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九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

また新たに病気・腸閉塞   文科系

2025年04月26日 04時49分08秒 | 日記
 またまた病気、僕として全く新たな、イレウス・腸閉塞という重病。今後の闘病のためにも、ちょっと詳しく書いておこう。

 この18日、数日前から続いた軽い腹痛が、ちょっと強くなった。翌19日は待ちに待った「ギター教室の演奏宴会」。それを心置きなく楽しむためにもというわけで、かかりつけの内科医に出かけた。それも夕方の5時に。その医者が告げるには、僕としてまさに青天の霹靂、
「イレウス、腸閉塞でしょう、拠点病院の予約が取れたから、直ぐに名古屋市立大学病院に行きなさい。救急窓口です」
 家に帰って連れ合いに結果を報告して、彼女の運転ででかけた。いくつか検査の後、お告げをまとめれば、こんなふうだ。
「イレウス、腸閉塞には、いろんなタイプ、処方があります。最悪の場合は、開腹も含めて。さしあたっては一週間の入院」
 こんな場合でも、我が連れ合いがいつも落ち着いているのは、いつも助かることだ。無駄にあわてず、騒がず、病室などへも行こうとせずに、明日の持ち物などを僕と確認して、握手を求めて帰って行った。まあ、「仕方ない、頑張ってね!」。

 その後の治療結果を報告すれば、最初からやった一つの処方(鼻から管を入れて、それを胃にまで届かせ、胃腸の強い圧力を無駄な胃液?とともに抜き出すというやり方。これを以降数日続けたもの)によって、朝昼晩の薬も良く効いたかして痛みも腹部飽満感も急速に取れて、昨25日午前10時に退院、無事に家に帰ってきた。まー最も軽い病態、処方で済んだ訳なのだろう。振り返れば、病状自身もその治り方も僕から見ればまるで魔法か夢の中のようなもの。

 帰り着いた家はまさに春爛漫。僕が入院していたこの一週間に、我が家の庭の景色は大きく変わっていた。居間の奥から見えるハナズオウはすっかり散って、その西横の塀際には小手毬が2mを超える高さで咲き誇っている。手前窓際近くには卯の花・梅ウツギと、それに並んだ高さの小さなライラックとが一緒に咲いているが、入院前には蕾みだったもの。庭師さんの強剪定で4本立ち各丸坊主に見えていたキンモクセイの猛烈な芽生えはどうだ! 一本立ちの団子状にも見え、先端若芽がほとんど虫に食い荒らされている。これは僕にはがっかりでも、虫にとっては天国だったろう。また、父母の代からの我が庭の象徴、花三種何本かのツツジも咲き始めている。西の端に一昨年植えたばかりの白イチジクを見に行くと、細い木々にいくつもの実が見られた。白イチジクは、普通のやつよりも甘く、味もすっきりした僕の好物なのだ。

 退院早々、見つけたのが剪定と殺虫の要。実を付け始めた梅の木には、カイガラムシがびっしりと目についたことだし。でもまー、サボろうかな・・・。病気上がりにかこつけて。
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「体育」のお付き合い   文科系

2025年03月27日 15時14分09秒 | 日記
 男孫のセイちゃんが4年生末の通知表を僕に見せる前、誇らしげに言う。
「僕は、体育も音楽も図工も得意でしょう?」
直ぐに確認すると、その3科目とも3点ずつの評価点があって、その合計9点全てが二重丸。他の科目はこれほど良くはない。
 この娘夫婦は3年半程前から別居状態、娘の側から離婚前提で別居していて、歩いて10分ほどに住んでいる僕が言わば父さん代わりをしてきたので「ジイちゃんが、父さんなんだよね」と語るセイちゃんである。そのたびに僕が言い聞かせることがこれ。
「いや、父さんはちゃんと居るんだよね。土日ごとに君と二人で遊びに出かけて、君が父さんの実家に泊まってくるんだし」

