九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

日韓不幸の源   文科系

2019年11月30日 08時09分59秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
 これも、2015年の所属同人誌に初出の文章です。昨今の日本に、右の方々向けの雑誌は多く出ています。が、彼らお好みの論議、「南京大虐殺」、「慰安婦」はもちろん「日韓問題」「太平洋戦争」などはその全貌を書いたものはほとんどありません。従来の高校などで習った日本近代史を部分的に否定する形で、書かれているからなのでしょう。日韓問題も慰安婦問題も明治維新直後からの日韓関係史の流れを正しくおさえながら観なければ部分の理解も誤る理屈です。ちょうど、太平洋戦争や南京虐殺が、明治維新からの流れの中でも観なければ、正しい認識が持てないのと同じだと思います。さて・・・、


 ちょうど五十年前の一九六五年六月二二日、日韓基本条約が調印された。この七月には、「アジア・太平洋戦争敗戦七十年」に関わって、安倍首相の新たな談話も出るようだ。去年だったか「ハルピン安重根記念館設立で、韓国が中国に謝意」というニュースに管官房長官が怒りの談話を発表したという出来事もあった。「伊藤博文暗殺のテロリストを褒め称えるとは、日本に対してなんたる失礼、侮辱!」と、正式抗議までしたようだ。そんなこんなで、この機会に日韓問題について、改めて思うところを書いてみたい。

 六五年の日韓条約合意は、締結までに十四年もかかった……。両国の立場が大きくかけ離れ過ぎていたからだ。その理由をたとえば六月一日の中日新聞が、二つの問題に集約できると述べている。この二つとは、①三五年間の植民地支配をどうとらえるかということ、②①の「賠償」についての名目と金額のことである。加えてさらにこの二つそれぞれに別の難問が付け加わってくる。韓国は①を明治維新直後からの日本武力侵略史と捉えているのだろうし、①も②も太平洋戦争以前の「歴史」問題であって、連合国による日本「裁き」とは別個に二国間交渉だけにゆだねられたものだったということだ。

 これらの問題をさらに難しくする対立点もあった。日韓条約交渉に臨んだ当初の日本側久保田代表が、韓国植民地化は合法的になされたとか、インフラ整備など韓国近代化に貢献したなど良いことも多数あったから在韓財産を請求できるはずだと語ったのである。韓国は当然、武力による侵略であったし、財産請求などとんでもないと反応した。このような対立、認識の相違こそ日韓関係を難しくしてきた原点、大元だと僕は観ている。
 この久保田発言は後にお詫び付きで完全撤回される。それなのに、この久保田発言の思想が今でもいわゆるネット右翼諸氏の理論の骨子であり続けているということが、興味深いところだ。難しくて当然なのである。朝鮮植民地化までに日本がどれだけ長く、どんなふうに武力鎮圧してきたかという歴史認識で、日韓間には大差がありすぎるからだ。痛みを与えた側よりも痛められた側がその記憶を消せない理屈である。この数年僕も調べてみたが、日本が朝鮮に行った以下のことなどを、日本人はどれだけ覚えているだろうか。

 日本の武力侵略は、明治維新直後一八七五年の江華島事件にまで遡ることができる。日本に置き換えて言えばこれは、「ペリー来航・即東京湾周囲を砲撃しつつ東京まで侵出」と言えるようなものであって、朝鮮にとっては大事件であった。大日本帝国軍隊初の平時外国常時駐留も、八二年に朝鮮で認めさせている。九三年の東学教徒反乱事件は日清戦争のきっかけになったものだが、日本軍がこのときどれだけの朝鮮人を殺したことだろう。九五年には、こんな大事件も起こった。夜陰に紛れて宮廷深くに忍び込んだ日本人が王妃暗殺という大事件を引き起こしている。日本の駐朝公使が主導して、王妃の死体に石油をかけて焼くというショッキングなものである。この背景の性質上、世界的な大問題になった事件でもあった。王妃・閔妃が初め清国と、次いでロシアと連携して、日清戦争後の反日機運に動いていたからである。首謀者は三浦梧楼日本公使。この残忍な行為に現れた反日行動への憎しみこそ、日本側の一部の人々がその後の日韓関係をどう理解してきたかを象徴しているように僕には思われる。

 安重根事件は一九〇九年にハルピンで起こったが、韓国の記念館パンフレットではこれを「ハルピン義挙」と呼んでいる。この問題の理解は難しい。当時の「法律」から見れば当然テロリストだろうし、今の法でも為政者殺しは当然そうなろうから。が、四〇年かけて無数の抵抗者を殺した末にその国を植民地にしたという自覚を日本側が多少とも持つべきであろうに、公然と「テロリスト」と反論・抗議するこの神経は、僕にはどうにも理解しがたいのである。「向こうは『愛国者』で、こちらは『テロリスト』と言い続けるしかない」という理解にさえも、僕は賛成しかねる。
 今が民主主義の世界になっているのだから、やはり植民地は悪いことだったのである。「その時代時代の法でみる」観点という形式論理思考だけというのならいざ知らず、現代世界の道義から理解する観点がどうでもよいことだとはならないはずだ。「テロリスト」という言い方は、こういう現代的道義を全く欠落させていると言いたい。当時の法で当時のことを解釈してだけ相手国に対するとは、言ってみるならば今なお相手を植民地のように扱うことにならざるをえないと、どうして気づかないのだろうか。僕にはこれが不思議でならない。こんな論理で言えば、南米で原住民の無差別大量殺人を行ったスペイン人ピサロを殺しても、スパルタカスがローマ総督を殺した場合でも、テロリストと呼んで腹を立てるのが現代から観ても正当ということになるだろう。


 一九一〇年の朝鮮併合は、こういう弾圧・反乱・鎮圧のエスカレートを高めていった四十年近い歴史の結末であった。朝鮮をめぐってここまで、初めは清国と争い、次いでロシアと戦った。今ふり返れば、ここから満州事変・十五年戦争までは既に指呼の間ということになる。朝鮮併合前四十年と併合後三十五年。この全体に対する真摯な反省が日本国民に生まれないうちは、正常化などうまくいかないにちがいないのである。


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随筆 「右」の人々の戦争「哲学」   文科系

2019年11月30日 07時52分53秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
 この論考は、2016年1月の同人誌に初出のもの。これの何回目かの再掲です。「九条バトル」というブログ名称ゆえか、ここを訪れる右の方々がとても多く、彼らの文章、「考え方」や討論から学んで、ちょうど10年目にここに書いたものです。かれらにとって無意識のものも含めて、こういう「思想」になっているということを発見したつもりです。


 あるブログの共同運営を大学時代からの友人に頼まれてかっきり十年やってきたが、そこでいろんなネット右翼諸氏とやりあってきた。ブログ名称に「憲法九条」が入っているゆえなのだろうが、こういう方々の訪問が絶えなかったからだ。たとえば、
『平和を願い、母国を愛する一未成年から反論させていただきたい。・・・以上、反論があれば随時丁重にお返しさせていただく故、フェアに品のある議論を望む』
 これは「平成の侍」と名乗られたお方がこの八月十九日に僕の文章に寄せてきた長文コメントの前後だが、たった一回僕が出した回答に対して、もうお返事が何もなかった。僕の文章内容が彼が考えたこともないようなものだったから再回答のしようがなかったのであろうが、はてこれは「フェアに品のある議論」であったのかどうか、難しいところだ。

 こんなふうに知識も思考力も様々な方々を相手にしたこの十年、実に多領域の勉強をさせられたし、いろいろ考えさせられつつ今日まで来た。慰安婦問題は明治維新以降百年の日朝関係史学習にまで拡がっていったし、南京虐殺や「連合国史観」は「アジア・太平洋戦争史」の復習に繋がった。こちらが学んでいくごとに「これだけ稚拙な知識しかない相手が、どうしてこれだけ自信ありげに頑張れるのだろうか」と気付き始めた。その度に訝り、考え込んで来たのがこのこと。これだけ確信ありげに語るのは、世界も狭いからというだけではなく、自分を納得させ、確信させる信念を何か持っているからだろうが、それって何なんだろうかと。
 これらすべてにおいて、同じ人間という生き物に、どうしてこれだけ見解の相違が生じるのだろうかと、そんな哲学的問題意識をも温めつつ、相手の言い分を観察してきた。
 そこで最近になってようやく気付いたのが、これだ。

