九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

守屋ワイロ? これらに比べたら小さい小さい!!  文科系

2007年11月30日 14時31分30秒 | 国内政治・経済・社会問題
守屋ワイロ?、第2のロッキード事件と言われるが、現段階だけしか出ないとしたら小さい小さい。もっと大きいものにテロ特措法違反の「イラク給油問題」という、「文民統制違反」がある。

軍隊が勝手な行動を始めたらすぐに国を支配できて、ミャンマーのように法治国家が法治国家でなくなるはず。軍隊の行動は厳密に政治(行政権)に従わなければならないのだ。これについては、ほんの些細なことでも、厳密にやらなければすぐになし崩しになっていくというのが、数々の世界史的悲劇からの教訓である。ここに「蟻の一穴」も許してはならないわけだ。これは、現代国家ならそうでなければならないという常識であって、間違いなくそういう法律的規定が隙なく存在しているということでもある。
だから、軍隊の行為は全て国会や行政の承認のもとに、行政が命じ、経過や結果の報告も受けねばならない。

そういう「法体系」からしたら、軍隊が違法行為をやって、それを行政が知らぬなんぞということは、「絶対にあってはならないこと」であって、「蟻の一穴」の凄く大きい奴というわけだ。
「イラク給油問題」が、一つのワイロ事件なんぞとは比較にならぬ大事件というゆえんである。ワイロ事件とは、個人が密かに行うもの。文民統制違反は軍隊の正規の命令系統を通じて、軍隊として公然と行うものだ。「イラク給油」とは、そういうものである。「そういうことをやっても良いのだ」と、軍隊全体に示したという「教育的大事件」でもあるわけだ。

なお僕は、防衛省の天皇・守屋が、「イラク給油」の報告を受けていないとは全く信じていない。あんな重大事が防衛省課長止まりで、差し止められたなどとは、全く信じられない。自民党も承知でやらせていたのだと思う。その自民党が守屋を、その妻までも逮捕させて、罪の軽重で脅しつつ口止めをさせ通すつもりなのだと思う。「イラク給油という重大違法」を自民党が承知で止めなかった(やらせたと同じだ)と分かったら、総選挙敗北必至だからである。


さて、この「イラク給油・文民統制違反問題」でさえまだ小さい。次の仮説が事実とするならば。久馬や額賀の陰にちらつくアメリカのことだ。

久間だったかが守屋にさりげなくこう語ったという。
「商社を通さないで直接に買えと申し渡しておいたからね」
「産直」を狙うアメリカと、日本商社を通す守屋との暗闘があったのではないだろうか。この面から見れば、現在の逮捕状況は「日本派」がヤラレテ、「アメリカ利権派政治家」が残っているということだ。
これが事実なら、後に以下のような重大禍根を残すこと間違いないのである。

アメリカに一度弱みを握られた政治家は、生涯彼らの良いように動かされる運命しかないからだ。つまりアメリカ産軍複合体のロボットである。これらのロボットは、今のアメリカの「産軍複合体」同様の物をアメリカの産軍の命ずるままに日本にも建設するというようにこき使われることが必至なのだ。当該の政治家がこれに応じるならブッシュのように出世していくだろうし、どこかで応じなくなるならば、角栄のように政治家を辞めるしかない。

久間、額賀と「日米ナントカ文化協会」とかいう軍事談合組織のようなものを、果たして暴くことができるのか?これが守屋問題の最重要課題だと思う。

「この問題の前では、自民党延命などどうでもよいことだ」
こう言い切れる政治家の出現を望む。当然自民党にも、それが無理ならせめて民主党に!!


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しがみつくムシャラフと米国。       まもる

2007年11月29日 12時19分41秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
「ムシャラフ大統領 陸軍参謀長を辞任」との記事が掲載されている。これも世界のブッシュばなれの余震なのだろう。記事は下記のようなものである。

 28日東京新聞 「ムシャラフ大統領は陸軍参謀長を辞任」

『パキスタン大統領 きょう軍トップ辞任 文民で2期目就任式へ=クレシ大統領報道官によると、大統領は二十七日、イスラマバード近郊ラワルピンディにある陸海空の三軍統合本部などを訪れ、辞任のあいさつをした。報道官は「陸軍参謀長を辞任しても、大統領が軍の最高司令官であることに変わりはない」と語った。
 後任には大統領の腹心のキアニ陸軍副参謀長が就任する予定。キアニ氏は三軍統合情報部(ISI)の前長官で、十月に副参謀長に昇格した。大統領は暫定憲法命令の改正で非常事態の解除権限を陸軍参謀長から大統領に移しており、キアニ氏を通じてこれまで通り軍を掌握する狙いだ。
 
一方、大統領の政敵のシャリフ元首相は二十六日、東部ラホールで来年一月八日に予定される総選挙の立候補の届け出をした。ブット元首相も二十五日に南部シンド州で立候補を届け出た。
 選挙管理委員会は立候補資格を審査、十二月十六日に最終候補者を公表する予定。九九年のクーデターで失脚したシャリフ氏は同年に反逆罪などで終身刑を受けており、立候補を認められない可能性もある。ブット氏も有罪判決を受けたが、十月の大統領令で免責された。』(28日東京新聞)

※このブログでも話題になっているが、軍政分離、文民優先の確立への国内外の世論に負けてムシャラフは妥協した。
 しかし、ムシャラフ大統領は陸軍参謀長を辞任しても、これまでの権力構図が全く変わらない状態は独裁政権そのものである。政権の絡繰仕掛は徹底されている。後は、司法取引による野党陣営との小連立を世界に取分け米国にどうパフォーマンスするかに掛かっている。米国が撤退の世論の爆発を恐れてかなりの圧力をかけたのだろう。
 それにしても、ムシャラフ大統領の権力への執着には凄まじい危険を感じる。



