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憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

日本サッカーの汚点、露呈   文科系

2021年10月31日 12時40分11秒 | スポーツ

 スコットランド・セルティックへ行った古橋のある行動が、彼の地で物議を醸しているそうだ。あるイングランド記者の記事を紹介したサッカーダイジェスト記事で知ったことだが、以下の通り。

『 エースの行為が物議を醸している。

 現地時間10月30日に開催されたスコットランド・リーグ第12節のリビングストン戦で、セルティックの古橋亨梧は約3か月ぶりのベンチスタート。ここまで公式戦15試合で10ゴールを挙げている日本代表FWは、スコアレスで迎えた58分からピッチに立った。

 問題のシーンが起こったのは、得点が奪えないまま突入した後半アディショナルタイムだ。敵ゴール前で混戦になった後、古橋が相手DFアヨ・オビリーに跳ね除けるような行為をすると、後ろから頭を叩かれたのだ。26歳のストライカーは後頭部を抑えてピッチに倒れ、オビリーにはレッドカード。セルティックにはPKが与えられたが、古橋に代わってCFで先発したギオルギス・ギアクマキスが失敗し、試合はドローに終っている。
 この古橋のリアクションがオーバーだと批判したのが、英国のスポーツジャーナリストであるアンドリュー・ディクソン氏だ。自身のツイッターで次のように綴っている。
「PKとレッドカードなのは間違いないが、フルハシの反応は、スコットランドのサッカーでしばらく見たことがないぐらい恥ずべきものだ。彼が日本から来て以来、素晴らしい面をたくさん見せてきたが、これは対極にある」

 いずれにしても、奪ったPKは勝点3に繋がらず、ベンチスタートでノーゴールと、古橋にとっては悔しい試合となってしまった。』

 古橋は日本に居るときと同様の反応をしたに過ぎないだろう。大げさに倒れるのが常識になっているからだ。大げさに転げ回ってから起き上がった後に普通にプレーしているという光景も日本では普通に観られるし。ちなみに、相手ボールの時などに「わざと遠くへ投げ、『取ってこい』と振る舞う行為」も多い。僕はこういう相手にリスペクトがない行為が嫌いで仕方ないのだが、イングランドや西欧も僕とおなじ感覚なのだ。だからこそ、痛そうに転げ回る「ネイマール」が嫌われてきたことについて、「高額な彼を欲しいと名乗り出るチームは、西欧には今後なかなか出てこないはずだ」とここに何度か書いてきたが、事実その通りになっている。メッシがいなくなったバルサがネイマールを採るかと一時噂されたが、僕は駄目だろうと見ていた。移籍無しの結果を見て、スペイン・サッカーにも西欧文化が残っていたななどと思ったものだ。

 この問題、米大陸と西欧とでサッカーの見方、感じ方が違うという問題なのである。エンタテインメント・ゲームとスポーツと言う考え方の違いなのだが。ちなみに、日本でも例えば、はっきりと南米系の鹿島にはこういう大げさな行為や反則、「敬意を欠く行為」が多いと観てきたから、ここでもこの鹿島のことを書いたことがある。僕は、スポーツが好きなのだから。だから、日本のサッカーもちゃんとスポーツになって欲しいと願ってきた。

 西欧へ行った日本人はすぐにこのことに気づくはずだが、行く前に知っていた方が良いと思う。思わず「変なプレー」が出てしまわないようにしておくためにも。ただし、西欧でもイタリアはちょっと違うかも知れない。これは、昔からブラジル人を多く採ってきたその結果なのだろうか。

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右流「戦争論」「国防論」はこう誤っている  文科系

2021年10月30日 00時15分55秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など

 選挙である。多分安倍ご一統、特に高市早苗氏の「予防戦争論」を意識してなのだろうが、米中戦争の危惧に関わって元首相、福田康夫氏が以下のように語ったそうだ。この論は、僕がここで描いてきた日中関係論議とほとんど同じ、普通の正論であると思う。他はほとんど、アメリカが、日本GDP2%まで高価な武器を売りたいための「創作」イデオロギーとしての「戦争論」にすぎない。その本質も合わせて提起したい。

『 日中首脳、早期に会談を 福田元首相、台湾有事「ない」
 10/27(水) 16:44配信  時事通信

 福田康夫元首相は27日、東京都内で講演し、日中関係に関して「新たな信頼関係を構築することが必要だ」と述べ、岸田文雄首相と習近平国家主席による早期の対面会談実現を求めた。

 沖縄県・尖閣諸島をめぐる対立については「小さな島の話とは思わないが、尖閣で争うぐらいでいいのか」として、大局に立って乗り越える必要があるとの認識を示した。

 また、日米中3カ国の関係について「非常に重層的で、壊すことは世界経済の破綻だ。(当面は)大きな問題は起こせない」と指摘。緊張が高まる台湾海峡情勢についても「何も起こり得ない」と明言した。敵基地攻撃能力の保有については「(周辺国と関係改善すれば)そんな議論もしないで済む」と語った。 』


 台湾は国際法上中国の領土なのだけれど、中国は台湾に攻め入りはしない。攻めたら台湾からの最大輸出品目・半導体が止まって、中国自身の輸出、経済が立ちゆかなくなる。
 もちろん、中国は日本も攻めない。日本から中国への輸出は、台湾のそれよりももっと多いからだ。
 米中争覇(論)は、パクス・アメリカーナ世界を維持したいという、アメリカ番長の面子ような問題にすぎぬ。最強軍隊を維持し、IT以外の唯一の輸出品、兵器を中国周辺国に売りたいだけなのだ。「中国が戦乱をー!」というのは、そういうアメリカ現在の広告塔にすぎない。

 関連してここで、戦争論、国防論を巡る、右翼論調の誤り、盲点について述べてきたことを改めてもう一度まとめておく。
① 人間に、戦争を起こす生来の気質、闘争本能のようなものはない。ましてや、この類の議論で国家の戦争を説明するどんなやり方も、社会ダーウィニズムという学問的誤りとされた。
② 一例「サピエンス全史」が明らかにしたように、人類史で戦争はどんどん少なくなってきた。そして20世紀には、国家総力戦の大悲劇を反省して、人類史上初めて反戦国際組織も生まれている。近代統一諸国家の国家警察権が国家内乱防止に繋がったように、国連警察権に戦争廃止が期待できる人類史時代入ったと言える。
③ なお、この議論に一言。「戦争はしないけど、戦争抑止力として軍隊は必要だ」。この手の論者にはある共通性がある。②を語らないのだ。これは人類のありうる未来に向かった議論としては、国家警察を語らず、各県警察だけを語っているようなもの。徳川幕府の国家統一、警察権の統一が、日本300年の平和と世界先進的繁栄をもたらしたことを日本人はよく知っているはずだ。
④ ちなみに、歴史的現在に於いて国連を無視することが急に多くなったアメリカが、世界平和に関わっては国連警察軍一本で行くと決めたら、世界はすぐにそうなるだろう。そうならないのは、この世界でアメリカこそがもっとも戦争放棄を避けたいからではないのか。これは、アフガン、イラクへの開戦、ベネズエラやイランへの戦争脅迫が示してきた通りである。平和憲法を持つ日本は、そんなアメリカとともに国防を図るのではなく、国連とともに図る道を求めていくべきではないか。

