九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

随筆紹介 明日は  文科系

2023年11月30日 15時19分49秒 | 文芸作品
随筆紹介 明日は  S.Yさんの作品
 
このところ気がつくと俯いて考え事をしていることが増えた。
思い詰めているわけではないが、母親のことを思うと気持ちが沈んでしまう。
二カ月前、母は脳梗塞で倒れてから七年間暮らした老人ホームを退去した。家具や衣類など一時的にホームから実家に運ばれたが、その荷物の大半は私が持ち込んだもの。
兄夫婦から引き取りに来ないと全て処分すると言われて、慌てて実家へ行った。驚いたことにものすごい量。軽トラックいっぱい分ほどある。嫂は母の衣類や趣味の本や編み物などの手芸品など、早く処分したいようだ。どんどんゴミ袋に入れている。いくつもゴミ袋が増えていく。
「ちょっと待って。母さんはまだ生きてるんだから、着れそうなもの少しは残しておいて」
「でも、病院に入っているから衣類はもういらないはず。第一、半身不随で着ることができないでしょ」とけんもほろろ。ここが娘と嫁の違いか……
私だってわかってはいるが、そう簡単には割り切れないし、捨てられない。
母は「成長の家」という団体に入っており、その教本や資料があった。母にとっては大切なものだ。眼鏡や腕時計など、母の身の回りのものなど、とりあえず私が持ち帰る袋に入れていく。ホームで暮らしていたときの写真、本やノートなども。
兄たちはついでに今までの母の部屋も片付けたいのか、座布団や家具なども処分場へ運ぶトラックに積んでいる。
私と夫は引き取ったものを車に積み込み、この日、母との面会の予約が取れている病院へと急いだ。今度の病院は県外に変わって、私たちの住まいからは遠くなるばかり。
母は私たちを見ると満面の笑みになった。私はベッドの背もたれを起こして、窓のカーテンを開けた。眩しそうに外の景色に見入っている母。耳が遠いので、耳元で私も夫も大きな声で話しかける。何か面白かったのか母が声をあげて笑った。ちょうどその時、男性の看護師が入ってきた。母を見て呆然と立ちつくしている。「えっ! こんな表情が? 笑っているなんて……」信じられないといった顔だ。どうやら九十九歳の呆けた寝たきり婆さんだと思っていた様子。そういえば同室の人は皆寝たきりで反応もない人たちだった。脳梗塞で言語障害になり話せなくなったが、「母は、こちらの言うことは全てわかりますよ」と看護師には伝えた。一応、リハビリテーション病院にはなっているが、果たして高齢の母がリハビリをやってもらえているのか疑問は残る。面会時間は二十分とやはり短い。

帰宅して母の荷物を空いている部屋に運び入れた。整理すれば持ち帰ったタンスや整理棚に収められるだろうかと考えていると、分厚い紺色の本が目についた。パラパラとめくると、見慣れた母の字。なんと日記帳だ。七年前にホームに入った日から倒れた日まで毎日書いてある。メモのようなものを書いていたのは知っていたが、こんなにちゃんと日常を綴っていたなんて驚きだ。といってもホームでの変わり映えのない毎日。お天気のことやその日の気持ちが簡単に記されている日もある。だが一日も欠かさずに、これにはただただ驚く。
娘の私から手紙が届いた。荷物が届いた。面会に来てくれた。食事に一緒に出掛けた。いつも心にかけてくれて嬉しい。ありがたいと感謝の言葉が多いのにも驚いた。
私には厳しくて、きつかった母がそんなふうに感じてくれていたなんて。もう涙で読めなくなってくる。義妹や姪っ子もよく母に会いに行ってくれていた。バナナやプリン、カステラを貰った。折り紙や毛糸を貰った。どんなものがいいかなあ、今度はひ孫に帽子を編もうと思う。などと書かれている。
私も七十路になり、自身も終活を考え始めている。が、なかなか実行はできていない。まだ呆けないし、体も動くと思い込んでいるから進まないのだが、唯一、中学生ごろから半世紀以上付けていた日記帳だけは一昨年、全部処分した。こんなものを他人の目に触れさせたくないという思いからだった。
だが母の日記帳は捨てられない。母から来た手紙の束も捨てられない。今日は言葉が出ないが、そのうち、リハビリを続けるうちに少しでも話せるようになるのでは。話せない母本人が一番辛いだろうが、私もこのまま母と話せずにお別れになるなんてイヤだ。
明日は? 明日こそは少しは話せるのではと祈っている。
九月十五日 金曜日 晴れ もう今月も半分過ぎた。明日 娘が面会に来るそうな、
これが日記の最後の書きかけの一行。このあとに倒れたようだ。

