九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

是非読んで、本日中日記事  文科系

2017年11月30日 10時19分42秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 20日と、本日の中日新聞に、僕がずっと待望してきてもなかなか新聞にはなかったこんな記事が、本当に珍しく載った。20日には、こんな見出し。
『「物言う株主」続々名乗り 東芝増資、揺さぶりの可能性』

 そして、本日3面左上には、ある作家の講演という形で。見出しは
『日本もファンドの標的に 中日懇話会 作家・黒木亮さん講演』 
 こちらの内容はファンドが国家を食い物にしているというもの。例えば
『2001年に債務不履行となったアルゼンチンは、十五年にわたって米ファンドと闘った。十五年に発足した新政権が経済再建と外貨調達を優先し支払いに応じたが、米ファンドは投資額の十二倍のリターンを得た』
 僕としては、こんな遣り口さえも国際法では許されていることとして読んでみたいと思ってきた。この中にはまた、こんな下りもある。
『似たようなことは日本でも起きている。債権回収会社は銀行が投げ出した債券を買って全額回収にかかる。国内ファンドは力をつけており、米ファンドも日本に上陸してくるだろう』

 いやいや、この作家何を言っているのか。20日の記事は上のようなことを知らせているのに、ファンドの問題をごく限定してご披露しているにすぎないのだ。

 いまや、銀行が要らなくなるかの勢いがファンドにはあるのであって、東証の1日売買高の85%が外国投資家と国内個人投資家のマネーゲームという事実があるではないか。この全てが短期投資なのだから。

 マスコミも国際金融の動きを大いに国民に知らせ、国際金融規制の世論形成を急がなければ、まだまだどんな莫大な被害が起こっていくのか分からないという情勢のはずだ。国家ぐるみの大被害である。今は、GPIF、日銀が、大被害者にならぬようにと願うばかりである。リーマンで大被害を受けた大きな有名大学法人などのように。
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随筆紹介 「甥の家で」   文科系

2017年11月30日 07時27分38秒 | 文芸作品
 甥の家で   K・Kさんの作品です


「ほう!」、母は、甥の新居として建て直したその家を見上げて驚いた。老人ホームからの外出で、初めて甥の家を訪ねた時のこと。木造の古い実家を壊した跡地に、白い新居。母が「自分たちの住んでいた家が無くなった」、取り乱すかと心配したが、ほっとした。

「古い家は地震で倒れると困るから、建て直ししたよ」とは話していた。でも、実際に見た時の母の反応が不安だった。どこまで判っているのか? 前の家など忘れてしまったのか? その家で母は、共働きの娘夫婦を助け、甥の世話をした。その甥が結婚して、跡地に家を建てる事になるとは……。

 家の中へ。二歳の幼子は法被姿。「祭りなんだね」、母の弾んだ声。ふと気が付いて聞いた。「祭りの餅拾いに行ってみる?」「久しぶりだね。お宮さんの餅拾いは」、笑顔いっぱいで応えた。九十四歳の母は自分で歩くけれど、足元がおぼつかない。転ぶと危ないからと暫くは行ってなかった。神社まで二~三分をゆっくりと歩く。人波を避けて境内の隅の石に腰かける。「あの前に座り込んで割烹着の前を広げてね。下だけ見て拾ったものだ」、櫓を見上げて自慢げに言う。

 花火の合図で餅投げが始まる。「ここまでは飛んで来ないね」残念そう。そこへ、餅が一個転がって来た。私は素早く拾って母の手に。でも「一つかね」物足りなさそう。そう言われて私は頑張った。一〇分後、五個取れた。母は大事そうに両手で包む。甥の家で休憩してホームへ送る。仲間に「餅拾いに行ってね。この子が取ってね。楽しかったよ」、話していた。
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ハリルジャパン(141)日本サッカー、世界的現段階 ①  文科系

2017年11月29日 13時49分39秒 | スポーツ
 標記のご大層な題名でものを考えられる時代が日本にもやってきたと思う。これには、2つの場面があると言える。一つが、W杯を頂点とした日本代表の海外代表との対戦。今一つが、日本代表クラブの世界との対戦

 前者については98年から5大会連続で出ているのは褒められるにしても、やっと16強になったのが2回では、大きなことは言えない。が、後者については、そろそろ大きなことが言える時代が来たのだと、そこを強調したい。以下のような事実を前にして、いつまでも「日本よりも、ヨーロッパだ南米だ」と壊れたレコードのような言葉を繰り返していても既に無意味という連載をやってみる。個人のプレーなどの一面からだけ観て、サッカー組織の証拠も上げずに語る論調などは、サッカー向きのものではないと言うしかないのである。

 ACLの日本は、この3年ほど急激に強くなった。まず、その証言、証拠を示そう。
 一昨年12月の広島、昨年12月の鹿島、今年は浦和と、日本クラブがこの10年ほどの沈滞を破り始めたのである。
 なんせ、この9年はACL(アジアチャンピオンズリーグ)優勝者にすらなれなかったのだから、お話にならない。近年のACLではまず日本が昔から弱かった韓国勢に負け、次いで世界的名監督、名選手を集め始めた中国に負け続けた。ところが、一昨年広島が、昨年は鹿島がそれぞれ開催国枠によって世界代表クラブ戦に出場して大活躍した。そして今年、9年ぶりの日本クラブ・浦和優勝である。

