九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

卓見だと読んだ  文科系

2015年02月28日 21時59分09秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 長く根強い人気が続いている阿修羅掲示板。そこで現在最も力があると思える書き手の現在世界認識文章を転載させていただく。ペンネームも「小沢内閣待望論」。この人の文章は或る個人が書いているとは思えない分量だから、このネームの元には何人かの論じ手、書き手が控えているのだと推察するが、拙い僕の認識から観て僕などよりも遙かに優れた、最新の情報を持っているといつも読んできたのである。
 ご注目をお願いしたい。

『 核戦争、電磁波戦争、気象兵器戦争、宇宙兵器戦争の時代は、核戦争の時代から言われてきたように、地球を破壊する力があり、少なくとも世界を滅亡させる事が可能な時代です。
連中は、馬鹿の方舟に乗って宇宙だか地下だかにトンズラする積もりだったようですが、戦争にハプニングはつきもので、そううまくはゆきません。
連中はいつも安全な所から、テロだ内戦だ災害だ戦争だとマッチポンプで煽ってきましたが、今回は本当の戦争に発展するか、連中が通貨発行権の独占を放棄するかの岐路に立たされています。
理屈では、連中のやっている事はナンセンスで時代遅れで無意味ですが、現状、連中が世界を牛耳っているのは事実で、連中が平和裡にその座を明け渡すのか、無駄な抵抗をして人類を道ずれにするのか、双方が試される局面にきています。
既に表に出ている情報だけから判断しても、新しい金融システムというか当たり前の仕組みが出来上がっており、コンビニの巨大化したものと考えれば、誰でもイメージする事ができ且つ一夜にして変更可能な簡単なものである事も分かると思います。
従って、連中が武力や賄賂で搾取するとかそういうアナログ的な時代ではなく、誰もが全体をリアルタイムで確認しようと思えばできる時代で、言ってみれば統治の肝が金融を押さえる事ではなくなってきているのですが、二千年もの間通用した統治方法ですから、昔の成功体験が忘れられない団塊暇人親父どころではなく、そこに執着するのも無理からぬ事です。
しかし、誰もが富の総量を計算でき、分配パターンも計算でき、いずれにしても70億人がいわゆる上流生活ができる、それが持続することも簡単に想像できる時代に、ティッシュペーパーを独占するみたいな事をしても権威にはならず、むしろ馬鹿にされたり軽蔑されたりするだけで、意味がなく、金融システムを混乱させる事もかつては連中の力を誇示するのに有効でしたが、上に書いたようにコンビニのPOSシステムのダウンと大差なく、高度な物々交換が発達した今となっては、なんの意味もなく、せいぜい現場が多少混乱する程度の話です。
つまりは、金融システムが、ルーティン化し、番頭の仕事だったものが小僧の仕事になったという事で、バイトが端末をいじっているのですから、ホストコンピューターの管理も派遣で十分で、派遣の仕事を支配しても意味がなく、電子マネーの時代になって通貨が本来の引換券にステータスが下がったという事です。
そして、現物が古くて新しい本来の価値として再浮上し、連中ががさばる現物を全て押さえるのは不可能ですから、それに伴い、現物を押さえる者達が連中と対等関係を主張し、連中の絶対優位が崩れ、ドルってなあに、それ美味しいの、つーか紙屑の関所を作ってなに偉ぶってんの、アメリカは特別とか特学ですか、ああそうですかと世界中から馬鹿にされて、連中が何でこうなったー、紙屑サイコーとか発狂している所だと思います。
自分に当て嵌めると、それまでダントツ人気のメンコを持っていたら、新しいヒーローもののめんこが出てきて、じわじわとその価値が下がり、自分もこんなのいらねとなっていくプロセスに似ています。 』 

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琉球新報より      らくせき

2015年02月28日 09時29分19秒 | Weblog
辺野古の市民テント、強制撤去も 政府検討、県警を動員

米軍普天間飛行場の移設計画に反対する市民らが名護市辺野古のキャンプ・シュワブ前に設営したテントの撤去を国が求めている件で、政府は市民らがテントの撤去に応じなければ県警を動員して強制撤去に踏み切ることを検討していることが27日、分かった。首相官邸の国土交通省への指示を受け、北部国道事務所は26日から24時間態勢で市民運動を監視している。

 沖縄総合事務局開発建設労働組合(仲里孝之委員長)は27日、河合正保沖縄総合事務局長と小平田浩司開発建設部長に、24時間監視態勢の解除を求める異例の申し入れを行った。
 テントの撤去に関しては、今月上旬来沖した米国防総省高官が移設作業の進捗(しんちょく)状況を視察した際、「抗議活動など課題がある」としてフェンス沿いのテントを問題視。米軍が日本政府に対し早期撤去を求めていた。
 これを受け、政府高官が国交省幹部に対し、歩道の通行妨害に当たるほか、米軍施設の保安維持上、問題があるとしてテントの撤去を指示した。
 北部国道事務所は国交省の指示を受け、19日にテントの撤去を要求。撤去期限の26日になっても撤去しないことから同日夜から24時間の監視態勢に入った。
 沖縄総合事務局開発建設労働組合の申入書では「『道路管理者』としての対応を超えた過剰な警戒対応」とした。その上で「開発建設部の多くの職員を動員し、県民同士の対立をあおるような行為は、県民の安全・安心を守る役割を担う行政機関として異常な事態だ」と批判した。
 さらに「県民の一人でもある職員の思いも無視した、辺野古への座り込みへの弾圧は、総合事務局がこれまで果たしてきた役割自体が否定される」と強調。派遣された職員については「気持ちとは裏腹の罵声を浴びせられている」として心身ともに負担が重いことを指摘した。

