九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

「お別れの電話」  文科系

2010年10月31日 19時13分19秒 | 文芸作品
 先日ある方から、一種変わったお別れの電話があった。同人誌の先輩男性、80歳に近いと思われるお人だ。長い電話内容の要約と、ここまでの経過などを書いてみる。

『今度ホスピスに入ることになりました。レントゲン技師という職業上、癌と分かっていたけど覚悟して外って置いた、まー消極的自殺ですね。痛みが我慢できなくなってちょっと前についに医者に行った。今度はとうとう、ホスピスですよ』

 ずっと共働きだったお連れあいさんを数年前になくされて、以降ずっと茫然自失。正直に言って、ご自分の服がどこにあるかもご存じなかった方というだけではなく、相当の亭主関白、頑固オヤジを自認されていた。そこから、子どもさんらにもひどく敬遠されていると苦笑・自嘲まじりに、よく語られていたものだ。ご自分のそれら一切を知りながら、開き直るようにして生きてこられた方と言っても良いだろう。博打好きなども含めると、無頼派の物書き、火宅の人とさえ言えるかも知れない。
 この先輩はこういうお方だが、僕は身近にいた者ではないから害は受けていないどころか、むしろさっぱりした面白いお人柄だと感じてきたものだ。こういうお方であれば、一人生活は色々と面倒で、さぞ疲れることでもあろうし、「消極的自殺」と告げられたのが分かるような気がした。
 どんどん年寄りに厳しくなるこんな時代、人の一生は同じようなものというのかどうか、残り人生がまだ長い方々は、色々考えて欲しいと、改めて思ったことだった。
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知多戦跡巡りの報告① 半田戦災犠牲者追悼記念碑と殉難学徒之像      まもる

2010年10月31日 12時35分31秒 | Weblog
                                        ★ 以前参加をお誘いした「知多戦跡巡り」を十月二十九日に行いました。
 今回の戦跡巡りは、東海放送人九条の会の企画に参加させていただいたという非常にラッキ ーな戦跡巡りでした。その様子を何回かに分けて報告します。
=================================

 幸い天候もよくなり曇りがちでしたが見学には絶好の日和となりました。
 碑や像のある半田市雁宿公園に集合したのは、昭和区九条の会七名、東海放送人九条の会四名、現地案内の半田空襲と戦争を記録する会の佐藤さん・榊原さんの計十三人でした。

 
 ☆半田戦災犠牲者追悼記念碑と殉難学徒之像                    これらは伊勢湾が遠望できる小高い丘の上にあって、両方とも花が手向けられていました。

A半田戦災犠牲者追悼平和記念碑 
 半田は中島飛行機製作所があり米軍の攻撃目標とされました。1945年七月二十四日午前十時半空襲が実行されました。曇りなので当時のレーダーに正確に映らず78機のB29が投下した2140発の250キロ爆弾が工場とその周りの集落に落され、一種の無差別攻撃となりました。
 此の時同時に多数の戦闘機による銃撃もあり犠牲者が増えました。
 犠牲となったのは工場に働く工員学徒、付近の集落、学徒女子寮の生徒など270人以上が犠牲となりました。終戦三週間前でした。
 碑は終戦50周年記念に市民の寄付で建立。なおここには、その他の戦争犠牲者を含め437名の名が刻まれています。

B殉難学徒之像 平和記念碑の隣には、終戦間際にここを襲い、中島工場などで働いていた多くの学徒97名を追悼するブロンズ女神像が1959年に遺族によって建立された。

 このほか、近くに建てられている地元の文学者小栗風葉の碑の説明などもあり、半田空襲と戦争を記録する会の佐藤さんの眼前に浮かぶよぅな詳しい説明に参加者全員時の経つのも忘れました。
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「検察裏金問題」の裏事実経過   文科系

2010年10月30日 11時20分04秒 | 国内政治・経済・社会問題

昨日の続きです。反論もあったので、それへのお応えの意味も込めて。同じ阿修羅掲示板から取りました。


田中龍作ジャーナル: 三井元検事 「検察は政権と取引をした」
投稿者 みちばたの蝶 日時 2010 年 10 月 30 日 
(前略)
 三井環・元大阪高検検事が28日、衆院議員会館で国会議員を前に衝撃の報告をした。「検察の裏金作り」の実態を明らかにする一方で「検察は自らの不祥事を不問にしてもらうために自民党政権と取引した。『小沢捜査』もその一環だった」とする内容だ。
 三井氏は2002年、“検察の裏金”を告発しようとしたところ、マンション購入をめぐる微罪で身内だった検察によって逮捕されたのである。別件逮捕の典型例だった。
 民主党議員で作る「取調べの全面可視化を実現する議連」(川内博史会長)が、タブーとなっている検察の暗部をヒアリングするために三井氏を招いた。三井氏は以下のように語った。(太字「 」内が三井氏の話)―

