九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

BS朝日の日韓特集  文科系

2019年09月30日 10時13分33秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 
 
 
 昨日、標記の番組があった。今の朝日は、というよりもテレビの報道とか特集とかいうものは、誤った主観的問題設定という固定観念から出発しているという意味でもう観る気がしないが、日韓問題の専門家であった元外務省審議官・田中均がゲストで出るというので、観た。あらかじめ、感想を一言で表しておけば、朝日や日本マスコミの日韓問題論調を田中が厳しく諫めていたということだろう。その諫め方は、大きく分けて二つ、こんな内容であった。
 
・ 今の日韓問題を考える原則は4つある。
① 徴用工を巡る韓国大法院の判決には、他国はもちろん、韓国政府でも異議など唱えることはできない。日韓いずれも、三権分立原則の国なのだから、政府が裁判権を左右するなどはできない
②③ 国としての韓国の請求権はなくなったが、個人請求権は今でも存在する。
④ 韓国の国内法と国際法の矛盾は、これを解消して欲しい。
 
・日本は今、韓国に対して小さなことをごちゃごちゃ言いすぎて、長期的根本的な利益、問題を忘れ、放棄しているのが嘆かわしい。それは、「朝鮮を中ロの影響圏にしてしまって良いのか」ということだ。このままでは、朝鮮が中ロに寄っていくという問題で、朝鮮はもちろん、中ロ米からも、日本は素通りされ、置き去りにされていく。それが嫌なら、韓国をもっと大事にしろ!
 

 対する朝日側の解説者らは相変わらず、徴用工問題、拉致問題を中心に据えようとしていた。これでは田中が朝日側をも諫めたということにしかならない。ちなみに、心なしか朝日の解説者らの大人しかったこと! 
 周辺の平和や日本の国際的利益にとっても重大な問題で、相手側と関係なく単に日本側の要求(それが大事でないということではない)を出しているだけ。これは子供のやり方、言いっぱなしの論理であり、国内政治、選挙だけを観ているようなやり方とも言える。ついては、日本にとっても大事な東アジアでの日本の平和や国益は、何も進められないことになる。こういう子どもの論理が今の日本の政治とマスコミとを動かしているというのが、まざまざと見えた放送であった。
 
 最後になるが、この長い放送の間に、日韓関係で今最も重大な問題「18年版韓国国防白書」において「近隣の第一の防衛協力国は、日本」から、「近隣の第一の防衛協力国は、中国」に換わってしまったことは、誰からも、何も言及がなかった。このことは、マスコミにとっても日本国民に知られたくないことなのか。だからこそ、子どものように自分の要求だけを叫んでいられる?
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「終わった国」米が、怖い   文科系

2019年09月29日 13時28分49秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)

 20世紀世界第一の強大国としてのアメリカはもう終わったと、そのことを「証明」してみたい。そして、だからこの国の今は怖い、とも。

① 2015年に元会計検査委員長のデイブ・ウォーカーがこんな発表をした。国家累積赤字はGDPの4倍であると。これは、当時の正式発表の数字の3倍を上回るもので、年金、医療などの国の未払い分などを加算したものということであった。大変な自転車操業をやっているのだろう。

② 8月20日新聞夕刊にこんな記事が載った。『株主最優先を米経済界転換』。書き出しはこうだ。
『米主要企業の経営者団体「ビジネス・ラウンドテーブル」は19日、株主の利益を最優先する従来の方針を見直し、従業員や顧客、地域社会など全ての利害関係者の利益を尊重する新たな行動指針を発表した。これまで米経済界は「株主利益の最大化」を標榜してきたが、大きな転換点となる』

 この団体表明が本心か否か、守られるのか否か、つまり単なる見せかけ、嘘ではないかという問題は今は置いておいて、これの歴史的重要性は分かる人には分かるという、世界史的な出来事である。

③ ①と②の背後にある原因は同一「株主」たちだ。株主資本主義がアメリカの物作りを壊して、大量の白人失業者や超格差を創ったことを通して税収は減っているのに、イラク戦争、アフガン戦争を実質継続中などと、軍事費の政府支出に占める割合などはほとんど減らしていないからだ。ちなみに、イラク戦争の期間には爆発的に増えたから、もうあんな戦争は、自暴自棄にもならない限りできないだろう。「戦争はしない」と公約していたトランプが今はベネズエラ、イランなどにやってきたように「戦争」と口で脅す、とかだけ?

④ この「株主資本主義」は偽の好景気、サブプライム・バブルを創り、リーマン・ショックでこれが弾け飛び、イタリア、スペインなど西欧も含めて世界を「100年に一度」のどん底に落とし込んだ。今また懲りずにGAFAバブルを創っているのも、そういう「株主」たちではないのか彼らが喧伝している「求人率向上」は日本安倍政権の宣伝と同じで、パート、臨時など、不安定雇用を増やしたというだけの話であって、何の職業的展望も開けない社会であり続けている。これこそ、株主資本主義が創った世界なのだ。生産力は爆発的に伸びたこんなに豊かな社会なのに、なぜなのか?

⑤ 以下のアメリカが進行させてきた諸行動も、こういうアメリカの困窮からこそ出てきたものと考える。ずっと標榜してきた「自由主義」経済を投げ捨てて、ブロック経済に走ったこと(ブロック経済とは、知る人ぞ知る、二つの世界大戦への反省から人類に生まれた世界史的禁じ手だったはずだ)。シリア、ベネズエラ、イランなどに対する「戦争外交」。これらすべてを通じて、一貫して見られる、国連無視、つまり多国間主義外交を放棄した単独主義行動を、他の何よりも僕は批判的に強調したい。今は、アメリカが国連を尊重しさえすれば「人類に戦争があるという現実」(これが、9条改訂の理由になっている)さえ変えられる時代が来たと、僕は思う。だからこそ、20世紀人類に初めて生まれたこの国連が大切なのだとも。

 

 

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国語科は学問ではない?  文科系

2019年09月29日 12時00分36秒 | 文芸作品

 学校教育の国語科について文科省が大改革を試みつつあるそのことを、本日の中日新聞社説が批判的に扱っている。論理国語とかの実用言語という点を強調する改革らしい。大学改革でもどんどん進んでいる文系学部の縮小と軌を一にする動きとも書いてあった。それで、この問題にこそ関わってここに書いた旧稿を改めて再掲し、末尾に若干のコメントを付けてみたい。この問題は哲学の歴史などから見ても本質的に根が深い問題だと考えてきたが、そういう深い問題を文科省があまりにも単純に扱いすぎているように思うから。

