九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

ザックジャパン(145) 改めて、ゲーゲンプレス  文科系

2014年02月26日 09時21分42秒 | 文芸作品

 ドイツはドルトムントのゲーゲンプレッシング自身について解説したい。この言葉が現在このブログで、検索に最も多く引っかかる言葉だと編集部に教えられたからこれを書こうと思いたった。

① まず、クロップ監督自身の言葉を、最初の解説要点としたい。
「相手がこっちのボールを奪った瞬間こそ、相手のボールを奪う絶好機なのだ。敵の陣型が最も乱れている時だから、ボールを奪いやすい時でもある。また、その時にボールを奪えれば、即得点チャンスにもなるのだし」
 この言葉にゲーゲンプレスの全てが入っている。この語の意味自身とこのクロップの言葉とを結んでみると、意味がよく分かる。英語に言い換えた字義はカウンタープレスということであって、ボクシングのカウンターパンチが相手の拳にこちらの拳を合わせて威力を倍増させるというのとおなじ意味である。敵がボールを奪って前がかりになった瞬間こそ、敵陣形にスキが多いから、味方が前に出てボールを奪う最良の絶好機なのだということだ。

② ①の大切さを理解する必要不可欠な現代フットボール予備知識も挙げておく。現代最新型の守備とは、まずゴールを守る事(と考えるの)ではなくて、そのもっと前の段階で敵ボールを奪うことである。身方から見て高い位置で常に敵ボールを奪ってしまえば、敵がシュートを打てないという理屈だ。サッキ・ミランやバルサ以来世界がボールポゼションに拘ってきたのも同じ理屈である。敵から良くボールを奪い、パスが上手いから敵にボールを渡さないなら、ボールを持てない敵はシュートを打つ確率が極めて下がる。
 高いプレスとかコンパクトプレスとかの用語も、この事に関係している。前者は、高い位置で組織的圧倒的に敵ボールに襲いかかって奪う事。後者は、身方陣型を、DFは前に上げFWも守備に下がって前後を縦に詰め、コンパクト(コンパクトカーのコンパクトと同じ「小さいけれど中身が詰まった」という意味)陣型にして、その密集の中では敵ボールを絡め取りやすいという意味である。その際、DFを前に上げるのでカウンターを食わないように、一糸乱れぬオフサイドトラップ(オフサイドの罠)が極めて重要になる。ちなみに一例としてだが、ザックジャパンはこれがまだ下手だ。前のプレスが甘いとき、良いロングパスを通されてカウンターを食ってしまうのである。オフサイドトラップを多用するコンパクト陣型には前の協力も不可欠だというのは、このことを指している。

 ところで、以上との関係でゲーゲンプレスを述べればこうなる。まず、必ずコンパクトプレスになるということ。高いコンパクトも、CLリーグなどでは低いコンパクトもよく使うが。特に、高位のコンパクトプレスからのボール奪取、得点が上手いということだ。これが、ゲーゲンプレスの代名詞のようなものになっていると思う。

③ ゲーゲンプレッシングのやり方自身はこうである。
A ボールを奪った相手に最も近い味方は、すぐに敵ボール保持者からボールを奪いに行く。形だけではなく、本気で奪いに行くのである。
B 近くに敵の他の選手がいるその他の味方は、敵ボール保持者からのパスコースを塞ぐ。
C パスコースを塞げる敵がいない味方は、後ろからでもパスの受け手になりそうな敵を妨げに走る。あわよくば後からボールを奪ってやろうとも意図して。

④ 最後に、以上の為にドルトムントは常日頃どんな練習をしているか。木崎伸也の見てきたところをまとめてみよう。彼は、ドルトムントの秘密練習までこっそりと覗くなどと、大変な努力を積んできた。
A 以上の為の走りにつき、常日頃死に物狂いのような練習を積んでいる。ハインケス監督時代の最後にドルトムント・ゲーゲンプレスをそっくり真似してCL杯を取ったバイエルンとともに、ドルトムントは現在の世界でダントツに走るチームと言えるだろう。それも、ダッシュが多いという意味だ。
B 例えば低く構えてコンパクト陣型を作る場合でも、DFラインはおおむねペナルティーラインの2m前まで出ようとして、そのためにDFがこんな練習をしている。DFライン4人が敵ボール位置に合わせて猛烈な勢いで左右に動きつつ、1人は敵ボールにアタックに出る、と。その時必要な攻撃に出たセンターバックをMFがカバーする練習も非常に多い。よって、このチームのMF全員がDFの練習も積んでいる。
C ドルトのパスを繋ぐ攻撃は、バルサ以上に縦に速いのが特徴と言える。攻撃の特徴、練習は、敵の間に顔を出し身方パスを引き出すこと、そのためのパス&ムーブの徹底、そしてワンタッチパスの多さなどがある。合宿などでは、ハーフコートの5対5ゲームをワンタッチ限定でやり尽くすということだった。このCの全てに対する防御練習が存在するという事になり、ここにもゲーゲンプレス練習の大事なポイントがあると言える。

 最後になったが、ザックのチームコンセプトはドルトムントに非常によく似ていると言える。ザックもドルトムントと同じで、攻撃はバルセロナ、守備はアリゴサッキのミランを理想としてきたのだから、当然の事なのだ。組織規律を良く守り、よく走りもする日本人にはこの戦術が非常によく合っていると言える。

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新聞の片隅に載ったニュースから(137)    大西五郎

2014年02月25日 19時13分17秒 | Weblog

元慰安婦調査の検証「国会質問に感謝」 首相、維新・山田氏に

(14.2.24 毎日新聞) 

 安倍晋三首相は24日、政府が1993年に行った元従軍慰安婦への聞き取り調査の検証について、国会内で日本維新の会の山田宏衆院議員に「(一部報道機関の)世論調査で高い支持率を得ているのは山田さんが質問してくれたおかげだ」と述べた。維新関係者が明らかにした。

 山田氏は20日の衆院予算委員会で「聞き取り調査について政府がチームを作って検証してほしい」と質問。首相はその際、答弁に立った菅義偉官房長官に繰り返し声を掛けており、その後菅氏は「(検証を)検討していきたい」と答えていた。

 報告書は慰安婦への旧日本軍の関与を認めて謝罪した「河野談話」の根拠になっている。首相の発言は談話見直しを巡って考え方の近い山田氏に謝意を伝えた形で、山田氏は「政府だけではできないこともあるので協力していきましょう」と応じた。