名古屋から見ていると、安倍さんの沖縄無視の政治手法が権力むき出しとなっていく段階に入ってきた感じ。
反在日団体に対する寛容さとは正反対。とても同じ国民に対する態度とは思えない。
反対する勢力は力で叩き潰す。これが安倍政権の本質みたい。











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こんな川柳が     らくせき

2015年02月27日 19時18分44秒 | Weblog
戦争放棄、戦争責任放棄にあらず  渡辺隆夫

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「よたよたランナーの手記」(109) 二歩後退半歩前進   文科系

2015年02月27日 14時50分59秒 | 文芸作品
 25日8.4キロ、26日8.7キロと走った。
 心拍数の不安定から「老いているようだ」と一か月近く書いてきたが、25日には久し振りに違った感触を得た。時速10.5キロでも心拍数が145~150の範囲に納まったのである。140~155と乱れていた10キロ時も、145以下で済んでいた。こういうことがあるとこの半月間の不調、心拍数不安定は何だったんだろうかと、不思議な気持ちになる。一昨日まで長く悪くって今日が良かったことの心当たりを数え上げてみると、こんなものか。

①軽い風邪か持病である何かのアレルギーが起こっていた。暫く鼻粘膜に軽い出血があったのが、昨日から治っている。
②この間の7~8キロ時LSD中心トレーニングの効果が出て来た。
③数日間右の蹴りを鍛えたから、走りが安定した。

 こうして、翌26日には8.7キロ走って、感触を確かめてみた。前日ほどではないにせよ好調で、その理由が上記の②、③にあることも分かった。LSDの効果があることと、それ以上に③の走りの安定が大きい。蹴りが強くなって走りのバランスがよくなったから、身体の前傾を強めても心拍数が上がらずスピードが出るようになった。まだまだ捨てたもんじゃないかも知れない。こんなちょっとした改善が、絶大な効果を生むのだから。
 ベルト上を走るのが中心だと、蹴りが弱くなって前に出す脚で走ってしまうようだ。これは、今後に向けてよく覚えておきたい。

 春になったので、サイクルツーリングの下見に車で出かけようと思った。3月6日あたりに、稲武・鳳来寺をどちらかから回ってこようと考えている。このコースを自転車なら一泊が必要になるだろうな。凄く楽しみだ。
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新聞の片隅に載ったニュースから(190)   大西五郎

2015年02月26日 15時46分31秒 | Weblog
河野氏「村山談話踏襲を」首相の70年談話に注文(15.2.25 中日新聞)

河野洋平元衆院議長は二十四日、名古屋市内で開かれた講演会で、安倍晋三首相がことし夏に発表する戦後七十年談話に関し、「歴史認識が継承されていくのは当たり前のこと」と延べ、「日本の植民地支配と侵略」へのおわびと反省を明記した一九九五年の村山談話の表現を踏襲するよう注文をつけた。
戦後七十年談話について検討する有識者会議「二十一世紀構想懇談会」は二十五日、初会合を開く、懇談会は提言を首相に答申し、政府は答申を参考に最終的な談話をまとめる。
また、河野元衆院議長は、東京裁判のA級戦犯が合祀されている靖国神社への参拝をめぐる中国や韓国からの批判を踏まえ、「誰もがわだかまりなく、内閣総理大臣、もっと言えば天皇陛下までお参りできるような施設を国立で造るべきでないか」と指摘。国立の戦没者追悼施設を設置する必要性についても言及した。

首相に任せるべきだ 自民・稲田政調会長(15.2.25 中日新聞)

自民党の稲田朋美政調会長は二十四日、都内で開いたパーティーで講演し、安倍晋三首相が今夏に発表する戦後七十年談話について「マスコミや一部の野党はある言葉を入れろと言うが。首相に任せるべきだ」と述べた。
稲田氏は歴史認識に関し「大切なのはどういう言葉かではなく、事実かどうかということだ。事実に反する虚偽で日本の名誉が汚されている。断固反論すべきだ」と強調した。