 広島は、アフリカのマゼンベとアジアの代表広州恒大を負かして、南米代表クラブ、リーベルプレート(アルゼンチン。今をときめくライオネル・メッシが子ども時代に育ったクラブである)に0対1と惜敗して3位。
 そして昨年はとうとう、鹿島が南米チャンピオンを負かしたのだった。コロンビアのアトレティコ・ナショナルを3対0で破ってアジア勢で歴史上初の2位。そして決勝では、欧州チャンピオン、レアル・マドリーと90分内2対2の同点。これらの戦いは何れも激戦であったが、どうみても国代表の戦いの先を行っていると、人は観ることができるはずだ。

 さて僕にとってのこの問題意識は、こういうことである。
①この10年、日本クラブはアジア内部でもどう弱くなっていたのか。そして、ここ数年そこをどう克服できたのか。
②このような日本クラブレベルの躍進が、国代表にも必ず影響してくるはずだが、今後の代表強化に向かってどういう好影響が期待できるのか。


 この連載は4回ほど続けるつもりだ。重要なゲーム分析を載せる必要があるからである。一昨年広島のマゼンベ戦とリーベルプレート戦、昨年鹿島のアトレチコ・ナショナル戦とレアル戦、今年の浦和の上海上港戦、アルヒラル戦などのことである。
 ついでに言っておくが、僕はこれらのゲームを全部生放送で観た。そして、このブログにこれらの観戦記全てが書いてある。


(あと3回ほど続きます)
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ハリルジャパン(140) 中島翔哉、8ゲームで6得点  文科系

2017年11月28日 03時46分31秒 | スポーツ
 僕が注目してポルトガルまで追っかけて行った中島翔哉が、また1ゲーム2得点を上げた。これで8ゲーム6得点、個人得点ランク5位である。

 今期途中から入った中島に比べて、他の上位選手はみんな12~11ゲームを消化しているから驚異のペースであって、チームもぐんぐん上昇して9位。このポルトガルは最新世界ランクでは3位の国だから、中島の得点力評価も世界的に鰻上りと言って良いはずだ。まだ23歳になったばかりだし。このゲームでは、岡崎と同じように守備の任務も立派に果たしていたと伝えられたし。身長164センチでも、守備は立派に出来るのである。相手の下身体にぶつかるような感覚で行けば互角に闘えるとは、日本人なら舞の海で先刻ご承知のこと。日本のFWの全く新しい形を作るかも知れない。日本人の特長であるアジリティーあふれて小回りも利くドリブルがある上に、ゴールに向かって左45度からの中距離シュートという得意な形まで持った選手である。

 中島を長くレギュラーに引き揚げなかった城福監督などFC東京首脳陣は一体何を考えていたのだろう。この選手を中心にチームを作っても良い程の力といえたのに、それが見えなかったのである。東京の順位が落ちていくのを見る度に、そんな事を考えたものだ。前田、大久保を採って、永井までとったのに・・・この今の体たらく。

 

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随筆  「小学一年、大人との距離感」    文科系

2017年11月28日 03時35分27秒 | 文芸作品
 小学一年になった孫のハーちゃんはピアノを習っていて、今は両手で初歩的な曲が弾けるようになったところ。今日も練習を見てやっていると、途中でこんなことを言う。「じじ、ピアノ弾けんでしょう?」。僕が習っているクラシック・ギターをいつも聞いているのに、ギターとピアノが楽譜さえ非常によく似ているのは知らないのである。旋律をいろんな和音で飾っていく数少ない楽器同士なのである。そこで、練習を中断してこんなことをやった。彼女の今終わりかけの教本の最後の方を片端から順にずんずん弾いていく。ただし、ミスしないように伴奏なしの単音旋律だけ、ギター弾きなら誰でも初見楽譜でも、簡単なことなのだ。時々譜面を覗いたりしてしばらく静かに聴いていたから、僕が驚いた。ちょっとは大人の世界をのぞかせられたのかな?

 保育園のお迎えの時などにやっていて彼女が名付けた「パンチ遊び」というものを、僕がお迎えに行く学童保育でもすぐにやってみたという、その光景も思い出す。両脚を広げて腰を落とした僕が、サンドバッグよろしく腹筋を子どもらにパンチさせる遊びだ。ボクシングの拳の作り方と、打撃時の足腰の使い方なども初めから教えたから、少々本格的なスポーツにもなっている。これを、四年生までは我も我もとやりたがる。因みに、それより上になるとどういうか「子どもじゃないよ! 遠慮します」という感じが面白いのだが、とにかく学童保育では女の子も含めて大人気なのだ。そして、パンチの後には必ずこんな質問、「効いた?」。そんな事は、子どもら一人一人がもう分かるはずなのだ。身体が入って体重が乗った会心の一撃は、手腕肩に「そういう余韻」が残って、手も全く痛くないし。なんせギリシャの昔からの男のスポーツ。今ならアニメやゲームの影響もあるのだろうが、今でも迎えに来た僕を見つけると三人、四人と挑戦してくる。僕の方は人間の腹筋が思う以上に強いものだと知ったのだが、ランニング練習のジムでウエートトレーニングも一通りやっているからなのか、四年生ぐらいなら大丈夫なのだ。
 こういう遊びを学童保育で始めた時のハーちゃんの感嘆ぶりこそ、僕がおったまげたもの。集まってきた上級生らの顔を見上げながら、周囲を飛び回っている。〈彼女が遊んでもらいたくて仕方ない三~四年生までが自ら希望してこの半年ずっとずらずら並ぶのだから、指導員先生でもなかなか作れる光景じゃないだろうな……〉。