 米国は実体経済がIT産業ぐらいしかない。サービス業ばかりで、相対的貧困者と格差が大問題になっている先進国である。サブプライムバブルや九年にも及ぶ紙幣大増刷・官製バブルなどなどマネーゲームで儲けて、日本やBRICS諸国相手の現物貿易収支大赤字をその分カバーしている。がこの国、戦争が流行ればその苦手な現物経済もなかなかの物なのである。兵器産業でいえば世界ダントツの実力があるからだ。貧乏な国、地域には、本来廃棄すべき多量の中古品などの廃棄料が収入に転化する。日本や石油成金国などには第一級の高価な最新兵器などなど。世界のどこかで戦乱が起こるほどにこの商売はいつも大繁盛だ。
 ところで、戦争は無くならないと語る人は当然、こう語る。「国が滅びないように、国土防衛が国として最大の仕事」。こういう人々が世界に増えるほど、貿易大赤字国の米国は助かる。いや、助かるという地点を越えて、今の米国は「テロとの戦い」とか、以前なら「共産主義との戦い」などなどを世界戦略としているからこそ、地球の裏側まで出かけていったりして、あちこちで戦争を起こしているのである。まるで、人間永遠に闘う存在だという世界観を広める如くに。失礼を承知で言うが、「人間必ず死ぬ。貴方も間もなく死ぬ」と大いに叫べば、葬式屋さんが儲かるようなものではないか。


 さて、戦争違法化が、二十世紀になって世界史上初めてその国際組織と法が生まれたりして着手されたが、地上から戦争はなくせるのだろうか。この問題で極めて簡単な正しい理屈が一つある。戦争はずっとなくならないと語る人は「その方向」で動いていると言えるのだし、なくせると思う人はそういう方向に「参加していく」のである。つまり、戦争が未来になくなるか否かという問題とは、人間にとって何か宿命的に決まっているようなものではなく、今及び将来の人間たちがこれをどうしようと考え、振る舞うだろうかという実践的な問題なのである。世界の政治課題というものは、人間が決めるものだと言い換えても良いだろう。ところが、人間が決めるものだというこの真理を意識せずして否定する以下のような「理論」に最も多く出会えたのだと理解してから、僕の頭はすっきりした。
 社会ダーウィニズムという今は誤りだとされた社会理論がある。その現代版亜流の世界観が存在するようだ。「動物は争うもの、人間もその国家も同じだろう。そうやって、生物は己自身を進化させてきたのであるから」。この理論で言えば夫婦ゲンカも国同士の戦争も同じ(本質の)ものになる。そして、夫婦ゲンカは永遠になくならないから、戦争もそうだろうと、大威張りで確信できるわけだ。
『動物の争いは永遠になくならないのだから、人間も永遠に争うものである』
『人間は争うものだから、国家の戦争も無くならない』
 これが、ネット右翼諸氏の世界と政治を観る無意識の出発点なのである。最近、そう気付いた。対案はこれしかない。「二十世紀には人類史上初めて戦争違法化に向けた国際法、国際組織も生まれたではないか」などの歴史的事実と戦争はなくせるという世界観とを広めていくこと。その実を例え少しずつでも、粘り強く作り広げていくこと。

 以上ありふれて見えるようなことを書いたが、正面からは案外批判されてこなかった誤った戦争に関わる信念が巷に溢れていると言いたい。この日本には特に広く。集団主義ムラ社会の中で激しい競争を演じてきた団塊世代以降では、自然に持つ世界観なのかも知れない。


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日本軍慰安婦問題、当時政府の二通達   文科系

2019年11月29日 10時28分14秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
 このブログでは、日朝関係史、南京虐殺をいつも続けて来ましたが、慰安婦問題でもある決定的資料をいつも、そのまま再掲して来ました。偽情報を大量に流して、世を偽りで埋めようという大々的な世論工作が行われている我が国、昨今の風潮を、金に飽かした悪辣な暴力と感じてきましたから。以下の文書には、強制のことも軍自身が以下原文中でこのように認めています。

『故サラニ軍部諒解等ノ名儀ヲ利用シ為ニ軍ノ威信ヲ傷ツケ且ツ一般民ノ誤解ヲ招ク虞アルモノ或ハ従軍記者、慰問者等ヲ介シテ不統制ニ募集シ社会問題ヲ惹起スル虞アルモノ或ハ募集ニ任スル者ノ人選適切ヲ欠キ為ニ募集ノ方法、誘拐ニ類シ警察当局ニ検挙取調ヲ受クルモノアル等注意ヲ要スルモノ少ナカラサルニ就テハ・・・・』

 こうして、強制があったのも確かですし、この問題を単なる売春婦と言い逃れたとしてさえ、帝国陸軍設立慰安所とあらば歴史的意味合いが全く違ってくるはずです。以下の『大日本帝国陸軍省副官発』文書にも示されているように。


【 慰安婦問題、当時の関連2通達紹介  文科系2014年09月22日

 以下二つは「日本軍の慰安所政策について」(2003年発表)という論文の中に、著者の永井 和(京都大学文学研究科教授)が紹介されていたものです。一つは、1937年12月21日付で在上海日本総領事館警察署から発された「皇軍将兵慰安婦女渡来ニツキ便宜供与方依頼ノ件」。今ひとつは、この文書を受けて1938年3月4日に出された陸軍省副官発で、北支那方面軍及中支派遣軍参謀長宛通牒、陸支密第745号「軍慰安所従業婦等募集ニ関スル件」です。後者には、前に永井氏の説明をそのまま付けておきました。日付や文書名、誰が誰に出したかも、この説明の中に書いてあるからです。

『 皇軍将兵慰安婦女渡来ニツキ便宜供与方依頼ノ件
 本件ニ関シ前線各地ニ於ケル皇軍ノ進展ニ伴ヒ之カ将兵ノ慰安方ニ付関係諸機関ニ於テ考究中処頃日来当館陸軍武官室憲兵隊合議ノ結果施設ノ一端トシテ前線各地ニ軍慰安所(事実上ノ貸座敷)ヲ左記要領ニ依リ設置スルコトトナレリ
        記
領事館
 (イ)営業願出者ニ対スル許否ノ決定
 (ロ)慰安婦女ノ身許及斯業ニ対スル一般契約手続
 (ハ)渡航上ニ関スル便宜供与
 (ニ)営業主並婦女ノ身元其他ニ関シ関係諸官署間ノ照会並回答
 (ホ)着滬ト同時ニ当地ニ滞在セシメサルヲ原則トシテ許否決定ノ上直チニ憲兵隊ニ引継クモトス
憲兵隊
 (イ)領事館ヨリ引継ヲ受ケタル営業主並婦女ノ就業地輸送手続
 (ロ)営業者並稼業婦女ニ対スル保護取締
武官室
 (イ)就業場所及家屋等ノ準備
 (ロ)一般保険並検黴ニ関スル件
 
右要領ニヨリ施設ヲ急キ居ル処既ニ稼業婦女(酌婦)募集ノ為本邦内地並ニ朝鮮方面ニ旅行中ノモノアリ今後モ同様要務ニテ旅行スルモノアル筈ナルカ之等ノモノニ対シテハ当館発給ノ身分証明書中ニ事由ヲ記入シ本人ニ携帯セシメ居ルニ付乗船其他ニ付便宜供与方御取計相成度尚着滬後直ニ就業地ニ赴ク関係上募集者抱主又ハ其ノ代理者等ニハ夫々斯業ニ必要ナル書類(左記雛形)ヲ交付シ予メ書類ノ完備方指示シ置キタルモ整備ヲ缺クモノ多カルヘキヲ予想サルルト共ニ着滬後煩雑ナル手続ヲ繰返スコトナキ様致度ニ付一応携帯書類御査閲ノ上御援助相煩度此段御依頼ス
(中略)
昭和十二年十二月二十一日
         在上海日本総領事館警察署


『 本報告では、1996年末に新たに発掘された警察資料を用いて、この「従軍慰安婦論争」で、その解釈が争点のひとつとなった陸軍の一文書、すなわち陸軍省副官発北支那方面軍及中支派遣軍参謀長宛通牒、陸支密第745号「軍慰安所従業婦等募集ニ関スル件」(1938年3月4日付-以後副官通牒と略す)の意味を再検討する。
 まず問題の文書全文を以下に引用する(引用にあたっては、原史料に忠実であることを心がけたが、漢字は通行の字体を用いた)。

 支那事変地ニ於ケル慰安所設置ノ為内地ニ於テ之カ従業婦等ヲ募集スルニ当リ、故サラニ軍部諒解等ノ名儀ヲ利用シ為ニ軍ノ威信ヲ傷ツケ且ツ一般民ノ誤解ヲ招ク虞アルモノ或ハ従軍記者、慰問者等ヲ介シテ不統制ニ募集シ社会問題ヲ惹起スル虞アルモノ或ハ募集ニ任スル者ノ人選適切ヲ欠キ為ニ募集ノ方法、誘拐ニ類シ警察当局ニ検挙取調ヲ受クルモノアル等注意ヲ要スルモノ少ナカラサルニ就テハ将来是等ノ募集等ニ当リテハ派遣軍ニ於イテ統制シ之ニ任スル人物ノ選定ヲ周到適切ニシ其実地ニ当リテハ関係地方ノ憲兵及警察当局トノ連携ヲ密ニシ次テ軍ノ威信保持上並ニ社会問題上遺漏ナキ様配慮相成度依命通牒ス』