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掌編小説 血筋が途絶えていく社会  文科系

2021年10月29日 07時43分17秒 | 文芸作品
 
 照明が効き過ぎというほどに明るく、客も賑やかなワインとイタリアンのその店でこの言葉を聞いた時は、本当に驚いた。
「我が国の合計特殊出生率は一・一七なんですよ」
 思わず聞き返した。「一体いつの話なの?」
「確か二年前の数字だったかと……」。

 このお相手は、長年付き合ってきた友人、韓国の方である。最初に訪れた時の東部などは、僕が馴染んだ里山そのままと感じたし、食べ物は美味いしなど、すっかり好きになったこの国。何せ僕は、ニンニクや海産物は好きだし、キムチは世界に誇れる食べ物と食べるたびに吹聴してきたような人間だ。そしてこのお相手は、三度目の韓国旅行が定年直後で、連れ合いの英語教師出張に付いてソウルのアパートに三か月ばかり滞在した時に意気投合しあって以来、何回か行き来してきた仲のお方である。知り合った当時は二十代前半で独身だった彼は、十数年経った最近やっと結婚したばかり。子どもはという話の中から出てきた言葉である。ちなみに、合計特殊出生率というのは、女性一人が一生で出産する子どもの平均数とされている。既婚未婚を問わず一定年齢間の女性全てを分母としたその子どもの平均数という定義なのだろう。

「一・一七って、子どもがいない女性が無数ってこと? 結婚もできないとか? なぜそんなに酷いの?」
「そうなんですよ。我が国では大論議になってます。日本以上に家族を大事にする国ですし。原因は、就職難と給料の安さでしょうか? 急上昇した親世代が僕らに与えてくれた生活水準を男の給料だけで支えられる人はもう滅多にいなくなりましたから」
「うーん、それにしても……」
 僕があれこれ考え巡らしているのでしばらく間を置いてからやがて、彼が訊ねる。
「だけど、日本だって結構酷いでしょ? 一時は一・二六になったとか? 今世界でも平均二・四四と言いますから、昔の家族と比べたら世界的に子どもが減っていて、中でも日韓は大して変わりない。改めて僕らのように周りをよーく見て下さいよ。『孫がいない家ばかり』のはずです」
 日本の数字まで知っているのは日頃の彼の周囲でこの話題がいかに多いかを示しているようで、恥ずかしくなった。〈すぐに調べてみなくては……〉と思った直後の一瞬で、あることに気付いた。連れ合いと僕との兄弟姉妹の比較、その子どもつまり甥姪の子ども数比較をしてみて、びっくりしたのである。
 この後で正確な数字を調べたところでは、こんな結果が出てきた。

 連れ合いの兄弟は女三人男二人で、僕の方は男三人女一人。この双方の子ども数、つまり僕らから見て甥姪、我が子も含めた総数は、連れ合い側七人、僕の方十人。このうち既婚者は、前者では我々の子二人だけ、後者は十人全員と、大きな差がある。孫の数はさらに大差が付いて、連れ合い側では我々夫婦の孫二人、僕の側はやっと数えられた数が一八人。ちなみに、連れあいが育った家庭は、この年代では普通の子だくさんなのに、長女である彼女が思春期に入った頃に離婚した母子家庭なのである。「格差社会の貧富の世襲」などとよく語られるが、こんな身近にこんな例があったのである。

 それからしばらくこの関係の数字を色々気に留めていて、新聞で見付けた文章が、これ。
「とくに注目されるのは、低所得で雇用も不安定ながら、社会を底辺で支える若年非大卒男性、同じく低所得ながら高い出生力で社会の存続を支える若年非大卒女性である。勝ち組の壮年大卒層からきちんと所得税を徴収し、彼ら・彼女らをサポートすべきだという提言には説得力がある。属性によって人生が決まる社会は、好ましい社会ではないからである」。
 中日新聞五月二〇日朝刊、読書欄の書評文で、評者は橋本健二・早稲田大学教授。光文社新書の「日本の分断 切り離される非大卒若者たち」を評した文の一部である。

 それにしても、この逞しい「若年非大卒女性」の子どもさんらが、我が連れ合いの兄弟姉妹のようになっていかないという保証が今の日本のどこに存在するというのか。僕が結婚前の連れ合いと六年付き合った頃を、思い出していた。彼女のお母さんは、昼も夜も髪振り乱して働いていた。そうやって一馬力で育てた五人の子から生まれた孫はともかく、曾孫はたった二人! その孫たちももう全員四〇代を過ぎている。「母子家庭が最貧困家庭である」とか、「貧富の世襲は学歴の世襲。それが日本の常識になった」とかもよく語られてきた。今の日本社会においては、どんどん増えている貧しい家はこれまたどんどん子孫が少なくなって、家系さえ途絶えていく方向なのではないか。

 こんな豊かな現代世界がこんな原始的な現象を呈している。それも、先進世界共通の格差という人為的社会的な原因が生み出したもの。地球を我が物顔に支配してきた人類だが、そのなかに絶滅危惧種も生まれつつあると、そんなことさえ言えるのではないか。
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子や孫がいない少子化国、その訳  文科系

2021年10月29日 07時34分44秒 | 国内政治・経済・社会問題
 
 日本の出生数が1970年代から減少に歯止めがかからず、2019年度が「近年日本史上最少」になったのだそうだ。近年日本史上というのは、統計を取り始めたこの130年でということだ。日本政府はこの対策に努めてきたのだが、その理由は急速な少子化が社会保障などに困難を来すようになるからと説明されてきた。19年度にも内閣府がその原因分析を発表して曰く。「未婚化、晩婚化が原因」なのだそうだ。
 こんなきれいな言葉だけ? そこで、こう問いたい。
「では、その未婚化、晩婚化の原因は何か?」と。