□□――――――――――――――――――――――――――――――――――――――□

安倍首相の戦後70年談話について自民党の元総裁と現政調会長が異なる見解を述べました。
河野元議長の「歴史認識が継承されていくのは当たり前」は村山談話で述べられた「植民地支配と侵略に対する痛切な反省と心からのお詫び」をうやむやにして、日本の戦争責任を否定してはいけないと指摘したものです。
一方、稲田政調会長はかねてから「日本の侵略」を否定し、南京大虐殺や従軍慰安婦の強制性はなかったと主張しています。東条元首相らA級戦犯を裁いた東京裁判についても勝者(連合国)による裁きであって、一方的な断罪だと主張しています。それらが「事実に反する虚偽で日本の名誉が汚されている」という発言になったものです。それだから安倍自民党総裁によって政調会長に選ばれたのだと思います。
河野元議長は宮沢内閣の官房長官だった1993年に従軍慰安婦問題についての「河野談話」を発表しています。これは韓国の元従軍慰安婦だった人たちから日本政府に賠償を請求する訴訟が起こされたため、政府が慰安婦問題を調査し、その結果を踏まえて「慰安所は当時の軍当局の要請により設営され、慰安所の管理や慰安婦の移送に関しても旧日本軍が直接あるいは間接に関与した」ことを認め、元慰安婦にお詫びと反省の気持を表明したものです。稲田氏は「河野談話」にも異を唱えています。          
                                           大西 五郎
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掌編小説  兄 弟    文科系 

2015年02月25日 13時43分57秒 | Weblog
 照明を最小限にしたそのレストランは急上昇中の名古屋駅前地域でも指折りの店と分かった。テーブル一つずつが回りから隔てられた作りで、〈近辺の重役室から抜け出した財界人辺りが商売の探りを入れる会食などに格好の場所だな〉、それとなく見回していた。駅前ツインビルの一角に、五歳違いでまだ現役の弟が久し振りに二人で飲むために予約を入れた店なのである。東京から月一の本社重役会に彼が来名した秋の夕暮れのことだ。
 水を運んできたウェイターに彼が語りかける声が響いた。「このビルの社長さんは、僕の同僚だった友達でしてねー」。〈「せいぜいサービスしなよ」と告げる必要もあるまいに、スノッブ過ぎて嫌味な奴だな〉。こんなふうに、彼と会うと俺の神経が逆なでされることが多いのである。でも、その日の彼において最高のスノッブは次の言葉に尽きる。俺の過去について思わずというか何というか、こんなことを漏らしたのだった。

「兄さん、なんで哲学科なんかに行ったの?」
そう尋ねた彼の表情が何か皮肉っぽくって、鼻で笑っているように感じたのは、気のせいなんかではない。そう感じたから黙っていたらこんな質問まで続くのである。
「兄さんは元々グルメだし、良い酒も好きだし、生き方が矛盾してないか?」
 まともにこれに応えたらケンカになると感じたので、こう答えた。
「お前には分からんさ。世のため人のためという人間が、グルメじゃいけないということもないだろうし」

 さて、その帰りに弟の言葉を反芻していた。年収二千万を越えたとかが十年も前の話、東海地方有数の会社の重役に理工系から上り詰めている彼から見ると、俺の人生に意味はないのかも知れぬ。「人生、こういう生き方しかないのだよ」と決めつける押しつけがましさはさらに強まっているようだし。高校の文化祭などは全部欠席し家で勉強していて、俺の目が点にさせられた覚えがあったなー。そこでふっと、こんなことも連想した。「オバマのは、税を納めぬ貧乏人のための政治。私は納税者のための政治を行う」、前回の米大統領選挙での共和党候補者ロムニーの演説の一部だ。つまり、金のない人々を主権者とさえ見ないに近い発想なのである。弟はこれと同じ人生観を持って、こう語っていたのかも知れない。「兄さんは別の道にも行けたのに、何でそんな馬鹿な選択をしたのか?!」と。そこには「今は後悔してるんだろ?」というニュアンスさえ含まれていたのだろう。

 秋の夜道を辿りながらほどなく俺は、自分の三十歳ごろの或る体験を振り返っていた。大学院の一年から非常勤講師をしていた高校で、「劣等生」に対する眼差しが大転換したときのことだ。二十代はほぼ無意識なのだが、こんな風に考えていたようだ。こんな初歩的ことも理解できないって、どうしようもない奴らがこんなにも多いもんか! 彼らがどういう人生を送ってもそれは自業自得。本人たちにその気がないんじゃ仕方ない。この考えがその頃、コペルニクス的転回を遂げたのである。〈彼らとて好きでこうあるわけではないし、現にみんな一生懸命生きてるじゃないか〉。同時に、家族とは既に違っていると思った俺の人生観も、一種我が家の周到な教育方針の結果満載であると遅ればせながら改めて気づいたのである。勿論、その良い面も含めて。そして、弟よりもむしろ俺の方が、我が両親の良い面を受け継いでいるのだろうとも、少し後になって分かった。両親ともが、片田舎の貧乏子沢山の家から当時の日本最高学府に上り詰めた人だったから。つまり、明治政府が築き上げた立身出世主義人材登用制度を大正デモクラシーの時代に最大限に活用できた庶民なのである。能力のある貧乏な生徒を後々までよく面倒みていた姿も思い出した。

 この時またふっと、弟のこんな言葉も甦ってきた。
「私の仕事は初め新幹線の進歩、やがてはリニア新幹線を日本に生み出すという夢に関わってきたんだよね!」
 この誇り高い言葉はまー、あの皮肉っぽい笑みからすれば俺に対してはこんな意味なのだろう。「だけど、兄さんの仕事人生は、一体何が残ったの?」。確かに、最初の仕事を二十数年で辞めたのだから、そう言われるのも無理はない。それも、貧乏な民間福祉団体で休日も夜も暇なく働いた末の、精神疲労性の二度の病のためだったのだし。そこでさらに気づいたこと、この病、お前も罹ったんじゃないか? それも若い頃の入院も含めて、一度ならず今も……、お互い頑張っちゃう家系だもんなー。