 

【 随筆 「国語(科)は学問ではない!」?  2015年01月29日 

 子ども、青年期などにおいて、標記のことを唱える人は多い。僕自身も中学2年だったかの国語の時間に、若い女の先生にそんな質問をして、1時間の授業を潰してしまった覚えがある。この事件の詳細は覚えていないが、数人の級友と一緒に発した質問だったので、そうなったようだ。

 では、よくあるようにこう言い逃れるやり方は正しいのかどうか。国語で書かれた内容の方が学問か否かは置いておくとしても、国語という言語とその使用法は学問としてきわめて重要なものである。こういう語学に限定した国語(科)の定義は誰もが認めるはずだが、この「書かれた内容」を横に置いた半分の定義だけでは、国語(科)の意味、重要述語の抑えとしては3分の1の価値もないと、これが僕のこの随筆の趣旨だ。

 さて、少なくとも20世紀以降の人文科学は、以下のことを明らかにした。
 言語能力、特に抽象的言語能力が不足した子どもは、学力一般が劣るのである。思考力一般と言語能力とがほぼ同じものと言っても良いほどに。これが言いすぎであるとしても、少なくともこうは言えるというように。両者の一方が欠ければ、他方もそんなに発達はできないと。このことはまた、以下のことをも示しているのだと思う。
 言語能力が文字通りの言語能力という狭い範囲に留められるものではないということを。次いで、このことに、20世紀の発達心理学などから発見された次の事実もおおいに関わっていく。
 この言語能力・思考力一般という意味での言語能力が劣った青年、成人には、社会性も欠けるという事実である。もっと言うならば、こんなことが言えるようだ。言語能力と思考力と社会性(さしあたっては、他人の言動が見え、分かり、共感するということなどなど)は、人間においては相互に影響・発達させ合う同じ一つのことの別の側面であって、その同じ一つのこととはその人間の内面のすべてとさえ言えるのではないかと。自分なり他人なりの人間の内面のことを出来るだけ正確に現し、他人に伝えようとしたら言語に頼るしかないという一事をとっても、このことはご理解願えるはずだ。心の中のことは、目に見え、手で触るなどということが出来ないからである。ここでまた、この事は言っておきたい。東大理科を受かるような言語能力があっても社会性が欠ければ営業が出来ないというような例はごろごろあると。社会性が欠ければ、その言語能力、一見高度な「思考力」、内面は偏ったものだということだろう。

「国語科は学問ではない」という子どもが目の前に現われたら、今の僕なら以上のことをしっかり語ってあげたい。きちんと答えないと「必ず、発達が歪む」と考えているからである。最近賢い女の子二人が、相次いで残忍な殺人事件を起こしたが、以上書いてきた問題が本質的に関わってくると解説する専門家も多いのである。

 最後に、付け加えることがある。以上のようなこと全てを40年高校国語教師をやってきた連れあいに話してみた。その間に愛知県の最難関高校(の進路指導係)を含めていわゆる受験校三つを渡ってきた人である。どんな返事が返ってきたか。
『今は、そんな質問をする子はいない。国語が、受験の主要3科目に入っているからだ』
 いや、驚いたのなんの。

 が、こんな現状も大問題であると、又別の問題性を感じたものだ。こんなに大事な学問を受験手段中心で扱っている。道理で、文科省が大学の人文、社会系の学問分野を減らそうとしている訳だ。国語を思考能力とだけで扱って、社会性、人間の内面一般との関係で見ていないからこんなことができるのだろう。怖ろしくなる。
 なお、国語科を軽視して道徳科を重視しても、虐めも賢い子の悲劇的事件も一向に減らないはずだ。安倍首相には特に、そう言いたい。人の心こそ実は、究極の思考力、真理の最大問題なのだと強調したい。道徳を決まり(の集積)か安っぽい「善悪」のように扱うのでなければ、国語科、人文・社会系学問を軽視はできないはずなのである。】
 
 

 以下は、今回付ける文章だが、「国語は数学のように答えが明確に出ないときがあるから学問ではない」という命題をもう一歩突っ込んでみたい。当然この場合の国語とは、言語学的な、あるいは、論理言語的な側面ではなく、書かれた内容の、あえて言えば文学的側面についてのものだ。人間の心は言語でしか現せないし伝えられないのだから、実際に人と接して学ぶほかには、言語に書いたものを通して、あるいは言語で整理しつつ学ぶしかない。そして、実生活上の心の問題は確かに、数学のように明確な答えが出ないときが多い。ところが、答えがいくつもあるから考えても仕方ないどころか、こういう問題こそあらゆる人間、人生においておそらく最大問題なのである。そのことは例えば、職場の悩みの最大のものが人間関係であるとか、「現代の男女、夫婦の問題は難しい」などという例を取っても分かることだし、この素養がなければ例えば営業などできないだろう。ちなみに、宗教は常に人間の心が抱える根源的悩みと結びついてきたものだけに、言語抜きにはどんな表現も不可能だと思う。つまり、他人にこれを伝えられない。

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喜寿ランナーの手記(268)「アスリートは早死にする」が・・・  文科系

2019年09月28日 16時15分02秒 | スポーツ
 今日は、いろんなスポーツをやってきた喜寿ランナーとして、こんなことを語ってみたい。「子に勧められぬスポーツ・スタイル?」と言う話になるのかな。生理学や身体発達の科学が発展して、子には勧められないスポーツもあるといろいろ分かる時代になったと思う、そのことを書く。
 
 ムキムキマンに 

 スポーツジムに行くと、2種類の人種が居ると分かる。ウエート専門と、有酸素運動専門とだ。前者は、比較的若い人がほとんどだが、おしゃれの延長と考えているのだから、それはそれで良い。が、それは若い内のこと。こういうことをご存じだろうかといつも訝っている。
「そのままだと早死にすること請け合い」
 ウエート専門の若者には、僕のいくつかのジム通いの経験上、有酸素運動をしない人が圧倒的に多いと見た。するとどうなるか。中年にさしかかると、ただ太っていく。太って痩せることができない。それも、筋肉だけは付いているから、ついた筋肉に脂肪がついて「ただのデブ」になる。こういうお人は、こんな知識を知らないのである。
「本格的ボディビルダーは、その体型を競う競技の前には、長く懸命に走って脂肪を落とす。脂肪を落とさないと、筋肉が鋭角的に浮かび出ないから入賞できないのだ。つまり、入賞できる人は、走れる人だ」
 これがどういうことかというと、走れなければ脂肪は落とせないということである。ラグビーFWは抜かりがないのだろうが、若い頃体重を増やした人が後に痩せるためには、有酸素運動能力を鍛えておくのが不可欠だと言いたい。
 