そんな「パンチ遊び」を終えた秋のある日。お迎え帰りの自動車の中で、
「ジイジって、七十六歳だよね?」。「そうだよ。何かあったの?」。「先生が訊くからそう答えたら『うそーっ?』って言ったんだよ。別の先生が本当だよって言ってくれたけど」。「でももーお爺さんだよ。運動会の駆けっこなら、ハーちゃんに負けるかも知れない」。「ジイジはお爺さんじゃないよ。お父さんだよ。先生もそう言ってるし。パンチにもあんなに強いし。いつも走ってるし。ギターも弾けるし、……ちょっと痩せぽっちだけどね」。
 その時の僕の気持ち! 毎日当たり前のようにやっていることを褒められても嬉しくないのだが この時ばかりは違った。だからこそ、一言。「僕が痩せぽっちなんじゃないの。パパ、ママがお腹も出て来たし、ふっくらし過ぎなの。分かる?」。そう、今の中年以上が皆太りすぎで、僕が大学生のような身体なのだ。それが、現代日本の普通の大人の認識。
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米北チキンレースに「リメンバー、イラク戦争!」    文科系

2017年11月27日 09時22分36秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 北とアメリカとのチキンレースは、一体どうなるのか。これを見守るにつけても、イラク戦争開戦が、それ以降世界の今に遺した後遺症を人々が思い出すべきだと思う。「大量破壊兵器」という嘘の理由をでっち上げて国民を熱狂させてまで開戦したイラク戦争。この戦争は同時に、国連破壊の確信犯行だったと言う側面もある。その今日までの次第を改めて追ってみよう。戦争はいかに大悪であるか

9・11のアルカイダは、元々はアメリカがアフガニスタンにおいて創り育てたもの。そして、イラク戦争開戦時のあの熱狂ぶりを思い出すと、ぞっとする。嘘の理由をでっちあげて強引に持ち込んだ開戦であった。

②後遺症も含めた大罪が凄い。難民や、そのキャンプ以降の生活・運命やによる関連死含めて50万という国際調査団結果もある死者数。イタリア、スペイン、イギリスなど、当時の有志参戦国政権がほとんどつぶれたこと。IS国などのテロを世界中に喚起したこと。膨大な難民を生みだして、EU混乱やイギリスのEU離脱にも繋がったこと。などなど、この戦争は21世紀世界をどれだけ大きく換えてしまったことだろう。

③そして、世界の未来への影響という点では、なによりも国連無視。という以上に、「米軍主導の『国際警察』」で国連に換わる「指導者」にアメリカがなろうとした国連破壊行動だったのだと愚考したものだ。1990年の冷戦終結以降一強になってすぐに起こった湾岸戦争から、アメリカの国連無視が酷くなるという姿勢がずっと一貫しているのである。ちなみに、「史上かってない大連合」と、ラムズフェルトがイラク戦争有志国連合について獅子吼したのも有名な話だ。中ロを除いたG7運営も、これと同じ発想なのだろう。なお、米軍事費はいつの間にか冷戦時代の2倍になって年間60兆円、日本の国家予算の実に3分の2になった。

④以上の世界政治史的意味は、開戦時の国連総会アナン演説に何よりも雄弁に示されている。以下の言葉の歴史的意味は限りなく重いと振り返ることが出来る。読者には是非、以下を熟読玩味されたい。

『「私たちはいまや大きな岐路に立たされています。国連が創設された1945年にまさるとも劣らない、決定的な瞬間かも知れないのです」
 2003年9月23日、第58回国連総会開会日の冒頭演説で、アナン事務総長はそう述べた。その年の3月にイラクで戦争を始めたアメリカを、名指しではなかったものの厳しく批判した直後である』

『「今日に至るまで、国際の平和と安全に対する幅広い脅威と戦い、自衛を超えた武力行使をすると決める際には、唯一国連だけが与えることの出来る正当性を得なければならないという理解でやってきました」。にもかかわらず、先制攻撃の権利といった根拠で武力を行使する国が現れた──。
 それは「いかに不完全であれ、過去58年間、世界の平和と安定のために頼りにされてきた大原則に根底から挑戦するものなのです」と彼は言う。つまり、「単独主義的で無法な武力行使の先例を作ってしまうもの」なのだと言うのである。アメリカにとっては厳しい批判だが、総会議場は長い拍手に包まれた』
以上、「国連とアメリカ」(最上敏樹・国際基督教大学教授 2005年刊)

⑤対するに、アメリカ政府の正式なイラク戦争総括は今日現在までなにも無い。イギリス・ブレアの反省に比べて、犯罪的だと思う。国連、世界平和を重視するアメリカ国民、他国民の責任は、今限りなく重くなっている。ちなみに、アメリカ国民は今こそ、ケネディ大統領の六一年国連総会演説を思い出すべきだ。
『戦争にとって代わる唯一の方法は国連を発展させることです。……国連はこのあと発展し、われわれの時代の課題に応えることになるかもしれないし、あるいは、影響力も実力も尊敬も失い、風と共に消えるかもしれない。だが、もし国連を死なせることになったら──その活力を弱め、力をそぎ落とすことになったら──われわれ自身の未来から一切の希望を奪うに等しいのであります』



