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九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

 「老人はもっとでしゃばれ!」 文科系

2006年01月31日 19時08分22秒 | Weblog
大学講師をしている友人からこんなメールがあった。
「大学生のレポートを採点していて感じたこと。今、元気で知的な学生は、ニュー右翼みたい。反アジア・親小泉・反朝日みたいな感じです。これはまだ少数派だけれど、よく勉強するタイプらしいので、これからトレンドになっていく予感。この間の選挙も、ブログを使って、こういう流れにかなり乗っていたようです。ちょっと、なぜなのか?考察が必要みたい(以下略)」
そうだろうとも!と、折り返し返信。概要こんなふうな。
激しい2極分化は貧困家庭の拡大再生産と、それを「自業自得」と見るのみの「適者生存理論」的感覚の「強者」を生んできたはずだ。後者には小泉流で頂点に達した新自由主義風潮は真実ぴったり来ることだろう。おそらく、ぼくらが当たり前だと考えてきた「自由、平等、博愛」というような近代に生まれたはずの感覚も、想像以上に欠けているのではないか。
さて、考え込んでしまった。我々夫婦が高校教師を始めた40年前にはもう、こういう人間がちらほら現れていたなー。受験科目以外は学校行事もまともな文化も一切切り捨てるということができる人間。そしてさらに、ここ20年の新自由主義風潮の席巻はこういう連中をもっともっと増やしてきたということなのだろう。そして、彼らの考え方からすれば老人が幸せになる社会ができるわけはないな。なにもかもむしり取られるよ!適者生存理論的感覚には9条改変もさぞ合致することだろう、などなどと。

この友人、最後に「老人はもっとでしゃばれ!」と檄を飛ばしてきたが、本当にそうだよ。このサイトを読む人々、もっともっといろんな所へ出しゃばっていこう!確かに、発言なければ権利なしだ。このサイトもこういう方向の情報交流、収集場所にしても良いでしょう。みんなもっともっと書いてよー! 
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母のお腹         まもる

2006年01月30日 03時09分24秒 | Weblog
 参加している句会にこんな句が出された。
   
   初春や昭和九年の母の腹    朱露

 昭和九年と言えば、満州国で溥儀が皇帝となり、ワシントン条約を破棄して戦争への道をはっきりと踏み出した年である。
 私が母の腹に宿ったのは、昭和十七・八年。シンガポール陥落もつかの間ミッドウエイ海戦の敗北、ニューギニア各地で玉砕米軍機本土初空襲と日本が敗戦へと転がり始めた年である。

 母はどんな気持ちで重くなるお腹をさすったのであろうか。宿る子供の未来に何を思ったのであろうか。今では聞く術も無いが、この歳になってようやくそんな事に気付いた。              
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「人間の条件」を想い起こす。         まもる

2006年01月29日 14時49分12秒 | Weblog
 九条の会の一月の平和企画で神谷先生による「731部隊と憲法」の講演会が盛会のうちに終わりました。寒い冬の夜の講演会にもかかわらず七十名近い参加者で狭い部屋は一杯の熱気でした。そしてその大半は六十歳を越えた方々でした。
 
 講演会で強く心に残ったのが、先生のお父さんの体験談でした。
 お父さんは、731部隊にみえたのですが、抗いがたい当時の軍隊の状況の中ではいかなる良心的な行動もまともに通用しなかったと言われたそうです。
 その例として、研究棟に実験材料として捕らえられていた母子がいて、母親からこの子だけは何とか生かして欲しいと縋りつかれたのだが、「上に伝えておく」とその場限りの言葉だけで為す術もも無かったと話されたそうです。
 
 このような戦時体験を聞く度に思うのが、個人の良心の力です。
 私が、高校時代に五味川純平の「人間の条件」を読んだ時に一番自己に問いかけたのが「厳しい状況の中で良心的に生きぬけるか」でした。
 そして戦争体験の無い自分が、どうしたら実感を伴った良心的反戦の思想を作りあげる事が出来るのか? でした。
 「知は力」を信じて、怠惰を戒め、目を背けず生きてみようと考えたのが十六歳の自分だった事を思い出しました。  
 

 
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反戦のバトンは手渡せるか。  ピンチのランナー

2006年01月19日 09時40分44秒 | Weblog
 言い古された事かも知れないが、九条や平和問題の催しに参加して感ずるのが、分かり合える世代の狭さ、出席者の老齢化の問題である。
 戦争の悲惨さを直接体験した七十代以上の方は護憲・改憲の主張は違っても関心を持たれ、積極的に語ろうとされる事が多い。
 六十代は幼児・少年期を戦争末期から終戦の真っ只中を過ごした間接的体験の世代で、身内や知り合いの体験も身近にあり、戦争についてはそれほど他人事でなく話し出せて、話す材料も持ち合わせている。
 しかし それ以外の世代、とりわけ間接体験者を親とする四十代以降は、完全非体験者であり、戦争は教科書で学ぶものに過ぎなかった。そして、親から戦争について話しかけられた体験もそれほど多くは無さそうである。(自分や友達の話から推察すれば)
 さて 戦争・反戦の伝承がなかなか進まないのは何故だろう。とりわけ間接的体験者から完全非体験者への伝承が困難なのは何故なのか。
 近年の改憲・軍国化の勢いを目の当たりにする時、伝承の不足を痛感せざるを得ない。
 今こそ、問題をしっかり分析し方法・展望をみつけないと手遅れになりそうな気までするのだが。
                 