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随筆紹介  おじさんナイン   文科系

2023年11月27日 20時25分25秒 | 文芸作品
おじさんナイン  k.kさんの作品です

 秋晴れの日曜日、グランドにおじさんナインが集まる。町内会のソフトボールチームは試合がなくても朝八時から十時まで毎週日曜日の練習がある。
 夫も近所の人に誘われて三十代で入会。会社と家の往復だった夫に町内のチームから繋がりが広がった。仕事も大工、左官、板金、塗装、庭師など家が一軒建てられる心強い仲間が揃っている。
廊下の床がぶかぶかしてきて抜けそうになった時には大工さんに「いつでもいいから時間があった時に頼むよ」とお願いすると、少ししてから床を張り直してくれた。外壁塗装工事も「そろそろ塗り直した方がいいよ」とアドバイスがあった。仲間だから、安心して任せられる。良心的でいろいろ助けられた。
あれから四十年、世代交代で仲間も歳を重ねた。夫も往年の強打者のイメージだったが、腰痛や体力の衰えには逆らえない。すっかりなりを潜め、ユニフォームを返上して、自称応援団長になっているが、毎週の練習だけは欠かさない。
 外野の木陰で守備をして、仲間から「おーい、日陰から出てこーい」と言われても負けずに「ここまで飛ばせーっ!」とやり返す。声の大きさだけは負けていない。
 主力戦力は四十~六十代。肩や膝の故障、家庭の用事、仕事など。戦力には不安を抱えているチームだが、勝ち負けよりも毎週日曜日の練習で和気あいあいと休日を楽しむことがモットーのようだ。
 他の町内のチームは試合の時だけ集まるのだが、このチームは毎週日曜日の練習で結束力が強み。フライを落とすとグローブが悪いと買い替えたり、空振りをすればバットを新調したりと、それぞれ工夫している。 
練習後のノンアルコールビールでの反省会を楽しむために汗を流すのが目的。反省会だけに参加するOBもいる。膝の調子が悪くなって徒歩で十分ほどなのに、タクシーで来ていた。だが、仲間に会いたくてリハビリを頑張り、杖代わりにポールウオーキングのストックを両手に歩いて来れるようになった。色々な仕事の人と話をすることや、息子くらいの若い世代の話題も刺激を受けるらしい。
 一年間ともに汗を流した仲間と美酒を味わう忘年会の季節も近づいている。年を重ねた野球小僧は、スパイクを履き野球帽を被り、日曜日の朝グランドへ今日も出かける。
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随筆 「憎しみ合い」連鎖の果てに   文科系

2023年11月22日 14時05分30秒 | Weblog
 パレスチナガザ自治区のシファ病院新生児がどんどん死んでいると言う。初めは、電気が来なくて死に、病院移出後の今は感染症で死んでいると。出産後病院にいる新生児は問題があるに決まっているが、それにしても、体温が保てない子とか感染症とか、なんと悲しいことだろう。これに対してハマスは、「イスラエルの残酷!」と叫び、イスラエルは「ハマスの司令部関連だ!」と、それぞれが世界に向かって吹聴している。さて、これで思い出したことがある。この事件の最初に世界(の識者ら)が驚いていたことだが、
「イスラエルの厳重な『監視体制』を打ち破って、どうしてハマスが当初に、あれだけのことができたのか?」

 病院を出入り口として地下から出撃していけば、この出撃自身も事前の兵器集積も気づかれずに済んだはずなのだ。次いで、こうも思った。
〈イスラエル人は驚いたろうな。あれだけの地下要塞構築には、どれだけの年月と恨みがこもっていることか!〉
 それにしても凄まじい執念である。この驚異の執念と、これに対する報復、結末こそ、新生児死亡、イスラエルの病院報復の原因と言えよう。