 これに関わると観られるこんな数字を政府は同時に発表している。50歳まで一度も結婚したことがない人の割合「生涯未婚率」が、この25年間で男は20%、女は10%上昇したのだそうだ。現在25歳の人々が生まれた時から今にかけて結婚しない男性が5人に1人も、女性が10人に1人も増えたのでは、確かに子どもは少なくなる理屈だ。が、なぜ男の方が女に比べて、こんなに生涯未婚者が多くなったのか。これを分析しなければ、まともな少子化分析とは言えないだろう。それは、容易に想像はつく。経済力で、選んでもらえない男が増えているからではないのか。この25年と言えば、日本の国民一人当たり購買力平価GDPが、世界順位一桁代前半から31位に落ちたちょうどその期間に当たるのだから。自分が育った父の収入、家計など思いもよらぬほど貧しくなった日本で、さらに低収入の男性は結婚対象にされにくいと見るのが極めて自然な分析になるはずだ。

 晩婚化、未婚化は、この国をこんなに貧しくした政治の責任であると考える。特に安倍長期政権は最長政権と言うだけに、失敗した「三本の矢」、「インフレターゲット2%目標」など、その責任は大きい。失敗続きで延ばし延ばしにしてきた2%目標はいつの間にか語らなくなっているのだし。それだけではなく、この「3本の矢政治」の結末として、GPIFの18年度第4四半期には15兆円の損失を出している上に、現在の株価等官製バブルには同様の損失を出す空売り暴落の近未来さえ待っている始末。そもそも、世界31位まで落ちた国民一人当たり購買力平価GDPを、安倍長期政権は一体どう弁明するのか。それもなしに「少子化対策」などと語っても、何の「やる気」も見えないのである。
 
(19年度に書いた物です)
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「最強の野菜スープ」が好評   文科系

2021年10月29日 06時37分24秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など

      野菜スープのアレンジ効用  S・Yさんの作品です

 同人の野菜スープについての資料(原稿)を見て、さっそく真似て作ってみた。
 今までに冬の料理の定番として、似たようなものが食卓に並ぶことはあったが、大鍋でキャベツ、大根、人参、玉葱を味付け無しで煮込んだのは初めてである。
 その大量の野菜スープを冷ましてから大きなタッパーに移して冷蔵庫へ入れる。そして食事時、必要に応じて小鍋に取り分ける。その時々で固形コンソメや顆粒の鶏がらスープで味付け、また和風だしで八丁味噌を入れたり、だし醤油などで雑煮にも。中身も厚切りベーコン、ジャガイモの角切り、コーン、粗挽きソーセージ、鶏肉団子など変化をつけるのが楽しい。時には麺を入れたりして家族にも評判がいい。なにより簡単にたくさんの野菜と美味しいものが食べられるのが一番だ。冷蔵庫で三日ほどは保存がきく。

 このところ周囲に伴侶を亡くした一人暮らしの人が増えた。サークル仲間やご近所、友だちにも多い。そんな年代になったのだとしみじみと感じる。
 友だちなどは「独りは寂しいのと気楽なのが半々ね」「人生の残り少ない時間を、自分で自由に使えるのは嬉しいわ」「気持ちの上で足かせが取れた感じよ」と、彼女らは意外とサバサバとしている。経済的に安定して、不安がないのもあるのだろうが。
 ただ共通して困っているのは、一人分の食事、少ない量の調理法だという。
 そこで私は覚えたての野菜スープの作り方を伝えた。もちろん大いに喜んでもらえた。

 

 というこのスープを紹介した元の作品も、ここに改めて再掲します。

  「最強の野菜スープ」 文科系の作品です    

「この子は野菜を馬のように食べますから、よろしくお願いします」。結婚式前に母が今の連れ合いに改まったように姿勢を正してお願いしていたこの言葉をいまだに覚えているのはなぜなのか。このごろはこれを思い出すことさらに多く、八十路過ぎた感傷も絡んでかしみじみ感じられるのが〈母のこの言葉、何と有り難いものだったことか!〉。八十過ぎてもランナーを続けられ、活動年齢が延びているその原動力がスポーツ好きと並んで間違いなくここにあるようだ。最近このことを何倍も感じ、識り直した。

「野菜スープを昨晩作ってみました。簡単で味付けもコンソメだけで十分ですね。普段は毎日朝食時にファンケルの冷凍青汁を解凍して飲んでいますが、沢山の種類の野菜の栄養を摂るにはこの野菜スープは絶好ですね。両親も美味しいと言って喜んで食べていました。両親へ出すメニューが一つ増えたので助かります。また作り置きしておけば色々アレンジできますね。ありがとうございます。感謝です。」
 嬉しいコメントが返ってきた。僕のある日のブログ記事「最強の野菜スープ」に付けられたものである。三年越しのブログ友。神奈川に住み、十歳程年下の僕と同じランナー、Gさんの日記ブログには、九十歳を超えたご両親の介護日誌も入っている。即、応答した。
「Gさん、この優しい味はいわゆるダシなどの旨味の一種で、日本人も特に好きなもの。フランス料理の野菜と肉で作るミネストローネと同類の味なのも、なんか面白い。ご両親の『喜んで食べていました』も嬉しかった。大根やカボチャは甘さが出るし、トマトは酸味が加わる。タマネギやセロリはその独特の味を加えるし、ね。『作り置きして、アレンジ』の良いのがあったら教えてください」

「最強の野菜スープ」、これはこの六月に手に取ったある本の題名。著者、熊本大学名誉教授・前田浩は抗がん剤でノーベル賞級と世界に知られた権威であって、この本はスポーツマンにとっては格別に大事な大事な活性酸素対策の書である。「はじめに」に書かれているこの書の要点を示すスローガン風の文章と、野菜スープの作り方とを紹介してみよう。
「抗がん剤の研究者だからこそ、がん予防にも力を入れたい」
「野菜スープは猛毒の活性酸素を消去する物質の宝庫」
「野菜に含まれる各種の抗酸化物質が連携して害を防ぐ」
「野菜スープはがん予防に確実につながる」
 こういうスープの作り方だが、前田先生が常備している野菜は、キャベツ、タマネギ、ニンジン、かぼちゃで、これに各季節の緑黄色野菜を適宜加える。例えばそれら五百gほどをざく切り、一口大切りなどにして、重さの三倍(千五百ml)ほどの水を加えて火にかける。沸騰する直前に弱火にして、三十分煮込んで出来上がり。なお、ニンジン、大根などは皮をむかず、セロリやキャベツ、ブロッコリーなどの外側の色濃い葉なども、特に抗酸化物質が多い部分だから、よく洗って全部使う。調味料は入れなくても、好きなものを入れても良いが、僕は固形のコンソメスープの素を水五百mlに一つほど入れ、塩適宜をその日その人の好みに合わせて加える。特にこの液体スープ自身が生野菜の何十倍などという各種抗酸化物質の宝庫なのだそうだ。

