九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

「よたよたランナーの手記」(55) 二歩前進一歩後退  文科系

2014年06月30日 22時33分08秒 | 文芸作品
 1か月以上にわたってアキレス腱周囲炎を抱えてきた前回6月20日は、こんなことを書いていた。
【 こういう状況を踏まえて19日には、20日ぶりほどになるジムランニングに出かけた。怖々と走り始めた最初の30分は、速歩きの時間を長く取ってから走り始め、そのスピードもセーブにセーブを重ねて合計3.7キロ。痛みはないしまだ走れるとも分かったから、もう一度走り始めた。時速7.5キロから始めて後半8キロ時にしても意外に長続きして、結局30分を痛みもほとんどなく終えることが出来た。これが3.9キロで、合計60分、7.6キロ。故障明けの試行錯誤としてはこの上ない結果とあってほっとしたし、】

 さて、いったん治った右アキレス腱周辺を又痛めた。
 6月23日のサイクリングを経て、25日に外走りを試みた時のことである。歩きからゆっくりと走り始めて、それが好調だったせいか、今思えば1.5キロを過ぎた辺りで無意識にスピードを上げすぎたようだ。突然問題の右アキレス腱の外側、ちょっと上の方に軽い、不思議な痛みが走った。今までとはちょっと違う箇所、それも小さな筋肉のそのまた一部が切れたらしい。ゆっくりと歩いて家に帰ってきた。歩くのが辛いとまでは行かない小さな箇所だが今度は何日かかるかななどと自分に問いながら。
 ちなみに、23日のサイクリングは極めて好調だったのだ。あんなに長く心地良い最大限度の激走を2度も敢行したのはずい分久しぶりというほどで、我がパナソニック・レーサー”プレスティージ(1997年物)”も近年にないほど身を震わせて喜んでいたはずなのである。サイクリングはアキレス腱痛からの根気良いリハビリで強くなった箇所だけを使って走れるからこうなったのであって、この日のこんな栄光と一日おいた再度の挫折とが今でも我が身に見えるからこそ、いつもまた頑張れるのである。

 以降翌26日は階段20往復、27日は70往復、30日には30分ほどの散歩と階段50往復というように患部が痛まないような運動に励んできた。アイシング、ストレッチ、痛まない程度の片脚毎つま先立ち運動などに毎日努めながら、膝や大腿などが衰えないようにするための運動のつもりなのである。再発の失意は言うまでもないし、年寄りの冷や水感などはもう感じすぎている。でも、そこからスタートしていくしかないって、28日のギター教室発表会の情け無さすぎる出来と同じ事なのである。指が弦にきちんとかからず日頃の3割も行かないと感じて、演奏後なんか惨めな気持ちだった。それでも僕はまた努力を続けていくつもりだ。歳を憎むのではなく、歳と付き合っていく積もりなのである。一進一退が一進三退になったとしても音楽は音楽であるように、たとえ歩くのと変わらないスピードでもランニングはランニングであると自分に言い聞かせるのである。数日こんなふうに過ごしたら、また走れるようになるだろう。年を取るということは、我が身をじたばたと日々新たな実験にさらすようなもんだ。

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集団的自衛権と谷内正太郎国家安保局長  文科系

2014年06月29日 20時42分56秒 | 国内政治・経済・社会問題
 集団的自衛権解釈改憲が内閣によって強行されようとしている。与党内で反対していた公明党も、創価学会婦人部などのかなり強硬な不賛成を押し切って、この流れを後押ししていくと決めたようだ。
 こういう情勢を巡って、去年の1月にここに掲載した標記内容の記事を再掲する。こんな事を語った人物が今は初代国家安全保障局長って、まるで上から目線だけのペテン内閣であると思う。

【 愚かな谷内正太郎談話  文科系  2013年01月10日 | 国内政治・時事問題

 本日の中日新聞に、谷内正太郎・内閣官房参与(元外務次官)から聴き取った話が載っていた。その末尾にこんなくだりがある。
『集団的自衛権については、自らが攻撃された時は他の国に助けてもらう、その国が攻撃された時は「われ関せず」という態度は責任ある大国としてありえない。集団的自衛権は国家の品格、品性に関わる問題だ。米国も、そのような日本の貢献を期待している』
 さて、この谷内氏の理屈にかかわって、本日二つのコメントを書いたばかりなので、転載する。二つのコメントを書いた後に、この記事を読んだのだったが。

『 暗黙の当然 ! (文科系) 2013-01-10 08:56:37
 名無しさんへ
 上の文章からすれば、九条は当然こう。

 アメリカは軍事予算でどんどん衰退を速めたと言える。冷戦が終わったときに、こんな声が米国識者に多かったのに、これを無視したからだ。
「3000億ドル軍事費の半分を経済に回して、日本などの経済力に対抗すべき」
 安倍が今時「防衛力増強」って、アメリカの後を追いかけその軍事予算削減の穴埋めでもするつもりか。としたら、アメリカが衰退してきたスパン以上に、国の衰退をもっと早めるだけだ。今時9条改訂なんて、バカのやること。それはアメリカが証明済みと言える。アフガン戦争でもイラク戦争でもね。ほんとにアメリカはどうするんだろうか。そして安倍はバカやるんだろうか? 』

『 アメリカの意向 (文科系) 2013-01-10 09:08:23
 アメリカの日本への意向はこう。
ドル体制を守る戦力の片棒を、1500兆円の(老人)資産がある日本に担がせたいだけだ。イラク戦争は、ドル体制を守るためだった。00年11月にフセインが石油決済ドル体制から離脱したからだ。
 なんのことはない。衰えつつあるドル世界体制を守るために、日本の若者が殺されるのだ。それを、こう美化しているだけ。
「同盟国と言いながら、アメリカが攻撃されても銃も撃てない日本!」
 本音を隠して上手い理屈を考え出すのは、ディベートに強いアメリカの常道である。そんなことも分からぬから、安倍をバカというのだ。9条があれば「(出兵せねば)トヨタが輸出できなくなるぞ」など何を言われても、「国民が許さないので、済みませんが(無理です)」と言えるのである。』

