋世界」の編集者をやっている将棋観戦記者とあった。なるほど、である。

 

 最後になったが、この藤井聡太君、まだまだ負け始めることもあるかも知れない。全棋士中勝率ナンバーワンを続けている藤井君だが、豊島前名人にだけは5連敗進行中であるのに対して、この記事の後に渡辺明が豊島から名人位を奪い取っているのである。誰が考えたってこう思う。今の藤井君には弱点もあって、豊島はそれを見抜いて来た。豊島の過去を振り返れば、これら勝利のヒントがAI研究にあることは明らかだから、そういう観点から皆が藤井・AI棋譜の対照研究を血眼になって重ねていくだろう。

 

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主権者国民には、天皇を冒涜する権利もある  文科系

2020年09月29日 09時56分20秒 | 国内政治・経済・社会問題

「表現の不自由展」をめぐって、愛知県・名古屋市がいまだに大もめだ。これを開いた県知事を辞めさせようという運動にまで発展して。主たるその理由が、「日本人の心を逆撫でした政治的行為に公金を使ったから」「公共の福祉に反する」というようなことらしい。以下そういう論理と、そこに潜むある感じ方に対して反論してみたい。

 言うまでもなく天皇とは、国民の象徴とされている。これは、国民にとっては天皇個人というよりも、天皇が憲法上の一つの「政治機関」であることを示している。ところで、どんな日本の政治機関に対しても、日本国とその政治の主人公である国民が自由にものを言えて当然である。いやむしろ、自由にものを言えなければおかしいことになっていく。「私は象徴が大嫌いである」とか、「これを踏み躙りたい」とかも含めて。これを妨げ、自由にものが言えないようにする言動、感じ方こそ、どこかおかしいものなのだ。どう、おかしいのか。

 こういう感じ方の正体にこそ実は、フランス大統領マクロンがシャルリエブド問題で「宗教、マホメットを冒涜する権利もある」と述べた宗教論議の一方のようなものが存在するのではないか。宗教論議でさえ冒涜等と言う批判がありえないとしたら、政治論議にどうして冒涜等という言葉が飛び出してくるのか。「象徴を踏み躙るのは、我々国民を踏み躙るものだ」と言い逃れてさえ、こんなことが言える。そういう政治機関である以上に、天皇を神聖視した感じ方が存在していてそれでもって反論しているのだと。名古屋市長・河村たかしがこの「日本人を逆撫で」に関わって「公共の福祉に反する」とも述べたようだが、この発言にもどこかに憲法問題という以上に天皇の神聖視が加わっていると僕は観てきた。試みに、こう言ってみたい。憲法論議の中では、政治以外のものを持ち込むな。まして、戦前を体現した昭和天皇は、十分に政治問題であらざるを得ないのであるから。ちなみにここで、今の国民の幸せに関わっては、国家の中で憲法より大切なものはないとも、強調しておきたい。

 なお、この問題を巡ってこういう論議があるようだが、それにも一言。『「政治的(に中立でない?)表現(芸術)」に、公金を出してはいけない』。何を「政治的」「政治的中立」と見るかは諸個人の主観によるし、全く政治的でない表現というものが存在するのかどうか。これは大変難しい問題だし、これを正しく厳密に規定していない「表現の自由の制限」に関わる政治言動は、思想統制、焚書坑儒のようなものに拡大されていく必然性が歴史上いつも存在したと思う。こうして日本の場合にはむしろ、「天皇の扱い制限」こそ、逆にこういう焚書坑儒に発展する可能性をはらんでいると考えるべきだろう。

 人間の思考で最も大事だが難しい事の一つが自覚であると言うが、天皇問題に関わっては無自覚な激しい反発が多すぎるように思う。「象徴を踏み躙って日本人の心を踏み躙った」とか「そこに公金を使った」とかよりも、「日本人の『心』を踏み躙った」というその「心」の方がここではむしろ問われているのではないか。天皇といえども1人の国民だし、これが象徴するものもまた国民に「過ぎぬ」と考えるべきなのだ。こうして今は、国を象徴するものに対する国の主人公、主権者の態度への規制こそ、その国が全体主義的か否かを分ける試金石にますますなってきたような気がするのだが、どうだろうか。国家といえども国家の主・国民一個人以上のものではなく、その命を奪う死刑でさえ「他の国民の安全、安心のためにやむを得ずそうさせていただきます」というものだということを忘れてはならないと思う。日本は、先進国では数少ない死刑実施国である上に、安倍長期政権はさらにこれを増やした。そして、死刑とは今や全体主義的な国の特徴であって、主権者国民の上に国家がそびえ立ちやすい制度だということを示している。そこへ持ってきたさらに「象徴不可侵感情」なんかを制度化させれば、行く末どんな国家が出来上がるのか知れたものではない。そんな警戒心が必要になっているのだと考えている。

 

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「中田ヒデさん、読んでますか?」  文科系

2020年09月28日 18時28分31秒 | スポーツ

 旧稿の再掲ですが、スポーツグラフィック・ナンバー961号の長谷部誠インタビューを、今一度。

 

【 Number961号に掲載した長谷部誠の取材が行われたのは、ブンデスリーガ2018-2019シーズン開幕直前のある日、午前と午後に行われる2部練習の合間の昼下がりだった。予定よりも少し早く待ち合わせのカフェに姿を現し、テキパキと注文をする。

「炭酸水の大きなボトルとグラスを3つ」

 在独11年の人が発する言葉に注釈をつけるのも野暮というものだが、ドイツ語は流暢だ。テーブルに水が届くと、「飲みますよね?」と当然のようにカメラマンと筆者のグラスに注いでいき、一息つく。「ドイツも暑いですね」と、ささやかな雑談を交わしながらインタビューに入った。

 最初に聞いた質問は、こうだった。

 なぜドイツでここまで長くプレーできているのか、どういう実感を持ってやっているのか。

いつもは冷静な長谷部が熱っぽく。

 すると、長谷部はドイツ移籍当初から現在までの“思い”を、うまくまとめて話してくれた。

「(自分のキャリアは)現在進行形なのですけど……やっぱりこうしてヨーロッパの舞台でやれてるというのは、間違いなくいろんな先輩たちが踏んで来られた段階があってのことだと思います。ヒデさん(中田英寿)もそうだし、そういう方々への感謝は絶対忘れちゃいけないなと思っていて。僕もドイツに来るときには、1人のサッカー選手という以前に“日本人代表”というか、自分への評価がこれからヨーロッパに来る若い日本人選手への評価にもつながるんだろうなと、背負ってやってきた部分もあります」