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重大な朗報がちっちゃく連載  文科系

2007年11月29日 11時56分45秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
極めて重大な朗報、ニュースが昨日「毎日」夕刊、本日朝刊と小っちゃく連載されています。
夕刊にはこう。
「中国駆逐艦 日本初寄港  『緊張緩和』合意から7年 東京・晴海」
朝刊にはこう。
「中国艦訪日 脅威論の払拭狙う 軍機関誌『防衛分野 信頼築く』」

見出しを見ると、まるで中国のほうがお願いして来たみたいだが、日本が言い出して中国が受けたというのは、小泉以来続いてきた冷たい時節の後だけに、明らか。馬鹿な日本政府も、ここのところ中国問題ではアメリカに出し抜かれてばかりで、やっとその愚かさに気づいたと見える。過ちを改めるのに、遅すぎるということはないということだ。アメリカを利用しても独自性は出すと、日本政府もやっとそろそろ動き始めるということだろうと思う。厳しい国際情勢の中で、遅すぎた行動だけど。
一刻も早く解決してほしい拉致問題でもアメリカなんかには頼らなくても日本には解決の力があるはずだと僕は思うが、中国や朝鮮半島に対してピントはずれの行動ばかりを重ねてきた政府には自信がないのだろう。

ここで保守系さんにお礼。
「貴方とつきあってこなかったら、このニュースの意味が僕には分からなかったろう。ありがとう」
あなたのこの「朗報」への感想はどうよ? 
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「永遠平和のために」と、ある編集者                   マガジン9条のデスク日記より

2007年11月28日 22時20分22秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
※いつも紹介記事で恐縮ですが、そうした能力しか無いのでご容赦いただきたい。
 さて、マガジン9条のデスク日記に鈴木耕さんがタイトルのような書評記事を書いている。
 カントの「永遠平和のために」は若い頃から本屋の書棚でいつも気になる一冊であった。カントと聞いて手を出しかねていた。この書評を読んで六十歳の今読もうと決意した。同志を募るためにもこの記事を紹介したい。 (ネット虫)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

私のとても尊敬する編集者にIさんという方がおります。
 大手出版社の取締役をしばらく務めたあと、その関連会社の社長に就任。やがて相談役を経て、このほど、長かった編集者生活に別れを告げることになりました。
 出版業界では、そうとうに有名な名編集者のお一人でした。

それは、中身も装丁も美しい本だった
 そのIさんが、「編集者としての最後の仕事」として携わったのが、『永遠平和のために』(イマヌエル・カント著、池内紀訳、発行・綜合社、発売・集英社、定価・本体1300円)という本です。
 120ページほどの、とても小さいけれど、でもほんとうに美しい本です。(あの安倍晋三氏が使って以来、“美しい”という言葉はずいぶんと貶められてしまいましたが、言葉の本来の意味で、とても美しい本なのです)。

 翻訳は池内紀さん、装画は山本容子さん、デザインは木村裕治さん、そして、藤原新也さん、野町和嘉さん、江成常夫さんという3人の写真家の素晴らしい写真が本の中身を引き立てています。
 帯の推薦文は、瀬戸内寂聴さんと江國香織さん。
 まさに、Iさんの編集者人生を象徴するように、当代一流、最高の芸術家たちが、Iさんのために力を結集してくれたような贅沢な本です。
 これほどの人たちに協力してもらえるということは、編集者冥利に尽きる、というものでしょう。

 本の帯に、こうあります。

<16歳からの平和論。 この小さな本から「国連」や「憲法9条」の理念が生まれた>

Iさんの想いが込められた文章です。
 これまでさまざまな雑誌や単行本の編集に携わってきたIさんが、最後まで“平和”の意味を探し続け、その表現に苦心を重ねた集大成が、このとても小さな『永遠平和のために』という本なのだと思います。
カントが憲法9条の基を作った…
Iさんはまた、この本のための宣伝用の文書に、次のように記しています。

<数年前、『新潮』の対談で、浅田彰さん(京大教授)と柄谷行人さん(哲学者)が、憲法9条は、カントの『永遠平和のために』を出発点としているのだ、と言っているのに接した。岩波の文庫を読んでみた。むつかしくて、とても読めない。
 これを、なんとか、わたしを含めて、高校生にも読めるようなものにできないものか、と思い、ドイツ文学者の池内紀さんに相談した。おりしも、改憲論議が盛んとなった。若い人たちに、ぜひ、自分で考え、自分の意見を持ってもらいたいと思った。
 この本は、その手がかりの基の基になる本だと考えた>

 編集者はよく、黒子(くろこ)だと言われます。黒子とは、歌舞伎の早替わりのときなどに、黒ずくめの衣装でそれを手伝う役目の人のことです。つまり、絶対に必要だけれど、目立ってはいけない仕事です。
 同じように、編集者が表面に出ることは、あまりありません。とくに、単行本の編集者は、著者の陰に隠れた存在に徹することが多いのです。
 名伯楽と呼ばれた編集者は数多いけれど、彼らの業績が一般に伝えられるのは、その職を去って、しかも、彼らが育て、伴走した著者たちが亡くなってからがほとんどです。大成する著者の陰には、有能な編集者が存在する、と言われるのは概ね正しい。(残念なことに、そんな編集者は、めっきり少なくなりましたが)。
 だから編集者の足跡は、こうした宣伝用パンフレットや帯の文章などに、ささやかに残るだけです。それで満足するのが、編集者なのです。

 Iさんも、そういう編集者のおひとりでした。そして、とても頑固な編集者でした。
 どんなセクションにいても、Iさんは、平和の希求という観点を捨てませんでした。平和を阻害するような、戦争への道筋を拓くような本や雑誌の特集に手を染めることは、断固拒否しました。いくら“売れ線”の本であっても、見向きもしませんでした。編集者としての“矜持”です。
 そんなIさんの、これが編集者としての最後の仕事です。
 やたら声高に、反日だとか国益だとか売国奴だとか、はては歴史の見直しまで叫ぶような昨今の出版物の横行に眉をひそめつつ、静かに平和の価値を再認識しようとする本を、ひとりの編集者の記念碑として、そっと私たちに残してくれたのです。