 こうして今考えると、アメリカはイラク戦争によって国連に換わるような世界の盟主になろうとして失敗したのだと思う。そういう起死回生の無謀な大ばくちが失敗した。65兆ドルの国家累積赤字、冷戦時代の2倍になった年間軍事費、経済の衰退、そして何よりも世界に決定的な不信感を与えたということ。トランプアメリカが示しているのは、もはや衰退しつつある帝国における種々の末期的症状ということでもあろうか。世界の彼への不信の目が、これを何よりも雄弁に物語っている。
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ハリルジャパン(139) 祝、浦和、アジアクラブチャンピオン、その訳  文科系

2017年11月27日 09時01分38秒 | スポーツ
 浦和がアジアクラブチャンピオンになった。日本チームのこれは確か9年ぶり? この10年、初めは韓国、次いで中国クラブにいつも敗れて、ACLを重視してきた僕がどれだけ悔しい思いをしてきたか。それが何故、ここ1、2年強くなったのか? この戦いの上にこの12月も世界クラブチャンピオン決定戦があって、去年のここで鹿島が南米クラブを破って準優勝した。日本のクラブはやっと自分にあった闘い方を身に付け始めたという、以下にそういうことも書いてみたい。

さて、1昨日の浦和・アルヒラル戦である。できるだけ多面的に観るという意味で正当な観戦記として、ここの拙稿「改めて、分かり、楽しくなるサッカー観戦法 2017年11月19日」の拙稿観点にそって論を展開してみたい。なお、多面的に観るというならこの点が足らないだろうというようなご批判は大歓迎である。そういうことをこそ論議しなければ、日本のサッカー眼が一向に深まらないと考えてきた。サッカーは攻と防、組織と個人、敵と味方などなどを、相関関係として見なければ何も分からないゲームなのだから。

①前半の前半ぐらいまでは、両チームがDFラインを押し上げて、中盤のつぶし合いが熾烈だった。繋ぎに強いヒラル、潰しが強い浦和という様相だったのだから、浦和劣勢と見えて当然である。ただし、30分過ぎからは、ヒラルのペースが落ちてきた。ファールが目立ったから、これが分かる。後から振り返れば、後半にヒラル1人2ファールで退場という事態への伏線が、すでに前半の終わりの方で見られていたことになる。
 因みにあの攻撃陣程度ならば、準決勝で浦和が死闘を演じた上海上港(ここは浦和戦の前の準々決勝で優勝候補広州恒大を負かしてきた)よりはまだ凌ぎ易かったに違いない。

②さて後半の前半、ヒラルが攻めに出るのは必然。ヒラルのホームで1対1の前戦に対して、最低1得点はしなければ敗北だからだ。ヒラルの攻めに対して浦和が粘り強く守るも、20分過ぎには浦和のバイタルエリアが次第に空くようになる。そんな浦和は、ゴール前を固めるブロック守備もやむなくされて、苦しい時間帯が続いた33分。敵選手1人が2ファール目、退場。今までの経過から見て、ここで勝利はほぼ決まった。43分にラファエルのカウンターで、1対0勝利。

シュート数もコーナーキック数もほぼ同じというのは、第1戦よりも浦和の健闘ぶりを示している。特に、守備・潰しが健闘しており、代表監督ハリルもご満悦という闘い方であった。この守備健闘の典型として、右サイドバックを努めた遠藤について、あるサイトの記事を転載する。こんなに強力な、遠藤を観ると、長澤や槙野と共に、攻撃的守備を新たな看板にしたとも言える浦和の若手代名詞と分かるのである。

『この決勝第2戦で遠藤が見せたプレーや残したデータが素晴らしいものだったことを特筆すべきだろう。大会公式サイトが公開しているデータで、遠藤が残したこのゲームでの“デュエル”の数値は凄まじい。地上戦で15勝3敗、空中戦で7戦全勝。つまり、トータルして25戦を22勝3敗ということなる。これを勝率にすれば88%だ。それだけ、ボール際の争いで強さを発揮し、縦へのフィードや逆サイドからのクロスに対して堅牢な守備を見せた。浦和の右サイドには、恐ろしく強固なカギが掛かっていたことが分かる。
 さらに、自分が受けたファウルは二つだが、犯したファウルはゼロ。激しく相手に体をぶつけながら、そのプレーは非常にフェアなものだったということだ。守備の選手として、これ以上の結果やプレーはないだろう。』

④結論として、こういうのが日本チームの闘い方なのだろう。この戦いの去年の頂点、12月の世界クラブカップ戦で鹿島が南米チャンピオンを負かし、欧州チャンピオン・レアルと90分2対2の激闘を演じたのと同じ闘い方だと観たものだ。ただ、潰しで隙を作らないという意味でこんな危うい死闘は、国代表なら無失点で済むだろうかとは思わされた。代表の攻守の連携は、クラブほどは鍛えられないからである。

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老害 1970

2017年11月26日 18時44分10秒 | Weblog
ここんとこ更に酷くなってきたなwww

エチャリさんは、ハイチ戦からブラジル戦迄の日本代表に関してはある意味私以上の酷評を繰り返していたんだが、そういうのは見ない振りなんだなwww
自分の考えに沿うものだけは取り上げる。そして人を貶める材料に使う。
同じ人間が私と同じような考えのときは見ない振りをする。蓋をする。
ご都合主義の最たるもの。

ご都合主義といえば老害そのもの。
まあいつも、こんな風に歳はとりたくないもんだね~と思いながら読んでいるが、最近はそれがより強くなったなw

エントリーのタイトルまで書いて誰かさんは無いだろw
名前も分からなくなるほど錯乱してるのかね。

リアルタイムで老害を観察出来るブログというのはそれはそれで貴重なんだが、せめてもう少し笑いのセンスが欲しいところだな。
得意なのが罵詈雑言だけじゃ飽きるんだよ。
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ハリルジャパン(138)あるベルギー戦評と、祝浦和!

