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老後ギター上達法、僕の場合   文科系

2019年03月31日 14時13分11秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
 老後ギター上達法、僕の場合  文科系

 久々に僕のクラシック・ギター人生を振り返ってみたい。振り返る視点は、こういうもの。アマチュア音楽活動において楽しみを増やし、大きくする一つの方法ということである。

①人前で弾ける曲はないという拙い一人習いから、定年退職後の62歳に初めて先生について、16年ほどたった僕は、音だしの基礎習いの後はずっと、好きな曲を選び暗譜主義でやってきた。極端に言えば、1~2小節ごとにくそ暗記して、それをつなげていく。1ページの楽譜を1週間ほどかけた末に全曲暗譜し終えてから、おもむろに弾き込みにかかるというやり方だ。

②こういうやり方で、その都度技術的にとうてい無理な曲にも挑んで通し暗譜・弾き込みをしてきたが、そこで出てくる技術的難点は全部残っているという経過をたどってきた。これは、無理もないのである。習い始めて2年で魔笛やローボスのプレリュード1番を、3年でソルのグランソロなども暗譜群に載せて来たのだから。この暗譜群とはこういうものである。大好きな暗譜維持群目次を作り、それを月に数回りずつ弾いてきたということ。新たな曲を入れるためにここから落とした曲も多いし、魔笛の変奏曲とか大聖堂、アルハンブラとか、難点が残っていて人前では未だに弾く自信が持てない曲も含まれている、現時点では20数曲である。なお、僕の先生はこの特殊なやり方を全て認めて下さった。

③さて問題は、こういう音楽習得法のどこが良かったか。何よりも先ず、こんなことがある。大好きな曲、弾きたい曲をずっと暗譜し温めてきた前向きな気持ちから、技術的難点の自覚や克服へのエネルギー、「この曲は、音楽としてこう弾きたい」という改善、気持ちよさの深化などが、もたらされてきた。つまり、「読譜(弾き)という不自由」に費やす神経を、技術的難点の自覚、修正や、「その曲の気持ちよさの創出」などに自由に費やすことができたということである。

④そして今では、こんな喜びも生まれるに至った。人前で弾けなかった暗譜群曲や、暗譜群から落とした曲を復活させて、発表会で弾けるようになったこと。一昨年の発表会で弾いたバリオス「郷愁のショーロ」やタレガ「マリーア」がこの復活組に当たり、昨年のソルのエチュード作品6の11番(セゴビア編集ソルのエチュード20曲集の第17番)が今までは人前では弾けなかった暗譜群曲に当たる。そして、現在着手したのが魔笛の4回目のレッスン。今回気付いたことだが、この曲がもう一歩で、人前で弾けそうになっているのである。この曲に多い消音箇所とか、速いパッセージも含めてのことだ。

⑤さて、こんなやり方だと78歳になる僕がまだまだ上達できているのである。その主たる原因は、こう理解してきた。暗譜群のあちこちにある自分の技術的難点などと常に集中的に戦い続けていたという結果になっていること。「どれだけ苦労してもこの悪癖は直そう」としていくつかの基本技術的欠陥修正という結果を出してきたエネルギーもここから生まれたといって良い。たとえば、左手小指が薬指に連動してしまう硬さを苦労して直すことに成功しなかったら、郷愁のショーロもマリーアも、そして17番も、発表会では弾けなかったはずだ。

⑥最後になるが、高齢者のどんな活動でも最後は体力勝負。そして、活動年齢を伸ばしてくれる体力こそ、有酸素運動能力。酸素がよく回る細胞、身体は若いのである。ギターやパソコンの3時間ぐらいなんともないというように。ランニングが活動年齢伸ばしにこんなに効力があるとは、骨身にしみて感じてきたことであるが、これは今では世界医学会の常識になっていると言える。その証言がこのブログのいたるところにあるが、一例がこれ。『「よたよたランナー」の手記(222)走る、歩くで活動年齢が伸びる 2018年05月10日』。老後長くやりたいことがあるならば、有酸素運動(と活性酸素対策としてのポリフェノール摂取)は不可欠である。時速7キロ以上で歩ける老人は長生きすると医学界で言われるようになったが、これは血管や細胞が若いということだ。
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掌編小説  魂は存在するか?   文科系

2019年03月31日 13時07分56秒 | 文芸作品
「いろいろ考えてみたんですが……、一番聞いてみたいことで……。Tさんは、人の魂ってあると思われてますか?」
 高校二年と聞いていた細い肩が目立つ小柄なその女の子は、予めMさんから僕が打診されていた相談話の一番の核心をいきなり切り出して来た。母方の祖母であるMさんが孫のRちゃんのことで僕に相談を持ちかけてきたのは、僕が大学院の哲学科を出ていることと、十数人で十年近く続いたギターパーティー常連同士で気心知れた仲とからのようだ。

 この日僕がMさん宅のベルを鳴らしたのは、七月上旬午後の猛烈な日差しの中の、ジャスト二時。白に近いベージュ地に濃いダークブラウンのアクセントを付けた洋風の家は、ここを永住の地と決めて六年前に建てられたばかり。玄関から続く三メートルほどのアプローチ左脇の真っ赤なカンナの花がすくっと伸びた姿に歓迎されるようにして通い慣れたリビングダイニングに通されたのだった。このリビングは二階までの吹き抜けになっているのだが、これも含めて、ギターのホーム・パーティー会場などにと目論んだ空間なのである。

「先ず、君の意見とその理由を聞きたいな。今日は聞き役に回る積もりで来ましたから」
「私は、無いと考えるようになりました。人間の心だけが他の動物のそれとは違うって、おかしいと思うんです。旧約聖書の創世記のような考え方がおかしくって、進化論が正しい訳なんでしょうし……」。
 単刀直入のこんな物言いに驚いた僕は、この子の勉強ぶりをもっと知ってみたくなった。
「アメリカのかなりの州が進化論を教えず、旧約聖書の創世記だけを教えていることも、そして、例えばドーソンの曙人を巡る考古学上の論争史なんかも、勉強されてご存知なんですね? そして、人の魂が無いなら神は居ないと?」
 彼女の目を見ながら話したから、この全てを彼女が肯定しているのは明らかだったが、Rちゃんはすぐにこの世界史に残る大偽造事件、曙人論争部分を引き継いでくれた。
「人類の頭頂骨を古い類人猿の下顔骨にくっつけて考古学的な化粧を施した化石を一九一〇年頃に発見したという事件で、当時の学会を大騒ぎさせてまで人間の心だけが神の似姿なのだと抵抗してきた論争で、人類化石五百万年の発達解明でも完全に否定されたのでしょうし、……… ある人の魂と言っても〇歳と九十歳とでは、全く変わっていく。老人の認知症なんかも含めてみれば、魂って何歳のソレって感じですよね。そして何よりも、神が居なくなる。人間の肉体を離れて魂がないとすれば、その魂の特別な造物主も不要になるからで……」

 いろんな周辺知識をネットで調べる現代っ子流儀から得られた限りのもので何回も予行練習を重ねてきたような話しっぷりに若く健全な好奇心、探求心が伺われて、僕は嬉しくって仕方なくなった。紅いセイロン紅茶を運んだ後、顔が見えるキッチンから耳を傾けているやのMさんも、気持ち良さそうな微笑みを彼女に投げかけている。僕は、自分の意見は抑えて聞き手に回ると決めたギリギリの応答内容を今ここで語って、彼女を励まそうと思い立った。

「どんな新聞などにも宗教欄はありすぎるほどあっても、神とか、人を超越した神聖な存在とかを否定する議論の紹介って、君も見たこと無いでしょ。これってやっぱりおかしいと、僕はいつも思ってきたよ。アメリカのいくつもの州みたいに地球や人類の誕生について創世記だけを教えるのと大して変わらないよね。無神論にも一応触れなきゃねー。ところで、神がいないとなった時には、罪とか愛、人生の価値とかはどうなるのだと、この事も考えたんでしょ?」
「はい『それら』もこの世の人間関係の中から生まれたんだと思います。島国に一人で生きてたら、便不便はあっても罪はほぼないのだろうし、物の価値の世界とは別の正義とか愛とかいうのは、他の人や擬人化されるような動物に対してのものなんじゃないかと……」 
 鉛筆を舐め舐め人生そのものへの答案を書いている真っ最中のような彼女は、僕の人生をも洗い直してくれるようだ。