 「法務省には調査活動費という予算がある。情報提供者に対する謝礼だが、それが裏に回って飲食などに使われた。全国の地検、高検、最高検、法務省すべてで。金額は年間6億円」。
 「裏金の作り方は先ず架空の情報提供者をデッチあげる。1件につき3~5万円を支給したことにする。(裏金の年間使用額は)各地検が400万円、東京地検は3,000万円、大阪地検は2,000万円。架空の領収書は検察事務官が作る」。
 「裏金を使えるのは検事正、検事長、検事総長、法務省の事務次官、官房長、刑事局長。(裏金は)飲食、ゴルフなどに使う。年間30~40回もゴルフに行った検事正もいた。横浜地検の検事正だ」。
 週刊誌、ネットあるいは三井氏の講演で知りえた少数の人たちは“裏金”をご存知だろう。だが新聞・テレビが一切報道しないため、検察の裏金は“表向き”存在しないことになっている。政権と検察、そして記者クラブが一体となって事件を無きものにしたのである―

 「(02年)4月18日に告発スケジュールができた。連休明けに朝日新聞が一面トップで行き、民主党の菅幹事長(当時)が法務委員会で追及する。私は国会内で記者会見を開く。(事前収録として)4月22日に鳥越俊太郎さんの『スクープ』(テレビ朝日)が取材に来るはずだった。ところが(検察に情報が)抜けてしまった。私は『スクープ』のインタビューを受けることになっていたその朝、逮捕された」。
 “口封じだ”として『スクープ』はじめ週刊誌、月刊誌は騒然となった。記者クラブメディアの新聞・テレビは黙殺した。法務・検察にとって一大事である。最高幹部は懸命に火消しに走った―
 「原田検事総長、法務省事務次官、古田刑事局長が後藤田(正晴・元官房長官)事務所を訪ね『このままでは法務・検察が潰れてしまう』と泣きをいれた。」
 中曽根政権を支えカミソリと畏怖された後藤田元官房長官が動いたのだろう。官邸はモミ消しに加担する。
 「原田検事総長と森山法務大臣は記者会見を開き『検察に裏金問題というのは存在しない』と述べた。鈴木宗男議員や保坂展人議員が(国会の)法務委員会で追及したが、政府側の答弁は「裏金は存在しない」。国民に大ウソをつき続けたのである。政権交代しても政府の答弁は同じ」。
 「政権と取引きすれば裏金問題を事件にできない。小泉政権は検察に大きな貸しを作った」
 “貸し”は後の政権にも引き継がれた。“借り”のある検察は官邸の意向に従わざるを得なかった―
 「小沢(一郎)氏の政治資金規正法違反事件をめぐる捜査は法務・検察の考えではない。大久保秘書の逮捕・起訴(昨年3月)は麻生政権が検察を利用したものだ。選挙に影響を与えるような時期に強制捜査をしないのが検察の不文律だった(にも関わらず小沢氏の秘書を逮捕・起訴した)」。

 「私を(国会の)法務委員会に証人として呼んでほしい。すべてを明らかにする」。 三井氏は幾度も繰り返した。
 郵便不正事件で主任検事が物的証拠を改ざんするという前代未聞の不祥事を起こした検察。またもや政権に大きな貸しを作った。“仙谷官邸”がこの貸しを利用しないはずがない。
 今回の検察不祥事を仙谷官房長官が知ったのは検察審査会の議決前だった。検察審査会は有権者の中から選ばれたとは言え、議論では検察・法務の影響を色濃く受ける。審査会の議決は強制起訴。仙谷氏の政敵、小沢一郎はかくして屠られたのである。

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そこそこ必見番組のご紹介       ネット虫

2010年10月30日 11時07分39秒 | Weblog

★いつものように京都の菊池さん・福岡の坂井貴司さんから番組の紹介が有りました転載します。

  日本の、これから「どうする?無縁社会」

「新たな死」が増えている事態を直視し、何よりも大切な「いのち」が軽んじられている私たちの国、そして社会のあり方を問い直す。・・・
ここ数年「身元不明の自殺と見られる死者」や「行き倒れ死」など国の統計上ではカテゴライズされない「新たな死」が急増していることがわかってきた。なぜ誰にも知られず、引き取り手もないまま亡くなっていく人が増えているのか。

「新たな死」の軌跡を丹念にたどっていくと、日本が急速に「無縁社会」ともいえる絆を失ってしまった社会に変わっている実態が浮き彫りになってきた。

「無縁社会」はかつて日本社会を紡いできた「地縁」「血縁」といった地域や家族・親類との絆を失っていったのに加え、終身雇用が壊れ、会社との絆であった「社縁」までが失われたことによって生み出されていた。