 おそらくは先輩たちが背負ってきたもの、それを感謝とともに後輩に受け継ぐ。いつも冷静沈着な長谷部が、思いのほか熱っぽく話したことに驚いた。


「国っていう概念を取り払いたい」

 予想外の話は、他にもあった。長谷部はドイツのクラブに在籍した歴代日本人選手の中で、最も長くプレーしている。ピッチ外の所作や言動も自然だから、よっぽど欧州での暮らしが肌に合っているのだろうと推測していた。ところが本人は、それを否定する。

「確かに海外の中では、ドイツは自分に合ってるかな。だけど、今でも『ドイツと日本とどっちが住みやすいか?』と言われたら、間違いなく日本だと思います。食事もおいしいし、友達も多い。いろんな部分で日本は清潔だし、暮らしやすい。

 でも、実際にサッカーがあり、総合的に考えたときには、今は間違いなくこっちが自分には合ってると思います。もちろん現役をやめてからも、こっちに残ることは考えられる。でも、日本でも暮らしたいなとも思うし。まあ、住むのはどこかってはっきり決めなくても、行き来すれば良いのかなと。

 正直、そういう“国”っていう概念を、自分の中で取り払いたいなという気持ちはありますよね。別にヒデさんじゃないけど、家持ってなくてもいいじゃんみたいな」

 ひとり旅が好きだというのは、独身時代の有名な話ではあるが、「家なんてなくてもいい」という自由人タイプだとは思いもつかなかった。


選手を見極める目は「まったく自信がない」。

 ここ数年はフランクフルトとの契約を更新するたびに、「引退後はドイツで指導者のライセンスを取るらしい」「クラブ運営を学ぶ予定だ」と噂が流れる。ただ、本人は具体的にはノープランだと強調しつつ、指導者としての資質については首をかしげる。

「監督とかコーチとか、本当に向いているのかなってよく思いますよ。自分では、『この選手、いいな』と思った選手がなかなか上に行かなかったりとかね。

 ニコ(・コバチ、フランクフルト前監督)なんてすごいなと思いました。今季からドルトムントに行ったマリウス・ボルフを最初に見たとき、僕は『えー、試合に出して大丈夫?』みたいに思っていたのに、あっという間に伸びましたからね。

 エディン・ジェコやマリオ・マンジュキッチもそうでしたけど、ああやって活躍している選手の急激な伸び方って半端ないんです。そこを見極める目は、まったく自信がないです。ジェコなんて、一緒に練習していて『お前だけはシュート打たないでくれ』って思っていましたからね(笑)」

 自虐的なエピソードを話す様子は楽しげだった。とはいえ、まだ心配しなくても、スパイクを脱ぐのはもう少し先のことだろう。


“ありきたり”な質問にも悩んで答える。

 インタビューも終盤にさしかかり、今後渡欧を志す後輩たちへ、どんな言葉をかけたいかと聞いてみた。インタビューがまとめに入ったことを示すような、いわば“ありきたり”な質問ではある。だが、長谷部はここで悩み始めた。

「うーん、どうなんですかね。その選手のキャラクターや移籍のタイミングとか、色んなことが絡み合って、やっとうまくいくから……」

 雑誌の記事中でも語っているが、長谷部はここまでの10年強、楽しいことよりも辛く苦しいことのほうが多かったと言う。だからこそ簡単に甘いエールを送るわけにはいかないようで、少し頭を抱える。

「簡単なことばかりじゃないし、絶対大変なことも多いし。だけど……それを耐えて、忍んで、どれだけ経験を自分のものにできるか。耐えるだけじゃなくて、そこから前に進めるか。それだけだと思います」

 決して意地悪で言っているわけではないというのは、ひしひしと伝わる。期待もしている。


「ヒデさんはサッカー界に携わってもらわなきゃ」

「これまで本物の、真のビッグクラブでプレーした選手って、ヒデさんのローマ、シンジ(香川真司)のマンチェスター・Uくらいかな。だから欧州のトップでプレーする選手が、もっともっと出てきてほしいという気持ちはありますね。それは日本代表とか、日本サッカーの強化につながると思います」 

 その日本人選手の欧州移籍のパイオニアである中田英寿については、憧れと尊敬の気持ちを込めてメッセージを託してきた。

「ヒデさんはやっぱり、別格だと思いますよ。21歳でペルージャに行って、2点取ったユベントスとのデビュー戦も、『すっげーな』と思いながらテレビで見ていました。それからローマでスクデットも取って。

 ヒデさんって、まだ41歳でしょ? 俺、34ですよ(笑)。同じ時代にサッカーをやりたかったですね。サッカー観とか、合いそうな気がするんですよね。あの人は強さもあり、うまさもあり、ダイナミックさもあって。一緒にボランチでコンビを組んでやりたかったって、一番思う選手かもしれない。

 僕なんかが偉そうに言うのはあれですけど、やっぱりヒデさんはどういう形であれ、日本のサッカー界に携わってもらわなきゃ困る人だと思いますね。監督なのか、コーチなのか、協会のスタッフなのか、どういう立場かはわからないですけど、何かしら関わってほしい人。ああいう人がいると日本サッカー界もより盛り上がるし注目されると思う。だから、そう書いといてください!」

 最後は茶目っ気たっぷりながら、とても長谷部らしいメッセージだった。

 ヒデさん、読んでますか? 】

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日本は「民主主義」が弱いから・・  文科系

2020年09月27日 11時24分19秒 | 国内政治・経済・社会問題

 この二日間、二つの物を読んでいて、「民主主義って何?」と改めて考えていた。一つは、佐藤優、宮家邦彦著「世界史の大逆転」(角川新書)。今一つは、今日の中日新聞社説「民主主義の旗色は?」。前者は、戦前日本をファッシズムではないと言い、後者は民主主義の対概念に権威主義という言葉を使っていたから、それぞれをアレッ?と思ったところから出発して色々考え始めた。なお、直面する世界で改めて民主主義が問い直されているのは、以下の理由によるのだろう。トランプというよりもアメリカが、格差が酷すぎたり、選挙が正しく機能していないと見られたり、国連から離れて多国間主義という国際民主主義(的問題解決の場)を無視し始めているなどなど、民主主義国として?マークがつき始めたこと。今一つは、この中日新聞社説も述べているように「権威主義プラス経済大国」という中国の大国化、アメリカに代わるようなその国連重視姿勢であろう。なお、今の国連では、総会決議などでアメリカよりも中国に対する支持の方がどんどん多くなっているのを、日本人ほとんどが知らないようだ。こういう国連における中国支持の是非はともかくとして、人が食えないところには民主主義もないというのも、また人間の真実だろう。