 さて、これを皆さんはどう読まれるでしょうか。なお、この文書関係の北支関連国内分募集人員については、ある女衒業者の取り調べ資料から16~30歳で3000名とありました。内地ではこうだったという公的資料の一部です。最初に日本各地の警察から、この個々の募集行動(事件)への疑惑が持ち上がって来て、それがこの文書の発端になったという所が、大きな意味を持つように僕は読みました。】
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南京虐殺の経過と史実   文科系

2019年11月28日 15時33分18秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
 あんたも無知丸出しかい? 南京市民より死者が多い三十万人などというヨタ話を、ほんとに信じるの?」
 今度の相手も上から目線でこちらを頭から押さえ込んで来た。いつも同様、僕のブログの過去文章を読んでいないことも丸分かり。丁寧に反論する。

 ①虐殺直前に、日本軍がしかけた上海上陸攻防の大激戦が三か月続いた。そこの中国軍三〇万が揚子江すぐ上流の首都・南京城めがけて潰走し、日本軍がこれを我先にと追撃して出来上がったのが南京城包囲である。城の外、付近の住民も首都軍の庇護を求めて逃げ込んだし、膨大な人数に増えていて当たり前なのである。

 ②次いで、「あんな短期間にそんなにたくさん殺せる訳がない。日本軍はスーパー・サイヤ人か?」とのご批判。これには、こうお応えする。南京城壁は高さ一八メートルで分厚く、一方は揚子江。この城の限られた城門から全軍脱出が敢行されたのが一九三七年一二月一二日の夜から一三日朝にかけて。作戦は完全な失敗。揚子江を渡れた兵はごく少なく、膨大な数の捕虜はその後どうなったか。以降の日本軍中国南下作戦を考えれば、生かして放つはずがない。以降七年半の占領下早い内に、収容施設へ連れて行くように見せかけて秘密裏に殺したと考えるの普通だろう。三一年の満州事変の無法行為で国連を脱退したことを巡る国際的批判と、国内の戦意高揚とのためにも、秘密裏にということが大事だった。

 ③と、僕が返した反論には間髪を入れず、こんなご批判。「それだけ死んだら、死者名簿は? 慰霊祭は? なぜ家族の猛抗議はなかったのか? これらがいまだにないのは嘘である証拠! せいぜい二万人がイーところだな!」。まるで鬼の首でも取ったように勝ち誇って来る。これもネトウヨ本の鸚鵡返しであって、勝ち誇ったこの態度も「自信」の顕れなのである。ただし僕は、一一年ここで闘ってきた勤勉な古参兵。こんなひょろひょろ弾に倒れる訳がない。
 当時の中国政府は、戸籍がないに等しく、兵士は浮浪者が多かった。それも、あの広大な全土から集められた人々。浮浪者が多く、戸籍がないなら、どうやって名簿を創り、家族に知らせるのか。しかも、以降一二年の中国は戦乱と、さらには国共戦争と政権分裂。日本の習慣で思い付いた訳知り顔の屁理屈に過ぎない。現に、中支派遣軍事前教育教科書にこんな記述がある。
『三三年に陸軍歩兵学校が頒布した「対支那軍戦闘法の研究」中の「捕虜の取扱」の項には、(中略)「支那人は戸籍法完全ならざるのみならず、特に兵員は浮浪者」が多いので、「仮にこれを殺害又は他の地方に放つも世間的に問題となること無し」と書かれていた(藤原彰『戦死した英霊たち』)』
(岩波新書「シリーズ日本近現代史全10巻」の第5巻『満州事変から日中戦争へ』加藤陽子・東京大学大学院人文社会系研究科教授、220ページ)

 ④すると今度はまた、こう返ってきた。「どんな理屈を語ろうと、死者数二万という学者の有力説もある。三〇万ははっきり嘘として、数をはっきりさせろよな!」。古参兵はこの数字弾のひょろひょろぶりもよく知っているから、こう反論するだけだ。
 確か小泉内閣の時に日中の学者が集まって虐殺数を検討する会議を持った。日本からも一〇名ほどが出たが、北岡伸一など政府系の学者らが多い日本側の結論は、二~二〇万というもの。なぜこんなに開きが出るのか。「虐殺犠牲者」の定義とか虐殺期間・地域などで一致できなかったからだ。特に虐殺に兵士を含むか否か。兵士の戦死は当たり前、虐殺の数には入らないと。が、これにも反論は容易だ。日本は中国に最後まで宣戦を布告をせず、地中あちこちから折り重なって出てきた膨大な若者人骨は捕虜を虐殺した証拠にもなる。以上から、日本の(政府系)学者らさえ二〇万人の含みを否定できなかったのである。


 さて、以下の内容がまた、以上すべてを裏付けるものである。

【 南京大虐殺、一師団長の日記から  文科系 2017年03月09日

「教育図書出版 第一学習社」発行の「詳録新日本史資料集成 1995年改訂第8版」という高校日本史学習資料集がある。これをぱらぱらと見ていて、南京大虐殺の資料を新たに一つ発見したので、ご紹介したい。408頁に南京攻略軍指揮官の中島今朝吾(けさご)第16師団長日記というのが載っていた。そこの全文を書いてみる。

『大体捕虜ハセヌ方針ナレバ、片端ヨリ之ヲ片付クルコトトナシタレドモ、千、五千、一万ノ群集トナレバ之ガ武装ヲ解除スルコトスラ出来ズ、唯彼等ガゾロゾロツイテ来ルカラ安全ナルモノノ、之ガ一旦騒擾セバ始末ニ困ルノデ、部隊ヲトラックニテ増派シテ監視ト誘導ニ任ジ、十三日夕ハトラックノ大活動ヲ要シタリ。シカシナガラ戦勝直後ノコトナレバナカナカ実行ハ敏速ニハ出来ズ。カカル処置ハ当初ヨリ予想ダニセザリシ処ナレバ、参謀部ハ大多忙ヲ極メタリ。
一、後ニ至リテ知ル処ニ依リテ佐々木部隊ダケニテ処理セシモノ約一万五千、大平門ニ於ケル守備ノ一中隊長ガ処理セシモノ約一三〇〇、其仙鶴門付近ニ集結シタルモノ約七、八千人あり。ナオ続々投降シ来ル。
一、コノ七、八千人、之ヲ片付クルニハ相当大ナル壕ヲ要シ、中々見当ラズ。一案トシテ百、二百ニ分割シタル後、適当ノカ処ニ誘キテ処理スル予定ナリ。』

 高さ18メートルもある分厚い南京城壁の限られた門から一夜にして日本軍包囲網を脱出しようとした中国軍兵は、その多くが捕虜になった事が示されている。どうせ逃げられないから、捕虜になって助かろうという態度にさえ見えるのである。ところが、これを最初からの方針として、全部殺してしまった。あちこちに分けて連れて行って殺し、埋めたということなのである。そもそも冒頭のこの部分が僕がこのブログで強調してきた要注意か所と言える。

「大体捕虜ハセヌ方針ナレバ、片端ヨリ之ヲ片付クルコトトナシタレドモ」

 最初から捕虜は殺す方針であったことが明確に述べられている。酷いもんだ。こんな資料があるのに、ネトウヨ諸君の種本論客達は、兵士虐殺を否定してきたのである。一師団長が聞いただけで彼等がよく語る「せいぜい2万人」などは、優に超えている。すべて世界に向けては、いや南京攻略兵にすら秘密の仕業であった。なんせ、上の手記にあるように師団長すら虐殺の全貌は知らないのだから。少し前にあった満州事変に対する国連非難囂々に懲りていたのだろう。また、国民の戦意高揚のためにも、敵への残虐行為は極力秘密にするものだ。実に卑怯、姑息な日本軍である。もっとも命令を出した奴らが卑怯、非道なのであるが・・・。】
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僕が政治論以外も書くわけ  文科系

2019年11月27日 07時36分44秒 | 国内政治・経済・社会問題
 これも定期的に載せて来た大事な議論と考えているもの。最後までお読みくだされば重畳。
 

【  改めて、「僕が政治論以外も書くわけ」 文科系 2012年01月15日 | 文化一般

 表記のことを、改めてまとめてみたい。随筆、サッカー評論などなど一見関係ないようなことを僕はなぜここに書いてきたか。ここが始まった6年前からしばらくはかなり気にしていたことだが、最近はあまりこれを書いたことがなかったと思いついて。