 いろんな言葉や思い出を辿りつつここまで来て、俺の思考はさらに深く進んでいく。弟は何でこんな挑戦的な言葉を敢えて俺に投げたのだ? 今も病気が出かけて終わりが近づいている自分の仕事人生と、何よりもこれが終わったその先とを自分に納得させる道を懸命に探している真っ最中だからじゃないか。この推察は、妥当なものと思われた。すると、ある場面がふっと浮かんだ。
〈小学生の時からアイツは電車が好きだった。我が家に近い母さんの職場の用務員さんの部屋で母さんを待って、一緒に帰る途中にある中央線の踏み切り。あそこでよく電車を見ていたと、母さんが言ってたよなー〉
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随筆紹介  大きなカブ   文科系

2015年02月24日 22時20分18秒 | 文芸作品
   大きなカブ   K.Kさんの作品

 寒くても子どもは外が好き。四歳の孫娘と散歩に出かけた。午前中に保育園の生活発表会があり、午後は休園で預かったのである。

 家庭菜園で畑の手入れをしている白髪混じりの男性がいた。孫娘が立ち止まる。「何してるの?」、声をかける。恥ずかしがり屋なのに珍しいこと。私も足を止めた。彼は立ち上がって返事をするが、小さな声で聴きとりにくい。孫娘は「これは大根、ネギ」言いながら畑の中へ入って行く。私は少し離れた所で様子をみる。「冬の畑だよ」、教えている。そうか、これが冬の畑か。白菜、ブロッコリーなど色が少ない。夏の畑はトマト、スイカなど鮮やかである。畑にも季節があったのに気付く。

 孫娘は一番奥のカブに興味を示した。「これ、カブ?」指さして聞く。「抜いてみるかい?」、彼が彼女の顔をみる。「うん」大きく頷く。孫娘の頭くらいの大きなカブは、ビクともしない。彼が少し動かしてくれた。「よいしょっ」やっと抜けた。満足そうな顔。
 たぶん、カブに興味を持ったのは、午前中の劇で「大きなカブ」をやったばかりだからだろう。孫娘の役は犬だった。本物のカブで体験できるなんて、こんな偶然あるのだ。彼に感謝である。孫娘が袋に入れた大きなカブを引きずるようにして、かけ戻ってきた。まだ土の付いたカブははち切れそうだった。「シチューにしてね」。劇と同じになった。
 雪が舞ってきた。帰りを急ごう。
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「よたよたランナーの手記」(108) 老いている   文科系

2015年02月23日 21時57分19秒 | 文芸作品
 18日以降、19,21,23日と走った。8.4、8.3、8.9と全てLSDだ。104回あたりから書いているように、今急速に老いていると感じる。今の老いの様相はこんな風である。

 時速10キロまではほぼ心配はない。1分の心拍数も普通は140から145ほどだ。それが、10キロ時を越えると、10.5キロ時以下でも心拍が激しく揺れるようになった。1月17日に30分2回で10.1キロを走ったと喜んでいたのが、何か遠い昔の話のような気がするのである。この時の後半30分は5.2キロ走ったから、時速10.4キロで走り通したという事なのだ。

 今の時速と心拍数の関係はこんな数字になる。7キロ時だと125ほど。8キロ時になると130~135。9キロ時ですでに不安定になって135~150だろうし、10キロ時となると140~155ほどに揺れる。でもまー155までならば走っているというわけだ。5分もこれを下回らないならばスピードを落とすことにはしているけど、10キロ時でこういうことにはまだなったことがないのである。でも、近くそうなってくるという気がしている。それくらい速く心臓の老化が進んでいると感じている。僕の身体がそういう時期を迎えているということだろうか。

 コペルニクス的転回のデングリ返りでも起こって、1月の頃の調子に戻らないものかな。ワインの量をちょっと減らそうかな? アルコールは肝臓に負担がかかることは明らかなのだから。 
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朝鮮日報より   らくせき

2015年02月23日 09時21分37秒 | Weblog
「高麗青磁の最大の『故買屋』は伊藤博文」という見出しの記事がありました。

『韓国近代美術市場史資料集』を出版したキム・サンヨプ文化財庁鑑定委員の話。
買った作品は写真だけでも3160点。
20年にわたり、植民地時代の競売図録を収集…古美術品の流通経路を確認
北朝鮮の国宝になった金弘道の「豹皮図」も、と。

故買という表現はいかがなものでしょう?
日本の美術品を大量に買っていった欧米人に対する日本人の態度とは
大いにちがっていませんか?