 谷内氏は「国家の品格、品性」などと言うが、この場合、馬鹿も休み休み言えと言いたい。相手を見て物を言えということだ。
 嘘の理由で、国連の反対を押し切って有志国だけを募ってイラク戦争を起こした国。そこでたくさんの自国の若者、無数の相手国民を殺した国。後になって大統領が『嘘の理由だとは知らなかった』とテレビで堂々と泣き言を語ってみせた国。因みに、政府・外務省から、イラク戦争に参戦したが、嘘の理由に丸め込まれて莫大な金を浪費したことについて、何か釈明でもあったたっけ?
 こういう国相手にこんな「品格、品性」を語るのは馬の耳に念仏どころでは済まないはずである。今後、嘘の理由で戦争を起こして、そのために日本の若者が殺されるということが起らないという保証が一体どこにあるのか。あなたはそういう保証をどこかで確認できたのか!? 当方が品格をもって接するべきなのは、品格のある相手だろう。嘘の理由をでっちあげて戦争を起こすというような品格のない相手にこんな態度は、呆れて物が言えない。
 さらに、こんなこともある。相手は、傾きかけた軍事超大国だ。しかもイラク戦争に見るように、ドル体制を守るためなら嘘の戦争も辞さぬ、何でもしようと決めた国だと考えるべきだ。現に、冷戦が終わっても経済に金を回さず軍事力をかえって増強したのは、こういうやり方で行こうと決めたということではないのか。そうでない保証が一体、どこにあるというのか? アメリカがイランを今もこれだけ敵視する理由も、この国が独自の石油取引所を設けてユーロ決済も可能としたからだったはずである。06年春に騒がれたこの問題はその後どうなったのか。日本は確か、アガザディン油田から撤退させられたようだが?

 谷内氏のこの言葉が、確信犯的悪漢相手の「おつきあいポーズ」であることを期待したい。】

 さて、谷内氏のこの言葉が、全く「おつきあいポーズ」ではなくって、確信犯的に国民を欺こうとするデマ宣伝文句だということが今日白日の下にさらされている。本日の中日新聞によれば、アメリカの有志連合国としてアフガンに出兵した若者たちにこれだけ死者が出たということだ。英国453人、カナダ158人、フランス86人、ドイツ54人、イタリア48人、デンマーク43人、オーストラリア40人、ポーランド38人、スペイン34人、アメリカ2334人などである。それで、このアフガンや後に出兵したイラクは、何か安定したのか。大混乱してさらに多くの人々が死んだだけだ。イラク関連では関連死を含めて、少なく見ても50万人と現地調査したある団体がはじき出している。
 アメリカとの集団安保で出兵しても、他国の平和をさらに乱した上に、自国他国の人々を長い間より多く殺すだけ。これが今、日本が世界平和のためにこそ真に教訓にすべきことではないだろうか。
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安倍さんの意図が読めません・・・     らくせき

2014年06月28日 09時24分30秒 | Weblog
なぜ、あんなに前のめりに戦争への道を切り拓こうとするのか?
日本が安保によって雁字搦めにアメリカに従属しているのに
全然、手を打たないで・・・
結果としてアメリカのために日本人の血を流す戦争に協力する。

再軍備や靖国参拝が信念であったとしても。
半世紀上の従属を改善しようとせずに。
尊敬する祖父の岸信介さんも首をかしげるのでは?

あるいはアメリカから、強い圧力がかかっているのか?
その辺りの背景の解説がほしいものです。


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ザックジャパン(169) 全体的総括3 「個の力?」  文科系

2014年06月28日 01時21分48秒 | スポーツ
 今回のWC代表総括でも個の力が足りなかったなどと、新聞にも長々と書いてある。個の力って、何か? 分かったようで分からない言葉だ。個人の総合的能力とどう違う? 結局両者は同じ事だと、それが僕の結論である。  
 
 まず、個という場合、そこに何もかも一緒くたにしているから議論が粗くなる。例えば同じ点取り屋でもインザキ、イブラの個の力は全く異なる。相手を蹴散らしてシュートするというような大きさ、強さは後者が上だ。全くタイプの違ったシュート技術は同じく世界最高水準で劣らないと言えようが、インザキはイブラよりも周囲を見て得点を予感する場所を探す「個の力」がずっと高いはずだ。岡崎にはインザキ的な個の力が現在の「世界水準で」あると言える。その上で岡崎は、FWとしては異例の個の守備力も備えている。つまり、守備の貢献も見ないと彼の総合的能力は分からない。逆に、岡崎の個の守備力を買っているからこそ、ドイツ上位チームに名を連ねるようになったマインツが、得点できない間も岡崎を先発ワントップで使い続けてきたのではないか。

 次いで、ピルロとジェラード比較とか、シャビとブスケッツ比較。パワーは問題なくそれぞれ後者が上で、技術は同じほどと見ても、彼我の組織を見て当たられないポジションを取ることや長短の正確なパスなど「広く正確な視野を基礎とした個」で言えば間違いなく前者が上。個の視野については、遠藤やシュンスケはピルロやシャビに近いものがあると言ったら言い過ぎだろうか。つまり、遠藤、俊輔はヨーロッパの並のMFよりもこの個が高い。この個が高いから変に当たられず良いパスを通すという特徴を持つが、これも当たりをすり抜ける個の強さという一つの在り方だ。逆に、視野が劣りがちな高度技術者などは、大きいゲームでは怖くって使えないはずである。

 こうして、これら全部を含めて個の力を比較するのは思ったよりずっと複雑な作業であって、個の強さといっても正確なものにはならず、総合力として述べるならば一言で「そのポジションの能力(が高いか否か)」しかないはずである。個の力というと難しいけれど、総合的能力が高い選手といえば見たら分かるというようなものだ。ただ、サッカーで必要な能力が一応全部見える人でないと、これは見えないとも言える。蹴散らす力は見えても、ポジション能力などは見えにくいはずだ。こうして、本田や岡崎、遠藤や内田や長友は、これが高い。ただ、香川のように秀逸な攻撃力と劣った守備力とが同居しているような人間の評価が難しいのだろう。そういう選手はただ、前者が欲しいチームが他の人間に後者をカバーさせて使いたがるということではないか。そういうチームにとっては、香川の個、総合的能力も非常に高いことになる。ドルトムントにとっては、アザールと同じように。
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ザックジャパン(168) 全体的総括2   文科系

2014年06月26日 16時12分00秒 | スポーツ
 これだけの激流と結末を簡単に総括など出来るわけもないものだが、その1に書いたことの続きとして、若干の資料をあげておく。この間に書いた三つのコメントを列記することにした。