 □□――――――――――――――――――――――――――――――――――――――□□

 文中の「報告書」とは、河野談話を出す前に政府が元従軍慰安婦に行った聞き取り調査の結果の報告書のことです。

日本維新の会の山田宏氏は今月20日の衆院予算委員会に維新の会の要請で参考人として出席した石原信雄元(河野談話を出した当時の)官房副長官に対して河野談話作成の経緯について質しました。

石原元官房副長官は「彼女たちの証言の中に、『募集業者の中にかなり強引な手段で募集し、だまして連れてこられた。募集の過程で当時の官憲が関わった。かなり脅しのような形で応募させられた』と証言する方がおり、それをもとに最終的に河野談話としてまとめた」と答えました。山田氏は「慰安婦だった方の証言の事実関係を確認するための裏付け調査を行ったかどうか」を質問し、石原氏は裏付け調査は行っていないことを明らかにし「当時の状況としては、裏付けを取ることをできる雰囲気ではなかった」と答えています。

日本維新の会は河野談話の見直しを掲げており、「強制連行はなかった」と主張したいようです。一方安倍首相は表面的には河野談話を否定していませんが、第一次内閣のときに「政府が発見した資料には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述は見当たらなかった」と発表しており、村山談話とともに否定したいと思っています。答弁に立つ菅官房長官に何度も声を掛けたのは、「検証を検討したい」と言わせるためだったのでしょう。それで山田氏の質問に感謝したのです。

でも、従軍慰安婦は軍の強制ではなかったということを元官房副長官に言わせようとした質問を「おかげで内閣支持率が上がっている」と結びつけるのはどうでしょうか。靖国神社参拝や首相が任命した人たちの言動が諸外国から「安倍氏はナショナリストだ」と批判が出ているようですが、首相は右寄りの傾向を強めている日本維新の会を政府・自民党の補完勢力と考えて、ますます抱き込もうと考えていることの現われでしょうか。

                                     大西 五郎

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今改めて、国家って何?    文科系

2014年02月25日 12時16分44秒 | 国内政治・経済・社会問題

 国家って何か。安倍首相を前にして、こういう思考が苦手な日本人が今、最も考えるべき事と思う。近代以降は、領土、人民、主権がその3要素とされるのだそうだが、国家の統治とか国家権力というものの由来、本質について、例えばこんな発想から・・・・

「国家の主人、主権は国民のはずだが、その国民の最も大切なもの、彼の命をば、どうして国家は奪う事が出来るのか。つまり、『死刑の正当性』はそもそも、どこに求められるのか」

 この一事を考えてみるだけでも、国家と国民が一致したものと、安易に理解する事は出来ないはずだ。スターリンやヒトラーの無差別大量虐殺だけでなく、「合法的死刑」が何故可能なのかという問題である。

 普通はこう説明されてきたかと思う。
「国家主権者の命を国家が奪うのだから国家の本意のことではなくって、より多くの人々の幸せのためにやむを得ず死んでいただかねばならないのだ」
 そう、ここに「公共の福祉(を著しく妨げる犯罪)」という言葉が出てくるのだと思う。だけど、この「やむを得ず奪う」というそういう痛みが、今の日本国家の死刑周辺に感じられるだろうか。僕には全く感じられないのだ。感じられないからこそ日本人がこうなっていないだろうか。死刑は当然、「正しい復讐」と同じ、と。日本って、世界の先進国の中で1990年代以降のアメリカ(州によって異なるが例えばテキサス州)と並んでこういう雰囲気が最も強い国ではないか。安倍はそのように創り出された「国家肥大化の雰囲気」の中でこそ、割とのびのびとやれていると、僕はそんな気がしてならない。このまま下手をすると、死刑ヘッチャラの北朝鮮や中国と似た国になっていきそうに思える。アメリカで1990年代から死刑が増えたというのも、新自由主義経済の超格差が背景になっている事は間違いない。

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安倍さんの支持率の高さ      らくせき

2014年02月25日 10時24分08秒 | Weblog

中日新聞の世論調査によれば

安倍内閣の支持率は53%。

どこがいいのかな?

 

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随筆紹介 「塗装工事」(H・Sさん)   文科系   

2014年02月24日 08時54分25秒 | 文芸作品

 メイクアップすることを塗装工事をすると表現する知人の言葉を借りると、これで見事な成果を上げている人がいる。高校の友人夢子だ。今の言葉で言えばメイクアーティストということになる。名前も、夢を売るこの仕事にはぴったりの名前だと私は認めている。夢子は小顔で足が長いのでスタイル抜群だ。ばっちり塗装工事を決めて道を歩くと、年齢を重ねた今も誰もが思わず振り返る存在だ。                      
 高校卒業後、夢子は化粧術を究めたくてデパートの化粧品売り場を希望して入社。それを一生の仕事にした。
 スタイルは抜群だが顔の造作はちょっとねと、わたしを含めた四人の級友たちは遠慮のない意見を言った。実際この発言をした友達のほうが整った美人顔だった。しばらくたってデパートの食堂で夢子に出会った。化粧した夢子の顔は、実物など関係なしの特上の仕上がりになっていて、彼女の美しい体型を一層ひきたてていた。級友たちはあっけにとられた。あの素材であの仕上がりなら化粧した私たちはもっと美しいはずなのに、そうはなっていない。これはひとえに化粧技術の問題だと認識した一瞬だった。

