九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

ハリルジャパン(79) 希望見え始めた日本サッカー①  文科系

2016年12月31日 16時15分47秒 | スポーツ
 近年ちょっと低迷していた日本サッカーに、明るい明日が見え始めた年だったと思う。かなり長く続いた世界比較の最大弱点がカバーされ始めたからだ。その弱点とは、サッカーが格闘技だという事を計算に入れず、育成の柱からも外していたに等しいと思われること。この事にまつわって近年の経過を2回連載で書いてみたい。

①この弱点はかなり長く続いていて、例えば中田英寿が最後に出たドイツワールドカップ。初戦のオーストラリア戦を終わって、監督ジーコがこううめいたのは有名な話。
「日本選手が、こんなに体力がないとは! これは、予想外のことだった」
 オーストラリア監督フィディング見え見えの「挌闘戦略」にじりじりと体力を奪われた末に、終盤に攻められっぱなしで1対3、惨め過ぎる大逆転を喰らったゲームだった。第3戦のブラジル相手にはもうヒデ1人が孤軍奮闘。それは、誰の目にも明らかなことであった。
 この中田英寿が当時世界1位のイタリア優勝チームでレギュラーを張れた理由は古いサッカーファンならば誰でも知っている。高校時代にナイジェリアと対戦して以来、「あの体力に少しでも追いつかなければ」とハードな、当たり強さなどの筋トレを日課としてきたからである。
 ところが、このヒデの「経験」をその後、長谷部と本田が現れるまで、受け継いだ選手が途絶えていたように僕には思われる。

②南ア大会直前になって、本田が彗星のように現れた。その理由は岡田監督の言葉では「日本は先取点を取られると苦しい。守備に人数を割くから、少ない前はボールがキープできる選手にする」。本田は、日本人離れした力強さでボディコンタクトを物ともしない選手になっていた。同じような選手が長谷部。彼はドイツに渡った08~09年の1年間をマガト監督の「軍隊式トレーニング」に費やした。「このトレーニングの後は家に帰って、バタンキューと寝るだけの生活」、この1年を後で振り返った長谷部の言葉である。その結果として後の長谷部は、ヒデと同じようにドイツ優勝チームレギュラーになっただけではなく、その年の独キッカー誌ベスト11にも選ばれている。それから10年近く、長谷部が立派な代表キャプテンを張り続けていられるのも、日本人離れしたデュエル(1対1、決闘の意味)の強さがあったからだ。「先ず、デュエル。これで負けていては話にならない」、これが長くキャプテンを務めてきた長谷部の口癖だ。

③さて、ヒデ、本田、長谷部から、Jリーグ選手はちっとも学んでこなかったと思われる。その結果が、これ。Jリーグ選手だけで戦うアジアチャンピオンズリーグで全く勝てなくなったことだ。ワールドカップ南ア大会があった2010年ちょっと前からのことだが、明らかに当たり負けていた。闘いを避けていた。だから中東や韓国チームなどは、日本相手には余計に体力勝負で来た。そこから、鍛え抜いた優れた(組織的)技術もさっぱり使えなくなっていた。1対1の競り合いで負け始めると、すべてが後手後手に回らざるを得ないのである。
 こうして、14年W杯ザックにしても、今のハリルホジッチにしても、海外組中心に使うのは以上のような理由が第一だったと思う。初めの頃のハリルなどはもう「デュエル」のことしか言わないと感じて、驚いた覚えさえある。そう見抜いた彼は、ジーコやザックよりも現代サッカーをよく知っているということだろう。弱小ドルトムントが世界を席巻してからは、なお走り合い、当たり合いが激しくなったことだし。


(その2に続く)
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随筆 「ソルのエチュード・セゴビア編20曲集」  文科系

2016年12月31日 14時42分26秒 | 文芸作品
 フェルナンド・ソルは18~19世紀スペインのギター弾き兼ギター作曲家。20世紀のギター巨匠セゴビアらが「ギターのベートーベン」と呼んできたお方。そのセゴビアが、ソルの数多い練習曲の中から20曲を厳選・編集した「セゴビア編によるソルの20の練習曲」という楽譜本がある。この本を僕はこの12月、とうとう終えることが出来た。終えたと言っても、20曲のうち三つを除いてはそれぞれ一応の完成と言うにもほど遠いもの。読譜弾きでつかえつかえでも最後20番までを一応なんとかやり終えたというだけなのだが、定年後に先生について習い始めた僕としてはちょっとした達成感がある。
 なお、上に書いた「三つを除いては」というのはこういうこと。5、14、17番は、僕のギター生活の宝物のような「暗譜群20数曲」の中に入っているからだ。つまり、この3曲はちょっと弾き込めば人前でもなんとか辛うじて弾けるかという出来なのである。
 5番は、ギター弾きには言わずと知れたギター界での通称「月光」。僕が心底惚れている曲。この曲は、若い1人習いの頃からどれだけ弾いてきたことか。一向に上手くならないから人には聞かせられず、仕事から夜遅く帰ってお酒を飲みながら1人弾きを楽しんできた曲なのだ。定年後先生について、2か月程の音出し訓練から最初に手を付けた曲もこれだった。