 ともあれ、話は彼の成績についてだ。娘も僕も、この3科目の満点が将来的学力についても非常に重要なことだと考えて来た。小学低学年で成績のよい子が、学年が上がるにつれて落ちていく例は多い。勉強は記憶力だと考え、ガリ勉を習慣づけられた子などに多いようだ。逆に、低学年では目立たないが、学年が上がるにつれて「全般が良くなっていく」子に、この3科目が真っ先に伸びていく子が多いのである。物事をいろいろよく考えて的確に、楽しみながら努められる子だからであろう。この3科目についてはまた、これらの上達(の過程や原因、コツ)が、単なる点数アップのように抽象的なものではなくって、子どもの目にも手に取るようによく見えて、子どもでも分かるものだということが重なっているのだろう。
 僕は、彼の自薦、自負の内容に合わせて、こう応える。
「うん、この三つの好成績は、特にとっても良いことだ。セイちゃんこれから、全部がどんどん良くなっていくよ!」
 そう言えば近頃、いろんな上達を僕に話してくれるようになった。通っている体操クラブの「名古屋東部」連合運動会で、3,4年生の跳び箱の部優勝を果たしたのだが、横置き箱15段の歴代4年生最高記録に並んだのだった。この時の僕は、娘にこう解説したものだ。
「セイちゃん、公園で一緒に遊んでる時に何気なく立ち幅跳びを見せてくれたけど、すごいんだよ! いろいろ聞いたら、最近学校の体育でやっていて、2mを超えたって! 学年ただ一人の2m超えだそうだ」
 ちなみに、学校教育用跳び箱の15段に並んでいる写真を見たが、セイちゃんの身長よりも4~50㎝も高いものだ。

 また、学童保育のドッジボールについて、昨日こんな報告もあった。
「最近は、上級生のボールも受けれるようになって、怖くなくなったよ! じいちゃんより速いボール投げる子もいるんだよ! 6年が一人、5年に二人」
 そんな報告を受けていると、最近のこういう情景も思い出した。この一年ほどある都市公園の懸垂器具に上がらせてきたが、今はきちんと正式に4回をやりおおせるのである。脚も上半身も強い子なのだ。跳び箱技術でも、下半身だけではなく上半身の振り上げが重要なはずと、直ぐに思い至ったものだった。

 子どもとの付き合いは僕には楽し過ぎる。息子、娘ともよく、楽しくつきあってきたそのときの学習が、そのまま84歳になる今に生きているのである。
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二つの画期的癌治療法を体験して   文科系

2025年03月13日 10時42分49秒 | 日記
 癌による膀胱全摘出手術の定期的事後観察診察に今日行ってきた。CT検査などを事前にやっておいて三ヶ月に一度ある診察なのだが、今日も「異常なし」。ただし、この診察には僕はいつも、結構「不安なし」なのである。というのも、手術の後に定期的にオプチーボという新薬を定期的に点滴してきたからだ。医者はこの類の薬による治療法のことを普通名詞では「免疫チェックポイント療法」と呼ぶが、その理屈はこういうことだ。ガンは人間の免疫力を避けるべく、人体免疫機能を阻害する防壁を作って大きくなっていくものだが、その防壁を取っ払うというか、壊す薬なのである。京都大学の本庶佑先生がノーベル賞をもらった薬であって、医者たちも「癌治療のゲームチェンジャー」と呼んでいるもので、この薬だけでがんが消えたという例すら存在するといわれてきたものらしい。これが7年前だかに保険適応になってどれだけの癌患者が助かってきたことか。ガン患者というものは、術後も5年ほどは再発を恐れるものだが、この悩みが皆無とは言わないが大きく消える療法なのである。