風は、200年前から吹いてくる
 さて、ではこの『永遠平和のために』というのは、どんな本なのか。
 まさに、「新しい訳が新しい輝きを放つ」という好例です。小さな本ですから、じっくり向き合っても、ほんの数時間で読み終えられます。だから、何度でも読み返せます。
 3人の写真家の、訳文に合わせた“絵解き”も見事です。それらを見ているだけで、“平和の意味”が心に浮かびます。

読後、風が吹きます。
今から200年以上も前、戦乱のヨーロッパに生きた老哲学者の、祈りにも似た平和への渇望が、爽やかな風となって、読者の周りを吹き過ぎるはずです。
 詩人・吉本隆明がかつて書いていました。

<風はどこから来るか 風は過去のほうから来る>カントの風です。

 カントは、難解なドイツ観念論の祖として有名です。
 『純粋理性批判』『実践理性批判』『判断力批判』という、いわゆる3大批判書を著し、批判哲学を確立した偉大な哲学者です。本を読んだことはなくても、その名前だけは知っている、という人も多いはずです。私もそんなひとりです。
 そのカントが、老境71歳のときに世に問うたのが、この小さな冊子『永遠平和のために』なのです。戦乱のヨーロッパにあって、パンドラの函の底に残っている“希望”を見つける努力が結実した本なのです。
 しかし、カントという名前から来る重い圧迫感は、この本にはありません。池内さんの柔らかな訳文が、砂に吸い込まれる水のように、読む者の頭に沁み込んでくるのです。

 本文はきわめて短い。
第一章・国と国とが、どのようにして永遠の平和をうみだすか。
第二章・国家間の永遠平和のために、とりわけ必要なこと。

 これに、補説、付録、がついている、というとてもシンプルな構成です。

 第一章は、私なりの要約では、
①国際間協定について
②植民地主義(領土拡張主義)の否定
③常備軍の廃止
④戦争経済(国債、借款)の否定
⑤内政不干渉
⑥謀略の禁止
 ということになります。

現代世界でも遵守しなければならない事項が、きちんと整理されています。とくに目を引くのは、むろん③常備軍の廃止です。浅田・柄谷の両氏が「憲法9条の出発点」と述べた理由が、これでお分かりでしょう。

永遠平和はわれわれに課せられた使命である
 いま私たちが置かれているこの世界、この戦火の止まない地球上の国家というものの存在・役割を、老カントはきわめて明確に見透していました。
 まさにカントは“預言者”だったのです。

 預言は、「付録」の部分でも、見事に発揮されています。
 ここでは主に“政治とモラル”について語られます。モラル崩壊の政治が、いかに悲惨な結果をこの地上にもたらすか。
 それは、私たちの国の政治の崩壊寸前の現状を前にすれば、一目瞭然でしょう。武器調達をめぐる、あまりに汚れた政官財の密着・癒着・虚偽・不正。
 戦争(の道具)が人間を堕落させ、品性をドブに落とし込むことの証明を、私たちは最近、毎日のように見せつけられているではありませんか。
 人を殺すための道具が、いつの世でも、もっとも巨大でもっとも汚れた利益を生みだす。群がる者たちが手にするのは、人間の血が染みた札束。

 多分、カントの時代でも、同じことは起こっていたのでしょう。
しかし、カントはそれでもなお、希望とそこに至る道筋を考え続けたのです。
 それがこの本です。そして、そこに新しい装いを与えてもう一度、カントの希望を世に送り出そうとした編集者の想いを、私はきちんと受け止めようと思うのです。

本書の最後に、カントは次のように語っています。

「永遠平和は空虚な理念ではなく、われわれに課せられた使命である」

※この本を読んでいただきたいと思います。
そして、編集者の魂にも触れてほしいのです。
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「シビリアンコントロール違反」はどうなった?  文科系

2007年11月28日 08時58分50秒 | 国内政治・経済・社会問題
マスコミでは今や、守屋汚職問題一色である。これも確かに「第2のロッキード事件」、重大問題でないわけはない。だが、8月初めからずーっと「テロ特措法」をここで取り上げ続けてきた僕としては、標記のことに声を荒げたい気分だ。

守屋問題は産軍(官)政の癒着、軍隊を金儲け、私利に利用しあったこと。しかし言ってみれば古今東西のあらゆる政治世界でよく起こることなのである。それも60年続いた長期政権であれば、まー起こらない方がおかしいと断定して良い。

ところで、「テロ特措法」による「イラク給油問題」、このシビリアンコントロール違反は、現代国家ではちょっと「ありえない」問題ではないか。それも9条を持った国なのだ。そこではなおさら「ありえないこと」のはずだ。「1課長の『対米従属』判断で事実上そうなってしまった」?? それっきりで済ませている?? 一体マスコミは何をやっているのか!

日本は1課長の判断で、文民統制違反ができる国なのか。それを何の重大反省もせずに、済ませていく国なのか??!!
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ある人の死   楽石

2007年11月27日 18時54分21秒 | 文芸作品
これも今朝の中日新聞から。
中日春秋に、作家の亀沢深雪さんが
亡くなられたとありました。

17歳で広島で被爆、のちに名古屋に移り住み、
被爆体験を小説に書いてきた方です。
愛知県在住の被爆体験者の手記「原爆、忘れまじ」の
編集責任者を務めたこともあります。

多分、その頃だったと思うのですが、取材で
お会いしたことがあります。
小柄な方で、花をとても愛されていました。
アルバムには、ご自身で撮影された赤い花が一杯。
その赤さが妙に気になった記憶があり、
いまでも覚えています。

亀沢さんの紹介で、ある被爆者の方の取材に。
被爆当時を思い出されていくうちに、涙が・・・

ここが取材者のムゴイ点なのですが、
涙が撮影できたことがウレシイのです。
悲劇を取材する側も、知らず知らずに非人間的になっていく。
それが現実のようです。

亀沢さんにはお世話になりました。
ご冥福をお祈りします。









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世界最強ヘリ一機216億円   楽石

2007年11月27日 13時41分19秒 | Weblog
今朝の中日新聞によれば
自衛隊のヘリに一機216億円の概算要求。

普通に輸入すればおよそ60億円。
部品を国産化するために83億円。

(国産化は金がかかるんだ!)