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知は力・・・歴史から学ぶ   まもる

2006年01月15日 10時38分09秒 | Weblog
 「731部隊」についての講演会があると知って、思いついてネットを開いて吃驚した。一部特殊機関による戦争犯罪さと言った認識しか無かった「731部隊」について何と16万3千件に上る記事が載っているではないか。とりあえず最近のものを小一時間読んでみた。
 それは、国家による組織的な戦争犯罪以外のなにものでもなかった。中には、その事実を否定する主張や、戦時という特殊事情でやむおえないという主張、さらには、ソレが果たした医学進歩への貢献の主張も見受けられたが、大半は日中戦争の不正義としての証として論じられていた。
 戦争というものがいかに人間を間化するか。人間はいかに自己合理化をはかるか。そうした重い課題を突きつける十六万件の記事であった。
 我々はこれを読み続ける義務はないのか。
 大東亜戦争の必然性、意義、肯定論などが最近声高に主張されている今こそ、冷徹な史実を見つめ直す必要が無いのだろうか。
                      
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みんな行動していました。 まもる

2006年01月12日 10時02分49秒 | Weblog
  大学卒業以来会っていなかった友人たちと 年賀状のとりもつ縁で四十年ぶりに再会した。当然髪が白くなったり減ったり老いは隠せないが、雰囲気・語り口は
当時のまま。おたがいの再会にはしゃいで蟹をつついた。
 天真爛漫大声のMは、毎月NHKへ戦争報道や九条活動の報道の少なさなどで抗議し続けているという。また ダンディなTはミャンマーやスリランカを観光旅行するうちに戦争の惨禍や現地の貧しさに触れてその関係のNPOに関わるようになったと言う。また高校を退職したHは、大学院に入り直し哲学の博士号をとり地域文化の推進役をしたり、九条の会の中心になって活動しているらしい。
 互いの話を聴くたびに「おまえが?」との笑いが続いた。
 それぞれ、一党一派、個性的な仲間だが九条を守ることでは、論を待たず一致した夜だった。
 また一年後の再会を約束して別れたのだが、刺激的で、愉快なひと時だった。
                              
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九条さんってどんな人    まもる

2006年01月11日 00時20分21秒 | Weblog
   「九条のような人だと添い遂げる」    

 こんな俳句をこのブログの常連の「遅足」さんが、彼の俳句ブログに載せていました。思わず笑ってしまうと同時に考え込んでしまいました。
 この句の後、こんな意味の事が書かれていました。

 「憲法も60歳の還暦。日本国民は六十年連れ添った連れ合いと添い遂げるのか それとも、熟年離婚に踏み切るのか?   ところで、九条のような人って どんな人人でしょうね??? 」

 わたしなりに、九条さんについて考えてみました。
 九条さんプロフィール・・・出生には色々な問題もあったが、絶対平和の理念の願いを託され祝福されて誕生。その後持てないはずの荷物を持たされたり、存在そのものがお荷物と言われたり、今では、役立たず。時代遅れ、くたばっちまえと罵られる事も。しかし戦後果たした役割や純粋な人柄を再評価され、守る会が数多く作られている。
             
 私は九条さんに、長生きして欲しいと願っているのですが。
 
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新春平和講演会「731部隊と憲法を考える」に参加しましょう!!

2006年01月08日 14時12分36秒 | Weblog
 私の参加する 昭和区九条の会では、交流・学習の場として、年に何回かの講演会・交流会を企画しているのですが。今年度の最初の試みとして、表題の講演会を企画するそうです。
 
  名古屋国際高校教諭・神谷 則明氏による「731部隊と憲法を考える」です。

    日時・・一月二十八日(土)6:30-8:30
     場所・・名古屋市昭和区生涯センター
    会費・・三百円 (資料代・呈茶代)

講師の神谷氏は、父君の所属されていた731部隊での体験をもとに、平和憲法との関係を話されます。 是非、参加しましょう。

 近年、太平洋戦争・日中戦争の評価を見直し、その必然性を強調する政治家・学者・ブンカ人が台頭してきました。
 年賀状の中にも、そうした趣旨の年頭所感をくれた友人がいました。
 
 「 国家の自存・自衛のためには侵略性(他国からの侵略防止)・軍国主義を全面  的に否定できません。大東亜戦争の評価が、改憲か護憲かの分岐点です。」

 等の主張でした。
 太平洋戦争を実体験として持つ世代は非常に少なくなりました。この事は、戦争の惨禍がきちんと伝承されているとは思えない日本では、目先の国際情勢や経済の
動向で最も忘れてはならない平和主義の旗がた易く倒れかねない事を意味しそうです。
 我々は国の分岐点に立たされた今こそ、あの戦争の被害・加害の歴史を見直し、その原点に立ってこの国の未来を選択すべきではないでしょうか。
                              まもる 
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