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改めて、「政治論以外も書くわけ」   文科系

2015年02月21日 12時50分05秒 | 文芸作品
 これもまた、過去の拙稿の再掲である。12年1月15日のエントリーそのものだ。その又前も、時々こういうことをお断りしてきたが、今回も必要を感じたので行わせていただく。


『 表記のことを、改めてまとめてみたい。随筆、サッカー評論などなど一見関係ないようなことを僕はなぜここに書いてきたか。ここが始まった6年前からしばらくはかなり気にしていたことだが、最近はあまりこれを書いたことがなかったと思いついて。

 僕がまだ若い頃から、こんなことが当時の大学で当たり前であった左翼の世界の常識のように広く語られていた。「外では『民主的な夫』、家での実質は関白亭主。そんなのがごろごろ」。そういう男たちの政治論に接する機会があると、正直どこか斜めに構えてこれを聞いていたものだ。どんな偉い左翼人士に対しても。レーニンの著作にたびたび出てくるこういった内容の言葉も、そんなわけでなぜか身に染みて受け取れたものだった。
「どんな有力な反動政治家の気の利いた名演説や、そういう反動政治方針よりも、恐るべきものは人々の生活習慣である」
 こういう僕の身についた感覚から僕の左翼隣人、いや人間一般を観る目も、いつしかこうなっていた。その人の言葉を聞いていてもそれをそのままには信じず、実は、言葉をも参考にしつつその人の実生活がどうかといつも観察していた。誤解されては困るが、これは人間不信というのではなくって、自分をも含んだ以下のような人間認識と言ってよい。人は一般に自分自身を知っているわけではなくって、自分の行為と言葉が知らずに自分にとって重大な矛盾をはらんでいることなどはいっぱいあるものだ、と。こういう人間観は実は、哲学をちょっとでもまじめに学んだことがある者の宿命でもあろう。哲学史では、自覚が最も難しくって大切なことだと語ってきたのだから。ソクラテスの「汝自身を知れ」、近代以降でもデカルトの「私は、思う(疑う)。そういう私も含めてすべてを疑う私こそ、まず第一に存在すると言えるものだ」などは、みなこれと同じことを述べているものだ。

 さて、だとしたら政治論だけやっていても何か広く本質的なことを語っているなんてことはないだろう。そんなのはリアリティーに欠けて、ナンセンスな政治論ということもあるし、「非現実的話」「非現実的世界」もはなはだしいことさえもあるわけである。それでこうなる。生活も語ってほしい。その人の最も生活らしい生活と言える、好きなこと、文化活動なんかも知りたい。どういう人がその論を語っているかということもなければ、説得力不十分なのではないか、などなどと。もちろん、何を書いてもそれが文章である限りは嘘も書けるのだけれど、その人の実際や自覚のにおいのしない政治論だけの話よりはまだはるかにましだろうし、随筆なんかでもリアリティーのない文章は結構馬脚が顕れているものだと、などなど、そういうことである。
 やがて、こんな風にも考えるようになった。幸せな活動が自分自身に実質希薄な人が人を幸せにするなんて?とか、人の困難を除くことだけが幸せと語っているに等しい人の言葉なんて?とか。そういう人を見ると今の僕は、まずこう言いたくなる。人の困難を除くよりもまず、自分、人生にはこれだけ楽しいこともあると子孫に実際に示して見せてよ、と。

 なお、以上は政治論だけをやっているのだと、人生の一断面の話だけしているという自覚がある論じ方ならばそれはそれでよく、五月蠅いことは言わない。だが、当時の左翼政治論壇では、こんなことさえ語られたのである。「歴史進歩の方向に沿って進むのが、人間のあるべき道である」と。つまり、政治と哲学が結びついていたのだ。それどころか、戦前から政治が文学や哲学や政治学、そういう学者たちの上位に君臨していたと言える現象のなんと多かったことか。
 そんなわけで僕は、当時では当たり前であった大学自治会には近づいたことがなかった。そして、左翼になってからもこの「政治優位哲学」には常に距離を置いていたものだった。これはなぜか僕の宿痾のようなものになっていた。

 なお、こういう「公的な場所」に「私的な文章」を載せるなんて?という感覚も日本には非常に多いはずだ。こういう「公私の峻別」がまた、日本の公的なもののリアリティーをなくしてはいなかったか。公的発言に私的な事を入れると、まるで何か邪な意図があるに違いないとでも言うような。逆に日本ではもっともっとこんな事が必要なのだろう。政治をもっと私的な事に引きつけて、随筆風に語ること。正真正銘の公私混同はいけないが、私の実際に裏付けられないような公(の言葉)は日本という国においてはそのままでは、こういったものと同等扱いされることも多いはずだ。自分の子供をエリートにするためだけに高給をもらっているに等しい文科省官僚の公的発言、「貴男が男女平等を語っているの?」と連れ合いに冷笑される亭主。

 ややこしい内容を、舌足らずに書いたなと、自分でも隔靴掻痒。最近のここをお読み頂いている皆様にはどうか、意のある所をお酌み取り頂きたい。なお僕の文章はブログも同人誌随筆も、ほぼすべて連れ合いや同居に等しい娘にもしょっちゅう読んでもらっている。例えば、ハーちゃん随筆などは、彼らとの対話、共同生活の場所にもなっている。』
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中央日報より    らくせき

2015年02月21日 09時48分04秒 | Weblog
日本政府は国連安全保障理事会の決議がなくても戦闘中の他国軍を自衛隊が後方支援できるようにする方針だ。毎日新聞が19日、報じた。