「人の死は、どうなの。神の王国がなくってこれが待っている以上、人生の一切が無意味だという人もいるけど……」
「はい、私がこんなことを考え込むようになったのは、中学時代の親友が一年ほど前突然亡くなってしまったから。彼女はもうどこにも居ません。もちろん、自分がどこにもいないことも知りません。夢も見ない永遠の眠りですから、彼女を覚えている人もやがて誰もいなくなるでしょう。生きている私たちは、そこに至るまでは色々考え、悩むかも知れませんが、たった一度の人生を精いっぱい頑張って良いものにしようということでいいんじゃないでしょうか。Tさんたちがギターを一生懸命やっているように、私もピアノを頑張ってますし、勉強も楽しくやれてます」

 ここにいたって、見事至極と以外の言葉を僕は思いつけなくなっていた。この子は人文系学問の天才である。何よりも言葉による思考の整理・推進力が。こんな力を持っている子なら学科などは授業だけで分かってしまうに違いないのである。ある授業の焦点をすぐに嗅ぎ出して、そこの周辺だけを集中して学ぶことによって。Mさんも語っていたように、あらゆる種類の読書やネット検索を猛然と重ねて来た結果なのだろうが、それにしても……。
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米教育、進化論を教えない影響   文科系

2019年03月30日 12時53分19秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
 これも旧稿の再掲。ある国の宗教、死生観がそこの政治動向にも強く影響するという好例であると言いたい。アメリカという国は歴史的伝統が少ない、非常に新しい国で、言わば近代以前の体験が無く、これを知らない国と見ても良い。そういう国の大小の影響を最も半世紀以上にわたってまともに受け入れて来た日本で、マスコミなどアメリカ文化を一方的に受けるだけで良かったのか。そんなことを考えながらお読み頂ければ嬉しい。

【 米教育、進化論を教えない影響   文科系 2018年11月01日 | 国際政治・時事問題(国連・紛争など)

 7月14日当ブログ拙稿に紹介した論文には、このような記述がある。
『 アメリカ人と進化論に関する統計(ギャラップ、2012年)によると、46%のアメリカの成人が、「現在の人間の形を創ったのは神だ」と答えています。それに対し、「人類は進化したが、それは神の導きによる」と考える人の割合は32%、「人類は進化した。そこに神は介在しない」と考える人は15%です』
『 全米の高校の生物学の教師を対象とする調査と分析(National Survey of High School Biology Teachers, Pennsylvania State University)によると、授業で進化論を積極的に取り入れようとしない生物学教師は60%にのぼります。
これらの先生たちは、進化論とともに、神が生命を創ったとする創造論(creationism)も生徒に説明し、「どれを信じるかは個人が決めることである」「各種試験には進化論が出る」等の補足をすることで、起こりうる問題を回避しているとのことです。そして、進化論を明確に教える教師は28%にとどまっています。 一方で、13%もの教師が創造論だけを授業で教えています』



 さて、進化論を教えず、聖書の創世記だけを教えるから、人間の生い立ちについて後者を信じている人が圧倒的に多いアメリカ! このことがアメリカ社会にもたらす影響は計り知れないほど大きいと、改めて述べてみたい。

 例えば、進化論否定根拠について、昔はこんな風なことさえ語られていた。「猿から進化ということは、道徳も罪もない、ただ欲望のままにということだろう」、とか。「(神から与えられた)人間の長所の一切を否定するものだ」、とか。これは、人間誕生の理論が当然のことながら、人間観、世界観など哲学の内容も決めていくということだろう。

 そもそも進化論を否定するというのは、人間の自然的成り立ちを否定するということだから、人間の営為の一切を、特にその美点の一切を自然から取り上げて、結局神に委ねていくということにもなる。その影響は計り知れぬほど膨大なものと考える。その国の教育だけではなく、人生観さえ偏ってくるというように。そういう偏向教育だと思う。人間の生い立ちそのものを誤解させることに他ならぬものだから。

 例えば、政教分離という考え方さえ、無いと言える。教育行政がそういう政教一致をやっているのであるから。

 アメリカの人種差別とか、イスラム蔑視とか、他民族への戦争とかに賛成する人々に、人間の誕生で創世記だけを教えているということが関わりがないはずがないとも言いたい。トランプの当選そのものがこのようなある宗教一派の貢献と言われている国なのだし。

 アメリカは歴史の浅い新しい国であり、基本的な政治思想の転換などは一度もなかったと言えるし、近代先進国の政治世界などで必ず起こった政治と宗教の激しい争いなども経験がない国である。一般の政治意識にも、政治と宗教のそういうナイーブな考え方が広く存在するということだろう。

 こういう影響の一つを最後に上げておく。最近まで米エスタブリッシュメントの資格を表すものとしてに、WASPという用語があった。ホワイト、アングロ・サクソン、プロテスタントの頭文字を取ったもので、広辞苑にさえ載っている。

 なお、日本人は意外に、こういうアメリカの負の面を知らない。戦後の日本マスコミは、アメリカを綺麗にしか描いて来なかったのではないか。 】
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アメリカの進化論教育   文科系

2019年03月30日 12時46分04秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 またまた旧稿の再掲だが、昨日一つの死生観に触れた機会にご紹介する。


【 進化論の教え方   文科系 2018年07月14日

 今日は、こういう米政治の「温床」ともなっていると思われるものの一つをご紹介してみたい。知る人ぞ知る、「アメリカ教育界における進化論の教え方」の問題である。トランプの支持者にはプロテスタントの宗教保守派が非常に多いからであるし、彼らこそ進化論を否定する人々が圧倒的に多いからでもある。いろんな関係文献を読んだが、まとまりのある一文献をご紹介する。以下の内容が、検索に引っかかることが圧倒的に多かったジャーナリスティックなだけの「書き散らし文」などの内容とほとんど矛盾しなかったことも付け加えておきたい。織井弥生(おりいやよい)という方の文章である。

『 アメリカ人と進化論 織井弥生

アメリカの学校では生物の進化論を教えないという話を聞いたことがありますか?
今回はその現状をお伝えします。

進化論を信じないアメリカ人は約半数

日本人はダーウィンの進化論(creationism)を教科書で習い、特に疑問を抱くことなく受け入れている人が大多数ですが、アメリカではかなり事情が異なります。
アメリカ人と進化論に関する統計(ギャラップ、2012年)によると、46%のアメリカの成人が、「現在の人間の形を創ったのは神だ」と答えています。
それに対し、「人類は進化したが、それは神の導きによる」と考える人の割合は32%、「人類は進化した。そこに神は介在しない」と考える人は15%です。
アメリカ人の約半数が進化論を信じていないことになります。
過去14年の推移を見ても、この割合にはさほど大きな変化はありません。
また、学歴の高い人ほど進化論を信じ、宗教心の深い人ほど進化論を信じないという顕著な傾向が見られます。
アメリカ人の宗教と科学の考え方には深い関係があるといえます。

キリスト教と科学

アメリカは、キリスト教を信じる人が人口の76%です。
特に多いのがプロテスタントの信者で、各派を合わせて人口の51%にもなります(U.S. Census Bereau, 2008)。
聖書には、神による天地創造の記述があります。
その聖書を重視するプロテスタントから1900年代はじめにキリスト教原理主義が登場し、政治的社会的背景と相まって、次第に進化論の思想は危険だという考えが保守的な人々の間で広まっていきました。
そして、1920年代には公立の学校で進化論を教えることを禁じる法律が各州で制定されました。
以来、数十年にわたり、このような法律はアメリカ合衆国憲法に反するとして、裁判が繰り返されてきました。
特に有名なのは、進化論を禁じていたテネシー州の公立校で進化論を教えた教師が逮捕された1925年のスコープス裁判です。

