九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

トランプ大統領府のならず者ぶり   文科系

2018年11月30日 09時16分32秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 今朝の新聞に、まとめれば標記のことが載っている。

①元トランプ大統領選挙選対本部長は、モラー特別検察官に捜査協力をするとの司法取引に応じておきながら、裏で大統領側と内通していて、検察の動向を逐一大統領側に漏らしていたと判明している。

②そんな選対本部長について、『トランプ氏は28日、ニューヨーク・ポスト紙のインタビューで、有罪評決を受けたマナフォート被告の恩赦を排除しない考えを示した』

③トランプの元顧問弁護士は司法取引に応じていて、トランプの議会における虚偽証言を認めた。長男や弁護士が大統領選挙前にロシア人弁護士らと行った会合を、トランプが事前に知らなかったというのが偽証であると。なおこの会合は、「トランプロシア疑惑」と言われてきたもの核心問題の一つである。この会合の疑惑については、当ブログにある書評「怒りと炎」連載をご参照されたい。本年4月8、10,11、12、13日と5回連載エントリーになっている。


 よくいう、何でもあり人間ではないか。この大統領府は魔宮である。大統領が悪徳の権化のような人だからこうなる。そして、「これが世の中、人間というものだ」と、自ら率先して世界をリードしていることになる! これが何よりも怖いこと。こんなのが世に通って行けば、「神も仏もないものか!」というような、何でもありの世の中真っ暗闇にどんどん突入していくだろう。行く末はちょうど、ヒトラーがユダヤ人、身障者を密かに皆殺ししていったような、あんな時代さえ来かねない。いや、イエメンのコレラ、餓死放置、南米諸政権の転覆工作・民政不安の混乱、南欧の若者大量失業者放置など、そろそろもうやって来ている。ほとんどアメリカが絡んでいることだと、僕は見てきたのだが。
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随筆  最大のならず者国家    文科系

2018年11月29日 06時23分17秒 | 文芸作品
「ならず者国家」という言葉をちょっと前に使ったのは、ブッシュ大統領。ところが、アメリカこそが今一番そう呼ばれるに相応しいと、愚考する。このように。

一、9・11を起こしたと言われるイスラム原理主義一派・「アルカイダ」は、その元をたどればアメリカが育て上げた鬼子。これを「レーガン(元大統領)の聖戦士」と呼んだのは、米人言語学者・哲学者ノーム・チョムスキーである。アフガニスタンを反ソ連勢力にするためにアルカイダを育て上げそこにアルカイダ政府を作ったのも、その後9・11画策者を匿ったとかでアフガニスタン戦争を起こしてこの政府を潰したのも、アメリカだ。
二、今、中国の南沙諸島問題などで国際仲裁裁判所の決定が出たことが世界の大問題になっているが、国連司法裁判所における数々の敗北判決を最も手厳しく無視し続けてきた国は誰あろうアメリカである。中米の国ニカラグアがアメリカをこの司法裁判所に訴えて全面勝利判決を何度勝ち取っても全て無視したという、中南米では有名な歴史的事件があった。一九八〇年代、ここに反政府軍を組織して時の政府を潰す過程において訴えられた裁判だ。当裁判所は「不当な武力行使」という言葉まで使って、アメリカのニカラグアに対する国際テロ行為に有罪判決を何回か下したが、全て無視した。さらには、一七〇~一八〇億ドルと算定された司法裁判賠償命令も鼻であしらった。
三、「私たちはいまや大きな岐路に立たされています。国連が創設された一九四五年にまさるとも劣らない、決定的な瞬間かも知れないのです」
「今日に至るまで、国際の平和と安全に対する幅広い脅威と戦い、自衛を超えた武力行使をすると決める際には、唯一国連だけが与えることの出来る正当性を得なければならないという理解でやってきました」
「いかに不完全であれ、過去五八年間、世界の平和と安定のために頼りにされてきた大原則に根底から挑戦する、単独主義的で無法な武力行使の先例を作ってしまうものなのです」
これらは、二〇〇三年九月二三日第五八回国連総会開会日における、アナン事務総長の冒頭演説からの抜粋だ。「単独主義的で無法な武力行使の先例」を作ってしまった「決定的な瞬間」。その年に起こったイラク戦争を批判した言葉なのである。

さて、アメリカこれだけの国連無視は、一九九〇年前後の冷戦終結後には更に激しくなったと見る。これだけ国連無視を続ける国がここから脱退しようとしないのは、都合の良い時に利用したいだけとも見てきた。そして、こういうアメリカの姿はほとんど日本に知られていないのだが、これは日本のマスコミにバイアスがかかっているからだろう。アメリカは今、ケネディ大統領の六一年国連総会演説をこそ、思い出すべきである。
『戦争にとって代わる唯一の方法は国連を発展させることです。……国連はこのあと発展し、われわれの時代の課題に応えることになるかもしれないし、あるいは、影響力も実力も尊敬も失い、風と共に消えるかもしれない。だが、もし国連を死なせることになったら──その活力を弱め、力をそぎ落とすことになったら──われわれ自身の未来から一切の希望を奪うに等しいのであります』
ケネディのダラス暗殺事件は、この演説の二年後、産軍複合体の仕業と言われている。
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随筆紹介  地に墜ちた芥川賞    文科系

2018年11月27日 20時58分20秒 | 文芸作品
  地に墜ちた芥川賞  井戸 児石さんの作品です


 明日発表の芥川賞の候補作品の一つが剽窃(ひょうせつ)問題で揺れている。北条裕子の「美しい顔」が、群像新人賞をとり、さらに芥川賞の候補作に躍り出た。ところが剽窃だとネットで騒がれると、群像を出版した講談社は、出典の掲載を忘れたに過ぎず、剽窃には当たらず、この小説の素晴らしさの根底を揺るがさないとし、異常とも言える無料公開を開始した。白熱した事態となった。
 剽窃とは、他人の文章、語句、説を盗用することである。盗用された作品「遺体」を私は購入した。ネットに公開された美しい顔の最初の部分を読み始めたが、十日後に突然、予告なく講談社は中断してしまい、剽窃の詳細を自分では調べられない。仕方なく、毎日新聞他に頼った。

①遺体の『その横に名前、性別、身長、体重、所持品、手術痕などわかっている限りの情報が書かれているのだ』を、美しい顔では「その横に名前、身長、体重、所持品、手術跡といったことがある。今現在わかっている限りの情報だという」
 