 佐藤や宮家がファシズムの規定を明らかに誤っていたり、中日新聞が民主主義の対概念に権威主義を持ってきたりしているこの語の揺らぎ?は、ある意味当然のことなのだ。古代ギリシャ以来、そして近代以降は特に時々の政争の中で常に使われてきた言葉なのだから、抽象的を通り越し、我田引水使用に慣らされてもきたのであろう。この言葉の原義に帰ることこそ、今肝要だ。

 フランス革命の「自由・平等・博愛」と言われた「人々」がいて、基本的人権、国民主権、法の支配などなどの「立憲主義」があって、これらを保障していくためにこそ「言論の自由」を認めること。ここまでは、戦前まででも民主主義についての世界の公理と言えたものだ。が、戦後にはさらに、こんなことが具体的にこれに加わってきたと思う。人種、男女の平等。そして、これらを真っ向から否定する近代以降における民主主義の対概念こそファッシズムと言うべきであって、一言で言えば「立憲主義の否定」「基本的人権、国民主権を何らか否定する国家制度」ということだろう。

 さて、以下の時代がこれに加わってくると、民主主義概念はさらに理解が難しくなった。経済の世界化、貧富の偏在、発言権の偏在、対するに機会の平等などなど。今の時代、国の違いも含めた機会の平等の仕組が発想されなければ、民主主義などは絵に描いた餅にどんどんなっていくだけである。

 いずれにしても、いまこそ民主主義というものを改めて考えてみるべきで、それもグローバリズムの中では多国間主義的にこれを考えてみねばならない時代になっているのだと思う。またいずれにしても、こういう全体に対して権威主義などと言う言葉を対して何かものが言えたと考えるような思考は、僕には粗すぎて到底ついて行けない。

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喜寿ランナーの手記(313) 今は、筋力が課題に  文科系

2020年09月25日 09時54分38秒 | スポーツ

  10日、30分×2回が4・2の4・5キロになり、16日は同じくこの後半が4・6キロ。20日にはLSDを頑張って90分11・3キロ。23日もLSDで70分9・4キロと走ってきた。これら周辺の留意点は前回書いたように、全て細心にやっている。走行フォームはとにかく、左右脚の地面つつきを同じ力でやって「つついた脚の腰骨と臍を真っ直ぐに伸ばして、心持ち前傾姿勢で前へ」とやるときに、腰を後ろへひねるよう意識するようにしている。アップとダウン、ストレッチも入念にというのも、言うまでもない。

 まず、最新かつ最大の変化が心拍数の低下。9キロ時でも145を切る所まで来たようだ。僕の一定持続最多心拍数は160ほどなのだが、10キロ時でさえ150近くになったから、この辺のスピード時の息苦しさが劇的に減ってきた。その分どうも、次の段階へは筋力が問題になってきた。これは、23日とその翌日の疲れ方具合などによって思い知らされたことである。

 全体的に弱い左脚(膝)は注意してきた結果かなり強くなって、その分右足の足首、つま先の筋力が今は課題だ。右足の足底筋膜が、速度を上げて走った日の次の朝などに痛むから、そこに重点的にストレッチをやっている。この周辺筋肉を強くするには、10キロ時以上で走ることを重ねなければいけないと考えているが、現在のその時間を5分としたものか、それとも今は10分は走れそうだからそうした方が良いのか? この試行錯誤が問題になってきた。少しずつ重ねていくしかないのだろう。

 「年寄りの冷や水」の長欠ブランク明けは常に、「追求・鍛錬か、故障か」。そんな危険が常に伴うもの。そこを縫って成果が明々白々に上がった日は、意気揚々と帰ってくるのであるが、これからははて?

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2014年ブラジルWC、史上最強代表の墜落  文科系

2020年09月25日 08時15分33秒 | スポーツ

 28日20時から、NHKBS1で長谷部・岡崎・吉田の対談番組があるそうだ。そこで、彼らに是非話して欲しいことが、僕の場合はこれだ。

 標記の代表は、06年ドイツ大会とともに、日本史上最強代表チームだったと愚考してきた。06年は中田ヒデとそのすぐ下の黄金世代。14年は、前回に引き続く円熟キャプテン長谷部に、岡崎、香川、大迫。世界的日本DFの草分け吉田麻也も控えていた。監督は、全てに優れて、かつ人格者ザック。

 あの代表史上最強チームが一体全体なぜ、あんなに惨めに敗れたのか。ここでも長い論争があってほぼ確定した結論はこうだ。ザックの通訳氏が書いた本によってその内幕までももうはっきりしているのである。

 準備段階から、ザックと遠藤・本田との間で意見の食い違いが続いたままだったと、今では明らかになっている。
 守備が弱い代表に、サイドからの速い攻撃を中心として攻めて敵の速い正面カウンターを避けさせた上でかつボールを失う場合もあり得るからそれに備えた守備体制を指示したザックに対して、本田らが強気にすぎるこんな主張を続けていたのである。
「中央からのしつこいほど繋ぎ尽くす、人数かけた攻撃」
 準備段階で中途半端な戦いになったその結果が、あの無残であった。茫然自失の本田は「自分の代表サッカー観が崩壊した」。遠藤は以降2度と代表への声がかからなくなったのである。

 2014年と言えば、世界のサッカーが大きく変わり終わった時期である。スペイン流の繋ぐサッカーから、「高い位置で潰して、即得点」のドイツ流サッカーへと。その時代を見誤った本田、遠藤に「ザックに従え」ときちんと引導渡す協会判断がなかったことこそ、本当の問題だったのではなかったか。協会が先頭に立って、正しいが優しすぎたザックを側面援助すべきだったのだ。
 こんな本田、遠藤に対して、他の選手らは当時世界最強のドイツをずっと経験していたのである。長谷部は08年にボルフスブルグへ行き、翌年優勝しているレギュラーメンバーだった。内田は2010年から強豪シャルケに居続けていたのだし、岡崎はマインツで当時の自己最高得点を挙げつつあったのである。