教育が州の管轄であるアメリカでは、進化論と創造論の扱いは、現在では各州に任されています。
また、米国科学アカデミー(National Academy of Science )は、学校教育で進化論を明確に教えることを強く推奨しています。
しかし、つい最近まで進化論を教えることのなかった州もありますし、どのように教えるかは教師の自由として、いまだに教室で進化論を取り上げない教師が多い州もあります。
全米の高校の生物学の教師を対象とする調査と分析(National Survey of High School Biology Teachers, Pennsylvania State University)によると、授業で進化論を積極的に取り入れようとしない生物学教師は60%にのぼります。
これらの先生たちは、進化論とともに、神が生命を創ったとする創造論(creationism)も生徒に説明し、「どれを信じるかは個人が決めることである」「各種試験には進化論が出る」等の補足をすることで、起こりうる問題を回避しているとのことです。
そして、進化論を明確に教える教師は28%にとどまっています。
一方で、13%もの教師が創造論だけを授業で教えています。
私の住んでいるカリフォルニア州は、進化論の扱いが定着している数少ない州のひとつです。
実際に、私の子どもは、公立の学校の理科の授業のなかで、科学的理論として進化論を習いました。
また、厳しいカトリックの学校に移ってからも、進化論は科学の授業でしっかり習いました。
先生の手作りのプリントにも進化論についてかなり詳しく書かれていましたし、テストにも出題されました。
というのも、カトリックは、科学を柔軟に受け入れているからなのです。
理科の先生は、生徒たちに次のような説明をしました。
「進化論は、科学の理論です。一方で、私たちは、聖書に書かれてある神の創造を、宗教的に信じているのです。」
私は、宗教と科学の受け止め方の違いをはっきりさせるこの教え方には共感を覚えました。
いずれにせよ、宗教が教育の現場に大きく影響することは、日本人にとってはなかなか理解しがたいことです。

宗教国アメリカ

アメリカは、キリスト教に基づいて建国されました。
国家をひとつにまとめるための価値観として、宗教=キリスト教が必要でした。
もともと、ピューリタンたちが新大陸を目指したことを、旧約聖書の「出エジプト記」になぞらえました。
毎朝、子どもたちは学校で星条旗に向かって手を胸に当て、Pledge of Allegiance (忠誠の誓い)のなかで’One Nation Under God’(神のもとの一つの国家)と唱えます。
アメリカのドル紙幣には、’In God We Trust’(我ら神を信ず)と書かれています。
これらに対する議論があることは事実ですが、今すぐ修正されるような気配は全くありません。
アメリカは自由の国ですが、宗教に関してはキリスト教、それもプロテスタント中心の国なのだと認識することは、アメリカ社会を理解するためにとても重要なことなのです。』 】
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まともな死の新聞記事   文科系

2019年03月29日 18時19分21秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
 全く珍しく、新聞でまともな死の記事を読めたように思う。28日の中日新聞記事に「死とは何か」を講義してアメリカはイエール大学で大人気を続けてきたという教授を1面と最終面とに登場させて語らせているが、その末尾の言葉はこうなっていた。
『私は身体が朽ちても魂は生き続けるという考え方に賛成しない。考えたり、恋をしたり、創造したりといったことは、物体にはない私たちの身体機能の一部だ。死とは、身体が壊れ、こうした機能も果たせなくなること。それが全てだ。だからこそ、死を考えることは、どうすれば人生の価値を高められるかを考えることにつながる』

 こういうまともな記事が新聞でなんと少なかったことだろう。古くさい宗教欄ばかりがでかでかと続いてきて、そういう死生観だけを紹介する新聞のやり方を僕はここでずっと、こう批判してきた。「人間誕生について進化論を教えず、聖書の創世記だけを教えるアメリカのいくつかの州の教育と同じだ」と。進化論の死生観こそ僕には、上の教授のような死の見方、考え方に近づいて行くものと思えるからである。因みに僕はここで、こんなことを書いたこともある。
『人間の身体から離れて、それと別物として魂の存在を認めれば、その魂の創造者が容易に生まれることになっていく』
 だからこそ、上記ケーガン教授のこの言葉は決定的に大きな意味を持つことになるのだと考える。
『私は身体が朽ちても魂は生き続けるという考え方に賛成しない。考えたり、恋をしたり、創造したりといったことは、物体にはない私たちの身体機能の一部だ』

 日本人は、もっともっと死にまともに向き合っていくべきだ。もちろん、よりよく生きるために、である。新聞の宗教欄も従って、広く死生観のようにあるべきだと思う。つまり、無神論も同列に並べるべきであると。
 
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随筆  『俺の「自転車」』    文科系 

2019年03月28日 01時35分31秒 | 文芸作品
 今七十七になる俺は、週に三回ほど各十キロ近くランニングしている。その話が出たり、ダブルの礼服を着る機会があったりする時、連れ合いがよく口に出す言葉がある。
「全部、自転車のおかげだよね」。
 この礼服は、三十一歳の時、弟の結婚式のために生地選びまでして仕立て上げたカシミアドスキンとやらの特上物である。なんせ、俺の人生初めてにして唯一の仮縫い付きフル・オーダー・メイド。これがどうやら一生着られるというのは、使い込んだ身の回り品に愛着を感じる質としてはこの上ない幸せの一つである。よほど生地が良いらしく、何回もクリーニングに出しているのに、未だに新品と変わらないとは、着るたびに感じること。とこんなことさえも、「生涯自転車」の一因になっているのだ。

 初めて乗ったのは小学校中学年のころ。子供用などはない頃だから、大人の自転車に「三角乗り」だった。自転車の前三角に右足を突っ込んで右ペダルに乗せ、両ペダルと両ハンドル握りの四点接触だけで漕いでいく乗り方である。以降先ず、中高の通学が自転車。家から五キロほど離れた中高一貫校だったからだ。やはり五キロほど離れた大学に入学しても自転車通学から、間もなく始まった今の連れ合いとのほぼ毎日のデイトもいつも自転車を引っ張ったり、相乗りしたり。
 上の息子が小学生になって、子どもとのサイクリングが始まった。下の娘が中学年になったころには、暗い内からスタートした正月元旦家族サイクリングも五年ほどは続いたし、近所の子ら十人ほどを引き連れて天白川をほぼ最上流まで極めたこともあった。当時の我が家のすぐ近くを流れていた子どもらお馴染みの川だったからだが、俺が許可を出した時には、文字通り我先にと身体を揺らせながらどんどん追い越していった、あの光景! 
 この頃を含む四十代は、片道九キロの自転車通勤があった。これをロードレーサーで全速力したのだから、五十になっても体力は普通の二十代だ。自転車を正しく全速力させれば、腕っ節も強くなるのである。生涯最長の一日サイクリング距離を弾き出したのもころ。知多半島から伊良湖岬先端までのフェリーを遣った三河湾一周の最後は豊橋から名古屋まで国道一号線の苦労も加えて、実走行距離は百七十キロ。
 その頃PTAバレーにスカウトされて娘の中学卒業までこれが続けられたのも、その後四十八歳でテニスクラブに入門できたのも、この自転車通勤のおかげと振り返ったものだ。

さて、五十六歳の時に作ってもらった現在の愛車は、今や二十年経ったビンテージ物になった。愛知県内は矢作川の東向こうの山岳地帯を除いてほぼどこへも踏破して故障もないという、軽くてしなやかな品だ。前三角のフレーム・チューブなどは非常に薄くて軽くしてあるのに、トリプル・バテッドと言ってその両端と真ん中だけは厚めにして普通以上の強度に仕上げてある。いくぶん紫がかった青一色の車体。赤っぽい茶色のハンドル・バー・テープは最近新調した英国ブルックス社のもの。このロードレーサーが、先日初めての体験をした。大の仲良しの孫・ハーちゃん八歳と、初めて十五キロほどのツーリングに出かけたのである。その日に彼女が乗り換えたばかりの大きめの自転車がよほど身体に合っていたかして、走ること走ること! 「軽い! 速い、速い!」の歓声に俺の速度メーターを見ると二十三キロとか。セーブの大声を掛け通しの半日になった。
「じいじはゆっくり漕いでるのに、なんでそんなに速いの?」、
「それはね、(かくかくしかじか)」
 こういう説明も本当に分かったかどうか。そして、こんな返事が返ってきたのが、俺にとってどれだけ幸せなことだったか! 
「私もいつかそういう自転車買ってもらう!」
 そんなこんなからこの月内にもう二度ほどハーちゃんとのサイクリングをやることになった。二人で片道二十キロ弱の「芋掘り行」が一回、ハーちゃんの学童保育の友人父子と四人のがもう一度。前者は、農業をやっている僕の友人のご厚意で宿泊までお世話になるのだが、彼にも六歳の女のお孫さんが同居していて、今から楽しみにしているとか。