②遺体の『床に敷かれたブルーシートには、二十体以上の遺体が蓑虫のように毛布にくるまれ一列に並んでいた。』『うっすらと潮と下水のまじった悪臭が漂う』を美しい顔では「すべてが大きなミノ虫みたいになってごろごろしているのだけれど、すべてがピタッと静止して一列にきれいに並んでいる。うっすらと潮と下水のまじった悪臭が流れてくる。」
 
③遺体の『今日までに見つかっている遺体はこれがすべてです。ご家族と思われる特徴のある方がいれば何体でもいいので番号を控えて教えてください。』を美しい顔では「今日までに見つかっている遺体はこれがすべてです。お母さんと思われる特徴の番号があればみんなここに。あとで実際に目で確認いただきますから」
 
④遺体の『毛布の端や、納体袋のチャックからねじれたいくつかの手足が突き出している』を、美しい顔では「毛布の隅や納体袋のチャックから、ねじれたいくつかの手足が突き出していた」   

⑤遺体の『死亡者リストに記載されている特徴にはかなり違いがあった。すでに名前や住所まで明かになっているものもあれば、波の勢いにもまれて傷んでいるために「年齢二十歳~四十歳」「性別不明」「衣服なし」としか情報が載っていないものもある』を、美しい顔では「壁の遺体リストに記載されている特徴にはかなりの違いがあった。すでに身元が特定され、住所や勤め先の会社名まで記してある番号もあれば〈性別不明〉〈所持品・衣服なし〉としか情報が載っていないものもある。〈年齢三十歳~六十歳〉とものすごい幅のあるものもある」

⑥3・11慟哭の記録の『なぜ警察も自衛隊も助けに来てくれないのか。日本はどうなってしまったんだろうとおもいました。』を、美しい顔では「なぜ警察も自衛隊も助けに来てくれない。日本はどうなってしまったんだ」

 この①②③④⑤⑥からすれば、明かな剽窃である。小説とは、作者が自由な方法とスタイルで、人間や社会を描く様式。フィクションは散文で作成された虚構の物語として定義される。(wikipediaより)
 だとすれば、小説家は自分の文章、語句、言葉で語るべきである。他人の書物を参考にしても、十分に消化し、自分の言葉とすべきであり、北条は軽薄にも脱線し、剽窃におよんでいる。そのことを本人も、講談社も素直に認めればいい話し。それができない。
 さて、ここまでくると芥川賞の選考委員は、単に彼女の作品を落選させただけでは事がすまない。候補にした総括、そもそも小説とは何か、彼女の犯した行為は何が問題か、再発防止はどうするのか、を個別論と普遍的な全体論とを語る絶好のチャンスであり、またそうすべきだと私は思う。今の騒ぎを解決する指針を投げかけるべき。これをせず、単に芥川賞を選ぶだけの選考委員であれば、まさに失格ではないだろうか。お手並み拝見としよう。明日の夕方には判明する。
 
 選考委員は小川洋子、奥泉光、川上弘美、島田雅彦、高樹のぶ子、堀江敏幸、宮本輝、山田詠美、吉田修一の九人。論客の村上龍が今回から抜けて、果たして、日本を代表するコメントを出せる力量があるか、はなはだ不安である。私の仮説では、「選考委員はこういった文芸問題には対処する力量が乏しく、剽窃の批判声明は出ない。彼らに替わり、週刊紙が大いに活躍するのでは」。小説家ではない週刊紙の記者、ルポライターが、経験豊かな知見をベースに、批判記事を積極的に掲載するだろう。
 日大アメフト部問題での大学トップのごとく、実際は力量のない、過去に運よく賞を得た選考委員の皆さんではないか。もっと根は深く、日本のいわゆる一流作家は、時代の先陣を切れないどころか、自分たちに関係する問題さえ解決できないのではないか、まさにことなかれの小心者。ますますインテリ、学者のスケールが小さくなってきている事例にならなければいいが。

 一日が過ぎ、芥川賞の発表の日を迎えた。美しい顔は勿論落選した。島田選考委員は「法的には盗用に当たらないとの意見で一致したが、自分なりのフィクションに昇華する努力が足りなかったのでないかとの意見もでた」と会見した。待てよ。法的にも、文学的にも問題があるのではないか。単なる努力不足というよりは、文学的には犯罪であり、文学を志す人は、このようなことがないようにと警鐘を鳴らすべき。これでは、盗作を上手くやれ、そうすれば芥川賞も取れるんだと、上手な剽窃を推奨しているようなもの。肌寒い。出版会社の講談社らに迎合し、忖度する選考委員の力量の不足こそ問題ではあるまいか。正義は次々に消えていく。週刊紙の反撃を期待する。
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随筆  ラン仲間が増えた   文科系

2018年11月27日 20時44分15秒 | スポーツ
行きつけの市営ジム、早春のある日。一番遠くのランニングマシンに彼の姿を見た時は、ちょっと目を見張った。
「彼が、走っている。あの、彼が?」
 スピードは遅く、速歩き速度程度だが、ゆったりとして結構大きく確実な一歩一歩は、はっきりと立派なランナーの足取りだ。〈あれほど、とうてい無理とか、死んでしまうとまで言っていたのに……〉。

 彼と初めて会話する気になったのは、二か月ほど前のことだったろうか。七十台半ばと見えた小柄ながら中肉で血色の良い彼は、いつも確実に三十分ほどをマシンで歩いて帰られるお人だ。〈こういう人ならば、絶対に走れるようになるよなー〉というわけで、僕が試行錯誤してきた「走れるようになるノウハウ」を初めて他人に話す気になった。自分が良かったと思う知識は、どんなことでも他人に教えたくなってしまう。僕はどうも教え魔の血を具えているらしい。こんなノウハウなのだが、とにかく懸命に話してしまった。
 ①先ず十五分歩き続けられるできるだけ速いスピードを見つけ、その時間を延ばしていく。
 ②やっと三十分早歩きできる速度が見つかったら、その後半の方にこれより遅い走りを入れてみる。この走りを五分、十分と延ばしていく。
 ③三十分の後半十五分がこんな走りに換わったら、最初の歩き十五分を含めて一時間を目指す。疲れたらまた歩いても良いから一時間ということだ。
 ④以上と同時に、ストレッチと脚筋補強運動とが必要である。前者は、走った後に脚の表裏や腰の筋肉などを必ず伸ばすこと。後者は、スクワットと片足つま先立ちなどのことである。