 僕は16年には前立腺がんもやった。そして、この時は陽子線(照射)日帰り治療に通って治したものだった。僕はこれを高度医療保険に入っていてそれを使ったのだが、これがまた画期的な療法なのである。放射線というのは、周辺にも当たり、副作用が大きいのだが、陽子線治療は前後左右に当たることが極めて少なく、癌にピンポイントで当てられるという特徴がある。つまり、周囲を傷めないから、患部だけに強い照射もできるのだろう。ちなみに僕の場合、前立腺照射なのだったが、男性機能については何の害、後遺症状も出なかった。手術当時74歳だったのだけれど。名古屋ではこの治療は今は保険適応になっていると聞いている。このような機械は、一刻も早く全国的に普及するといいと思うばかりだ。 ただしこの治療は、その本質的性質上、よく動く臓器の癌には使えないということも付け加えておかねばならないだろう。つまり、ピンポイントで照射するから、体なども厳重に固定してこれがなされるものだ。と言っても、この固定は何の苦痛もないものであった。



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老いの身の音楽と「庭」  文科系

2025年03月12日 09時48分00秒 | 日記
  丸20日もエントリーをお休みした。殆ど僕一人が書くようになってからでも、初めてのご無沙汰だ。なんせ、2日書かないと言うのもほぼないことだったからである。その原因は分かっている。物を書く頭脳が退化するとともに、その気力も無くなって来たからだ。それは、所属同人誌の作品を書くことも困難になっているから解るのである。膀胱癌手術後にランナーを断念させられて(22年9月の全摘手術の後もランナー復活を遂げた末の、23年の5月のことである。)、下半身が衰えるに連れて、そんな頭脳になってきたと痛感しているのである。「歩くことが若さを保つ」って、実は頭脳も含んでのことなのだ。人の活動には、生産的と消費的とがあると思っていて、前者が無くなった分後者が増えていて、本読み、テレビなどの時間が増えてしまった。この場合の本読みとは、ただ漫然と文字を追っているだけに近いそれである。ただし、物書き活動が減った分の一部が、ギター弾き・レッスン時間増に繋がってきたとは思う。おかげで、「アルハンブラ宮殿の思い出」が初めての「一まず完成」を迎えて、現在は大曲「大聖堂」全3楽章の復習・完成に努めている。今回はこれも、「ひとまず完成のもう一歩上」へと目論んでいるが、何とか実現できるだろう。僕が言う「ひと先ず完成」とは、「演奏会で弾けるほとんど手前まで来た」という意味である。音楽演奏、和音楽器演奏って、自分で演奏の腕を上げつつあるものを自分で聴いているという特徴があるわけで、そこが親しめて、面白いのだろう。今の老いの身にある僕にとってのギターは、とても大きな精神的救いになっているわけだ。

 さてそしてもう一つ、我が家の庭の春を楽しんでいる。はじめ白梅が、次いで紅梅がまさに満開になっていて、今は2本の紅い木瓜も咲き始め、毎日眺めて楽しんでいる。白い方は僕の身長を優に超える高さに畳二畳ほどの広がり、紅梅の方は5mにも延びた枝の多い大木である。こんな花を咲かせるなんてと、「土と太陽の威力には、驚くね!」と、これは連れ合いと毎日交し合う言葉。

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近況報告に換えて、読書ノート   文科系

2025年01月19日 13時45分39秒 | 日記
 こういう年賀状を書いた。
「お元気でしょうか。今年もお互い元気でと願っています。
 22年9月に癌で膀胱摘出、23年5月に復活成功のランナーを断念、以来、ギターと同人誌、孫の世話という生活。ギター教室通いは20年を超えますが、去年の発表会で初めて普通に弾けました。今は何度目かの『アルハンブラ』に苦闘中です」