2017年11月26日 12時49分44秒 | スポーツ
 まず、ベルギー戦評で最もまともなものを一つ。コメントの再掲であるが。

【 スペイン指導者が観たベルギー戦 (文科系)2017-11-23 19:46:21

 以下はスポルティーバのサイトにあった、スペイン戦術家、ミケル・エチャリのベルギー戦戦評。このゲームの日本の闘い方に最上の褒め方をしている。ここに誰かさんが書いた「駄目だこりゃ」がこれとは全く対照的戦評だったから、改めてちょっと笑えてきたものである。

 選手間の距離感が良く、組織立っていて、その組織作りも日本人の長所短所に良くマッチしていた語っている。選手個人では、以下文中でも分かるように、長谷部、原口は以前からずっと褒めて当然と、それ以外では山口、長澤を高く評価していた。

『「ベルギーに敗れはしたが、4-1-4-1のフォーメーションはひとつの基軸になり得るだろう。

 その理由は日本人選手のキャラクターにある。日本の選手はおしなべて機動力が高く、俊敏で、連係の意識も高く、技術レベルも低くない。一方で、相手を荒々しく削り、知らん顔していられる獰猛さとずる賢さは持ち合わせず、守備のインテンシティはフィジカル的に劣る。そこで中盤に人を集め、スペースをバランスよく支配し、相手の好きにさせず、奪ったら速い攻撃に転じる、という戦いは論理として成立している

 ベルギー戦の最大の収穫は山口か。アンカーとしてプレーし、自分のポジションを守り(これまではそこで我慢ができなかったのだ)、4枚のラインのカバーをし、パス出しも本来のよさを発揮。ロンドン五輪から潜在力を評価していたMFだが、ようやく戦術的に成長しつつある。この日の出来なら長谷部誠の代役になり得るだろう。

 新顔では、長澤が可能性を感じさせた。安定して及第点をつけられるのは原口。目立ってはないが、戦術的に監督の求める仕事を完璧にやり遂げていた」』

 読者の皆さん、ここのエントリー「駄目だこりゃ」を読んで、上の文章と比較してみて下さい。サッカーの見方、評価がいか分かれるものかと驚くはず。そしてそれが、攻撃、繋ぎと守備、潰しとで、どちらを観ているかによって先ず変わってくる。繋ぎばかりを観ている人は、よい潰しが得点に繋がるというモダンサッカーを知らないのでしょう。ボールを猛烈にキープしたバルサが、インテルのカウンターに見事にやられた2010年より前の昔ながらのバルサ・スタイルに今尚憧れている?』】

 流石に日本人をよく知っていてスペインの監督も出来る評論家、日本人の特性から日本チームの作り方を論じ、最大の欠点をここと述べている。
『相手を荒々しく削り、知らん顔していられる獰猛さとずる賢さは持ち合わせず、守備のインテンシティはフィジカル的に劣る』
 この欠点故に日本は闘争に弱かったのである。繋ぐサッカーをやっても、敵の潰しを恐れて横にまわすだけ。かと言って自分からボールを奪う力がなかったかと言えば、これはあった。下手に回すと捕られてしまうということだったのだ。だから、縦に早くというハリルの戦略は正しい。ザックも実はこれを命じたが、最後まで中心選手と意見が合わなかった。
 なお、唯一本戦決定選手とハリルが言っている山口を持ち上げる所も、このミチャリは一緒。


 次に、祝浦和アジア・クラブ・チャンピオンについてだが、時間がないので後でここに書き足すことにする。詳しい戦評も書く価値が高い戦いだったし・・・。
(と書いたが、浦和の歴史的勝利はやはり、別エントリーで書くことにした。浦和がクラブワールドカップで良い所まで行く可能性があるからだ。去年の鹿島が、南米チャンピオンを負かして、準優勝し、レアルと良い勝負を演じたからである。いまや、誰かさんの言い分とは違って、日本クラブにとっては南米チャンピオンなどちっとも怖くはないのである。南米選手は、個人技だけだから。個人技だけの選手など、パウリーニョでもオスカルでも、サッカーではちっとも怖くないのだ。
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共同通信より   らくせき

2017年11月26日 09時27分19秒 | Weblog
ドイツ・ベルリンに本部を置く国際平和団体「国際平和ビューロー」(IPB)は24日、スペイン・バルセロナで今年のショーン・マクブライド平和賞の授賞式を行い、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設に反対する政党や団体でつくる「オール沖縄会議」に授与した。同会議の高里鈴代共同代表(77)がメダルを受け取った。

 IPBはオール沖縄会議の活動を長年にわたり米軍基地に反対し続けてきた「不撓不屈の非暴力闘争」と称賛し、満場一致で授賞を決めたとした。普天間飛行場については「世界で最も危険な軍事基地の一つだ」と指摘した。
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浦和レッズから見えるハリルジャパン 1970

2017年11月25日 21時45分54秒 | Weblog
まあとにかくおめでとう。

しかし、内容はまるでいただけない 笑
何でアジアのチームにここまで押し込まれるようになっちゃったかね。緒戦もそうだったが。この辺りは今のハリルジャパンにも通じる。