・・・日本人がある意味選択し、そして構造改革の結果生み出されてしまった「無縁社会」。
・・・ともに「無縁社会」を考えていきたいNHKがキャンペーン無縁社会~みんなで考えよう~http://www.nhk.or.jp/muen/というホームページを作っています。                                                                                         その中で無縁社会に関連するこれまで放送した内容
http://www.nhk.or.jp/muen/program.html#lp3
も紹介されています。

そして今日  日本の、これから「どうする?無縁社会」-第1部-

            チャンネル:総合/デジタル総合
            放送日:2010年10月30日(土)
            放送時間:午後8:00~午後8:45(45分)
http://www3.nhk.or.jp/hensei/program/p/20101030/001/21-2000.html

          日本の、これから「どうする?無縁社会」-第2部-

            チャンネル:総合/デジタル総合
            放送日:2010年10月30日(土)
            放送時間:午後9:00~午後10:50(110分)
http://www3.nhk.or.jp/hensei/program/p/20101030/001/21-2100.html

※日本の、これから × キャンペーン「無縁社会」
    どうする?“無縁社会”
http://www.nhk.or.jp/korekara/

が放送予定です。ぜひご覧ください。

    「臓 器 提 供 家族が決断するとき」

人の意思はなくても、家族が臓器提供を決断できる改正臓器移植法の施行後、
脳死下の臓器提供が相次いでいます。
 
 臓器提供の決断の揺れる家族の姿をNNNドキュメントが放送します。
 
 NNNドキュメント’10
 
 「臓 器 提 供 家族が決断するとき」
 http://www.ntv.co.jp/document/
 
 10月31日(日)24:50~
 
 
     衛星映画劇場「善き人のためのソナタ」

 かつて社会主義の優等生と呼ばれたドイツ民主共和国(東ドイツ)の、恐るべ
き監視社会と、その先兵であるシュタージ(国家保安省)のベテラン職員が、あ
る劇作家の監視をしていくうちに変化していく心理を描いた映画がNHKBSで
放送されます。
 
 NHK BS2
 
 衛星映画劇場「善き人のためのソナタ」
 http://cgi4.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=001&date=2010-11-03&ch=12&eid=17241
 
放送日   11月 4日(木)
放送時間 午前0:15~午前2:35

 イギリス人の経済学者ロナルド・ドーアさんが、
 
 「日本経済の最大の特徴は、競争によって相手をつぶして大きくなるのではな
く、互いが助け合って成長する『持ちつ持たれつ』だった。それが小泉・竹中の
構造改革によって消滅し、極端な格差が生まれ、日本経済の活力は失われてしま
った」
 
という視点で語る番組がNHKBSで放送されます。

NHK BS hi

プレミアム8<人物> 
100年インタビュー「政治経済学者 ロナルド・ドーア」
http://www.nhk.or.jp/hyakunen-i/guest/index.html
11月4日(木)午後12:30~13:59

NHK BS hi

証言記録 兵士達の戦争  「人間爆弾“桜花” ~第721海軍航空隊~」

太平洋戦争中、アメリカやイギリス軍は、日本陸海軍の戦闘機や爆撃機にコー
ド―ネームをつけました。
 
 日本海軍航空隊の零式艦上戦闘機(ゼロ戦)は、「ジーク」、陸軍航空隊の一
式戦闘機「隼」は「オスカー」、四式戦闘機「疾風」は「フランク」というよう
につけました。
 
 その中で、ひどい呼び方でしたけれど、その本質を的確にとらえたコード―ネー
ムがありました。

 Baka bomb「バカボム」、すなわち「バカ爆弾」と命名された航空特攻兵器「桜
花」です。
 
 日本の国花である桜の花という美しい名前とは裏腹に、あまりにも無残な結果
を残した兵器でした。
 
 太平洋戦争中末期の1944年、フィリピン戦で日本海軍航空隊は、戦闘機に
大型爆弾を搭載させ、アメリカ軍の艦船に体当たりする神風特別攻撃を行いまし
た。かなりの戦果をあげたため、以後、陸海軍航空隊は神風特攻を大々的に行い
ました。
 
 まもなく海軍は、約一トンの火薬を搭載したロケットに、人間が乗り込んで操
縦し体当たり攻撃をする兵器を開発しました。「桜花」と命名された、そのロケ
ットは、一式陸上攻撃機につり下げられ、敵艦に近づいたら発進し、パイロット
が操縦して帯当たるする兵器でした。
 
 「桜花」は計画段階から開発に激しい反対を受けました。発想の非人間性もさ
ることながら、800キロ程度の爆弾や魚雷しか搭載できない一式陸攻に、全重
量2.3トンの桜花をつり下げたら、敵機の餌食になるのが目に見えていたから
です。しかし、海軍上層部は開発を強行させました。
 