 僕がまだ若い頃から、こんなことが当時の大学で当たり前であった左翼の世界の常識のように広く語られていた。「外では『民主的な夫』、家での実質は関白亭主。そんなのがごろごろ」。そういう男たちの政治論に接する機会があると、正直どこか斜めに構えてこれを聞いていたものだ。どんな偉い左翼人士に対しても。レーニンの著作にたびたび出てくるこういった内容の言葉も、そんなわけでなぜか身に染みて受け取れたものだった。
「どんな有力な反動政治家の気の利いた名演説や、そういう反動政治方針よりも、恐るべきものは人々の生活習慣である」
 こういう僕の身についた感覚から僕の左翼隣人、いや人間一般を観る目も、いつしかこうなっていた。その人の言葉を聞いていてもそれをそのままには信じず、実は、言葉をも参考にしつつその人の実生活がどうかといつも観察していた。誤解されては困るが、これは人間不信というのではなくって、自分をも含んだ以下のような人間認識と言ってよい。人は一般に自分自身を知っているわけではなくって、自分の行為と言葉が知らずに自分にとって重大な矛盾をはらんでいることなどはいっぱいあるものだ、と。こういう人間観は実は、哲学をちょっとでもまじめに学んだことがある者の宿命でもあろう。哲学史では、自覚が最も難しくって大切なことだと語ってきたのだから。ソクラテスの「汝自身を知れ」、近代以降でもデカルトの「私は、思う(疑う)。そういう私も含めてすべてを疑う私こそ、まず第一に存在すると言えるものだ」などは、みなこれと同じことを述べているものだ。

 さて、だとしたら政治論だけやっていても何か広く本質的なことを語っているなんてことはないだろう。そんなのはリアリティーに欠けて、ナンセンスな政治論ということもあるし、「非現実的話」「非現実的世界」もはなはだしいことさえもあるわけである。それでこうなる。生活も語ってほしい。その人の最も生活らしい生活と言える、好きなこと、文化活動なんかも知りたい。どういう人がその論を語っているかということもなければ、説得力不十分なのではないか、などなどと。もちろん、何を書いてもそれが文章である限りは嘘も書けるのだけれど、その人の実際や自覚のにおいのしない政治論だけの話よりはまだはるかにましだろうし、随筆なんかでもリアリティーのない文章は結構馬脚が顕れているものだと、などなど、そういうことである。
 やがて、こんな風にも考えるようになった。幸せな活動が自分自身に実質希薄な人が人を幸せにするなんて?とか、人の困難を除くことだけが幸せと語っているに等しい人の言葉なんて?とか。そういう人を見ると今の僕は、まずこう言いたくなる。人の困難を除くよりもまず、自分、人生にはこれだけ楽しいこともあると子孫に実際に示して見せてみろよ、と。

 なお、以上は政治論だけをやっているのだと、人生の一断面の話だけしているという自覚がある論じ方ならばそれはそれでよく、五月蠅いことは言わない。だが、当時の左翼政治論壇では、こんなことさえ語られたのである。「歴史進歩の方向に沿って進むのが、人間のあるべき道である」と。つまり、政治と哲学が結びついていたのだ。それどころか、戦前から政治が文学や哲学や政治学、そういう学者たちの上位に君臨していたと言える現象のなんと多かったことか。
 そんなわけで僕は、当時では当たり前であった大学自治会には近づいたことがなかった。そして、左翼になってからもこの「政治優位哲学」には常に距離を置いていたものだった。これはなぜか僕の宿痾のようなものになっていた。


 なお、こういう「公的な場所」に「私的な文章」を載せるなんて?という感覚も日本には非常に多いはずだ。こういう「公私の峻別」がまた、日本の公的なもののリアリティーをなくしてはいなかったか。公的発言に私的な事を入れると、まるで何か邪な意図があるに違いないとでも言うような。逆に日本ではもっともっとこんな事が必要なのだろう。政治をもっと私的な事に引きつけて、随筆風に語ること。正真正銘の公私混同はいけないが、私の実際に裏付けられないような公(の言葉)は日本という国においてはそのままでは、こういったものと同等扱いされることも多いはずだ。自分の子供をエリートにするためだけに高給をもらっているに等しい文科省官僚の公的発言、「貴男が男女平等を語っているの?」と連れ合いに冷笑される亭主。


 ややこしい内容を、舌足らずに書いたなと、自分でも隔靴掻痒。最近のここをお読み頂いている皆様にはどうか、意のある所をお酌み取り頂きたい。なお僕の文章はブログも同人誌随筆も、ほぼすべて連れ合いや同居に等しい娘にもしょっちゅう読んでもらっている。例えば、ハーちゃん随筆などは、彼らとの対話、共同生活の場所にもなっている。】
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僕の九条堅持論 文科系

2019年11月27日 07時23分00秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
 ここに何度ものせてきた過去ログを、また再掲します。このブログ表題のことについて僕の見解ということです。


【  僕の九条堅持論 文科系  2011年03月09日

 ざくろさんという方が、ここでおかしな事を述べられた。
『原理原則から述べれば当然現行憲法は破棄されるべきものなんですけどね。』
 自衛隊という陸海空軍と憲法との矛盾について、これが、原理原則を本末転倒させた論議であるのは明らかだ。なし崩しに軍隊を作って、世界有数の規模と成し、強引に解釈改憲を通してきたやり方こそ、憲法という原理原則を踏みにじったと語るべきである。こんなことは、小学生でも分かる理屈だ。1国の憲法というものは本来、そういうものだと日々教えているはずだからである。
 あまつさえこの間に、この憲法を守ることが出来る世界作りを大国日本が率先して呼びかけ直す道も、「以下のように」あり得たのである。自衛隊を作る背景、原因にもなった冷戦体制が終わった時とか、サブプライムバブル弾けに端を発して100年単位ほどの世界大恐慌状態に落ち込んだ時とかに。そういう絶好の機会において、日本が国連でアメリカの投票機の役割しか果たしてこなかったのは、実に情けないことだ。なお、この恐慌は持ち直したという声があるがとんでもない暴論だと思う。世界にこれだけ失業者がいては、株が少々上がったところで、健全な経済状況などと言えるわけがないではないか。それが民主主義の観点というものであろう。
 

1 さて、古今東西、戦争の原因はどんどん変ってきて色々あり、一様ではない。よって「戦争を必然とする人間の本性」のようなものがあるとは、僕は考えない。これが存在するから今後も戦争は永遠に少なくならないというようなことを語るとしたら、その論の正しさを先ず証明してからにして欲しい。こんな証明は論理的にも、現実的にも不可能なはずだから「攻めてくる国があるから対応を考えなければならない」という立論だけでは、全く不十分な議論である。特に長期スパンで戦争をなくしていく視点が欠けたそういう論議は、万人に対して説得力のあるものではないだろう。
 20世紀になって、第一次世界大戦の世界的惨状から以降、そして第二次世界大戦以降はもっと、戦争違法化の流れが急速に進んできた。この流れは、18世紀西欧に起こった「自由、平等、博愛」の声に示されるような「人の命は権利としては平等に大切である」という考え方が定着してきた結果でもあろう。つまり、民族平等や国家自決権なども含んだこういう流れが、後退や紆余曲折はあっても近現代史に確固として存在するのである。
 世界史のこんな流れの中からこそ、長年の努力でEUもできた。EUの形成は、それまでの世界的戦争の先頭に立ってきたような国々が、互いへの戦争などを放棄したということを示している。
 20世紀後半になって、大きな戦争は朝鮮、ベトナムなどで起こったが、あれは東西世界体制の冷戦に関わったもので、その対立はもう存在しない。それどころか、中国も資本主義体制に組み込まれた現在では、日本のような先進大国を攻めるというような行為は、中国も含めた世界経済をがたがたにするという世界史的汚名を被る覚悟が必要になったとも言える。今時の大国の誰が、こんなヒットラーのような無謀行為を敢えて犯すだろうか。

2 さて、こういう世界の流れを観るならば当然、自国への戦争に関わっても二つのスパンで物事を考えなければならないと思う。一つが、「当面、日本に攻めてくる国があるか。それに対してどうするのか」と言うスパン。今一つが、「戦争違法化の流れを全人類、子々孫々のために推し進めるべき各国の責任」というスパンであって、これは、近年新たに目立ってきた世界の貧困問題や食糧問題などを解決するためにも世界万民が望んでいることだろう。なお、この二つで前者しか論じない方々は、論証抜きの「戦争は永遠の現実」という独断のみに頑強に固執して、数々の人類の不幸を全く顧みないニヒリズムだと、断定したい。
 以上のことは、世界の大国アメリカを観れば容易に分かることだ。アメリカは相対的貧困者や満足に医者にかかれない人々やが非常に多い「先進国」である。高校を卒業できない人が白人でも4人に1人であり、黒人やヒスパニックでは半分だ。現在の軍事費を何割かでも減らせれば、これらが救われる財政的条件が生まれる理屈だが、こんな当たり前のことが何故出来ないのか。ここの軍事費が何割か減ったら、攻めてくる国が出るというものでもなかろうに。だからこそ、今軍事費を減らそうとの視点を持たない「現実論」は、ニヒリズムだと呼ぶのである。 