さらに富士重工の設備投資を保障するために
133億円の追加で、しめて216億円。

(うーん!高い高すぎる。みな税金なんだ。
警察費・軍事費はユルユル。社会保障費はケチケチ。)

やはり9条を足場に戦争に金をかけない日本を
作らないと、アメリカみたいな社会にナッチャウゾ。

それにしても軍需産業は美味しい産業ですね。
決して取りはぐれない。
アメリカなどの産軍政共同体では、国民から
税金を使いすぎるという批判にさらされているから
いつも脅威をつくっておかないとアブナイ。
脅威だけじゃダメで、どこかで戦争していないとイケナイ。

こんな国にはしたくない。
軍備は最低限必要と思いますが、どこが最低限なのか?
誰が決めるのか?
シビリアン・コントロールが大切。
そのためにも情報の公開は不可欠。
北朝鮮や中国の脅威は、どういう根拠で、
誰が言っているのか?よく吟味しないと、
誰かを儲けさせるだけに・・・
その分、社会保障費などが削られる。

福祉などにキチンと声をあげることが平和を守るということか?
あまりまとまりのないお話しでした。
お粗末。

   



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ギター三昧  文科系

2007年11月26日 23時52分22秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
久しぶりに文化活動を書く。いつも言うように、現代政治は貧困問題だけじゃ全くだめだという持論からだ。若い人たちは金が無い人でも結構生活を楽しんでいる。食事、服装、家を飾るなどなどで楽しむ。ただ働いて、金が入れば物を買うだけしかその金の使い方を知らぬというおおかたの50以上の方々が、こういう若者に政治を語るなどは、一種おこがましいとも思う。

なお、文化論は理論を語っても仕方ない。自分がやっていることしか説得力はないと考えている。

先日ここにベトナム・中国雲南省への旅の報告を投稿した。11泊の旅である。ところで僕は、その旅の間中、大きなクラシックギターを持参したのである。国内旅行でさえ持参するのだから、11泊もの旅に持参しないわけはないということだ。年寄りの手習いは、1日あけただけでも、ちょっと悲しいことになると思っているからだ。

「アルハンブラ宮殿の思い出」というのをやっている。先生に3年前にならった曲だが、不十分だったと感じてこの6月からさらに完成させているのだ。もう5ヶ月飽きもせずやっていて、ベトナムや雲南省でもほぼ毎日時間を見つけては、この曲を一番多く弾いていたと思う。
10月にある会でこの曲を弾いたが、まだまだ未熟だったせいと、あがってしまったこととで全くだめだった。12月にもあるクリスマス会でこの曲を弾くから、その時は納得できるようにと思っている。


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私の戦争体験 15 へそ曲がり

2007年11月26日 09時17分47秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
まとめ
「私の戦争体験」のシリーズを終えるにあたって、私は次のことを述べたい。
 歴史学者の吉岡吉典氏の著書「日本の侵略と膨張」(新日本出版社)のはじめに、著名な国際法学者であり、最高裁判所長官をつとめた横田喜三郎が1947年発行の『戦争犯罪論』(甲斐閣)の「はしがき」で強調していることを紹介している。。
「かえりみれば、満洲事変からこのかた、15年の長い間にわたって、日本は軍部と官僚にひきずられ、極端な侵略的戦争をおこなってきた。弱肉強食の帝国主義的侵略を重ねてきた。条約を無視し、正義に挑戦し、驚くべき暴虐を行った。それが誤っていたことは、いまはたれにも明白である。
これからはかような行き方を絶対に改めなくてはならない。そうして、平和と協力の方向に進むべきである。他の諸国と平和のうちに生活したがいの利益と発達のために協力するのである。それによって、はじめて、日本の本当の幸福と向上も可能になる。
 しかし、そのためには、まずもって、誤った過去を清算しなくてはならない。過去の誤りを徹底的にただし、あくまで反省しなくてはならない。そこに、はじめて、新しい更生への道も開かれる。」

 これに対して、吉岡吉典氏は横田喜三郎氏のこの文に基本的に賛意を示しつつ、さらに次のように述べている。
「私が意図したことは、明治政府成立いらい日本軍国主義すすめてきた戦争は、太平洋戦争はもちろん、日清、日露戦争も「自存自衛」の戦争などではなく、侵略戦争であった・・・」としている。
 
 この両者の思いと私の思いが全く一致しているのである。なぜそれが言えるのか。それは「・・・それぞれの戦争の目的・性格を明らかにしながら、できるだけ、政府、軍部および当事者の記録で解明しようということであった。」としていることである。
 つまり、この348Pにわたる書籍の殆どが公的文書という、だれもが否定できない内容で「明治以来の侵略戦争」を解明していることである。

 改憲論者に“これを読め”と勧めても無駄であろう。彼らは手にした瞬間目を覆いたくなり《証拠隠滅》、この場合は『焚書』であろうか、を図りたくなるはずである。なんとなれば、この一冊で彼らのデマゴギーはすべて粉砕されるからである。

 読者のみなさん、この本「日本の侵略と膨張」(新日本出版社)は一冊3、500円という高価なものですが、ぜひ手元に置かれることをお勧めします。
                
 以上でシリーズを終わります。


 
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日本も早く手を切りましょう!!      ネット虫

2007年11月25日 14時06分15秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
豪ブリスベンで24日、妻テレスさん(左)と投票を終えた労働党のラッド党首(右)=ロイター

※今日の各紙は、オーストラリアで野党が圧勝し、ブッシュを支え続けてきたハワード首相と与党が惨敗しアメリカ追従の政策が大きく変更されるとつたえています。世界でブッシュの孤立化が一層加速しそうです。
 日本も最後の一人とならぬように選挙で引導突きつけましょう。 (ネット虫)


