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在特会の新しい動きと安倍政権               あんころもち

2013年01月31日 | Weblog
 以下はネットで流れている在特会デモの招請サイトから取ったものです。
 この呼びかけのひとつ一つの言葉にある卑猥ともいえるおどろおどろしさ。
 とりわけ「不逞鮮人」という言葉は、関東大震災の折のあの朝鮮人と見れば有無をいわさず虐殺した歴史をまざまざと思い出させます。
 それに連動した甘粕による大杉栄以下の虐殺もです。
 もし、「東南海地震」起こった際には、この連中は再びあのような蛮行を起こしかねないと思います。

 従来はこれらのグループは、取るに足りない少数派と思われていました。
 しかし、今は違います。
 いわゆる一般市民や青年層をも取り込んで肥大化しつつあるのだそうです。

 彼らが、安倍政権の発足により一層元気づいていることは言うまでもありません。
 さすがに安倍氏自身がこのグループと直接関連を持ってはいないようですが、安倍氏を取り巻くイデオローグの中には、彼らと緊密な関係にある連中がかなりいます。
 また、彼らからの一方的ともいえる安倍支持コールは、昨年の選挙時、選挙最終日の安倍氏の街頭演説風景をここに載せたとおりです。
 この日の丸の乱立のなかのかなりの部分が下の在特会の連中だと思われます。



 私は、一国の総理である以上、安倍氏が拙速に何かをすることはないだろうと思っていますが、今年の参議院選挙後、もし安定多数を取るようですと様相が変わってくると思います。
 私達はどのように備えたらいいのでしょうか。
 ここには比較的年配の方が多いように思いますが、私たちが経験してきた「戦後民主主義」がほぼ崩壊しつつあることを踏まえた上で問題を考える必要があるようです。



不逞鮮人追放!韓流撲滅 デモ in 新大久保

風紀を乱す5万人の韓国人売春婦を日本から叩きだせ!
いまだに韓流にハマる日本の汚物=韓流バカも出て行け!
ゴミ出しルールすら守らない韓国人の店なんていらない!

【集合日時】
平成25年2月9日(土)
14:00集合 14:30デモ隊出発

【集合場所】
大久保公園

【アクセス】
最寄駅 JR新宿駅 東口
地図 http://www.shinjuku.info/S52121.html

【現場責任者】
桜田修成 (新社会運動代表)

【主催】
新社会運動

【協賛】
在日特権を許さない市民の会 東京支部

【注意事項】
チマチョゴリなどの日本にそぐわない恰好はご遠慮下さい。
撮影が入るため、顔を写されたくない方はサングラスなどをご持参ください。
日章旗・旭日旗・Z旗 趣旨にそったプラカード、団体旗、拡声器などの持込歓迎。
現場責任者の指示に必ず従ってください。

※ 各自極力プラカードを持参するようお願いします

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文科系さんがお載せになった意図に即した応答です。      あんころもち

2013年01月31日 | Weblog
 はじめて、そのエッセイをお載せになった意図をご披露されましたね。
 それについては下にのべるとして、まず第一点。以下文字色の違いは文科系さんのものからコピペしたものです。

 そもそも僕がいつ貴方の質問に「お前の読解は違うのだからそれを説明する必要はない」と応えましたか?「説明する必要はない」などと、そんな言葉は今までのどこにあるのですか。

 これについては、以下二回にわたってほぼ同じ事をおっしゃっています。

 ついでに、文章解釈についての以上のことが決着つかないでそもそも、僕が載せた意図をどう解釈できると言うのですか? 僕はまず自分の意見を載せたのでは なく、この文章を載せたのです。この文章の内容で一致できないで、僕が載せた意図で一致できるわけがないでしょう。馬鹿馬鹿しいほどの言い分だと思います が。 

 文章を正しく理解しないで、その意図とか作者論とか、社会的影響とか、ましてやこれを僕が載せた意図とかを論議するのは無駄、無意味です。(中略) 文章 解釈についての以上のことが決着つかないでそもそも、僕が載せた意図をどう解釈できると言うのですか? 僕はまず自分の意見を載せたのではなく、この文章 を載せたのです。この文章の内容で一致できないで、僕が載せた意図で一致できるわけがないでしょう。馬鹿馬鹿しいほどの言い分だと思いますが。


 ここではお前の文章解釈は違うのだから、自分がこれを載せた意図など説明する必要がないことが繰り返されていますね。
 「この文章の内容で一致できない」からこそ、まさになぜこれをお載せになったのですかを問うているのに、こうした返事しかなされないのを日本語では「木で鼻をくくったような」というのです。