 ここで、これらの背景理論を紹介してみよう。人間は運動するが、その時大気から取り入れる酸素とともに活性酸素を吸収してしまう。この活性酸素が人生最凶の細胞老化物質であって、これを中和しないと体中の細胞老化が進み、癌もできる。こういう活性酸素を中和してくれる抗酸化物質こそ、緑黄色野菜などが育むファイトケミカル。これでもって細胞老化、癌も防げるという理屈なのだ。ポリフェノールやカロテノイドを代表とするこれは、普通に野菜を食べるだけなら野菜の固い細胞壁、細胞膜に包まれたまま多くが便として放出されるが、煮込んで細胞膜が破れるとスープに溶け込んでくるのだ。だからこのスープが、細胞老化対策の宝物になるのだ、と。血管細胞の老化を防げば、免疫系強化などにも、いわゆる血色とか若い皮膚とか美容にもなるのだし、老人斑を薄くしたり、白内障や抗癌延命にも効いたという数々の実験結果も書かれていた。スポーツマンは特に、多量の空気と同時に取り込む活性酸素を中和させねばならないということだ。
 
 切り餅二つをチーンしてどんぶりのこれに入れれば立派な食事になる。生ソーセージや生協の豪牛「ヒレ肉の切れ端」をフライパンで焦げ目が付くまで炒めて入れると、香ばしくて美味い酒の肴だ。わがお連れ合いも「これを飲むようになって、よく寝られるようになった」と言いつつ、作り置いたのをどんどん活用してくれるから、上記分量が一日でなくなっていく。スポーツ習慣も加わって、「活動年齢百歳まで」になるかも知れない。

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八十路ランナーの手記(378) 孫のセイちゃんも俊足なんだけど・・  文科系

2021年10月28日 04時06分19秒 | スポーツ

 僕には2人の姉弟の孫がいて、文字通り「スープの冷めぬ距離」に住んでいる。その5年生の女孫ハズは、運動会ではずっとリレー選手。その彼女が先日、体操授業での走り幅跳びでも男子も加えて学年2番だと教えてくれた。そんなハズが先日、僕にこっそりと変なことを言う。
「(弟で1年生の)セイは、自分が凄く速く走れることを知らんのだよ。面白いでしょう」
 この話に興味を持って詳しく聞いていくと、こういうことと分かった。
「2年生からリレー選手になったハズの1年生の時は、50mが11秒台だった。ところが、1年生のセイが先日9秒台を出したと学童保育のある1年生がハズに教えてくれた。これは、ものすごく速い。だけど、セイはこのことを家庭内などでも全く何も語らなかったりして、全く無頓着である。自分の力を知らないのだ」
 僕には大変面白くて、興味深すぎる話と思えた。競争心が強すぎるハズにとっては、これに無頓着なセイが全く理解できないという、そんな対照に興味が湧いたのである。ちなみに、2人にランニングを教えたのは僕で、ハズが幼い頃に凄く良い「子どもランニング指導本」を見つけたことによる成果が2人に顕現しているという話でもあったことだし。

 ところで、この2人の水泳教室でも、ちょっと前に面白いあるできごとがあった。セイが5歳初めから通っている水泳教室を「もう辞める」と言う。理由を聞くと「進級テストが嫌だ」と語って、「あれが怖い」とまで表現して見せる。1年生初めで25mクロール卒業寸前という良い線まで行っていたのだから、僕はもうびっくりしてしまった。進級テスト前などに2人の水泳も指導してきた僕は娘と話し合って、辞めさせることにした。この時、この珍しいような性格は一体どういうものだろうかなどと、あれこれと思い巡らしていたものだ。

 その時から約2か月が過ぎたある秋の日、歯医者に連れて行くためにセイを学童保育に迎えに行った車の中で、こんな会話が自然に展開されていく。
「凄い汗だね」、と僕が一生懸命タオルで拭いてあげる。特に、頭髪の下がもうぐっしょりだったのだ。
「(学童保育前の公園で)鬼ごっこやってたんだね?」。「うん」。「セイちゃん速いから、捕まらんでしょ?」。「うん。ちっとも面白くない」。「どうして?」。
「鬼にしてくれんから。鬼やりたいというと、3年生が『お前はやらんでも良い』と言う」
「おかしいよな。何で、3年生がそう言うのかな?」
「3年生も捕まるからでしょ」
 ここまで来て、彼を巡る鬼ごっこの光景がほぼ見えてきた気がした。鬼でないときは、誰も捕まえに来ない。かと言って、鬼にもなれない。その理由は、鬼ごっこグループの最上級生・3年生が威厳を示せないからなのか。これじゃ、確かに面白くないよな。

 と、ここまでの話を、セイちゃんは実に淡々と語るのである。ハズのようには、全く誇らしげとか、自慢げでもなく。兄弟姉妹でも、こんなに性格が違うんだ! こんな彼が、随分手取り足取り教えてあげても自転車はまだ一人では乗れない拙さであるのが、また面白い。1年生のハズは、すでに僕と長距離サイクリングをやっていたのだから。彼の運動は間違いなく、力が入りすぎる癖があるのだろう。どんなスポーツでも脱力する術はとても大切で、以降はこれを教えないといけないな。

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随筆紹介 家族内孤独

2021年10月27日 14時00分03秒 | 文芸作品

 随筆  家族内孤独   S・Yさんの作品です

 今朝も隣家の洗濯物がまだ干されていない。そんなこといちいち気に掛けなくてもと思いながらもつい見てしまう。
 隣家の嫁である月子さんは朝が早い。私が起き出す六時半ごろには彼女は大人数の家族の洗濯物を、二階のベランダや庭先いっぱいに干し終わっている。
 それらがないということは、今朝も孫さんの世話で居ないのかな?
 このところ頻繁に次男の家へ手伝いに行く月子さん。昼近くに帰宅後、急いで洗濯物を干している姿をよく見かける。なぜ彼女の夫は家事を手伝わないのか。月子さんは遊びに行っているわけじゃないのにと、よそ事ながら腹立たしい。
 数年前、彼女の夫の父親と障害のあった弟は亡くなったが、それまでは三十代の引ぎ寵もり息子三人と舅姑らを含めて大人八人の世話を一手に一人でこなしていた。
 しばらくして息子の一人、次男が結婚をしたようで孫が二人いるという。孫は四歳の女児と、二歳半の男の子で、この子は生まれながらに心臓に欠陥がある難病だとか。先日も四回目の手術をしたそうである。コロナ禍のいま、付き添いは子どもの母親のみで、交代もできない。月子さんは次男の孫娘の世話に通う日々が続く。
 三ヵ月ほど前、夏の暑い日だった。郵便受けに近々工事をするという建築屋のビラが入っていた。よく見るとなんと隣家ではないか。工事期間は二ヵ月とある。古い家屋だから耐震補強の工事でもするのか。それにしても一言も挨拶はない。隣近所に騒音や工事業者の車が出入りして迷惑をかけることはお構いなしである。こんなことは以前にも何度もあった。隣家の倉庫の解体工事でわが家の壁が壊されたことがあった。このときわが家は新築したばかり。さすがに文句を言ったが、解体業者が謝っただけで、その場に居合わせた隣家の人は皆素知らぬ顔であった。
 今回も月子さんは夫から何も聞かされず、家の何をやるのか知らないと言う。隣家は表通りからは塀に囲まれていて、ベランダや広い庭などはわが家からしか見えない。軒下から錆びて傾ぎ朽ちたトタン屋根、そこから伸びて庭に長く垂れ下がった雨どいが見るからに危なっかしい。月子さんも困っていた。私はやっと直すのかと少し安堵した。