 と、以上をここでは何度も書いてきたものだったなー! ちなみに、こういう本田らに内田、吉田、長谷部、岡崎らは怒っていたはずだ。
 内田が「本田さんは勝っていない」と述べたのはいつのことだったか? 「本当に世界的に強いチームではやっていない」という意味なのだろう。当時の岡崎が「繋ぎ尽くす自分らのサッカー? 繋いで勝てるなら良いのだが、俺はとにかく勝ちたい」と大会前に述べていたのも、印象に残っている。
 これらの何もかもを知った上で、胸に秘しているのが、長谷部誠である。

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長谷部誠、岡崎慎司、吉田麻也のテレビ対談番組予定  文科系

2020年09月24日 03時29分29秒 | スポーツ

 「やべっち」さえなくなると決まったように、サッカーにはなぜか冷たい日本テレビ界で、こんな番組をこそ待っていた。

 28日の月曜日夜8時から、『スポーツ×ヒューマン』(NHKBS1)が、長谷部誠、岡崎慎司、吉田麻也の対談を放映する。サッカー好きの僕は、このブログエントリーで岡崎慎司と長谷部誠との活躍、優秀さを09年の昔から最も多くここで紹介させていただいてきた。加えるに地元名古屋サッカーの英雄、吉田麻也である。もうかぶりつきで観るべきテレビ番組になった。ウエブマガジンとやらの谷知之氏の番組予告文章でこれを知ったのだが、その内容をお伝えしたい。こういうサッカー特集番組については、サッカーファンはすべからく、かついち早く伝え合おうではないか。

『 今ではスペイン、イングランド、ドイツなどはもちろん、アルメニアなどなじみのない国でも4人の若手が活躍するなど、欧州のさまざまな国で多数の日本人が活躍しているが、彼らが欧州で日本選手が活躍することを普通のことにしたといっても過言ではない。
 彼らが、お金や移籍のリアル、久保建英など若き新世代に伝えたいこと、生存競争を生き抜く覚悟など、盟友同士だからこその意見を交換。長谷部がチームで干された生々しい経験を語れば、岡崎は「語学なんて必要ない」と周囲を驚かせ、吉田は怪物のような選手と渡り合うコツを語り、欧州でも活躍できたヒントを3人それぞれがトークする。
 ワールドカップでは2014年のブラジル大会で結果を残した彼ら。代表ではもう次の世代に移行しているが、活躍してきた結果は確実に次の世代に引き継がれている。そんな彼らの「キャリアの最後はJに戻るのか」など、ファンが知りたいことも語り合う同番組は、28日・夜8時からの放送。深いフットボール哲学は、3人だからこその話だ。』

 今一度言う。サッカーにはなぜか冷たい日本テレビ界・マスコミ界だからこそ、こういうサッカー特集番組については、サッカーファンはすべからく、かついち早く伝え合い、視聴し合おうではないか。我が国におけるサッカーの地位をもっともっと高めていくために。サッカー人口の野球にも劣らぬ多さから言って、このマスコミ状況はおかし過ぎるとの公憤として言うのである。どうも、この番組が示しているように、頼りになるのはNHKだけなのだから。24日中日新聞朝刊スポーツ面でも、野球と相撲はそれぞれ1面をびっしり使っているのに、昨日J全チームが戦ったサッカーは他のスポーツと抱き合わせの1面。朝日も、サッカーと相撲が同格で、1面使った野球は、やはり別格?

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国連75周年会合で米の孤立  文科系

2020年09月24日 03時28分59秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)

 21日、国連本部で75周年記念会合が開かれた。コロナ感染防止のために、各国一人の入場制限という議場で。この機会に、国連の歴史、問題、将来に向けての重大性などなどを改めて考えてみよう。

 今の国連は、第一次世界大戦の後に人類史上初めて出来た世界平和組織・国際連盟の後を受けて、第二次世界大戦後にさらに大々的に発足したものである。二つの人類総力戦のあまりに大きすぎる破壊、悲劇を深刻に反省した、多国間主義平和組織なのだ。こういう組織無しには弱肉強食世界は変えらぬという誓いの下に、「強食」を多国間で様々な局面で抑えてこそ人類平和は実現出来きていくという、そんな理想の下に発足した組織である。

 さて、そんな国連75周年会合だからこそ、今の様々な国際間矛盾を手に取るように明らかにした。
①事務総長は総会でこう発言した。「コロナは世界のもろさをむき出しにした。我々が協力して対処するほかはない」。これに対して、この11日に開かれた国連総会コロナ決議採択では、169か国賛成、2か国反対、棄権2か国とあったのだが、反対2か国は例によってアメリカとイスラエルである。

②現在もう一つ重大な国連問題にイラン問題があるが、これについて今回の総会でこんなことが起こった。国連次席大使しか出席させなかったアメリカが、途中からその大使とともにポンペオ国務長官が出てきて、こう叫んだのだった。「イランへの国連制裁が『復活』した」と。ちなみに、この問題で国連安保理事会15か国中13か国が既に「米国のイラン制裁は無効である」と主張している。

③他方、中東シリア問題ではここ数年アメリカが安保理に非難決議等をどんどん持ち込んだので、ロシアや中国がかってないほど多くの拒否権を発動して来たという分裂もある。

 さて、今国連はどうなるのだろう。これは今や、米中(ロ)関係がどうなるかという問題でもあるが、この対立激化を僕はむしろ、米国が数々行ってきた無理押し、その背景にあった経済弱化などがどの国の目にも見えるようになってきたということだと理解している。自国民さえどんどん喰わせられなくなっただけではなく無保険者が多いなどコロナで「殺している」に等しい面があるのに加えて、軍産政(金融)複合体の無理押しは続くという、そういう「弱さ」のことだ。

 アメリカの国家借金はGDPの四倍(ちなみに日本は二倍強である)。国民1人当たり購買力平価GDPは世界12位にまで落ちて、日本のそれよりも三分の一多いだけである(18年度)。それも、信じられぬような大金持ちがつり上げている値だからこそ、黒人のコロナ死亡率は最も少ないアジア系アメリカ人の二倍。