「顔の造作よりスタイルだ。髪型と化粧で顔はどんな風にも造りかえられるが、体型はごまかし様がない」と洋裁学校の先生が言った。この発言を聞いたわたしはこれは真実だと、夢子を見ていてなるほどと納得した。この思いは年月を経た今も変わらない。
 七五歳の夢子は、現役のセールスウーマンだ。夢子の舞台は、幹線道路沿いに建つ生家を改造したこじんまりした店の人工照明降り注ぐフロアーだ。最近は、微粒子素材の光る高級化粧品で歳を感じさせない効果をあげている。
 ある時、わたしは、十五歳であまりに簡単に、自分の道を決めた夢子に、化粧術を仕事に選んだ理由を聞いた。                         
「親からもらつた自分の体型の良さは自慢だったけど、乗っかっている顔が気にくわない。これを何とかしたかったの。それだけよ。中学卒で美容師になる学校はあったが、化粧術を学べる道は開かれてはいなかった。デパートの化粧品売り場なら繋がるんじゃないかと考えたの」とあっけらかんと言った。子供時代に自分の容貌から仕事を考えるなんてわたしに出来る芸当ではない。
 夢子の言い分から推測すると、動機は自分を美しく見せたいためだったが、人の顔をお化粧一つですっかり魅力的にする面白さがこの仕事の醍醐味で、夢子は一生この仕事から遠ざかることをしたくないのだとわたしは理解した。この道五十年。化粧術とスタイルが命の夢子は、毎日こまめに手入れをして自分磨きを怠ることはない。
 夢子の様に毎日輝くための努力をさぼっている郷里に住む三人の級友は、結婚式、同窓会、踊り、コーラス等、舞台にあがる時は一日単位で輝けばよいと割り切っている。自分はあそこまで顔の手入れをする根気はない。だから、店に予約を入れれば、夢子の手を借りてお気に入りの出来映えにしてもらえる。この方が楽ちんだと級友は、ほくそ笑んでいる。

 同窓会の日が近づいて来た。夢子から再三電話がかかってくる。少なくとも二日前には店に顔を出すよう半ば強制的に約束させられる。何でそこまでこだわるのだと、わたしは夢子にやりかえした。
「五人そろって椅麗なのがいいに決まっているわよ。それに塗装工事で手間暇を一番食う人はあなたなんだからさ」と夢子。
 級友たちのいるところで、塗装工事という言葉は使った覚えはないはず。なのに、なんでこの言葉がわたしに向けられるのだ。他人から見れば相当老けたばあさんという印象なのだろうか。じぇ。じぇ。じぇ。

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「よたよたランナーの手記」(40)  いろんな更新!  文科系

2014年02月23日 00時20分46秒 | 文芸作品

  先回「曇り後晴れ」と題してこんなことを書いたが、飛び切りの晴れが続いた。先回と関係が深い内容になるから、一部を再掲すると、
【とさて、ここまでは17日に書いたこと。そして18日には中2日置いて同じ30分×2回をやった。中2日置いたのがよかったのか、それとも先週が調子の波とかなにかで不調過ぎたのか、この日は各4.7キロの4.9キロで合計9.6キロ。8日に出した9.55キロをまた超えられた。上の不調の後のこれだからとても嬉しかったのだが、先の展望につながるもっと喜ぶべき事も起こった。時速10キロ走行のピッチ数が昔通りの160に定まってきたことだ。このこととともに10キロ時の心拍数も150と、筋力と心肺機能の昔から使い慣れたマッチングが戻ってきたようだ。今日の後半はほぼ10キロ時で走り通したのに息も脚も疲れないから汗も少なくて、ランナー復活後初めてというほどリズミカルに走ることができた。最後10分ほどは10.5キロ時に上げようと思ったが、先に楽しみを取っておこうとセーブしたほどだ。10~15日3日間の苦しかった低速練習が役に立ったのかとも思う。今から思えばその三日間はピッチ数をあれこれと迷い、それが疲れを呼んでいたような気もする。1分で多い時は190近く、少ない時で170ほどだったろう。こうして今はなんか、走力がまだまだ伸びる気がしている。そんなに無理をしなくとも。】

  この後、20日にいつもの市営スポーツジムで走ったが、ランニングシューズが壊れて中止したから走行距離は7キロ弱ほどのこと。それが良かったのかどうか、新品の靴を購入して走った22日はかってないような好調。30分2回が各4.7キロと5.1キロで、合計9.8キロ。前回より200メートルも先を行ったことになった。後半は平均時速10キロを初めて超えられた上に、やはり前回と同様の性格のこんな嬉しい事も起こった。心拍数が10キロ時で145から6というところ。前述したように1分間のこのピッチ数もさらに強く160ちょっととなって、同一速度での心拍数もどんどん下がっているのである。有酸素運動機能向上を踏まえて、こういうピッチ数(割合)でランニング再開後初めて11キロ時も10分近くやってみたが、ピッチ170ちょっと、心拍数155以下で済んでしまった。この歳にして心肺機能がどんどん質的に前進しているという結果に、ウハウハで帰ってきた次第。

 最高持続速度が8キロ時から10.5キロ時まで伸びてきた今まで1年ほどの実感からすると、まだ伸びると思える。もしも11キロ時でずっと走れるとなると、僕の最後の10キロマラソン記録07年1月の西春マラソン54分18秒とほぼ同じになるが、そんな夢みたいな事が可能だろうか。それが、11キロ時を1分の心拍数150で走れるようになるならば、十分に可能と思えるのである。今は155を切るほどまで来ているのだから、夢のような望みではないとも思える。つい1ヶ月ちょっと前までは10キロ時の心拍数でさえ155を超えていたのだから。

 こんな体力回復を前にすると、来週あたり暖かい日を選んで、愛車のサイクリングにますます出かけたくなった。27日から2週間ほど日本を離れるから、その前にどうしてもという気持だ。寒さもあって最近最後の1月29日60キロファストラン以降ご無沙汰だが、あの時もここ数年無かったような快調。ランの回復と並行して、サイクリングの日々最高も更新している感じである。

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安倍(周辺)の「哲学」   文科系

2014年02月22日 13時03分19秒 | 国内政治・経済・社会問題

 安倍首相(周辺)のような考え方が何故出てくるのだろうと色々考え込んできた。そしてふっと、こんなことに考え及んだもの。

 今は、もの凄い弱肉強食世界、社会だ。初めは米英流新自由主義経済が、次いでそこに日本とユーロが、さらにブリックス諸国なども加わって、作りあげてきたものである。こういう世界にもいつか人間本位に正される歴史、方向が来ると考えられなかったら、どんな思想、国家方向が生まれるだろうか。理の当然として、こう対処していくしかないだろう。外交は社会ダーウェニズムで針鼠論、内政は性悪説を制御するとでも言うような「公の秩序」論ということになるだろう。ちなみに「公の秩序」とは、自民党改憲草案の最大の柱の一つであり、常にそこで「公益」と並べて置かれたものである。それも、この公益と秩序をば、基本的人権を制限するべくこれに対置するやり方で。