【 皆さんへ   (文科系)2014-06-26 13:23:03
 この論議は非常に難しいものと考えています。23日に書いた随筆「世界サッカーに異変」をも合わせてお読み下さい。
 なお、ザックのことですが、今の正直な気持ちを吐露しています。「驚いている。なんでこうなったのかまだ分からない」と。責任は感じていると第一に語った上でこう言っているのであって、彼らしい率直さ、温厚さと思います。事態はジーコの時とうり二つ。彼も人格者でしたが、やはり日本人が分からなくて、すれ違ったのだと反省していたはずです。ジーコについては、彼の戦術に最も忠実であったヒデが「人格者である」と尊敬しているところ。負けたからという理由でこういう人間を貶めることはないと思います。ドイツ大会敗戦直後あれだけ悲嘆に暮れていたヒデが、ジーコと今でも友達であることを僕は好ましく思っています。
 ザックの呆然、特にこのことの今後を見つめていきたいとも。「練習ゲームでは選手らは言いつけを必ずしも守らずかなり自由にやってきたのに、本番では私の言葉にがんじがらめって、どうして?」】

【 ザック   (文科系)2014-06-26 13:55:15
 ザックは選手、スタッフを一言も批判しないどころか、もう一度やれと言われても同じメンバーでやると語った。そんな監督を、長谷部と長友などは溜まらなく好きらしい。長友は「勝たせてあげたかった」と泣きだしたほどだ。長谷部は、多分正式なものだが、こんな談話を出している。こういう監督について、釜本などが例によってトロイ発言を連発している光景は面白い!以下は、長谷部の言葉。

『 「結果が出なかった時に監督や選手が批判される事は当然の事と思います。しかし、四年前に言葉も文化も全く異なる国に来て、日本という国・日本人の心を理解しようと最大限努力し、その心や文化を尊重し日本を愛してくれた素晴らしい人間性をもった方であった事は、日本人として忘れないでいて欲しいです」
 主将としてザック監督とは何度も会話を交わし、その人間性も理解してきた長谷部だからこそ、自然とそんな言葉も出てくるのだろう。』】

【 本田の反省   (文科系)2014-06-26 16:08:16
 ゲキサカからの記事だが、一夜明けて本田がこう語ったとのこと。正式会見みたいだが。

『「(昨夜は)いろんなことを考えた。やはり一番考えて辛かったのは、4年間正しいと思って貫いてきたことを、結果として否定せざるを得なくなったこと」
 今まで見せたことのなかった弱気な表情があった。ブラジルでの3試合で示された現実はそれほどに重く、痛みを伴うものだった。だからこそ、素直に受け入れられる。
「負けて、内容でも自分たちの納得のいく試合ができなかった以上は、時間をかけて自分自身の物差しづくりを一からやり直さないといけない。オランダ時代に一度だけ今回と似たような状況があったけど、そのとき以上の精神的改革、目標の改革、物差しの改革が必要になるのではないか」』

 以下、この言葉への僕の若干の思いを書いてみる。全く彼を批判するというのではなくって。
 まず、このチームは自分のチームだというように振る舞えていたのだということだけははっきりと分かる。それが攻撃的パスサッカーへの拘りであることも、言外に分かる。これを結果的にどこか反省して、次の代表基準を作り直そうと言うのだが、それがどういうものかはまだ分からないと、こういう事だろう。僕もこの結末は是非全面的に総括しておきたい。今後協会の総括文などに注目していく積もりだ。】
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新聞の片隅に載ったニュースから(154)     大西五郎

2014年06月26日 10時01分12秒 | Weblog
「憲法65条で適正に」首相、解釈変更で正当性主張(14.6.25 朝日新聞)

 首相は24日の会見で、集団的自衛権の行使を憲法改正でなく憲法解釈の変更によって認めようとすることについて、「解釈は最高裁に最終確定の権能があるが、行政府が(憲法)65条のもと、適正に解釈していくことは当然必要なことだ」と主張。政権による解釈変更を正当化した。
 憲法65条は「行政権は、内閣に属する」と規定している。首相はまた、与党協議で示された閣議決定案に関し「憲法のもとで認められる自衛権の行使は(政府の)従来の基本的立場を変えるものではない」と語り、歴代政権の政府見解を踏まえた判断であることも強調した。
 首都大学東京の木村草太准教授(憲法)によると、65条の「行政権」に基づく事務については、73条で「一般行政事務」「外交関係を処理」などと具体的に定められている。木村氏は「集団的自衛権の行使のような対外的な軍事活動は73条において定められていない。行政権の執行を理由に、解釈変更で行使を容認しようとするのは無理がある」と指摘する。
□□――――――――――――――――――――――――――――――――――――――□□
安倍首相の「米艦に収容された邦人を警護するためにも集団的自衛権の行使が必要」というパネルまで使った「論理」は、「米艦が邦人を収容することを期待しないでほしい」という米国務長官と国防長官連名の通達があることで否定されましたが、また新たに解釈改憲で集団的自衛権の行使を正当化する「論理」を持ち出しました。では、憲法に規定されている「行政権を見てみましょう。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
憲法第65条【行政権】行政権は、内閣に属する。
第73条【内閣の職務】内閣は、他の一般行政事務の外、左の事務を行なふ。
一 法律を誠実に執行し、国務を総理すること。
二 外交関係を処理すること。
三 条約を締結すること。但し、事前に、時宜によっては事後に、国会の承認を経ることを必要とする。
四 法律の定める基準に従ひ、官吏に関する事務を掌理すること。
五 予算を作成して国会に提出すること。
六 この憲法及び法律の規定を実施するために、政令を制定すること。但し、政令には、特にその法律の委任がある場合を除いては、罰則を設けることができない。
七 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権をすること。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
 ご覧のとおり内閣が行使できる行政権はオールマイティではないのです。
 安倍首相は成蹊大学法学部出身だそうですが、法学部の学生なら当然憲法の講義を受け、単位を取得したと思いますが、その授業の時居眠りしていたのか、サボってマージャン屋に行っていたのかは知りませんが、憲法の基本の立憲主義を知らないようです。その人が、突然「65条がある」と叫んだのですが、補佐官とか参与などの肩書きを持つ側近が知恵を付けたのでしょうか。
憲法9条と集団的自衛権についての解釈もそうですが、自分に都合のいい解釈で自分がやりたいことを推し通すのはやめてほしいです。
                                          大西 五郎
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中央日報より    らくせき

2014年06月25日 13時47分56秒 | Weblog
「韓国という『素材』がなかったら、おそらく産経は新聞を作ることができずに廃刊していただろう」と
いう見出しで、こんな記事を載せていました。
とても興味深いので、紹介します。

                      

日本赴任前、東京特派員だった先輩に聞いた忠告を今でも記憶している。「産経は絶対引用するなよ。全部ウソだから」

当時はそのまま笑って受け流した。実際、特派員生活をしてみると産経記事にも紹介するだけの記事が時々あった。「ものごとをこのように180度反対から見ることもできるのだな」と考えさせてくれた。日本社会の多様さを見せているのだと思って肯定的に理解しようとした。しかし最近の産経報道を見ていると、度を越しているという感じを拭えない。いくつか例を挙げてみたい。