 まあ、今回はこのエッセイをお載せになった意図をはじめて披瀝されたのですが下記を読んで驚きました。

 さらに最もよくいわれるのは、歴史を先取りするようなその人だけの鋭い感性、言動。これも一例ですが、例えばキルケゴールにしても、ニーチェにしても、サルトルにしても、文学的哲学者は皆こういう特徴を持っていると読んできました。ただ、人を描いて、人生やその喜怒哀楽の深さとか、他人や社会や真善美への献身だとかを描くのは長い作品になりますから、随筆の場合はそれの軽い物、瞬間的な「悲鳴」にも似た喜怒哀楽や真善美(の感動)とか、珍奇さとか驚きとかになるようです。

 このエッセイのどこに「歴史を先取りするようなその人だけの鋭い感性」や「言動」があるのでしょう。ほとんど関連がない所で、自己顕示のためにのみキルケゴールや、ニーチェ、サルトルの名前をお出しになるのはおやめになったほうがいいと思いますよ。おそらく彼らは墓場でくしゃみをしていることだと思います。
 このエッセイにはそんな大層なことはどこにも書かれていないでしょう。

 こうした文章は、ほとんど毎日、どこかの投書欄などで「またか」とうんざりするほどお目にかかるもので、「文学的にも」そこから一歩も出ていないものです。
 合評会で出たという「奥さまロード いるいるこんな女。なんて自己中。猛者女め。」というのがこのエッセイに対する率直な感想でしょうね。

 そしてそれは、吉本の芸人たちが「大阪のオバン」をあげつらって嘲笑することとほとんど大差ないのです。どこにも書いてない「高級な服、派手な装飾品」などを引き合いに出して金持ちの奥様であることを印象付けようとなさっていますが、そんなお金持ちの奥様がファーストフードに行列なさるのも不思議な話ですね。
 たとえ相手が金持ちだろうがそうでなかろうがどうでもいいことでしょう。
 
 問題はその後で、文科系さん自身がそれを如実に語っています。
 「だからこそ同人の全女性が『自分のことではない』と読めたのでしょうね。
 この構造こそが問題なのです。社会的歴史的風景の一コマを切り取りながら、それがなぜ起こってしまったのかを思考することなく、「なるほど世間にはそんなひどい連中がいるんだ、それにひき換え自分は・・・」と自己満足や自己肯定というある種のナルシシズムやカタルシスに終わるのです。このどこにあなたの言う「感動」があるのでしょう。

 あなたが例に引いていらっしゃるキルケゴールや、ニーチェ、サルトルが、評価されるのはたえざる自己差異化の苦闘を自らに引き受けたからです。
 ニーチェは弱者を笑いましたが、決して下層階級やこのエッセイの奥様を笑ったのではなく、その時代の宗教的、イデオロギー的権威が道徳的徳目を振りかざすことしかできないことを、したがって実存的に生きるすべを知らない連中のことを「弱者」として笑ったのであって、上のエッセイとはまるっきりベクトルが違うのです。
 
 いろいろ詳細にお書きになっていますが、このエッセイのモチーフとは関係のない評価などは文体研究などでじっくりおやりになればいいことでしょう。

 ここにいたって、はじめてこのエッセイをお載せになった意図をお述べになったわけですが、できるならば今後同類のものをお載せになる場合には、ご自分の感想なり、前文なりをお添えになって下さい。それが引用に関するエチケットでしょう。

 あなたが面白いと思ってお載せになった、そのことは否定すべきではありませんね。
 ただし、私には少しも面白く無いどころか、なんか嫌な後味、はっきりいって不快感が残ったことを申し添えます。
 とりわけ、これに感動できるセンスはほとんど了解不能です。
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あんころもちさんへ、僕の随筆紹介基準  文科系