 もう一つ17番も大好き。つい最近、同門のあるギター友達にこんなメールを出した程だ。
【17番着手に、熱烈なエールを送ります。
 16番を終わったのですね! 美しい曲でしょう。これもキープしておく価値は大きいと感じてきましたが、次はいよいよ「僕にとって大問題」の17番! このお話を「記録を見ながら」ちょっとしましょう。セゴビア編20曲集本などに付した記録を見ながらね。
 この曲との出会いは随分古く、それは僕にとっては文字通り衝撃。こんなふうに。
 03年62歳で先生なるものに、初めてY・Mさんについて音出しから始めて、彼とケンカしてやめて06年末にO・Mさん所に来て、その12月にこの20曲集を勧められて始めている。1番に「12月25日着手」と書いてあります。この頃に、いつかお話ししたノーバート・クラフトというカナダ人演奏家のCDを買ったか聴き直したかして、17番がどうしても弾きたくなったようです。2番、3番に07年2月と書いてあって、その次がいきなり17番に「3月3日、着手」ですから、本当に今から考えればとんでもない「飛躍」に挑んだもの、もちろん弾けませんよね。それでもこれを数か月レッスンに上げている。その4月とか、6月16日とかの注意書きが続いていますから。それでも、ちゃんと弾けるわけがありませんよ。でも、そういうこの曲を初めから暗譜群に入れたんです。以降最低2回はレッスンに上げ直して、やり直している。09年5月とか、11年4月とかの再着手、再々着手の記録があります。親友のKさんにもこれを勧めて、彼としては珍しくこのクラッシックに数か月必死に挑んだという事実までありますよ。
 さて、そこらの事情は、先生が全部知っています。先生自身ももう一度、この曲に挑み直しているはずですから。僕の方は以降一度だけ、我が家のギター遊び(春夏秋冬と、年に4回程やって来たギター弾きのパーティーです)でこれを弾いたことがある、この曲をアポヤンド旋律に換えた11年頃のはずです。本当に難しい曲ですが、こうして僕は、この曲のためにここまでギターに没入できたと言ってよいんですよね。また、客観的価値も凄く高い曲なんだと解しています。ソルは魔笛もグランソロも一応やりましたが、問題なくこっちが上と! ただ、変奏曲の面白さは別格ですけどね。
 という訳で、この曲はとにかく頑張って下さい、と僕としては声を大にして言うわけです。】

 と、こんな細々とした長々しい話を、ギター弾き達、音楽好きが誰か読んでくれないかなと、密かに思って書いた、年末なのでありました。何か楽器の演奏が趣味の方なら分かってくれる箇所が一杯と目論んだのですが、どうでしょうか。
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難民をせっせと送り込む人々   文科系

2016年12月30日 04時33分12秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 田中宇の配信ニュースから、この深夜に届いた配信ニュースがあった。僕は、このブログに書いてきた諸般の事情認識や「総合判断」から、このニュースは信憑性のあるものと確信する。ちょうど、シリア内戦やアルカイダ・イスラム国の「育成」やに関わった「民間団体(会社)」が存在するのと同じ背景だと認識するのである。
 現在の難民を生み出した背景の元をたどれば、このアルカイダやイスラム国による内戦であったとは、ここのいくつかの拙稿で書いてきた通り。CIAならぬ、米英金融グロ-バリゼーション勢力の息がかかった「民間(軍事・諜報)会社」が、世界の至るところで暗躍していると、そう僕は確信するに至っている。溺れる者は藁をもつかむ。今や米英金融グローバリゼーション勢力は、どんな悪魔的所業も躊躇せぬようになっている。「百年に一度」のリーマンショックによって世界のトップ10から滑り落ちたいくつかの米英銀行など一部勢力はもう必死の構えなのであって、どんなことでもやってみせるということだと理解している。ユーロの瓦解、それによってのみもたらされる「各国撃破」という狙い含みでこそ、こういう行動に出ているのだ。そう、僕は、推察している。


【 欧州の難民危機を煽るNGO

 今回から、記事の冒頭で、書きたいことを先に要約する。リビア(北アフリカ)からイタリアへの地中海をわたる経済難民(不法移民)の流入を、欧州のNGO群が支援している。リビアのマフィアがアフリカ全土から勧誘して有料で連れてきた不法移民をリビア沖の領海の外れまでゴムボートで運び、それをNGOの船が引き取ってイタリアの港まで運んで難民申請させ、NGOが欧州の難民危機を扇動している。このルートの難民流入は、トランプが当選した米大統領選の少し前から急増し、今年の流入は前年比2割増の17万人。最近は、その4割を26の欧州NGO群が運んでいる。

 要約続き。NGOのこの行為の真意は不明だ。NGOは「溺死防止という人道支援」だと言っているが、政治的な効果を考えると、別な意図が感じられる。難民流入が増えるほど「欧州リベラルエリート層の最後の希望」である独メルケル首相の人気が下がり、EU各国の反エリートな極右極左勢力が政治台頭する。先日のベルリンのトラック突っ込みテロだけで、メルケルの人気がガタ落ちで、来年夏の選挙でのメルケルCDUの勝算が下がった。難民をリビアから送り出すマフィアにはアルカイダやISも絡んでいる。NGOは、欧州のテロ頻発を煽っている。

 要約続き。NGO群の黒幕は誰なのか。問題視されにくい隠然性から考えて、諜報界が絡んでいる。EUの極左極右の多くは親ロシアなので「プーチンの仕業」にされそうだが、ロシアはリビア内戦終結に向けて努力しており、難民流入扇動と反対の動きをしている。欧州のリベラルエリート支配を潰したいトランプ陣営、という説も出そうだが、欧州の難民危機の扇動は一昨年からであり、トランプ出馬よりはるかに前だ。むしろ、米国でトランプ現象を引き起こした勢力が、欧州でも同じ現象を起こそうとして、何年もかけて難民危機を扇動している感じだ。かつてトロツキーをモスクワに送り込んでロシア革命を扇動し、英国の単独覇権(列強体制)を壊して多極化しようとしたNYの資本家群が、今回も、米単独覇権を壊すために欧州に介入しているのかもしれない。要約ここまで。】
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「よたよたランナーの手記」(182) 癌治療の合間に   文科系

2016年12月30日 03時05分35秒 | スポーツ
 前立腺癌の陽子線照射治療が12月5日から年末年始を挟んで21日間のウイークデー通院という形で始まっている。この間も医者の許可が得られたので、セーブはしているが走っている。すべてジムのマシンで30分×2回の距離として、こんなふうに。

 6日に7・9キロのあと、8日8・1キロ、11日8・3キロ、13日8・4キロ、18日7・2キロ、23日7・7キロ、25日8・2キロなどと。先回も述べたように、春ごろに比べて走力はかなり落ちている。当時の10キロ時が今の9キロ時程の疲労感になった。このままの走力でもう固定、後退していくのか、それともまた回復していくのか、それは神のみぞ知るところ。今は細々と走れる75歳のこの身体を維持するという努力を重ねているだけだ。ただ、10キロマラソンを1時間で走る日はもう来ないだろうと、そんな気はしている。