23日付1面トップ記事は、今月11日にソウルで開かれた慰安婦問題解決を促す「水曜集会」関連の記事だった。集会現場に、8日に亡くなったペ・チュンヒさんの遺影があったことをめぐり、産経は大きな見出しを選んでこのように書いた。「慰安婦は、死してなお対日歴史戦の戦士と祭り上げられ、反日の道具と…」。生前に日本が犯した人権蹂躪(じゅうりん)に対してちゃんとした謝罪も受けられないまま無念に生涯を閉じた女性の死を、あきれることに「反日の道具」云々して蔑んだ。論調どうのという次元を離れて低質の極みだ。

韓国側の人物の発言を前後すべて切り落とし、自分たちの都合のいいように論点を換えるのもよくあることだ。17日付では河野談話発表当時、駐日大使館として勤めた元当局者が「日本側から『内々に相談に乗ってほしい』と要請があった…(中略)…『総じて』とある。こうした表現ならば大丈夫ではないか、などの意思表明をした」と述べたことをめぐり、「韓国側の当事者が、すり合わせは日本側の求めに応じたものだと証言したことで、(河野)談話の『嘘』がまた一つ明るみに出た形となった」と変身させた。

23日には「ワールドカップサッカーの韓国-アルジェリア戦の途中、アルジェリア選手の顔にレーザーポイントが合わされていた」として韓国ファンの仕業のように巧妙に報道した。産経インターネット版ではこの記事がトップ記事だった。

日本のある有力紙記者は「韓国という『素材』がなかったら、おそらく産経は新聞を作ることができずに廃刊していただろう」という冗談で、産経の「反韓報道」を遠回しに皮肉った。

4月から始まった産経の企画記事「歴史戦」というタイトルも隣国を戦争の対象とする発想が感じられる。日本を太平洋戦争に駆り立てた主犯の一つも、国家主義的で対外膨張主義的な扇動を行った“言論”だった。

産経が極右の先鋒として、安倍政権の“提灯持ち”を自負しようがしまいがそれは産経の自由だ。しかしいくら産経が逆立ちしたまま歴史をひっくり返して解釈しようとしても変わらない真実がある。日本は加害者で韓国は被害者だったという不変の史実だ。今でもそれを知って記事を書くならば「産経記事も引用するべきことはしろ」という話を後輩に聞かせようと思う。大きな期待はしないが。

金玄基(キム・ヒョンギ)東京総局長
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ザックジャパン(167) 全体的総括  文科系

2014年06月25日 12時21分55秒 | スポーツ
① 先ずはとにかく、ギリシャにおめでとう!(と言うしかないよね)このギリシャは、強豪に敗戦、次が引き分け、最後は2位チームを引きずり下ろしてのロスタイム勝利だ。とにかくご立派! 最後のゲームで日本がやりたかったことを最下位予想のギリシャが日本が負けた相手に敢行したのだから、褒めるしかないのである。まーヨーロッパでいつも格上、強豪に揉まれていることに一日の長があるのだろう。アジア、アフリカはその点ではどうしても厳しさが続かないから、不利なのだろう。日常の世界順位も上がりにくいのだし。

② さて、返す返すも残念なのが、誰でもが口を酸っぱくして予告した重要な初戦、あの敗戦の痛さ。前半40分過ぎから続けざまにシュートを浴びたあの情けなさ! あれだけ腰が引けてはボールは奪えず、たまに奪えても攻撃にもならず、到底勝てないという見本であった。なんであんなことになったのか、協会に徹底的な聞き取り調査などを要求したい。もちろん今後の為にである。

③ 腰が引けると言えば、これが肝心の今日も出た。敵の2得点目だが、4人も居た味方の誰もが味方ペナルティーエリア外左サイドでの長いドリブルに体をぶつけられずに抜かれてしまった。あのドリブルが始まった直後に、僕は思わず悲鳴を上げていた。シュートまで行くとの予感からだが、ペナルティーエリアの左外サイドからというあそこでドリブルスピードを上げさせてしまってはメッシでなくとも止められない。5人目の内田があわててシュートコースを消しに行った時は微かに当たっただけで、コースはほぼ変わらず。あれには内田が一番驚いたのではないか! どうしてあんなことになったのか。ドリブル体勢に入った時の周囲の味方がもたれ合ったとしか思えない。1対1の覚悟を避けているようにさえ見えた。
 この失点からはもう攻めに行くしかなくなったのだが、後のカウンター2得点は既によくあるオマケみたいなもんだ。2得点目で終わっていたのである。つまり、あんな得点をされては味方への自信喪失、疑心暗鬼のようなショックは計り知れないし、勝つ権利はなくなったと言いたい。
 対するギリシャはどうだ。追いつかれても、ロスタイムで決勝点。『我らの「ドリブル5人抜かれ」にギリシャのロスタイム決勝弾』が、コートジボアール戦に次ぐ情けなさと言える。この二つの情けなさを前にすると、今日のコロンビア戦前半にこのWCで初めて見えた攻める姿勢も影の薄いものになる。

④ 個々の選手を取り上げて何度も言ってきたように、選手の力としては世界20位ほどのチームだと思う。コンパクトプレスが効いて、ショートパス攻撃が好調な時は10位ほどとも。ただいかんせん、強豪とやる機会が少なく、厳しさが不足している。それが特に守備に現れていると思う。脚の速いセンターバックが欲しい。もちろんコンパクトプレス用のCBであるが、敵カウンター選手に追いつくような内田みたいな脚力が欲しい。今回の敗戦もおそらく、CBにコンパクトプレスの自信がないからつい間延びしてボール奪取が上手く行かず、かつ攻めの時の距離も遠くなってパスが繋がらなかったと、そういう側面があると思う。他方世界を見れば、この大会でこんなことが示されたと言える。ボール奪取力とショートカウンターとの組織的個人的両様の飛躍である。下手をすると日本は取り残されるというようなそれだ。

⑤ このことにつきもっと大きい問題があった。そういう弱点がテストマッチでも度々現れていたのだが、それが監督選手が一致して直視し対策することができていたのか。それができていたならば、対コートジボアール決戦で両ウイングに敵サイドバックの上がりを追いかけさせ、陣型を間延びさせるなどということが起こるはずがないではないか。その意味では、ドイツ大会敗戦と同じ事が起こったようにも見ている。この間延びが、ドイツの時は前から問題視されていたが、今回は監督自身がこれを許容していたというような結末。このことには凄く割り切れぬ思いが溜まってしまった
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ネトウヨはヤクザの態度、論理! (文科系)