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喜寿ランナーの手記(312)ランニング賛歌  文科系

2020年09月23日 10時12分23秒 | スポーツ

 五十九歳からランニングを始めた僕は、五月が来ると七四歳になる。ランが老後にこれだけの恵みを与えてくれるとは、想像もつかぬことだった。

 膝が痛い? 新聞広告に満載される、コンドロイチンにグルコサミン? 若い頃椎間板ヘルニアで手術をしたこの身体なのに、その腰ばかりか膝にも、何のサプリメントも要らない。そもそも肩や首など、こったことがない。だから、パソコンに向かい続けていて、ふと気がつくと四~五時間なんてことはざらである。痩せるための健康器具? 体質もあるだろうが、僕が二十代に作った式服を着られるのは、スポーツ好きと今のランニングのおかげと確く信じている。身長一六九センチ体重五七キロで、二八インチのジーパンをはいている。ずらずらとこう書くとこの時代には特に自慢にしかとられないのは承知だが、まー一生懸命やってきたランニングの絶大な効果を伝えたいのだと、ご理解願いたい。

 医者たちからはこんな話も聴いている。「時速七キロ以上で歩ける人は長生きする」。当然、そうだろう。血管も含めた循環器系統が健全ならば、成人病も逃げ出すというもの。歯医者さんでこんなかけ声が行き交っているが、同じ理屈関連とも教えられた。「八〇歳まで自分の歯が二〇本ある人は、長生きする」。「健全な循環器系は細菌に対して免疫力があるということ。虫歯菌にも歯槽膿漏などにも強いのです」と教えられた。

 さて、こう考える僕だったから、六九歳新春に起こった慢性心房細動には、対する心臓カテーテル手術・ランニング禁止では、僕の人生が終わったと感じた。手術以前も、つまり慢性心房細動になる直前までは、不整脈を抱えてずーっと走り続けていたのである。それが手術の後には、無期限でもう止めなさいと医者に宣告されたのである。そんな未練からなのだが、七一歳の夏に医者に隠れて走り出し、「大丈夫」という実績をほんの少しずつ作っていった。秋には、主治医からの公認も取り付け、ジムに通い出す。以降故障や事故や試行錯誤等々も重なったけれど、今は心房細動前六六歳ごろの走力に戻っている。この一月七日、一時間の走行距離が念願の一〇キロに達した。僕にとっては六〇歳台半ばの走力に回復して、数々のメリットを改めて体感しているのである。最も嬉しかったのはこんなことだ。
 階段の上り下りが楽しいのである。地下鉄などの長い階段を一段飛ばしで登り切っては、脚の軽さを味わっている。一時無理がたたってアキレス腱痛に長く悩まされたが、試行錯誤を重ねつつこれを克服し終えた時に、新たに生まれた脚の軽さ、弾み! スキップが大好きだった子ども時代を思い出していた。
 昔の自分の小説で思いついて書いた僕なりのランニング賛歌を最後に加えて、結びとしたい。自分ながら好きな文章なのである。 
『ボスについて走り続けるのは犬科動物の本能的快感らしいが、二本脚で走り続けるという行為は哺乳類では人間だけの、その本能に根ざしたものではないか。この二本脚の奇形動物の中でも、世界の隅々にまで渡り、棲息して、生存のサバイバルを果たして来られたのは、特に二本脚好きの種、部族であったろう。そんな原始の先祖たちに、我々現代人はどれだけ背き果ててきたことか?! 神は己に似せて人を作ったと言う。だとしたら神こそ走る「人」なのだ』

 

(2015年同人誌月例冊子に初出の旧稿です)

 

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喜寿ランナーの手記(311) 改めて、「走れるようになる方法」  文科系

2020年09月21日 10時44分22秒 | スポーツ

 色々スポーツをやって来ましたが、高齢者のスポーツとしては有酸素運動が最適ということから59歳でランナー入門をし、しばらくしてランとスポーツサイクリングだけに絞って来て、79歳になった今も10キロ前後は走っている僕の体験的方法です。初めに走り出した時とか、69歳に慢性心房細動カテーテル手術で3年のドクターストップから自分で復活した時とかに、実際にやってきたそのやり方の紹介です。
 人間の有酸素運動能力というのは、高齢者にとっては特に最大の恩恵です。肩腰が凝らず、目も疲れず、歯も丈夫で、お酒にも弱くならず、男性のアチラの力も強いとか、これら全て年の割に強力な血流、酸素の摂取能力のお陰であって、これが人間の疲労物質を速やかに除去してくれるし、細菌への免疫力なども強めるからです。また人間の身体で最も酸素を喰うのは脳。よって、脳にも良いのです。このことは、走りが好調だと他のことへの興味、やる気が出ることで十分に理解できて来ました。また、有酸素運動能力が弱いと、まずダイエットは出来ません。やせるために必要な運動量が持てなくなるからです。喰わずにいることが出来れば別ですが・・・。

 

① まず、15分間ゆっくり歩いてから、プラス15分程度の自分が最大限速歩きできるスピードを見つけ、この30分を繰り返します。このスピードも含めて以下の入門では、その都度の時速や心拍数が分かった方が良いから、ジムのマシンかランニングウオッチ使用をお勧めします。疲れが残らない程度の日数間隔を置いて。毎日出来れば最も進歩が速いのですが、中一日、二日置きでも良いはずです。

② この繰り返しの後半15分を何日か繰り返しているうちに次第に強度、スピードを上げられるようになっていくはずです。なお、前半15分は、身体が温まると血液が多く回ってくるから呼吸が楽になるウオームアップということ。ちなみに運動不足の人はこの「ウオームアップ後には、運動中の呼吸が楽になる」という知識を知りません。つまり、「最初に精一杯走ってしまうそのキツサが運動というもの」と考えている。こういうウオームアップ15分と自分の最大限速度歩行15分の、合計が30分が楽になってきたなと思ったら、後半15分でまず「それより1キロほど遅いスピードで走りを入れて」みます。速歩き15分の中で5分でも10分でも。そして、後半15分がこんな走りに変わっていくことを当面の目標とします。

③ ①、②の間も脚筋を鍛えることが重要です。2階家階段往復50回と、何かに両手を捕まった片足つま先立ち25回などを、僕は最低限度としてやっていました。これは、走らない日にやるのがよいです。これらの筋力強化運動にさえ適度なウオームアップが必要ですし、なるべく毎日身体を動かすという意味もあります。普通の階段往復の運動強度(1分間の心拍数)が、僕の場合は時速6キロ走行と同程度になっています。時速6キロ走行と言えど30分走れれば、もう立派なランナーですよね。