 ランナーについては、9時間に及ぶ大手術の後色々あって、感染症もおこった半年に及ぶ入院生活中からリハビリ運動を頑張って、23年5月には以前と同様に10㎞ほど走れるようになったけど、走ると人工の膀胱袋、ストーマに血が混じるから医者に止められたのである。以降は、ギター練習の比重がどんどん上がってきたと書いたわけだ。ちなみに、ブログと同人誌の文章書きがちっとも進ま なかったのは、その「力」がでなくなったというか、無くなったような感じ。「そういう能動性、探求力」が無くなったようなのだ。まるで自分の性格か能力が全く変わってしまったように。ランが自分の能力、性格などに与える好影響は知り抜いていた積もりだが、これがなくなったことから以来その悪影響の大きさに打ちのめされているという感じなのである。
 なお、孫の世話というのは、我が家では連れ合いではなく僕の分担になっているのである。いつの間にかというか、自然にそうなっていた。

 ただこの間に読書はしていて、最近はこんな本を読んだ。
 「スパルタ 古代ギリシャの神話と実像」(長谷川岳男著、文春新書)
 「一外交官の見た明治維新」(アーネスト・メイスン・サトウ著、講談社学術文庫)
 「イスラエル軍元兵士が語る非戦論」(ダニー・ネフセタイ著 集英社新書)
 「スティグリッツ教授の これから始まる『新しい世界経済』の教科書」(徳間書店)
 ここブログの日を設けてそれぞれの書評、いつもの内容紹介を書きたいところだが、ごく簡単に今ここにも書いておく。

・「スパルタ」は、とても面白い本だ。アメリカ映画にもなった「テルモピレイの闘い」を象徴的中心において、この国の特徴を歴史的に描き出している。この闘いとは、レオニダス王と300人のスパルタ兵がアケメネス朝ペルシャの大軍相手に健闘・全滅したものだが、同じギリシャ対ペルシャの闘いとして有名なマラトンの闘い(マラソン発祥の由来故事)の10年後のことである。「スパルタ教育」の元祖が展開、解説されている本である。

・イングランド外交官が書いた「明治維新」は、知る人ぞ知る有名な明治維新第一次資料のようだ。なんせ「サトウ」と引くだけで旺文社「日本史事典」にこの人物と著作が載っているのだから。とはいってもこのサトウは日英混血なのではなく、そういう英人の名があるということだ。650ページという文庫本ながら、英国が絡んだ生麦事件、薩英戦争、薩長戦争、そして大政奉還など、日本が激動した1860年代の諸事件が体験談として詳しく展開されているし(ちなみに、現在日本学会の明治維新論記述は1853年の「ペリー来航」から始まる)、坂本龍馬を除いて薩長土肥の有名人物が、面談した人々として全部登場しているのである。

・「イスラエル軍兵士」は、希有かつ貴重な本である。現在日本女性と結婚して3子をもうけて日本に住んでいる元イスラエル空軍一兵士のイスラエル国解説、反戦の書である。イスラエルという国が戦前日本に見えてくるのも、著者が日本に接近した理由の一つではないかと思えたものである。

・ノーベル経済学賞受賞者スティグリッツのこの「教科書」本は概要をすでにここで紹介していて2度目の読書になるのだが、是非詳しい紹介を書きたいと思って再読し始めたものだ。株価・株主経済批判の書と言って良く、度々起こるバブル弾けのときの「大きくて潰せない」批判の書と言っても良い。日米ともに給料が安くなって深刻な需要不足が起こっているからこそ供給サイド経済はもうダメだと述べている。

 長くここにご無沙汰していて、申し訳なかったが、上に述べた理由によりご勘弁を。そして、今後もここをご愛顧をと、お願いする。身体の急な衰えは、頭脳にどれだけ影響するかということで、ご容赦願いたい。書くテーマを思いつかず、思いついて準備に入っても焦点がはっきり出来ずもやーっとしたままなのである。もっとも、今年84歳になる老人としては、自然の成り行きで、ランニング力含めて今までが異常だったのかも知れぬ。
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随筆  またまた開催、教室音楽パーティー    文科系