 この内容を話し終わったとき、こんな会話になった。
「とても無理ですよ。ちょっと走っただけで、心臓がぶわーっと死んでしまうようになる」
「スピードが速すぎるからですよ。歩くスピードよりも一キロ時ほど遅くても、走りは走りです。マシンにはスピードも心拍数も、メーターが付いてますからそれを使って……」
「そんなに遅く走って、意味あるんですか?」
「あります。それで三十分も走れるようになれば、続けているうちに自然に、だんだん速くなっていきますから」
「そんな簡単なわけないじゃないですか。何回かやってはみたんですが、とても無理です。この歳ですし」
 こんな風に終わったその日の会話は、わずか五分。ただ、その十日ほど後には、歩くスピードがかなり速くなっていた。以来今日初めてお会いしたことになる。この真冬に近い季節に空色の短パンと白い半袖で大きめの一歩一歩をゆったりと進む姿は、何かベテラン・ランナーのウオーム・アップ・ランにも見えたものだ。そんなランが十分も続いたろうか。走り終わるのを待つようにして、彼に歩み寄り、語りかけた。
「立派に走ってましたねー。素晴らしいです」
「いやこっちこそ、すごいノウハウですよ。この歳でまた走れるなんて、とにかく驚いています!」と始めて、こんな話をしてくださった。糖尿病があってずっと走りたかったが、何度か挑戦して諦めた歴史があること。だからせめてと、懸命に歩いてきたこと。それで体重が減ってきただけに、ずっとランに憧れてきたことなどである。「頑張って歩いてきて、体重も適正だから、すぐにこれだけ出来たんですよ」と僕。「いやいや、このノウハウがいいんですよ」。「今の速度で走っている内にだんだん心拍数が下がって来ますから、十も下がったら今度は、前の心拍数まで速度を上げればよいんです。お見受けしたところ八キロ時までは保証しても良い」。「普通の歩きの二倍速ですねー。ますます夢みたいだ」。そう語った彼を、僕はますます気に入ってしまった。
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随筆紹介 老いの一日   文科系

2018年11月26日 10時05分32秒 | 文芸作品
 老いの一日  H・Tさんの作品です

「ここは、何という町ですか」
「──町ですが?……」
「老人ホームの友人を訪ねて来たんですが、バスを乗り違えまして……」
「ホームの名前は?」、一か月ほど前に来たのに思い出せない。
「なんとか堀川と言うんですが、うっかりメモを忘れて……」
「堀川という地名はこの辺にはありません」
 そして、そばに居る人とひそひそと話す。
「おばさん、どこから来ましたか」
「名東区からです」
「どうやってここまで……」
「地下鉄を栄で乗り換えて来ました」
 乗り換えた地下鉄をうっかり乗り過ごしそうになり、急いで降り、あわてて行く先を確かめないでバスに乗り、間違いに気づいて、このショッピングセンターで尋ねた事を言った。
「家族は今家におられますか」
「家の電話番号は」
「ホームのお友達の名前は分かりますか」
 次々と聞かれる。私はこの町の名前と、老人ホームを聞いただけなのに……。買い物に来た人も立ち止まってじろじろ私を見ている。
 少し離れた所では、三、四人の店の人が小声で何か話している。“交番”、“区役所の方が”と聞こえてくる。野菜売り場ではトマトを手にした買い物客がこちらを見ている。昼近しで魚を焼くにおいがしている。
「おばさん、子供は何人いるの」
「子供と連絡はとれないか」
 私の年齢まで聞かれ、汗をふきふき答えていたが、ふと徘徊老人と思われているのではないかと気付いた。
 あわてた私は、うろたえて、
「ありがとうございました。もう一度地下鉄の駅までもどって、出直してみます。ごめいわくかけました」と言って頭を下げた。バス停まで店の人が送って下さった。

 約束の時間に遅れた私を待っていた友達の顔を見て、ほっとした。これから老いの深まりとともに、思いがけないことがあると思うが、しっかりしなければと教えられた真夏の一日であった。


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随筆  『続 俺の「自転車」』    文科系 

2018年11月24日 08時28分47秒 | スポーツ
 続 俺の「自転車」ーー良い身体の作り方

 自転車という乗り物が、あるいはサイクルツーリングというスポーツが、人の体力や体形を作ったり、維持したりするのにどれだけ優れた乗り物であるか。七七歳のいま過去を振り返って、つくづくとそう思う。その理屈を述べると、こういうことになろうか。

・人の活動年齢の長短は、その心肺機能、つまり有酸素運動能力によって最も大きく左右され、この能力は下半身の運動、強さによって強化、維持されていく。「脚は突き出た心臓だ」とよく言われるのは、そういう意味である。
・心肺機能は、その七割ほどの強度の運動を長時間持続することによって鍛えられるものだが、自分なりの高速で自転車を転がし続ける時が、ちょうどその心拍数に当たる。
・こうした有酸素運動能力が高い人はその細胞全般が若いものだが、必須条件が一つ、活性酸素対策が必要になる。有酸素運動によって空気から同時に大量に吸収してしまう活性酸素が、細胞老化物質なのだ。ポリフェノールが身体に良いというのは、これが活性酸素を中和してくれるからである。「アスリートは特に、活性酸素対策をしないと早死にする」と医者がよく語るのは、そういう意味である。

「日常生活において、三十分以内の距離なら自転車で!」
 こんな習慣があれば、いろんな知識を得つつよく考えられているということがないジム通いや下手な化粧品遣いよりも遙かに良い身体、皮膚が出来るものだ。ちなみに、有酸素運動が苦手なアスリートは、どれだけ身体を鍛えていても早晩デブになるだけである。プロテインなども飲みつつ筋肉をいくら付けても、その上に覆い被さって来る脂肪を取る力がないからである。それは、同じジムのウエートトレーニングだけをやってきた人々を長年見続けて来て、分かったこと。やっと10回までは出来る強度の強いウエートトレーニングを身体各部に適宜施しつつ、かつまた一時間程度は走ることができる人が、最も若くて良い身体や皮膚を持っているものだ。これらすべて、人の身体作りは科学に基づくべきものということだろう。
 顔の皮膚の若々しい張りでさえ、どんな化粧品なども問題外の力で筋肉と血流の強さが保ってくれるということを、どれだけの人が知っているのだろう。顔などの皺が増えてくる、その皮膚が白っぽくなるなどもみな、筋肉、血流の衰えによるものである。