 特に、早死にするスポーツ
 
 その典型は相撲だ。相撲取りに早死にが多いのはどうしてかと、皆さん、考えたことはないだろうか。脂肪を付けるだけ付けるなど太った後で、廃業後十分に痩せる努力ができない人も多く、そういう人が早死にする。ましてや、ポリフェノールを取る努力などをしてないなら、さらに早く死ぬ。若い内に息が上がる運動に毎日励んで取るだけ取った細胞老化物質、活性酸素。この対策をしてないなら、体中の細胞の老化が非常に速くなる。ポリフェノールは、活性酸素を中和してくれるのである。心臓内科医からこんな言葉をよく聞いたのは、以上のような理由からだろう。
『アスリートは早死にする』
 統計があるのかどうか知らないが、相撲取りの平均寿命は一般より優に10歳以上は短いはずだ。そう言えば、ラグビーでも、平尾、宿沢など短命が多いのではないか?
 
 中学までは、長く走るスポーツがよい
 
 同様の理屈で、こんなことも言える。現代人は中年以降に概ね太るから、その対策が若い内に準備できない人は早死にする確率が高い。その対策が、有酸素運動能力である。この有酸素運動能力というのがまた、中学生までに最も伸びるものだと分かっている。つまり、以降の心肺機能の伸びしろはこの時期ほど多くはない。長距離走、水泳、自転車、などで伸びる力だ。
 子どもに早死にするスポーツを勧めるのは、大人としては罪ではないだろうか。子どもを早死にさせたくないと思ったら、中学までに有酸素運動能力を高めるスポーツをも、少なくとも平行して、やらせるのが良いと言いたい。
 
 自転車ならなお良い
 
 自転車人口がこの日本でもかなり増えた。これがまた、有酸素運動能力強化に最適なのである。その理屈はこういうことだ。
 ランニング能力向上のために、LSD理論というものがある。ロング(より長い時間)、スロウ(ゆっくりと)、ディスタンス(より長い距離を)走るのが最も心肺機能向上に良いという理論である。マラソン選手が高知トレーニングをするのも、この理屈の進化型としてあるはずだ。
 ところが、素人がロード・サイクルを自分の持続できる最高速度ほどでできるだけ長く転がしているやり方が、ちょうど上記トレーニングの心拍数に近い。僕は、59歳に高校の全校マラソン大会以来初めて走ってランナー入門をして、半年もたたぬうちに1時間走れるようになって今に至っているのだが、その理由がそれまでずっとロードレーサーを転がしてきたからだと、これは後から得た認識であった。
 ちなみに、ランナー入門の1年後の60歳で出た10キロシティマラソンで49分22秒という記録を持っているが、これもそれまでの自転車のおかげと理解してきた。 
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メッシ、クリロナと、世界的日本人選手  文科系

2019年09月27日 19時59分45秒 | スポーツ
メッシとロナウド (文科系)
2019-09-16 10:02:37
 サッカーの能力で言えば、メッシは技術アジリティーの、ロナウドは身体能力の、それぞれ化け物だと思う。
 メッシはホルモン異常からいつまでも子どもの身体だったから、かえって技術が伸びられる期間が長かった人物。俊輔や憲剛と同タイプである。大人の身体にするために、バルサが彼を引き取って高価なホルモン治療だったかを長期に施してきたというのは、有名な話だ。
 クリロナは、全盛期のマンUと、希代の名監督アレックス・ファーガソンの元で、スポーツ科学の粋を集めて育成されたサイボーグ。ダッシュ力、ジャンプ力などがとにかくすごくて、そんな姿が化け物みたいな選手だと思う。
「ダッシュでマークをぶっちぎって、強烈過ぎるシュート。もしくは、誰よりも高いヘディング」
 サッカーファンならロナウドについて誰でも知っている個性がある。ナルシストじみた自己身体への愛着。これこそ、この化け物を創った原動力ではなかったかと、そんなことも想像してきた。18歳でマンU移籍後すぐのシーズン初ゲームでレギュラーをとった化け物でもある。
 
本田と久保建英 (文科系)
2019-09-15 07:45:22
 本田はその凄さの割に不遇な選手生活であったと思う。ロシアへ行ったのが誤りだった。あの上り坂の国へ行けば、よほど急に伸びないと長く飼い殺しになると計算できたはずなのだが、過信しすぎたのか、膝の傷が不運だったと言うべきか。結局凋落著しいイタリアへ移籍金なしで行くはめになった。選手としての大成には、20代前半の進路選択が極めて重要だということだろう。
 さて、久保建英である。技術型、身体能力、視野と戦術実践力の三つに分けて言えば中島翔哉と同じ攻撃技術に特化した選手とは、明らかだろう。すると彼の問題は、守備も含めた戦術実践力ということになる。守備のためにもダッシュが繰り返せるかどうかも含めてのことだ。ということならば、その技術の割に大成できなかった宇佐美との比較が面白かろう。1ゲームに規定のダッシュを50回できるのが岡崎で、宇佐美のこれは30回だったかな? 結果、岡崎は守備にも走れるが、宇佐美は走れなかったということのようだ。
 久保がメッシになれるならば守備は免除されようが、そして、中島は今でもメッシを狙っているのかも知れぬが、この2人のどちらかがメッシになれるとは、普通は思わなのではないか。でもこの2人、今でもこう考えているかも知れない。
「メッシを狙って失敗に終わるなら、それも俺の人生!」

日本人の選手鑑識眼 (文科系)
2019-09-24 20:23:33
 どの国でも若手の天才は話題を呼ぶが、日本のその視点のニュースは、ちょっと異常だと見てきた。森本、宇佐美、そして久保建英。皆一つの共通性がある。10代選手の「超絶」技術に目をつける見方である。高校ホームラン王とか、高校生大谷とか、個人技中心の野球のような見方とも言える。その批判を別のエントリーでこう書いた積もりだ。
『さて、若い頃の「技術」はサッカーでは案外大切なものではないと、僕は考える。若い頃は普通のプロ技術程度で良い。というか、技術全体は下手でも何か一つ特殊な技能があれば良い。そのことは、ヒデと岡崎が教えてくれた。・・・総合技術よりも、何か突出した基礎的身体能力や、広い視野に基づいた戦術実践力の方が遙かに大切なのだと』
 総合的技術というのは、遅くとも15歳までには出来上がってしまうもの。そして、その頃までは技術が並のプロ選手程度でも、世界的名声を得たのが、ヒデや岡崎。少年の頃の彼らはサッカー技術は並の選手だった。
 幼少期に育つ技術だけで選手の将来性を見るのは、愚かなことだと思う。
 確かに、10歳で天才から世界的選手になった小野やメッシのような選手はいるのだが、同じ力を持っていて落ちていく例はもっとはるかに多かったはずだ。特に、視野が狭かったり、今だと走力がなくて守備ができない選手は、絶対に大成できないと思う。
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随筆  〝可愛がられたんだ〟   文科系