自衛隊を海外に派遣することができるようにする「恒久法」制定に関連し、自衛隊の海外活動の範囲を拡大するためだ。

自公両党は20日の安全保障法制の整備に関する与党協議会で、国会承認手続きの厳格化など、歯止めをどこまでかけるかなどを巡り議論する。

日本政府はこれとあわせて、日本周辺で有事が発生した場合の米軍後方支援を規定した「周辺事態法」に関しても、“周辺”という事実上の地理的制約をなくして自衛隊が米軍以外の他国軍も後方支援できるように法改正を進める方針であることが伝えられている。


これは是非、名無しさんに伺わなくては。

自衛隊が米軍以外の他国軍も後方支援できるように法改正を進める方針であることが伝えられている。
この米軍以外の他国軍は、どの国が想定されているのか?

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こんなニュースが       らくせき

2015年02月20日 19時17分56秒 | Weblog
yahooのニュースを見ていたら、こんなニュースが。

19日の予算委員会で質問者の質問の最中に安倍総理が議論とはまったく関係のないやじを飛ばしました。一日経って、民主党からこの総理の姿勢が厳しく批判され、委員長からも注意を受けることになり、いま国会のやじのあり方が問われる事態となっています。

 19日の衆議院予算委員会。民主党の玉木議員が西川農水大臣の献金問題について質問している時でした。

 「こんなことができるんだったら、みんな各業界やりますよ。こういうことをやはり誠意で」(民主党 玉木雄一郎 衆議院議員)

 「日教組!」(安倍晋三 首相)

 「総理、やじを飛ばさないでください。今、私話していますから、総理。やじを飛ばさないでください、総理。これ真面目な話ですよ。政治に対する信頼をどう確保するかの話をしてるんですよ」(民主党 玉木雄一郎 衆議院議員)

 「日教組どうするんだ!」(安倍晋三 首相)

 「いや、いや、総理、ちょっと静かに」(大島理森 衆議院予算委員長)

 「日教組どうするんだ!」(安倍晋三 首相)

 安倍総理は、玉木議員や質問内容とは直接関係のないやじを飛ばし続け、委員長にたしなめられました。


ちょっとネ、総理の品位が問われるね。


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改めて、 「アジア・太平洋戦争」開戦経過   文科系

2015年02月20日 03時06分11秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
 この拙稿は、当時付け焼き刃の勉強をして、ここに再掲、再々掲などしたものです。が、右翼とか保守系とかいう人々はほとんど以下の史実を顧みないようだから、何度でも掲げたい。このことが問題になるたびにそうしたい。ちょうど、日本の朝鮮征服史に全く無知なのに慰安婦強制への反論を大音声する人が出て来たら、この征服史を又再掲したいと思い立つように。右翼系の学者・論客(歴史学者はむしろ少ないのではないか)がこれらを無視しているから、その結論を受け売りしにここに来るような人々が、以下のような事実にほとんと無知なのであろうと推察してきました。

 なお以下の拙稿は、当時このように連載したものの第5回目のものです。
①「対英戦争と対米戦争の関係」10年11月15日
②「日米戦争における戦争責任の問題」11月16日
③「日米同罪論について」同17日
④「アジアのため?」18日
⑤(これが、以下の今回のものです)20日
⑥「太平洋戦争と天皇」22日
⑦「『自虐史観』『洗脳』の危うさ」23日
⑧「東條英機首相への熱狂ぶりと、その源泉」24日
(このどれもバックナンバーとしてここでお読み願えます。右欄外のカレンダー下の「年月欄」をスクロールして10年11月をクリックすると、すぐ上のカレンダーがその月のものに換わりますから、読みたい日をクリックして頂きます。すると、エントリー本欄がその日のエントリー全てに換わりますので、目的のものを探してお読み願えます)


『 太平洋戦争、右翼のデマに(番外編)  文科系  2010年11月20日

 しゃにむに、密かに、不意打ち開戦へ

 前回のこのまとめ部分は、日米の戦争責任論議における最重要点だから、説明が要りますね。
「なお、この(1941年11月)5日の御前会議の存在は、東京裁判の当初の段階では米軍に知らされていなかったということです。ハルノートとの関係、「日米同罪論」との関係で秘密にしておいた方が都合良かったと、著者(岩波新書「シリーズ日本近現代史全10巻の第⑥」「アジア・太平洋戦争」、⑥の著者は吉田裕一橋大学大学院社会学研究科教授)は解明していました」

 米国務長官ハルの覚書が駐米日本大使に手交されたのが41年11月26日、外務省がこれを翻訳して関係方面に配布したのが28日でした。対して当時の日本政府はその行動を、このように説明してきました。ハルの、この4要求を「最後通牒」で「高圧的」と断定。それゆえ「自存自衛の為」(12月8日、宣戦の詔勅)の開戦を、12月1日の御前会議で決定、と。誰が考えても、国の運命を決めるような大戦争の決断経過としては動きが急すぎて、不自然です。この不自然さを、著者の吉田氏はこう解明していきます。