2013年01月31日 | 小説・随筆・詩歌など
 あんころもちさんへ
  
「こう読んだ」という随筆自身の内容把握が確認しあえないままで、「そこから」批評、作品論、作者論等々と進む馬鹿馬鹿しい徒労な論争を、同人誌で嫌と言うほど体験してきました。こんな徒労がかなり進んでから、こういうことになるやつね。「これの、そこを、こう読んでたのか。それじゃー、そんな不快感も出るよー。だけど・・・」という体たらくで、また一からやり直し、振り出しに戻るわけですよね。
 以下につき最初に申しておきますが、そういう体験から私見を書いてきたに過ぎず、上からとか、裁定などという、私見表明との区別も曖昧なままのレッテル貼りはやめていただきたい。例え、抽象的命題でも、です。一つの命題って一応、原理的に抽象的なものだし、断定の形を取らざるをえませんから。また、いちいち「思います」とか「敬語、謙譲語」なんかを付けるのもこれだけのやりとりをしてきたらもう、面倒くさい。なお、今回は3点へのあなたの回答もほとんどないままにあれを載せた僕の意図も説明しますから、「僕ら」の読み方をも提示せざるを得ず、長い回答になります。
 なお、以上今までの僕の態度の説明、予告も、以下の骨子、文章も昨日の昼頃には既に準備していたものだ。だからこそですが、対する貴方の今日のこの勘ぐり言葉は、実に酷い代物といわせていただきます。
『文科系さんから、私の論議の仕方が間違っているという高見からの批判をいただきました。それにお答えする形で、なぜこうしたエッセイをこに載せるのかとお尋ねしたところ、お前の読解は違うのだからそれを説明する必要はないという木で鼻をくくったようなご返事です 』
 そもそも僕がいつ貴方の質問に「お前の読解は違うのだからそれを説明する必要はない」と応えましたか?「説明する必要はない」などと、そんな言葉は今までのどこにあるのですか。それどころか、僕は何度もこう言ってきたはずだ。僕が嘘同然の空約束をやっているとでも言いたいのですか。
「僕が最初から言っている①~③を文章上直接に否定できたら、貴方がお望みの次のお答えもいたしましょう。」 

 さて、僕がある随筆をここに紹介する場合の基準は「僕が面白かったか否か」ということです。僕が面白ければ人も面白いだろうと、勝手に考えてのことです。その場合の「面白い」というのは随筆のような短い物だと、その作品のモチーフが第一になります。短い作品で面白いモチーフが面白く書けてなかったらまずだめですから。そしてどういうモチーフが面白いかというと、ある人自身を細かく描いたような物。文学が、学問や科学と正反対と言って良いように違う面があるのは、むしろその人の個性というか特殊性描写というところだと考えています。一例を挙げると、斎藤茂吉の考え方で言えば「他の一般的な『これ』ではなく、『これ』そのものを描くように」。さらに最もよくいわれるのは、歴史を先取りするようなその人だけの鋭い感性、言動。これも一例ですが、キルケゴールにしても、ニーチェにしても、サルトルにしても、文学的哲学者は皆こういう特徴を持っていると読んできました。ただ、人を描いて、人生やその喜怒哀楽の深さとか、他人や社会や真善美への献身だとかを描くのは長い作品になりますから、随筆の場合はそれの軽い物、瞬間的な「悲鳴」にも似た喜怒哀楽や真善美(への感動)とか、珍奇さとか驚きとかになるようです。

 さて、この作品は、僕らの月間冊子の去年9月号に載った一作であって、いつものように後で必ず合評されますが、それは12月例会でした。その合評内容がやはり後の月間冊子に必ずまとめられるのですが、9月号のそれはちょうどこの1月号に出ています。「奥さまロード」の合評もまとめられています。該当部分を、そのままに転載しましょう。10以上の作品合評を1500字程度にまとめるのだから短い物ですが。
『奥さまロード  いるいるこんな女。なんて自己中。猛者女め。モチーフは良いが、道路状況の描写が今いち、よく分からない。二つ目、車線を書けば納得できる』
これだけです。今回の書き手は72歳の女性でした。例会の司会も合評まとめも主宰を除いて毎回回り持ちですが、僕らの同人誌の7割が女性であって、主宰者は長い中日新聞文化部時代からプロの作家でもあった男性です。なお、上の短評文はたまたまほぼ、僕が当日語った意見が取り上げられたもの。僕は、全ての作品について寸評を書き込んで合評当日に臨むのですが、この作品の欄外には今でもこう書いてあります。
『面白いモチーフを上手く描いていると思うが、惜しい点が二つ』
 この「惜しい点」は当日口頭で語りましたが、それを文中該当箇所に書き込んで12月例会に臨んでいます。僕が気に入った作品だから、書き込みが多くなっているようですね。ほとんど書き込みがない作品もありますから。「惜しい点」の一つは、前の奥さま描写の最後に「その後どうなった?」。もう一つは、後の奥さまの部分で「路上で待っていたっけ」までの一文箇所末に、「何故?右折?狭い?」と書いてあります。作者の回答は「一車線で右折箇所近く」ということでした。それを聞いた時に参加者一同に驚きの声が上がったのを、今でも良く覚えています。

