九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

小沢さんの変心?   楽石

2007年10月31日 15時33分34秒 | Weblog
福田さんと小沢さんの会談。
二人っきり。
「密室?それは見解の相違」とは小沢さんの弁。
それに対して福田さんは余裕たっぷりの会見。

どうも、第一ラウンドは、福田さんに軍配があがったよう。

  

外交は密室で、というのは、常套手段。
小沢さんの限界が見えたかも。

第二ラウンドが楽しみ。

追伸 今日、日本シリーズは第4戦ラウンド。
   どちらにとっても大切な一番。
   天王山を制するのは?

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小沢が第2の角栄に?  文科系

2007年10月30日 14時25分15秒 | 国内政治・経済・社会問題
「サンデー毎日」を立ち読みして「アメリカの『虎の尾』を踏んだ小沢は第二の角栄」という見出しが目についたので、この週刊誌を買った。

まず、その中の一文を紹介しよう。執筆者は牧太郎である。
「田中が石油ショックに直面し、果敢にも新中東政策を打ち出し、アメリカに反逆した。その結果、ロッキード事件の陰謀?で逮捕された」
「実は、角栄にそっくりな小沢が『第二の角栄』として政治的に殺されそうな『雰囲気』を感じているのだ」

僕も同じことを感じていた。日本では誰も手をつけられなかった角栄逮捕が、アメリカ発の「ロッキード事件」情報から始まったというのは、周知の事実である。これは臭いと、誰もが一度は思ったことだろう。僕はこのブログでも何回か、そのことを書いてきた。だから今回の「イラク給油」問題で小沢に何か起こっても、ここでも微力ながら彼を擁護してやろうぐらいの気持ちで臨んできた。角栄の秘蔵弟子、角栄裁判を全て傍聴した唯一の議員・小沢は、アメリカのやり口を知り抜いた人物だ。敵の敵は味方である。今は余程のことでない限り、そう臨むべきだ。それが政治的判断というものだと思う。
日本国の実際的政治改善にはまず、アメリカ産軍複合体との腐れ縁を絶つことが何よりも重要なのではないか。ちなみに守屋は、議員や防衛省内の「アメリカ派」の最右翼、最大実力者であったらしい。

あえて言いたい。アメリカ産軍複合体の差し金かも知れぬものによって、野党の合従連衡が乱されぬようにと願うものである。自民党、アメリカ産軍複合体は日本の野党政権誕生を何としても阻止しようとするだろう。そのためには野党に対して「分割して統治せよ」と振る舞ってくるに違いない。客観的にはそれに乗ってしまい、自公政権の総選挙大敗を救うことにどの野党も貢献することのないようにとも、切に願うものである。
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「特措法」と「喚問」とは別?  文科系

2007年10月30日 10時44分15秒 | Weblog
「テロ特措法」つまり「国際貢献」と、「守屋疑惑」の解明とは別のことだという論議がマスコミなどで盛んである。本日の福田・小沢会談でも、福田が第一に持ち出し、願いそうな論点だろう。しかしながら、8月初めからこのブログでテロ特措法、特にイラク給油問題に最大のエネルギーを傾けてきた積もりの僕としては、「なんとばかげた論理か」と、どうしても叫びたい。

そもそも守屋疑惑を放置しておいて満足な国際貢献ができるものか。それが防衛省絡みのことならばなおさらではないか。これは、子どもでも分かる論理である。国民の税金がドブに捨てられるようなことを放置して、何が国際貢献かと言いたいのである。
本来ならば「防衛省昇格」の最大功労者(防衛省の『天皇』と言われ、彼がいなければ昇格もなかったという人物である)にこれだけのことが起こったら、昇格取り消しという声すらも上がってよいはずではないか。
生まれたばかりの防衛省が、省内天皇と呼ばれた人物によってこんなテイタラクでは、税金でもって「産軍複合体」を育て上げるようなものではないかと考えるのである。