 そもそも1国務長官の覚書とは、1国の最後通牒などと言える物では、到底ない。よって、10月に退陣した近衛内閣が進めていたように、アメリカとの条件交渉の余地はまだまだ充分過ぎるほどに存在していたのである。対して、入れ替わったばかりの東条内閣が、ハル・ノートを最後通牒と断定し即戦争を決めたように語られてきたわけだが、これは完全に日本のあるタクラミに基づいている。その狙いは、
・生産力で10倍を遙かに超える差がある強大なアメリカの戦争準備が整わぬうちに、戦争を始めたかった。日中戦争進展にともなって臨時に大増強した太平洋周辺戦力はアメリカを上回っていたからだ。
・それも、完全に油断させておいて、不意打ちで開戦したかった。日本側は、十二分に準備を整えておいた上で。
・東条内閣は、発足20日も経たぬ11月5日の御前会議でもう12月初頭の開戦を決めていて、戦争にまっしぐらだったのである。その日に決まった「帝国国策遂行要領」をその証拠として、著者はこう書いている。
『「帝国は現下の危局を打開して自存自衛を完うし大東亜の新秩序を建設する為、此の際、英米欄戦争を決意し左記措置を採る」とした上で、「武力発動の時期を12月初頭と定め、陸海軍は作戦準備を完整す」と決めていた。引き続き外交交渉を継続するとされていたものの、実際には、その性格は開戦決意をカムフラージュするための「欺騙外交」としての側面をつよめてゆくことになる』
 なお、前にも述べたように、この11月5日の御前会議は、東京裁判当初までアメリカには隠されていたものである。以上のように軍人内閣のやり方は、「出来るだけ速く、密かに、しゃにむに戦争へ」「相手とは交渉を続けるふりをして油断させつつ」「それも、相手に知られない不意打ちで」というものであって、このことはその4にまとめた以下の事実によっても証明されている。
【『よく知られているのは、真珠湾への奇襲攻撃である』。開始8日午前3時19分、対米覚書手交4時20分というものだ。この点については従来から、こういう説があった。対米覚書の日本大使館における暗号解読が遅れたとされてきたのだ。これにたいする本書の解明はこうなっている。
『外務省本省は13部に分かれた覚書の最終結論部分の発電をぎりぎりまで遅らせただけでなく、それを「大至急」または「至急」の指定をすることなしに、「普通電」として発電していたことがわかってきた』】
 

 「アジア・太平洋戦争」の開戦原因に関わる経過を、最後にもう一度まとめておく。
1 「日本が、中国侵略から南部仏印侵略へという動きを強行した」
「このイギリス権益の侵害に対してなされた、アメリカによるたびたびの抗議を無視した」
「こういう日本の行為は、ドイツの英本土上陸作戦に苦闘中のイギリスのどさくさにつけ込んだものでもあった」
 この間の上記の経過は、本書では結局、こうまとめられている。
『結局、日本の武力南進政策が対英戦争を不可避なものとし、さらに日英戦争が日米戦争を不可避なものとしたととらえることができる。ナチス・ドイツの膨張政策への対決姿勢を強めていたアメリカは、アジアにおいても「大英帝国」の崩壊を傍観することはできず、最終的にはイギリスを強く支援する立場を明確にしたのである 

2 そのアメリカに対しては、交渉するふりをして、その太平洋周辺戦力が不備のうちに、不意打ち開戦の準備を進めていった。
その直前の様相は、こういうことであった。
『(41年7月28日には、日本軍による南部仏印進駐が開始されたが)日本側の意図を事前につかんでいたアメリカ政府は、日本軍の南部仏印進駐に敏感に反応した。7月26日には、在米日本資産の凍結を公表し、8月1日には、日本に対する石油の輸出を全面的に禁止する措置をとった。アメリカは、日本の南進政策をこれ以上認めないという強い意思表示を行ったのである。アメリカ側の厳しい反応を充分に予期していなかった日本政府と軍部は、資産凍結と石油の禁輸という対抗措置に大きな衝撃をうけた。(中略)以降、石油の供給を絶たれて国力がジリ貧になる前に、対米開戦を決意すべきだとする主戦論が勢いを増してくることになった。』

なお、20世紀における大日本帝国軍隊の仮想敵国が以下のような変遷を辿ったことも、今回改めて付加させていただきます。最近コメントに書いたことなのですが。 
 1907年4月4日以降 『(仮想敵国の)第1はロシア、米・独・仏がこれに次ぐ』
 1918年6月29日以降『ロシア、アメリカ、中国』
 1923年2月28日付けで、日本帝国の国防方針がこう改訂されています。
 『想定敵国 陸海軍共通のものとしてアメリカ、ロシア・中国がこれに次ぐ』
 (出典は、岩波新書同上シリーズ第5巻「満州事変から日中戦争へ」99頁。著者は加藤陽子・東京大学大学院人文社会系研究科教授)
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新聞の片隅に載ったニュースから(189)    大西五郎

2015年02月19日 09時37分39秒 | Weblog
家計支出3年ぶり減 14年3.2% 増税の影響長引く(15.2.18 毎日新聞)