 そしてさて、この針鼠論にせよ、「公の秩序」論にせよ、国家というものをその主人公である国民より上に置く傾向を持った考え方だとも言えるはずだ。また、弱肉強食世界経済の最先端の人間にはこういう考え方に親しみを覚える人々も多いだろうし、性悪説は例えばカトリックなどある種の宗教に根強い考え方、感じ方とも言える。つまり、安倍がそういう人間たちを集めようと思ったら、いくらでもいるのであろう。

 だから言いたい。
①社会ダーウィニズムは誤りである。
②性悪説も誤りである。
③よって、①②に近いような感じ方、考え方から、主権者である国民の上に国家を置く思想も誤りである。
④国家が「郷土と国を愛せよ」などと主権者の心に入り込んで来るのも誤りである。「主権者の上に立つ国家」という感じ方そのものが誤りである。郷土、国史、先祖を愛せよとさえ言えぬのに、なんで国(家)を愛せよと国家が言えるのか。そんな教育は、国家が国民に「正義」を示すような国家主義にしかならないはずである。

⑤こういう安倍が立憲主義を否定する事になったのも、理の当然というものだろう。憲法成立の世界的な基本思想・立憲主義とはこういうものであるのだから。憲法とは、過去に暴走しやすかった国に対して国民が(基本的人権など憲法に明記された事をちゃんと守れよと)縛る為に作られたものなのである。基本的人権を軽視して公益を掲げ直す安倍の考え方はこうして、この立憲主義を真っ向から否定するものである。国権の乱用と言って良いと思う。この批判を気にしてか、最近の安倍はこんな事さえ語っている。「もう国家は暴走などしなくなった」。立憲主義を薄めても良いという理屈のつもりなのだろう。

 

 

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ザックジャパン(144) 改めて、ドルトムント論  文科系

2014年02月21日 15時38分43秒 | スポーツ

 このブログで、ドイツのフットボールチーム「ドルトムント」を書いた拙稿が長く、高い人気を続けている。確かにこのチームは、世界の歴史的名監督アリゴ・サッキ(元ACミラン監督として、89,90年とチャンピオンズリーグを2連覇)も語ったように、今の世界サッカー最大の要チェックチームなのだから、この人気は訳のある事と言える。そこで改めてドルトムントについて書いたコメントいくつかを、エントリーとしてまとめてみた。ただし、以下は、今回一部補足修正している。

【ハインケスの言葉 (文科系)  2013-05-31 03:05:55 
 別の処にも描いたが、バイエルン監督、ハインケスがこんなことを言っている。チャンピオンズリーグ決勝戦の前日の会見のことだった。
「サッカーは根本的に変化し続けている。今ではより複雑になっているよ。例えば、試合のペースが速くなる一方で、自由に使えるスペースが減少した。つまり、非常に狭いスペースでのプレーを余儀なくされたうえに、プレッシングとカウンタープレスもあるんだ。今ではこれらの要素の比重が大きくなっているね」
「試合のペースが速くなる」。「スペースが減少した」。「プレッシングとカウンタープレスもある」。これら総てが、僕にはこう思われたものだ。まるで、ドルトムントというチームを表現した言葉の羅列ではないかと。つまり、ハインケスが最大の敵・ドルトムントを、従って世界フットボール戦術の最先端をそう見ているということだと思うのである。】

【マンUとレアル (文科系)2013-07-18 05:38:32
 最近世界のスポーツクラブの財産比較がアメリカのあるマスコミから発表されました。野球もアメリカンフットボールもアイスホッケー、バスケットボールその他あらゆるスポーツクラブを含んでの事です。このおもしろい記事は、いずれここにエントリーしますが、そこでサッカーの視点から重要なのが以下の事。1~3位すべて、サッカークラブなのです。ニューヨークヤンキースが4位、5,6位がアメリカンフットボールチームで、7位がまた野球のドジャース。
 さて、1位はレアル・マドリッドです。以下がマンチェスター・ユナイテッド、FCバルセロナですね。上のエントリー(13年5月30日のントリーです)に関わって重要なのがこの事。ドルトムントは、世界1,2位のチームに、相次いでエースを引き抜かれたわけだ。ヌリシャヒンと香川の事です。いかに注目すべきチームかを、ここからご推察下さい。と、そういう上の記事の論理的傍証でした。】

【改めて、ドルトムント (文科系)2013-09-23 22:20:45
 標記のことを改めて再論する。
 ドルトムントをカウンターのチームだという人は多い。ゲーゲンプレスに目を付けてそう言うのだが、これは皮相な見方だと思う。こういう人は、このチームが敵ボールを奪うやり方、攻から守への転換が上手い点に目を付けているだけだ。高い位置でボールを奪うゲーゲンプレスは敵にシュートを打たせず失点を減らすだけでなく得点も増やすのである。
 ただ、ゲーゲンプレスだけではあそこまでの得点力はないはずである。同じくこれが上手いバルサに、メッシが欠けた時は極端に得点力が下がるのがその証明と言える。ゲーゲンプレス以上に、ここの得点力を増やしている何かがあるのだ。
 そのヒントは、FWだけが得点するわけでもないというこのチームの大きい特徴にあると思う。香川はトップ下ながら、あれだけ得点したのだ。これは、なぜか。ゲーゲンプレスでも中盤の得点が増えるがさらに、短いパスを高速下の少ないタッチで繋ぎながら敵ゴールに集団で殺到するパス技術がこのチームのもう一つの特徴なのだと思う。だからこそ、高速下で高度な技術を発揮できる香川が生きるのだ。この点では、アヤックス型のトータルフットボールの継承者とも言えるのではないか。】