 ランニングとサイクリングの楽しさは、俺の場合兄弟みたいなものだ。その日のフォーム、リズム、気候諸条件などが身体各部の体力にぴったり合っているらしい時には、各部がぴったり合った最小限の力で気持ちよくどこまでも進んで行けるというような。そして、そんな時には身体各部自身が協調しあえていることを喜び合っているとでもいうような。自分の視覚や聴覚の芸術ならぬ、自分の身体感覚が感じ導く自作自演プラス鑑賞付きの、誰にでも出来る身体芸術である。
残り少なくなった人生だが、まだまだこんな場面を作り続けたい。そして、ランナーで居られる間は、続けられると目論んできた。自転車が五九歳にしてランを生み、退職後はランが自転車を支えて、まだまだ続いていく俺の活動年齢。
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随筆 「子育て現役」喜寿男   文科系

2019年03月28日 00時31分48秒 | 文芸作品
「ジイジ、池田さんに二重跳びを教えたんだって? 凄く喜んでたよ」。
 学童保育に二年生の孫ハーちゃんを迎えに行った帰りに、彼女が突然こんなことを言い出す。「池田さんがそう言ってたの?」と尋ね返すと、「今日、学級であった『最近嬉しかったこと』の発表授業で、ジイジのおかげで三回しかできなかったのが二十回を超えたと池田さんが発表したから、驚いた」。事実は、直前の日曜日にこんなことがあったというだけのことだ。パパが参加しているPTAバレーボールの練習に下の四歳男児の子守を頼まれて僕が同行した時に起こったことの一つなのである。

 同じようなことで、こんなこともすぐに思い出した。ハーちゃんの学童保育の一年上の女の子に水泳を教えた体験だ。この子の弟がハーちゃんと同じ教室、時間帯に通っていて、いつも見学に行く僕がそこで会っているご両親に「上の子もここに入れようかと考えている」と相談されたことがあった。何故か咄嗟に僕がこう応えてしまったのは、この家族が何か格別に気に入っていて、娘家族との付き合いが続くようにと願ったからのようだ。「この教室は良くないし、この年で入門するのは心理的にどうも? 僕が教えようか?」と。そして、二か月ほど合計十回ちょっとの個人レッスンで、この子が二五メートルを二〇本も、少々の間を置いて泳げるようになったのだが、このことには僕の方がよほど感動させられたもの。両親の、さらに上を行く喜びようは言うまでもなく、両家族のパーティーとか、家族サイクリングとかにも繋がっていった。もちろん、僕も招待されて。という以上に、家族サイクリングなどは僕の発案によるものだった。

 さて、これら全てを今振り返ってみれば、娘の長期戦略の結果なのだ。幼少期から自分が僕にされたことを覚えていて、そんな僕を忙しい共働き生活の中に引っ張り込んだのである。今で言えば、下の四歳男児の保育園や学童保育の送迎(学童保育のお迎えが、今は週4日もあるのだ)、熱発お助けマンから、ママ友パーティーとか家族旅行とかの参加要請まで。それどころか、保育園や学校の行事参加にまで発展して行った。たとえばパーティーは僕の持参ワインを、家族旅行は「いざという時などの子守支援」を当て込んでいるのだろうが、これら全て何故ババでなく、僕に来るようになったのか? おそらく、僕の方が頼みやすかったのだ。それにしても、保育園、学童保育の夏季キャンプから、孫以外の子らの歓送迎会までって、ちょっと頼みすぎだろう? がこれも、今は明確にこんな狙いだったと理解すれば、僕も心から乗っていけるのである。好奇心が強く、子ども好きの僕を引っ張り出しておけば、孫やお婿さん、その周囲とより深く繋がってくれて、いろいろと好都合であると。 

そんなわけでさて、昨日は(ババが断ったから)五人の下呂一泊旅行から帰ったばかりで、この金曜日にはハーちゃんを歯医者に連れて行き、月末には学童保育で親しんだ六年生の送り出し会、新年度すぐに保育園の山の家キャンプがあって、ゴールデンウイークにはまた家族サイクリング。今年七八歳の僕だが、こんなに楽しめる老後になるって、想像もできなかった。今は一時間で九キロほどと遅くなったランナーの体力だが、こういう全てにこれほどに役立つことになろうとも、全く予想していなかったことだった。
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再掲、書評「サピエンス全史」(4)「現代の平和」に起こったある論争  文科系

2019年03月26日 08時41分11秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
【 「サピエンス全史」書評で起こった論争  文科系
2019年01月21日 | 書評・番組・映画・演劇・美術展・講演など

 「サピエンス全史」書評の旧稿紹介について、これを初めて紹介した時に起こったある戦争論の論争をご紹介しよう。日本人なら常識になっているような「人類史論から見たら誤った戦争論」を反論された方がおられたからだ。
 さらにまた、以下の僕は厳しい言葉で応えてはいるが、このお相手SICAさんにはとても感謝している。しっかりした、内容も簡潔明瞭な文章を書かれて、この書の内容の深さを掘り起こして下さったとも言えるからである。げに、人間、人類の明日に臨むに際して、過去の歴史を正しく知る事が大切かという事だろう。ただし、歴史をきちんと知る事はものすごく難しい。それはどうしてなのか。その秘密の最大の柱をこそ、以下の論争からお分かりできるようにと願っている。


【 Unknown (sica)2017-05-03 16:00:44
『現代は史上初めて、平和を愛するエリート層が世界を治める時代だ。政治家も、実業家も、知識人も、芸術家も、戦争は悪であり、回避できると心底信じている』
これには「一般国民」は入ってないんですよね・・・
左翼勢力特有の傲慢さを感じるのは私だけでしょうか

Unknown (s)2017-05-04 04:34:16
私は
『現代は史上初めて、平和を愛するエリート層が世界を治める時代だ。政治家も、実業家も、知識人も、芸術家も、戦争は悪であり、回避できると心底信じている』
に疑問を呈しただけで、「政治指導層が平和を愛する心を持ったから戦争が少なくなった」より「戦争は損になる割合が多くなった」「核による恐怖の平和」という現実を認めているのなら、それほど反論もありません】

【 反論 (文科系)2017-05-04 19:05:49
 この文章に反論。
『私は「現代は史上初めて、平和を愛するエリート層が世界を治める時代だ。政治家も、実業家も、知識人も、芸術家も、戦争は悪であり、回避できると心底信じている」に疑問を呈しただけで、「政治指導層が平和を愛する心を持ったから戦争が少なくなった」より「戦争は損になる割合が多くなった」「核による恐怖の平和」という現実を認めているのなら、それほど反論もありません』
 これも、この歴史家が述べているような人類の過去の史実、人間の真実を知らなくって、現代の感覚で過去を見るから言えること。だからこそ、「この点に関して、過去の人類がどうだったかを貴方知っているのですか?」と怒って詰問した訳でした。
 貴方が嘲笑った文章のすぐ前にこう書いてあります。
『歴史上、フン族の首長やヴァイキングの王侯、アステカ帝国の神官をはじめとする多くのエリート層は、戦争を善なるものと肯定的に捉えていた』
 つまり、民主主義はもちろん、広範囲な統一国家も少ない時代では、我が部族だけが「人間」で、他は獣なのです。獣に対する人間の勝利は「我が信ずる神の栄光」も同じこと。こう理解しなければ奴隷制まっ盛りの時代なんて到底分からない訳です。
 こういう大部分の人類史時代に比べれば、「人種差別は悪」というような「民主主義のグローバル時代」では、どんな為政者も「戦争は悪」、万一必要と理解したそれでさえ悪となるわけ。つまり必要悪。