 因みに僕は身長169センチ、体重58キロ、体脂肪率13%内外と、ほぼ「生涯一体型」であり、礼服も30歳に作った「生涯一着」で済んで来た。その最も大きい原因を77歳の今色々考えてみて、若い頃身につけた運動習慣と、中でも特に自転車の習慣に、思い当たるのである。40代の10年ほどは、片道9キロの通勤を自転車でやっていた。これが特に大きい。
 多少息づかいが荒い程度で、出来るだけ30分以上は乗るというのが、効果が高いやり方である。
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「よたよたランナーの手記」(236)1時間9・4キロまで来た  文科系

2018年11月23日 09時20分41秒 | スポーツ
 前回にこう書いた。
『以前なら1時間9キロ走って200メートルほどはすぐに延びたのに、今は9キロ越えてからの前進に四苦八苦している。つまり、1時間10キロが大変難しいと感じるようになった。そこを何とか、弱点の右脚、その太ももや脹ら脛を鍛錬したり、フォームを整えたり・・・・まだまだ改善の余地、方法はあるだろう。階段往復訓練もあるし、サイクリング鍛錬もできる』

 というように、外走り、階段往復、サイクリングなどを少しずつ取り入れたら、昨日22日にはジム・マシン30分×2回が9・4キロになった。今年2月7日と同じ距離で、これ以上となると16年5月27日の9・5キロしかない。前立腺癌陽子線治療前の記録ということだ。ウオームアップ緩走含みの前半が4・6で、後半が4・8とあって、以前よりも前半が遅くなったが、後半は前よりも速いという地点まで来ている。色々トレーニングの工夫に励んだ分、スタミナが増したのかも知れない。

 ちょっと楽しみが増えた感じだが、無理はしないようにしよう。と言っても、昨日の後半にエプソンのランニングウオッチが弾きだした平均心拍数が、ジャスト150。77歳の身体としては、今の外走りでは出ないような「マシン・ランに走らされた数字」という感じでもあって、相当無理をしていると心配になった。ちなみに、僕の最大持続心拍数は155ほどと見ているからである。気をつけよう。でもまー、階段往復とか、ちょっとした自転車激走とかのいろんなトレーニングなら毎日出来るし、悠々とLSD的運動を繰り広げて、例えば時速10キロという同一速度での心拍数が次第にさがってくるのを、ゆったりと待つさ。最高度の心拍数トレーニングは要注意としてきたから。
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米、対韓国で「問答無用!」  文科系

2018年11月23日 08時38分50秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 22日朝刊に、興味深い記事が載っていた。7面の左最上段から縦に長い記事で、「米、対北融和にクギ」「作業部会 韓国に協調要請」と見出されている。20日に開かれた北朝鮮問題に関する米韓作業部会の第一回会合の報告ニュースである。ここで米国務省の北朝鮮担当特別代表の言葉を、ちょっとご紹介すると、

『われわれは二頭馬車のように共に前進していく』は会の目的を表す言葉としてまだ分かるというもの。ところが、この詳細に入るとこんな言葉が出て来たということ。
『米韓が互いの行動を把握しなかったり、双方の考えを意見し合うことがないようにするためのものだ』
『北朝鮮の非核化が、南北の関係強化に後れをとることがあってはならない。南北の協力と非核化は並行して進めることが重要だ』

 どうだろう、僕が引っかかったところがここである。『双方の考えを意見し合うことがないようにする』?? 優しい言い方だが、この内容はきつい。「問答無用。大筋については我々が言った通りにやれ!」。そう堂々と公表しているに等しく、相手に対するリスペクトという意味でそもそも無神経な表現だ。この場合の英語をどう使ったかは知らぬが「意見し合うことがないように」とは、「大筋決めてあるから、外れは許さぬ」、さらには「我々は意見を言うが、お前らは言うな」に等しい? しかもさらに、「今まではお前ら、踏み外すことがあったぞ!」という情勢認識、警告も含まれているはずである。わざわざ念を押すというのはそういうことになろう。

 しかもこの話題が38度線を挟んだ南北朝鮮問題であってみれば、親子、兄弟、親類縁者が敵味方として対峙するもの。血縁を大事にする朝鮮民族にとっては極めて重大問題という、そんな配慮も全くなさそうだ。そういう血縁の戦争を納めるというのに、何の前提がいるのか。そんなことで、「俺らの許可が要る」と叫んでいるアメリカは、どうかしている。

 こんな高飛車な言葉遣いで外交やってちゃ嫌われるだけではなく、必然の離反国には「制裁だー!」とかなんとか、暴力的に対していくと・・・トランプの今はさらにこんなことばかりになってしまった。

 南シナ海問題でも、イスラムのインドネシア、マレーシアだけでなく、フィリピンやベトナムも「当事国間で話を付けます」というように、中国に各個撃破・懐柔されていくわけである。南シナ海問題にだけは、自分らが度々否定してやまない国際司法裁判所の判決を持ち出してくるというご都合主義にも、ただ呆れる。冷戦末期前後からのアメリカは、ここの判決をどれだけ踏みにじってきたことか、胸に手を当てて考えてみよ!

「多国間主義を基本否定し、その良い所取りだけはする自分勝手なつまみ食い国」である。強いモノ勝ちの暴力的世界にしようとしているという自覚が全く感じられない。
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書評「習近平と米中衝突」② 、アメリカの姿勢   文科系

2018年11月22日 08時50分38秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
 昨日も触れた『習近平と米中衝突 「中華帝国」2021年の野望』(NHK出版新書、近藤大介著)の最終章を要約してみたい。章題は、「冷戦—米中衝突はどこへ向かうか」。この章は、この著作としては珍しく、著者の感覚に属するような断定的表現、命題は極力減らしていて、事実や人の言葉をありのままに伝えていると読める。
 要約の仕方だが、今回言わば喧嘩売ったアメリカ側の言葉などを中心にこの章から拾っていくというやり方を採る。

『そもそも中国が世界第2位の経済大国になたのは、アメリカの投資によるところが大きい。それなのに中国共産党は、関税、割り当て、為替操作、強制的な技術移転、知的財産の窃盗などを行ってきた。中国の安全保障機関も、アメリカの最先端技術の窃盗の黒幕となり、大規模な軍事転用を図ってきた。・・・
 最悪なことに、中国は(トランプ大統領とは)別の大統領を望んでいるのだ。アメリカの民主主義に干渉していることは間違いないのだ。・・・しかし我々の大統領が屈することはない。アメリカ軍はインド太平洋の全域で、アメリカの国益を追求していく。中国の知的財産の窃盗行為が終わる日まで、行動を取り続けていく』
(ペンス副大統領)