3 まず上記の長期スパンであるが、こういう立場に日本が立ちたいと思う。
 先ず、国連には9条堅持と日本軍隊縮小方向を、代わりに『平和と貧困撲滅基金』というような形で毎年かなりのお金を国連に出していく方向を、改めて表明する。合わせて、こう表明する。
「軍隊を持たない方向を目指す代わりに、世界の『平和と貧困撲滅』に貢献したい。そういう大国が存在するのは世界と国連、人類の未来にとってこの上なく大きい意義があると考える。ついては代わりに以下の要求を万国、国連にさせて頂く。日本国憲法にある通りに、世界各国の平和を目指し貧困をなくすという希望と善意に信頼を置いてこういう決断を成すわけだから、以下の要求を国連に出す資格も当然あると考えている。
『日本に他国が攻めてくるということがないようにする努力を万国にもお願いしたい。また万万が一攻められるようなことがあった場合には、国連軍、国際的常設軍隊で即座に支援して頂くというそういう体制を至急お作り願いたい。国連をそうしたものにするべく、日本はその先頭に立ちたい』」 

4 九条堅持と、その実現のために、いやそれ以上に、世界の平和と貧困撲滅のために、3の遂行度合いに合わせて、自衛隊は縮小、廃止方向を取る。そのスパンも30年などと遠いものではなくしたい。
 なお、こういう構想は民主党小沢派、鳩山派などが持っている構想に近いものだと、僕は見ている。小沢派の「国連警察軍」などの構想は、これに近い発想、あるいはそうなっていかざるをえない発想なのではないかということだ。むしろ、親中国路線とともに国連常設的軍隊重視こそ、小沢がアメリカと親米派勢力に憎まれている理由だろうと考えてきた。また、このような案が大きく世に出てきた時には、共産党、社民党もこれに賛成せざるを得なくなるであろうとも予測する。つまり、以上の構想の現実的政治勢力、潜在勢力が現に大きく存在するということだ。
 ちなみに、国連自身の指揮下にある常設軍というならば、それに日本が参加してさえ、「国権の発動たる戦争」に関わる「陸海空軍その他の戦力」とは言えないだろう。また、フセインのクゥエート侵略があったり、アフリカのいくつかの国に同類のことが起こっている以上、かなり強力な国連常設軍が当面は必要だと思う。】
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随筆 「山火事」夫婦    文科系 

2019年11月26日 12時50分57秒 | 文芸作品
  暗くなるのが早まった秋の五時過ぎ、保育園帰りの自動車でいつもの道を左に曲がろうとして、止まった。左に自転車を引いて横断しようとしていた初老の女性が見えたからだ。その途端に、「ガシャーン!」。俺の身体が大きく揺れた。「大丈夫だった!」、とにかく隣に座った五歳の男の子、孫のセイちゃんに声を掛ける。「何があったの?」、けろっとした顔に、救われた。調べずとも状況は分かっている。後続車に追突されたのだ。おもむろに車を再発進、後ろの車が着いてくるのを確認しつつ、前方脇にあった駐車場に入る。続いて来たでっかい黒ワゴン車の車窓から、中年の女性がなにか大声を出していた。
 さて、その後の結果から見てもほんの小さなこの事故が、俺ら老夫婦に近年たびたび勃発する冷戦に繋がっていくなどとは、その時は夢にも思えなかったのである。それも、ほぼ一か月後に長い冷戦を招くことになるなどとは。
 連れ合いが俺に言う。「二週間安静の診断書が出たんだから、通院期間の書類なんかももらって来てね。私の職場で掛けて来た共済保険の保険金が出るから」。(なお、セイちゃんは安静一週間。子どもはダメージが少ないのだそうだ)対して俺はといえば「レントゲンを撮って軽い触診の後、一応様子見という診断書が出ただけで、なんともないんだよね」と応えを濁し続けてきた。以降も、彼女はそう言い続けて、二週間後。「ちゃんと書類をもらってきてよ!」。「いや、なんともないのに、余分な保険金なんかいーよ。僕の身体に関わることだ。鞭打ちの後遺症は後で出るということも含めて、僕の身体は僕が一番よく知っていて、分かるんだから」。と応えた途端にいつものように切れたことが、すぐに分かった。「なんでそんな『いじわる』するの! 僕の身体は僕が一番よく知ってるって、そんなの関係ないでしょ」。はて、「いじわる?」とはまた一体、どういう言葉か。俺も例によって切れてしまって例によって激しい言葉の応酬が起こったが、そんな平行線の応酬なんかは全く覚えていないもの。ただ、この応酬の時に、ちょっと前にあった別の応酬も持ち出して反撃したことは確かである。
 セイちゃんと、小学三年生の孫、女の子のハーちゃんの保育園と学童保育どちらかの週三日ほどのお迎えを娘夫婦が断るように彼女が仕向けていたと分かって、俺が元に戻したことに絡む応酬だった。「白内障が酷いから、秋の夕方は危険でしょ」とした彼女の越権行為に、「なぜ僕の頭越しに僕の行動を君が決められるのか!」という理屈、怒りが爆発した。この時も今度も、彼女が折れるということは金輪際無いことだから、常に終わりのない論争になる。彼女が持ち出したケンカはもちろん、俺が持ち出した数少ない抗議でも上手く決着が付いたためしなど、ほとんど思い出すこともできないのである。

 世間では夫婦とは、特に老夫婦になると、水か空気みたいなものとよく語られる。が、その伝で行くと我が夫婦は「火と油」。一方が燃え出すと、双方の応えが油となって、家は大火事である。一方が給油を止めなければ延々と燃え広がる山火事みたいなもんだ。大抵は馬鹿馬鹿しい気分になった俺の方が部屋に引っ込んでいくしかないのだが、リタイアーの後には、この山火事からしばらく緊急避難したことも二度ほどある。つまり、家出をした。こんな夫婦が、付き合い始めた二〇歳の時から五八年もよく続いてきたもんだ。はて、どうしたもんだろう?

 そんなわけで、いつだったか、直線距離三百メートルに住んでいるセイちゃん達の母、娘のマサに相談してみたことがあった。彼女も流石、俺らの娘。今や「大火事」「山火事」の中堅家庭になっていたのは知ってはいたが、こんな予期せぬ返事にとても驚いた。
『父さんが、リタイアした前後から母さんに言い返すようになったから、激しくなったんだよ。母さんは絶対に引かない人だし・・。』
『母さんの方はその通りだが、以前の俺が言い返さなかった??・・・ウーン、言われてみれば・・・。「他人の領域にも強引に踏み込んで指図する支配的性格」、これが「山火事」の原因なのは確かだが、俺がずっとこれを助長して来た? すると今の俺は何で言い返すようになった?』
 なんか、「山火事」の本質に一歩迫れたような気がした。確かにリタイアー後の俺は食事作りとその片付け、ゴミ出し、掃除や、買い物から孫の世話まで何でもできるようになって、家へも注文も出るようになった。これに比べれば昔は「文句を言わないことで協力している」などと、我が家をよく見知った友人女性に言われたことがあったなー。相棒にしてみれば何でも自分だけがやってきたんだから、何でも自分だけで回していくよなー。などなど、その時思い出したことも多かったのである。がそれにしても、俺の注文など無視されることも多い、一方的なこの支配的性格は一体どうしたものか。俺がちょっと抵抗するとあの爆発的出火だし・・・いや待てよ、そう言えば最近、それも減ったかも知れない。俺も適当に聞き流す事を増やして来たけど、相手も抵抗せずに黙っている事が増えた? 思っているよりは反省しているのかも知れん。いやいや、もっと黙らせんといかんし、そもそもすぐに怒るのをもっともっと抑えさせないといかん。 
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浦和敗北に、「ここまで、よくやった!」と  文科系

2019年11月25日 14時38分23秒 | スポーツ
浦和が、昨夜のアジアチャンピオンズリーグ決勝戦で、サウジのアル・アハリに敗北した。先日の第1レグで0対1、昨夜が0対2で、日本一多いこのチームのサポーターにとっては、惨めすぎる完敗である。準決勝の中国は広州恒大との対戦が見事すぎて、僕の目も曇らされていたと、今は認めざるを得ない。なお、この広州との戦いについては、10月25日のここにエントリーを書かせていただいた。

 さて、浦和である。
 広州の監督カンナバーロが言うように、外国人と当たり合う個人としての強さは確かに伸びているが、どういうかその力を使ったボール奪取組織が、どうにも弱い。これでは、横浜、川崎、広島、大分などこの組織力に傾注しているチームがどんどん増えているJの現状からすると、確かに勝てないわけだと改めて認識した。ボール奪取組織が弱いから、そういう組織で日頃のチーム内練習をしていると、必然ボールの繋ぎも甘く、悪くなる理屈だ。つまり、ボールが取れない、つなげないチームで、これが強いサウジ相手にはまるで個人個人で戦っている様相になっていた。この点を、僕も第1レグ前半とかの最初は「体力を温存しているのだ」と見ていたのだが、そうではなくこれが浦和の組織的実力だったのである。