 追加です (文科系)2017-05-05 17:02:16
 追加します。
 こういう大事な史実一つを知っているかどうかで、現代史とその諸問題の見方もかなり変わってくるはずだ。現代世界政治で最も重要な民主主義という概念の理解でさえもこうなのだから。つまり、今の民主主義感覚で過去の人間も観てしまう。
 現生人類どうしでさえ、「自分の感覚で相手を捉えて,大失敗」とか、長年の夫婦でさえ、『相手がこんな感覚を持っていたとは今まで全く知らなかった。人間って、違うもんだなー』なんて経験は無数にあるのだ。そして、相手と自分が違う点が認められた特にこそ、人間理解、自己認識が一歩進む時なのだ。ソクラテスが喝破したように「自分を知るのがいかに難しいか」と同じように「(過去の感覚との違いを認めてこそ)その時代の感覚を知ることができる」ということがいかに難しいかという問題でもある。
 だから僕は、このブログにこんなことも書いてきた。僕は時代劇なんてまともには観ない。すべて嘘だからだ。現代の感覚で過去の人間を見ている。現代人に、「士農工商」が華やかだった江戸時代前半の人々の対人感覚が分かるはずがない。
 時代劇なんて全て、当時の感覚からすればリアルさに欠けるはずである。
 むしろ、それをいい事に、現代のリアル感覚を書けないストーリー作家が時代劇を書くのだろう、などと。


 反論が書けなかった? (文科系)2017-12-21 18:14:17
 SICAさん、反論が書けなかったでしょ? ご自分の判断基準が、世界史から見たらいかにちっぽけな、狭いものかが、お分かりになりましたか。(この場合は僕が自分を誇っているのではありません。この著作に顕れた人類史を誇っていると言えるでしょう。・・・これは今回付けた文章です)
 このエントリーがベスト10に入ってきて、改めて読み直したもの。それでお返事。
 民主主義が正しいとか、一般的殺人が悪などとなったのでさえ、たかだかこの200年程のことです。200年前など、今のアメリカでは黒人を殺すことなど何ともありませんでした。人間ではなく、所有物だからです。ジャンゴという映画見たことがあります?

 こうして・・・ (文科系)2017-12-25 07:10:34
 こうして、例えば200年ほど前から民主主義がどう変化、発展してきたかが分からなければ、今後50年など何も見えてこないわけです。そういう人がまた「戦争は人間の自然、必然」などと語っているのでしょう。僕は、そのことが言いたかった。
 過去の世界変化がきちんと見えなければ、未来は予測も希望も出来ないということ。特に日本だけを見ていたり、20世紀になって初めて出来た世界の民主主義組織・国連も見えなければ、日本の明日も見えて来ないでしょう。】

(これで、このシリーズは終わりです。)】
コメント (3)
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再掲、書評「サピエンス全史」(3)続、現代の平和  文科系

2019年03月26日 08時23分26秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
 いま公立図書館で、「サピエンス全史」の貸し出し予約が列を成しているらしい。その書評の第3回目をお送りしたい。ここでのモチーフは、日本のネトウヨ諸君や、世界に今大流行の右翼ポピュリズムの愛国主義が世界史論から観たら誤りが多いということになろうか。

【 書評「サピエンス全史」(3)続、現代の平和  文科系
2017年05月07日 | 歴史・戦争責任・戦争体験など

「部族社会時代の名残がある時代には、戦争は善(悪ではなかったという程度ではない)だった」という文章を紹介した。今は防衛戦争を除いては、良くて「必要悪」になっていると、コメントで書いた。だからこそ、こう言えるのであるとさえ(これは僕が)書いた。
 防衛戦争でもないのに国民が熱狂したイラク戦争などは、太平洋戦争同様国民が欺されたから起こったというものだと。


 さて、今書いたことがこの時代の真実であるかどうか? もし真実だとすれば人間の未来は、戦争が地上から無くなるか、政権とマスコミが国民を欺し続けられるか、このどちらかだということになるが・・・。

 さて、この歴史学者の本「サピエンス全史」には、こういう歴史的知識が溢れている。暴力,戦争についてのそれを、さらに続けて紹介してみたい。
『ほとんどの人は、自分がいかに平和な時代に生きているかを実感していない。1000年前から生きている人間は一人もいないので、かって世界が今よりはるかに暴力的であったことは、あっさり忘れられてしまう』

『世界のほとんどの地域で人々は、近隣の部族が真夜中に自分たちの村を包囲して、村人を一人残らず惨殺するのではないかとおびえることなく眠りに就いている』

『生徒が教師から鞭打たれることはないし、子供たちは、親が支払いに窮したとしても、奴隷として売られる心配をする必要はない。また女性たちも、夫が妻を殴ったり、家からでないよう強要したりすることは、法律によって禁じられているのを承知している。こうした安心感が、世界各地でますます現実のものとなっている。
 暴力の減少は主に、国家の台頭のおかげだ。いつの時代も、暴力の大部分は家族やコミュニティ間の限られた範囲で起こる不和の結果だった。すでに見たとおり、地域コミュニティ以上に大きな政治組織を知らない初期の農民たちは、横行する暴力に苦しんだ。権力が分散していた中世ヨーロッパの王国では、人口10万人当たり、毎年20~40人が殺害されていた。王国や帝国は力を増すにつれて、コミュニティに対する統制を強めたため、暴力の水準は低下した。そして、国家と市場が全権を握り、コミュニティが消滅したこの数十年に、暴力の発生率は一段と下落している。現在の殺人の世界平均は、人口10万人当たり年間わずか9人で、こうした殺人の多くは、ソマリアやコロンビアのような弱小国で起こっている。中央集権化されたヨーロッパ諸国では、年間の殺人発生率は人口10万人当たり1人だ。』

『1945年以降、国家内部の暴力が減少しているのか増加しているのかについては、見解が分かれるかもしれない。だが、国家間の武力紛争がかってないほどまで減少していることは、誰も否定できない。最も明白な例はおそらく、ヨーロッパの諸帝国の崩壊だろう。歴史を振り返れば、帝国はつねに反乱を厳しく弾圧してきた。やがて末期を迎えると、落日の帝国は、全力で生き残りを図り、血みどろの戦いに陥る。・・・だが1945年以降、帝国の大半は平和的な早期撤退を選択してきた。そうした国々の崩壊過程は、比較的すみやかで、平穏で、秩序立ったものになった』
 こうしてあげられている例が、二つある。一つは大英帝国で、1945年に世界の四分の一を支配していたが、これらをほとんど平和裏に明け渡したと述べられる。もう一つの例がソ連と東欧圏諸国で、こんな表現になっている。
『これほど強大な帝国が、これほど短期間に、かつ平穏に姿を消した例は、これまで一つもない。・・・・ゴルバチョフがセルビア指導部、あるいはアルジェリアでのフランスのような行動を取っていたらどうなっていたかと考えると、背筋が寒くなる』
 この共産圏諸国の崩壊においても、もちろん例外はちゃんと見つめられている。セルビアとルーマニア政権が武力による「反乱」鎮圧を図ったと。

 こうして、どこの国でも右の方々が陥りやすい「社会ダーウィニズム」思想(無意識のそれも含めて)は、こういうものであると断定できるはずだ。世界史を知らず、今の世界でも自国(周辺)しか観ることができないという、そういう条件の下でしか生まれないものと。社会ダーウィニズムとは、こういう考え方、感じ方、思想を指している。
「動物は争うもの。人間も動物だから、争うもの。その人間の国家も同じことで、だから結局、戦争は無くならない。動物も人間も人間国家も、そういう争いに勝つべく己を進化させたもののみが生き残っていく」
 この思想が誤りであるとは、学問の常識になっている。
 今の世界各国に溢れているいわゆる「ポピュリズム」には、この社会ダーウィニズム思想、感覚を持った人々がとても多いように思われる。今のそういう「ポピュリズム」隆盛は、新自由主義グローバリゼーションの産物なのだと思う。

( もう一度、続く。「この書評で起こった論争」へと。)】
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「陰謀(論)」という愚かさ   文科系

2019年03月24日 09時16分04秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
 先ほど、以下のようなコメントを書いた。僕が最近よく書いている「米世界制覇と米中衝突」のエントリーに付けて。「9条」に釣られてここに良く来るネトウヨ諸君が「陰謀論」好きだからである。相手を、「陰謀論だ」と宣告して、批判できた気になっていることも含めて。以下のこのコメントをもう少し深めて続きを書いてみたくなった。