2024年10月04日 21時23分55秒 | 日記
 ここへも何回か書いてきたけど、標記のことがこの6日、日曜日午後にある。中区伏見のある貸し会場を借りて。こういう企画は、僕の晩年への一つの夢だったこと。遡れば2008年から何らかの形でこれを開いて、あるいは開いてもらってきたことになる。
「美味しい料理と良い酒と、そして、音楽を皆で奏で合う」
 僕の教室は先生が二胡も教えているからこれを習う人も含んで、出席総勢12人予定だ。この日に向けて僕は牛肉赤赤ワイン煮とラム酒として世界に名高いロンサカパ・センテナリオを持ち込もうと目論んでいて、牛肉は黒毛和牛の腿400gを注文済みだ。明日作る予定だが、上手くいくかどうか。
 僕が弾く曲だが、一つは先生との二重奏でソル作曲の「月光」、今ひとつはバッハの超有名なチェロ組曲第一番(バッハ作品番号BWVの1007番)のプレリュード。イギリス人ジョン・デユアルテという人のギター用編曲物を予定している。月光二重奏はもう一人のある女性がやると分かっているのだが、これは全く違う編曲物であって、二つ揃って、はてどうかという面白い趣向になっている。

 音楽と美食と酒とは、古から高貴な人々らにとっても最高の楽しみ方の一つ。それを参加享受者自ららの演奏でやるわけだから、楽しさ至極と、若い頃から自分の老後に向けて思い描いてきたものである。料理も酒もそれぞれ皆の持ち寄りだというのも、興味深いことなのだ。女性が多いから料理も面白いし、それが面倒な人は何かのつまみを買って参加すれば良いわけで、その趣向も楽しみになる。

 第2ステージ癌から膀胱摘出で走る楽しみがなくなって、僕に残った音楽と同人誌活動とが人生の支えになっている。この三つのことを晩年活動として準備してきて幸せだったと、色々振り返っているところだ。

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随筆  「失せ物」探し、その思考能力   文科系

2024年10月02日 11時37分09秒 | 日記
 連れ合いの「失せ物」家探しを長く笑っていたが、いつの間にかこれが僕にも伝染してきた。先ず眼鏡である。亡くなった連れ合いの母さんが眼鏡の蔓二本に首掛け紐を付けていた理由が今になって年々よーく分かって来るのだ。でもこれは原因思考を繰り返すと探し慣れてくる。「置き忘れた」場所を忘れても、その場所が決まっているからだ。新聞・書物読み、パソコンの近く、そしてトイレなど、主として活字を読む場所である。ただこれも、そこから落ちて床などにあると、知らぬうちにスリッパに引っかけたりして、「訳の分からない所」に飛んでいたりするから、とんでもない難儀をする。

 さて、耳穴式耳穴式補聴器となると、困難は何倍にもなる。小さくて、転がりやすいからだ。ただ補聴器は一個十ウン万円もするから、どれだけ時間をかけても探し続けることになる。先日もこんなことがあった。
 居間でテレビを見ていて右の機器を外し、座っていたソファの右肘掛け材上に乗せた。それがコロッと下に落ちてしまったのを、「明日探せばよい」とそのままにしてしまったのがいけない。翌日どれだけ探しても見つからぬ。周囲のカーペットの上「すべて」や家具の下などは懐中電灯で照らし回っている間には、日頃の物忘れの多さから、こんなことさえ頭をかすめる。
〈ここで、こうなくしたというのが夢か思い込みだったかも知れない〉。
 連れ合いが手伝ってくれても見つからぬままに、3日ほど過ぎた頃、今度は左耳のをなくした。あまつさえ、このたびはどこでどうなくしたかの記憶もあやふやを通り越して、探し方も浮かばなかった。右のをほぼ諦めてから一週間近くたって「両方なくしたら、大変だ。30ウン万円!」、連れ合いも一緒になって必死に探していたら、先ず左が見つかった。僕の書斎の机の上から落ちたらしい全く意外な場所からちょこんとのぞいていたのに偶然目が行ったのである。それからまもなく連れ合いの声「あったよーっ!」で駆けつけると、居間の端っこ、縦長の小さな四つ足飾り台を移動させたら、そこにあったと言う。多分、懐中電灯の光から外れた四つ足窪みのどこかに沈んでいたのだろう。こんな遠くの台を移動させなければ見つからないような形にまで、飛んでいたのである。
 家の修繕など出費が多く小遣いがないときだったので、もう嬉しかったこと、活動力が落ちてきた最近としては珍しい人生の幸せ、歓喜だった。
 捜し物はやはり思考では手に負えない。連れ合いのような試行錯誤の努力、苦労を厭わぬ者こそ、得意な技になる。
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随筆 発表会一二回目、初めて快演   文科系