2019年09月27日 14時06分53秒 | 文芸作品
  同人誌に孫と遊ぶ自分を長短の作品にし続けてきた。そんな作品合評のいろんな声から、熱心すぎるという意味でどうもかなり珍しい態度のようだと気づき、考え込み始めた。
「孫は疲れるというおじいさんも多いと言われたが、そんなこと思ったこともないよなー」
「構い過ぎと言われたが、確かに頼まれたこと以上に随分多く、自然に手を出している」
 
 ここからさらに、そう言えば、我が子ともこんな風に付き合ってきたよなー。それもごく自然な成り行きとして・・・。自転車も水泳も、正しい走り方や娘のピアノ教室曲さえ、俺が教えてきたはずだ・・・。完全共働きの子育て時代は、仕事も忙しかったけど、その前後の二人の子の保育園送迎や夕食後にまた職場に赴いた時間を含めれば、一日平均して一五時間以上も働いてたけど、土日など暇があればほとんど子供に使っていたはずだ・・・。ここまで来たら、当然こう訝ることになった。なぜあれが疲れることもなく、ごく自然にできたんだろう?
 
 ここでまた、ふっと思った。俺自身が幼少期にいろいろ可愛がられてきた。母親にはもちろん、他の大人たち、とくにおばあさんたちに・・・。彼らに可愛がられた? とそこまで回想と思考が進んできたとき、たちまち閃いたのが、このこと。幼少期から小学入学過ぎまでの俺は、お経をいくつか唱えることができたのである。あれは、当時は同居に等しかった母方の祖母の影響なのだが、その周辺の人々を随分喜ばせたもんだ! 「お経やって!」という注文にいつもニコニコと答えていたのだから。ちなみに、ここでもまた思い出したことがある。このお経が俺の人生にもう一つ重大な影響を与えたという、そのことを。我が父母、兄弟妹四人の合計六人の中でただ俺だけが音楽が得意になったその理由について過去に考えたことがあるその結論なのである。考えてみればお経って、音楽だ。音程もリズムもあるし、合唱まであって、音楽の要素をすべて含んでいる。そして、音楽、音感ってほとんど幼少期に育つものだから・・・。

〈俺が幼少期にされてきたように、子供や老人に対して居る。『そんな感情、対応』がごく自然にわいて来て・・・〉
  
  このように広く自分の幼少期を振り返ってみたのは初めてのことだったが、この連想全体がこんどは関連する過去をいろいろ思い出させてくれることになった。
〈周囲の老人で肩もみをしなかった人は一人も居なかったはずだ。あの祖母、俺と連れ合いそれぞれの両親・・・〉
〈老人には、特におばあさんには、どこでも、いつでも可愛がられたよなー。きっとどこかがババ泣かせの子供だったんだ〉
〈小学中学年の夏休みなどには弟の幼稚園へ出かけていって、幼児を遊ばせてたよな。いまはこの同じことを、孫の保育園や学童保育でもやっている。それも、それぞれをお迎えに行く日々のことだ・・・〉
 はてさて、こういう俺の生い立ちは良かったのか悪かったのか、そんなことを考えてみても、今はもうどうしようもない。月木には学童保育にお迎えに行き、金には保育園へ。二人の走り方も自転車も、保育園の竹馬競争も教えて来た。水泳教室はいつも見学に行き、そのテスト前には熱心な特訓をしたからこそどんどん進級できた? ピアノ教室曲のレッスンも日々手伝って、学校の授業参観にも代理参加が度々と、そんな生活にごく自然なってきたんだよな・・・。
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喜寿ランナーの手記(267)ゼロから再出発も「大丈夫」と・・・  文科系

2019年09月26日 16時56分43秒 | スポーツ
 足底筋膜炎と、若い頃椎間板ヘルニア手術の後遺症腰痛とでまたゼロから出発。このこと自身もおそらく7月末から8月初めにかけての10日間入院が遠因なのだろうと、今は考えている。そう考えれば、7月末からこの夏中かかって体力を減じた、そういう出発になるのだろう。
 
 以降、18日が8・1キロ、20日8・2キロ、24日には8・3キロと来て、本日8・5キロまで来た。すべて、ジム・マシン30分2回の距離であって、本日は4・2と4・3キロというもの。面白いもので次第に走った後の疲れが少なくなってくる。20日などは、後半を途中でやめようと思うほどに僕として過去になかったほどに疲れたのに、24日も疲れたけど疲労感はかなり減っていた。それが、今日は、以前と同じように、これぐらいのスピードならなんともない感じに戻っている。ここ数日よりもちょっとスピードの上げ方を増やしたのだが。
 ちなみに24日の後はこう書いている。
『20日に比べたら疲れが少なかったのは、二つの故障ブランクから少々体力が回復してきたということだろう。でも、まだまだ疲れる。足底筋膜炎や腰痛でブランクの上に、補強運動ができなかったからだ。心肺機能も落ちていると、分かる。同一スピードでの心拍数が、好調時より10は高くなっているから』
 この24日との比較では、今日は疲労感はほとんどない。が、心拍数はまだまだ元に戻っていず、高いままである。だから、一定持続スピードが上げられず、最高は10・5キロ時までである。心肺機能を高めるためにも、しばらくはゆっくりゆっくりと走る必要があるのだろう。
 
 とはいえ、ちょっとスピードを上げてみた今日の疲れがこれほど少ないというのは、「俺もまだまだ」という感じで希望が湧いてきた。
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「ニューズウイーク」記事に見る「日韓問題の最重要点」   文科系

2019年09月25日 09時22分58秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 今の日韓鞘当て事件の数々は、この1月に発表された「18年版韓国国防白書」から起こっていることは明らかである。そこで、従来の「近隣との防衛協力は、第一に日本」から「第一に中国」に換わってしまったことに。だからこそ日本人は少し頭を冷やして、なぜこんな激変が起こったのかを考えることこそ、今重要なのではないか。
 