【アリゴ・サッキがドルトムントに注目! (文科系)2013-09-25 02:00:36
 すぐ上のコメントに適切な傍証があった。今の世界サッカー戦術を築き上げた二人の世界史的名監督のうちの一人、アリゴ・サッキが最新号ナンバーで「今、ドルトムントにこそ注目」と述べているのだ。最新の戦術論としてのことで、非常に聞くべき意見と思った次第である。以下は、別コメントに掲げた内容だが、ここにもそのまま載せておく。
『2013-09-24 11:59:49
 最新号のナンバーにアリゴ・サッキのザック評が載っているというので、「店頭読み」してきた。サッカープレイ自身は素人ながらクライフのトータルサッカーを研究し尽くし、これを引き継いで、今のバルサやドルトの原型システムを作りあげた歴史的名監督だ。まだ67歳。彼のコンフェデ日本評など、色々面白いことが目に着いた。それらを、まとめてみよう。
①ザックは名監督である。が、選手が彼に従っていない。5のウチ3言うことを聞くだけでは、あの守備は成功しない。私がミランでヨーロッパ2連覇などをできたのは、全員が一糸乱れず従ってくれたという質のよい選手がそろっていたからだ。あーいう守備のあーいう押し上げは、全部従わねばだめなのである。イタリアでは初歩の守備練習を代表に対して今も続けているらしいしね・・・・・。
②目に着いた日本選手は前田遼一だ。あのシステムをあれほど理解した上で地味な陰のプレーも含めて忠実にやっている選手があの日本チームのなかにいるとは、驚いた。
③今の世界最先端潮流はドイツである。他よりも2歩も3歩も先を行っている。日本人がドイツに多いのだから、あそこからもっと学べるはずだ。世界最先端監督はこうしてクルップと、もう一人ユベントスのコンテだろう。
 流石サッキというわけで、このナンバーは僕がよく買う監督特集でありながら、買ってこなかった。クロップが出ていないし、コンテの扱いも小さすぎるから。店頭で読んだだけ。ナンバー編集部も馬鹿だねー! こんな下手打って! 』

 現代サッカー戦術のルーツは、オランダのクライフ。そのトータルサッカー。サッキは、これを研究して、一時代を築き上げた。ACミランのCL2連覇がその象徴。彼のサッカー史への貢献・DFラインを上げたプレス戦術は結局こういうものだろう。
 サッカーの守備とは結局敵ボールを奪うことであって、これが超優勢ならばポゼションで絶対的に有利になる、と。同じくクライフの系統であるバルサも、ポゼッション重視であることに注目である。
 さて、そのサッキが今、上のように述べているのだ。ドイツとドルトムントが世界サッカー史に対していかに重要な事を成しつつあるかという証左だろう。】

【このエントリーをお読みの方へ (文科系)2013-11-25 11:32:57
 このエントリー(13年5月30日エントリー)が未だに人気があるみたいです。ドルトムントの人気なのでしょうが、これも当然。つきましては、このドルトムント論をもっと詳しく、あるいはザック戦術に引きつけて書いたエントリーもあります。ご参考までに、以下もご笑覧下さい。
10月7日「ザックジャパン(117)ザック戦術とドルトムント」
10月15日「ザックジャパン(118)ドルトムント論」
10月28日「ザックジャパン(121)ザック戦術の前提知識・コンパクトとは」

 よろしくお願いします。】

【木崎伸也に注目 (文科系)2014-01-18 14:01:29
 サッカー好きの皆さんに、ライターの木崎伸也に注目することをお勧めする。良い選手とか、良いチームとか、世界先進戦術とかをいつも先取りして、取材費もたくさん使って世界に飛び、原稿を書いている。以下はその例だ。
①日本で最も詳しいドルトムントの観察者である。ドルトムントに居着くようにして、合宿所の秘密練習観察などにも努めていた。
②南ア大会直後のパラグアイ戦で香川・憲剛が上げた得点に注目して、香川の今を預言している。この点については以下の拙稿をお読み願いたい。「10年9月17日の当ブログ・エントリー」。これは当時のザックシリーズ拙稿の第1回目である。
③ロシアの本田に注目して、ロシアに半ば住み込むようにして本田ルポを書いてきた。

 昔の名前で食っているというような下らないライターを淘汰してサッカー雑誌を面白くするには、彼のような金も努力も、そして明晰な頭脳総動員も惜しまない人がもっと出て来て欲しいと、いつも思っている。サッカー評論に最も必要なものは、断片的知識、情報量などではなく、論理性である。組織論が強さの第一の源泉であるサッカーは、最も論理的なスポーツなのだから。】

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新聞の片隅に載ったニュースから(136)   大西五郎

2014年02月20日 19時08分21秒 | Weblog

 米国で靖国参拝擁護 本田内閣官房参与 神風特攻隊例に(14.2.20 朝日新聞)

  米紙ウォールストリート・ジャーナルは19日付の電子版で、安倍晋三首相の経済ブレーン・本田悦朗内閣官房参与のインタビューを掲載した。同紙によると本田氏は、太平洋戦争末期に米艦に体当たりした神風特攻隊について「日本の平和と繁栄は彼らの犠牲の上にある。だから安倍首相は靖国へ行かなければならなかったのだ」と語ったという。

 同紙は本田氏が「第2次大戦中の神風特攻隊の『自己犠牲』について語りながら、涙ぐんだ」と説明。本田氏は「日本の首相が靖国参拝を避けている限り、国際社会での日本の立場は非常に弱い」として、「われわれは重荷を背負った日本を見たくない。自立した国としての日本を見たい」と語ったという。

 また、同紙は「本田氏はアベノミクスの背後にナショナリスト的な目標があることを隠そうとしない。日本が力強い経済を必要としているのは、賃金上昇と生活向上のほかに、より強力な軍隊を持って中国に対峙できるようにするためだと語った」とも伝えた。

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 またまた安倍ブレーンのちょっと危険な発言です。

本田悦朗という人は東大を出て大蔵省に入省し、関税企画官や財務総合研究所の研究部長などを務めた後、外務省にも出向し、在米日本大使館の公使にもなりました。2012年に静岡県立大学国際関係研究科教授に転じ、第二次安倍内閣の発足と同時に内閣官房参与も兼務しています。

安倍首相とは親密な関係にあり「アベノミクスの真実」(幻冬舎)という本も書いています。

 「日本の平和と繁栄は彼ら(特攻隊員)の犠牲の上にある」と言い、特攻隊について語りながら涙ぐんだといいますが、特攻隊を賛美しているのでしょうか。確かに特攻隊の人たちはわが身を犠牲にしました。私もその人たちを慰霊したいと思いますが、特攻隊を崇める前にそのような無謀な作戦を企画し、命令した指導者こそ糾弾されるべきではないでしょうか。

 「日本の首相が靖国参拝を避けている限り、国際社会での日本の立場は非常に弱い」とは何を意味するのでしょうか。首相の靖国参拝には中国、韓国ばかりではなく、多くの国からA級戦犯が祀られている神社への参拝は帝国主義的な侵略戦争を行ったことへの反省がないからだと批判を受けていますが、「A級戦犯に詣って何が悪いと開き直れ」とでも言っているのでしょうか。