『私は以前、中国人とは話せばわかる、中国は発展すれば民主化すると信じて、多くの協力をしてあげた。だが今世紀に入ったある時点から、中国人とは話しても理解し合えないし、中国は民主化しないと悟った。それどころか、中国はアメリカを超えて世界の覇権を握る野望を抱いていて、いま叩かないと大変なことになると確信するようになった
(ペンスが上の演説をした保守系シンクタンクの長。トランプ政権に強い影響力を持っている)
 
 著者は次に、アメリカの国防予算2019年度分(18年10月~19年9月)が7,160億ドルになったと伝えつつ、国防省がこの10月5日に出したレポート「アメリカの製造業と防衛産業基盤、サプライチェーンの弾力性に関する評価と強化」を、こう要約する。
このレポートは一言で言えば「このままではアメリカは中国にやられてしまう」という危機感から作成されたものだった。
 例えば、日本や韓国を含むアメリカのアジアにおける同盟国もしくは準同盟国の8カ国・地域が、どれだけ貿易面で中国に依存し、逆に中国が当該国にどれだけ依存しているかが示されている。そしてアジアにおけるアメリカの同盟地域でさえ、既に中国に相当程度「侵食」されているため、早急に手を打たねば手遅れになると警鐘を鳴らしているのだ

 要約テーマの最後として、最新の日米首脳会談の著者による一種の報告で締めよう。
『こうした中、安倍首相が10月25日から27日まで、日中平和友好条約発効40周年を記念して中国を訪問すると発表されたが、7年ぶりの日本の首相の中国訪問となったものの、華々しい成果はもともと期待薄だった。日中関係を担当する日本政府関係者が明かす。
「安倍首相は訪中に先がけて、9月23日にニューヨークのトランプタワーを2年ぶりに訪れ、トランプ大統領と夕食を共にした。その際、トランプ大統領から、『早ければ来年にも、中国と戦争になるかもしれないのだから、経済協力などは慎んでほしい』と釘を刺された。同盟国のアメリカに背中を引っ張られた格好となり、その時点で派手に日中友好を打ち出せなくなったのだ』


 と言ってもさてこの書発刊の後、米中間選挙では下院過半数が逆転して、この大統領について去年からずっと話題に上がってくる大統領弾劾決議も出せるようになった。度重なる重要閣僚辞任などにも示されてきたように、政権内部ですらがトランプの言動をもてあましてきた政権でもある。国連を通じた世界の多国間主義、つまり世界の民主主義を否定したという意味では、アメリカ民主主義が機能していないという世界にとって深刻過ぎる問題が横たわっている。


(③に続く)


 昨日のアクセスが、ここまで毎日の4分の1か3分の1ほどへと一挙に減っている。この数年無かった数字へと急に少なくなったのは、誰かが手を入れたからと思う以外には無い。文科省記事がどこかの気に障ったのだろう?
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文科省「汚職」事件へのある論考    文科系

2018年11月21日 15時35分23秒 | 国内政治・経済・社会問題
 文科省が、次官二代続き辞任などで世を大騒ぎさせて来た。その新聞を見る限り辛うじて汚職に引っかかるのかも知れないが、よく読むとある重大な危惧を抱かざるを得なかった。

 先ず「汚職」金額の問題が目に付いた。次官が「62,000円超」で、初等中等教育局長に至っては「2万円」という飲食・タクシー代とあり、いずれも辞任に追い込まれている。これ以上に疑問なのが、これらのニュースソース(垂れ込み元)と思われる谷口というコンサルタントにこの金を使わせた会食場面のことだ。政治家の名で招待されたから、「政治家は利害関係者には該当しない」という認識で出席したと、この次官らが語っている。
 さらに新聞記事などをよく読むと、もう一つ、僕には不思議な点があった。上の二人以上の金額、11万5000円を汚職したという高等教育局長は辞任せず、こんな談話を語っていると報道されていた。
『現在手掛ける大学改革などの政策を挙げ「しっかり推進する事で責任を取りたい」と語った』(22日中日新聞)
 辞任させられた初等中等教育局長と同格で、汚職金額も彼よりずっと多いこの高等教育局長は、何故「大学改革の推進」を許されたのだろうか。

 どうだろう、これほど大騒ぎになる問題だろうか? 政治家の名による招待に応じたという意味で汚職か否かの境界判定が難しい問題とも思われるのだが、どうなのだろうか。これも新聞をよく読むと分かるのだが、彼らは、収賄罪で既に起訴されたある同僚人物に支払いを申し出て、「会費、支払いは不要」と応えられてもいる。重ねて言うが、金額が最も多かった高等教育局長(辞任した初等中等教育局長と同格のはずだ)が辞任せず「大学改革をしっかり推進」と語っている点も、以下に見るように大変気になったものだ。実際の罪よりも、例えば、彼らの思想傾向、日常の姿勢が前川喜平氏に近かったか否かなどということで今回の断罪が成されたのでなければよいのだが。内閣人事局を作って行われ始めた官僚に対する政治優位がこんな形で運用され始めたとしたら、この日本の近い将来は真っ暗闇である。

 ちなみに、財務省・佐川氏の当初の昇進は、「こんな形で運用され始めた」ことの明白な証拠の一つと思われる。そして、今回の文科省処分はこれとは正反対、信賞必罰を嘲笑うがごとき事十二分と、そんな事も訝っていたものだ。

 さて、安倍長期政権によって文部行政がどんどん歪められ始めるのではないか。ちなみに、前川前次官辞任とそれ以降判明してきた出来事とからも同じことを感じていた。文科省が「忖度・財務省」などとは違って、文科次官を筆頭にモリカケ問題で内閣に抵抗していたと。そして、前川氏をやり玉に彼らに対して、内閣が報復的な行動に出ていたことも明らかだった、と。

 以上について、状況証拠をもう一つ挙げてみよう。安倍政権は、歴史修正主義の名が冠されてきたことに示されるように、近現代日本史の書き替えに熱意を燃やし続けてきた。そしてこのことが、文部行政と数々の確執を起こしてきた。さらには、近年の大学など高等教育においては、「軍事研究の是非」を巡る政権と現場との確執も大詰めを迎えているやの感があった。

 「文科行政」の長い歴史には、こういう教訓がある。古くは焚書坑儒、新しいものなら美濃部達吉事件や滝川事件のように、政権が右傾化するときには特に必ず、教育、学問の府と確執を起こしてきたのである。

 今回の文科省辞任問題がそういうものでなければよいのだがと、大変な危惧を抱いている。
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書評 「習近平と米中衝突」①、 その「舞台裏」一端   文科系