④ 速度の上げ方は、自然にこうなっていきます。階段往復でも、時速6キロとか7キロ歩行でも、日々これらを重ねていけばその心拍数がだんだん下がってくるはずです。下がってきたら、その速度、運動強度の最初の時の最高心拍数で走れる速度に上げることができるというわけです。スピードアップの原理はこうして、ゆっくり走っている内にだんだん速くなれるということ。そして、15分より、30分。30分より、1時間。ゆっくりでも1時間走れるようになれば、スピードを上げていくよりもずっと次への進歩が早くなりますから、これを目指します。ランニングにLSD理論というのがありますが、「自分としてゆっくりで、長時間、長い距離を走るのが心肺機能向上に最もよい」というものです。なお、心肺機能という場合に、ランニングでは特に血管に注目なんです。主要血管が太くなり、毛細血管が精一杯機能して血液が体中を回りやすくなる。

⑤ ランナーは、そのほかこういう対策が必要です。走った後の特に下半身のストレッチと、クールダウン。前者は筋肉を柔らかくして故障を防ぐために。後者は、翌日の疲労回復をもたらします。また、ランナーの細胞老化防止対策として、ポリフェノールを摂ること。走ることは酸素を多く取り入れること。その場合には、細胞老化を引き起こす活性酸素をも空気中から多く取り込む事になるからです。ちなみに、相撲取りが早死になのは、まずこれが原因で、ポリフェノールは活性酸素を中和してくれます。僕の場合は、赤ワイン晩酌で対策しています。というよりも、ここ30年以上赤ワイン党なんです。ついでに、今は特に、スペインワインが値打ちですね。経済が傾いているイタリアの高級葡萄ネッビオーロ製品も随分安くなってきました。

⑥ 最後に、太った人用にダイエットについて追加します。
  ダイエットには、基本的に有酸素運動の持続しか道はありません。歩く・走る、自転車、水泳などを長くやることがまさにこれで、この速度が速くなるほど一定時間内運動のダイエット効果が大になります。無酸素運動である筋トレなどしても痩せることにはなりません。部分痩せでさえ難しい。ジムのウェートトレーニングの方々多くは走らないので、筋肉の上に脂肪が付いてぽっこりと太った人がほとんどです。本格的ボディビルダーなら、コンクール前には走り込むもの。脂肪を落とさないと筋肉が浮き出ないからです。つまり、走れないボディビルダーは入賞等永遠に無理です。
 1時間走れば通常体重でまず500キロカロリー以上減らせますが、同じ1時間歩く場合だとその半分以下になると思います。でも走れない場合は歩いて減らすしかありません。歩き続けて脂肪を減らしながら、やがて走れるようにする。そうやって2年で15キロ減らして普通に走れるようになった退職直後の人を僕は何人も目撃しています。3年目には、時速10キロ時以上で走っておられました。僕より10歳ほど若い方々でした。

 

 最後に、こういうやり方が、年齢は?体重は?病気持ちは?など、どんな人に無効なのかを僕は知りません。ただ、若いほど、重くないほど有効なのは当然でしょう。ただ僕の経験から言うと、50代なら先ず有効、60代でも可能と考えています。可能かどうかの試行判断期間は、先ず6か月。

 

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サッカー「リア充」、岡崎慎司の偉業  文科系

2020年09月19日 01時06分59秒 | スポーツ

 スポーツグラフィック・ナンバー最新号は、久保建英の特集。が、サッカーニュースでも「リア充」で行きたい僕は、そのナンバーに6頁載っている岡崎慎司の記事が読みたくて、この号を買った。さて、その6頁が凄く良いのだ。19~20年に岡崎が例によって、どれだけの偉業をなしたかがよく分かるのである。ちなみに、久保は自分のチームを2部に落としたが、岡崎は3部以下が常連のウエスカを2部で初優勝・1部に昇格させた。このウエスカだが、17~18年度が史上初の1部リーグ昇格チームであって、19年度にすぐに2部降格になったのだった。つまり、1部には過去にたった一度1年だけというチームなのだそうだ。つまり、今年1部に残留できれば、チーム史上初の偉業になるわけで、その成否が前年度チーム得点王(12得点、ただしビデオア・シスタント・レフリーによって取り消されたオフサイドギリギリ無効の得点が7つもあったというのが、実に岡崎らしい)だった岡崎の肩に掛かっているというわけだ。だから、監督にせよ、選手にせよ、岡崎への敬意には非常なものがある。先ず、監督の言葉。
『シンジがチームにもたらしたもの? 全てだよ。ロングボールを送れば、うまくキープし、プレーをつなげてくれる。マークを外す動きを絶えず繰り返し、チームのためにハードワークを惜しまず、素晴らしいプレスをかける。ゴールだけで亡く、彼は本当に多くのものをもたらしてくれた』

 チームキャプテンも岡崎をこう語る。
『たとえシーズン25ゴールを記録しても、他には何もしない選手なんて必要ない。それなら12、13ゴールを挙げ、さらにチームのために多くのことをやってくれる選手の方がいい。どんなFWが欲しいかと聞かれたら、いつだってシンジのような選手を選ぶだろうね』
『シンジはいつも微笑んでいて、陽気に仲間に加わってくる。彼の凄いところは、周囲を見るだけで何をやるべきか察知できることだ。監督が練習内容を説明する際、言葉の分からないシンジが理解しているのに、他のスペイン人の選手達が理解できていないときがあるくらいさ。だからチームにも溶け込めているんだと思うよ』
 
 どうだろう。岡崎は、チーム戦術をすぐに理解できて、それに合わせて必要なことが出来る選手だからこそ、得点も守備も何でも出来ている選手だということが分かるのである。要は、現代世界のサッカーに必要なチームプレーをすぐに見抜き、その中での自分の仕事が出来る人間なのだ。サッカーはいつだって、「個人技術がずば抜けて見えれば、成果が上げられる」というものではないのである。サッカーには、野球の大エース投手とか、リーグ随一のホームランバッターのような人物はいないのであって、すべてチームで生きる選手でなければならないということだろう。

 大久保嘉人や家長昭博は、川崎フロンターレに於いてほど輝いたことはかってなかったというのと同じことなのである。個人プレーだけを観るサッカー解説があったら、それは全て、サッカーの本質が見えていない偽物解説である。川崎以前の大久保や家長が、川崎ほどの成果が到底上がっていたとは言えないのは、そういうことを示している。