 陽子線治療は僕の場合、オシッコが最大の悩み。前立腺が腫れてその中を通っている尿道を圧迫しているから、排尿困難と残尿がきつい。時間を掛けて3回程出すように大変な努力をしても、半分近くは残尿という感じから睡眠が2時間間隔ほどで途切れさせられるのである。対策として2種の薬も飲んでいるが、ほとんど効いているとは思えない。昼間寝直すという以外に対策がないから、やりたいことをする時間がどんどん減っている。ブログやギターは時間を取るようにしているし賀状なども書かねばならぬから、年末の家事始末がどんどん遅れてしまう。本当に参った。
 賀状は27日に出したし、家の大掃除の半分はやった。が、後の半分と、ガラス磨きに自動車掃除が残っている。あと2日でどれだけやれるか。
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日本の難民報道、承知できぬこと   文科系

2016年12月29日 12時59分48秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 この間ここで、難民問題を多く扱ってきた。すると、最近の日本マスコミもこれを多く扱い始めていることに気付いた。このマスコミを観たり、読んだりしていて、僕がどうしても承知できないことがある。それを書いてみたい。

 まず、この23日の拙稿からこの問題の概略を抜粋しておくと、

【「世界総人口の一一三人に一人が強制移動」
 これは、二〇一六年六月二〇日の国連難民高等弁務官事務所発表の見出し自身である。二〇一五年末で紛争や迫害で追われた人々が過去最多の六五三〇万人。これを、世界総人口七三億四九〇〇万人で割り出した数字だ。一五年度の新しい数字は一二四〇万人である。よって、一五年度末難民総数の五分の一近くが、一五年度に生まれたことになる。一五年度に生まれた難民の出身国内訳の五四%が、シリア、アフガン、ソマリアの三か国で占められているともあった。また、いわゆる地中海ルートなどを除いたこの本(「ルポ 難民追跡 バルカンルートを行く」、著者は、坂口裕彦・毎日新聞外信部。岩波新書)の舞台・バルカン半島北上ルートで多い順を見れば、シリア、アフガン、イラクの順になる。よって、難民が、戦争、内乱などから家族の命を守るために生まれるというのも明らかだろう。】

 さて、こんなに途方もない数の現世界の難民という存在は、何も自然に生まれたのではない。これを生み出した人間たちが存在する。上の文中からも明らかなように、アフガニスタン戦争、イラク戦争、そして、シリアの内乱が生みだした。つまり、戦火から家族、子どもらを守るために難民志願をしたのである。これらの戦火を起こしたのは誰よりも先ずアメリカだろう。そして、今国連をそっちのけにして世界を牛耳るG7は、日本政府を含めて皆この共犯者と言って良いと思う。だからこそ、日本のマスコミも「自然に難民が出た」ようにしか扱えないのだろう。

 ついでに言えば、これも難民発生のもう一方の原因であるアルカイダやイスラム国を生み出したのも、アメリカとその有志国である。アルカイダは、ビンラディンさえも含めて、旧ソ連寄りアフガニスタン政府を潰すための軍隊としてアメリカがおんぶに抱っこで育て上げたものであるし、イスラム国はアメリカが始めたイラク戦争やシリア内戦(工作)の産物である。こんなことは古いニュースを覚えている世界中の人々にとっては周知の事実だろう。

 さて、こうして、結論。日本のマスコミに、これら難民の淵源をはっきりと打ち出す姿勢が全く観られないのである。それでいて現在の日本マスコミが難民問題をどんどん扱い始めたから、パンチのない報道ばかりに見える。流石従米国家、従米日本マスコミと、開いた口が塞がらぬ。
 オバマが「世界の警察は、もうやめる」と声明したが、是非そう願いたいものである。内向き行政を始めると言われているトランプにも是非そう期待したい。国際舞台からアメリカやこれが主導するG7が引っ込めばこそ、国連が大事になる理屈だ。中東も、中南米も、アフリカ諸国も、大勢はそう望んでいるに違いないのである。イスラム国やソマリアやスーダンの問題は本来、G7などではなく、国連が扱ってこそ公正と言える。長くかかっても国連を民主主義的に運営して難民問題に対処していく、これ以外には正しい対処などあり得ないはずだ。
 米日が難民に悩んでいるEUを高みの見物で観ているようにさえ、僕には思えるのである。まるで、難民に手厚くしようとしているメルケルを揶揄するような目線で。こんなマスコミの目線は普通の人間の目という感じさえしないのである。自分らが生み出した難民に人道的に対処しようとしている政治家を嘲笑うような目。これは悪魔の目とさえ言える。難民問題を扱う視点がこうして、すべて狂っているのである。
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随筆紹介 「病は作られる」    文科系

2016年12月29日 12時27分45秒 | 文芸作品
 病はつくられる   S・Yさんの作品です


 半年近く苦しんだ頭痛が治った。ある朝目覚めたら、いつもどおりの朝だった。
長いあいだ痛みで早朝に目覚め、その痛みがずうっと一日中継続するという苦難の日々を送っていた身としては、信じがたい普通の朝であった。
 これは夢ではないのか、あるいは気のせい? それとも一時的なものなのか。しばらくは誰にも話せなかった。理由はわからないが、おおやけにするとまた痛みが復活するような気がしたからだ。
 治ったというのに、二ヵ月も待ち望んでいた大学病院の痛みセンターの予約日が数日後に迫っていた。キャンセルしようかと迷ったが、今後のこともあるので一応受診をすることにした。ある日突然に痛みが治ったということは、またある日突然痛みのスイッチが入るかもしれないという不安があったからでもある。
 これが予想外の展開になってしまった。