 「アベノミクスには、力強い経済にしてより強力な軍隊を持って中国に対峙できるようにするという考えがある」というのも日本国憲法を無視した言い分です。

 きのう№135で紹介した衛藤首相補佐官の「われわれがアメリカに失望した」という発言は菅

官房長官が首相と協議の上削除を指示し、動画サイトから削除されたと各新聞が伝えていました。

閣僚の一人は「首相の周囲にちょっと自由な発言する人が多い」と言った(20日毎日新聞)そうですが、安倍首相好みの人物ばかりを要職に起用していることがこういう結果を招いています。

                                      大西 五郎

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安倍思想、誤りの根源  文科系

2014年02月20日 11時50分11秒 | 国内政治・経済・社会問題

 話を分かりやすくするために、最初に標題のことの結論を述べておきたい。こういうことである。安倍の言う「国」は、僕に言わせれば実体のない空想的な架空の産物である。まー龍とかゴジラみたいなものだ。そんなものを国民に押しつけるというのは、どこか狂っていると言えるほどにおかしいことである。彼はいつも「靖国参拝は間違っていない」と言い続けてきた。その理屈を常にこう語って。『国のために死んだ人にお参りするのは正しい行いであり、人として当たり前の行為である』。この「国」こそ安倍が最も執着しているものだ。第一次安倍内閣は、教育基本法を変えてまで「我が国と郷土を愛する」を、新たな教育目標に加えている。

 さて、国とはなにか。郷土、先祖、歴史、それとも国家? 日本という国の前の3つにも人によって好き嫌いはあろうが、国家となるともう人の解釈、賛否は大きく別れるだろう。最も良い例がこれ、戦前と戦後の国家の断絶を考えてみよう。戦前は天皇の国家、戦後は国民の国家と変わったはずだ。国家の主人公がこんなに変わったのに、「同じ国(家)」とはたして言いうるのか。これが僕の言い分である。戦前の国事殉難者は天皇のために死んだのであり、戦後の国事殉難者は国民のために死んだのだ。とすれば人によりこう言いたいはずである。
『戦後の靖国祭神にはお参りしても良いが、戦前のそれへのお参りはちょっと・・・』
 こうして、戦後の国事殉難者を明治天皇が天皇のために死んだ人々を祭るべく作った靖国神社に祭る事自身が、誤りだったのだと言いたい。当然の理屈だろう。僕のために死んでくれた人と、僕の祖父母や父母が彼の道具にしか過ぎなかったところの天皇のために死んだ人とは、僕にとっては全く違った存在だからである。ちょっと譲って戦前殉難者自身にもお参りはしてもよいとしても、その霊が靖国にあるとなると、躊躇する事になる。天皇のために死んだことをこそ称賛する事になるからである。

 とこのように考え、述べた時、安倍の言う「国」とは龍かゴジラに転化するのである。安倍が、戦前と戦後を同じ「国」と見うるのは、天皇主権国家も国民主権国家もごちゃごちゃにできるからだ。つまり、後者が曖昧だからだ。そんな彼に対して、僕は以上のような主張でもって二つは別物、ごちゃごちゃにはできないと言う。そんな僕から観れば、安倍の言う「国」は龍かゴジラのような、人間によくある空想の産物にしか見えないのである。そして僕も国の主人公なのであるから僕の国家観を持つ事は自由であり、これほど大きな問題について時の国権でもって一つの解釈を主権者に押しつけるのは完全な誤りであると主張したい。たまたま選挙で多数派になった政治家らが、国の主人公である人々の心にそこまで立ち入る事が出来るのかということである。

 こうして、新教育基本法の教育目標新設は誤っている。国を愛することをば、誰も他人に強要する事など出来ないのである。そんなことは、国の主人公である国民1人1人の心に委ねるべき問題である。それどころか、得体の知れぬ国を愛せよなどという政治家の主張はむしろ、その時々の国家に批判的になるなというようにさえ聞こえる。ちなみに、国家の悪行に国民は良く注意しておれというのが現代憲法の立憲主義の精神であるが、安倍はこれを覆して国家による国民の善導に執心している事もまた明らかだ。ちなみに、「公益」、「公の秩序」が自民党改憲草案のあらたな大柱になっている。こういう国家観は、時の政治家をば、国家の主人公である国民の上に置くような考え方以外の何物でもないと思う。

 こうして、安倍の語る「戦後レジームからの脱却」とは、国民を政治家たちよりも低い存在と観て、国家とその国民主権の側面とを曖昧にする思想であると言いたい。自分らを何様だと考えているのだろうか。

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新聞の片隅に載ったニュースから(135)     大西五郎

2014年02月19日 16時56分12秒 | Weblog

「我々こそ失望」衛藤氏が首相靖国参拝への米声明に反論 (14.2.19 毎日新聞)

 衛藤晟一首相補佐官が動画サイト「ユーチューブ」に投稿した国政報告で、昨年12月26日の安倍首晋三首相の靖国神社参拝に「失望」声明を発表した米政府を批判していることが18日、分かった。衛藤氏は、米側には事前に説明していたとして「むしろ我々の方が『失望』だ。米国はちゃんと中国にものが言えないようになっている。中国に対する言い訳として(失望と)言ったに過ぎない」と指摘した。

 衛藤氏は投稿で、自身が昨年11月20日に訪米し、国務省のラッセル次官補やアーミテージ元国務副長官らと会談した際、「首相はいずれ参拝する。ぜひ理解をお願いしたい」と伝えたことを紹介。12月初旬には在日米大使館にも出向いて「(参拝時には)できれば賛意を表明してほしいが、無理なら反対しないでほしい」と要請したことを明らかにした。いずれも米側からは慎重な対応を求められたという。衛藤氏は安倍政権発足以来、首相に参拝を促してきた。

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「アメリカの国務省高官や在日米大使館に『安倍首相はいずれ靖国参拝をする』と説明し、『理解をお願いしたい』と頼んだのに、アメリカは聞き入れてくれず、失望した」というのは、あまりにも自分本位の考え方、言い分です。申し入れに応対した相手がいずれも慎重な対応を求めたというのですから、アメリカが安倍首相の靖国参拝に批判的だということはその時点で分かったはずです。

首相補佐官という職にある者が「アメリカはちゃんと中国にものが言えないようになっている」と言うのは外交儀礼上問題だということがわからないのでしょうか。昼のNHKのニュースによりますと、菅官房長官が記者会見で「衛藤総理大臣補佐官の発言は、あくまで個人的な見解であって、日本政府の見解ではないことを明言したい。安倍総理大臣の靖国神社参拝の趣旨を、諸外国に対して、謙虚に礼儀正しく、誠意を持って説明し、理解を求めていく」と述べました。(個人的な見解=籾井NHK会長の問題でもそう言いましたね!)