ところで、最近コメントが少ないですね。投稿を読んでほしいと考える人はコメントを書く義務も生じると思うし、読んでいる人は是非コメントしてほしいと思います。ここまで成長してきたブログが最近ちょっと寂しく、残念に思うのです。
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全国マスコミの姿勢を問う   楽石

2007年10月29日 12時58分37秒 | Weblog
新テロ特措法案阻止。
ストップ改憲。
ゆるすな消費税増税。
なくせ貧困。
いのちとくらし・雇用を守れ。

東京の国民集会に4万人。

これが、現在の日本のニュースでなくてなんなのか?
取上げないには、なぜ?
編集方針を伺いたいものです。



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生きていても、なんの役にも立たない?   楽石

2007年10月29日 11時06分49秒 | Weblog

母が骨折して入院中のこと。病人は様々です。
なかに「生きていても、なんの役にも立たない」と
看護婦さんを困らせているオバアサンもいます。
「迷惑をかけるばかりで心苦しい」と。

人は、なにかの役に立つために生れてきたのでしょうか?
生まれたての赤ん坊はなんの役にも立ちませんね。
生きていくためには、何かの役に立つということは必要です。
でも、生れたのは、役に立つためじゃないのでは?

母は、リハビリ病院に入院してから、オシャベリになりました。
それまでは、電話で長々とオシャベリを楽しんでいたのですが、
同室の方とよくシャベリます。
時にはケンカをし、仲直りをし、楽しそうです。

生きているかぎり、他の人と楽しい時間をすごすことに一所懸命になる。
介護を受ける場合は、一生懸命に介護を受ける。
母を見ていると、迷惑をかけることは決して悪いことじゃないと思えます。




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私の戦争体験 9  へそ曲がり

2007年10月28日 12時50分34秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
名古屋大空襲1の2

 やっと鶴舞公園まで来たものの、長兄はここへ入ることを許しませんでした。“ここには高射砲陣地がある。爆撃されるかも知れない。”ということです。
 北の方へ逃げ、東新町まで来ました。この辺りはすこと前に空襲を受けたのでしょう。焼け残ったビルがいくつかあったのですが、ここなら安全と思ったのか、その中の1つに入りました。
 すでに、何人かの人がいました。ひとりのおばさんが“持ち出すことが出来たのはたったこれだけだった。”と言ってコンロと食パンを見せてくれました。
“坊やたちも食べるかい”と言って、千切って焼いたパンをくれました。とてもおいしかったことを憶えています。

 やがて空が明るくなったので、家へ戻ることにしました。私の家はもちろん辺りの家は全て焼け落ちています。
 防空壕を見てびっくりしました。「ぺしゃんこ」に潰れていました。逃げずにあそこにいたら、私の命は7歳で終わってたでしょう。 
 近所に父の兄夫婦がいました。ここも命令で建物が壊されていたのですが、奥の「蔵」だけが残され、叔父夫婦はここに住んでいました。

 父と母はここにいました。消火の際の煙と炎のせいか、一時的ですが、母は眼を開けることができませんでした。塞がった目から涙が出ていました。“何もかも無くなってしまった”と泣いていた光景がまだ目に浮かびます。
 島根県にある母の実家へ送ろうと準備していた荷物は全て燃えてしまいました。残ったものは避難した際、兄たちが引いていた乳母車の下着などと、空襲の数日前に母が庭の一隅に埋めた食器だけでした。(続く)
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グローバル化と、その反作用    楽石

2007年10月28日 09時24分22秒 | Weblog
21世紀の世界経済はグローバル化。
冷戦構造が崩壊して、地球全体が市場経済に。
国民国家を越えて、経済活動が活発になっています。

この中心にいるのが「超大国」アメリカ。
その軍事力を駆使して世界帝国を目指しています。

当然ながら、作用があれば、反作用も。

その一つがナショナリズム。
小泉さんらの靖国参拝、教科書の改訂など、
このナショナリズムは、反グローバリズムの一つ。

2つ目が地域主義。国民国家の枠を越えて地域として
自立して行こうという動き。
EUが先頭を切っています。
アジアでも東アジア共同体への動きが。

3つ目がテロリズム。
アメリカの軍事支配に反発。
市場原理主義に対抗したイスラム原理主義。
(ナショナリズムとも同じ根)

4つ目が市民社会。
NPO・NGO・経済団体・労働組合・協同組合など・・
メデイア・大学も。

   

これは「岩波新書・世界経済入門」の受け売り。
さて、9条の会はこのなかの市民社会にあたるでしょうか?