 今までの治療法や画像データーを提出したにも関わらず、様々なレントゲン撮影やものすごい量の問診表記入に辟易となる。アイパットの問診記入を加えると、書類記入だけで二時間以上かかった。これでは病気は悪化するなと感じつつ耐えた。結果、運動療法で治療をすることになり、まずはメディカルチェックテストを後日受けることになった。 
そしてテスト当日、十数本のコードを身体に取り付け、ガスマスクのようなものを顔面に付け、頭にも被る。医師、看護師、検査技師、トレーナー立ち会いのもと、ランニングマシーンのスピードや傾斜を変えながら歩く。まるでモルモットの実験のようだ。だが、どうってことはない。私は走るのは得意だし、体力には自信があった。ところが終了後、医師に「心臓の冠動脈が詰まっているかもしれない。循環器科を受診するように」と勧められる。まったく晴天の霹靂。その後は、採血、心電図、超音波と検査がつづき、日を改めて造影剤を入れて検査をすることになった。落ち込むよなあ。でも、その後の数々の体力テストでは私は全て平均以上の好成績だったというのに。
 健康診断で今まで心臓は異常なしであった。こんな実験テストを受けたから異常がわかったのだが、なんだか複雑だ。また頭が痛くなりだした。

 思い返すと頭痛に悩まされている間、数え切れないほどの病院、整体、接骨院に通い、膨大な薬を処方された。しかし全く効果なしだった。薬の服用を止めて、あちこち出歩くようになってから治癒したのだから不思議だ。自律神経だともいわれたが、どうも私の病は自分で作っているところもある気がしてきた。
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朝鮮日報より  らくせき

2016年12月28日 10時20分45秒 | Weblog
今年7月に韓国に亡命したテ・ヨンホ元駐英北朝鮮公使は27日「金正恩(キム・ジョンウン)体制は一見すると堅固なように見えるが、内側は完全に腐り切っている」「幹部らは(金正恩氏の)気が狂ったような言動を目の当たりにしながら『太陽に近づき過ぎれば死ぬし、遠くなり過ぎれば凍え死ぬ』と考えながら日々を過ごしている」と述べた。


 テ氏はこの日ソウル市中心部、光化門の政府庁舎でメディア関係者らの前で講演し、金正恩体制において北朝鮮エリートたちが味わっている恐怖心について「今のような奴隷生活が今後40-50年、ひ孫の世代まで続くのではないかと心配している」とした上で上記のように語った。テ氏はさらに「北朝鮮住民らのこのような現状を金正恩氏はよく知っているため、幹部や住民らの一挙手一投足を厳しく監視している」「少しでもおかしな言動が見られれば、直ちに処刑する恐怖政治をまさに実践している」などとも明らかにした。


 続いてテ氏は「金正恩氏による核兵器開発政策を放棄させられるかどうかは(北朝鮮に与える)インセンティブの質や量とは関係ない」「金正恩氏が存在する限り、北朝鮮は絶対に核兵器を放棄しない。金正恩政権がまさに核兵器そのものだ。1兆ドル(約120兆円)、10兆ドル(約1200兆円)を与えても、絶対に核兵器を手放さないだろう」などとも指摘した。テ氏は「北朝鮮は金日成(キム・イルソン)主席や金正日(キム・ジョンイル)総書記の時代から、核兵器開発を中断したことは1回もなかった。金正日総書記の時代に進められた『朝鮮半島非核化』という各国との合意後も、核兵器開発はひそかに進められていた」とした上で「北朝鮮は米国のオバマ政権による『戦略的忍耐』を核兵器開発の免罪符と見なした」とも明らかにした。

                  

最近読んだ本では、北では国家が衣食住を保障するシステムが完全に崩壊。
闇市マーケットが100%機能して人々の生活を支えているそうです。
たとえば軍は車をつかって運送業をしているとのこと。
官庁は、その自由な商売を保証する許可を与えることによってピンハネをして成り立っているとか。
不動産業界にもきちんと機能しているというから驚きです。

金さんは恐怖政治でしか統治を維持できないとしたら、暗殺の可能性が一番たかいかも。
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随筆  ある「音楽家」のこと   文科系

2016年12月27日 03時41分12秒 | 文芸作品
 ある音楽家の話をしよう。有名音大出のそこらのプロよりも遙かに「偉い」と僕が勝手に決め込んでいるある友人のお話である。

 まず彼の音楽経歴はこんな程度の、完全なアマチュアである。旭が丘高校、筑波大学の合唱部、ただしその中では一番上手くて、常にソリストを務めてきた人。退職前後にシャンソンかカンツォーネだかの教室に通ってから一念発起、プロ歌手を目指す。その結果として数百人を集められるようになったリサイタルをもう何回も開いている。この事以上に、こんな程度の経歴の退職後の老人が、なぜリサイタルに数百人を集められるようになったか、それがいかに凄いことで、社会的意義も大きいかと、そのことを語りたい。

 初め家の近所で「歌う会」を始めた。アドリブ演奏が得意な1人の音大出の女性ピアニストとともに。そこに集まってきたのは、60~80台の歌うこと大好きな女性たちと、同年代の男性もちらほら。お連れあいさんとともに参加している男性が多いようだ。最初のグループは、40人程。やがて、区内のある団体から声がかかり、その団体会員相手に同じことを始めた。そこはどんどん大きくなって150人ほどになった。ちょっと小さい、歌の教室も持っている。

 2時間程の会はこんな風に進められていく。3冊ばかりの手作り歌集を全員が持っており、「次はこれ、次はここ」という感じで、往年の名歌を皆で歌っていく。歌のジャンルは、こんなものだ。この年代の人々の学校音楽教科書に載っていたような内外の名歌、当時のポピュラーソング、美空ひばりもあるがいわゆる演歌的な曲は少なくて、さだまさしや布施明などという感じの歌が多い。こうしてまー、この年代で学校合唱団員だった人がカラオケに出かけたら歌う可能性が高いような曲が集めてあると思って頂けばよい。全体の雰囲気は、途中で茶菓も出ることだし、ピアノ伴奏付きの歌声喫茶を思い出して頂けばよい。とにかく、全員参加型の歌う会なのである。