 1945年の沖縄戦で、日本陸海軍航空隊は全力を挙げて神風特攻を行いまし
た。「桜花」が初めて投入されました。
 
 結果は無残なものでした。十分な数の護衛戦闘機がつかず、墜落寸前のスピー
ドしか出せない「桜花」をつり下げた一式陸上攻撃機は、沖縄にたどり着く前に
ほとんどが撃墜されました。10回に渡る攻撃で撃沈したアメリカ海軍の艦船は、
駆逐艦一隻だけでした。もちろん沖縄戦の趨勢にはなんの影響も与えませんでし

 
 最初から失敗することがわかりきっていた「桜花」を使った神風特攻を命じら
れた第721海軍航空隊、通称「神雷部隊」のパイロットたちが証言する番組が、
10月30日と11月10日、NHKBSで放送されます。
 
NHK BS hi

証言記録 兵士達の戦争

「人間爆弾“桜花” ~第721海軍航空隊~」 
http://www.nhk.or.jp/shogen/schedule/heishi_yotei.html

放送:11月10日(水)午後2時00分~

 

 

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ダメな中国     らくせき

2010年10月30日 09時44分38秒 | Weblog
首脳会談を直前にキャンセルするなんて?

中国は、いつから、礼儀を知らない国になってしまったのか?

(日本は大人の態度を示すほうが利口)

世界は見ている・・・。




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悪い夢     森野満之

2010年10月30日 09時37分32秒 | Weblog
もう一つ、森野満之さんの詩。(らくせき)
  

題は「悪い夢」です。

       

嫌いになったと、というなら致し方ありません
でも、はじめから愛情がなかった、とか
押し付けられてしぶしぶ承諾した、とか
いまさらそのようなことをおっしゃられても
それはあんまり身勝手ではありませんか
その頃はとても貧しくて
私は初めてのことに胸をときめかせていたけれど
あなたの心は恨みを残していたのですね
あれからずっと
私たちの関係はぎくしゃくしていましたが
あなたの思い通りにならなかったのは
みんな私のせいなのでしょうか
もう六十年以上も経ったのだから
実情にそぐわなくなった、と
そらぞらしいことをおっしゃるけれども
その実情とやらも、もとはとえいば
あなたがつくってきたことではありませんか
私に替われと言われても
どこがどういけないのか分かりません
私と出会う前に戻りたいなんて
あなたはきっと悪い夢を見ているのですね

君が心に秋や来ぬらん、と
古風に嘆いているのではありません
はじめから愛情などなかったのに
あるふりをしていたあなたが情けないのです
女心をもてあそばないで
本当のことをおっしゃってください
普通の国にあこがれるあなたは
七つの海を越えて
威光を放とうとなさるけれど
お金をちらつかせるだけでなく
力のあるところをみせつけたいなんて
野暮なことは言わないでください
強い顕示欲は
あなたの目指す美しい国にふさわしくありません
温情をなくしたあなたは
とにかく私が悪いというばかり
あなたが本当に欲しいものは
何ですか
私と別れなければ得られないものは
いったい何ですか

   わが袖にまだき時雨のふりぬるは
     君が心にあきやきぬらむ
              (古今和歌集)

         
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緊急に、ビッグニュース!  文科系

2010年10月29日 21時26分34秒 | 国内政治・経済・社会問題
 検察裏金問題で、ビッグニュースが入った。大新聞のどこも報道しなかったことを、大阪のスポーツ紙が流したのだそうだ。震源地がかの有名な元検察官、三井環氏であるところに、ことの重大性がある。阿修羅サイトからの転載である。なお、文中で『国会の裏金問題』とあるのは、『検察裏金問題』と直後に訂正されていたことを、明記しておきたい。

三井氏国会で裏金問題を暴露。可視化議連が実現に動く(大阪スポーツ)
http://www.asyura2.com/10/senkyo98/msg/401.html
投稿者 ジャック・どんどん 日時 2010 年 10 月 29 日 21:12:24: V/iHBd5bUIubc

今日の特ダネやと思うんですが、

毎日、日経、読売の朝・夕刊ざっとみただけですが、どこにも見当たりません。たぶん朝日の夕刊にも載ってないでしょう。

日刊ゲンダイにも載ってなかたんであきらめてましたが、
大阪スポーツ(通称、ダイスポ)に出てました。

大スポ(大阪スポーツ)によれば

民主党の「取調べの全面可視化を実現する議員連盟」が28日開催した会合に、
三井環さんが、出席して、国会の裏金問題の実態を暴露。
公式の場では、裏金問題の暴露は始めて。国会にも呼んでくださいとのこと。
全部暴露しますと。