と、すれば、9条の会はもっと世界に目を広げて
ものを見て、発言しなくてはならないでしょう。

ある意味では、ナショナリズム(かなり時代錯誤な点がありますが)
を主張する保守系さんのほうが、
時代の先を歩いているのかも。

共産党が勢力を弱めてしまった原因も、このグローバルズムに
対応していないということがありそうです。






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私の戦争体験 8  へそ曲がり

2007年10月27日 21時50分30秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
名古屋大空襲1の1 

1945年3月、当時わたしの家は、中区の東別院、ここの南側を東西に走る100メートル道路のちょうど南端に当たるところにありました。
 あの道路のところは住宅が密集していましたが、強制立ち退き命令が出たため、住民は退去し、建物はすべて壊されました。
 戦車がやって来てバリバリと建物を壊したり、兵隊たちが柱にロープを掛けて引き倒し合う光景を二階の窓から見ていました。

 壊した後に一軒に1つずつ防空壕が作られました。地面を掘り板を渡し、その上から土を被せるといったものです。ここで「東南海地震」や「三河地震」を体験しています。
 
 さて、3月12日の深夜だったか、寝ているところを母から起こされました。“今夜はいつもと違って変だ。危ないからすぐに防空壕に入りなさい。”という指示です。
 ラジオからアナウンサーの声が繰り返し聞こえました。“中部軍管区情報、東海道地区、空襲警報発令”。なぜか、この言葉は鮮明に記憶しています。
 兄たちと一緒に防空壕に何時間入っていたでしょか、父がやって来て、“ここは危ないから子どもたちだけで逃げろ。”と、長兄に命じていました。
 両親というより大人は勝手に逃げることは許されないのです。消火作業をしなければならないのです。と言っても効果はまったくないのですが・・・・。

 私の家の周辺はまだ燃えていないのですが、別院の建物はすでに燃えています。屋根と太い柱だけが残って、ゴウゴウと音を立てながら揺れています。台風のような強い風が吹いていました。火の粉というより火の塊が地面をゴロゴロ転がったりビュンビュン飛んできます。
 どうして防空頭巾を被るのか、この時やっとわかりました。“前を見るな、下を向いて走れ”との兄の命令です。それぐらい危ないのです。
 
 長男が先頭に立ち、二男が姉と私の手を引き、三男と四男が下着などの衣類が入った乳母車を引いて走るのです。

 下前津のあたりがまだ燃えていないので、そこを通り抜けて鶴舞公園を目指しました。途中、家々の前にあった防火用水を何度も頭から掛けられました。ものすごく臭かった印象です。機銃掃射を受け、何度も汚い溝の中に突き落とされたような記憶もあります。
 後に読んだ本で、空襲した地域の1か所だけをわざと空けて、そこを通り抜けようとした人に機銃掃射を浴びせるという記事があったことも憶えています。
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私の戦争体験 7  へそ曲がり

2007年10月27日 11時49分59秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
お妾さんと消火訓練

 隣の隣の二階建ての家にきれいな女性が住んでいました。国民学校入学前の私に「カタカナ」の文字を教えてくれたやさしい人でした。
 一字憶えるとご褒美にお菓子の「マコロン」をもらいました。今でも、と言っても病気になる前までは、お菓子やさんでこれを見つけると必ず買ったものです。食べるごとに当時が蘇りました。
 どんな人だったか。母の話では“お妾さん”ということでした。