 さて、こういう会を僕は現代日本社会においてとても大きな意味がある大事なものだと直感する。それぞれ月に二度集まり、全員参加型で、彼の助言や歌解説とピアノ伴奏とに乗せられるようにして、大声で腹一杯歌い合う。娯楽と言う以上に、これは、立派な文化活動である。単なる文化の受容者ではなく、参加者自らの文化活動だと言うのが大事な点だと思う。だからこそ1人1回ワンコインの参加費まで出してこんなに多くの方々が参加して来るということなのだと思う。


 最後に、彼自身の技量などについても少々。
 テレビに出ているプロ歌手で言えば、布施明かさだまさし並みに上手い。ということは、単に音大声楽を出ただけの人よりも上手いという事だと僕は解している。まー高校や全国区大学の合唱団で最も上手い人というのを侮ってはいけないと言うことなのだとも。因みに西欧3大テナーと言われたパバロッティ、ドミンゴ、カレーラスらも、正規の声楽大学が生み出した存在ではないと記憶している。幼い頃から、歌が好きで、好きな歌を選んで歌い込んで、どんどん上手くなった人。カレーラスなどは10歳にしてすでに神童と呼ばれていたようだし。
 彼が歌を指導し、皆はこれを受けつつ1回500円出して楽しみ、その人々がリサイタルにも来てくれるから彼は余計に鍛錬を重ねる気にもなる。そんなふうにして新たに気付き、学んだことを、またどんどん歌う会にも出していく。リサイタルの赤字分は、日頃のワンコインが補ってくれるという背景も存在するわけだ。
 僕と同年齢の彼が、退職後に努力して切り開いてきた、一つの立派な老後だと思う。
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随筆紹介 「老いの日に」   文科系

2016年12月26日 08時21分54秒 | 文芸作品
 老いの日に  H・Tさんの作品です

“人の事はよくわかるのに、自分の事はわからない”というけど、私は自分が老いたとは思わないのに、後期高齢者医療健康診査のご案内が届くし、災害のニュースのたびに“ご高齢の方は早めに避難を”と繰り返される中で、「七十歳ですので早く……」などと言っている人をテレビで見る。“えっ、七十歳、私よりうんと若いのに。そうか、私は高齢者”と、どきり。

区の福祉課からは時々、
“お変わりありませんか? お困り事は?”と。また、数年前から、老人介護などを主目的として作られた“生き生きセンター”からも三か月毎に訪問電話で様子を尋ねられる。余生という言葉に抵抗がある私は、今を精一杯とだけ、人と比べることなく私は私として日々楽しく、忙しい。
水泳も、泳ぐというよりも水の中で手足を動かして、ばたばた。編み物教室でも、最高年齢。一枚の作品を仕上げるのに、驚く程の時間が……。また、昔々に学んだ漢詩を吟じて楽しんでいる。白居易、李白。杜甫などの詩を大声で吟じている時、漢詩の楽しみ方を新発見できたりして、嬉しくなる。あれもこれもと、カレンダーは予定記入でびっしり。
 “二兎を追う者は一兎をも得ず”というが、三兎も四兎追っている。どれも中途半端だが、出会う人に教えられることが多いから、続けている。
ある日わざわざ来られたセンターの方が、「デイサービスに行かれませんか。その手続きを。」と言われた。
“身体を鍛えること主力です”
“カラオケなどを楽しんでいます”
“手先を動かして物作りを楽しんでいます”
などなどいろんな特色のあるデイサービスを紹介してくださった。お好きな施設をお選び下さい。送り迎えも、入浴も、少しの費用で食事もありますよと、説明された。気がつけば私は四捨五入で九十歳の、一人暮らし。デイサービスのお勧めも納得だ。でも、行きたくないとお断りした。

数か月前、ある会で指導者の方から「あなたにもしものことがあったら、どうしたら……どこへお知らせしたら……」と聞かれた。その数日後に他の師から、「あなたに万一のことがあった時、私にできることを教えて欲しい」と、少し長い手紙をいただいた。“あとは野となれ山となれ”などと勝手なことを言ったり、書いたりしていることを知って下さってのことであろうと感謝したが、私なりの対処はできている。年を重ねること、そして逝くことは命ある者すべての宿命。どうにもならないこと。

 若い時は地球が回るから老いるのは自然と思っていたが、老いの現実は厳しい。

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「恥ずかしくないのですか?」  文科系

2016年12月25日 09時58分01秒 | 国内政治・経済・社会問題
 本日中日新聞、標記題名の記事を、例によって広く全国にも発信したい。「中日新聞を読んで」という連載コラム、今回の当番で後藤昌弘という弁護士さんがカジノ法について書かれたものだ。

 文中で法文にも触れて「条文を見ても品位のかけらもない」、「まるでヤクザの世界である」とある。ただでさえギャンブル依存症が多い日本において、「仕事上、ギャンブル依存で家庭や仕事を失う人を多数見ている」と語られる後藤弁護士。仕事も家庭も失っていくような人々を増やす政策で国や自治体が多少の「上納金」を得たとして、失うものの方が遙かに多いと力説されているのである。

『15日付朝刊でカジノ法の成立が報じられた。内容を見ると、「第一条 この法律は、特定複合観光施設区域(カジノ)の整備の推進が、観光および地域経済の振興に寄与するとともに、財政の改善に資するものであることに鑑み・・・」とある。要は、カジノがもうかるから推進しましょうという法律である。ちなみに、第一二条には「国及び地方公共団体は・・・カジノ施設の設置及び運営をする者から納付金を徴収することができる」とある。民間にやらせるが、胴元からは別途上納金を徴収するというのである。しかも、国のみならず地方自治体も上納金を取るという。まるでヤクザの世界である。
 それだけではない。第一三条では、国と地方自治体は、カジノ施設の入場者から入場料を徴収できるとされている。客からも、二重に入場料を取るというのである。かつてマカオでカジノに行ったことはあるが、入場料を払った記憶はない。入場料が二重にかかり、しかも胴元以外に国と地方公共団体が二重に上前をはねる、そんなカジノが客を勝たせてくれるとは思えないし、海外のばくち好きがわざわざ日本に来るとも思えない。結局、客は海外に行く余裕がない日本の庶民しかいない。
 仕事上、ギャンブル依存で家庭や仕事を失う人を多数見ているが、大半は「やっちゃいかんと分かっているんですが、やめられんのです」と口にする。これが依存症と呼ばれるゆえんだろう。
 国の将来を考えれば、こうした依存症の国民を減らし、教育や研究に投資して将来の納税者をどう育てていくか、これを考えるのが政治の役割のはずである。短期的に国や自治体に上納金が入ったとしても、働かない国民が増えれば結果的に国の税収が悪化することは明らかである。そんなに国に金がないのならPKOも返上するべきである。条文を見ても品位のかけらもないし、こんな法を成立させた政治家は世界に恥ずかしくないのだろうか。』
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南スーダン問題で  文科系