その上で菅官房長官は、衛藤総理大臣補佐官に発言の趣旨をただす考えを示しました。

 衛藤晟一総理大臣補佐官は大分市議、県議を経て衆議院議員に4回当選した後落選、参議院に鞍替えして現在二期目。保守的な政治団体の創生「日本」、日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会、神道政治連盟国会議員懇談会、みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会などに所属し、古くから安倍首相と行動を共にしてきました。

 NHKの経営委員の人選でもそうでしたが、安倍首相が自分の考えに近い、仲の良い人物を要職に送り込む傾向があり、百田尚樹、長谷川三千子両経営委員の発言、安倍色人事で送り込まれた経営委員によって任命された籾井勝人NHK会長の就任会見での発言などが問題になっていますが、安倍人事の任命責任が問題にされる事項がまた一つ増えたのだといえます。

 

                                      大西 五郎

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新聞の片隅に載ったニュースから(134)     大西五郎

2014年02月19日 16時50分58秒 | Weblog

 公明・井上氏集団的自衛権「正面から否定しているわけでない」(14.2.19 毎日新聞)

 集団的自衛権をめぐる論議で、公明党の腰が定まらない。

 「私どもは真っ向からこれを否定しているわけではない」井上義久幹事長は18日朝、東京都内の講演でこう訴えた。

 公明党が軟化したとも受け止められかねない発言に、山口那津男代表は記者会見ですぐに「それは、容認するということではない」と打ち消しを図った。

 ただ、井上氏は「結党当時は自衛隊は違憲の存在というのが政策だったが、社会の変化に対応し、安保政策を変えてきた。安全保障環境が大きく変わっていることは認識している」とも語った。

 「長い間の政府の取り組み、そして内閣法制局が積み重ねてきた体系的な解釈。これは非常に重いということを申し上げてきた。それは今も変わっていない」という山口氏の発言に比べ、ニュアンスの違いがにじむ。

 安倍晋三首相の私的懇談会「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)は4月にも、集団的自衛権の行使容認に向けた報告書をまとめる見通し。国会で踏み込んだ答弁を繰り返す首相は、日本維新の会やみんなの党との連携も視野に入れる。

 公明党は大田昭宏国土交通相も12日の衆院予算委員会で、首相発言に「違和感はない」と答弁するなど対応がゆれる。与党として自民党にどこまでつきあうのか、悩みは深い。

 「どっちに振れてもいいようにしてるんでしょ」。公明党幹部は18日、井上氏の発言をこう分析してみせた。

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  維新の会やみんなの党が、安倍首相に「責任野党」などとおだてられて自民党政権の補完勢力になる方向に向かっていますが、自民党が野に下る前から「自公連立政権」を組んできたのに小選挙区制という歪んだ選挙制度で自民党が大勝すると、自民党にとっての公明党のありがた味が薄れてきたのではないかというあせりがあるのでしょうか、公明党のスタンディン・ポイントが揺らいでいるようですぅ。

 公明党は突っ走る自民党政権のブレーキ役というのが世間の見方でしたが、世論調査で国民の過半数が反対している特定秘密保護法では、政府提出法案に賛成しました。

原発の問題では、世論調査で過半数を大きく超える人々が「直ちに」あるいは「順次」原発をなくせという意見です。公明党は「原発への依存度を徐々に減らして、将来的には原発に依存しない社会・原発ゼロ社会を目指す」を党の政策としています。経済産業省の調査会の当初の案では原発を「重要なベース電源」としていましたが、世論の反発が大きく、練り直しが行われています。公明党は原発再稼動を目指す自民党とどう調整していくのでしょうか。維新の会やみんなの党が自民党に同調した場合でも公明党の今の方針を貫けるのでしょうか。

                                      大西 五郎

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「よたよたランナーの手記」(39) 曇り後晴れ  文科系

2014年02月19日 00時32分28秒 | 文芸作品

 前回の8日以降は、10,13,15日と走った。すべて30分×2回でそれぞれ9.25、9.15、8.55キロである。軽い風邪とかでないとすれば、そろそろここらあたりがもう限界なのかなと、また考え込み始めている。中1日置きだと疲れが残るようだし、さほどでないスピードで走っている間も以前より汗を異常にかく。つまり、心拍が多くない時でも汗が多いということであって、前は当たり前だった事が今は無理をしているという証拠になるのである。それとも、以前にもよくあったこういうことなのかなーとも思ったりする。年を取ると記憶、作業能率など何事も「好不調の波、ムラ」が大きくなるから、ランニングでも同じで今は不調の時なのかも知れないなどと。もっとも、この波、ムラにも段階があるはずであって、まだまだ有効な対策はあると思った方がよいことも、よく知っている。ただし、自分の体の現状によくあった科学的な対策を見出すことこそ肝要で、難しいとも。こうして不調の時はむしろ、こう考えた方がよいのだろう。ちょっと老化が進んで新しい対策が必要になったのだが、まだ見つからない段階と。まーこういうのが僕流の老いとの付き合い方である。ランニングもギターレッスンもそうやってきた。

 とさて、ここまでは17日に書いたこと。そして18日には中2日置いて同じ30分×2回をやった。中2日置いたのがよかったのか、それとも先週が調子の波とかなにかで不調過ぎたのか、この日は各4.7キロの4.9キロで合計9.6キロ。8日に出した9.55キロをまた超えられた。上の不調の後のこれだからとても嬉しかったのだが、先の展望につながるもっと喜ぶべき事も起こった。時速10キロ走行のピッチ数が昔通りの160に定まってきたことだ。このこととともに10キロ時の心拍数も150と、筋力と心肺機能の昔から使い慣れたマッチングが戻ってきたようだ。今日の後半はほぼ10キロ時で走り通したのに息も脚も疲れないから汗も少なくて、ランナー復活後初めてというほどリズミカルに走ることができた。最後10分ほどは10.5キロ時に上げようと思ったが、先に楽しみを取っておこうとセーブしたほどだ。10~15日3日間の苦しかった低速練習が役に立ったのかとも思う。今から思えばその三日間はピッチ数をあれこれと迷い、それが疲れを呼んでいたような気もする。1分で多い時は190近く、少ない時で170ほどだったろう。こうして今はなんか、走力がまだまだ伸びる気がしている。そんなに無理をしなくとも。