「豪総選挙、野党・労働党圧勝 11年ぶり政権交代」
                    朝日新聞2007年11月25日01時09分

 オーストラリア総選挙は24日投開票され、野党・労働党が下院(定数150、小選挙区制)の過半数の議席を獲得し、ジョン・ハワード首相(68)率いる自由・国民両党の保守連合から11年ぶりに政権を奪回することが確実になった。次期首相になる労働党のケビン・ラッド党首(50)は若さを訴え、経済政策では与党に近い路線をとって支持を広げた。公約に掲げた京都議定書の早期批准やイラクからの一部撤兵に向け、豪州はかじを切ることになる。

 ハワード首相は24日夜演説し、「私はラッド氏に電話し、労働党の勝利を祝福した。私は首相の職を去る」と敗北を認めた。自身の選挙区でも苦戦しており、現職首相が落選すれば1929年以来となる。首相は小泉純一郎元首相、ブレア前英首相とともに「テロとの戦い」を主導する米ブッシュ大統領の盟友だった。

 ラッド氏は同夜、地元ブリスベンで「国民みんなで歴史の新たなページを記そう」と勝利演説した。対米関係重視では変わらないものの、1500人規模の部隊の段階的撤兵を訴えたイラク派兵などでブッシュ政権から距離を置くとみられ、国際政治での米国の立場にも影響を与えそうだ。

 また12月3日からインドネシア・バリ島で「ポスト京都」の枠組みを話し合う国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP13)に自ら参加する方針。「ポスト京都」に向けた論議にも弾みがつくと見られる。

 豪州選挙委員会によると、25日午前3時(日本時間25日午前1時)現在、開票率75%で、労働党が72議席を確保し、改選前の60議席から大きく躍進。公共放送ABCは、労働党が86議席を獲得する見通しと報じており、地滑り的圧勝となりそうだ。保守連合は47議席にとどまり、改選前の87議席を大幅に下回る見通し。

 労働党は昨年末にラッド氏が党首に就任して支持率が上昇、選挙中の世論調査でもリードを保ってきた。企業寄りとされる雇用法制の改革や病院職員の待遇改善、インターネットの普及など公教育の改革を公約に掲げ、幅広い支持を集めた。

 ハワード首相は好調な経済を背景に安定感をアピールした。選挙戦早々に大規模な減税策を発表し、支持率の浮上を図ったが、労働党が直後に同規模の減税策を掲げて埋没した。また、11年という長期政権のマンネリ感を一掃できなかった。


「豪総選挙で労働党圧勝 11年半ぶり政権交代」
                      中日新聞2007年11月24日 22時

 【シドニー25日共同】オーストラリア総選挙は24日投開票され、イラクからの戦闘部隊撤収を公約とするケビン・ラッド党首(50)の最大野党、労働党が圧勝した。イラク戦争を支持、ブッシュ米大統領の「最後の盟友」とされ、5期連続の政権維持を目指したジョン・ハワード首相(68)率いる保守連合(自由党と国民党)は敗北、約11年半ぶりの政権交代が実現する。

 ラッド次期首相の下で、オーストラリアは来年半ばまでに、イラクとその周辺に駐留する部隊約1600人のうち戦闘部隊約600人を段階的に撤兵させる見通し。米国のイラク戦略に影響を及ぼす可能性もある。

 公共放送ABCによると、労働党は下院(定数150)で改選前の60議席を大幅に上回る86議席を獲得する見通し。保守連合は62議席と、改選前の87議席を大幅に下回るとみられている。

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私の戦争体験 14 へそ曲がり

2007年11月25日 09時50分31秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
 戦争を語ってくれた人々

 敗戦の年、私は国民学校2年生でした。戦地から沢山の兵士が帰還しました。私の周囲でも記憶しているだけでも3人いました。この人たちは遊んでいる私たちのところへやってきて。自分の戦場の体験を話して聞かせてくれました。

 ひとりは、近所の遊び仲間の叔父にあたる人です。海軍の水兵として空母「瑞鶴」に乗り組み『レイテ沖海戦』を戦った人です。『レイテ沖海戦』での「瑞鶴」を含む小沢艦隊は「囮」としての任務になっていました。ハルゼーの艦隊を引き寄せ、その隙に戦艦「大和・「武蔵」を含む栗田艦隊をレイテ湾に突入させるという作戦です。小沢艦隊は初めから全滅覚悟という役割だったのです。当然、戦闘は悲惨な結果になりました。「武蔵」だけでなく彼が乗り組んだ「瑞鶴」も沈められました。

総員、退去!”という命令で兵隊たちは甲板の舷側に並びました。ここから海へ飛び込めという命令です。あまりにも高いところからのため、足が竦んだそうです。“どれくらいだって?そうだな、松坂屋の屋上から飛び込むと思えばいいさ。”とのこと。飛び込めないで竦んでいると、背後から腰の辺りを蹴飛ばされるのです。運良く海面に落ちるものもいれば、傾いた船腹などにぶつかってそのまま落下していくものもいます。まず即死だそうです。幸い、彼はうまく海面に落ち、味方の軍艦に救助されました。といっても、救助活動の時間は制限されています。潜水艦の攻撃を受けるかも知れないのです。まだ、海面に漂っている兵士を捨ててその場を去るのだそうです。これが靖国行きの実態です。

 2人目は、中国戦線で「八路軍」と銃火を交えた人です。近所に住んでいたのでなく、金属の廃品回収を仕事にしたおじさんです。いつもやって来ては私たちに話してくれました。私たちはこのおじさんを「カタキンさん」と呼んでいました。戦闘中に撃たれ、睾丸の一つを吹き飛ばされたとのことでした。ズボンを脱いで見せてもくれました。この目で確かめました。でも、「カタキンさん」と呼んでも、彼は決して怒りませんでした。いつもにこにこ笑いながら私たちに話してくれました。“蒋介石の軍隊とドンパチをする時は全然怖くない。奴らはすぐ逃げていくからな、でも「八路」とやった時は怖かったぞ。あいつらは命を捨てることなんか怖がっていない。よほどのことがない限り逃げたりはしない。彼らと戦う時は『今日で命は終わりだ』と何度思ったことか。あいつらは本当に強かった。”ということでした。