2024年09月23日 15時04分51秒 | 日記
(何度も同じ随筆を済みません。僕にとっては大事すぎる体験ですから、御笑止のほどを) 

 照明だけが明るい演奏椅子に出ていき、弾き貯めた曲を詰め込んで重い楽譜の該当ページを開き譜面台に載せて、冷や汗対策に握ったタオルを椅子の後方に置き、そこに座る。そうして初めて、ギターを構えた。後から思えば頭に行き交うなんの想念もなく、そのまま弾き始めていた。家での練習と変わらぬ平静のままに淡々と弾き続けられて、途中一カ所の度忘れ中断があったが、慌てることもなくそこを弾き直して、いつも通り最後を盛り上げて終わった。初めての「求めて止まなかった発表会の出来」のはずなのに、なんの感激もなかったのはどうしてだったのか。未だにその訳は分からない。

 これはこの八月、僕の一二回目のギター教室発表会の様子だが、リタイアー後の六二歳に教室に通い始めて「音出し」から習い、二一年目にして「初めての快演」なのである。それも、習い始めて九年までは、「出演なし、ただ聞くだけ」という自己選択を経て、やっと出始めてからの一二年目なのだ。何よりも、初めて手や指が震えなかったのである。ギターを弾いていて手指が震えたら、演奏にはならない。特に、弦を爪弾く右手の指が震えたら雑音も出るしして、曲の表情も何もあったものではないのである。それが今回は「何気なく演奏に入れて、練習時の通りに普通に弾けた」のである。弾き終わって、嬉しいと言うよりも何かポカーンとした自分があって、なんのそれらしい実感もわかなかったが、終わって少しずつ嬉しさがこみ上げ始めたのである。それも日を追ってその実感が濃くなっていく調子で。
曲目は、バッハの「リュートかチェンバロのための組曲 ハ短調」のプレリュードと言って、クラシック・ギター仲間ではバッハ作品番号で「九九八番のプレリュード」と呼ばれているものだ。長い間に弾きためてきた僕の「暗譜曲群」の内の一曲なのだが、発表会で弾くとなると色々と直さねばならぬ点が気になって、当日まで細々と直して来た。
すぐ後に休符がついた装飾低音が多いから、その長さを全体的にちゃんとする。これはいちいち消音技術と呼ばれるものを施さねばならない。また、高音旋律を低音伴奏できれいに響かせることが特に必要と感じる曲だから、その際の雑音を減らす努力がとりわけ必要と考えて来た。和音楽器で高音旋律を装飾低音できれいに響かせられなかったら、はなはだ気分が悪いのである。ただ、全体的に音が小さいクラシック・ギターという楽器でそれ相応の音量を出そうとすると、雑音が増えるのである。ある弦を爪弾いた右手の指や爪が他の弦に触ったり、左手押弦の押さえが甘いと音がびびったりする。このびびりをなくすためには、指版のフレット(横にはめた音程を造る金属棒)の直ぐ下に左手指を持って行く必要があるのだ。それらの修正にも今回は特に苦闘の日々を過ごしてきた。そういうことどもすべてがこの日に限ってなぜ上手くいったのか、そもそも手指が震えるまで上がるというのはどういうことだったのか? これらは未だになにも分からないから、特別な対策もなく出ただけで・・・・、八十三歳というこの年になって初めて!