2018年11月21日 09時02分26秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 書評 「習近平と米中衝突」 その「舞台裏」の一端


 米中衝突について、日本では米側の情報、言葉しか入ってこない。この衝突舞台が米側情報だけで描かれているということだ。この衝突の実態を「中国からも描いた」格好の本がこの11月10日付で出た。NHK出版新書『習近平と米中衝突 「中華帝国」2021年の野望』(近藤大介・「現代ビジネス」コラムニスト、明治大学講師)である。「中国側からも・・」と括弧を付けた理由は、「中国の内幕」を描いて既に手垢が付いたような憶測断定表現、命題が多すぎるから。つまり、学術的な本とは言えないということだ。が、中国側の言葉がとても多く納めてあって、それが読めるという点で時宜を得た、貴重な書といえる。流石に、元講談社北京副社長という肩書きを持っているだけのことはあると思いながら読んだ。その中のたった一節を今日は紹介してみよう。
 以下は、中国中央銀行総裁に当たる、中国人民銀行行長・易鋼氏がこの4月11日に米中経済衝突について中国側の見方と今後の関連方針を発表した後の、記者団との質疑応答を一連の言葉として、近藤氏がまとめた内容である。

『 「世界ナンバー1とナンバー2の経済大国として、中米間の貿易不均衡問題は、比較的複雑だ。第一に、構造的な問題で、多角的な視点が必要だ。中国はアジアの産業チェーンの末端に位置しており、日本や韓国、台湾から部品を輸入して、中国で完成させた後、アメリカに製品を輸出している。そのためこの問題は、アジア全体を巻き込むことになる。
 第二に、マクロ的問題だ。現在、アメリカの財政赤字は拡大していて、財政赤字が増えるほど、アメリカ社会の格差も広がっていく。そのため、アメリカの貿易格差の問題は、なかなか解決が難しいものなのだ。
 第三に、貿易を見る際には、モノの貿易だけでなく、サービス貿易も見なければならない。中米のサービス貿易における中国側の赤字は急増していて、昨年の赤字額は380億ドルを超えた。そのため、モノとサービスの貿易を合わせると、両国の貿易関係はトントンに近い。
 最後に、アメリカの多国籍企業は中国で多くの製品を売っていて、その利潤は莫大で、これらも考慮すべきだ』(135ページ)

 どうだろう。例えば第二の主張点などは、アメリカの困難への当てこすりに聞こえるし、第一、三の点に関しては「日本も大丈夫かい? ちゃんと自己主張しろよな!」と語っているようにも聞こえる。そして、全体としてのトランプの新貿易政策は、アメリカの強み、良いところはそのままで弱点は帳消しと、それもWTOなど国際慣行を全く無視したやり方と、そういうことなのである。そもそも日本のマスコミがトランプのそんな新施策にほとんど批判も付けずそのまま報道する姿勢こそおかしいと僕も思ってきたからこそ、この報告内容に快哉というわけだ。

 今のアメリカはもう自由主義や民主主義の国ではなくなっているというそこは問わず、中国の不自由や非民主主義だけを問題にしているわけである。従来の国際慣行から言ったら、こんな突然の保護主義への転換自身が大変な暴力的身勝手なのに。
 なお、アメリカはもう民主主義の国ではない。最近の大統領選挙にかかる無制限のような政治資金が、ごく一部の大金持ちの国家になったということを示している。


(②に続く) 
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ネトウヨ諸君の戦争観、9条観  文科系

2018年11月19日 11時24分45秒 | 国内政治・経済・社会問題
 この文章は、16,17年と二度にわたってここに書いたもの。最近読まれた方が何人かいるらしく、かつ大事な内容でもあるだけに、ここに再掲します。ネトウヨ諸君の国家防衛論議の背後に無意識に存在していて、その大前提となっている一種の「理論」なのです。


 このブログ10年で多くのネット右翼諸氏と討論し合ってきた。ここの「9条バトル」という名前を見て反論を述べてやろうということで訪れてくる人がとても多いのである。こういう論議からいつしか、こんなことが僕の中で整理されてきた。彼我の「9条を巡る決定的な(世界観的な)分かれ道」が何かあるようだが、それは何かと。このことにつき彼らに対するある仮説がこの10年で浮かび上がってきて、その大詰めのような議論が2015年8月末に延々と続けられた。

2015年8月25日エントリー「ネットウヨク諸氏の大前提」から、30日「またまた、反米保守さんへ」まで。その間にさらに26、28日、29日と3本のエントリーが続き、無意味・有意味玉石混淆で、それぞれこれだけのコメントが付いた「大激論?」であった。25日25本、26日25本、28日16本、29日7本、そして30日13本である。だんだんコメント数が少なくなって来たのは、右の方々が考えた事もないこちらの言い分がやっと分かり始めてくるにつれて、次第に返事が出来なくなってきたのだと僕は理解した。ただ、こんなことも言えるはずだ。これだけ応答が持続したということは、それなりに会話が成り立っていたということ。良くあるように、双方が「紋切り型の反論」を語り続けただけなら平行線ですぐに終わり、こんなにコメント応酬が続く訳がない。右の方々にもそれなりの興味が持続したということだろう。この点はいつもながら良かったと思っている。

 この議論の最初と最後、二つのエントリーにまとめた彼らの特徴(の抜粋)を改めてここに皆さんにエントリーとしてお示ししたい。よろしくお願いいたします。

【 ①ネトウヨ諸君は、戦争違法化ということを不可能としか考えた事がない。20世紀二つの総力戦への反省などこの流れの歴史にもほとんど無知である。一定知っている人でも、戦争を無くすなどというのは一時の思いつきないしは幻想だと考えている人がほとんどだろう。
②戦争違法化など幻想であるという考え方というか感じ方の背景、理由に、社会ダーウィニズム風のこういう「思想」が存在する。戦争、人間の争いというものを「永遠の現実」と認識するということだ。ただしこういう「思想」の内実は、①のようなその反対物を知らない人が多く、これを考えた事がない人がほとんどだから、みずからの社会ダーウィニズム風「思想」にも無自覚である場合がほとんどである。そして、こういう無自覚な「観念」は感性的なものでもあって、きちんとした言葉になっていないから討論にもならない。
③この二つが大前提として存在するどんな考え方、政治論も、その出発点はこういうことにしかならない。
「戦争は永遠の現実で、攻めてくる国は必ずある。それに備えることが国家外交の最大問題だ」