2014年06月24日 20時28分54秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
 大西さんのエントリーに付けさせていただいた二つのコメントを、エントリーに格上げする。いずれも、若干の補足修正をした。

『 ヤクザの態度! (文科系) 2014-06-23 22:08:48
 偏狭にねじ曲がった愛国主義が、邪な歴史見直し・改ざんに繋がるのは、歴史法則。以下のように、まるでヤクザの態度である。
 「大日本帝国!」の朝鮮侵略を、「征服までの執拗な武力進出40年に続いて、植民地35年」の事績としてこのブログで描いて来たつもりだ。征服前の40年でも、例えば日清戦争に繋がった東学教徒反乱事件などは、どれだけ韓国の人々を殺したろうかと。その後、1929年の世界大恐慌で日本でも「娘売ります」の時代があったことを考えれば、文字通りの慰安婦強制が万一なかったとしても、強制も同じ事を日本が韓国にしたと証明してきたつもりだ。値が高いから商品になる米は税金として群山港などから日本へ輸出し、朝鮮の方々は粟や稗を食べている貧しさにあったなら、「娘売ります」は必然である。それを細かいところで、ちまちまと日本蛮行を打ち消そうとしてきた。こういう大本を顧みることなく姑息なことを論じている輩は、軽蔑の対象にしかならないだろう。何の正しい教養も知性もなく、ただ相手にイチャモンを付けるだけという意味で、もうヤクザの発想である。
『「軍の意向を受けた業者」とする原案を「軍の要請を受けた業者」と訂正した事実』??!!
 火を見ないで煙を探す?類と言える。実際の火の前には、煙なんかはどっちでも良いことであるはずなのに。ヤクザのように私利を押し通すだけの連中は、理性がどこまでも落ちていく。だから歴史は怖いと思うのだけれど。』

『 南京大虐殺も同じ論理 (文科系)2014-06-24 13:03:19
 南京大虐殺否定論も同じ論理だと観ている。こういう言い方をするのである。
「死者が40万??そんなに多いわけがない。第一南京市の人口はこんなに少ないぞ?!」
 対して、歴史資料をよく調べた歴史家らはこう反論するはずだ。南京入城は、上海陥落の直後に起こったこと。上海の3か月続いた激戦からの上海中国軍大潰走は長江沿いに南京に向かったのである。つまり、首都南京には、上海からの敗残兵が溢れきっていた。そして、これを我先にとこれまた長江沿いに日本兵が追走したのだと、そういう構図である。この後に首都南京で起こることは、歴史の素人でも目に浮かぶ。上海の長い激戦で戦友らを多数殺された日本兵の敵愾心がこもった興奮、武者震いはどれほどのものであったことか。1937年12月12日の夜から13日朝にかけて、高い城壁に囲まれた南京の正門からのみ長江へと潰走していく敵軍を川端に追い詰めた虐殺がどんな光景であったのか。民間人に化けるのを常道としていた寄せ集めの中国兵をば民間人諸共に殺す必要もあったのである。陸軍歩兵学校が発行した「対支那軍戦闘法の研究」には、こんな下りも存在したのである。
『支那人は戸籍法完全ならざるのみならず、特に兵員は浮浪者』
『仮にこれを殺害又は他の地方に放つも世間的に問題となること無し』
 因みに日中戦争は日本の都合から宣戦布告が無く、日清、日露戦争のような戦争ではないのだ。よって「(戦争)国際法の遵守」も不必要、これは命じられてはいなかったのである。

 こういう「大状況」に対して、3万と言ったり、せいぜい数千と言ってみたりする死者の人数論だけを返すのは、やはり煙を論じて火を見ないやり方である。完全燃焼の炎が誰の目にも見えたのに、煙がないから炎はないという論法である。ただ、歴史を知らぬ若い人には炎が見えないことを拠り所としている悪辣さというわけだ。東京裁判否定も含めて、安倍周辺の15年戦争蒸し返し論議はすべてこういう論理と断定してよいと観ている。ただ愚かな、まことに自分勝手な論理という以外にはない。』
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新聞の片隅に載ったニュースから(153)    大西五郎

2014年06月23日 18時57分50秒 | Weblog
河野氏の参考人招致検討の意向 萩生田(自民)総裁特別補佐 (14.6.23 毎日新聞)

 自民党の萩生田光一総裁特別補佐は22日のフジテレビの番組で、従軍慰安婦問題に関する河野洋平官房長官談話を検証した政府の報告書が公表されたことを受け、「(河野氏)本人に発言したい気持があるなら、ぜひ国会に出てきてきちんと説明してほしい。当然党として話題になる」と述べ、河野氏の意向を踏まえ参考人招致を検討する考えを示した。日本維新の会は今国会(会期末22日)中の招致を要求したが、自民党は応じなかった。
 各国で慰安婦像を設置する動きが出ていることには「報告書を英訳し、世界に発信するツールに使えるのではないか」と語った。

□□――――――――――――――――――――――――――――――――――――――□□

 安倍首相は河野談話については当初見直す考えを持っていましたが、第2次政権では見直すことはしないと表明しました。ところが見直しを唱えていた維新の会の山田宏議員が軍の強制はなかった。河野談話の作成過程を検証すべきだと、談話作成当時の内閣官房副長官の石原信雄氏を衆議院予算委員会に呼んで作成過程について問い質しました。石原氏が「元慰安婦だった人から聞き取りはしたが、その人たちの気持を慮って裏づけはとらなかった」と証言すると、河野談話の作成過程の検証を要求しました。安倍内閣はそれに応える形で「河野談話の見直しはしないが、検証はする」と、元検事総長の但木敬一氏ら5人の委員に検証を依頼しました。
 その検討チームが20日に報告書を公表しましたが、それには日韓両政府の間で文言の調整が行なわれたこと。例えば慰安婦の募集者に関して「軍の意向を受けた業者」とする原案を「軍の要請を受けた業者」と訂正した事実などが書かれていたり、慰安婦だった人の証言の裏付け調査は行なわなかったことなどが報告されました。
 萩生田氏は報告書が出される前から(3月23日のフジテレビの番組)「(検証で)新しい事実が出てくれば新しい談話を発表すればいい」と見直しがあり得ると主張していました。首相(自民党総裁)や官房長官が「談話の見直しは行なわない」と言っているのに、総裁特別補佐という側近がそれを否定したのです。
 そもそも政権の責任者が「見直しは行なわない」と言明しているのに、作成過程の検証を行なう必要はないわけで、口先の言明とは別に、見直しにつなげたいという下心が見えます。首相(党総裁)が言えば大ごとになるので、側近に言わせたというのではないでしょうか。靖国神社参拝でもアメリカが「失望した」と言ったのに対し衛藤晃一首相補佐官が「我々の方が失望した」と云ったり、本田悦朗内閣官房参与が神風特攻隊を賛美して首相の靖国参拝を正当化しました。
 河野洋平氏本人は「報告書には私が足すべきものも引くべきものもない。正しくすべて書かれている」と述べ、「(慰安婦は)いろいろな集まり方があったかもしれないが、施設に入ったら軍の命令で働かされた。帰れず、拒否できないなら強制的と見るのが当然だ」と談話への理解を求めました。
                                         大西 五郎
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随筆 世界サッカーに異変   文科系                 