 ある日、このお妾さんの外出中に町内の消火訓練がありました。対象の建物は、二階に住む彼女の部屋でした。彼女にはそのことが知らされていなかったようでした。

 訓練が始まりました。当時、それぞれの家の前には消火用の大きな天水桶が置かれていて、その上には何個かのバケツが乗せてありました。雨水を利用するため、ぼうふらが湧いたり、腐った臭いがしたりしました。これを使ってバケツリレーをして放水するのです。また、当時の家の窓は「障子」になっているところも多くありました。

 事前に知らされていない彼女の家は雨戸が閉まっているわけでもなく、障子のままでした。そこを目掛けて臭い水を掛けるのです。部屋の中がどうなったかは容易に想像出来ますね。

 終わった後、帰っていく男性たちの顔はニコニコしていました。“この非常時に!”という憎悪感があったのでしょう。

 母はこれを止めさせることが出来なかったことをひどく悔いていました。無理もありません。もし、そんなことをしようものなら、たちまち憲兵隊行きです。

 帰宅した時のお妾さんの悲しげな表情がいまでも目に浮かびます。

 なお、このパケツリレーによる消火は、名古屋大空襲では何の役にも立ちませんでした。
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アメリカの詐欺的資本主義の破綻   楽石

2007年10月26日 11時40分57秒 | Weblog
アメリカの住宅ローンの焦げ付きから世界経済が混乱。
日本の大手証券会社の野村が大損失に。

この住宅ローン、最初は安い金利で誘い、
何年か後には、とても払えないような金利が設定されている。
この債権を、証券化して売り出す。
そのとき、債権をランク付けしえて売り出す。
簡単にいうと、ババをごまかして、水増しにして売り出す。

この債権を買ったほうは、自分の持っているババが
一体、どうなっているのか?簡単には分からない。
破綻してから判明する。
野村もやっと分かった。
でも、他のは大丈夫なのか?
破局が来るまで分からないらしい。

最初のシカケは、詐欺と分かるが、
その後のシカケは詐欺とはすぐに分からないみたい。
結果は、誰でも分かるのに、誰もが引っかかる。
お金の世界、とくに金融の世界は、どことなく胡散臭い。
そこで大儲けする人もいる。

     

それにしても、住宅を手に入れたものの、
利子だけ吸い取られて、また、路頭に放り出された人達が
一番かわいそう。



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プロ野球日本シリーズが・・・   楽石

2007年10月26日 11時24分09秒 | Weblog
明日から札幌で日本ハムとドラゴンズの対決。
今年の交流戦では、圧倒的に日本ハムの勝。

NHKが落合監督のインタビューを放送。
「日本ハムの戦力はどうですか?」と質問、
落合監督の答え。
「見てないもん」と素っ気無い。
これには質問した梨田さんも二の句が継げず・・・

一方、日本ハムの監督は明快。
「前半に点を取られないのが大切」

どちらが勝つか?も、面白いけれど、
監督のインタビューも面白い。

まあ野球をするのは選手だから・・・
これは落合監督の言葉。


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気づかぬ所で「お守り」に。    まもる

2007年10月26日 00時49分51秒 | Weblog
「・・・今朝、ラジオで写真家の話を聞きました。
世界の名山を撮りに行く時、その国の許可がいるそうです。そのとき、『日本人』ということで、許可が出ることが多いとか。
日本人は、武器を持たない国民・外国に戦力を提供しない・武器をおくらない国だからとの理由です。パチパチパチと拍手。・・・・」

 昨日、義姉からこんなメールが届きました。私が近況報告で九条の運動を手伝っていると書いた返事の一節です。
 それを読んで、義姉が私のやっている運動にいろんな場面で共感してくれていんだなぁと思ったり、戦後60年間曲がりなりにも九条を守り続けた事が、一人の山岳写真家の活動にも役立っているんだと教えられたりしました。
 九条の存在や核廃絶の地道な活動で、平和国家日本、そしてその国の人、といった評価がされいろいろな便宜が図ってもらえるのだと誇りにも思いました。