 ところが工事は玄関の屋根瓦の一部と家の外壁塗装のみで耐震補強も無かった。驚いたことに雨どいや傾いたトタン屋根は今だにそのままだ。外部のみ綺麗にしたのだった。                                           「物干し場に屋根をつけてやればいいのに。出かけたとき雨を気にしなくていいから月子さん助かるのになあ」                                                                                                                                                             私の夫が言った。彼もよそ事ながら気になるようだ。

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八十路ランナーの手記(377) 走法改善が定着してきた  文科系

2021年10月25日 00時22分18秒 | スポーツ

 先回376の冒頭でこう書いた。
『涼しくなったからというだけでなく、多分走法そのものに質的進歩が起こった。14日にジムで100分14キロ走って、中2日おいた今日外走り8・2キロでかなり余裕を持ってキロ6分52秒で回れた「これらの感じ」から分かる。(以下略)』

  ここに書いた進歩が、さらに前進したと思う。10月月間目標130キロに対して24日現在101・1キロまで来たわけだが、最近2日の走りがこんな風だった。
 22日は外走り9キロ強。この時はランニング時計の電池切れで8キロまでしか計れていなかったのだが、ウオームアップ緩走15分も入れてここまでがキロ当たり6分47秒とあったから、最後の3キロほどは6分30秒をかなり切っていたと思う。この8キロまでのストライドは86センチ、平均心拍数151とあったのも好調の証拠。
 次いで24日には、ジム・マシンで12キロにジム室内ランコースで1キロと、合計13キロ。流石に疲れたが、最後1キロの体育館内外周コース走りで、前回見た以下の留意点が結実したなーと実感しつつ、気分よく走れた。

・いまやっと左右の「地面つつき」脚が同型同リズムになって、スムーズに出るようになった実感がある。
・すると、顎を引いて上半身を立て、臍を前に出してやや前傾したフォームが自然に取れるようになって、腕の振りが弾むようなランを生んでくれるようになった。
・この弾みが生まれたときには、後ろ足の離陸法も自然にちょっと変わってきた。「前傾した腰の下に持ってきてほぼ伸ばして地面をつついた前脚の膝を、斜め前方に軽く最後一伸ばししつつ離陸できるように」。ほんのちょっとの一伸ばしだが、自然な前傾ができているとこんな事も継続できるようになったのである。つまり、こういう離陸をしても息が激しくならない。

 2年かけたこの走法改造は、まだまだ充実していく実感がある。というのは、このフォームが時としてごく微妙に崩れ、余分な力が入って疲れる時があるからだ。先回書いた右足の離陸がやや内側に入るという形で乱れ、上半身の左右ブレが大きくなったりする。すると、左脚の地面ツツキが弱くなって、ストライドが明らかに狭くなっていると気づくのである。

 なお、9月から設定し始めた月間走行距離目標は、10月の130キロという程度に今後しておこうと思う。生涯ランナー目標なのだから、無理することはない。

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「アベノミクスが就業率アップ」???   文科系

2021年10月24日 12時17分56秒 | 国内政治・経済・社会問題

 報道によると、安倍首相がアベチャイルド選挙応援で、こんな愚かな自画自賛を続けているらしい。
「アベノミクスは、就業率を劇的に高めた」
 こんなのは何の自慢にもならぬのに、流石国会で嘘八百答弁に終始したお方。自慢にならぬと言うその理由は以下の通り。

 第一に、民主党政権が出発したのは、「百年に一度の経済危機」と言われたリーマンショック直後の経済どん続の時代。この後9年も経てば就業率が次第に回復していくのは当たり前の話。民主党政権時代を「悪夢」などと言うときには、わざとリーマンショックに触れないやり方を常としてきたはずだ。

 第二に、今から十年前以降という日本は、団塊世代がどんどん退職した時期に当たり、普通なら新規雇用が多くなる。これまた当たり前の話。大量退職に、少子化の若者と来れば、正規職こそ増えて当たり前だったのだが、そうなったのか??

 第三に、増えた職業が、パートなど不安定職業ばかりだったからこそ、日本の平均賃金が韓国に抜かれたりして、先進国中最低クラスに落ちたのである。ちなみに、その韓国が最低賃金を大幅に上げた時には、日本政府はこれを嘲笑っていなかったか。「雇用の邪魔をする」とかの非難を投げつけて。これについても、安倍氏が信奉するやのノーベル経済学賞・ポール・クルーグマンは、今はもうこんな事を語っている。

『影響力のある多くの人々はこれまで、大きな不平等を正当化するために経済学の議論をうまく利用してきた。雇用が失われるから最低賃金は引き上げられない、といった議論だ。つまり経済学理論の政治的利用には右派的な傾向があった』(この22日、朝日新聞朝刊「コラムニストの目」、ポールクルーグマン)

 つまり、最低賃金を大幅に上げて平均賃金の先進国世界順位で日本を抜いていった韓国は、新自由主義的不平等の是正を日本よりもずっと速く、正しく行ったということだ。

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ありえない中国の台湾侵攻、その訳  文科系

2021年10月23日 14時18分18秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)

 台湾は確かに中国の領土。これは戦後国際的に決まったこと。ただし、台湾の実効支配政府が存在するから、実質他国も同じ。これをアメリカが「今後6年で、中国が台湾侵攻」などと、大騒ぎしているわけだ。中国が「自分の領土」という国際常識を語り続けるているのを良いことにして。ただし、中国が台湾を攻めるなど、ありえないと思う。その最大の材料がこれ。20年度の中国向け台湾輸出が17兆円で、台湾輸出全体の44%とか。中でも半導体が三割を占めるとか。中国が台湾を攻めたらその半導体が止まって、スマートフォン生産などがストップ。よって、アメリカと違って物作り経済が伸びているだけの中国が、台湾を攻めるわけにはいかない。こういう事実を日米主流論調は全く無視しているわけだ。