2014年06月23日 02時14分59秒 | 文芸作品
 また、世界サッカーが激しく流動し始めた。全盛期にあったパスサッカーが勝てなくなって、堅守速攻チームがまたしても台頭して来たようなのである。

 ヨーロッパ各国チャンピオン・クラブらが戦う決勝戦にパスサッカーの強豪が勝ち残れず、アトレティコ・マドリッドという珍しいチームが準優勝して世界を騒がせた。この略称アレッティは、典型的な堅守速攻のカウンターチーム。と観ていたら今度は、このワールドカップで目を見張る出来事が続く。南ア大会優勝チームにしてパスサッカーの雄スペインが一次予選敗退と決まったのだ。また、金持ち強豪クラブが多い割には近年勝てなくなったサッカー発祥の国イングランドも予選敗退が決まった。この国も、その過去への拘りをやっと捨てて、パスサッカーを取り入れている真っ最中だった。かと思えば、このイングランドに引導を渡した予選D組をいち早く勝ちぬいたのが、断トツビリを予想されたコスタリカという名もない国。コスタリカはイタリアと南米の強豪ウルグァイを負かしたのだが、そのイタリア戦報・新聞の数行を引用してみよう。

『パスを回すイタリアに、敵陣からプレスをかけて速攻を主体に対抗した。44分にディアスの速いクロスをルイスが頭で合わせて先制に成功。後半は攻勢に出て来た相手を、5人が並ぶDF陣が粘り強くはね返した』

「敵陣からプレスをかけて速攻を主体に対抗した」。この文章からは、世界サッカー動向にちょっと通じた人なら連想できることがある。史上ほんの一時の栄光以外は名も金もないチームなのに世界の強豪クラブに割って入ってきたドイツ・ドルトムントと、このチームの金看板新戦術、ゲーゲンプレスである。「敵陣からプレスをかけて」敵ボールを奪い、「(ショートカウンターによる)速攻を主体に」得点するというやり方だ。人よりもダッシュを繰り返しつつボールが回せる無名の選手を集めて、独特の敵ボール奪取布陣とショートパス戦術を徹底して、短期に世界的強豪に駆け上がった賢い戦術と言って良い。ただここの複雑な練習方法は非公開の門外不出。他チームが必死に真似ようとしてきたことも既に有名な話だ。日本では、香川真司がここのエースとして世界に知られるようになった。今の世界で、このチームから学び、ボール奪取に長けた前プレスのコンパクト組織、それに向いた好選手を創り上げる監督があちらこちらに現れたのではないだろうか。僕はそんなボール奪取・ショートカウンター組織という新世界の出現を夢想してみた。

 さて、「日本代表史上最強チーム」も予想を覆して、一本の蜘蛛の糸を残した予選敗退の危機にある。この風前の灯火・日本代表について、世界動向も無縁ではなかったと思う。従来の強豪型・パスサッカーでいくのか、ドルトムント流プレスをも取り入れるのか。ザッケローニ監督や選手たちにも、そんな迷いがあったのではないか。初戦コートジボアール戦は、パスサッカーによる中央突破を封印しただけではなく、攻撃の柱でもある二選手、岡崎と香川に敵サイドバックの上がりに付いていく守備の戻りを命じていた。ギリシャ戦でも、好調時のパスサッカーは封印したままで、サイドクロス攻撃と中距離シュートなどを徒に繰り返しただけだ。かと言ってコートジボアール戦などは前陣で敵ボールを奪うというポイントは弱いままだった。高い位置で敵ボールが奪えなければ前列選手が浮いてしまい、得意のショートパス攻撃が不発に終わるのも明らかだった。どうしてこんな中途半端な戦い方になったのだろうか。僕には、監督にも選手らにも迷いがあったとしか思えないのである。そして、テストマッチでは時に華麗なショートパス攻撃を繰り広げた選手たちが、本番では迷ったままの監督に忠実でありすぎた、とも。
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中央日報より    らくせき

2014年06月22日 19時05分56秒 | Weblog
香港でW杯をテレビ観戦した韓国記者のレポートです。
こんな視点もあるな、という意味で紹介します。要約ではなく全文です。

               
      

15日、香港市内のショッピングモールのシティウォーク。朝から200人ほどが集まり大型スクリーンでワールドカップ中継を見ていた。日本とコートジボワールの試合だった。香港や中国の試合でもないのに結構な熱気を帯びていた。雰囲気は100%に近い一方的応援だった。コートジボワールが得点チャンスを得るたびに歓声が起きた。代表攻撃手のドログバがボールを持って走れば満場の拍手が起こった。コートジボワールのゴールが決まると席から立ち上がり両手を上げて喜ぶ人たちも多かった。結果はコートジボワールが2対1で逆転勝ち。香港人はさっぱりした表情で散っていった。他国同士の試合を一生懸命に応援し見守る姿、珍風景だった。

コートジボワールが正確にどこにある国なのか知っている人がその場にどれだけいただろうか。英語圏での名称のアイボリーコーストと呼んできたところと同じ国なのか知っている人たちもそれほど多くなかっただろう。中国人が特に好きな象牙の主要供給地だったということ以外はアフリカ西部のこの国と香港または中国の間にこれといった縁があるものでもない。

冷静に考えれば日本がワールドカップベスト16進出、またはそれ以上の成績を上げることは香港や中国にとって悪いことではない。似たような身体条件のアジア人も十分にサッカーをうまくやれるということを確認する機会になり、長期的にはアジアに配分された4.5枚の本戦チケット(欧州は13枚)を増やすのにつながるかも知れない。