 さて、以上を踏まえた上で、僕がどう面白かったかと、この作品の難しい点一カ所とのまとめに入ります。
 僕のお応えに最初から書いてきたように、この二人に驚いたのです。信号交差点中央で右折しつつ先頭に立っているのに、右折すぐの店に入りたくて入れないから曲がらずにいて、信号が変わってしまった。その一回前の緑信号でもぐずぐずしていたとも想定されますね。そりゃ、後続車はみんな怒りますよ。もう一人は、こうです。右折直後の一車線(と、僕は初めから見当を付けていました)車道で駐車場に入るために待機して、後続車をずらーっと通行止めだ。それも、他にもいくつも駐車場があるのに、店のすぐそばの所に入りたいばかりにこうしている。面白いと言うといけないけど、この二人への細かい描写自身が僕には大変興味深かった。だからこそ合評当日、惜しい点を強力に語ったのでした。それだけのことであって、これが男でも僕は全く同じように面白いだろうし、ここまでと全く同じ対応をしたはずです。同人の7割が女性たちで自己主張が強い人ばかりですが、多分僕と同じ読み方をしたのでしょう。それは、合評まとめの文章にも現れているとおりです。もちろん、貴方のような読み方をして、ここまでのようなことを語った人は一人もいませんでした。それもあって、誤読だと僕は言い続けてきたのかも知れません。

 さて、最後です。この作品には一点、僕も解釈に迷った難しいところがありますが、それは以下の通りと考えてきました。僕の読解を書いてみましょう。
①貴方が言う「奥さまロード」と、僕が強調した「主婦でも、自己中の人が多くなった」と、作品のほとんどを締める2つの「奥さま」描写との3者間をどう読むかというのがこの作品の難しいところです。僕も貴方と同じで、「近頃の若い者は」とか「とかく老人は」式の、さらに主としてネガティブキャンペーン(随筆)が大嫌いなんです。自分のネガティブキャンペーン随筆(「世界を狭くした話」や「家出に限る」)は書いても、他人のそれは多分まず書いたことがない。「奥さまロード」も、特に最後3行の部分に目を付けて、これを最初にはそう読みかけたということも、今は白状しておきます。その上で見つけたのが「主婦でも、自己中の人が多くなった」でした。それで、この作品への僕の評価が急に変わって、上のように短評することになったという自分自身の経過があります。180度変わったと言って良い。そんなこともあったから、貴方の読み方の確認に拘ったのでした。
 以上に加えてもう一つ、この作品を見直した理由がこういうこと。
②作品名は「奥さまロード」であって、その大部分の中身は二人の主婦(らしき人)。女性一般や若い女性は含まれていませんし、単なる主婦でもないようです。お二人には以下の描写まで付いていますから。
『ハンドルをお切りくださいませ。デンッ。真っ赤な奥さまカーは、その場に張りついたまま』
『そこで奥さまは、すごすごとハンドル動かして、今度は駐車場に入る歩道でお待ちになった。そのために歩行者や自転車が通れない状態だ。でも、そんなこと関係ないわ、って顔をしている奥さまは、なんて図太い、いや、いい度胸をしていること』
 普通に読めばこうでしょう。主婦でも庶民の感じは少なく、お金持ちそうで、そういう属性を言外に含んだ「奥さま」だ。敬語の連発にも、そういう作者の「限定」が表現されていると読みますね。ここは女性読者ならすぐに、高級な服、派手な装飾品なども、あれこれと連想もするでしょう。それが例えばこの一言に凝縮されていると読むでしょう。「ハンドルをお切りくださいませ。デンッ。真っ赤な奥さまカーは」。こう読めるからこそ女性同人たちは、主婦でもかなり特殊な人と読んでいるわけです。これは、浪速お笑いが言う「(大阪の)おばはん」ではないと思いますよ。だからこそ同人の全女性が「自分のことではない」と読めたのでしょうね。あのきつい合評まとめ文はそういうことだと、僕は読みました。
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このブログは何をするところ?             あんころもち

2013年01月30日 | Weblog
 最近のこのブログにはいささか白けるようなところがあって、しばらくROMのみしていました。
 孫の自慢話やサッカー談義も一応ご本人のお書きになったものとして我慢して来ました。
 ところが最近、急に、どんな関連があるのかよくわからない人様のエッセイなどが説明抜きで登場してきて、この場所の性格そのものがよくわからなくなってきています。
 果たせるかな、それらには一切コメントが付きません。