 第1レグですでに確かに、「危うい取られ方」が数多く観られた。自ボールの繋ぎが緩慢で、緩い。そこを狙われて猛ダッシュのプレスを掛けられると、慌ててパスミス。それをシュートまで繋がれてしまう。そんな場面が昨夜も何度も何度も観られた。要するに危ないチームなのである。自チームの中で攻守に分かれて日頃の練習を重ねるときに、ボール奪取組織が甘いのだろうと推察できるわけである。とにかくあの、温い、甘い繋ぎには驚いたものだ。組織的実力の問題だから、これはつまり、監督の力量不足。監督がゲーム後に評したとおりにこういうことだ。
『選手は一生懸命やったが、力を引き出せず申し訳ない』

 こうして、今はむしろこう言いたい。
『現在リーグで降格争いに絡んでいるチームが、よく決勝戦まで残ったもの。これは立派。特によく走っていた興梠君、ご苦労様!』 
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書評『ドル化とは何かー日本で米ドルが使われる日』   文科系

2019年11月23日 00時52分07秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 世界の借金180兆ドル。ここから起こる世界最大問題として、ある解説をした本がある。「ちくま新書」から出ている『ドル化とは何かー日本で米ドルが使われる日』(土田陽介著 三菱UFJリサーチ&コンサルティング勤務のエコノミスト)。

 ここに書いてあることはざっとこういうこと。借金が多くなると、国の通貨の信用がなくなって紙くずになり、闇ドルも含めて、ドルばかりが横行することになる。これは国としての経済自主権でもって経済建設を果たすことができなくなったということだ。もう、アメリカの言うまま、何もできない。
 世界のある国に通貨危機が起こるたびに、こういう国が増えていく。そして、既に通貨危機など冷戦以降の世界中至る所で起こったし、人為的にいくらでも作ることができるのである。ということはもう、1000兆円をはるかに超える借金があるから財政ファイナンスという禁じ手に踏み出したことによって通貨自決権も実質放棄したも同然の日本も含めて、米による世界経済支配が半ば実現しているということだろう。抵抗できるのは中国だけ。つまり、米金融支配に属さない物作りがまともに存在しているのが中国圏だけということだ。

 僕は中国が良い国だとは思わないが、米金融支配経済よりも物作り尊重経済の方が日本、世界の庶民生活に関わる未来は根本的に遙かに可能性ありと考えている。

 ちなみに、これでは国連も無力になるわけだ。世界の現金を通貨操作や金融で奪って、その上で借金漬けにして国通貨の信用を無くした上でドルを使わせる。その金で頬をひっぱたけば、そんな国は国連でもアメリカの投票機になるしかないわけだ。借金取りに脅かされれば、投票権など無いも同然。コロンビアや今のブラジルはその典型ではないか。

 安倍が「日本はもう終わりだ」と言いだしたのは、実はそういう意味かも知れない。彼もやっとそれに気づくとともに、「2%目標は無理」ととうとう観念した末に初めて、中国経済に寄っていったのかも知れない。だとすれば安倍は、アメリカに引きずりおろされる。角栄や鳩山由紀夫、小沢一郎のように。だから、次の政権はもう、自民党ではだめ。小泉、竹中も同じ道を歩んできた共犯者であるから、その責任を取るべきなのだ。自民党は皆共犯者。その責任が取れない人間、議員になりたかっただけで、こんな責任をとる気のない人間ばかりのはずなのだ。
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米のボリビアへの革命輸出  文科系

2019年11月22日 15時06分43秒 | Weblog
 「マスコミに載らない海外ニュース」のサイトから、標記のこと第三弾目を転載する。ここ数十年、中南米左翼政権が時々倒されてはまた選挙によって左翼政権ができたりしてきたが、これは全てアメリカ金融資本の暴力によるもの。今は軍人内閣のブラジルにも、明日はまた違う政権ができるだろう。というような南米話は、知る人ぞ知る有名なことで、先例が1973年のチリ・クーデターである。陸軍を抱き込んだアメリカがクーデターを起こさせて、時の大統領をその官邸に押し寄せた軍隊が、執務室において殺した。大統領は今回のように逃げなかったから、殉死である。「国民に選ばれた大統領だ」という誇りから逃亡を拒否して、執務室で機関銃を撃ちながら殺されていったと聞いた。

 アメリカは今、こういうやり方で中南米の「統一」を図ろうとしているのだと、僕は観測してきた。各国すべての大企業が、アメリカ金融を最大株主に頂くようになる「統一」である。換言すれば、アメリカはこの数十年こういう「世界統一」を目論んできた。だからこそ、この「統一」に今や唯一竿して、アメリカのこの夢を壊しうる中国を潰そうとしているのである。ちなみに、国際通貨基金や世界銀行を通じて世界を金融支配していく道をも中国が潰しつつあるようにもなっている。この結果がこのこと。世界の借金は、今や180兆ドル。これこそ、アメリカの世界戦略の結末なのだ。


【 ボリビア新傀儡政権、アメリカ外交政策に即座に同調  2019年11月16日 ケイトリン・ジョンストン

 アメリカが支援する軍事クーデターによって権力の座につき、ワシントンに承認されたボリビア臨時政府は、帝国の塊に吸収されるのに抵抗する二つの政府との重要な関係を絶ち、アメリカを中心とする帝国との提携へと、既にボリビア外交政策を変更した。
 「金曜日、ボリビア暫定政府は、早速外交政策を大修正し、何百人ものキューバ当局者を追放し、長年の同盟国ベネズエラとの関係を絶つつもりだと発表した」とマイアミ・ヘラルドが報じている。「ボリビア新外務大臣カレン・ロンガリックは一連の声明で、医者と医療スタッフを含め、約725人のキューバ人が金曜日にボリビアを出国し始めるだろうと現地メディアに述べた。」
 「同じインタビューで、彼女はベネズエラからボリビア外交官を召還するつもりだと述べた」とマイアミ・ヘラルドは補足している。「後に、彼女はベネズエラ大統領ニコラス・マドゥロとの関係を維持するかどうか尋ねられて言った「もちろん我々はマドゥロ政府との外交的関係を破棄するつもりだ。」
 もちろん彼らはそうするだろう。

 注意を払っていた人々にとって、このニュースは決して驚きではない。アメリカ外交政策は、本質的に服従しない国々に対する果てしない戦争で、アメリカ権益に屈服するのを拒否する政府は、あらゆる手段で打倒され、屈伏する政権に置き換えられるのだ。
 個別の独立国という考え方を止めて、連合と帝国という風に考え始めた途端に、国際問題は理解がずっと容易になる。我々が目にしているのは、片やアメリカ合州国を中心とする非公式な地球規模の帝国とその軍と、片やこの帝国に吸収されるのを拒否した全ての国々との間のスローモーション第三次世界大戦だと表現することができる。吸収されることを甘んじる国々は、帝国との軍事的、経済的提携というニンジンの報酬を与えられ、拒否する国は、完全な一極世界支配という最終目的で、侵略や制裁や貿易戦争やクーデターの鞭で罰せられるのだ。帝国の塊が大きくなればなるほど、ベネズエラやキューバのような吸収されようとしない国の権益を損なう威力は、それだけ一層強く効果的になるのだ。
 一極世界覇権という狙いが全てに優先するのだ。帝国に忠実なままでいる限り、国家は、テロリストに資金供給し、ワシントン・ポスト・コラムニストを殺し、アメリカに集中した帝国からの、いかなる懲罰の恐れもなしに、世界中で最悪な人道的危機を引き起こすことができるのだ。2017年に漏洩された国務省メモの説明通り、帝国にとって、人権侵害は、吸収されようとしない国を、それによって攻撃するための戦略上重要な言説支配用兵器以上の何ものもでもなく、吸収した国によって行なわれる時は、無視されるのだ。
 アメリカが支援する軍事クーデターによって権力につき、ワシントンに承認された政府が、今それに反対するデモ参加者を殺しているのは、誰も驚くべきことではない。】
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GSOMIAを巡る筋論  文科系

2019年11月21日 06時59分15秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 23日に破棄期限が迫った標記のことで、日韓それぞれの思考の筋論を少々。安倍政権の論議する気のない国会答弁に現れているように、筋の通らなさが鮮やかすぎるほどに示されているからだ。

 安倍は、徴用工問題に腹を立てて、韓国をホワイト国から外した。つまり、「防衛機密を守らない国」のレッテルを貼ったことになる。そうしたら、韓国がこう出るのは自明の理であって、十分すぎるほどに筋が通っている。「防衛機密を守り合っていると信用する国ではないんですね?」と。つまり、日本が韓国にGSOMIAを破棄させたことになるのだ。それが筋論だ。
 対して韓国の方は今でも「終了という事態を避ける努力を日本とともにギリギリまでやりたい」と言い続けている。筋論としてのボールは、完全に日本側に預けられている。今後の見通しはこうなってきた。
 いったん、GSOMIAはもう、破棄。その後、韓国が、日本の今回の措置をWTOに提訴。そして、日本が負ける、と。何の理屈もなく内政と同様に外交についても力で押し通そうとした安倍政権の、惨めなWTO敗訴が目に見えているようだ。

 権力でもって官僚忖度を招き寄せ、政治論議の筋というものをおろそかにして力尽くで維持してきた「官僚に暴力をちらつかせて長期維持を図ってきた政権」だけのことはある。官僚にはこういう理屈があるだけに、権力には弱いのを逆手にとって。曰く『政治主導』!
 こういう暴力政権においては道理が引っ込む。自民党国会議員でさえ「憲法改定を趣味としてきた」と語るような、『桜を観る会』に示された『選挙だけ、後援会政権』!