 私たちが気づかない所で九条は、『お守り』になっているのかも知れません。
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オシム・ジャパン、世界二十位台が間近! 文科系

2007年10月26日 00時02分13秒 | スポーツ
 オシム・ジャパンがここ二ゲーム、非常に「らしくない」闘いぶりを見せた。九月十一日、オーストリアでのスイス戦、十月十七日、大阪でのエジプト戦である。スイスは世界二十位、前年度アフリカ・チャンピオンのエジプトは四三位と、いずれもアジアには存在しない強敵だ。そういう相手に対して二点を逆転しての四対三と、四対一。こんな大量得点が最近の日本には「らしくない」こと甚だしいのである。
 いったい日本に何が起こったのか。七月のアジアカップで近年まれな惨敗を示したかに見えた日本だ。己より下位のアジアのチームからあれだけ点が取れなかったチームが、強敵相手にどうして一ゲーム平均四得点などというゲームを続けられたのか。
僕の理解では、アジア・カップでもチーム作りは順調に進んでいた。チーム評価やゲーム総括の第一関門は、十二分過ぎるほどに通過していたと思うから。よくボールを奪い取り逆に奪われないという、いわゆるボール保持の闘いにはすべてのゲームで勝っていたのである。弱点は「ゴール前の崩し」。この崩しに足らないものは何だったのか。
 さて、スイス戦である。
 一点目、松井のマーカーが付いていけなかった。二点目、ゴール前のフリーキック獲得も、巻がマークを振り切ったヘッド得点も、組織的敏捷性の勝利である。三点目も巻の連動的敏捷性勝ちに対する相手反則から。そして最後は、中村憲剛のシュート・相手キーパー快心の弾き・矢野の速い連動反応ゴール。
「大きな自信をつかんだ」、「収穫の多い」ゲーム。「オシム監督の狙いがようやく形になってきたのを感じた」。毎日新聞のスイス戦観戦記で、相馬直樹(元日本代表)の表現である。かって日本リーグに君臨した全盛期鹿島アントラーズの名サイドだ。
 彼が語る「収穫」、「オシム監督の狙い」は全く僕と同一見解である。「ボールを動かし、より良い状態の選手を作り出すことと、どうやってゴールを奪うのかということがリンクしてきたのである」。この「リンク」は全く異なったことの単なるリンクではない。「ボールを動かし、より良い状態の選手を作り出す」は「どうやってゴールを奪うのか」にそのまま生かせるはずなのに、そしてオシムがそれも期待して前者をこってりとやらせてきたのに、緊張しやすい日本選手がゴール前に限ってはこれを生かせなかったことなのである。
 【誰かが体の接触を恐れずに突っ込んでいけば、皆がゴールへ詰めていく時間も、得意な素速い連動も生まれて、敵を攪乱し、ゴールが生まれる】、これが僕の見解である。これをしない日本は単なる「爆発力もないチビの単調」、ちっとも怖くないと思う。こんな日本が一皮剥けかけてきた。「ゴール前への詰め、連動」、この一皮はいかに大きかったか。このゲームだけで十二位も順位を上げて、日本は世界第三四位になったのだ。僕にとって、次のゲーム、エジプト戦はもう楽しみこの上ない見物になっていた。
 さて、エジプト戦である。
課題の得点は大久保の二点と、前田、加地の各一点だ。大久保の一点目は、ドリブルで持ち込んだ上に、遠目からふわっと浮かせ気味、加えてゴール右上の隅を狙う文字通りの「個人技」。至難のゴールであって、組織得点としては参考にならない。二点目は右クロスに合わせたヘッド得点だが、よく見るとこんなことが分かる。その左右に日本人一人ずつがいて、敵を分散させている。「ゴール前には味方が存在するだけで助けになる」のであり、大久保は敵一人に競り勝つだけで良かったのだ。
 前田の一得点はもうはっきりと、連動の極地。ゴール前に数人が詰めた末に、走り込む前田のすぐ鼻先の絶好ポイントへ山岸が最終パス。それも「ヒールパス」というおまけまで付いている。ゴールの逆方向に走る山岸が、ゴールへとすれ違いに走り込む前田に対して、後ろはよく見えないから見当を付けた方向・ポイントへ、見当を付けたスピードを与えつつ、自分のカカトで出したパスなのである。これを前田は、ゴール右ポスト方向の斜め右前へと全速力で走り抜けつつ、飛び出したキーパーの右足をかすめて、左ポスト内側への切り返しシュートを悠々と沈めて見せた。前田は、そのままさらにスピードを上げたように見え、同時に、鼻を天に向けていたようにも見えたものだ。
 四点目は、さらに画竜点睛。敵ゴール前を左にパスされていった味方ボールが、一転右へ、大きくサイドチェンジパス。ボールが出されたときはまだテレビ画面に姿も見えなかった加地が遙か後ろから走り込んで来た。ボールの出し手、受け手だけに分かっていた阿吽の呼吸であって、もちろん敵の誰一人加地には付けていない。あわててボールに飛び込んだ敵一人、その鼻先で加地の右足がボールを左に切り返すと、その敵はスライディングならぬ「尻餅」である。そのボールを左足内側でこするようなシュート。向かって左ゴールポスト外に飛ぶように見えたボールは、突っ込んできたキーパーの右足先をかすめた後に、くるくると右に回りながらゆっくりとゴール内側に吸い込まれて行く。「外れろ」と目だけでボールを追うキーパーには、この「くるくる」が「けっけっけっ」というようにも見えたことだろう。カメラのアングルが良かったせいか、そんなことまでが分かるようなゴールだった。