香港人に「なぜコートジボワールを応援するのか」と尋ねると表情が一瞬固まり、「日本人か」と聞き返した。「韓国人だ」と言ったところ表情を緩め、「私たちは日本が好きでない」と短く答えた。日本は1941年12月の真珠湾攻撃と同時に英国が支配中の香港も侵略し45年の敗戦時まで占領した。香港人は軍事施設建設に強制的に動員された。香港市内には日本軍“慰安所”の痕跡がいまでも残っている。最近では中国と日本の尖閣諸島(中国名・釣魚島)の領有権紛争で香港でも日本製品不買運動が起きた。ある香港在住韓国人は「こちらの反日感情は韓国に勝るとも劣らない」と話した。

香港人の間で私は静かに日本を応援した。日本サッカーの技術的発展の成果を見たかった。このところ遅々として進まない韓国サッカーに刺激になるだろうとの期待もあった。しかし韓国・香港で、ひいてはアジア圏では“身辺安全”のためこうした気持ちをむやみに示すことはできない。日本政府の河野談話(慰安婦強制動員認定)無力化の試みでこれはさらに危険なことになった。サッカーをサッカーとして見ることができない隣国の事情を知ってか知らずか、日本はきょうも逆走中だ。

イ・サンオン社会部門記者(中央SUNDAY第380号)
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ザックジャパン(166) ギリシャ戦総括と今後の流れ  文科系

2014年06月21日 07時50分16秒 | 文芸作品
 標題のことを、165の賑やかな討論を受けて書かせていただく。瞬く間に付いた25のコメントには非常に面白いものがあったし。黒門町さんのも11月さんのも、そして×さんのも面白かったが、今回初登場・女性都議さんのはなかなかマニアックで、これが本物の都議さんとしたら日本の政治にもなかなかのお人が現れたもんだと、喜んでいる。まともな好きなものにのめり込むことがないような政治家に良い政治が説けるわけないと、これは僕の政治哲学の内包の一大柱だからだ。ついでながら、日本の平均的男性は文化度が低く、政治家に男ばかりが多いからだめなのであって、日本女性は男よりも一般に文化度が高いと見るから、僕はフェミニストなのである。

① ギリシャ戦総括
 今回の僕は1970さんとほぼ同じ認識、感慨、批判を抱いている。ギリシャ戦では問題のDFラインは上げられた。連発したクロス戦術も抜け出し狙いも、そして中距離シュートも良かった。だけど、肝心の攻撃スタイル、いくつもパスコースを作ったショートパス(中央)攻撃スタイルはどうなっちゃったのか。少なくともリスクが冒せない前半はともかく、相手が疲れた後半の後半には、この得意スタイルで行くのではなかったのか!それも片側で崩して即中央へ移行し、そこで多人数掛けて得点するのではなかったのか。選手はもちろん、監督もそのつもりではなかったのか!?これが今回のゲーム最大の論点、評価点でもあったはずだというのは、以下の通りである。
A 協会が南ア岡田に託したこれがうまく行かず、次回は攻撃スタイルを求めた。
Bザックも選手たちも、あの南ア大会のようにはしないと言っていたはずだ。
Cそれがベスト8を賭けて敗れたパラグァイ戦への日本中の反省点であったはずだ。
 これでは、1970さんが言うように、バカ試合といわれても仕方ない。また、もう一つのこんな理由もある。

②相手がいることだから、評価はこれとの相関関係があろう。
 ゲームは相手が居ることだから、それとの相対的評価というものがあろう。比較的批判が軽いカジュさんが、こう言う観点を取っているかに見えたので、これについて一言。
 選手たちの多くはこう宣言していたのだ。「世界1を狙う」と。また、優勝宣言を拒絶した監督でさえがベスト8までは狙っていたはずである。それがかなり絶望的になっているという現状がある。もっとも博識なだけでなく賢いとも思われる女性都議さんが言うように、これからギリシャと日本とが1対〇で勝てば日本は決勝に残れるという、そういう道は残っている。が、こういう窮地に追い込まれた以上は選手の健闘を称えるというわけにはいかないだろう。ファンに大きすぎる期待を持たせて、前回よりも悪い成績に終われば、悪い成績になったその理由も1970さんが語ったように正当化できない状況では、批判されるのが当たり前だ。それがプロというものだ。
 コートジボアールは守備に穴があった。けっして世界10位というようなチームではない。これは攻撃が苦手なギリシャも同じである。そこで負けたから都議さんに25位ぐらいだと言われることになった。これは、プロとしての目標から言えば情け無いことだ。少なくとも10位ほどを目指していたはずだからである。

③また、これは今後の問題として残しておくが、どうやらザックの能力問題も総括点として話題になるはずだ。案外無能だったと。ちょうどオーストラリア戦に負けた後で「選手がこんなに体力がないなんて意外だった」と言ってのけたジーコと同じなのではないかとも。この点については「アバウトなゲーム」と切って捨てた1970さんは流石慧眼とまた思ったしだいだ。
 香川先発ならまだ許せる。攻撃に行って負けたのなら言行一致している。それがないから許せないという1970さんは実に正しいことを言っている。つまり、ザックはアバウトだったと言われても仕方ないのである。言うことは正しかったけどやれなかったのか、見かけによらず少々無責任に語っていたということなのか。

④コロンビア戦への抱負
 コロンビア戦で1対0以上で勝てば、プロとしての最低線が維持出来るという道が残されている。そして、その後に「コスタリカ!」、ウルグァイのどちらかに勝てば、①~③すべて帳消しにできる道も未だ残っている。もっとも、この道はもはや他力本願にも頼らざるを得ない窮地を作ったのだが。監督、選手には短い期間にプロらしいやり方を尽くし、その半分の名誉に賭けてこの道を追求して欲しいと願うばかりだ。

⑤世界サッカーの流れの移り変わり
 スペインもイングランドも負けた。コスタリカが、ウルグァイとイタリアを破って決勝リーグに進むなどとどんな専門家が予想したろうか。サッカーの世界的流れが轟音諸共に奔流になって流れ始めた感がある。ちょうど、本年CL決勝前にティキタカサッカーが敗れて、カウンターサッカーが台頭して来たように。多分こんなことがおこったのだ。ティキタカサッカーには、どこか肝心なところでボールをかっ攫う技術をチームとして身につければ勝てると。賢い監督があちこちでこう言う道を発明し、磨いてきたということだと思う。
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「よたよたランナーの手記」(54) 故障明け第二歩  文科系