【 追加の一言 (文科系)2019-03-24 09:10:52

 ここに書いたアメリカの世界戦略方向、文中の「アメリカが作りつつある現世界のこういう方向、見方」について、重大な追加の一言を。

 これは、いわゆる陰謀というものでは全くない。陰謀というからには、「いつから、誰たちがこういう陰謀を企てたものを言うのか」というしっかりした定義が必要だからである。そもそも人類史の未来に関わるこんな大きな長期にわたる「戦略」など、だれが計画できるものでもないのである。アメリカの歴史的対外行動のいろんな物が合わさって、現在の計画ができてきたということであって、未来に向かっては、これも明日重大な変更が加えられるかも知れないのである。

 文中の一例を挙げて例えば、アメリカは以下のこのことを承知していたか?
「イラク戦争、シリア内乱はアメリカが起こしたものだが、そこの難民があれほど大々的にヨーロッパ諸国、その政治を乱し、ポピュリズムを伸ばすという事に繋がっていくから、アメリカにとって好都合である」と。
 確かに一部の人はこういう可能性在りと十分に知っていたとは思う。だからこそ文中に、僕はこう書いた。

『難民は、イラク、シリア、北アフリカなどから生まれているが、全てアメリカの軍事侵食の産物、結果と言える。単なる結果か、ヨーロッパを大混乱させる目的意識を持って難民を生み出したかは判別できないにしても。ただし、近年のアメリカ自身にこういう国際的経験があったことは確かである。アメリカ金融などが中南米諸国を上に述べたように荒らす度に、アメリカへの移民が急増していたという事実である』

 歴史上ずるずると起こってくるある大事件を、最初から計画的だったように語るのが、陰謀論。が、長期にわたる世界史的な出来事には、たとえ陰謀が絡んだとしても、それが全部ではないどころか、おそらく事件の本質的なことでも、かならずしもない。

 太平洋戦争やイラク戦争ももちろん、陰謀では説明できない。なによりも、戦争途中も含めて、どこかで引き返す道もあったはずなのだから。そこが歴史の難しい所、人間の努力のやりがいもある、ということなのだろう。 】


 そもそも陰謀と証明しようとするからには、ある事件のどの部分が陰謀なのかをはっきりさせねばならないが、長期にわたる世界史的事件などでは、これ自身が難しすぎるはずだ。太平洋戦争ひとつとっても、これを満州事変からの続きと観る人と、日米戦争からだけ観る人とでは、全く「陰謀の対象領域」自身が違うのである。同じものを観ても、観る対象領域が違えばその本質でさえ変わってくるのである。そんなことも分からず、踏まえずに「陰謀(論)」だと決めつけてみても何かまともなことを論じ、反論できたことには全くならないだろう。

 陰謀論と同じような論理として、宿命論とか目的論とかがある。何かの現象を結果から見て、こういう目的、宿命のためにこの人々は動いてきたと論ずる論法である。そういう「事実認定」をすれば当然、人は未来もそう動くということになる。例えば、人類に争いばかりを観る人が、「明日も全く同じように争っていく。人類社会の戦争は無くならない」という社会ダーウィニズムに陥るような誤りだと思う。人に罪だけを、あるいは愛だけを観れば、性悪説、性善説が生まれるようなものだろう。
 同じように、陰謀論の論理、やり口は実に単純であってこういうものだ。ある事件の原因(のすべて)を、その事件の最初に関わっていた主要人物の心の中に求めたというだけのこと、目的論的な論理だ。人類史の出来事は、宿命論、陰謀説など、目的論的に説明できるような単純なものは何一つ存在しないと言って良いと思う。ごくごく単純な事件、凶悪犯にも、生い立ちなどの情状酌量もありうるようなものだろう。最近の日本の裁判は、世界でも珍しく情状酌量がどんどん薄くなっているようだが・・・・。
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再掲、書評「サピエンス全史」(2)現代の平和  文科系

2019年03月24日 08時32分39秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
 連載の2回目をご紹介する。明日は3回目と、この書評で起こったSICAさんという方との論争とを合わせて紹介したい。良い質問だったから、良い討論ができたと考えているからだ。


【 書評「サピエンス全史」(2)現代の平和  文科系 2017年05月03日 | 書評・番組・映画・演劇・美術展・講演など

『暴力の減少は主に、国家の台頭のおかげだ。いつの時代も、暴力の大部分は家族やコミュニティ間の限られた範囲で起こる不和の結果だった。すでに見たとおり、地域コミュニティ以上に大きな政治組織を知らない初期の農民たちは、横行する暴力に苦しんだ。権力が分散していた中世ヨーロッパの王国では、人口10万人当たり、毎年20~40人が殺害されていた。王国や帝国は力を増すにつれて、コミュニティに対する統制を強めたため、暴力の水準は低下した。そして、国家と市場が全権を握り、コミュニティが消滅したこの数十年に、暴力の発生率は一段と下落している』

『これらの諸帝国の後を受けた独立国家は、戦争には驚くほど無関心だった。ごく少数の例外を除けば、世界の国々は1945年以降、征服・併合を目的として他国へ侵攻することはなくなった。こうした征服劇は、はるか昔から、政治史においては日常茶飯事だった』

『1945年以降、国家内部の暴力が減少しているのか増加しているのかについては、見解が分かれるかもしれない。だが、国家間の武力紛争がかってないほどまで減少していることは、誰も否定できない』

 最後に、こういう現代の現象を学者達はうんざりするほど多くの論文で説明してきたとして、4つの原因を挙げている。
①核兵器によって超大国間の戦争が無くなったこと。
②人的資源とか技術的ノウハウとか銀行とか、現代の富が複雑化して、戦争で得られる利益が減少したこと。
③戦争は採算が合わなくなった一方で、平和が他国からの経済的利益を生むようになったこと。
④そして最後が、グローバルな政治文化が生まれたこと。以上である。

 今回の最後に、こんな文章も上げておく意味は大きいだろう。
『2000年には、戦争で31万人が亡くなり、暴力犯罪によって52万人が命を落とした。犠牲者が1人出るたびに、一つの世界が破壊され、家庭が台無しになり、友人や親族が一生消えない傷を負う。とはいえ、巨視的な視点に立てば、この83万人という犠牲者は、2000年に死亡した5600万人のわずか1・48%を占めるにすぎない。その年に自動車事故で126万人が亡くなり、81万5000人が自殺した』

 もう一つ、こんな文章もいろいろ考えさせられて、興味深いかも知れない。
『(これこれの部族は)アマゾンの密林の奥地に暮らす先住民で、軍隊も警察も監獄も持たない。人類学の研究によれば、これらの部族では男性の4分の1から半分が、財産や女性や名誉をめぐる暴力的ないさかいによって、早晩命を落とすという』

 なお、もちろん、以上これら全ての文章に、学者は学者らしく出典文献が掲げてあることは言うまでもない。

 (明日3回目と、これを巡って起こったある論争をご紹介する) 】
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再掲、書評「サピエンス全史」(1)野心的人類史  文科系

2019年03月24日 07時59分50秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
 今改めて、この本が世界の脚光を浴びています。NHKのBSだったかで、特集番組が組まれたりして。2年前3回に分けて書評拙稿を書きましたが、再掲いたします。

【 書評「サピエンス全史」(1) 文科系
2017年05月01日 | 書評・番組・映画・演劇・美術展・講演など

 書評「サピエンス全史」(1)野心的人類史

 例によって、要約付きの書評をしていくが、なんせこの本は題名が示すとおりハードカバー2冊合計500ページを優に超えてびっしりという大部なもの。ほぼ全部読み終わったが、人類史をその通りの順を追って紹介してみても仕方ないので、この本の特徴とか、目立った章の要約とかをやっていく。その第1回目として、この本の概要と特徴