詳しくは、大阪スポーツ(東京の東京スポーツは載ってないかな?)を、お読みください。  

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「日本サッカー・希望の星」と、ザック監督など(19)  文科系

2010年10月29日 12時03分57秒 | スポーツ

イビチャ・オシム、新代表への提言

前置き
 今回は題名のことをまとめてみる。彼が書いた2~3冊の本から、彼の日本人論、日本選手たちの長所と短所、ザック・ジャパンへの提言と、三つに分けて述べてみる。彼の思考、言葉は常に明快であり、かつ面白い。フランスリーグでも活躍したサッカーの名選手にもなり、サラエボ大学の数学科教授という道もありえた知性でもあったことが、関わっているはずだ。ちなみにウィキペディアには、彼の大学時代がこう紹介されていた。
『東欧の名門サラエヴォ大学理数学部数学科入学、数学や物理学、哲学などを学び、数学の学士の資格を保有。運動、勉学共に成績優秀で、(中略)成績優秀者に出る奨学金で生活を凌いでいた。この頃、電気工学専攻の中等学校生だったアシマ(後のオシム婦人である。文科系)に数学を分かりやすく丁寧に指導。大学では担当教授から研究職に就くことを勧められるが、手っ取り早い経済的な自立の為にギムナジウムの数学教師への職を思案する。しかし大学3年生の頃から試合の出場給が鉄道工だった父親の3倍にもなり「数学かサッカーか」とイビチャ青年を大いに悩ます事になるが、23歳の時にユーゴスラビア代表選出が契機となり東京五輪での試合に向けた「本物の契約書」にサインし、これにおいて正式な「サッカー選手」となる』

日本人、選手の国民性に関わって
 オシムは、日本選手たちと相互理解が可能になるまでに3年かかったという。ユーゴからジェフユナイテッドに着任してから、理解が難しかったと彼が述べている国民性を書き上げてみよう。これが、サッカー選手としての最大の長所にも短所にもなっていると語られるのだから。
 まず、目上の言葉をそのまま受け入れ、言いつけを守り、質問などしないということ。彼はこれを、「目上に恐れを抱いている」とさえ述べている。
 この性格ゆえに、こうなるのだ、とも。自分のすべきことを自分で考えずに監督に聞くことになると。ここをオシムは大いに強調して、2冊の本でこう語っている。
『自分で考えずに人に聞くという行為と、自分で考えてわからないことを質問するという行為は根本的に違う』

 そして、もうひとつがこれだ。
『日本人は批判されることをネガティブに捉える傾向がある。日本人は、本音をグサリと言われることが好きではないように思えた。私は、この日本人の性質がなかなか理解できなかったのだが、ピッチ上のことはピッチ上で解決しようと考えていた』(以上、「考えよ!」角川新書)
 激しい言い合いを避けるように振る舞うから、本音を語り合えず、わだかまったり、相互理解があいまいなままだったりということだろう。改善、進歩も後れるというものだ。オシムはピッチの上で解決するために相手の目を見ながら、必要ならとことん話しあったらしいが、その光景が目に浮かぶようだ。徹底的に言葉で問題を整理すれば、選手の自覚能力も高まるというものだろう。

 以上の国民性は、サッカー選手としての長所にも、短所にもなるものだと語られる。言われた通りにやり、組織規律を守り、勤勉でもある。が他方で、自分では考えない、思い切ったことができない、言い合えないことにもなると。オシムがいたる所で二つの標語を語ってきたのは、この文脈でのことである。「もっと自分で考えよ」「もっと自主的にリスクを冒せ」。これさえできれば、クリエイティブにもなれるはずだ、本来はクリエイティブな民族なのだから、とも述べている。
 言い換えれば、上意下達が、創造性を殺しているということだろう。なんか、全ての日本社会に当てはまるなーと思った次第だ。

2010~2014年、代表選手たちへ
1 体が強くないのだから、スピードをもっと上げること。それには、場面場面における選手の決断を速くすることと、スプリント力が必要だ。敏捷性、技術的スピードはまーあるから、不足するのはこういうものだ。「80メートルをいとも簡単に全力で駆け上がる」スプリント力。速い選手を見つけ出し、育てることも強調していたな。
2 こうして、南ア大会直前まで求めていたが、本番では諦めてしまったスペイン型のパスサッカーを追求する道が、日本人に最も合っている、と語っている。
3 長谷部、遠藤、阿部らMFは、日本の強み。しかし、彼らはもっともっとリスクを冒して、ゴールに向けて攻撃参加すべきだ。それが日本の得点増への第1の道である。遠藤も俊輔も前にパスを出してからゴールに走らないが、あれがいけない。
4 本田の他にもう一人センターFWが必要だ。 そして、デンマーク戦における、岡崎への本田のアシストに見えたような、あんな関係を築いていくべきだ。
5 中澤、闘莉王、阿部の守備ブロックは、岡田監督が積み上げた日本の大きな財産になるだろう。