 アメリカは、最初対ソ冷戦、次いで「テロとの戦い」、そして今「民主主義を守る対中闘争」・・。いつも敵を作って、冷戦時代の二倍になった軍隊を正当化し、武器輸出を図ってきたということ。「購買力が衰えた資本主義経済国は、必ず軍事生産に励み出す」という世界史の法則よろしく、ということだろう。対中闘争で早くも、オーストラリアの原潜、日本のイージスアショアーが売れた? イージスについては価格不透明で、「安倍・河野政治闘争」があったっけ? 河野が「こんな馬鹿馬鹿しい値段を鵜呑みにするのか」と尻をまくったあれ、どうなった? 中国の民主集中制共産党の国家は誤りだと思うけれども、今のアメリカのような戦争国家にはまだまだならないだろう。なる必要も今はないのだし。

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団塊前後世代の罪  文科系

2021年10月22日 16時32分56秒 | 国内政治・経済・社会問題

 選挙である。団塊前後世代に今改めて、訴えたい。30年にわたって深刻になってきた日本貧困化を子や孫に残したまま死んでいってよいのかと。例えば20日の当ブログで扱った朝日新聞見だしの、これ。
「30年増えぬ賃金 日本22位」
「上昇率は4・4% 米47% 英44%」
 この記事の意味は、こういうものだ。先進国の集まりOECD(経済協力開発機構)加盟の35か国中2020年の平均賃金は日本22位で、この30年の平均賃金伸び率が標記の通りというもの。同記事中にはまた、こんな記述も。
『00年には世界1位だった日本の製造業の生産性はその後伸び悩み、18年には16位に後退した。低成長に加え、企業の賃上げも進まず、GDPの半分以上を占める個人消費も盛り上がらなかった』
『日本生産性本部によると、19年の一人あたりの労働生産性は37か国中26位、70年以降では最も低い順位で、主要7か国(G7)では93年以降、最下位が続く』

 この結果が、例えば、結婚できぬ子や孫が増え、結婚できても共働きでも子どもを大学にやれず、忙しすぎる生活を強いられるばかりの生活から、統計史上最低の出生数などなどというもの。60年安保世代が80歳、70年同世代が70歳、そんな僕たちがこんな日本社会を作ったのだ。

 アメリカでは今、ここ40年の新自由主義経済に対して重大な反省が始まっている。16年に生まれたトランプ大統領に見えたいわゆる「トランプ現象」もこの反省の変形した顕れと言われてきたが、このことは20日のエントリーに書かせていただいた通り。日本では同じ経済空洞化が問題になり始めたのはアメリカよりもずっと早くて、前世紀の終わり辺りからだったと思う。それで今まで、新自由主義経済に何の反省もなく、格差、貧困化は進むばかり、その上官製株価が上がっただけで普通の生活さえなくしたアベノミクス、三本の矢。団塊世代が目先だけに追われて、過去と未来を長く見ることができぬ間にこうなってしまったと言えるはずだ。

 新自由主義経済は株主資本主義経済。株主資本主義経済は、金転がし資本主義。職業を減らし、世界を貧しくしただけである。
 とこれから後は、一つの新自由主義経済批判としてこのエントリーをお読み願えれば幸い。『これから始まる「新しい世界経済」の教科書』(ジョセフ・スティグリッツ著)。この細かい目次を紹介した9月12、13、14日のエントリーです。「100年に一度の世界恐慌」と言われたリーマンショックへの反省を「国連スティグリッツ報告」としてまとめ上げたノーベル賞経済学者がその経験からの学びを改めてまとめたものです。

 それにしても、僕でさえがここで主要テーマにし続けてきた日本のこれほど急激な貧困化が、どうしてこうも国民に知られず、大きな話題、課題になってこなかったのか。国会でまともな答弁もしない政府が、マスコミを牛耳っていたからだとしか思えないのである。例えば、少子化の原因に関わる資料などは、政府が隠すだけではなく、この資料発表者を圧殺し続けてきたとは、その手の学者達が暴露し続けてきた通り。この期に及んでも「防衛予算をGDPの2%に」などと叫んでいる安倍ご一統は、アメリカに従って中国と戦争を構え始めているのだ。なんとなれば、中国から戦争を仕掛けるなど、今時なんの動機もないからである。むしろ、金融資本主義が物作り資本主義に敗れて没落しつつあるアメリカこそ、中国に覇権戦争をしかける必要を感じているのだろう。マッチョ帝国主義のままでいたい、アメリカ今時の暴力外交そのものである。

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お笑いにもならぬ「石油値上げ『解説』」   文科系

2021年10月21日 13時41分10秒 | Weblog

 昨日も本日も、ガソリンの7年ぶりの高値への値上げとかが、さかんにマスコミ話題になっている。そこでも、「専門家」らによってただ「現状維持なだけ」で「保守的」な、庶民レベルでないという意味で愚かすぎる「背景」論議がまことしやかに流されるだけだ。超短期の原因分析として、マスコミの偏向、世論ミスリードが示されているのだ。このように。

「コロナが終わり始めて需要が伸びたから、高くなった」???

 こんな馬鹿な論議だけを専門家がテレビで喋り散らしている。ちょっと考えて欲しい。今、原油埋蔵量世界1位と4位の国はどうなっている? ベネズエラとイランのことだが、二つともアメリカによる「経済制裁」、「経済封鎖」とかから、原油輸出がほぼできなくなっているはずだ。「反米」と言われるこの二国をこうしておけば、世界原油価格はアメリカの思うまま、ちょっと多く原油がいるときには大幅値上げができる。思えば、フセイン、カダフィ(イラクもリビアも、埋蔵量ベスト10の国だった)を殺したのも、こういう原油政策のため? そしてここ数年、ベネズエラやイランに戦争を仕掛けようとしてきたのも(思えばおそらく、経済制裁への布石であった)、この理由が第一ではなかったか。

 こういう原油高価格をごく短期視野の「需要と供給の関係」だけで説明する「専門家」って、どういう専門家なのか。こんな分析は石油がない工業国日本のためには全く駄目な解説なのである。さしずめ日本などは、ベネズエラとイランから安い原油がいつでも持ってこれるのだ。なのにこれをしないのは、アメリカの制裁が怖いから。こういうやり方で保たれている原油の「需給」関係って、どう形容すれば良い? と言うように、アメリカは世界の庶民の敵である。ベネズエラとイランの原油を解禁すれば、輸送費含めて世界中のすべての物価がどれだけ下がることだろう。これをしないことによって大儲けしているのが、米英石油メジャーと産油国・貴族国家なのである。

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世界一増えぬ賃金、マスコミは今もこんな片棒担ぎ  文科系

2021年10月20日 13時26分31秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)