 今週あと2回ほどランをやって来週あたり暖かい日を選んで、愛車のファストランに出かけようと思う。27日から2週間ほど日本を離れるから、その前に。僕の愛車、パナソニックレーサーは、ギア比など16年前の僕の体力に合わせて作ったもの。筋力と心肺機能のマッチングが昔に戻りつつある分、もっともっと僕の体にマッチしていくはずだ。この先まだまだずっとこの愛車に乗れる幸せが続いて、去年買った専用サイクリングシューズもいつか履き潰せる日が来るかも知れない。あと15年というと88歳だなー!

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安倍「裸の王様」を考える  文科系

2014年02月18日 14時22分27秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)

 安倍が酷い事になっている。NHKの会長らが東京裁判関連など各国を愚弄するような発言を連発して、アメリカ大使への取材も許されぬ状況になっている。「首相周辺の圧力で」迎えた人物たちだそうだが、彼等がいかに酷いシロモノかということである。ここからこんなことも起こった。オバマ来日を国賓扱いにして日本に二泊してもらおうと懸命の努力を続けてきたが、難航しているようだ。よほどの事がない限りもうダメだろうと僕は推察している。共和党に寄りすぎてオバマを軽視しすぎたし、権威主義丸出しの日本外務省はオバマにはそろそろ嫌われ始めたのではないかとも。ここでも馬鹿な安倍が「オバマが韓国と同じ一泊では、政権の権威に関わる」とばかりにシャカリキなのだろうが、甘いと思う。そんな「『国賓待遇』、二泊工作』」の腹なのだとは、オバマには当然見透かされているはずだから、日本人が苦手な「理念的原理原則思考」から、断られるのではないか。

 さて、それにしても安倍の言動はまるで裸の王様である。世界に通用しない「衣」だからこそ世界から四面楚歌なのに、誰も諫める人はいないのだろうか。周囲に、裸だと言い出す子どもはいないのだろうか。特に、官僚たちは何をやっているのだろう。NHK関連でも、アメリカ関連でも。多分、安倍はしばらく彼等に外って置かれていたのだ。こんな具合に。
「あんな調子じゃ、すぐに転けるな。泣きついてきたときに手をさしのべてやった方が高く売れる」
 例えば、「オバマに、国賓扱いを説得してくれ」と外務省はもう命じられていてあらゆる努力を開始しているはずだ。有能な彼等の事、成功するかも知れない。オバマのなにかおねだり受け入れを交換条件にでもして。成功したならば、駐米大使周辺などは首相に大変な貸しを作った事になる。官僚たちにとっては、これくらいでちょうどよいのだろう。短い政権などに忠誠を尽くしすぎれば、自分の政治生命も短くなる理屈だ。

 安倍みたいな奴は「裸の王様」にしておいたほうが官僚にとっては都合がよいということだ。裸の王様ならば、民主党政権のように官僚参謀本部・事務次官会議をなくすような大胆さは持ち合わせてはいまいし。ただし、小泉独走・長期政権のような時代も起こり得るから怖い。ポピュリズム政治がいったん独走し始めたら誰にも止められないと、そんな国も過去には無数に存在した。

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随筆 「世紀末」   文科系 

2014年02月15日 12時26分19秒 | 文芸作品

 歴史のいつでもどこにも「世紀末」があったように思うが、今の世界、日本にもそれを感じてならない。 広辞苑を調べてみたら、こうあった。

 「19世紀末のヨーロッパで、頽廃的・懐疑的・冷笑的な傾向や思想の現れた時期。また、そういう傾向、思潮の現れた或る社会の没落期」

 ただ、こういう特徴は、世界や社会の上層部、支配層の相互作用からこうなってきたと見る方が良い。たいていの庶民はいつでもどこでも家族、隣人を大事にして、懸命に生きているはずだからだ。

 世界の未来である若者の失業率は、スペインで50%、イタリアで40%と読んだ覚えがある。ギリシャ、ポルトガルなども同じようなものだろう。正職員がどんどん少なくなって、大きすぎる格差がさらに広がっていく社会、世界。大会社は国を捨て、税を払わぬ道を創り上げている。世界的大銀行はと言えば、空売りでもって中小国が汗水垂らして貯えたお金を、社会資本もろとも奪いさっていくのだ。加えるに、こんな流れ全てを正当化、強行させる学者、理論の跋扈。

 創られた嘘の理由でイラク戦争が起こり、その関連死も含めると五十万人だかが亡くなられた。なのに、お膝元のアメリカでも、参戦したどの有志国でも、誰かが罰されたという話は聞いた事がない。嘘の理由で戦争を起こすって、国家、国旗などをコケにし、それにべったりと泥を塗る行為であるにもかかわらず、何の反省も見られないのである。さらにあろうことか、戦後処理のどさくさに紛れていつの間にかイラクがアメリカ資本の食糧世界基地へとまっしぐらという有様だ。

 フクシマ事故とその大惨状は五十年に一度もないようなシロモノと見えるのに、誰も責められないばかりでなく、地震原因説の調査さえ継続されないこの不可思議、不条理。「犯罪」証拠を隠し続け、その隠滅さえ国家から許されているやの独占的大電力会社。

 権力者の大罪が放置されれば、罪を隠すために罪が罪を呼ぶことになるのは必定。権力者たちが、罪に罪を重ね、嘘に嘘を積み重ねる世界、社会。これでは、正直者が馬鹿を見るだけでなく、正直者が馬鹿にされる世界である。世界大国の権力者たちがその相互作用によって、無意識も含めて創り上げつつある「世紀末」である。しかも、人は「歴史的な今」からなかなか出られず、「これが世の中、これが人間」となりやすいもの。世紀末が世紀末を呼ぶのだろう。19「世紀末」は2回の世界大戦まで突っ走ってしまったが、今度ははて、どこへ?

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