2016年12月24日 09時09分36秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 自衛隊派遣中の南スーダン問題を扱う国連安保理理事会で、日本が近年珍しく米国提案の武器禁輸制裁案採決で棄権に回った。その結果としてこの提案は、15理事国のうち7か国賛成だけ、8か国が棄権ということで否決された。賛成は例によって米英仏にスペイン、ニュージーランドなど。何か画期的なことが起きたような気がするが、何なんだろう。

 マスコミで言われている、自衛隊を派遣しているから安全であって欲しいというだけではないような。現政権に対する賛否の問題であるような気がするのだ。そう、内戦問題では、なるべくその国の主権を尊重すべきなのだ。でないと、シリアのように外から内戦工作をしがちになって、国が荒れ、国民は塗炭の苦しみとなると愚考する。ソマリアでも、アメリカの介入は全く破綻して、碌なもんじゃなかった。結果、世界難民の多さで、ソマリアはアフガン、シリアに次ぐことになってしまったはずだ。

 ちなみに南スーダンは、長年続いたソマリアで見た「内戦ばかりの、能なし国家。世界ナンバー1」という烙印をこの2年新たにアメリカによって押されてきたようだ。「世界の警察はやめる」というオバマ大統領の方向をトランプも踏襲して欲しいものである。
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書評  「ルポ・難民追跡」(完結編)    文科系

2016年12月23日 08時34分01秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
 既載の3回連載を1回にまとめてみました。気を入れた僕にとって大事な記事とて、できるだけ多くの方々に内容を知って欲しいと思いまして。よろしくお願いします。
   

「ルポ 難民追跡 バルカンルートを行く」(著者は、坂口裕彦・毎日新聞外信部。岩波新書)の内容をご紹介したい。
 二〇一五年に西欧への難民大移動が特に激しかった時期、著者はウィーン特派員。記者として避けて通れない問題と考えた。ルポとはルポルタージュの略で、「現地報告」を決意したのである。それも、西欧への入口トルコ・ギリシャからドイツへという典型的ルートを通るだろう一家族に密着同行取材を認められて、その家族が属していた千人程の一団を追跡していくことになる。
 いろいろ断られた揚げ句の取材相手は、イランから来た三人家族。アリ・バグリさんはアフガニスタンはバーミヤンの出身で三二歳、蒙古人の血を引く日本人に似た容貌のハザラ人。彼がイランに亡命したのが二〇一〇年、そこで同じアフガン出身のハザラ人、タヘリー・カゼミさん三〇歳と結婚した。一人娘のフェレシュテちゃんが四歳になったこの年に、ドイツへの移民を決意したのである。彼らに坂口さんが出会ったのは二〇一五年一一月二日。約一か月前イランを後にしてドイツに向かうべく移動し続けた末に、ギリシャ領レスボス島からアテネ・ピレウス港行きの難民船乗り込みを待って延々数百メートルも続いた隊列の中のことだ。なんとか英語が話せるアリさんが密着同行取材を快諾してくれたと、これがこのお話の始まりなのである。ちなみにレスボス島とは、トルコ領北西端の沖十キロにあるギリシャの島で、この島への渡航が密航業者で有名なすし詰め、決死のゴムボート。ここからアテネのピレウス港までは一日がかりのフェリー航海になった。
それからのこの家族の行程は、アテネには一一月一〇日まで居て、一一日がマケドニア、一二日がセルビアで、一三日にクロアチア、スロベニアを経て一四日には目的のドイツは南部メステュテッセンに着いている。マケドニア、クロアチア、スロベニアなどは特別列車を仕立てて、他は難民用バスで、千人単位以上を次の国に送り込んでいく。なんせ一五年に欧州に渉った中東難民は凄まじい数とあって、オーストリア、ドイツ、スェーデンなどの大量受け入れ国へと、どんどん送り込んでいくというやり方である。このルートは、二〇一五年春から二度変更された末に自然に出来あがったものと述べられている。セルビア・ハンガリー国境などをハンガリーが塞いでしまったことから以降二度大移動の流れが変わっていたということだ。

「世界総人口の一一三人に一人が強制移動」
 これは、二〇一六年六月二〇日の国連難民高等弁務官事務所発表の見出しである。二〇一五年末で紛争や迫害で追われた人々が過去最多の六五三〇万人を、世界総人口七三億四九〇〇万人で割り出した数字だ。一五年度の新しい数字は一二四〇万人である。よって、一五年度末難民総数の五分の一近くが、一五年度に生まれたことになる。一五年度に生まれた難民の出身国内訳の五四%が、シリア、アフガン、ソマリアの三か国で占められているともあった。また、いわゆる地中海ルートなどを除いたこの本の舞台・バルカン半島北上ルートで多い順を見れば、シリア、アフガン、イラクの順になる。よって、難民が、戦争、内乱などから家族の命を守るために生まれるというのも明らかだろう。ただ、この本に書いてあったことだが、「豊かな人しか国外脱出難民にはなれない」のである。家など全財産を売って旅費が作れる家族とか、親族の「希望」が込められた金を掻き集めて「先遣隊(後には「本国に残った親族などの呼び寄せ隊」に変わる)」として出かけてきたという人々が多いと言われていた。彼らは希望を求めて難民の旅に出たのである。掲載された写真にある顔はほぼ全員明るく微笑んでいて、僕が持っていた難民というイメージとはかなり隔たっている。