「30年増えぬ賃金 日本22位」、「上昇率は4・4% 米47% 英44%」

 これは今朝の朝日新聞第一面二番手に掲載された総選挙向け記事の見出しだ。この対策、原因分析は、今の日本社会で最も重要なもの。特に、90年代までの給料生活を知っている世代にとっては、子や孫の将来を考えた場合に「このままでは死ぬに死にきれぬ」社会問題。この選挙でも最大争点のはずだ。日本のこの問題は特に、20年ほど前からはもう分かり切っていたもので、最近では麻生、安倍でさえ毎春闘ごとに「儲かっているのに賃金を上げぬ会社は守銭奴である」などとスピーチしてきたのである。何の成果もなかったから、常に口だけだったのだが。
 さて、この分かり切っていた国民死活問題を、今なお、日本マスコミはどれだけまともに取り上げているか。アメリカ・マスコミの原因分析との対比に於いて、日本のマスコミ批判を展開してみたい。

 例えば19年8月20日の中日新聞にこんな記事が載っていた。「株主最優先を米経済界転換」と見出しされ、書き出しはこうだ。
「米主要企業の経営者団体「ビジネス・ラウンドテーブル」は19日、株主の利益を最優先する従来の方針を見直し、従業員や顧客、地域社会など全ての利害関係者の利益を尊重する新たな行動指針を発表した。これまで米経済界は「株主利益の最大化」を標榜してきたが、大きな転換点となる」

 また、この記事のちょっと後12月3日「ニューズウイーク日本版」の「宗旨変えしたノーベル賞学者」と言う記事には、こんな内容が書かれている。
 代表としてまずはポール・クルーグマンの最近の反省の言葉。
『アメリカの製造業を支えてきた中間層が経済・社会的な大変動に見舞われることに気付かなかった。中国との競争でアメリカの労働者が被る深刻な痛手を過小評価していた、というのだ』
 他の経済ジャーナリストなども今は、経済学者らの過去理論を批判しているのだそうだ。
『多くの経済学者が福祉を犠牲にし、効率性を最優先して「高賃金の雇用を切り捨て、低コストの技術産業に未来を託した」というのだ』

 そして、この論文の末尾まとめはこういうものになっている。こちらは、もう一人のノーベル賞経済学者・ジョセフ・スティグリッツが90年代から指摘し続けてきたグローバリゼーション批判なのだ。(なお、このブログにはスティグリッツ関連のエントリーは多くあるので、以下のようにしてお読みいただける。当ブログ右上欄外の検索欄に彼の名前を入れて、その右の「ウエブ」欄を「このブログ内で」と換えて、🔍印をクリックする)。
『最大の負け組はやはり、アメリカの労働者だ。経済学者はかって、好況下では労働者は自分たちの賃金を引き上げる力を持つと考えていた。だが最近の見方はちょっと違う。多国籍企業が全世界を自らの縄張りに収めて四半世紀がたち、グローバル化した資本は国内に縛られたままの労働者よりも優位に立った』


 さて、アメリカ・マスコミのこの分析「(中国相手の)経済空洞化」は、日本では世紀の移り目からすでに激しくなっていたはずだ。だのに、「新自由主義批判」にはならず、新自由主義経済議論だけが相変わらず主流であっただけでなく、今なお、マスコミ主流はそれを脱していない。だからこその、この日本労働者の急な没落。最近最新のそういう例をいくつか挙げてみよう。

・新首相の「金融所得税」発言に対して即株価下落が起こったときに、これを支持して株価下落「対策」を説いた論議、論調がどれだけ起こったか。この論議は当然、こういうものになるはずなのだ。IT世界企業などに対する15%市場税がG20で話されているが、新自由主義対策、金融対策などは一国ではできず、国連規模で世界一斉に取り決めねば不可能なもの。つまり、日本マスコミは、一国だけでできないものは論じない積りなのか。歴史をさかのぼると、企業と戦わねばならぬ8時間労働制の獲得などは、一国内一斉の制度にせねばならなかったはずだ。金融税もG20とか、国連とかに持ち込む話なのだ。安倍、麻生が、そんな努力をしていたのかどうか?

・今回の総選挙の愛知6区で、6回当選のトヨタ労組を基盤にした古本伸一郎氏の出馬が取りやめになったが、このことを批判したマスコミ論調がどれだけあったか。世界大企業や金融所得から税をもっととってきて再分配をする国際的取り決めも最緊急の課題だが、わざわざ労組の声を弱めるような行為は、上の対新自由主義のアメリカ(少なくとも表向きの)論調から言えば、はなはだしい誤りになるはずだ。日本最大の労組団体・連合が原発だけにこだわって野党共闘を軽視するところから労組らしい政治活動が何もできていない問題も、この総選挙に向けた今や、重大な俎上問題になるはずだ。それをこの古本立候補断念にかかわっては、こともあろうに事実経過だけをさらりと述べるだけ。自民党や、カーボンに苦闘する経営者と一体になって?? 自民党に圧力をかけられた経営者の意思を汲んで労組候補を降ろす?? 

 日本のマスコミって、どうしてこう現象の後追いばかり、未来に向かった正しい問題意識をなくするようなミスリードばかりなのだろう。この拙文冒頭にあげた朝日の記事見出しのように、自分が提起している最も重要な国民的課題に対してこうなのだから、驚く。

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八十路ランナーの手記(376)走法改善に成功した、その内容  文科系

2021年10月18日 00時52分09秒 | スポーツ

 涼しくなったからというだけでなく、走法そのものに質的進歩が起こったと思う。14日にジムで100分14キロ走って、中2日おいた今日外走り8・2キロでかなり余裕を持ってキロ6分52秒で回れた「これらの感じ」から分かる。後者のタイムには、初め2キロ強をキロ8分内外に抑えに抑えて走ったウオームアップが含まれているから、これ以降はほとんどキロ7分を切って走っただけでなく、調子が乗ってきた最後2キロ強は6分30秒を大きく切っていたと時計を見て分かった。この2日の走行後疲労感がほぼなかったのも、フォームが変わったその「初めての感じ」がとても良かったと教えてくれたようだ。

 一昨年の暮れから「げたのうらさん」というブログ友に教えられて換えてきたフォーム(その原理、改善の詳細はずっとこのブログに書いてきた)について、ちょっと前から取り入れた「両脚の地面つつきだけでなく、後ろ足離陸時にちょっと地面を蹴る」をさらに少々改良できた。特に、右足裏をつつくその向きを少し外側に蹴るというか離陸するようにしたら、左脚がスムースに前方の良い感じの位置に行くようになった。左脚がこれまでなんとなく外に流れて地面つつきに力が入らない感じだったんだなーと今日初めて自覚できたわけだが、右の地面つつきの向きによって腰がやや右に流れていたから左脚のつつき場所が難しくなっていたと気づいたわけだ。永年慣れ親しんだ走行フォームを換えるって、本当に赤ん坊が初めて歩き出すときのようなもんなんだなーとは、少しずつ変える度にますます増えてくる実感。振り返ればとにかく、試行錯誤の連続なのである。