 さて、かと言って来年同じように上手くいくとは限らないとみている。これから、今年の成功をさらによくよく分析しておく事だが、まずはとにかく良かった。
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随筆   ブランデー梅酒が美味い  文科系

2024年08月16日 12時32分16秒 | 日記
 今年も5月末にブランデー梅酒ばかりをいっぱい作った。5リットル以上はあるだろう。皆さんご存じかどうか、5月後半頃になるとスーパーの梅酒作り材料コーナーには、梅酒用の焼酎の他に、最近は梅酒用ブランデーも並んでいる。僕の庭の梅の古木2本からとれる梅には、3年前からこれ専門でやってきたが、これが美味い。このブランデーの箱には、この梅酒の作り方が、梅:ブランデー:砂糖の割合なども含めてちゃんと書いてあるから、誰でも美味く作れるのだ。
  ワインの蒸留酒・ブランデーには元々葡萄の甘い香りがあって、それに蒸留酒のアルコールが混じってキュッと飲みやすいのだが、それに梅の味、酸味が混じると明らかに柔らかい飲み口になる。スピリッツと呼ばれる蒸留酒はアルコールが強くって、もともと女性には向かないのだけれど、このまろやかなブランデー梅酒は女性にも好まれる。女性でもオンザロックで飲めるのである。これは、周囲の人々に進呈して証明済みの話だ。僕のギターの先生の妻子両方がそう語ってくれた。社会人になったばかりのお嬢さんのお気に入りなのだそうだ。と言う人が居ると、作るこちらも嬉しい力が入って来るというものだ。今はまだ、去年までのものを飲んでいるが、まもなく24年製を開封できるだろう。その出来具合が、今から楽しみで仕方ない。
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今年のギター教室発表会は・・・  文科系

2024年08月01日 23時08分24秒 | 日記
 今年も標記の催しに出る。まだ教室に通っているからだ。8月31日開催なのだが、出演曲はバッハの「リュートかチェンバロのための組曲 ハ短調」のプレリュードを弾くことにして、懸命に練習中だ。クラシック・ギター仲間ではバッハ作品番号で「998番のプレリュード」と呼ばれているものだ。長い間に弾きためてきた僕の「暗譜曲群」の内の一曲なのだが、発表会で弾くとなると色々と直さねばならぬ点が気になって、細々と直し始めた。
  すぐ後に休符がついた装飾低音ばかりだから、その長さを全体的にちゃんとすること、これはいちいち消音技術と呼ばれるものを施さねばならない。また、高音旋律を低音伴奏できれいに響かせることが特に必要と感じる曲だから、その際の雑音を減らす努力がとりわけ必要と考えている。和音楽器で高音旋律を装飾低音できれいに響かせられなかったら、はなはだ気分が悪いのである。ただ、全体的に音が小さいクラシック・ギターという楽器でそれ相応の音量を出そうとすると、雑音が増えるのである。ある弦を爪弾いた右手の指や爪が他の弦に触ったり、左手押弦の抑えが甘いと、音がびびったりする。それらの修正に苦闘中の日々なのである。

 僕のように、癌手術の後遺症でランナー断念をした者には、ギター音楽があることがとりわけ慰めになっている。知らぬ間に2時間も弾き続けていて、首や肩が痛くなっていると気づくことがあるが、これ自身がランナー断念による体力低下の顕れなのだと思い知るのである。でもまー、83歳というこの年齢で2~3時間も弾き続けられるということこそ、幸いと言うべきだろう。ただし、それだけに身体のケアには注意していきたい。ランはできなくとも、階段往復とかロードバイク・ツーリングとかは辛うじてなんとか続けている・・・・。
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