ザックへの期待
『 日本とザッケローニという哲学の合体には、素晴らしい混合物を創造する可能性がある。彼は複数のスタッフをイタリアから連れてくる。このスタッフの存在が非常に重要な要素になるのだ。彼らは、プレーヤーとしてピッチにいた人たちだから、日本のプレーヤーは学ぶことが多いのだ。ザッケローニは結果を出すというイタリアの典型的な美徳を実現するために、選手に本気でプレーする気持ちとディシプリンを強く主張するだろう。(中略)日本人が南アフリカでのベスト16という結果を失敗として認識しているならば、なお、新しい監督としてザッケローニを迎えたことは正しい選択となるだろう 』(「恐れるな!」 角川新書)

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愛の綱引き   森野満之

2010年10月29日 09時43分20秒 | Weblog
森野満之さん。
1945年旧満州国生まれ、北海道育ち。
東大卒、詩人。

詩集を読んでいたら、こんな面白い詩がありました。
                (らくせき)

    

見苦しくはあるまいか
目くじら立てて
歌を押し付けるのは
歌うか
歌わぬか
それは個人の領分ではあるまいか
君が代であろうとなんであろうと

旗指物など
日本代表にでもなれば
誇らしかろうが
崇めるか
崇めないか
それは個人の領分ではあるまいか
日の丸であろうとなんであろうと

すべての超越するものを
持ち出されたら
すべての超越するものを
持ち出さねばならない
血に飢えた呪文には
二十一世紀の知性をもって
迎え撃たねばならない

祖国愛とは
妄信することではなく
愛を祖国とすることだと抗弁はしても
愛の綱引きは慎むべきではあるまいか
仏教では愛は強い欲望のことで
迷いの根源だそうだ
まとわりつく愛の叫びは痛々しい
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替え歌 朝鮮日報より   らくせき

2010年10月28日 19時29分40秒 | Weblog
韓国の童謡『3匹のクマ』の歌詞を基に、北朝鮮の三代世襲を皮肉った替え歌が、
北朝鮮の咸鏡北道会寧市で出回っていることが分かった。

替え歌のもとは韓国の『3匹のクマ』
その歌詞が、
「ある家に3匹のクマが暮らしている/
おじいさんグマは太っている/
お父さんグマも太っている/
子グマは愚鈍(ぐどん)だ」
と変えて載せた紙が見つかったという。

おじいさんグマ(故・金日成〈キム・イルソン〉主席)
お父さんグマ(金正日〈キム・ジョンイル〉総書記)
子グマ(金正恩〈キム・ジョンウン〉氏)

太った正恩氏の姿を見た何者かが、韓国の童謡を替え歌にしたものらしい。
保安当局がすぐに『反動的な印刷物』に指定し、回収した上で、
出どころについて調査している」とのこと。

また、生徒たちがギターを弾きながら『3匹のクマ』を歌っていたところ、
人民保安部(警察に相当)に連行され、夜通しむちで打たれたとも。

一方、米国の自由アジア放送(RFA)は今月初め、
「正恩氏を後継者とすることが正式に決まって以降、咸鏡北道清津市水南区域で、
『子ブタと親ブタ(金正恩氏と正日総書記)、両方とも食べてしまえ』と
いう落書きが見つかり、大騒ぎになった」と報じた。


日本でも戦争中に、さまざまな替え歌があったようですね。
新しい後継者が決まっても、暮らしが一向に改善されないのでしょう。
為政者の最低条件は衣食住で、とくに食べることですから。




  

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中国人は傲慢か?    らくせき

2010年10月28日 19時16分20秒 | Weblog
香港のF-テレビの討論番組。
なかなか面白いので、時々、BSで観ています。
今日は、中国人は傲慢になったか?というもの。

中国のある新聞が書いた記事をきっかけにした討論。
賛否は、ともかく興味深かったのは
視聴者のアンケート。

4人に3人はNO。
しかし、およそ4人に1人が傲慢と答えていました。

経済大国になった中国ならではの現象。

出演者の一人が、傲慢は誇り、自惚れは自信と紙一重、と。
何年か前の日本人も、欧米から
同じ様に見られていたんでしょうね。

愛国心も誇りと傲慢が紙一重・・・
傲慢にならないように・・・









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報告文、説明文、粗筋文などと「文芸文」  文科系

2010年10月28日 09時32分57秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など

 文章にもいろいろあるが、以下のような知識は案外知られていないのではないか。文を書く人誰でもが、持ち、意識していた方が良いと思うのだが。まず、僕ら同人の月刊冊子今月号、後書きの文章、その一部をご紹介してみよう。