 「後ろ足を蹴って、大きく跨いで走る」から「前脚で地面をつついた反発力中心で走る」へとフォームをガラッと改良するという難工事を78歳からやるというその難しさはずっと感じてきた。今度もまたそう感じ直したわけで、「まだまだこの改良先があるのかも知れない」と思っておいた方が良いのだろう。でも、今回の改善を今振り返れば、9月28日の「(373)久々のキロ6分44秒」の好調、その分析の延長線上のものと分かるのである。つまり、あの日も今日のように走れていたが、今日ほどはその分析が正確ではなかったと。つまり、あの日や今日のように走れれば、ウオームアップ後の5キロを32分ほどでは走ることができると、そう確信できた。

・いまやっと左右の「地面つつき」脚が同型同リズムになって、スムーズに出るようになった実感がある。
・すると、顎を引いて上半身を立て、臍を前に出してやや前傾したフォームが自然に取れるようになって、腕の振りが弾むようなランを生んでくれるようになった。
・この弾みが生まれたときには、後ろ足の離陸法も自然にちょっと変わってきた。「前傾した腰の下に持ってきてほぼ伸ばして地面をつついた前脚の膝を、斜め前方に軽く最後一伸ばししつつ離陸できるように」。ほんのちょっとの一伸ばしだが、自然な前傾ができているとこんな事も継続できるようになったのである。つまり、こういう離陸をしても息が激しくならない。
・さらに、以上には何よりもこの事が加わってくる。以上を無意識にできている時は全身脱力が出来ていて、疲れない。これが崩れたときは余分な力が入るらしく、ものすごく疲れる。これが最近あった「好不調の大波」の正体だったのではないか。

 ただもちろん、走る前の水分摂取とグリコーゲン補給とを僕は軽視していたが、僕のような老人の場合特に重要になるようだ。バナナと水を摂っておくと、調子が良いから気づいた。筋肉維持のタンパク質もギリギリなのかも知れないからよく注意しておこうと考え直したところだ。 

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書評、「報道現場」望月衣塑子  文科系

2021年10月17日 13時48分37秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など

 東京新聞記者の彼女のこの書の全7章は、この通り。①会見に出席できなくなった。②取材手法を問い直す。③日本学術会議問題と軍事研究。④フェイクとファクトの境界線。⑤ジェンダーという視点。⑥ウィシュマさんの死が私たちに問いかけるもの。⑦風穴を開ける人たち。

 上記においては、③と⑥に特に力が入っていると感じた。③は、最近の思ったより長いこの攻防史を追っているし、⑥はエネルギッシュに足で稼いだ記事で、彼女らしい正義感が清々しかった。なお、この10月に出たばかりの本だから、標記にあること以外にも最近社会で問題になったことが色色入っている。黒川検事長問題、伊藤詩織さんのこと、④に関わって橋本徹氏とのやり取りなどなど。

 それぞれの話が独立した物だから、以下に、記者として近ごろの政治で最も重要だと扱われていて、かつ僕にとって興味深かった「安倍政権とマスコミ」と言える部分をそのまま抜粋してみることにした。「記者と政治の関係」という彼女の本領、④の一部である。

『先日、元首相の小泉純一郎氏にインタビューする機会を得た。小泉氏に政治とメディアについて尋ねると、読売であっても朝日であっても「等距離外交がメディア対策の基本」と言っていた。小泉氏は、メディアは基本的に批判する側に立つもの、だから総理になって特定のメディアと懇意にしたり、逆に拒否したりしてはならないと認識していた。
 かつ、小泉氏はそこでメディアを敵に回すのではなく、朝夕ぶら下がり会見を行い、その様子がテレビに映ることで支持率を高めていった。ある種の才覚であり、希有な例だろう。
 小泉氏だけではなく、歴代の首相は、批判することがメディアの役割と割り切り、一定の距離を置いていたという。元朝日新聞の政治部記者、鮫島浩さんからこんな話をうかがった。
「私が見てきた自民党政権の政治家たちというのは、メディアに対する許容力があった。良くも悪くも批判を受けて立ちましょうという感じでした。今の石破さんのような感じです。いろいろ批判されても無視することはなく、まず批判に耳を傾けていました」
 一方で安倍氏は、自身を批判する勢力を敵とみなし、たとえば朝日新聞のことは国会で何度も名指しで取り上げて「ファクトチェックしてください」などと発言した。マス・メディアに対する不信感、左翼やリベラルなメディアに歴史を修正され、自虐史観を煽られてきたと思う人たちから、安倍氏の物言いは、なぜか一定の支持を得ていた。
 一部の熱狂的な支持層に乗り、メディアとの等距離外交もすっ飛ばした。朝日新聞の南彰記者の著書『政治部不信』(朝日新聞、20年)によると、在任中の単独インタビューの数は、産経新聞(夕刊フジ含む)32回に対し、朝日新聞は3回だという。
 かつてはそういったことを政治家側もしなかったから、メディアもすり寄ることはなかった。安倍氏に気に入られたいというメディアはどんどん近づいていき、安倍氏を批判するメディアを、なぜか産経新聞が批判するという構図になった。産経はネットにいち早く流し、世間では私も含め、「反日認定」「北朝鮮スパイ」などと認定されてしまう。異様な空間がネット上だけではなく、雑誌や新聞といった言論の世界でも広がってしまった。
 しかし今、SNSやネット空間を見ていると、かつてのように極端な言説を叫ぶ人は引き続きいるのだが、菅氏の長男である菅正剛氏の接待問題やオリンピックの開催についても、やっぱりおかしいものはおかしいという声が主流になっていると感じている。だいぶ正常化したのではないだろうか。
 それは、安倍氏が辞任する流れにもつながったのかもしれない。突然の休校要請やアベノマスクなど、首をかしげる政策が次々と打ち出されて、一方で日々多くの方が感染症で命を落としていく。危機管理を掲げていたのに実際はこうなのか、という批判が噴出していた。安倍氏を応援していた支持者の中にも解雇されたり、店を閉鎖せざるを得なくなった方もいるだろう。そういう怒りもあったのかもしれない。
 政権が近づいてきただけではなく、メディア側が政権に気に入られたいと忖度していった。それがメディアの萎縮を生んだ。ビジネスという点で言えば、安倍氏の発信を好意的に扱うことによって一部の支持層に読まれる。ビジネスとしてもかなり回った。』 

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