 オクスフォードで博士号を取った40歳のイスラエル人俊秀の歴史学者が書いた世界的ベストセラー本だが、何よりも先ずこの本の野心的表題に相応しい猛烈な博識と、鋭い分析力を感じさせられた。中世史、軍事史が専門とのことだが、ネット検索にも秀でていて、古今東西の歴史書を深く読みあさってきた人と感じた。ジャレド・ダイアモンドが推薦文を書いているが、このピューリッツァー賞学者のベストセラー「銃、病原菌、鉄」や「文明崩壊」(当ブログにこの書の書評、部分要約がある。06年7月8、19、21日などに)にも匹敵する守備範囲の広い著作だとも感じさせられた。両者ともが、一般読者向けの学術書をものにして、その専門が非常な広範囲わたっている人類学者の風貌というものを成功裏に示すことができていると思う。

 まず全体が4部構成で、「認知革命」、「農業革命」、「人類の統一」、「科学革命」。このそれぞれが、4、4、5、7章と全20章の著作になっている。
「認知革命」では、ノーム・チョムスキーが現生人類の言語世界から発見した世界人類共通文法がその土台として踏まえられているのは自明だろう。そこに、多くのホモ族の中で現生人類だけが生き残り、現世界の支配者になってきた基礎を見る著作なのである。
 「農業革命」は言わずと知れた、奴隷制と世界4大文明との誕生への最強の土台になっていくものである。

 第3部「人類の統一」が、正にこの作者の真骨頂。ある帝国が先ず貨幣、次いでイデオロギー、宗教を「その全体を繋げていく」基礎としてなり立ってきたと、読者を説得していくのである。貨幣の下りは実にユニークで、中村桂子JT生命誌研究館館長がここを褒めていた。ただし、ここで使われている「虚構」という概念だが、はっきり言って誤訳だと思う。この書の中でこれほどの大事な概念をこう訳した訳者の見識が僕には疑わしい。哲学学徒の端くれである僕には、そうとしか読めなかった。
 第4部は、「新大陸発見」という500年前程からを扱っているのだが、ここで語られている思考の構造はこういうものである。近代をリードした科学研究は自立して深化したものではなく、帝国の政治的力と資源・経済とに支えられてこそ発展してきたものだ、と。

 さて、これら4部を概観してこんな表現を当てた部分が、この著作の最も短い概要、特徴なのである。
『さらに時をさかのぼって、認知革命以降の七万年ほどの激動の時代に、世界はより暮らしやすい場所になったのだろうか?・・・・もしそうでなければ、農耕や都市、書記、貨幣制度、帝国、科学、産業などの発達には、いったいどのような意味があったのだろう?』(下巻の214ページ



 日本近代史の偏った断片しか知らずに世界、日本の未来を語れるとするかのごとき日本右翼の方々の必読の書だと強調したい。その事は例えば、20世紀後半からの人類は特に思い知るべきと語っている、こんな言葉に示されている。
『ほとんどの人は、自分がいかに平和な時代に生きているかを実感していない』
『現代は史上初めて、平和を愛するエリート層が世界を治める時代だ。政治家も、実業家も、知識人も、芸術家も、戦争は悪であり、回避できると心底信じている』
 と語るこの書の現代部分をこそ、次回には要約してみたい。こんな自明な知識でさえ、人類数百年を見なければ分からないということなのである
。げに、正しい政治論には人類史知識が不可欠かと、そういうことだろう。第4部「科学革命」全7章のなかの第18章「国家と市場経済がもたらした世界平和」という部分である。

(続く)】
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今の安倍は、顔面蒼白、意気消沈か    文科系

2019年03月22日 20時38分24秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 今の安倍は、顔面蒼白、意気消沈ではないかと想像する。とうとう誰かにGPIFの金15兆円を奪われた。それが分かった時にこともあろうに、あわてて中国の習主席と会談して、元との通貨スワップ協定を結んでいる。日本にだけは免除してもらおうとおべっかを使っていたアメリカの、その金融世界戦略の輪郭が初めて理解できたからではないか。その世界戦略が、20日のここに書いた『米世界「制覇」と米中衝突の今後』なのだと思うが、これがやっと分かった安倍にはもう4選を闘う気力も湧いてこないだろう。メルケルが今まで示してきた世界の今後への深い憂い、悩み、苦労が、安倍にも今やっと分かったはずなのである。
「今は日本を金融世界支配体制へと巻き込んで行くためにも儲けさせてくれているが、やがてはアメリカにやられる!」

 それとも、この円元通貨スワップは、ドルの対元通貨戦争支援に向けて安倍が放った元自由化への布石でもあるのだろうか? 15兆円の損失を、近い将来中国から取り返すという、アメリカに命じられた布石?

 いずれにしても、全く主体性のない、アメリカの酷いやり口や命令にただ従うだけの情けなさ過ぎるポチである。 

 国民1人当たりGDPが世界30位と貧しくなった日本だからもう何の伝統も誇りも湧かない国になっているのだが、安倍、日本会議の「日本の誇り」などそんな程度の低脳なものなのである。

 実に哀しい21世紀の日本政治である。
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日本衰退は対米服従の結果  文科系

2019年03月21日 05時42分30秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 18日には、安倍政権による統計不正の全貌がこう見え始めたと以下に紹介する「書き出し」で書いた。国家の経済基幹統計全体の凄まじいまでのこの書き直しは、どういう事情から、何故起こったのか。国民1人当たりGDPが、90年代半ばには一桁の中ほどの日本国だったものがわずか20年で世界30位へと落ちてしまったからだ。この貧困化を隠して権力を維持するための大がかりな偽装工作なのである。

 さてそれでは、日本は何故これほどに貧しくなったのか。その事情を20日のここに書いた。日本と言うよりも、世界の国々がアメリカ金融に搾取されて来たのである。リーマン・ショックであれほど世界をどん底に落としながら(否、落としたからこそ)、この米金融による世界搾取はさらに大がかりに続いて来たのだった。昨年末も日本GPIFの基金が15兆円の穴を空けたというように。

 18日と20日の僕としてとても重視している大事なエントリーのそれぞれ前文のみを、以下に再掲させて頂く。リーマンショックの後国連で論議されながら骨抜き未遂に終わった世界金融規制が進まなければ、世界人類がアメリカ金融帝国の奴隷になるだろう。チョムスキーはそう予言している。新たな世界経済動向には新たな法が必要だが、今世界に必要とされている金融規制は国連による世界的規制規模でしかできないものである。また、法というものは常に、新しい事態への後からしか追いついていかないものでもある。だからこそアメリカは冷戦終了以降、国連無視をどんどん強めてきたのだった。新たな金融規制など絶対に認めないということだ。よって、大米帝国による世界統一は意外に合理性を持って進められていると、これは以下の後者の文中にも見えるように、チョムスキーの言葉、認識でもある。


【 エンゲル係数からGDPまで、政権の統計不正  文科系  2019年03月18日 | 国内政治・時事問題

 安倍政権の統計不正はどうも、「経済数値を密かに改竄した」クーデターとも言うべき様相を呈してきた。以下に観るようにきわめて深刻に。
『安倍が政権に返り咲いた直後の13年以降、全56件の基幹統計のうち、53件の統計の取り方が見直された。うちGDP関連は38件で、10件は統計委で審議されずに見直されたという』
 毎月勤労統計、『修正エンゲル係数』、家計調査における高消費世帯方向への世帯サンプルの見直しから、GDPの嵩上げまで、その凄まじい改竄の全貌がやっと見え始めて来た。
こう言う全貌を元自民党平野貞夫氏は「故意」と断定し、「経済クーデター」と呼んでいる。対するに、特別監察委員会のまとめ報告書に、それも2回目のものに、曰く。
『嘘をついているが隠蔽じゃない』?? 】


【 米世界「制覇」と米中衝突の今後  文科系  2019年03月20日 | 国際政治・時事問題(国連・紛争など)

 アメリカのチョムスキーの著作に「覇権か生存か──アメリカの世界戦略と人類の未来」という本がある。世界の学者たちの論文などでプラトンと聖書についで引用されることが多い大言語学者にして、哲学者、政治論者が書いたこの本では、題名通りの「世界政経の今後、二者択一」が予言されてある。この「二者択一」が現状では、かなり悲観的な形で実現されつつあると、僕は世界を見始めた。この著作の最終第9章「つかのまの悪夢なのか?」から抜粋すると、こんなふうに。
『今、生存への脅威を強めているのは、市場原理主義のもたらす過酷な結果を和らげるために作られた制度を弱体化させるのみならず、こうした制度を支える同情と連帯の文化をもむしばもうとする努力なのである。
 これらは全て、恐らくそれほど遠くない未来に起こる惨事のための処方箋である。だが、もう一度言うが、支配的な理論と制度の枠内では、一定の合理性を持っている』