「ニューズウイーク9月24日号」に揚海英静岡大学教授(「本誌コラムニスト」との肩書きも併記されてあった。内モンゴル出身で、日本国籍を持っている)が「日本が朝鮮半島統一を支持すべき理由」と題した論文を書いている。そこに、このブログで長年僕が書いてきた主張をさらに先鋭化した、こんな表現があった。

『(朝鮮半島の住民は)同一民族だ。同じ祖先から枝分かれしたという神話を共有し、同じ言葉を話す。この同一の価値観は民族統一を崇高な理念とする。民族統一の理念は民主主義や人権など、いわゆる普遍的な価値観を凌駕する。・・・日本は他者の立場に立って物事を考えることも必要だろう。もし先の大戦の後、日本列島も北緯38度線で米ソによって分断されていたら、大和民族はどうするのか・・・世界のどの民族より強烈な仲間意識で固まっている日本人は恐らく、最も苛烈な形で民族統一運動を推し進めるのではないか』

 この「崇高な理念」から見れば、近年喧伝されつつある米中衝突とはなによりも、「民族分断」を激化させるものとしか見えないはずだ。核問題で世界を敵に回している北が中国を頼ってきたのだから、中朝と米の対立が激化するほどにこの「崇高な理念」実現が遠くなっていくのだから。
 
 というように米中日韓問題を整理してくると、現在こんな箇条書きになるはずだと、そのことを以下、まとめてみたい。
① 米中衝突の本質はこれ。それぞれの物経済、外貨累積額が斜陽と旭日とであって、米は対中金融支配をずっと狙い続けて来た。つまり、米が衝突を仕掛ける側であり続けるだろう。
② ①に対して韓国は、米中等距離外交を取らざるを得ない。上記の「崇高な理念」がそうさせるのだ。
③ ②を実質認めない日本政権なら、韓国ばかりかアメリカから見ても役に立たず、「遣いっぱ」にすぎぬ。高価な米兵器を買ってくれる対中最前衛部隊というだけの扱いなのだろう。さしあたっては文政権を潰す役割?
④ 「文政権」崩壊工作はどんどん深化していくのだろうが、文政権以降の時代も含め長い目で見たら、けっして成功はしないだろう。つまり、米中等距離外交は変えられない。つまり、朝鮮問題では日米は韓中に負けざるをえない。
 
 
 関連して、本日の中日新聞社説が「五輪と旭日旗」を書いて、こんな主張をしている。
『持ち込み許容の再考を』
 この旭日旗問題は昨日のエントリーで扱ったが、この社説は当たり前の主張、話というほどに、今の政権がのぼせ上がって見える。世界が笑うほど、可笑しくて仕方ないほどに、子供じみている。安倍官邸への外務官僚らの忖度なのだろうが。
 



 
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東京五輪、朝鮮2国は不参加?  文科系

2019年09月23日 20時16分59秒 | スポーツ
 東京五輪に向けて、外務省がこのたびある発表をした。東京五輪会場に旭日旗をもちこんでも問題なし、と。たちまち僕にはこんな不安が湧いて来た。
「このままなら、朝鮮半島二国の五輪参加はなくなるだろう」
 韓国との代表同士のサッカーゲームに旭日旗が持ち込まれたとき、強烈な反発が巻き起こったのを、サッカーファンの僕はよーく知り抜いている。なのに今なぜ、こともあろうに東京五輪に向けて・・・? 
「首相官邸の意向を踏まえて」との新聞解説もあったが、「世間の一部には誤った理解をお持ちの方がいる」という注釈までを外務省報道官は付け加えていた。誤解も何も、韓国から見たら、旭日旗が旧軍国主義日本の植民地支配(軍隊)の象徴だったというのは、歴史的事実そのものではないか。つまりこれは、日韓の歴史総括の食い違いという政治問題をわざわざ五輪に持ち込んだものであって、最近日韓両政府が連鎖的に引き起こしている鞘当て外交の一環として、一つの結末がここまで来たかとため息が出たのである。
 
「当時としては植民地は合法。日本だけがなぜいつまでも責められるのか」
 例によって、そんな政権の声が迸り出たような開き直りでもあるのだろうが、それにしても・・

 

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グランパスは、ユンジョンファンをとれ!   文科系

2019年09月22日 06時54分07秒 | スポーツ
 グランパスがどれだけ金を使っても勝てないのは、フロントが悪かったからだ。フロントに監督を見る目がずーっと蓄えられてこなかったからである。常に、監督を見る目が時代遅れだったとも思う。昔からそうだったが、今フィッカデンテだって? 冗談じゃない。
 日本リーグにも、世界サッカーにも通じたユンジョンファンがいるじゃないか。しかも、現在フリーでもあるし、彼の実績を調べ直して見れば、風間やフィッカデンテや、実績ゼロであったストイコビッチよりも遙かに上だと分かるはずだ。監督としての手腕が未知数であったストイコビッチにも僕は反対だった。「優勝を狙うチームがやる監督人選ではない」と。案の定、あれだけ金を使って長く任に当たらせた上に優勝は1回。つまり、成長できなかったお人である。「繋ぎ徹底」の風間を迎えたのも、時代遅れのやはり誤りだったと総括すべきなのだ。かと言って、全く守備だけのフィッカデンテ? 例によって「羮に懲りて膾を吹く」そのもの、極端すぎて素人発想としか思えないのである。
  
 チーム強化では監督が最も大切とは、グランパスもベンゲルでよーく体験したはずだろう。しかも、実績がちゃんとした監督であって、加えて現在は高位コンパクトプレスなどの守備が分かる監督でなければ、勝てない時代だとも今は分かったはずなのだ。

 フィッカデンテとユンジョンファンでは、Jでの実績が全く違う。また、ユンジョンファンが呼ばれないのは、Jにも韓国シフトが浸透してきたのかと、そんな義憤にも駆られている。こんな時代だからこそ、「日韓の民間友好」。Jがユンを呼ばないのは、リーグへの彼の功績を無視する心ない仕打ちでもある。
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日本軍慰安婦問題、当時政府の二通達   文科系

2019年09月21日 11時51分00秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
 このブログでは、日朝関係史、南京虐殺をいつも続けて来ましたが、慰安婦問題でもある決定的資料をいつも、そのまま再掲して来ました。偽情報を大量に流して、世を偽りで埋めようという大々的な世論工作が行われている我が国、昨今の風潮を、金に飽かした悪辣な暴力と感じてきましたから。以下の文書には、強制のことも軍自身が以下原文中でこのように認めています。