 3人目は私の隣の家のおじさんです。スマトラ島にいたとのことでした。島が孤立したため、直接の戦闘経験はあまりなかったものの、食糧不足で困った話をしてくれました。補給は全くなし。食べられるのなら「蛆」までも食べたそうです。いちばん美味しいのは蛇と大蜥蜴。捕りすぎたのか、そのうち、探してもなかなか見つからないとのことでした。食料を巡って殺し合いをする光景も目撃したとのことです。

3人の話には共通点がありました。“戦場というところは「地獄」だぞ。これからはどんなことがあっても戦争なんかしてはいけない。”、話してくれた最後はいつもこの言葉でした。


 大人になってら、自分の体験を話してくれた人に出会いました。彼は戦前、農村の中学校の先生でした。若かった彼は“ぼくも軍国教師の一人だった。”のです。その頃「満蒙開拓青少年義勇軍」の募集がありました。表向きは自由希望となっていますが、実情は全く違います。“この村から〇〇名出せ。”との指示が来るのです。村々に割り当てが出されるのです。目標に達しないと村の「恥」ということになります。村中こぞっての説得活動が始まります。こういう時、中心になるのは学校の教師です。彼も教え子の家を一軒一軒回って歩きました。結果、定員を満たすことが出来、教え子たちは次々に満州に行きました。しかし、村から行った少年たちの殆どは還らぬ人となりました。

 戦後になって、彼はこれらの家一軒一軒を尋ねて謝罪しました。入り口を入って土間で土下座をして両親に謝りました。でも、返事は一言もありませんでした。ただ、畳に座ったまま一点をじっと見つめている、目線は絶対に合わせようとしない、こんな光景が2時間も3時間も続く。

 こんなことを語った後、彼は私にこう言いました。“なあ、〇〇君、月が煌々と照る夜の村の道、そこを肩を落してとぼとぼ帰っていく自分、そんな時のぼくの気持ちが判るかね。あの時ぼくは決心したよ。日教組のスローガン『教え子を再び戦場に送らない』、ぼくはこれを命を懸けて守り通す。これはぼくの使命だ。”と。

 この彼の言葉、身震いしました。名古屋にもこんなにも素晴らしい学校の先生がいるんだ。その時の実感です。彼はその後の教師生活の全てを平和のための活動に捧げ、7年ほど前にこの世を去りました。

 私がこれまでに出会った人のうち、最も尊敬する人です。


 以上で、私の戦争体験シリーズをひとまず終わりますが、(あと、まとめがのこっています)それでも日本は軍隊を持つベきである・戦争は必要悪であると思われる皆さん、このブログの上で“自分は家族を引きずってでも真っ先に戦場へ行き、最下級兵として戦争に加わる”と宣言されたらいかがでしょうか。

また、「空襲下」で猛火に取り囲まれ、そこで機銃掃射を浴びるというのもいい経験かと思いますが・・・・・。もっとも、そんな馬鹿げたことを考えるのはよほどの人しかいないと思います。失礼しました。
                     (まとめに続く)
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私の戦争体験 13 へそ曲がり

2007年11月24日 13時02分42秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
もし、「本土決戦」が行われていたら

 この部分は以前に単独に投稿したものですが、必要上ここに再録しました。理由は後から述べます。

「本土決戦」とはどういうものであったか?国民の前にはどんな運命が待っていただろうか。戦争があと半年・1年続いていたらどうなっていたかということです。それは「狂気」の時代でした。
 
 1945年6月、連合軍には「沖縄戦」以後の作戦計画が出来上がっていました。「ダウン・フォール」作戦と呼ばれています。
 作戦は2つに分かれていました。1つは45年11月に九州へ上陸するという「オリンピック作戦」、もう1つは46年3月に関東平野に上陸して日本を分断するという「コロネット作戦」です。

 一方、日本側はこのことを知っていました。対抗する作戦を「決号作戦」と名付けていました。国民には「本土決戦」・「一億総特攻」・「一億玉砕」というスローガンが呼び掛けられました。

 具体的にはどんな対策だったか。その一部を紹介します。
 
 45年6月に「義勇兵役法」が制定されました。「国民皆兵」です。終戦の2か月前でした。中を見ると「勅令」という言葉がやたら目立ちます天皇の命令ということです。
 何しろ《人間の姿をした神様》の命令ですから、拒否すれば罰則が付きます。

“七条 義勇召集ヲ免ルル為逃亡シ若ハ潜匿シ又ハ身体ヲ毀傷シ若ハ疾病ヲ作為シ其ノ他詐偽ノ行為ヲ為シタル者ハ二年以下ノ懲役ニ処ス
 2 故ナク義勇召集ノ期限ニ後レタル者ハ一年以下ノ禁錮ニ処ス”
現実性が全くない。1年も2年も続くと思ったのでしょうか?しかも全土が戦場です。。どこへ収容するのか?
 全員が「軍人」であるから、「陸軍刑法」を適用されて「死刑」判決を受け、その場で「銃殺」されたのではないかと思います。

 大本営陸軍部は「国民抗戦必携」という小冊子を配布していました。そこでは国民が用意すべき武器が書かれています。
「刀剣、槍、竹槍、鎌、鉈、玄能、出刃包丁、鳶口」などなど。
 出刃包丁を手に、槍ぶすまのように並んだ機関銃や火炎放射器、さらには戦車に向かって突撃していく姿を想像してください。地獄です。 
 
  司馬遼太郎という作家がいます。彼は当時戦車隊長として連合軍の上陸に備えていました。ある時、彼は上司に尋ねました。“戦車が進んで行けば、道路で避難してくる人にぶつかって前へ進めなくなるが、そんな時、どうすればよいか?”。返事は“轢き殺して構わない”とのことでした。これが[軍隊が国民を守る]という現実です。
 