 こうしてこの二ゲームは、四年に一度のワールドカップ目指して他国情報に鵜の目鷹の目の世界が刮目するような貫禄勝ちとなった。日本を見る目ががらりと変わったはずだ。オシム監督の世界的名声に加えて各国の日本リスペクトを高め、強豪国相手の今後の練習マッチ・メイクも非常に有利にしたと言える。さらに高度な勝負を始められるのである。

 追記 ここまで書き終わった後の十月二四日、日本が世界三十位になったと発表された。
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平和主義も軍国主義も知的怠慢(保守系)

2007年10月25日 01時56分25秒 | 国内政治・経済・社会問題
この3年間余り、九条バトルに参加してきて、あの九条を守るという平和主義者?と戦前の一時期を軍国主義と叫ぶ人達は、結局、ある意味では、同質のものだとおもわざるを得ません。戦前の何処に戻してはいけないのか?
日本は、何故、あの大東亜・太平洋戦争をせざるを得なかったのかを語りません。語れば、東京裁判で裁かれた期間だけ・・。戦争に到る理解はされている筈なのに・・。それは知的怠慢そのものです。
戦争が嫌なのは、当然の事です。しかし、日本があえてあの戦争をせざるを得なかった歴史的な過程を無視します。
へそ曲がりさんの病気をおしての語りもされているようですが、それはそれで貴重なお話でしょうが、しかし、所詮それも一時期のある出来事の話しでしかありません。これでは、マッカーサーと一緒です。
あの戦陣に散った人達は無駄死にをしたのでしょうか?あるいは戦災や原爆にあった人達も無駄死にだったのでしょうか?
たまたま戦後日本は、戦争をしないで来ました。これはくどいようですが、何も九条のお陰ではありません。単なる地勢的な位置にあり、日米安全保障条約と自衛隊を持っているだけの事です。
少なくとも現在、北朝鮮問題もあり、シナの侮日・軍拡とシナのミサイルがこの日本に向いているらしいというお陰?で、自衛隊と日米軍事同盟は必要らしいという程度のもので、これまた、たよりないお話です。
憲法前文の「・・平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、我らは安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から除去しようと努めている国際社会に国際社会において名誉ある地位を占めたいと思う、我らは全世界の国民が、等しく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有する事を確認する・・」これ以前も以後の文章は、この憲法制定以降の世界に当て嵌まるのかを考えれば、こういう事態ではなかったし、今もそうであると思うべきものです。最後の「日本国民は、国家の名誉をかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成する事を誓う」と結びます。どうやって国家の名誉を守るのでしょうか?あの九条通りに解釈すれば、これまでも言ってきたように、自衛隊も違憲、日米安全保障条約も違憲になるのでしょう。
この憲法が出来て以来、世界は、この前文の状態だったでしょうか?