『 来新春発行の同人誌を編集していて考えさせられた。千字程度の冊子作品と年一度の同人誌作品とでは、書き方が大きく異なるはずだ。創作文の、報告文や説明文との違いも改めて論じ合ってみたい、などと。無意識な時系列だけの文章は長々しく感じるし、細かく書き込まれたところが見えにくい「粗筋」作品は、長文になるほどに平板、平凡に感じられる。だから、モチーフの構成、焦点などは、長文作品になるほどに難しくなると思う。千字ほどの作品を二時間で書くある人が、その執筆計画時間を二十分ほどとする。五千字の文章なら、その五倍ほどの時間を考えるのでは、到底済まないと思うが、どうだろうか。』

 同じようなことをもう一つ、俳句の世界等でいつも言われていることを書いてみる。自由律も含めて、同人にもやっている人が多いのだ。報告や説明だけの句には、こんな声があがるらしい。「それで、どうした!」、と。「事情は分かった。それで、君はどう感じたの、それがないのは、話にならんよ」、というわけだろう。自分の内面を表現してこそ文芸文、と。考えてみると人間の心を最もくっきりと現わせるものは、文章、言葉だろう。音楽はもちろん、絵画でさえが、感じ入る度合いは別にして解釈という点では多様性が生じるようにしか表現できないはずだからだ。そういう文章というものを、自分自身の外の世界の「報告」、「説明」にだけ使うのは、実に大変もったいないと思う。ひょっとしてそれとも、日本人が元々「自分の心を覗く(「表現する」とは、ちょっと違う積もり)」のが苦手なのかも知れない等とも考えてみる。

 同じことを、もう一つ別の側面から見てみたい。
 歴史物好きは、何というか「事実」好きであって、最近の日本では男性に多かったようだ。仕事とその報告文章などばかりで、自分を覗く暇もなかったから? 文芸好きは女性に多く、何か夢を見ているようにも思われ、「文芸=フィクション」という偏見も世に多いのではないか。この両極端が協力し合って、「心を描いてリアルな作品なんて、存在しない」とでも語りあっているような日本に見えるのである。推理物とかSF物とかばかりで、単なる「粗筋作品」が多すぎる世の中の影響もあるのかも知れない。そして、心は、単に、お喋り、と。
 でも人間は大昔から「汝自身を知ってないことが分かったかね!」とか、「全てを疑え。すると、そう疑っている自分だけは存在すると分かるはずだ」とかを大事なこととしてきた。その点今の日本社会は、人類文化の大道から相当に遠い? こういう点から見ると「文芸」という言葉も、何かちっぽけなものに感じられないか。「芸?」、というわけである。本来は文化産物と学芸ということらしいのだが。
 

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随筆紹介 ” 友人と知人”   文科系

2010年10月28日 08時39分11秒 | Weblog

 昨日と同じ友人の随筆をご紹介する。同人誌で、小さな冊子を毎月出していて今月で227号になるが、そこからの転載だ。昨日のも今日のも、同人15名ほどとその周辺とだけで読み回すのではもったいない気がしてきたから、これからちょくちょくとこうしていきたい。
 グーブログ146万などウェブサイトは山ほどあるが、良いコンテンツは、ハッキリ言って意外に少ない。僕が現在やっているサッカー連載がおおむね100ほどのブログで紹介されているのは、そういうことだろうと自負さえしている。その点我が同人などは丸ごとコンテンツだらけであって、非常に贅沢な気がしている。もっとも、こんな冊子を毎月欠かさずに出している同人は他にはなかなかあるものではないだろう。それを、227号まで。凄いでしょう!1ページ600字で、20ページ弱のものですが。

『 友人と知人   S.N                                 

 連れ合いよりも多分早く西の国へゆくと思うが、そうとは限らない。そこで、先日、東京大学大学院教授・上野千鶴子著『男おひとりさま道』を買ってきた。彼女は、ひとりになったら、カネ持ちより人持ち。そして、友人と知人に分けなさいと説く。
 実は、私はもうそれを実践している。退職してから毎年、二百枚近い年賀状を出していた。ところが、七十のころ、無意味に思えてきた。そこで、思い切って夫婦で賀状は五十枚と決め、今年も実行した。
 もらった年賀状は友人と知人に分けて、友人にだけ後日、手書きの寒中見舞いを差し上げる。友人と知人の定義などきめてない。一緒にいて気分のいい人、ときどき会いたい人、因ったとき助けて欲しい人、気にかけてくれる人……が友人、とその時の気分できめている。だから、友人から知人に仕分けることもあれば、その逆も。
 しかし、どんなにさぴしくても親友は作らないことにしている。以前、無二の親友がいた。五十代で亡くなり、今でも思い出すと落ち込むから。著者も、「おひとりさまは親友を持つな。その代わり、ユルく淡くつながっているユル友を、……という。
 それほど親身になってくれなくてもいい。毎日を機嫌よく生きていくことを支えてくれる仲間をたくさん持ちたい。ちょっと欲張りかな。 』