 安倍政権が筋論議なしの暴力内政が通ったことに悪慣れしすぎて韓国にもそう対したが、今や安倍と同様のアメリカ暴力外交がお得意のクーデター工作よろしく、中国に近づきすぎた彼を「米中冷戦に役立たず」として引きずり下ろしにかかっているようだ。田中角栄、鳩山由紀夫内閣などを引きずり下ろしたやりくちを思い出すのである。このような「米のクーデター外交」こそ、世界が今荒れ続けている大元、元凶なのだが・・・。アフガン戦争、イラク戦争、シリア内乱、「トルコにクーデター教唆扇動」、「ベネズエラ・クーデターに軍事介入教唆扇動」、「イランに対しても戦争参加有志国募集」、そして「ボリビア・クーデター」・・・・。他国の自由と民主主義を踏みにじってやまないこれらアメリカの暴力外交こそ、今国連で非難・制裁決議が最も必要な対象ではないか。
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「ストーミング???」その後・・・  文科系

2019年11月20日 11時56分30秒 | スポーツ
 17日拙稿「世界サッカーの焦点、ユルゲン・クロップ(番外編②)ストーミング??」に書いた「月刊フットボリスタ」特集名称にも使われたストーミングという概念が、クロップ・リバプールへの誤りと言って良い理解に基づいているものという事を書きたい。

 そもそも、この用語が17~18年度のCL決勝などを評した一外国人の言葉に、ある日本人が目を付けたものなのだそうだ。その決勝戦に初めて進出したリバプールの、ガルディオラへの接近とか、そのポゼッションとかポジショナルプレーとかのとり入れを加味した概念なのだそうだが、このような理解への出生地そのものが誤っているのである。以下のように。

① まず、クロップ・ゲーゲンプレスを防御的なものとのみ解して、その以下のような攻撃性、得点力を理解していない。つまり、ゲーゲンプレスを単なるコンパクト・プレスと同じように解している。

② ゲーゲンプレスに、ゲーゲンが付いているのはどうしてか。クロップの言葉によれば「敵陣に攻め入った身方ボールを相手が奪って攻撃に転じたその瞬間こそ、身方がボールを奪えればゲーム中最大の得点チャンスができあがる。その瞬間こそ、相手が防御態勢としては最も乱れているときだからだ。だからこそその瞬間にこちらも『前に出てプレスを掛ける』」のである。つまり、ゲーゲンプレスとは、守備戦術という以上にむしろ得点戦術だという点を「ストーミング論者?」らは見落としている。

③ そこを見落とせばこそ、こういうことが起こる。ゲーゲンプレス成功の後には必ず、前に出たボール奪取体制のまま、守備体制としては最も乱れている相手に対して、身方が手数を省いてゴールに直結していくということになっていくはずなのだ。ストーミング論者には、これもゲーゲンプレスの内のことだとは観られていないわけである。

④ その上でストーミング論者は、「クロップの、相手に考える時間を与えない新たな攻撃術」なるものを見いだして、ポジショナルプレーとかの「グァルディオラへの接近」云々を語ることになる。そこから「守備としてのゲーゲンプレス」と「新たな攻撃法取り入れ」とを合併させた概念として、そこにストーミングという単なる形容詞を当てた。これは、グァアルディオラ崇拝者の彼への郷愁も絡んでいて、それだけにクロップに対しては失礼な概念創出と言いたい。


 得点戦術としてのゲーゲンプレスは、そのままどころかさらに威力を増して生きている上に、現在のリバプールにはむしろ、ゲーゲンプレスの過去には異常に多かった失点を減らしたところにこそ、今の栄光が存在する言いたい。今のリバプールに何か新語が要るとしたらむしろ、ゲーゲンプレスに付け加わった攻撃力ではなくって、それに付け加わった守備力との合併語なのである。それも、ストーミングなどと言うぼけた形容詞ではなくって、ちゃんとした定義になっているような概念を語ってもらいたいものである。
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森保解任も視野入れるべき理由   文科系

2019年11月20日 10時45分04秒 | スポーツ
 昨夜のベネズエラ戦は、本当に酷いゲームだった。ほぼ同順位国相手に1対4。この結果以上に惨めなのが、ゲーム内容の悪さ。一体どういう準備、ゲームプランを指導してきたのか。この悪さ自身は後で観るが、このゲーム以上の醜態が直前にもあった。トゥーロンではあれだけ強かったU22が、森保指揮下に入った途端に先日のあの体たらくを示したことだ。11月18日の拙稿「U22が大変弱くなった、その理由 文科系」に示したとおりである

 この2ゲームで分かったが、彼は今のサッカーを指導できないのではないか。現在世界最先端で日本人にもよくマッチする戦い方を指導できないようだ。この戦い方とは、トゥーロンのU22代表が示してくれたものなのに、これを指導する力が彼にないということが示されたように思う。トゥーロンでできたことが、昨日のフル代表・ベネズエラ戦と、17日のU22・コロンビアではどうしてできなかったのか。

 まずこのこと、18日拙稿では、横内監督のトゥーロンU22の戦いと森保監督になったコロンビア戦U22との違いをこう書いた。
『このコロンビア戦も、あの国内中心のトゥーロン・メンバーで戦った方が明らかに良かったはずだ。ヨーロッパの生半可なチームよりもJリーグの方がよほど日本人に合った厳しい戦い方をしているということだろう。中盤をコンパクトにしてDFラインも思い切って押し上げ、その代わり前がちゃんと敵ボールホルダーを抑えるという勇気の要る布陣のことだ。これが現在最高の世界水準の強い戦い方であって、日本では川崎、横浜を筆頭に、広島、鹿島もできるのである。こういう戦い方に対して、昨日のコロンビア戦代表は、まるでブラジルW杯大会の日本代表のような前と後ろがちぐはぐの悪循環。そういう戦い方に見えたのは、僕だけではないはずだ。南米勢相手に個人対個人で日本が戦ったら、そんな戦いは完敗するということである。』

 次いで、昨日のゲームについて、選手らの言葉。なによりもまず、強かったロシアW杯代表の司令塔であり、かつ昨日の代表キャプテンであった柴崎が、こう語っている。
『簡単に高精度のボールを上げられる距離感をつくった』
 この言葉通りというのがゲームを観ていても分かった。ブラジルW杯代表のような弱いときの日本代表によく現れる「前と後ろの悪循環」がトゥーロンU22の戦い方との大きすぎる違いだ。
『前のプレスが弱いから、サイドなどに良いパスを運ばれる。すると、DFラインが下がらざるを得ない。よって、組織が間延びして、プレスもかからず、ボールもつなげない』

 新聞のゲーム報道を見て知ったが、トゥーロンの監督で昨日のコーチでもあった横内氏が、昨日ベネズエラ戦のライン際に出て声をからしていたそうだ。森保氏ではなく、横内氏がこうしていることに「違和感があった」という記事があった。森保氏よりも横内氏の方が国際大会における日本の強みとその指導とによく通じているということを示しているのだと思う。
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ボリビア・クーデター、米流革命輸出の手法    文科系

2019年11月19日 10時19分01秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 昨日に続いて、標記の事を紹介したい。これがアメリカ外交の今のやり方なのだと思う。結局、イラク・フセイン政権を戦争で倒したのと同じことを、革命輸出というやり方で行っている。以下は、同じ南米のチリで1973年に起こったアジュンデ政権へのクーデターとそっくり。このチリの政権は、大統領執務室から逃げるのを拒否したアジュンデ大統領が機関銃を撃ちながら殉死していった事によって終わったが、ボリビアのモラレスは身の危険を察知してメキシコに逃げざるを得なかったわけだ。
『中国が民主主義国家になるまで敵対的に「体制転換」を中国に強いるように、軍事的・思想的圧力をかけなければならない』(米外交の長老 キッシンジャーの言葉)
『国際的秩序は、それをとことんまで防衛する意思および軍事能力があってのみ、存続できる』(米ネオコンの論客、ロバート・ケイガンの言葉)
 このケーガンの言う「国際的秩序」とは、アメリカの欲するそれである。そして、日本もこういう言葉の通りにされてきた。田中角栄政権、鳩山由紀夫政権を倒し、小沢一郎の政治生命を絶ったのもアメリカだとは、もう有名な話になっている。アメリカはもう、国連の下の多国間主義という国際民主主義を投げ捨てた、世界の暴君に成り果てている。
 昨日と同じで、『マスコミに載らない海外記事』のサイトから転載する。 


【 ボリビア・クーデター:五つの教訓
 アルゼンチンの社会学者アティリオ・ボロンが、ボリビア・クーデターについての重要な考えを示している。
 2019年11月13日 アティリオ・ボロン Peoplesdispatch