守り倒したんじゃないんだよな。守らせてもらっちゃったんだよね。結果的に。
今日の浦和はハリルよりも更にラインを下げた守備。で、何とかボールを奪うが前にはコーロギしかいないからそこに一発当てるだけ。
アルヒラルの崩しがマトモなら2点3点は取られてもおかしくない内容だった。

これを何処かで見たことがあるでしょう。
そう、W杯アジア最終予選の対オーストラリア戦。あれと殆ど同じ。ボールを支配されたがオーストラリアの不味いいかにもアジア仕様の崩しに助けられ無失点の勝利。
あれで勘違いした外野がハリルの評価を上げたが、この前のブラジル戦で突き落とされた。

アジアと世界の違いは、相手ゴール30メートル位からの崩し。
アジアではその位の距離でボールを持たれても崩しのアイデアが少ないから殆ど怖さがない。危険なミドルも飛んでこない。
しかし、世界に出ればその位の距離でボールを持たせたら司令塔のようなSBやIHがうじゃうじゃ居るので自殺行為に等しくなる。
マルセロやデブライネ君達のように。
アジアでは何とか守れてもブラジル相手に45分でちゃちゃっと3点取られるのはこの違い。

だから、守れた気になってもらっても困るんだよね。

そして、日本以外のアジアの国は、トルシェ、ジーコ、オシム、ザックの各ジャパン相手にボールを支配され自陣ハーフコートに押し込まれ、まるでサッカーをやらせてもらえなかった苦い経験を踏まえ、日本相手に守り倒すのではなく日本の上を行くボール回しを目指すようになった。まだ崩しは下手くそで志し半ばだけど、支配率ではどんどん日本の上を行くところまで来た。これが仮にブラジルレベルじゃなくても毛が二三本生える程度まで行った日には間違いなく日本の守備は崩壊する。
それも遠い将来の話じゃないね。

今日のACL決勝を見てそう思った。日本サッカーも思い切り舵をきらないと手遅れになるよ。
まあとりあえずは、浦和おめでとう 笑
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ハリルジャパン(137) ハリルの「モダンサッカー」余談  文科系

2017年11月25日 08時20分49秒 | スポーツ
 ハリルが「モダンサッカー」と名付けているのは間違いなく、今のドイツがドルトムント戦術を取り入れ、変形したそれ。この原理を最も簡単に言えば、ずっと述べてきたようにこういうこと。
「ここという時の組織的な強いデュエル、潰しからこそ、現代サッカーの得点が最も生まれやすい」
 何度も言うが、ドイツはこの戦略で、ブラジルw杯において開催国ブラジルを7対1で負かし優勝などと、今の全盛期を形成してきた。この戦術は特に、クラブチームのように繋ぎのオートマチズムを時間を掛けて鍛える必要がないという意味で、国代表を強くするには手っ取り早いものと言えるのだろう。というような現代サッカーのこの流れ理解に関わって、どうしても不可欠なサッカー世界史知識があるので、それについて少々。

 このシリーズ第134回にヨーロッパ遠征2戦のある批評を紹介したが、これは、1998年日本w杯初出場代表の初代監督・加茂周の批評だった。そして、古いサッカーファンなら誰でも知っていることだが、加茂監督のチーム戦略の代名詞が「ゾーン・プレス」。この戦術には歴史があって、1990年頃のイタリアはACミランから2010年前後のドルトムントまでという流れがあるということだ。ハリルは明らかにこの流れを受けているわけである。ちなみに、ACミランで「ゾーン・プレス」を編み出したアリゴ・サッキ監督が、ドイツとドルトムントを現代サッカー戦術の最先端と述べている文章をここでも紹介したことがあるが、その戦術内容自身は以下のエントリー文に記したので参照されたい。

『改めて、分かり、楽しくなるサッカー観戦法 2017年11月19日』
 特に、ここの③がこの「ゾーン・プレス」を説明している。これを知って初めて、ドイツがなぜ個人技世界一のブラジルに勝つのかがより分かると愚考している。


 ちなみに、ドルトムントやドイツは、チャンピオンズリーグ2連勝のサッキ・ミラン「ゾーン・プレス」をこう解釈改変したのだった。ミランのそれは、どちらかと言えばこういうもの。「敵ボールをいつでも奪えるのでボールキープで圧倒的な差を付けて、攻めっぱなしになる組織」。ドルトのそれは「同じくボールを奪うのが得意だけれど、ボールキープにはそれほど拘らず、高い位置で奪った瞬間に得点を狙える戦略を持ったチーム」と。
 なお、この戦術を編み出した元ドルトムント監督、ユルゲン・クロップが現在イングランドのリバプールで苦戦しているのを見ると、こんな弱点があるようだ。得点には有利だが、失点しやすいところがあると。アリゴサッキが予見、予言していたように、「この戦術は力のある選手たちでも一糸乱れず守ってくれなければ上手く行かない」と語ったその点が、イングランドとか今のリバプールでは難しいのだろうか。守らない選手はあっさりと切ることができる国代表とは違って・・・。ちなみに、ハリルはと観れば、大エースでもあっさりと切れる監督である。と同時に、一定の力ある選手を本番でもどんどん交代させたり、レギュラーに加えていくというような監督でもある。これはこういうことだろう。「守らせることが少なくて、それを外す選手は切る」。

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戦争と世界史   文科系

2017年11月23日 15時26分10秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
 昨日のエントリー「ネトウヨ諸君の戦争観、9条観」を要約、補足したようなものを付け加えたい。