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コロナで、対中世論操作の典型例   文科系

2020年09月18日 09時49分19秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など

 高齢者を肺炎で多く死なせるコロナウイルスで、世界が爆発しているようなこの三月二三日、新聞夕刊のとあるニュースには呆れ、驚いた。この記事の見出しは、こういうもの。
『無症状四三〇〇〇人、中国が計上せず』
  感染者を少なく見せて来たというこの見だしは、誰が読んでも「悪い国だ」という「感じ」にしかならない。だが、その記事の中にも書いてあった英米などよりは国民の立場から見たら遙かに上等な検査体制なのである。この記事の中に、こんな文言が入っていたので、むしろこちらの方に僕は驚いてしまった。
『韓国では無症状感染者もカウントしているが、米国や英国、イタリアは医療関係者を除き無症状者は検査もしていないという』
 さて、「無症状者は検査もしていない」英米、イタリアと、「無症状者も検査・隔離するけど、カウントには入れない」中国と、どちらが国民を救うことになるか。後者に決まっている。高齢者以外では症状が出ない感染者も多いこのウイルスに対しては、『検査で陽性になり隔離されていても症状のない人は確定患者に含めず、医療監視下に置かれたという』と同記事も述べている中国と比較して、『米国や英国、イタリア』は無症状感染者を野放しにしているからだ。

 この記事内容を見ると、イタリアに死者が多い理由が分かった気がするし、米英は今後大丈夫なのかなと心配になった。が、福祉対象以外は民間健康保険が中心で無保険者も多くて「医療は個人持ち」というアメリカなどは、無症状者の公的検査など元々するわけがないのだろう。こんなアメリカでは、ただでさえインフルエンザで死ぬ人が毎年一万~数万人いるのだから、このコロナで死ぬ人は一体どれほどになるのか。
 それにしても、韓国は立派である。だからこそなのだろう、コロナを抑えられそうな見通しも立ったようだ。その点日本は、ちょっと危うくなって来たのではないか。無症状者は同一集団発生に関わる範囲でだけ検査するという「クラスターの発見を中心にした検査方針」を採ってきたにもかかわらず、クラスターに無関係の症状者、つまり孤立発病者がここに来て増えてきたからだ。

  などなどと思い巡らせつつ翌二四日朝刊を見ると、この同じ記事内容が載っている。『無症状四三〇〇〇人 統計に含めず』、『武漢「感染ゼロ」に疑念』。そして、前日よりももっと悪いことには、英米伊の「無症状者野放し」記述がこの日は皆無、全く省かれていた。つまり、「中国は悪い奴だ」と誰が読んでも受け取れる記事に変わっている。僕は、公憤に駆られてつぶやいた、〈見ているが良い。こんな意味の「少なく見せる」国よりも、「無症状者を野放しにしてきた国」の方が死者などの被害ははるかに大きくなるはずだ〉。するとどうだ、直後に読んだネット記事によると、アメリカではもうこんな事態になっていた。『米ジョンズ・ホプキンス大学の二三日夜の集計によると、前の日から一日で米感染者は八〇〇〇人増えた』。アメリカのコロナ感染者が中国を追い越していくのは確実だろう。無保険者も多いアメリカでは、死者はいったどれだけになるのやら。 

 

(この3月、同人誌月例冊子に初出)

 

 

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喜寿ランナーの手記(310) 30分4・6キロまで来た  文科系

2020年09月17日 13時29分23秒 | スポーツ

 ジムマシンの30分×2回で、10日に4・2、4・5キロまで戻ってきたが、その次の13日は何か疲れていてLSDに換えて2回計8・0キロ。そして、16日には4・2、4・6キロまで来られた。この16日もまた調子が良かったので、クールダウンを兼ねてプラス1・2キロ走り、合計10キロにして帰ってきた。

 16日結果を持ってやっと、両目白内障手術による1か月のブランクから前に戻ったようだ。ウオームアップ無しで本格的に走れる後半30分で、6月18日の4・6と同じになったのだから。心拍数も随分改善されてきて、以前の通常時と変わらない所まで来た。時速7キロで125から1キロ時スピードを上げるごとに10ほど心拍数が増え、10キロ時で155ほどになるというのが、僕の通常である。ただし、走行1時間近くになってくると高速の心拍数はまだ高くなる。10キロ時で160を超えるというように。ちなみに、僕はこのところ160を最高持続心拍数としてきた。よって、ここ3年ほどの最高タイムで今年も1月に走っている30分4・9キロは、まだちょっと見えていない。そんなわけでこの峰を12月に向けて目指して、しっかりした正攻法で以下のように攻めていくつもりになっている。

①ウオームアップは20分近くやる。次の走る日に向けての疲労回復のためクールダウンも必ずやる。そうすれば中1日置きでも十分に走れると分かった。
②とにかくLSDだけの日を増やす。これでこそ、次に向けて心拍数が随分落ちてきて、息が楽になるのだから。16日には心拍数急減を感じたのだが、これは明らかに13日のLSDがもたらしたものと思われる。
③走行ホームについては、「左脚のつつきを強めて左腰を臍とともに前へ」によく留意する。まだまだ左脚が右に比べて弱いと感じられるからだ。「腰を臍とともに前へ」では、左右の腕を後ろに振った時の腰のひねりを意識するようにしている。

 今、3年手帳などに書いた過去記録を改めてあれこれと振り返ってみたが、2016年春から17年新春までにかけての前立腺癌治療以降に走力が落ちたままだということがよく分かる。長きにわたる女性ホルモン投与と陽子線照射という治療以前の16年1月11日には、5・0、5・3キロの計10・3キロを走っている。今から観てこの頃一番目に付くのは、前半を5・0キロで走れていること。ウオームアップが「要らなかった?」のだが、このころアップをちゃんとやっていたら後半は11キロ時ほどでも走り通せていたのかも知れない。などと、あれこれと振り返っていた。

 記録を付けていて、これを少々長期にわたって振り返ってみることはとても大事なことだ。年を取ると全部忘れるのだから、将来の生き方判断に活用出来そうな自分資料はできるだけ多く書き留めておいて時に見るというのは、どうも、ちょっとでも計画的に若さを維持していくための最大の要件、方法の一つであるらしい。