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随筆紹介”人生設計”  文科系

2010年10月27日 07時51分15秒 | 文芸作品

 一昨日の早朝、30年の付き合いがある、若い親友が癌で亡くなった。この31日で53歳になるはずの若さで。その夜の仮通夜で死に顔を見た時は、泣けて仕方なかった。いろんな特技、能力があって、周囲の人のために良い人生を送られたお人だったと思う。そんな気持ちもあって今日は、同じ同人誌の仲間の随筆を一つ、ご紹介したい。血液の癌を患っている、5歳ほど上の先輩の作品だ。

『   人生設計          S・N

  これまで、十年をおおよその区切りにして何か身につけるように努めてきた。退職してからも、六十歳代ではエッセーを書き始め、七十歳代では淡彩スケッチを楽しんでいる。
 ところが、がんを患ってからそんな長期間の人生設計ができなくなった。いまでは、だいたい六カ月の予定しかたてられない。それ以上は無理。生きられる確信がない。たとえば、春になって花を見ると〈秋には紅葉がみられるかな〉と思う。心臓に持病をもつ親しい友だちは、もっと短くて、三カ月くらいらしい。だから、春がきても、今年の夏は越せる、という自信はないとか。
 もう四十年くらい前になるだろうか、お盆に帰省し四国へ帰るとき、おじいさんが「もう会えないかも……」そういって涙を流した。その気持ちが、いまやっと理解できる。
 もう短期間の人生設計しかできなくなった。が、その反面、いいこともある。やりたいことがあれば、すぐやるので、これまでよりも毎日が充実している。悔いがない。以前は、いい万年筆が欲しいな、と考えていた。それがいまは、たとえ手にいれたとしても〈使いきれない〉そんな思いがして、買う気がしない。欲も失せた。古人もいっている。「今日は最良の一日、いまは無二の好機」と。一日、一日が、いとおしい。』

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「日中対立の再燃 」 田中宇の国際ニュース解説より

2010年10月25日 02時05分29秒 | Weblog
★ 田中宇の国際ニュース解説で、田中氏が「日中対立の再燃 正続」と「日中対立の再燃②」を発表された。誠に示唆に富んだ主張なので是非お読みいただきたい。   ネット虫
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日中対立の再燃
【2010年9月17日】 尖閣諸島沖の衝突事件は日本のマスコミで、中国漁船の不法行為を正当に日本の海保が取り締まり、それを不当にも中国政府が非難してた話として報じられている。しかし従来の日本当局は、中国漁船を追いかけても、追い詰めて逮捕起訴することはなかった。今回の逮捕起訴劇の重要点は、漁船の行為や中国の反応ではなく、中国が怒ることを知っていて逮捕起訴する日本政府の能動的な政治意志である。なぜ今、日本政府が中国を怒らせるのか。まず考えられることは、政官界や民主党内での対米従属派の巻き返しである。もう一つの考え方は、米国が日本を中国との敵対に誘導しているのではないかというものだ。
日中対立の再燃(続)
【2010年9月21日】・・・単独為替介入をした日本は、欧米から、米欧日が為替介入をしない建前を守っていた国際通貨体制の秩序を破ったとして批判されており、ドルが崩壊感を強める中で日本が円高を防ごうと単独行動を強めるほど、日本がG7の為替協調体制を壊したと批判される結果になる。もともとドル崩壊でG7は潰れる(G20に取って代わられる)運命にあるのだが、それが米欧の詭弁によって日本のせいにされる。しかも、米欧の日本非難は間接的に中国を利する。満州事変的だ。
日中対立の再燃(2)
【2010年10月1日】 尖閣騒動は、外務省が日本の対中国外交から外されることにつながる。前原は、国交相として尖閣騒動を引き起こし、おそらく米国の推挙によって外相になった。外務省の人々は、前原を押し立てて中国敵対路線を走ることで対米従属を強化できると喜んだ。しかし、これは米国の罠だった。日本には、中国と本気で敵対する準備が全くなかった。財界や政界、官界の各所にいる親中派が結束して官邸に強い圧力をかけ、前原らのクーデターは、中国船長の起訴前に頓挫させられ、船長は帰国を許され、菅首相は、前原や外務省を迂回して、細野前幹事長代理を中国に送り込み、関係修復を開始した。尖閣騒動について国民に謝罪せざるを得なくなった菅は今後、少なくとも対中外交において、前原や外務省を使いたくないはずだ。

★田中宇の国際ニュース解説のアドレスは、http://tanakanews.com/
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