 ネトウヨ諸君の戦争観はこうである。「人間も動物と同じで争うもの。争いはなくならん。国家の戦争も同じだ」と決めつけておいて、人間世界史を見るから、無くそうとしてきた努力などが何も見えない。そういう無知、偏見から世界史などを調べもしない。
 これでは、徳川幕府が日本統一をして戦国時代のような大小の戦争がなくなったから、間もなく元禄の繁栄などが起こり、300年の平和的発展が日本に生じた理由も分からないことになる。この徳川300年の平和的発展下における国内経済、市民道徳、識字率向上などを基礎として、アジアで唯一明治日本が「近代化」を遂げられたという、そういう日本史側面も分からないことになる。

 人間は争いもするが、平和を求めても来た。特に、18世紀からの世界史的な民主主義の発展は、人間の人種を越えた命の平等という考え方、感じ方を人類に広げてきた。そこから、2度の大戦を経て戦争違法化を第一の目的とする国際連盟、国際連合が出来た。この力をアメリカなどが自己都合から今は無視しているが、どんどん無視できぬ、もっと強いものになるはずだと僕は確信している。

 大量破壊兵器が憎まれ、その禁止が目差されるようになったのも、以上の歴史的背景を抜きには語れないはずだ。アメリカの原爆投下には、人種差別意識が絡んでいたと確信するし、以降小型原爆一つ使われていないのにも、大戦直後から始まった植民地解放などの民主主義の発展が関わっていると確信する。右の方方には、北かトランプかが今にも原爆を使うような物言いをする方がおられるが、それも上のような民主主義の発展が見えないからだと考えている。

 なお、民主主義の基本である人種、命の平等という感覚も人類生来の所有物ではなく、歴史的に出来上がってきたものである。部族社会では、自分ら以外の他部族人は人間ではなかった。よって動物を殺すように殺せた。丁度、つい最近まで、日本に女は半人前のような、アメリカでも白人以外は半人間のような感覚が広く存在したのと、ちょっと同類だろう。また今のアメリカの超格差にも、人種問題が関わっている。ちなみに、そんなアメリカの超格差体制を、単一民族である日本が先進国では珍しくそのまま追いかけているように見えるのは、歴史的に見たら特に変な、おかしなことだと考える。

 イスラムの一部、例えばサウジでは、非イスラムを今でも半人間と観ているだろう。ちなみに、米英などが、このサウジのイスラム原理主義を、北並みの残酷な内政を北に対するのとは違って長く許容してきたのは、石油利権絡み以外の何ものでもないと思う。
 半人間相手になら、戦争は起こしやすい理屈である。
 民主主義の発展が、人種平等の感覚が進むごとに、戦争は小さく、少なくなっていくと考えている。
この流れに今最も大きく棹さしているのが、アメリカなのだと観ている。アメリカの民主主義が口で叫んでいるとおりのものなら、サウジにも北と同様に対すべきであろう。 
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これを改憲すべきか?    らくせき

2017年11月23日 09時32分32秒 | Weblog
第25条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

この25条は実情にあわないから改憲すべきか?




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ネトウヨ諸君の戦争観、9条観  文科系

2017年11月22日 06時04分31秒 | 国内政治・経済・社会問題
 このブログ10年で多くのネット右翼諸氏と討論し合ってきた。ここの「9条バトル」という名前を見て反論を述べてやろうということで訪れてくる人がとても多いのである。こういう論議からいつしか、こんなことが僕の中で整理されてきた。彼我の「9条を巡る決定的な(世界観的な)分かれ道」が何かあるようだが、それは何かと。このことにつき彼らに対するある仮説がこの10年で浮かび上がってきて、その大詰めのような議論が2015年8月末に延々と続けられた。

2015年8月25日エントリー「ネットウヨク諸氏の大前提」から、30日「またまた、反米保守さんへ」まで。その間にさらに26、28日、29日と3本のエントリーが続き、無意味・有意味玉石混淆で、それぞれこれだけのコメントが付いた「大激論?」であった。25日25本、26日25本、28日16本、29日7本、そして30日13本である。だんだんコメント数が少なくなって来たのは、右の方々が考えた事もないこちらの言い分がやっと分かり始めてくるにつれて、次第に返事が出来なくなってきたのだと僕は理解した。ただ、こんなことも言えるはずだ。これだけ応答が持続したということは、それなりに会話が成り立っていたということ。良くあるように、双方が「紋切り型の反論」を語り続けただけなら平行線ですぐに終わり、こんなにコメント応酬が続く訳がない。右の方々にもそれなりの興味が持続したということだろう。この点はいつもながら良かったと思っている。

