基本(第一期・尋常小学校二学年)
もくろく:おやこ・おかあさん・おとうさん・じぶんのこと・きょうし・としより・きょうだい・たべもの・せいけつ・きまりよくせよ・やくそく・ひとのあやまち・わるいすすめ・ともだち・ひろいもの・いきもの・ひのまるのはた・きそく・てんのうへいか・ゆうき(1と2)・ひとにめいわくをかけるな・よいこども1.1.素直な心を持つ(正直・誠実・良心)
「しょうじき」では、明治43年ー)にワシントンのりんごの話・昭和9年からは、飛脚が馬方の鞍に忘れたお金を、わざわざ飛脚を追いかけて返却する話・松平信綱の少年時代に将軍の大事な屏風を破った時、正直に私が破りましたと言った話・良心では、仙台の林子平が開国を説いて、幕府によって兄の家に幽閉され、ずっと一人でいる子平に友人達が、「誰も見ていないから、外にでたら」といことに対して、そんなかげひなたのある行為はできないと断る話、信義では加藤清正と秀吉の関係の話(昭和9年ー)誠実でも加藤清正の話
2.自分を慎。謙遜では、吉田松陰と久坂玄瑞との会話・乗り合い船での若い男が、経書の講釈を得意になってやり始め、下船する時に、その若い男がちょっと気なる客がいたので、名前を言って別れようといいます。気になっていた客が福岡の「貝原久兵衛と申す」あの益軒かと恥ずかしくなって逃げて行く話し。次は勤皇の志士を応援した野村望東尼の話(昭和16年ー)です。ついで乃木将軍のひよわで、おくびょうな少年時代の父と母との話、3.倹約では徳川光圀が紙をそまつにする女中達を冬の寒い日にかみすき女の水の中で働く様をみせる話、寛大では、益軒が大事にしていた牡丹を書生同士で相撲をとって、その牡丹を折ってしまいます。懸命になおそうとするがなおらない、隣の主人に頼んで侘びをいれてもらいます。でも益軒は、牡丹は楽しむために植えておいたもの牡丹のことでおころうとは思いません」と。度量(昭和9年ー)では、西郷隆盛の屋敷へ橋本佐内が尋ねてきて、国事のことで教えをこいたいといいますが、左内が20歳そこそこえで。色の白い、女のようやさしい人物なのでさほどのものではないなと、みくびってしまいます。左内もそれを察します。隆盛から左内に貴方から話したらどうかというと、左内の話がしっかりしていて国を思う真心があふれているのに感心してしまいます。
左内が帰ったあと、自分は過ちであったと反省して、翌朝左内を訪ね、詫びをいれに行き、その後親しく交わり、国のために尽くしましたという話。次は恩の話(昭和9年ー)例の渋谷の像のある忠犬はちの話。謝恩では、豊臣秀吉の妻高台院が、幼少の頃世話になり秀吉との婚儀も世話になった伊藤右近という人に、右近が落ちぶれてしまったことを知って、大阪城へ呼んで感謝するという話。
今回はこれ位で・・・。続族・・
もくろく:おやこ・おかあさん・おとうさん・じぶんのこと・きょうし・としより・きょうだい・たべもの・せいけつ・きまりよくせよ・やくそく・ひとのあやまち・わるいすすめ・ともだち・ひろいもの・いきもの・ひのまるのはた・きそく・てんのうへいか・ゆうき(1と2)・ひとにめいわくをかけるな・よいこども1.1.素直な心を持つ(正直・誠実・良心)
「しょうじき」では、明治43年ー)にワシントンのりんごの話・昭和9年からは、飛脚が馬方の鞍に忘れたお金を、わざわざ飛脚を追いかけて返却する話・松平信綱の少年時代に将軍の大事な屏風を破った時、正直に私が破りましたと言った話・良心では、仙台の林子平が開国を説いて、幕府によって兄の家に幽閉され、ずっと一人でいる子平に友人達が、「誰も見ていないから、外にでたら」といことに対して、そんなかげひなたのある行為はできないと断る話、信義では加藤清正と秀吉の関係の話(昭和9年ー)誠実でも加藤清正の話
2.自分を慎。謙遜では、吉田松陰と久坂玄瑞との会話・乗り合い船での若い男が、経書の講釈を得意になってやり始め、下船する時に、その若い男がちょっと気なる客がいたので、名前を言って別れようといいます。気になっていた客が福岡の「貝原久兵衛と申す」あの益軒かと恥ずかしくなって逃げて行く話し。次は勤皇の志士を応援した野村望東尼の話(昭和16年ー)です。ついで乃木将軍のひよわで、おくびょうな少年時代の父と母との話、3.倹約では徳川光圀が紙をそまつにする女中達を冬の寒い日にかみすき女の水の中で働く様をみせる話、寛大では、益軒が大事にしていた牡丹を書生同士で相撲をとって、その牡丹を折ってしまいます。懸命になおそうとするがなおらない、隣の主人に頼んで侘びをいれてもらいます。でも益軒は、牡丹は楽しむために植えておいたもの牡丹のことでおころうとは思いません」と。度量(昭和9年ー)では、西郷隆盛の屋敷へ橋本佐内が尋ねてきて、国事のことで教えをこいたいといいますが、左内が20歳そこそこえで。色の白い、女のようやさしい人物なのでさほどのものではないなと、みくびってしまいます。左内もそれを察します。隆盛から左内に貴方から話したらどうかというと、左内の話がしっかりしていて国を思う真心があふれているのに感心してしまいます。
左内が帰ったあと、自分は過ちであったと反省して、翌朝左内を訪ね、詫びをいれに行き、その後親しく交わり、国のために尽くしましたという話。次は恩の話(昭和9年ー)例の渋谷の像のある忠犬はちの話。謝恩では、豊臣秀吉の妻高台院が、幼少の頃世話になり秀吉との婚儀も世話になった伊藤右近という人に、右近が落ちぶれてしまったことを知って、大阪城へ呼んで感謝するという話。
今回はこれ位で・・・。続族・・