 つい先日、奥様族の「自己中」を批判するエッセイに、らくせきさんがコメントをお付けになっているのを見て、はじめて、そうした一般化はあまり感心しないというコメントを付けさせて頂きました。
 それに対して、文科系さんから、私の論議の仕方が間違っているという高見からの批判をいただきました。それにお答えする形で、なぜこうしたエッセイをこに載せるのかとお尋ねしたところ、お前の読解は違うのだからそれを説明する必要はないという木で鼻をくくったようなご返事です。

 私としては、なんの説明もなく、いきなり人様のエッセイが載って、それについて批判的なことを書いた途端、高飛車な物言いをされて戸惑っています。
 今なお、「なぜこのエッセイを私たちに読ませようとされたのですかと」いう極めて当たり前の質問に何も答えていただけません。
 これに関してのやり取りは以下のコメント欄にあります。

http://blog.goo.ne.jp/9vs9qvsq/e/d3b507e7760092608e04897ff1fb9716

 そういえば前に、文科系さんが同級生の飲み会で、いきなりギターの演奏を始めたり、エッセイの朗読を始めたのをほかの同級生たちに無視されて、ちゃぶ台をひっくり返してお帰りになったというエピソードを思い出しました。
 今回もそのたぐいでしょうか。

 ここは多かれ少なかれ、それぞれがご自分の見聞をもとに書かれ、それについて意見を交換するところだと了解しています。
 ですから、いきなり人様のエッセイをなんの説明もなくお載せになり、それに疑義を挟んだ途端、お前の読みは間違っているからなぜこれを載せたかなど説明する必要はないというのはどうしても了解できません。

 複数の人達が集う場所というこの場の性格と、まったく個人的なブログとの境界が曖昧になっているのではないでしょうか。そして、それへの批判や然るべき説明への要請を黙殺したり封じ込めるといった極めて独善的なことが行われているような気がしてなりません。

 以上申し上げましたように、この間の経緯がどうしても釈然としませんのであえて皆様にお尋ねする次第です。
 あわせて、なぜここで、どういうひとのかも良くわからないひとのエッセイ(?)が披露されねばならないのかについてもご意見を伺いたいと思います。
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新聞の片隅に載ったニュースから(73)    大西五郎

2013年01月30日 | Weblog
新聞の片隅に載ったニュースから(73)

   独仏友好条約50年 和解と努力の成果だ(2013.1.28 毎日新聞 社説)

 ドイツとフランスが、第二次世界大戦までの領土争いと敵対の歴史を克服し、首脳間の定期交流など未来志向の協力関係を築く礎となった独仏友好条約の調印から50年を迎えた。
 それまで100年近く流血の争いを繰り返した両国は、今では欧州連合(EU)の中核として欧州統合をけん引する原動力となった。独仏和解の50年は、隣国同士がいがみ合いをやめ、相互理解と協調への努力を重ねることの成果と重要性を改めて世界に訴えかけている。
 条約は1963年1月22日、当時のドゴール仏大統領とアデナウアー西独首相がパリのエリゼ宮(仏大統領官邸)で調印した。和平条約ではない。年2回の首脳会談や青少年交流強化機関の設置など、具体的な2国間の取り決めを定めた全19条の短いものだ。両国はこれにのっとって首脳や青少年の交流を積み重ね、相互理解と信頼関係を築いてきた。
 その成果の一つが、両国の学生の提案から実現した歴史教科書だ。両国の戦争責任の受け止め方や視点の違いも盛り込んで、06年に独仏両国語で刊行され、現在も両国の高校教育の一部で使われ、相互理解に役立ったと評価されている。
 今月22日、ベルリンで開かれた記念式典でメルケル独首相は「変革への勇気があれば難題を克服できることを両国はこの50年で学んだ」と条約の意義をたたえた。
 独仏間の争いでは、鉱物資源に恵まれた国境のアルザス・ロレーヌ地方(現フランス領)が知られる。19世紀後半の普仏戦争でドイツがフランスから奪い、小説「最後の授業」の舞台となった。第一次世界大戦でフランスが奪還し、第二次世界大戦中は一時、再びナチス・ドイツの支配下に置かれた。
 だが、戦後、資源を争奪するのではなく共同で管理するため、独仏を含む「欧州石炭鉄鋼共同体」が発足。これを足がかりに欧州は統合への道を歩み、平和と安定を築いてきた。アルザス地方のストラスブールでは、EU予算などを審議する欧州議会の本会議が毎月、開かれている。
 翻って日本を取り巻く北東アジアでは、中韓と日本が領土をめぐる問題や歴史認識での対立を抱え、北朝鮮の核・ミサイル開発問題など緊張の種が尽きない。
 独仏和解の例をアジアにそのまま当てはめることはむろんできない。今の独仏間に領土問題はないし、ドイツと日本では戦争責任と謝罪をめぐる周辺国の受け止め方も違う。ただ、旧敵の隣国同士が首脳の定期協議や市民交流を通じて和解への努力を粘り強く重ねてきた歴史から、くみ取るべきことはあるはずだ。