 この議論の最初と最後、二つのエントリーにまとめた彼らの特徴(の抜粋)を改めてここに皆さんにエントリーとしてお示ししたい。よろしくお願いいたします。


【 ①ネトウヨ諸君は、戦争違法化ということを不可能としか考えた事がない。20世紀二つの総力戦への反省などこの流れの歴史にもほとんど無知である。一定知っている人でも、戦争を無くすなどというのは一時の思いつきないしは幻想だと考えている人がほとんどだろう。
戦争違法化など幻想であるという考え方というか感じ方の背景、理由に、社会ダーウィニズム風のこういう「思想」が存在する。戦争、人間の争いというものを「永遠の現実」と認識するということだ。ただしこういう「思想」の内実は、①のようなその反対物を知らない人が多く、これを考えた事がない人がほとんどだから、みずからの社会ダーウィニズム風「思想」にも無自覚である場合がほとんどである。そして、こういう無自覚な「観念」は感性的なものでもあって、きちんとした言葉になっていないから討論にもならない。
③この二つが大前提として存在するどんな考え方、政治論も、その出発点はこういうことにしかならない。
「戦争は永遠の現実で、攻めてくる国は必ずある。それに備えることが国家外交の最大問題だ」
 この戦争対策の問題はそれどころか、国家の全てになってしまう場合も多い。彼らの「憲法守って国滅ぶ」という揶揄はそういうことだ。ヒトラー、東條の軍国主義もそんな例と言える。「テロとの戦争」も、国家存亡がかかってしまうように理解する人々には軍国主義にしかならないだろう。911以降の米国は軍国主義者が急増した時代、国と言えるはずだ。

 こう整理した時に僕の場合、彼らの言い分がすっきり理解できるようになった。この3点に触れない彼らへのどんな議論、反論も、空回りに終わるはずだとも。「無意識あるいは無理解な大前提」って、おそろしく怖いもんだということだろう。

 なお社会ダーウィニズムとは、動物進化の理論を人間社会(論)にも当てはめたものである。進化論とは又、環境によく適応した動物は身体をもそのように変えていくこと、そういう身体変化史として動物進化があるということ、というような適者生存の理論とも言えよう
 この社会ダーウィニズムで最も有名な日本人が、明治の東大総長・加藤弘之。著書には「人権新説」があるこの人、日本が進化的強者である欧米(白人)列強に対していくことができる道というものを必死に考えた。社会ダーウィニズムに出会って捻り出したその道が「天皇中心の強力国家」というものだった。これでもってこそ、日本国が弱肉強食的世界に進化、適応していけると。

 アジア太平洋戦争敗戦は、こういう思想の敗戦でもあった。 】


【  反米保守さんのコメントはダブり投稿が三回もあったが、結局このことしか語っていない。
 社会ダーウィニズムは誤っていると、文科系が言って、次に②即、文科系が正しいと文科系が語っているに過ぎないと。まず、彼の最新のコメント全てから、僕への反論文言をあげておこう。
『1、反米保守の理論は社会的ダーウィニズムだ。2、社会的ダーウィニズムは間違っている。3、だから(??)私(文科系)が正しい――なぜそうなるのか。』
『今現在戦争をなくせていないのに、50年後には人類全員の不断の努力でなくせているなんていうのは問題を未来に先送りしているだけの現実逃避でしかない』
『 またぞろ「もう相手にしない!」と泣き言が入る頃だと思うので、先に書いておきますが、・・・・・・なにかといえば「俗論だ!」「社会的ダーウィニズムだ!」で話は済むと考えておられるようですから』

① さて、貴方が最初に痴話げんかと国の戦争は同じと書いたから、これは社会ダーウィニズムの一種だと僕が書くことになって、これは誤りだと述べたのである。そのときまで貴方は、社会ダーウィニズムがなんたるかなど、一度も書いていなかった。きっとご自分が言ったことが社会ダーウィニズムになるということなど、とっくにお忘れになったのだろう。便利な記憶というしかない。
②今回あなたは社会ダーウィニズムが誤りだと、初めて書いてきた。その事から即「僕が正しい」と僕が語ったと貴方が語っているが、僕はそんな単純なことを語ったのではない。その間に僕は、こういう論理を展開してきた。
③まず最初にこれを述べた。例えば痴話げんかと国の戦争が同じ(本質の)ものならば、戦争はなくなるはずがないということになるだろうねと、指摘した。社会ダーウィニズムとは、動物の争いと人間の国の戦争とを同一視するものだからである。これが可能ならば、戦争は永久に無くならないが、これが可能でないと述べた訳なのだ。
④次に、社会ダーウィニズムが誤りと退けられたら、もう貴方と僕はいずれもただの未来論同士であると僕が言ったよね。そうなると、いずれもこれまでの世界史の流れの知識を総動員して、どちらが正しいかを競い合うしかないはずだと、そう僕は語ったよね。
⑤その上で僕はこう言った。19世紀までと違って20世紀には、歴史上初めて国際(平和)組織が出来て、そこで人類史上初めて世界的な戦争違法化が話し合われた。そこから、国連警察軍も出来た、と。もちろん、アメリカ、中国のように新たにこれに反する流れも生まれているがその上でなお上のことを以下のように展開したいと、僕は言ってきたよね。
(中略)
 その上で僕はこう述べてきた。
⑥世界の人々は、もし戦争が無くせるものならば無くしたいと、先ずほとんどの人が思っているはずであると。それらの人々と僕は、上のような歴史の流れを語りあいたいのである。これへの反論は今まで、(無意識のそれも含めた)社会ダーウィニズム以外に僕は出会ったことがないということも付け加えてのことだ。

 こういう僕の①~⑥がずっと示されているのに、貴方がこれへの全面的反論を書いてきた事など皆無ではないか。あなたが反論した内容は当エントリー冒頭の文章だけ。こんな内容はもう聞き飽きたから、以上の全体への反論を僕は求めていると言ってきたのだが。 】

 この最後のエントリーには、この間ずっと最多言を費やされていたお相手からは、何の反論もなかった。


(2016年5月5日ここに初出。直前のエントリー「僕の9条堅持論」を巡る理論問題として再掲します)
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