『故サラニ軍部諒解等ノ名儀ヲ利用シ為ニ軍ノ威信ヲ傷ツケ且ツ一般民ノ誤解ヲ招ク虞アルモノ或ハ従軍記者、慰問者等ヲ介シテ不統制ニ募集シ社会問題ヲ惹起スル虞アルモノ或ハ募集ニ任スル者ノ人選適切ヲ欠キ為ニ募集ノ方法、誘拐ニ類シ警察当局ニ検挙取調ヲ受クルモノアル等注意ヲ要スルモノ少ナカラサルニ就テハ・・・・』

 朝日新聞がガセネタ報道を謝罪してからは、まるでこの問題自体がなかったような情勢に流されがちですが、あれは朝日のミス。こう、対処すれば良かったのです。
「あれはミスだったが、慰安婦問題は厳然と、かつ大がかりに存在していた。単なる売春婦と言い逃れたとしてさえ、『陸軍省副官発』文書にも示されて来たように、帝国陸軍設立慰安所とあらば歴史的意味合いが全く違ってくるはずだ」
 あったものをないことにはできません。そんなことを許せば、世の中がフェイクニュースで成り立ってしまう。声の大きいものがマスコミを握り、世論を自由自在に操れる世の中は、庶民が泣き寝入りさせられがちな社会じゃないでしょうか。


【 慰安婦問題、当時の関連2通達紹介  文科系2014年09月22日

 以下二つは「日本軍の慰安所政策について」(2003年発表)という論文の中に、著者の永井 和(京都大学文学研究科教授)が紹介されていたものです。一つは、1937年12月21日付で在上海日本総領事館警察署から発された「皇軍将兵慰安婦女渡来ニツキ便宜供与方依頼ノ件」。今ひとつは、この文書を受けて1938年3月4日に出された陸軍省副官発で、北支那方面軍及中支派遣軍参謀長宛通牒、陸支密第745号「軍慰安所従業婦等募集ニ関スル件」です。後者には、前に永井氏の説明をそのまま付けておきました。日付や文書名、誰が誰に出したかも、この説明の中に書いてあるからです。

『 皇軍将兵慰安婦女渡来ニツキ便宜供与方依頼ノ件
 本件ニ関シ前線各地ニ於ケル皇軍ノ進展ニ伴ヒ之カ将兵ノ慰安方ニ付関係諸機関ニ於テ考究中処頃日来当館陸軍武官室憲兵隊合議ノ結果施設ノ一端トシテ前線各地ニ軍慰安所(事実上ノ貸座敷)ヲ左記要領ニ依リ設置スルコトトナレリ
        記
領事館
 (イ)営業願出者ニ対スル許否ノ決定
 (ロ)慰安婦女ノ身許及斯業ニ対スル一般契約手続
 (ハ)渡航上ニ関スル便宜供与
 (ニ)営業主並婦女ノ身元其他ニ関シ関係諸官署間ノ照会並回答
 (ホ)着滬ト同時ニ当地ニ滞在セシメサルヲ原則トシテ許否決定ノ上直チニ憲兵隊ニ引継クモトス
憲兵隊
 (イ)領事館ヨリ引継ヲ受ケタル営業主並婦女ノ就業地輸送手続
 (ロ)営業者並稼業婦女ニ対スル保護取締
武官室
 (イ)就業場所及家屋等ノ準備
 (ロ)一般保険並検黴ニ関スル件
 
右要領ニヨリ施設ヲ急キ居ル処既ニ稼業婦女(酌婦)募集ノ為本邦内地並ニ朝鮮方面ニ旅行中ノモノアリ今後モ同様要務ニテ旅行スルモノアル筈ナルカ之等ノモノニ対シテハ当館発給ノ身分証明書中ニ事由ヲ記入シ本人ニ携帯セシメ居ルニ付乗船其他ニ付便宜供与方御取計相成度尚着滬後直ニ就業地ニ赴ク関係上募集者抱主又ハ其ノ代理者等ニハ夫々斯業ニ必要ナル書類(左記雛形)ヲ交付シ予メ書類ノ完備方指示シ置キタルモ整備ヲ缺クモノ多カルヘキヲ予想サルルト共ニ着滬後煩雑ナル手続ヲ繰返スコトナキ様致度ニ付一応携帯書類御査閲ノ上御援助相煩度此段御依頼ス
(中略)
昭和十二年十二月二十一日
         在上海日本総領事館警察署



『 本報告では、1996年末に新たに発掘された警察資料を用いて、この「従軍慰安婦論争」で、その解釈が争点のひとつとなった陸軍の一文書、すなわち陸軍省副官発北支那方面軍及中支派遣軍参謀長宛通牒、陸支密第745号「軍慰安所従業婦等募集ニ関スル件」(1938年3月4日付-以後副官通牒と略す)の意味を再検討する。
 まず問題の文書全文を以下に引用する(引用にあたっては、原史料に忠実であることを心がけたが、漢字は通行の字体を用いた)。

 支那事変地ニ於ケル慰安所設置ノ為内地ニ於テ之カ従業婦等ヲ募集スルニ当リ、故サラニ軍部諒解等ノ名儀ヲ利用シ為ニ軍ノ威信ヲ傷ツケ且ツ一般民ノ誤解ヲ招ク虞アルモノ或ハ従軍記者、慰問者等ヲ介シテ不統制ニ募集シ社会問題ヲ惹起スル虞アルモノ或ハ募集ニ任スル者ノ人選適切ヲ欠キ為ニ募集ノ方法、誘拐ニ類シ警察当局ニ検挙取調ヲ受クルモノアル等注意ヲ要スルモノ少ナカラサルニ就テハ将来是等ノ募集等ニ当リテハ派遣軍ニ於イテ統制シ之ニ任スル人物ノ選定ヲ周到適切ニシ其実地ニ当リテハ関係地方ノ憲兵及警察当局トノ連携ヲ密ニシ次テ軍ノ威信保持上並ニ社会問題上遺漏ナキ様配慮相成度依命通牒ス』


 さて、これを皆さんはどう読まれるでしょうか。なお、この文書関係の北支関連国内分募集人員については、ある女衒業者の取り調べ資料から16~30歳で3000名とありました。内地ではこうだったという公的資料の一部です。最初に日本各地の警察から、この個々の募集行動(事件)への疑惑が持ち上がって来て、それがこの文書の発端になったという所が、大きな意味を持つように僕は読みました。】
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大統領選挙前でホッ、イラン  文科系