 さて、これを受け入れる側には明確に二種類の国がある。その両巨頭がドイツとハンガリーなのだが、この本の四,五章の題名が「排除のハンガリー」と「贖罪のドイツ」となっている。貧しいハンガリーは一五年秋に四メートルのフェンスを設けてセルビア、クロアチアとの国境を閉ざしてしまった。クロアチア国境のそれは約三百キロにも及ぶもの。他方のドイツは、「ドイツ、ドイツ!」、「メルケル、メルケル!」との掛け声が出る局面もあるような凄まじさだ。なぜドイツか。その理由は、想像にお任せする。
 断る国の理由は当然理解できる。が、関ヶ原の戦い直前に、岐阜や三重に逃げてきた人々が居るとしたら、人としてどう接するべきか。その答えもまた、自明だろう。いわゆる経済難民との区別も難しいし、とても難しい問題だ。そして、この難問に向けて今の日本政府が世界一遅れた先進国だということだけははっきりしている。上記「排除のハンガリー」でさえ、排除策実施前の一五年夏時点では、首都ブダベスト東駅が列車待ちをするシリア、アフガン難民の「難民キャンプ」と化していたという事実もあったのだ。

 最後に、この本末尾における、アリさんら三人家族の置かれた状況を、報告しておこう。著者は、最後に別れた仮収容の土地、ドイツ南部メスシュテッテンで再会してから、約四か月ぶりにチュービンゲンの新しい仮住まいを訪れている。当時チュービンゲンに身を寄せた難民は約一二〇〇人で、その九割はシリア、イラク、アフガンの人々という。三人家族は街の中心部からタクシーで十分程の閑静な住宅街の古い二階建て住宅に住んでいた。一階には三部屋があって、シリア人など他の二家族と十畳一間ずつをルームシェアしている。この三家族皆が難民申請が認められる日を待ってドイツ語教室にバスで通いながらいろんな猛勉強をしているということだった。
「フェレシュテちゃんは、相変わらず快活だ。ギリシャのレスボス島で、ボランティアにもらった象のぬいぐるみは、ベッドに大切そうに置かれていた。二週間前から、バスで五分程の幼稚園に、午前八時から午後一時まで通っているという。こちらも無料だ」

 なお、こういう難民ルートとか受け入れ状況などの事実はすべて、仲間の難民や出身国に残された親類などに瞬時に伝わっていくのである。現代の難民らは皆、スマートフォンを持参し、ワイファイなども使いこなすから、これが難民の爆発的増加に拍車を掛けているようだ。酷い国は捨てられるということ。これも貧し過ぎ、人を虐げすぎる世界へ民衆が投げかける究極の抗議なのだろう。
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ハリルジャパン(78) 鹿島、歴史的闘い  文科系

2016年12月22日 08時07分24秒 | スポーツ
 ちょっと病欠ということで、遅れた記事になりますが、以下を。

 前回は「鹿島、歴史的1勝」を書くことができた。南米チャンピオン、コロンビア・メデジン市のアトレティコ・ナシオナルを3対0で破って、アジアで初めて決勝戦に進んだという歴史的偉業を。そして今回は、レアルとのあの闘い! 僕がここでずっと展開してきた持論が証明されたようで、それが特に嬉しい。
 去年の広島対リーベル・プレート戦などを見て、「そろそろ日本も勝てそうになってきた。あのゲームの後半の相手監督は顔面蒼白であった」などと書いてある記事が、ここにある。去年の広島の健闘を、15年12月14、18、21日と当ブログ・エントリーで扱った。なお、ここの10年間の過去ログは、右カレンダーの下の「バックナンバー」年月欄から入って、すべてを読んでいただける。そこの15年12月をクリックすると、すぐ上のカレンダーがその月のものに替わるので、そのカレンダーの「14日」なり「18日」なりをクリックして頂く。このエントリー本欄がその日のエントリーだけに入れ替わるので、求めるエントリーを読める。

 さて、なお、このメデジンが3位決定戦に勝ったのだから、鹿島の2位はなお堂々たるものになったと言えよう。

 レアルとのゲームはやはり、メデジンとのゲームと同様に「組織的守備」が光った。前回にもこう書かせて頂いたところだ。
『「守備から入り、相手攻撃がよく見えるチーム」ということができる。一つの面白い戦い方を築き上げたなという感じだ』
 レアルの鹿島評も、こういうもの。
「守備がよい。攻守の切り替えも早い。本当によく走る」
 この走りが落ちてきた時に負けたのである。柴崎がそう語っているが、逆に言えば90分走り回されたから、延長戦に入って走れなくなった時に失点と、そんなゲームだったのだ。メデジンにしても、世界最高の個人を集めたレアルにしても、個人能力でいえば数段上のチーム。それを、組織の見事さ、特に組織的走りで対等に戦ったという典型的なゲームと言えよう。この1勝と「90分は同点」との2ゲームは、アジアにとって限りない自信になるはずであって、今後の世界戦がますます楽しみになったと言える。