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元米政府高官の、「9・11は米の陰謀」論

2020年09月16日 12時25分06秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など

 これも、昨日と同じ「マスコミに載らない海外記事」のサイトから転載。書いた人物も同じで、元アメリカ財務省次官補ポール・クレーグ・ロバーツ。内容は「9・11陰謀説」は正しいと述べるものですが、聞くべき意見と思いました。陰謀説の論理は、おおむねこういうものです。冷戦が終わって10年、産軍複合体の拡大を止めないために新たな「米国の敵」が必要であって、そこで白羽の矢を立てたのが、「イスラム教テロ(との戦い)」。これを仕立て上げたのが9・11というものです。以降すぐに、アフガニスタン戦争、イラク戦争と続いていきます。両国からは未だに撤兵がありません。こんな情勢から、冷戦末期時代と比べて軍事費はさらに増え、1990年当時の2倍をはるかに超えています。米経済は予想外に沈没してきましたから、国家の借金がGDPの4倍で、福祉・社会保障もままならず、米社会のインフラはもうボロボロ。こういう超格差社会にコロナが押し寄せて、あの被害ということです。

 

【 2020年9月15日 (火)

闇の国家によるアメリカ攻撃19周年

2020年9月11日 Paul Craig Roberts

 2001年9月11日の、ほとんどの記念日に、私は、世界貿易センターとペンタゴンに対する攻撃の公式説明が信じ難いほど明らかにウソだという膨大な証拠を提出する記事を書いてきた。それでも、アメリカ人は見え透いたウソを信じている。

 軍安保複合体は敵を探すのに必死だった。2001年、ロシアはアメリカに支配されていた。中国の上昇は50年先と予測されていた。軍/安全保障予算と権力を増大させ続けるための敵は、一体どこにいるのだろう? チェイニー/ブッシュ政権を支配したネオコン連中はアラブ中東を敵と認め、五年で七カ国を打倒するための戦争するには、「新たな真珠湾」が必要だと言った。シオニスト・ネオコンはヨルダン川西岸とレバノンへのイスラエル拡大の反対派を排除したいと望んだ。チェイニーは自分が受益者である軍安保複合体を豊かにし続けることを望んだ。「新たな真珠湾」を実現するため、チェイニー、ネオコンとイスラエルは、WTCとペンタゴンに対する攻撃を計画した。

 9/11事件の真実を求める建築家とエンジニアや、多くの類似の団体が、専門知識と品格ある人々による多くの文書化された書籍で、公式説明を解体した。今、我々は、9/11事件が、実に多くの富が依存している軍/安保予算が脅かされないよう、敵、つまり対テロ戦争をアメリカに提供するための、闇の国家による作戦だったことを知っている。アメリカの闇の国家は、実に腐敗し、極めて利己的で、全く責任を負わないので、トランプ再選をひっくり返しながら、全く動じないだろう。

 Paul Craig Robertsは元経済政策担当財務次官補で、ウオール・ストリート・ジャーナルの元共同編集者。ビジネス・ウィーク、スクリップス・ハワード・ニューズ・サービスとクリエーターズ・シンジケートの元コラムニスト。彼は多数の大学で教えた。彼のインターネット・コラムは世界中の支持者が読んでいる。彼の新刊、The Failure of Laissez Faire Capitalism and Economic Dissolution of the West、HOW AMERICA WAS LOST、The Neoconservative Threat to World Orderが購入可能。】

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サッカー「リア充」最重要情報  文科系

2020年09月15日 21時11分12秒 | スポーツ

 マスコミのサッカーーニュースは、虚像のバーチャルなものばかり。特にネットはそう。ところが今まさに「リア充」サッカー・ビッグニュースが内外に二つある。一つが、13日にチャンピオンズリーグ常連の強豪パリ・サンジェルマンを1対0で負かしたマルセイユ、その酒井宏樹が「ネイマールと常にマッチアップ、彼を退場させた」ニュース。今一つは、今季川崎のJリーグ史に残るような強さについて。 先ず、前者だが、フットボールゾーンウェブの抜粋から。

 酒井宏樹、ネイマールを退場に

『 フランスのナショナル・ダービーとして知られるPSGとマルセイユの一戦は、90分間でイエローカード14枚、レッドカード5枚が飛び交う荒れ模様となり、試合終盤にはネイマールを含めて計5人が退場処分となる事態にまで発展した。
 乱闘劇が注目を集めたなかで、右サイドバックで出場した酒井は左ウイングのネイマールと何度も対峙。前半7分の場面ではドリブル突破に対して繰り出したスライディングタックルがファウル判定でイエローカードを取られたが、後半8分にはリベンジとばかりに好プレーを披露した。

 左サイドから攻め上がったネイマールと右コーナー付近で対峙した酒井は、相手の動きを読み切って股抜きを狙った瞬間に左膝を落とし、ボールをブロック。ブラジル代表の至宝との駆け引きに勝利する完璧な守備で自由を与えなかった。
 DAZN公式ツイッターは「酒井宏樹 ネイマールの股抜きを読み切る 世界最高峰のドリブラーと何度も対峙する中、一対一の勝負を見事に制した」と動画を公開。これに、マルセイユ公式ツイッター日本語版が酒井とネイマールが激しいとデュエルを繰り広げるマッチアップ写真とともに、「強いぞ サムライが一番」と再投稿して称賛した。また、ファンからも「鳥肌立った」「ネイマール封じは素晴らしかった」「しびれるプレー」と感嘆の声が多数上がっている。』

 この「股抜き阻止」映像を僕も観た。マルセイユ陣右コーナーフラッグ辺りでボールを拾ったネイマールと向かいあったのが、酒井宏樹。ネイマールが出した股抜きパスを、酒井が左膝を地面に付けて見事に阻止。自分が出したボールを悠々と受ける積もりで、酒井の右手を超えようとした瞬間にはもう、ネイマール、茫然自失。そんな場面だった。

 

 川崎フロンターレ、1ゲーム3得点を超える 

 さてもう一方は、今季若手がどんどん伸びてきた川崎のJ史上に残る強さだ。当ブログ4日エントリーでも「川崎フロンターレ賛歌」を書いたが、今改めてこのチームを見つめ直してみよう。

 13日が終わった段階の勝ち点が44で、2位の36を8離している。得失点はと観れば、川崎の得点52は2位柏の32を20点も引き離しているし、失点16はセレッソの14、名古屋の15に次ぐものだ。が、この2チームは得点を抑えてでも失点を減らして勝ってきたチームなのである。特に、17ゲームで52得点というのは、1ゲーム3得点を超えており、過去に1シーズン平均3得点を超えたチームは98年の磐田だけなのである。ゴン中山が34ゲームで36得点した年であって、この中山のいろんな記録は未だに破られていないという。田中碧(あお)とか旗手とかの若手がどんどん出場、活躍してきていることも重なって、恐るべし川崎。若手選手育成が出来ない監督では、このチームにはもう当分勝てないはずだ。

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