2019年09月20日 03時34分57秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 サウジの主要油田へのドローン攻撃で、一時はイラン戦争へと急展開した感があった。が、大統領選挙前で助かったというべきかも知れない。対イラン(戦争)有志国募集も、英、豪、サウジ、バーレーンぐらいしか応えがないようだし・・・。

 さて、イラン情勢をいろいろ読んでみると、イスラエルとサウジとがどうも懸命に火を焚き付けて来たようだ。強権的国王政治を守りたいサウジにとっては、王制打倒から民主制を敷き始めたイラン(とその周辺への影響と)をどうしても切って捨てたいのだろう。そんなサウジの世界一生産量の原油とアメリカの原油=ドル世界体制死守とが結びついて、イランが目の敵にされてきたということではないか。そんな風に理解しなければ、イランへの米・サウジらの長年の憎しみのようなものは理解できないのである。ちなみに、アメリカにはこう言いたい。
『マドゥロ・ベネズエラの「独裁」を問題にする暇があったら、サウジの王制独裁はなぜ問題にしないのか!』

 とは言え、今回のサウジの主要油田炎上をもたらしたドローン攻撃は、アメリカとサウジにとって極めて深刻なものであるらしい。アメリカがその最新兵器輸出ぐるみで指南して来たサウジの国防体制が、随分もろいものだと証明された形になったからだと、ここが強調されている。言ってみるならば、高価な「ミサイル防衛システム」が何の役にも立たなかったのである。ドローンに対する防衛システムが存在しないって、まるで新型の竹槍に対して大将周辺の強固な守りも、大将自身の高価な鎧も全く役に立たなかったというような。だから、アメリカの「報復」は極めて猛々しいものになるはずだった。

 さて、世界の「戦争現実」をその最先端で前衛的に創り出しているようなこの中東・イラン情勢は、一体どこまで深化していくのだろう。怖くて仕方ない。イランでは数十万の死者とか、アメリカの金のない若者もまたまた多数死ぬのだし、イラクやアフガン同様に大量の難民が生み出されて世界を揺るがせるのだろうし・・・。日本にも「有志国」が連呼されることになるのだろうし。
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喜寿ランナーの手記(266)またゼロから  文科系

2019年09月20日 03時22分38秒 | スポーツ
 足底筋膜炎は治ったが、腰痛

 足底筋膜炎(カカト側と土踏まず前方との痛みがあるが、僕は前の方の)は、ほぼ治った。小さな痛みでも意外に重いものだと分かったから、今後要警戒である。ところが、これに気を取られてあせって走りすぎたのか、12日木曜日に左腰を痛めてしまった。それで、一昨日18日まで金~火と5日間休み。まー年寄りの冷や水を自分にぶっかけた形である。この18日は、3・9と4・2キロの8・1キロを走った。こんなスピードでも左足首がちょっと痛い時があったというように、筋肉系統がかなり弱っていると分かったのは、成果か残念か?

 走れる程度の故障

「走れる程度の軽い故障」って、身体に警告をもらったということであって、残念ではなく成果と考えることもできる。その部分を強化すればもっと走れるという現状認識をもらえたという成果だ。しかも、左足の足底筋膜炎の休養のあとの回復に立ち上がるときとは、少し無理をするだけでも、左足に故障が起きて当然。これだけで済んで良かったというもの。年寄りって、こういう考え方でもしなければ、走り続けることなどできないだろう。

 今後の方向

 まーゆっくりと、1時間で1日百メートルずつ増やしていくようなつもりでやっていこう。これなら、中1日置きで十分どころか、時に毎日でも走れるはずだし、心臓・血液の回復狙いにもなる。腰の故障休養中には水泳を入れることもやってみたし、今日などはロードレーサーを10キロほど転がしてきた。いずれも、筋肉を和らげ、強化する狙いである。
 涼しくなって、今日のロードレーサー途中の信号待ちなどで秋の美しく高い空を見上げていたら、いつものようにまだまだ元気で生きていたいなどと思ったところだ。
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改めて、ゲーゲンプレス   文科系

2019年09月19日 09時44分25秒 | スポーツ
 予告させていただいたように、2010年頃からドイツはドルトムントの急台頭で脚光を浴び始めたゲーゲンプレスについての旧稿を再掲したい。この戦術を知っておくと、現在のサッカーで分かる部分が急に多くなるからである。なぜ、コンパクト陣形を高い位置まで押し上げるのかとか、そもそもコンパクト陣形が重要とはどういう意味なのか、とか。さらには、点がそれほど取れなかった岡崎がなぜイングランド優勝チームであれだけ重宝されたのか、とか。

 なお、ゲーゲンプレスというドイツ語の意味だが、英語に直せばカウンタープレスのこと。カウンター攻撃というのは、敵の組織的攻撃に対して味方も攻撃し返すという意味だが、敵が組織的プレスで味方ボールを奪った瞬間に、味方も前へ出て取られたボールを取り返すべく組織的プレスをかけていくというやり方を指している。


【 ザックジャパン(145)改めて、ゲーゲンプレス  文科系 2014年02月26日 | 小説・随筆・詩歌など
 ドイツはドルトムントのゲーゲンプレッシング自身について解説したい。この言葉が現在このブログで、検索に最も多く引っかかる言葉だと編集部に教えられたからこれを書こうと思いたった。

① まず、クロップ監督自身の言葉を、最初の解説要点としたい。
『相手がこっちのボールを奪った瞬間こそ、相手のボールを奪う絶好機なのだ。敵の陣型が最も乱れている時だから、ボールを奪いやすい時でもある。また、その時にボールを奪えれば、即得点チャンスにもなるのだし』
 この言葉にゲーゲンプレスの全てが入っている。この語の意味自身とこのクロップの言葉とを結んでみると、意味がよく分かる。英語に言い換えた字義はカウンタープレスということであって、ボクシングのカウンターパンチが相手の拳にこちらの拳を合わせて威力を倍増させるというのとおなじ意味である。敵がボールを奪って前がかりになった瞬間こそ、敵陣形にスキが多いから、味方が前に出てボールを奪う最良の絶好機なのだということだ。