 まだ本調子ではないから短い記事になるが、何を置いてでもとにかく以上は書いておきたかった。

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随筆紹介  「男の延命法」    文科系

2016年12月22日 06時40分46秒 | 文芸作品
 男の延命法   H・Sさんの作品です

 女性は、夫と離婚しても、夫に先立たれても寿命にほとんど影響はない。男性は、妻に先立たれると命が短い。食事作りと健康管理を妻に任せているからだと、言われている。

 自炊が出来て自分の健康管理が出来れば、妻に先立たれても男性は長生きできることになる。私の友人AさんとBさんは、勤めの関係でやむなく自炊と健康管理を覚えた人だ。

 Aさんは自動車会社の役員さん。六十五歳で株主から熊本工場を任された。一年契約で家族が引っ越すこともなく、単身赴任にした。この時の彼は肝臓病と軽度の糖尿病を抱えていた。診察と治療は会社経営の病院に任せることになったが、食事と健康管理は自分次第ということになった。Aさんは、学生時代、六年の自炊経験があったので、食事は自分で作ることにした。何をどれだけ食べればいいのかを知りたかったので、病院の管理栄養士を訪ね、入院患者の治療食献立を入手した。作り方のわからないものは、奥さんにFAⅩを送信してもらった。女性社員に教えを乞うこともあった。
 着任時の挨拶で、病気を抱えているので酒は飲めないから、飲み会不参加と宣言。社員の親睦会には金一封を世話役の部下に託け、顔出しはしない。工場で何が起こっても責任を負う立場だったので、工場の周りを歩き、ゴミを拾った。この生活姿勢を続けたが、社員との軋轢は起こらなかった。赴任して半年後、肝臓の検査値も血糖値も正常の範囲に戻った。一年の約束が六年に及んだが、彼は生活習慣病を飼い慣らし無事勤めを終えて、名古屋の自宅に戻ることが出来た。奥さんの方も五十歳で乳がんを発症したが、現在、がんは休眠状態で健康百%とは言えないが平穏な日常生活を送っている。その奥さんからAさんは、「一人だって生きていけるから、私は安心して死ねる」と言われ、戸惑った。

 Bさんは警察署長さん。名古屋の家から遠距離の県境に転勤が決まり、単身赴任することになった。五歳年上の奥さんは、〈自分は彼より早く死ぬに決まっている。そうなった時困るのは彼だ。転勤まで二カ月の時間がある。チャンスだ〉、Bさんに食事の作り方を猛スピードで特訓した。毎日血圧を測り、血圧手帳に記入し、一週間ごとに奥さんに報告することを義務付けた。幸い健康診断で、Bさんに問題点はなかったが、奥さんは、自分の目が届かないことが心配だったのだ。踊りの師匠をやっているので教室を閉じるわけにはいかないし、Bさんも三年ぐらいは一人で乗り切れると、単身赴任に踏み切った。

 AさんもBさんも現在八十歳。二人で協力して、地区役員を務めている。奥さんたちも姿勢よく歩き方もしっかりしている。この年齢で元気で活躍できるのは自己管理が出来ているからなのだろうと、私は認めている。
 だけど、この通説で私が不満なのは、女性が夫と離婚しても夫に先立たれても、寿命にほとんど影響はないと記されていることだ。この言われ方なら、女性は、男性よりも校滑でずるい生きものだと、受け取られかねない。男性と女性は、体の仕組みが違う。女性は、衝撃に対応する防御能力が高い。この仕組みが備わっているからこそ、お腹に宿した子供を守ることも、出産することも出来るわけだ。そういう大切な役割のあることが、抜け落ちている。これを、付け加えてほしいと私は考えている。
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「2016年の転換」   文科系

2016年12月18日 12時09分57秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 2016年は、世界史の大きな転換点だと言う。そんな意味の言葉が、最近の論壇に多い。表題は、12月11日中日新聞「視座」の題名。今回の書き手は、東京大学政治学科で政治思想史、政治哲学などを教えている宇野重規教授である。その最も短い要約は、こんな言葉。
『「すべては1979年から始まり」、その帰結は2015年と16年に明らかになったといえる』
 この79年というのは、こういうことだ。『サッチャー政権の成立に加え、イランのホメイニ革命や、中国における鄧小平の改革政策など・・・社会主義の後退が明らかになるなか「市場」と「宗教」が世界を動かす時代がこの年に始まった』
 対するに、2015~6年とは、意外な結末、英国のブレグジット(英国離脱)とトランプ大統領当選を上げて、こう述べるのである。
『グローバル資本主義によって経済的・社会的に困難に陥った人々による異議申し立てが、思わぬ結末を招いたことは間違いない』
 英国のEU離脱問題を招いた要素に難民問題があるが、これもとてつもなく大きな、「困難に陥った人々による異議申し立て」の「意外な」形と言えよう。

 こうして、79年以降の経済グローバリゼーション隆盛が、それによって虐げられた人々の反乱によって終わりを迎えようとしていると、そんな現代世界史観なのである。「では、これからはどうなる?」に対しては、宇野教授はこんなことを語る。

『グローバル化の第一期の帰結が見えた今こそ、第二期を展望し、それを人類にとってより良いものとする英知を結集する時ではないか』
 そしてその方向は、こう語られてあった。
『グローバル経済をより公正に制御するための国際的な制度構想と、各国で痛んだ人々を救済し生活の必要を満たすための仕組みである』

 以上は、正しい見方だと思う。新自由主義経済学に基づく金融グローバリゼーションで世界に打って出ていた両巨頭国・米英が、それぞれ内向きに大転換を強いられたのであるから。それも米英がうち揃って、イラク戦争とリーマンショックで痛恨の歴史的敗北を喫してのことだった。今話題の経済学者・水野和夫氏(元三菱UFJモルガン・スタンレー証券チーフエコノミスト)も、同じようにこう語っている。
『安全保障政策も、オバマ大統領が「世界の警察をやめる」と言った延長線上にあり・・・・グローバル化で世界中の富を呼び込む戦略を、自らひっくり返そうとしている』(11月24日中日新聞)

 宇野氏文中の、1979年世界情勢主要項目のその後に目をやれば、こんな巨大な変化もある。「宗教国家」イランは、これと敵対したフセイン・イラクの崩壊を尻目に、アメリカに潰されずしぶとく残っている。鄧小平改革を経た中国は、自らも日本の倍を越える経済力を持つに至るとともに、BRICSとしてまとまって、アメリカに対して国連中心主義を突きつけている。「宗教が世界を動かす」で言えば、専横・米英はイスラムの憎しみを買い、その結果でもあるテロと難民の問題は世界民主主義にとって待ったなしの課題になっている。


「2016年の転換」。この行方が世界の人々にとって吉と出るか凶と出るか、それは今後数年の人類実践に懸かっている。さしあたって来年は、この世界史の転換点に何が付け加わるのだろうか。こんな世界の急転換の時期には、従来の常識はどんどん役に立たなくなっていく。まして、「日本の、今」しか見えない目、ナショナリズム思考では、こんな歴史の後追いさえ容易ではないだろう。


祝、週間累計アクセス1,749! 昨17日までの1週間累計数であって、これは、15年8月9~15日の週の2,346アクセス以来の記録です。
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