 ユダヤ人の国を作るのは必要なことだったと認めよう。が、パレスチナ人から土地を奪って自治区に押し込め、その自治区に今また金のあるイスラエル人がどんどん移住して来ているとすれば、凄まじい恨みが貯まるはずだ。しかもこれに二つの宗教(聖地)問題も絡んで来る。イスラエル建国にどれだけ歴史的理由があったにせよ、無理があったと思わざるを得ない。そう考えてウクライナを観ると、ここでも憎み合いの連鎖だ。ロシア人の多い東部地域と、それ以外との一四年武力革命以来続いた長いいざこざ、闘争。「ロシアに連れて行かれた子どもら」と言っても、ロシア人の親などが殺された子どもも多いにちがいない。

 人間だけが自分の死を意識できる動物なのに、そういう生死を懸けあって殺し合う動物になっている。そして、生まれたばかりの弱い子どもらがどんどん死んでいく残酷な動物。意識などない方が良いとさえ思うが、とにかく憎しみを増幅させ合わないことだろう。
コメント (12)
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随筆紹介 俺の膵臓癌レベル4   文科系

2023年11月15日 18時20分37秒 | 文芸作品
 俺の膵臓癌レベル4  K.Yさんの作品です 
(ご本人から了承をとって、載せることになりました)

膵臓癌のレベル4と診断されると、終末も半端ではない。私が地球から離れる年月も長くて1年と担当医から言われると、3ヶ月、半年というケースもあるだろう。身近な陶芸仲間も2ヶ月の命だった。肝臓にも転移している。これは最悪。抗癌剤入院の始まる前に、最大限の終末をと考え、着実に実行した。テニスラケットは30本を処分し、軒下の東郷町の陶土はバケツ15杯を処分し、保有の陶芸品は、ゴミ袋に10袋を入れた。残すは衣料品と僅かな書物、資料となった。財産一覧表は改めて整理し、葬儀に必要な現金は引き下ろした。家内にも預金をいくらか振り替えた。明日電動ろくろを陶芸仲間に差し上げる。頭髪はスポーツ刈りにし、脱毛に備えた。

膵臓癌に特有なお腹の張りが日毎に強くなる。みぞおちが張り、痛む。体力はあるが、内臓の老廃化はすざましいのだろう。

膵臓癌レベル4は、癌の最悪で、短命だから、お別れは劇的となる。家内は動転し、娘は毎日泣いている。
陶芸部長は辞退し、文化協会の役員も退き(いずれも、居住自治体のサークル)、大学のクラス会の幹事も無理だと伝える。いつでも死ねる体制が必要となる。伸ばしていた家の不具合も矢継ぎ早に業者に電話をかけ修理していく。トイレの水漏れ、ドアの不具合を直す。洗濯竿の高さを低くなった家内に合わせ、劣化している放水ホースを新品にし、2階にもインターホーンを設置する。電光石火の終末だ。

今日の早朝、共同農園にアオザキがいた。大きな羽を伸ばして去って行った。俺も地球から遠い宇宙に去ろうとしている。
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ストーマ老サイクリストの手記(472)体調は、落ち着いた  文科系

2023年11月07日 10時10分29秒 | その他
 長くエントリーを書かなかった。初めは、孫崎享の「つぶやき」に連日書き込むのがいろいろに面白くて、次は病気の見通しに問題があったりして。こんなにブログを長く書かなかったのはこの20年近くで初めてであり、友人から「体調に何かあったのか?」と心配する電話があったりした。第2期癌による膀胱全摘、ストーマ装着から、心房細動の勃発は一応落ち着いてきた。細動に対する薬がよく効いているので、このままでカテーテルアブレーションをやらなくっても済みそうな雲行きになってきた。
 そうこうしているうちにインフルエンザに罹って、タミフルのお世話になったりもした。


 そんなこんなで身体作りの方がおろそかになり、そちらが心配な状況である。


コメント (4)
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