 特攻攻撃機としては「剣」甲型(キー115)や「タ号特別攻撃機」の生産を急がせていました。主翼以外の材料は鋼管、ブリキ、ベニヤ板などの簡単に手に入るもので作られました。1回使えばよいのです。離陸したら車輪が脱落してしまうようになっていました。着陸など必要が無かったからです。操縦性は最悪で、とても扱い切れるものではなく、実用化のための改修中に終戦となりました。
 
 海軍も考えました。潜水服を着用した兵士を海中に忍ばせ、棒の先に爆薬を装備し、進攻してきた敵の上陸用舟艇を下から突き、自分もろとも爆破させようとする作戦です。爆雷の数発も投下されたら全滅です。
 
 なお、作戦決行の前に、足手纏いになる赤子・幼児・老人などは「殺害」する計画もありました。45年4月に大本営陸軍部が出した「国土決戦教令」に明記されています。
“「敵ハ住民,婦女,老幼ヲ先頭二立テテ前進シ我ガ戦意ノ消磨ヲ計ルコトアルベシ 斯カル場合我ガ同胞ハ己ガ生命ノ長キヲ希ハンヨリハ皇国ノ戦捷ヲ祈念シアルヲ信ジ敵兵撃滅二楕拷スベカラズ”
「青酸カリ」を飲ませるのです。私の町内ではそれが配られるのを見ています。その時は分からなかったのですが、大人になってから分りました。

 こんな作戦が真面目に検討されました。「一億玉砕」だから、国民の命はどうでもいいのです。「民族抹殺作戦」です。

 一方、どうしても守らなくてはならないものがいました。「神」です。
「神」とその家族は長野県の「松代」に移すことになっていました。大本営の高級将校もそこへ移ることになっていました。「松代大本営」と呼ばれていました。
 完成のために多くの朝鮮人などが酷使された。もし、完成していたら彼らの運命はどうなっていただろうか?秘密を守るために殺されていたでしょう。

 
 これは決して架空の話ではありません。戦争があと半年・1年と続いていたらこうなった筈です。私など、1946年以前に生まれていた人は今日、全員生きてはいませんね。それ以後に生まれた人は・・・・生まれている筈がありません。

 ところで、それより以前に戦争を終わらせることは出来なかっただろうか?出来たという主張もあります。
 
 44年6月、「マリアナ沖海戦」がありました。この戦いで連合艦隊は壊滅的な敗北を受けました。戦闘能力を失ったのです。
 兵器の差だけではなく、技量の差も大きかったのです。戦闘機の操縦についても、空母からの発艦は出来ても着艦が出来ないというような低下した技量になっていました。
 米軍機の撃墜3機に対し、撃墜された数は200機以上でした。「マリアナ沖の七面鳥狩り」と言われたほどの惨敗でした。
  一方、中国戦線は泥沼状態でした。見通しはまったくなかったのです。

 直後に、「近衛文麿」が「昭和天皇」に「降伏の上奏」をしたと言われています。但し、国民のことを思ってではなく、内乱(革命)が起こって「天皇制」が崩壊することを怖れたということです。しかし、天皇はこれを拒絶したのです。
 もし、この時降伏していたらその後の「沖縄戦」はなかったし、「東京大空襲」もなかったし、「広島・長崎への原爆投下」もなかったのです。太平洋戦争での死者のうち、大部分はこの海戦以後です。終戦の時は自分の力で終わらせたと言っていた「昭和天皇」です。としたら、この時なぜ命令しなかったのか?
 よく言われる話しです。これでも、戦前・戦中の時代が良かったと言う人ちがいるのです。事実を知らない人が多いのです。こんな国に絶対に戻してはなりません!。


「本土決戦」・・・「ポツダム宣言受諾」・・・「東京裁判」・・・「日本国憲法」・・・「サンフランシスコ条約」、これらはすべて一本の太い糸で結ばれているものであって、どれひとつを切り離しても戦前・戦後史を理解することは出来ません。
 この「本土決戦」を国民に命令した上級士官たちはどういう責任をとるもりだったのか。「東京裁判」にはいくつかの問題があるとはいえ、国民には「死ね!!」と命じながら、自分は敵に逮捕されるという無様な姿をさらけ出しました。さらには、隠された日本軍の野蛮な行為が暴露されたことを見ただけでも、この「東京裁判」は良かったと評価されるのです。
 ここで明らかにされた日本軍の数々の残虐行為を知らずにいたら、日本人は世界の物笑いにされたことでしょう。それでも隠しておいた方がよかったのでしょうか。
 
 ところが、このブログに登場する「改憲論者」は「東京裁判」・「日本国憲法」には悪罵を投げかけ、相手がそれに応えようともしないと罵ります。応えていてもです。そのくせ、「本土決戦」については一言も述べようとはしません。こちらが何度尋ねても態度をハッキリさせない沈黙を続けているだけです。
 そのくせ、歴史は連続性のあるものだと主張してきます。くどいようですが、だったら、これも連続してみたらどうでしょう。連続性とは時間の長さだけではなく、内容についても言えることです。「本土決戦」を切り離したら、全てが歪んで見えてしまうことになります。
 彼は、自分や自分の家族だけが助かりたい、またそれが出来ると思い込んでいるのでしょう。これこそ「自虐」ではなく「他虐」という、彼らしいもっとも卑劣な態度であると断言します。
 答えるつもりなら一言だけで十分です。“あなたは「本土決戦」を受け入れますか?”他の余計な言い訳は一切いりません。(これで何度目になるやら)
 
 
  
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テロ特措法をめぐる一大騒動に意味があるとすれば         ネット虫