(同書、集英社新書版334ページ)

 チョムスキーの本は常に難解だが、上記文言の内容はこういうものである。市場原理主義は、いわゆる社会福祉や、その背景思想である基本的人権の公的保障など『(近代人類が生んできた民主主義思想に含まれた)同情と連帯の文化』をば、『むしばもうとする努力』を常に同伴させてきた、と。しかも、この世界史の流れが『支配的な理論と制度の枠内では、一定の合理性を持っている』という警告までが付されているのである。
 なお、アメリカが作りつつある現世界のこういう方向、見方は、ここでも紹介した世界のベストセラー『サピエンス全史』がその末尾の方で警鐘しているものとほぼ同じだ。つまり、ユバル・ノア・ハラリもチョムスキーと同じ警告を発しているということである。世界大米帝国では格差がさらに進み、その大部分の底辺の人々は、近代国家が営々と築き上げてきた社会福祉の思想、その基礎となる基本的人権はもちろん、生存さえもおぼつかなくなるということである。チョムスキーの「覇権か生存か──アメリカの世界戦略と人類の未来」というのは、正にそういう意味である。

 以下は当面、ごく簡単な進行中の世界政経図の素描だが、世界の今後を見ていくひとつの目、図式にもなるはずだ。 】
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米世界「制覇」への米中衝突と、日本  文科系

2019年03月20日 09時19分08秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 アメリカのチョムスキーの著作に「覇権か生存か──アメリカの世界戦略と人類の未来」という本がある。世界の学者たちの論文などでプラトンと聖書についで引用されることが多い大言語学者にして、哲学者、政治論者が書いたこの本では、題名通りの「世界政経の今後、二者択一」が予言されてある。この「二者択一」が現状では、かなり悲観的な形で実現されつつあると、僕は世界を見始めた。この著作の最終第9章「つかのまの悪夢なのか?」から抜粋すると、こんなふうに。
『今、生存への脅威を強めているのは、市場原理主義のもたらす過酷な結果を和らげるために作られた制度を弱体化させるのみならず、こうした制度を支える同情と連帯の文化をもむしばもうとする努力なのである。
 これらは全て、恐らくそれほど遠くない未来に起こる惨事のための処方箋である。だが、もう一度言うが、支配的な理論と制度の枠内では、一定の合理性を持っている』

(同書、集英社新書版334ページ)

 チョムスキーの本は常に難解だが、上記文言の内容はこういうものである。市場原理主義は、いわゆる社会福祉や、その背景思想である基本的人権の公的保障など『(近代人類が生んできた民主主義思想に含まれた)同情と連帯の文化』をば、『むしばもうとする努力』を常に同伴させてきた、と。しかも、この世界史の流れが『支配的な理論と制度の枠内では、一定の合理性を持っている』という警告までが付されているのである。
 なお、アメリカが作りつつある現世界のこういう方向、見方は、ここでも紹介した世界のベストセラー『サピエンス全史』がその末尾の方で警鐘しているものとほぼ同じだ。つまり、ユバル・ノア・ハラリもチョムスキーと同じ警告を発しているということである。

 以下は当面、ごく簡単な進行中の世界政経図の素描だが、世界の今後を見ていく目、図式にもなるはずだ。


1 米支配の現状

①GAFAの株価時価総額がドイツ一国のGDPを超えた。アメリカはここまで、この膨大な(バブル)資金で世界各国に侵食・侵略に努めてきた。各国の大企業株式や国家(資金)への侵食である。英米流の金融・株主資本主義は、物生産世界の制覇を目指して来た。ちなみに、人の職業は物作りの中にしかないのだが、一般に金融はその職業を減らす必然性を持っている。世界に若者失業者や不安定労働者ばかりが増えたのもそのせいである。

最近日本でさえ年金基金が15兆円近い損失を出したが、①が起こしたことに違いない。ましてや、中南米などは企業のみならず、通貨戦争を通じて国家資金などさえ、すでにほとんど侵食されているはずだ。中南米諸国などに相次いだ右傾化の背景にも、このことがある。そしてこの中南米では今、この支配に属さないベネズエラ、ボリビア、キューバなどに新たな攻勢が掛けられつつある。この攻勢は、ベネズエラに見えるように軍事をちらつかせながらの攻勢である。

③イギリスの離脱などEUの困難、揺らぎも、アメリカが起こしたもの。引き金の一つギリシャ危機にもゴールドマン・サックスの工作があったとは、知る人ぞ知る話だし、EUを難民問題でもって今もなお、さらに瓦解させつつある。難民は、イラク、シリア、北アフリカなどから生まれているが、全てアメリカの軍事侵食の産物、結果と言える。単なる結果か、ヨーロッパを大混乱させる目的意識を持って難民を生み出したかは判別できないにしても。ただし、近年のアメリカ自身にこういう国際的経験があったことは確かである。アメリカ金融が中南米を上に述べたように荒らす度に、アメリカへの移民が急増していたという事実である。


2 米世界支配下の各国、世界に起こること

①石油などの重要資源や富も、アメリカが活用する各国一部勢力に集中する結果として、超格差が進む。典型例として、昔からのサウジとか、新たには南米の大国ブラジルとかのように。なお、今の日本も、こういう例の一つになりつつあると思う。底辺が生存をさえ許されないような超格差になっていく方向を含んでいる。ちなみに、前記チョムスキー著作の題名「覇権か生存か」の「生存」とは、社会福祉の財源も奪われるということを含めて、そういう意味なのだ。

②国家資金収奪から医療福祉などの後退が起こる。例えば日本にある国民皆保険制度、最低医療保障制度などは瓦解させられるだろう。アメリカにはこういうものはないのだから。この問題でこそ、上記チョムスキーのこの表現を想起せざるを得ないのである。
『市場原理主義のもたらす過酷な結果を和らげるために作られた制度を弱体化させるのみならず、こうした制度を支える同情と連帯の文化をもむしばもうとする努力なのである』

③イラク戦争開戦などでもアメリカは国連を完全無視したが、この世界制覇が成功していけば、国連が実質アメリカの機関になるだろう。日本を筆頭とした米支配各国が、アメリカに従うからだ。今のベネズエラ問題で、メキシコ、キューバ、ボリビアなどを除いた中南米諸国が「マドロ、死ね!」と叫んでいるように。ただし、国連安保理ベネズエラ問題米提案は、常に否決されてきた。親米の南米諸国も、流石に軍事介入には常に反対して来た。アメリカの世界制覇への道はこうして、軍事力使用をいとわないものとも証明済みである。


3 米「覇権」への現段階、抵抗勢力

①中ロ、特に中国が、これだ。だから、両国の対立は、単なる貿易衝突などというものではない。この「物作り超大国」がため込んだ(貿易)黒字は今や「米覇権への最大の、かつ、急成長中の壁」になっている。この黒字分が金融戦争にも合理的に投入され始めれば、「物作りプラス金融」王国が出来上がるからである。つまり、物作りを捨てたアメリカには勝ち目はないことになる。

②この中ロがまた、ユーラシア大陸を西進して西欧と結びつく政経両用の道までを探求、造成してきた。のみならず、EUの柱ドイツは、明らかに離米親中の動きを示している。こういう意味でも、米世界覇権にとって最大の敵が中国なのである。この物作り大国の急成長を止められなければ、アメリカが国連に替わるような世界制覇は、夢に終わるだろう。

③米世界覇権を目指す対中方策が、唯一存在する。この国が成長し切らないうちに元をお得意の金融戦争、通貨戦争に持ち込んで勝利することだ。そのためには何が何でも元を自由化させねばならないがはて? この元への通貨戦争こそ、現世界情勢の焦点になっていくはずである。

④ちなみに、最近誰かに?15兆円を奪われた日本が中国元と通貨スワップ協定を結ぶという、とんでもないことが起こった。安倍首相が、習近平と直接会談を実現してまで。この珍事はいったい、以上の世界史文脈ではどんな意味を持っているのか? とにかく現世界史最重要の出来事だろう。
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