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私も九条を守り抜く!!!         まもる

2007年10月24日 12時49分15秒 | Weblog
 このブログの常連で、去年の7月から歴史問題を中心に健筆を奮っていただいた「へそ曲がり氏」が、入院されている病院の職員研修会で「私の戦争体験」というテーマで講演されると聞きご本人と病院の了解を得て参加させてもらいました。

 進行性癌による胃の全摘出の体験から、このブログ上で癌との闘いの報告と事前定期健診の重要性について身をもって伝えていただきました。
 その彼が、主治医が勧める生きがい治療の試みとして「戦争体験」を院内の人たちに語る機会を得、それに挑戦しました。
 その意義についてはすでにこのブログに掲載したとおりです。
 今日はその会の様子について、みなさんにご報告したいと思います。
 
 講演会には、研修会に参加する名南病院の職員の方々が二十数名熱心に耳を傾けてみえました。
 点滴のスタンドを横にして、ゆったりした作務衣姿の氏は緊張気味でやや紅潮しながら話し始められた。その声は落ち着いて予想もしない程の音量で会場の後ろまでよく通っていました。

 話は、私が彼に渡した「昭和区平和の集い」の講演・大谷宏昭氏のテープの紹介と感想から始まりました。
 そして、
 ① 歴史を多面的に見ることの大切さ。
 ② 戦後九条が時の権力者からさえ歓迎されたという話。
 ③ 不戦条約は歴史的な必然から生まれ、九条がその結晶である
  という話。
 ④ しかし、現在も日本は戦争状態にあるという指摘。
 ⑤ それらの事実から九条の会の運動が主義・信条を超えた国民
  的な課題であるという事。
 ⑥ そして、病床からも戦争の体験を語ることが「九条を守る」
  活動の一つと考えているという決意。

 ⑦ 戦争と平和の語り部として、自分の戦争体験の語り。

  ア、二度も遭遇した空襲体験
  イ、悲惨な学童疎開の思い出
  ウ、軍国教師であった恩師の悔恨
  エ、もし、本土決戦が行われていたら(もっと早く終わらせていたら)

 とA4の草稿16枚、80分を超える講演を身振りを交え熱演されました。
 話の最後に、皆さんへのお願いと自分の決意を次のように語り、参加者の熱い共感の拍手を受けました。

 「最後に皆さんにお願いがあります。国民投票法案が残念ながら成立してしまいました。この法律の狙いは「九条改定」にあります。
 時の権力者は、過半数の国民が賛成するように、あらゆる手段で「目くらまし」の罠を仕掛けてくるでしょう。
 しかし、いかなる大キャンペーンにも騙されず、「国民投票」の際には【九条を守ろう】という意思表示をしていただきたいのです。
 
 私は後、何年生きられるか分かりませんが、何としてもあと3年は生きたい。そこで、「九条改定には反対」という意思表示をしたいのです。」

 この講演を聞き終わって、私もまた「微力だが、無力ではない」を信念に残りの人生を悔いなく生き抜こうと思った次第です。
 また、氏の不屈の闘志とご家族や医療スタッフの献身が相まって、健康を保たれることを。さらにブログや講演などを通じて平和と九条の大切さを語り続けていただく事をお願いしたいと思います。

                        
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