② ①の大切さを理解する必要不可欠な現代フットボール予備知識も挙げておく。現代最新型の守備とは、まずゴールを守る事(と考えるの)ではなくて、そのもっと前の段階で敵ボールを奪うことである。身方から見て高い位置で常に敵ボールを奪ってしまえば、敵がシュートを打てないという理屈だ。サッキ・ミランやバルサ以来世界がボールポゼションに拘ってきたのも同じ理屈である。敵から良くボールを奪い、パスが上手いから敵にボールを渡さないなら、ボールを持てない敵はシュートを打つ確率が極めて下がる。
 高いプレスとかコンパクトプレスとかの用語も、この事に関係している。前者は、高い位置で組織的圧倒的に敵ボールに襲いかかって奪う事。後者は、身方陣型を、DFは前に上げFWも守備に下がって前後を縦に詰め、コンパクト(コンパクトカーのコンパクトと同じ「小さいけれど中身が詰まった」という意味)陣型にして、その密集の中では敵ボールを絡め取りやすいという意味である。その際、DFを前に上げるのでカウンターを食わないように、一糸乱れぬオフサイドトラップ(オフサイドの罠)が極めて重要になる。ちなみに一例としてだが、ザックジャパンはこれがまだ下手だ。前のプレスが甘いとき、良いロングパスを通されてカウンターを食ってしまうのである。オフサイドトラップを多用するコンパクト陣型には前の協力も不可欠だというのは、このことを指している。
 ところで、以上との関係でゲーゲンプレスを述べればこうなる。まず、必ずコンパクトプレスになるということ。高いコンパクトも、CLリーグなどでは低いコンパクトもよく使うが。特に、高位のコンパクトプレスからのボール奪取、得点が上手いということだ。これが、ゲーゲンプレスの代名詞のようなものになっていると思う。

③ ゲーゲンプレッシングのやり方自身はこうである。
A ボールを奪った相手に最も近い味方は、すぐに敵ボール保持者からボールを奪いに行く。形だけではなく、本気で奪いに行くのである。
B 近くに敵の他の選手がいるその他の味方は、敵ボール保持者からのパスコースを塞ぐ。
C パスコースを塞げる敵がいない味方は、後ろからでもパスの受け手になりそうな敵を妨げに走る。あわよくば後からボールを奪ってやろうと意図して。コンパクト陣形にするほどに、この確率も高まるという、このことさえも狙い目なのだ。
D 以上の結果として、パスの出し所を失った敵ボール保持者が苦し紛れに蹴ったボールが身方に流れることも多いが、それもこの戦術の狙いの内なのである。

④ 最後に、以上の為にドルトムントは常日頃どんな練習をしているか。木崎伸也の見てきたところをまとめてみよう。彼は、ドルトムントの秘密練習までこっそりと覗くなどと、大変な努力を積んできた。
A 以上の為の走りにつき、常日頃死に物狂いのような練習を積んでいる。ハインケス監督時代の最後にドルトムント・ゲーゲンプレスをそっくり真似してCL杯を取ったバイエルンとともに、ドルトムントは現在の世界でダントツに走るチームと言えるだろう。それも、ダッシュが多いという意味だ。
B 例えば低く構えてコンパクト陣型を作る場合でも、DFラインはおおむねペナルティーラインの2m前まで出ようとして、そのためにDFがこんな練習をしている。DFライン4人が敵ボール位置に合わせて猛烈な勢いで左右に動きつつ、1人は敵ボールにアタックに出る、と。その時必要な攻撃に出たセンターバックをMFがカバーする練習も非常に多い。よって、このチームのMF全員がDFの練習も積んでいる。
C ドルトのパスを繋ぐ攻撃は、バルサ以上に縦に速いのが特徴と言える。攻撃の特徴、練習は、敵の間に顔を出し身方パスを引き出すこと、そのためのパス&ムーブの徹底、そしてワンタッチパスの多さなどがある。合宿などでは、ハーフコートの5対5ゲームをワンタッチ限定でやり尽くすということだった。このCの全てに対する防御練習が存在するという事になり、ここにもゲーゲンプレス練習の大事なポイントがあると言える。

 最後になったが、ザックのチームコンセプトはドルトムントに非常によく似ていると言える。ザックもドルトムントと同じで、攻撃はバルセロナ、守備はアリゴサッキのミラン(のゾーン・プレス戦法)を理想としてきたのだから、当然の事なのだ。組織規律を良く守り、よく走りもする日本人にはこの戦術が非常によく合っていると言える。】

 
 なお、このユルゲン・クロップがドイツ人としては2人目のプレミア監督になったのが2015年10月のリバプール行き。ちなみに、一人目はフェリクス・マガト。ドイツに長谷部誠を呼んで、長谷部の2年目にブンデスリーグ優勝を成し遂げた名監督である。
 その後のクロップのチーム復興実績はもう、誰の目にも明らかだろう。ゲーゲンプレスに特有の「得点も多いけど、失点が多い」という欠点をどんどん減らしていったのである。一番の変化は、引いて守る相手に、取りこぼしをしなくなったこと。そんな相手に対してもカウンターを食いにくいディフェンスを構築していった。吉田麻也の同僚であったファンダイクがその要に座っている。ちなみに、この「サッカー史上最高のディフェンダー」を取ることができたのも、クロップのおかげ。15年、16年とプレミア順位を急に上げることによって、17年ELリーグ戦決勝進出などで、急に世界的強豪兼金持ちチームになりおおせたからである。18年にはCL決勝進出、19年にはとうとう、CL優勝を成し遂げている。
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浦和と鹿島の明暗   文科系

2019年09月19日 09時12分07秒 | スポーツ
アジアのチャンピオン・クラブを決めるACL大会準々決勝で、一昨日と昨日、日本勢が明暗に分かれた。
 同じ同点、アウェイゴール差で、一昨日は浦和は勝ち、昨日の鹿島は負けた。いずれのゲームも、中盤の潰し合い・繋ぎあいが激しく、これに日本勢が優勢という意味でよく似たゲームだったと思う。強いて言えば、この激しい潰し合い、ギリギリの繋ぎあいでは、鹿島の方が浦和よりも勝っていると観たもの。現に、鹿島の相手広州恒大のイエロカードがとても多かったのは、守備には競り遅れ、攻撃でもフォローが遅れたということだろう。つまり、ポジショニング、選手同士の距離間では、いずれのゲームも日本勢が勝っていた。では、なぜ明暗の差が出たか。

 浦和にはACLを戦い慣れた名FW・興梠がいて、上海のフッキが欠場したことが大きかったのではないか。鹿島は浦和よりも遙かに勝てるゲームを進めていたと思うが、FWが力不足だった。このチームがFWをどんどん放出し、入れ替えていくのは、財政的理由からなのだろうか? これは、いつも、とても不思議に思うことである。
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