2014年06月20日 03時34分50秒 | 文芸作品
 一昨日は故障明け試行錯誤報告としてこんなことを書いた。
『13日には40分かけて4・3キロを、「ほぼ歩いた」。その(右アキレス腱の)痛みも2日後にはアイシングで消える程度と分かったので、16日には「ほぼ走ってみた」。45分で5.6キロになった。時速にすれば13日は6.5キロ、14日には7.5キロほどになる。わずか時速1キロの違いだが「ほぼ歩いた」のと「ほぼ走った」のでは大違いだ。それなのに16日は事後もほとんど痛みはない。故障回復末期でこわごわ実験したにも等しい試みが、見事成功したと分かった時は、我ながら嬉しかった』

 こういう状況を踏まえて19日には、20日ぶりほどになるジムランニングに出かけた。怖々と走り始めた最初の30分は、速歩きの時間を長く取ってから走り始め、そのスピードもセーブにセーブを重ねて合計3.7キロ。痛みはないしまだ走れるとも分かったから、もう一度走り始めた。時速7.5キロから始めて後半8キロ時にしても意外に長続きして、結局30分を痛みもほとんどなく終えることが出来た。これが3.9キロで、合計60分、7.6キロ。故障明けの試行錯誤としてはこの上ない結果とあってほっとしたし、明日からまたさらに励めるということなのだ。とともに、今回のアキレス腱痛の原因もよーく認識できたので、今後の為に書き留めておく。

 30才前に手術した左脚つけ根かその上下の椎間板が、以来重傷軽傷とたまにいろいろと起こったように今回もヘルニア再発を起こした。軽い再発だったが左脚に神経障害が起こっていて、知らぬ間にわずかだが力が入らなくなっていた。これが原因で左脚の蹴りが甘くなり、右脚に負担が行った。特に、右足蹴り出しに大きい負担がかかっていて右アキレス腱を痛めたと、そういうことなのだと知った。色々走り方を変えてみた末に左脚をきちんと蹴っている時は右アキレス腱に痛みが出ないと分かったからである。ここから、以上の自己診断ができたのだが、不幸中の幸いとはこの事だ。いや、今回の故障を損して得取れという結果に出来るかも知れない。
 この手記を読み返してみると、3月後半あたりから起こった不調とこれもまた歳のせいなのかなという感想との二つをここにも何回か書いてあると分かったのだが(46、47回辺りに)、思えばその頃から左脚に異常があったのである。そのころもう左の蹴りが微かに甘くなっていたのだろう。右アキレス腱痛が出てからはずっと椎間板の管理に気をつけつつ痛みがない左脚を鍛えていたのだが、この鍛錬が今後のランニング全体を改善するのではないかと、今思えるのである。3月15日の最速時(1時間で9.85キロ)を超えられるのではないかという楽しみも生まれたほどだ。
 すぐに年のせいにするのではなく色々と足掻いてみるものだなと、改めてまた自分に言い聞かせることができた。73才ってもう白秋もいいところ。後期高齢者の入り口に立っているのだが、こんなふうにまだまだランニング記録の上下に時めくことが出来るのである。1時間10キロを春爛漫の山に見立てて、頂上目指しまたあれこれと工夫してみよう。
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ザックジャパン(165) ギリシャ戦はこうしたい  文科系

2014年06月19日 13時52分54秒 | スポーツ
 コートジボアール戦はやはり、ザックの「守備重視」に忠実でありすぎたようだ。岡崎の「敵サイドバックに僕たちが付いていった」だけではなく、本田までが「守備重視ということだったが、日本人は言われた通りにしすぎる」とか語っていた。他の選手も「(ゲーム前)守備のことしか言われなかった」とも。とするとこのゲームは、最近勝利し続けてきたテストマッチをザックが講評した「勝ったとはいえ先に失点していて、好きなゲームとは言えない。個人プレーに走りすぎている」とは、ギャップがありすぎたことになる。この場合の個人プレーというのが、攻撃面のことだったのは明らかだからだ。練習マッチではかなり自由に攻撃をやり過ぎていて叱られ、本番では一転して「監督の守備強調に金縛り」って、選手にもザックにとっても大変なすれ違い、誤算ということになる。今度は、そんな誤算をおこさない真の意志一致をと期待したい。そのうえで、今度こそは両者一致して、前後も意志一致してDFラインを上げた日本の戦いをやって欲しい。できるだろうか。これが勝利への最大関門になるが、ギリシャ戦では出来ると僕は思う。カウンター要員以外は前に出てくるチームではないのだから。問題は、カウンター攻撃なりそこからのゴール前セットプレーなりで先取点を喰らう以前に、日本が得意の攻撃体制に早く持ち込めるかどうかである。その骨子は159に書いた通りだが、DFライン上げはとにかく大前提として、その上でまず以下160の文章。

『④ それにしても、次のギリシャも含めて、ブロック守備の相手から本番ではどう得点するのだろう。(中略)
 得意の「長友も上がった左の崩しから右で得点」と「裏への抜け出し得点」が最も可能性が高い。それには二つの前提がある。ザックが口を酸っぱくして言ってきたことなのだが、ワントップが敵CBを下げさせて敵陣に深さを作り、上がったSB一人と左右ウイングのうちの二人が敵陣を横に拡げていることである。その上で左の崩しなどに敵を集めてから、抜けだし得点。それでもダメなら左サイドを崩してからの中央得点』
 これが特に前半はザック原則だが、ドイツで威力を発揮した岡崎の抜け出しや、内田のクロスにはもっともっと期待して良いはずである。
 ドイツの状況を見るに、岡崎は周囲が思う以上の得点力を持っているはずだ。パスの出し手が「出せない」と見る状況でも案外決める力を持っていると。何度も書くが、ドイツ代表のエース、ミュラーよりも今期得点順位が高い選手である。大久保が、青山のロングパスに抜け出して決めたように、ドイツで名が響いた岡崎の抜け出し得点を使わぬ手はないはずだ。最近のテストマッチで中央攻撃ばかりを練習していたように見えた時、岡崎の抜け出し得点を磨く練習が少ないなと、僕は残念に思っていた。
 また、左で数的優位を作って崩しつつ右で決めるという得意のパターンの逆があってもよいと思う。内田が上がった場合は長友は下がるというザックの原則を貫いた上のことだが、内田のクロスはもっともっと使うべきだろう。

 と言うようにザックの原則通りに満遍なくやって、その上でギリシャ戦は3対1と見る。監督と選手、前と後が意志一致できた原則通りのゲームがここで出来ないことには、例え勝ったとしてもコロンビア戦は危ういと、誰でも思うことだろう。つまり、予選敗退になる。今や他の誰よりも大きな世界的実績を持った内田が言うように、真の力の見せ所である。
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