総務省が17日発表した2014年の総世帯の家計調査によると、1世帯当たりの消費支出は1カ月平均25万1481円で、物価変動の影響を除いた実質ベースで前年比3・2%の減少となった。減少は東日本大震災の影響を受けた11年以来3年ぶりで、減少幅は06年(同3・5%減)以来8年ぶりの大きさ。昨年4月の消費増税後の反動減の影響が長引き、景気持ち直しのカギとなる個人消費は力強さを欠いたままだ。
全10項目のうち9項目が前年比で実質減少となった。冷蔵庫や洗濯機など高額な家電は増税前の駆け込み需要が大きかった分、反動減の影響も大きく、それを含む「家具・家事用品」は同2・5%減だった。国内パック旅行などを含む「教養娯楽」も同3・6%減、外食などを含む「食料」も同2・2%減で、消費者の財布のひもは固い。洋服など「被服及び履物」だけが同0.7%増とわずかに前年を上回った。四半期ごとでみると、総世帯の消費支出は14年4~6月期以降、3四半期連続で前年同期比マイナスが続いており、総務省は「今後の傾向をよく見る必要がある」と動向を注視している。
総世帯のうち、勤労者(サラリーマン)世帯の実収入の1カ月平均は46万8367円で、実質ベースで前年比3・2%減だった。諸費増税や円安に伴う物価の上昇に賃金が追いついておらず、消費意慾を喚起できていない状況だ。
内閣府が16日に発表した14年10~12月期の実質国内総生産(GDP)は年率換算で2・2%増と3四半期ぶりのプラス成長となった。しかし全体の約6割を占める個人消費は前期比0・3%と低い伸びにとどまった。日本経済がより力強い成長軌道に乗るには消費の更なる回復が不可欠で、企業の賃上げ動向などが焦点となりそうだ。

□□――――――――――――――――――――――――――――――――――――――□

総務省が行なう「家計調査」は、学生の単身世帯や長期不在世帯などを除く全国約5018万世帯のうち無作為に選んだ約9000世帯に6ヵ月間毎日、家計簿などの調査票に収入や支出の金額を詳細に記入してもらい、調査員が月2回各家庭を訪ねてこの調査票を回収し、約550項目に分類して集計したものです。各家庭の消費の実態を知る調査としては最も調査対象が多く、個人消費の動向をつかめるもので、国の経済政策の基礎資料になるものです。
安倍首相は先の施政方針演説(12日衆参両院)で「この2年間、全力で射込んできた『三本の矢』の経済政策は、確実に成果を上げています。中小・小規模事業者の倒産件数が低い水準になりました。有効求人倍率が1倍を超えています」と、アベノミクスが効果を挙げていると自賛しました。しかし、1月末に発表された経済指標によりますと、就業者の内訳は正規の従業員数が前年比15万人減、非正規従業員の56万人増が就業者増の実態です。物価も2014年平均の全国消費者物価指数は前年比2・6%の上昇です。その反面大企業の内部留保は増え続けています。アベノミクスの成果は庶民にはトリクル・ダウン(滴り落ち)していません。
                                              大西 五郎
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「よたよたランナーの手記」(107) 「極楽、極楽」   文科系

2015年02月19日 08時00分07秒 | 文芸作品
 13、16、18日と走って、合間にはウォーキングや階段上りなどに務めていた。12日が30分4.5キロ、16日は90分13キロ、18日が1時間で8.5キロほどと、すべてLSDである。合間の日のウォーキングと言っても、用事移行で歩ける距離は歩くということ。今では3~4キロほどの距離なら気軽に歩いて行こうというようになった。往復でこの距離なら、片道15分ちょっとでそんなに汗もかかず、気軽に行けるようになった。

 ランニングは、可も無し不可も無し。時速10キロのウォームアップ後完調時の心拍数が140ほどに落ちてきたが、11キロ時では155内外まで上がって、その振幅も大きい。10キロ時で長く走っている内に11キロ時の心拍数が下がって安定してこないかなと目論んできたのだが、これがなかなか。最高速度心拍数は、そのスピードで走らないと下がってこないのかも知れない。でも、そこはまー無理をしないでおこうと、こういうところが年の功なのだろう。
 それともと、こんなことも思う。時速10キロ越えを今までは、10.5キロ時と11.0キロ時でしかほとんどやっていないのだけれど、0.1~0.2キロ時刻みで上げたみようかな。しばらく、最高速度は10.2~3キロ時を何日か続けるとか。と、こんなことを思いめぐらしているのも、楽しい。

 話は変わるが、最近、ジムのウェートトレーニングにも熱が入っている。主として腹筋・背筋と腕の周辺だが、腹筋台で上半身を上げ下げする時などは「極楽、極楽」と自分に言い聞かせながら。体幹を鍛えることで走りが安定してきたように感じるからなのだが、ほどよいスピードでリズミカルに走れる時は、本当に「極楽、極楽」と感じるのである。脚の弾みが気持ちよいのだ。子供のころ大好きだったスキップかマズルカを踊っているかという感じなのである。僕が3年生まで疎開していた田舎の小学校では、男児もマズルカを踊らせてくれて、今でもその音楽、脚捌きをよく思い出すのだ。舞踊って、男女を問わず人間の本能のようなものだと感じている。というよりも、ランニングも含めて脚でリズムを取ることに関わる感情なのかも知れない。
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