 この戦争対策の問題はそれどころか、国家の全てになってしまう場合も多い。彼らの「憲法守って国滅ぶ」という揶揄はそういうことだ。ヒトラー、東條の軍国主義もそんな例と言える。「テロとの戦争」も、国家存亡がかかってしまうように理解する人々には軍国主義にしかならないだろう。911以降の米国は軍国主義者が急増した時代、国と言えるはずだ。

 こう整理した時に僕の場合、彼らの言い分がすっきり理解できるようになった。この3点に触れない彼らへのどんな議論、反論も、空回りに終わるはずだとも。「無意識あるいは無理解な大前提」って、おそろしく怖いもんだということだろう。

 なお社会ダーウィニズムとは、動物進化の理論を人間社会(論)にも当てはめたものである。進化論とは又、環境によく適応した動物は身体をもそのように変えていくこと、そういう身体変化史として動物進化があるということ、というような適者生存の理論とも言えよう。
 この社会ダーウィニズムで最も有名な日本人が、明治の東大総長・加藤弘之。著書には「人権新説」があるこの人、日本が進化的強者である欧米(白人)列強に対していくことができる道というものを必死に考え抜いた。ダーウィニズムに出会ってここから捻り出したその道が「天皇中心の強力国家」というものだった。これでもってこそ、日本国が弱肉強食的世界に進化、適応していけると。


 アジア太平洋戦争敗戦は、こういう思想の敗戦でもあった。 】


【  反米保守さんのコメントはダブり投稿が三回もあったが、結局このことしか語っていない。
 社会ダーウィニズムは誤っていると、文科系が言って、次に②即、文科系が正しいと文科系が語っているに過ぎないと。まず、彼の最新のコメント全てから、僕への反論文言をあげておこう。
『1、反米保守の理論は社会的ダーウィニズムだ。2、社会的ダーウィニズムは間違っている。3、だから(??)私(文科系)が正しい――なぜそうなるのか。』
『今現在戦争をなくせていないのに、50年後には人類全員の不断の努力でなくせているなんていうのは問題を未来に先送りしているだけの現実逃避でしかない』
『 またぞろ「もう相手にしない!」と泣き言が入る頃だと思うので、先に書いておきますが、・・・・・・なにかといえば「俗論だ!」「社会的ダーウィニズムだ!」で話は済むと考えておられるようですから』

① さて、貴方が最初に痴話げんかと国の戦争は同じと書いたから、これは社会ダーウィニズムの一種だと僕が書くことになって、これは誤りだと述べたのである。そのときまで貴方は、社会ダーウィニズムがなんたるかなど、一度も書いていなかった。きっとご自分が言ったことが社会ダーウィニズムになるということなど、とっくにお忘れになったのだろう。便利な記憶というしかない。
②今回あなたは社会ダーウィニズムが誤りだと、初めて書いてきた。その事から即「僕が正しい」と僕が語ったと貴方が語っているが、僕はそんな単純なことを語ったのではない。その間に僕は、こういう論理を展開してきた。
③まず最初にこれを述べた。例えば痴話げんかと国の戦争が同じ(本質の)ものならば、戦争はなくなるはずがないということになるだろうねと、指摘した。社会ダーウィニズムとは、動物の争いと人間の国の戦争とを同一視するものだからである。これが可能ならば、戦争は永久に無くならないが、これが可能でないと述べた訳なのだ。
④次に、社会ダーウィニズムが誤りと退けられたら、もう貴方と僕はいずれもただの未来論同士であると僕が言ったよね。そうなると、いずれもこれまでの世界史の流れの知識を総動員して、どちらが正しいかを競い合うしかないはずだと、そう僕は語ったよね。

⑤その上で僕はこう言った。19世紀までと違って20世紀には、歴史上初めて国際(平和)組織が出来て、そこで人類史上初めて世界的な戦争違法化が話し合われた。そこから、国連警察軍も出来た、と。もちろん、アメリカ、中国のように新たにこれに反する流れも生まれているがその上でなお上のことを以下のように展開したいと、僕は言ってきたよね。
(中略)
 その上で僕はこう述べてきた。
⑥世界の人々は、もし戦争が無くせるものならば無くしたいと、先ずほとんどの人が思っているはずであると。それらの人々と僕は、上のような歴史の流れを語りあいたいのである。これへの反論は今まで、(無意識のそれも含めた)社会ダーウィニズム以外に僕は出会ったことがないということも付け加えてのことだ。

 こういう僕の①~⑥がずっと示されているのに、貴方がこれへの全面的反論を書いてきた事など皆無ではないか。あなたが反論した内容は当エントリー冒頭の文章だけ。こんな内容はもう聞き飽きたから、以上の全体への反論を僕は求めていると言ってきたのだが。 】

 この最後のエントリーには、この間ずっと最多言を費やされていたお相手からは、何の反論もなかった。

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ロナルド・ドーアさんが亡くなられた   文科系

2018年11月18日 09時27分44秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 ロナルド・ドーアさんが亡くなられた。93歳で、イタリアの古都ボローニャの病院にて。

 ここで何度も紹介してきた、現代世界マクロ経済の最大問題、金融暴力というものの告発に関わる大家であられた。英米経済の新たな動向を、1950年の東大留学以来追っかけて来た日本経済、文化と比較してこそ温められた問題意識と広い学識の人だったかと思う。ロンドン大学名誉教授、日本学士院客員。
 このブログを12年やってきた中でいろんな勉強をさせられた僕として、アメリカ人のチョムスキー、日本では進藤榮一らと並んで最も学べたお人であった。彼の本を読んで最も分かったことが、これ。株主資本主義というものが、今のアメリカの窮状で分かるようにいかに物作りを損なうかということだ。短期利益を求める金融は、社会全体を長い目で見た物作り戦略、経済体制を傷つける側面が大きいということだ。そしてこのことは何よりも、人に相応しい職業を増やせないことにつながる、とも。「金儲けは、悪なのか!」と、国連の金融改革などに反論して株主資本主義者らは息巻くが、世界の人々の職場を作り出せず、奪うばかりの経済体制ならば、それは悪だろうということだ。世界の庶民の自由(を損なう)という民主主義の名において、そうであろう。