 エボ・モラレスは軍事クーデターで、大統領を強制的に辞任させられた。
 ボリビアの悲劇は、我々の人々や社会勢力や政治勢力が学んで、我々の良心に永久に記録しなければならない様々な教訓を与えている。これは、将来のより詳細な分析の序章としてメモした、短いリストだ。
一番目: 成長、再配分、投資の流れとマクロの改良とミクロ経済指標を保証したエボ政権の模範的な経済行政にもかかわらず、右翼と帝国主義勢力は、決してその権益に奉仕しない政府を受け入れないのだ。

二番目:攻撃の警報を認識するためには、アメリカの多様な機関や、学者やジャーナリストを装ったその広報担当者が出版するマニュアルを勉強することが必要だ。
 これらのテキストは、専門的俗語で彼らが「誹謗中傷」と呼ぶもので、人気が高いリーダーを泥棒、腐敗している、独裁者、無知とレッテルを貼り、評判を破壊する必要性を必ず強調している。
 これは彼らによるメディアのほとんど独占的支配を好むソーシャル・コミュニケーター、自称「独立ジャーナリスト」に託される仕事で、我々が扱う事例では、一般に先住民や貧しい人々に向けた憎悪のメッセージと一緒に、この名誉棄損を国民の心にたたき込むのだ。

三番目: 上記が完了するや否や、恥ずべきヴァルガス・リョサが数日前「権力を恒久化したがっている扇動家」と書いたエボの「独裁」を終わらせる「変化」を、政治指導者や経済エリートが要求する時が来る。
 ファシスト群れが略奪し、火をつけ、柱にジャーナリストを鎖で縛りつけ、女性市長の頭を剃り、彼女を赤く塗り、ドン・マリオの命令を遂行して、邪悪な扇動家からボリビアを自由にするために、最近の選挙の投票用紙を破壊する画像を見た時、彼はマドリッドでシャンペンを乾杯して、飲んでいたに違いないと私は思う。
 国民のリーダーを張り付けにし、民主主義を破壊し、自由でありたいとを望む、あつかましさを持った威厳ある人々を罰するために雇われたヒットマン集団が率いる恐怖政治を確率するための、この下劣な攻撃の、この無限の重罪の不道徳な旗手だからな、私は彼を例として言及しているのだ。

四番目:「治安部隊」が現場に入る。この場合、アメリカ合州国政府の軍なり民間なりの多数の政府機関に支配された組織について我々は話をしている。
 彼らは治安部隊を訓練し、彼らを武装させ、共同演習し、政治的に教育する。私はエボに招待されて、三軍の士官に対し「反帝国主義」の授業を開始した時、これを目撃する機会を得た。
 この機会に、冷戦時代から受け継がれている最も反動的な北米のスローガンの浸透度と、先住民が国の大統領だという事実によって起こされる露骨ないらだちに、私は驚いた。
 これら「保安部隊」がしたことは現場から彼ら自身撤退し、ウクライナで、リビアで、イラクで、シリアで、帝国を煩わすリーダーを打倒し、最後の例では、打倒しようとして行動したように、ファシストの群れに、無制限な行動をやり放題にさせて、国民や、好戦的な部門や、政府の人物を脅迫することだった。
 だから、それは新しい社会政治的概念だ:右翼がリクルートし、資金供給した反動主義集団が、彼らの法律を押しつけるのを可能にする「不作為による」軍事クーデターだ。恐怖が支配してしまえば、政府は無防備状態なので、結果は予想できた。

五番目:ボリビアでは帝国主義に植民地化され現地右翼の召し使いたる警察や軍のような組織に、治安や社会的秩序は決して託されるべきではなかったのだ。
 エボに対して攻撃が開始された時、彼はゆう和政策を選び、ファシストの挑発に反撃しないことにした。
 これが彼らを大胆にし、彼らが方策を強化するのを可能にするのに役立った。最初は、二回目の決選投票要求だ。次に不正行為と新選挙。すぐ後に(ルーラなしでのブラジルでと同様)エボ抜きでの選挙。
 それから彼らはエボ辞任を要求した。最終的に、彼が恫喝を受け入れるのいやがったので、エボに辞任を強いるため、連中は警察と軍共謀で恐怖感を植えつけたのだ。全てマニュアルそのままだ。これらの教訓から我々は学べるのだろうか?】
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アメリカの対ボリビア「外交」  文科系

2019年11月18日 14時51分58秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
「マスコミに載らない海外記事」のサイトに、僕と全く同意見の記事が載った。前にベネズエラでやろうとしたことと、全く同じ構図と思ったものだ。筆者は元米政府高官、ポール・クレイグ・ロバーツ。元経済政策担当財務次官補であったお人である。今回のボリビア政権転覆は、完全なクーデターなのである。


【 ボリビアは中南米がアメリカ帝国を脱出できないことを証明 2019年11月15日 Paul Craig Roberts

 ボリビアのスペイン系エリートの一人ヘアニネ・アニェスが自身をボリビア大統領だと宣言した。彼女は、再選を不正操作したと言ってエボ・モラレスを非難したワシントンと同盟しているエリートの一人だ。だがモラレスに大統領辞任を強いたCIAのボリビア人従僕連中は選挙を気にしていない。彼らは自身、大統領だと宣言し、選出されたマドゥロ大統領の地位を奪おうと望んだベネズエラのCIA幇間フアン・グアイドのように、大統領だと宣言するのだ。アニェス、グアイド、いずれも大統領選挙に立候補していない。彼らは単なる自薦大統領だ。CIAのフロント組織、米州機構は、選挙で選出されていない大統領を正当な支配者として受け入れた。トランプ大統領は、CIAクーデターが自由と民主主義を増すと宣言した。
 トランプは、ベネズエラのマドゥロに対するクーデター未遂や、ボリビアのモラレスに対し成功したクーデターを承認しながら、一体どうして、自分に対してCIA/DNCが進めているクーデターに文句を言うことができるのだろう?
 剣によって生きるものは剣によって死ぬ。自業自得。
 「マスコミ」を構成する淫売連中は、自称「大統領」が本物の大統領で、人々に選出された大統領は大統領でないふりをしている。ワシントンの候補者を選出しない全ての中南米選挙を、欧米売女マスコミは「疑惑選挙」だと報じる。当選した候補者が投票の85%を得ていても、それは重要ではない。彼がワシントンの見地から良くない候補なので、彼の当選は論争の的になり、違法なのだ。
 選挙で選ばれたモラレス大統領の地位を剥奪するよう、ワシントンは腐敗したボリビア軍に金を払った。これは常にワシントンが中南米の全てを支配した方法だ。腐敗した軍の買収だ。彼らは金ためには、妻に売春させるだろう。
 中南米では、皆買収されることに慣れている。キューバとベネズエラと多分ニカラグアだけがワシントンへの服従から逃れている。彼らに対する圧力が増大しているので、これら三国の進歩的政権が、いつまでワシントンに抵抗できるのかは、まだわからない。独立国家として彼らの生き残こることに命を賭けるとは私には言えない。ロシアや中国さえ政権転覆で恫喝されており、両国政府はそれについて自制しているように思われる。
 中南米の国々や独立を望む国々が、なぜ国内でアメリカの影響力を許すのかは謎だ。中南米の国々や、どんな国でも、アメリカの影響力は、その国の政府のいかなる独立も妨げる。私はそれは金だと思う。中南米の人々は独立より、ワシントンの金が欲しいのだ。
 ロシア内にアメリカの影響力を存在させるため、ロシア政府はあらゆる種類の屈辱を受け入れている。中国も同じだ。香港でワシントンが中国にしたことをご覧願いたい。中国政府が非常に無頓着なため、このきまり悪い事態をお膳立てしたのは驚くべきことだ。
 かなり多額のボリビアに対するロシア投資は失われるだろう。CIAが、スペイン・エリートを支配の座に戻したので、ロシアの投資はアメリカ企業に私物化されるだろう。なぜロシアは、正当な大統領モラレスを守るため、もっと多くのことをしなかったのかと思いたくなる。もしプーチンがモラレスにロシア軍連隊を送っていれば、ボリビア軍は身を引き、アメリカ帝国主義の代わりに民主主義が、まだボリビアに存在していただろう。
 世界至る所で起きているのは、もはや金以外何も重要ではないということだ。だから全てが金のために犠牲にされる。恥も名誉も品格も真実も公正もない。
 聖書の予言は本当で、アルマゲドンは我々の未来かも知れない。我々はそういう罰に相当しないと一体誰が言えるだろう。
 Paul Craig Robertsは元経済政策担当財務次官補で、ウオール・ストリート・ジャーナルの元共同編集者。ビジネス・ウィーク、スクリップス・ハワード・ニューズ・サービスとクリエーターズ・シンジケートの元コラムニスト。彼は多数の大学で教えた。彼のインターネット・コラムは世界中の支持者が読んでいる。
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