2007年11月23日 21時41分10秒 | 時事問題
 『23日の朝日新聞は、今の政局を評して、国会会期を再延期してでも衆院三分の二の再議決で新法を成立させようとする自民党と、それに対抗して福田首相の問責決議案を出そうとする小沢民主党の度胸比べ(チキンレース)であると書いている。つまり強硬姿勢を押し通せば最後は解散・総選挙に追い込まれる、それを恐れる方が先に譲歩するだろう、というわけだ。
  なるほど、そう考えてみると、追い込まれているのは福田自民党でも小沢民主党でもない。どちらも追い込まれているのだ。いや、今の政党のすべてが追い込まれているのだ。彼らが一番恐れているのは世論であり、解散・総選挙なのである。
・・国民の投票権なのである。・・
 国民が主役になったのだ。こんどの茶番劇に意味があったとすれば、これまで以上に国民の判断が政治を動かすようになったという事である。国民はこの事を自覚すべきである。』

 上の文は「天木ブログ」23日の記事「テロ特措法をめぐる一大騒動に意味があるとすれば」の結論部分である。
 まったく同感である。
 何が大連立だ!!
 世論を盛り上げて
 出来れば年内、遅くとも春までに解散をさせ我々の意思を示すべきである。


 


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日本がいかに高GDPかということなど  文科系

2007年11月22日 14時09分16秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
一昨日に、ベトナム北部、中国雲南への旅の簡単な旅行メモを投稿しました。中国農村部もそうですが、ベトナムは全体としてすごく貧しい。もちろん収入が世界比較ですごく低いということであって、生活必需品など国産品の物価がさらに輪をかけて安いのですから、単純には比較できません。以下はそういう生産力の面だけの話ですが、今読んでいる本から紹介します。世界経済入門(岩波新書、西川潤著)より、2000年の数字です。

金持ち国はだいたい、経済協力開発機構(OECD)に入っており、その平均一人あたりGDPは26,310ドルです。アジアでこれに加入できていたのは1999年で日本、韓国だけだったと記憶しています。日本のその数字は、33,550ドルとあり、当時の韓国は9,930ドルです。以下、貧しい国のこの数字をあげてみます。
ベトナム(430ドル)などインドシナ3国やミャンマーなどの300~400ドルを最低として、東・東南アジアは世界の貧困地帯の一つであって、平均1,267ドルです。サハラ以南のアフリカ諸国が最も少なくて450ドルです。ラテンアメリカは平均して高いと言われますが、それでも3、280ドル。石油のある国とない国に分かれる中東・北アフリカが平均では2,250ドルということでした。

ここでいう貧しい国の特徴は以下です。
何よりも輸入ができない。だから大きなインフラ整備、工業化などができません。国内産品は安いとしても、世界の文明からは取り残されがちな国ということです。医療なども当然、極めて劣悪になり、死亡率が高くなります。そこから、改善のためにちょっと無理をすると対外債務急増ということになります。
途上国(平均1人GDPは1,342ドル)の対外公的債務は、80年700億ドルー90年末1.4兆ー00年末2.5兆ドルと増えています。グローバリズムの21世紀に入って、公的債務が減った代わりに民間直接投資が増えています。ただし、先進国の民間投資は中所得国には向かいますが、最貧困国にはまず行きません。

最後に、「日本のGDPは高くとも、その『格差』が凄いだろう」という声に答えます。この本には「所得最上位1割が国民総所得または総消費に占める率と、最下位2割がそれらに占める率の比較」が書いてありました。
日本はそれぞれ22%と11%です。これに近いのがスゥエーデンの22対9あたりでした。インド、バングラディシュは34対8と27対7でちょっと悪く、アメリカ(31の5)、中国(33の6)、ロシア(36の5)がもう少し悪い。
最も酷いのはブラジル(48対2)、チリ(45対3)や南ア(47対2)というところでした。

ちょっと読んでみただけでも、グローバリズムのなすがままにはできない状況だと思いました。作者もそういう批判をしています。ここから作者は、「グローバル化に対応する方向」として、EUと「東アジア経済圏」に触れています。地域扶助という当然の考え方ですね。

著者は早稲田大学大学院の経済学教授ですから、資料は全て出典明記で、世界銀行などきちんとしたものでした。それこそグローバルな名著だと思いました。



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シュプレヒコール             まもる

2007年11月22日 13時34分57秒 | 国内政治・経済・社会問題
 「日米開戦の日」を「不戦・平和の日」にしょうと12月8日にともし火を掲げて平和ウォークををする企画を進めている。
 その話し合いの中で行進中の「シュプレヒコール」の内容が議論された。
 原案には二つあって一つは、「憲法9条の条文」をコールするもので異議無く可決。
 問題になったのは次のコールである。

★平和憲法をまもろう! ★戦争をさせないぞ! ★憲法九条をまもろう!
★平和な日本をまもるぞ! ★憲法改悪は許さないぞ! 
★紛争は外交で解決しよう! ★武力を使うのは反対!

 最初去年行進に参加したご婦人から、「去年コールしていて感じたのだけれど
文章が男言葉的でキツイ感じがして良くありませんでした。 ・・・しましょう。と言った柔らかい口調にしたほうが良いと思います。」との提案があり一同うなずいて採用となった。
 そのとき、この行進の意義を熱心に訴え、参加を多くの方に呼びかけてみえる方から次のような問題提起があって一同再び深く考えさせられる事となった。
 その方の発言。

☆私は常づね思うのだけれど、こうした平和行進のシュプレヒコールには
「・・まもろう。」「・・ないぞ。」「・・反対。」とぃつた言葉が声高に叫ばれているが、そこには「守り」と「反対」の方向性しか感じられない。
平和・護憲運動はそれでいいのだろうか? 広く人々に訴えかけるとき「守れ」「反対」だけで理解や共感が得られるだろうか?もっと前向きの「平和のための国際貢献」を訴える事が大切なのではないか。

 この発言を聞いて私も常々、平和運動(9条運動)の方向について、今までのそれが余りにも「内向き」で臆病だったのではないか?と考えていた所だったのでその意見に共感を持ちました。
 
 シュプレヒコールをこんな文言で訴えられたら共感を得そうな気がします・  「武力無き国際貢献をすすめましょう!」
「インド洋に医療船団を送りましょう!」
「イラクに復興のためのトラック部隊を!」
「アフリカに植林の自衛隊員を!」
   
 
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