 今の僕の一言としては、「ロナルド・ドーアさんには、何よりも、感謝」。

 当ブログ右上欄外の「検索」に彼の名前を入れて「このブログで」をクリックしていただけば、彼に関わる拙稿はほとんど読めるはずです。なお、彼の著作「金融が乗っ取る世界経済 21世紀の憂鬱」(中公新書 11年10月初版)の内容紹介を最近もこのように行っているから、お読み願えれば嬉しい。
10月29日 ある書評、斜陽米の本質(1)金融化を示す数値
30日 ある書評 斜陽米の本質(2)経済の金融化現象
31日 ある書評、斜陽米の本質(3)社会、政治、教育も「金融化」 
11月1日 ある書評 斜陽米の本質(4)金融改革と、その妨害
2日 ある書評 斜陽米の本質(5)この本の序文と「あとがき」
 これら全てへの入り方は、例えば、こうする。右欄外今月分カレンダーのすぐ下の「バックナンバー」と書かれた年月欄で、2018年10月をクリックする。すると、上の今月分カレンダーがその月のものに替わるので、その29日をクリックすると、エントリー本欄がその日(2018年10月29日)のエントリーだけに替わるから、お求めの上記(1)をお読み願える。よろしきお願いします。


 
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安倍はどう渉る、この世界史的分岐点?  文科系

2018年11月17日 05時31分38秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 トランプから、日本輸出品には凄い関税が突きつけられる。中国で日本企業が生産する対米輸出品も中国製と同じ関税。売れなくなる分をどうするか、安倍の正念場である。それで10月には1000人の財界人を連れて中国へ。例えば、180億ドルの商談がまとまったらしいが、今後もこの手しかないだろう。「ブロック・保護主義諸国」は外って置いて、「自由主義諸国」との取引を増やす。ただでさえ、対米輸出よりも対中輸出の方が遙かに多くなっているのだから、このお隣さんの発展と共に進むしかないと決めたようだ。事経済に関してはと今は保留を付けるべきかも知れないが、はて経済一体がそれだけで済まないということでは、世界史にいろんな教訓がある通りだ。

 ところが、この日中経済協力の道にもアメリカから難問が突きつけられる情勢になった。おおむね、こんな方針が押しつけられるということである。
「アメリカの新冷戦相手・中国と取引する国は同盟国ではないと覚悟せよ」
 こういう声がトランプ自身から安倍に、トランプタワーの夕食会で伝えられたとの情報まである。

『日中関係を担当する日本政府関係者が開かす。
「安倍首相は訪中に先がけて、9月23日にニューヨークのトランプタワーを2年ぶりに訪れ、トランプ大統領と夕食を共にした。その際、トランプ大統領から、『早ければ来年にも、中国と戦争になるかも知れないのだから、経済協力などは慎んでほしい』と釘を刺された・・・・」』(『「習近平と米中衝突 「中華帝国」2021年の野望』(近藤大介著、NHK出版新書248ページ。この本もいずれ近いうちに、ここで内容紹介をします))

 つまり、今のイランやロシアのように、「中国はアメリカの制裁国。制裁国と取引すれば、そこにも制裁を加える」という原則に持って行くようだ。ただ伝えられたとしたこの言葉、「来年にも、中国と戦争に・・」って、トランプの言葉は何と軽いことだろうと言うしかない。伝記本などで言われている通りに、彼はやはりアホである。この伝聞「日本政府関係者」の言が事実とすればの話だが。それでも、対中通商国にはアメリカから制裁とは、事実としてそうなっていく見通しにはかわりはなさそうである。


 さてともあれ、アメリカのこれらの経済・外交施策は言わばすべて暴力的な無理難題。その背景がまた、すでに自由主義を捨ててブロック経済に走った借金大国、赤貧のアメリカには、何のゆとりもなくなっているということだから、どうしようもない。日本が出来るとすれば、こんな道だろうか。
「物貿易で保護主義ならば、アメリカの金融商品・輸出を閉め出させて頂きます」 
烈火のごとく怒るだろうな。「そんな国とは、戦争だー!」とでも言うのだろうか。

 いずれにしても安倍は既に中国へ一歩を踏み出した。それも、彼の頭にはかってなかった第一歩を。来年の4月までに、天皇の訪中・謝罪が必ずあるだろう。はてその次は?

 これ以上不安定労働者ばかり増やして、少子化を余儀なくさせたらトランプの不安と同じ、選挙には勝てなくなる。こういうかってない現状を認めた上で、ちょっとばかり景気が良くなったと言っても、国家・日銀ぐるみで株が上がったというだけのこと。幻の時価総額! 孫子をも増やせぬ大部分の貧しい国民生活には何の関係もない。


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「よたよたランナーの手記」(235) 外走り再開で前進  文科系

2018年11月15日 10時23分38秒 | スポーツ
 前にも書いたが、この7日から5月以来の外走りも始めた。そして、7日には久々の外走りゆえに無意識にマシンの悪癖付きで走ってキロ7分半ほどだったものが、12日には7日に学んだその悪癖修正に留意した外走りはキロ平均6分台へと急上昇した。いつものように7キロほどを走ったわけだが、エプソンのランニングウヲッチが弾き出した数値である。

 その際、マシンランの癖を直すべく留意したことは、後ろ脚をなるべく早く蹴って前に持ってくること。つまり、左右脚の蹴りのリズムを一定に整えたということだ。すると、ピッチも160ほどと速めることになった。マシンの場合、このピッチは十キロ時のピッチ数に相当し、八キロ時なら150以下になっている。そして、この12日の留意点を踏まえて14日にはジムへ。すると、30分×2回が、9・2キロを優に超えた。前半のウオームアップ込みが4・45キロで、後半は4・81キロと出ていた。後半の走りの感じでは、時速10キロの30分が、やっと見えた思いだった。
 外走り再開を機に新調したランパードの靴も良かったのかもしれない。古い靴は、まだまだ履けるような概観でも結構底がすり減っていて脚に負担が来ていたとも感じた。

 それでも、やはり老いは大いに感じる。涼しくなったからと調子を上げようとしても、2年前の16年辺りに比べて向上の速度が随分遅くなった。以前なら1時間9キロ走って200メートルほどはすぐに伸びたのに、今は9キロ越えてからの前進に四苦八苦している。つまり、1時間10キロが大変難しいと感じるようになった。そこを何とか、弱点の右脚、その太ももや脹ら脛を鍛錬したり、フォームを整えたりしたら急に伸びることもありうると願いつつ励んでいるわけだ。

 まだまだ改善の余地、方法はあるだろう。階段往復訓練もあるし、サイクリング鍛錬もできる。1997年製作で既に21年のビンテージ物になったシマノデュラエース・オールセットのパナソニック・オーダー車もその出番をいつも待ち構えている。
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