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私はかねてから、日本国憲法、就中第9条は、19世紀末のカントの永久平和論、第一次世界大戦後のパリ不戦条約、国際連盟、国際連合、それに欧州石炭鉄鋼共同体からECC→EUへと続いてきた「どうしたら戦争をなくすことができるか」という人類の叡智を結集したものだと主張してきました。安倍首相に言いたい。独仏の歴史に学ぶべきです。教科書の「周辺国への配慮」を廃止したり、村山談話・河野談話の見直しという主張は世界の趨勢に反することです。
                                       大西 五郎
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アベノミクッス、世界経済の未来に関わって   文科系

2013年01月30日 | 国際経済問題

 昨日のエントリーに、そのコメントでこう追加した。一部を加筆するが。
『07年以降には、サブプライムバブル弾けでアイスランド、ギリシャ、スペイン、イタリアなどが、その前90年代からは南米、ロシア、アジアなどが通貨危機によって、金融資本の食い物にされた。それは、こういうことであろう。そこの中産階級が没落し、失業者が増え、社会資本も奪われて、その分そういう国から未来の購買力、有効需要までが減っていったと。その分、そういう国々に輸出していた国も不況で困り抜くことになり、中産階級は没落し、経済再編を迫られることになる。それで世界の景気を考え、改善するって、一体そもそもどういうことなんだろう? ケインズの感覚からしたらおそらく、呆れてしまって大笑いするのではないか。
 世界がすっかり悪循環に陥ってしまった時には、物事の核心は非常に見えにくくなっているし、問題解決も、長期間を要するという意味で大変難しくなっている。せめて、グローバリズム悪循環が開始された70年代程度から振り返り、それ以前の世界的識者の知恵を拝借すると、そういう分析によるのでなければ核心部分が見えるわけがない。そういう論調がなぜ無いのだろうか。一昨日のNHKBS「ウイズダム 激論」?を観ていて、つくづくそう考え込んでしまった。(以下略)』

 根本的な解決を長期間を要しても、世界のどこかから提起して欲しいと願うばかりである。このままではまた新たなマネーゲーム、そのバブルが起こり、弾けて、金融資本への理不尽な「社会主義的」国家救済が繰り返される。多くのマクロ経済の学者がそう言っているのだ。その際の結末はまた、世界から中産階級がさらに少なくなっているにちがいないのである。こういう道を断って、世界から失業者をなくしかつ中産階級を増やすというような道は、恐ろしく難しくなっている。
 物作りで負けていく先進国は金融で外貨を稼ぐ道しか無くなっていて、物作りに努めてこそ職場を増やせるという道などには進めないように見える。それは日本の大銀行でさえも認めているところだ。中進国は発展途上国の追い上げを恐れて賃金などなかなか増やせないだろう。なによりもそれぞれの国の政治家たちには、10年もかかるような解決の道を探っていく余裕などほとんど与えられてはいないように見える。さらには、そういう問題提起をする学者にはポストが得にくいという意味で日は当たらず、同じくそんなマスコミもほとんど無い。対するに基本的解決方向というのは、途上国、中進国、先進国それぞれが協調しあって世界に職を増やしあい、有効需要を増やしあうという遠大な道なのだ。世界金融資本は、そんな道は歯牙にもかけないように見える。八方ふさがりではないか。

 せめて現在の低い利子率を保った上で、金転がしに過ぎぬ場合のレバレッジなどを規制して、金融が昔のように物作り・職場作りと長期的に共存共栄を図っていく道を開いていかざるをえないようにしてほしい。世界的投資家ジョージ・ソロスでさえがこう言っている。「詐欺同然だった住宅ローン」「規制は必要だ」「金融業界と金融当局の関係を正常に戻せ」。こうした方向への相談は国連機関などで行うしかないはずだと思う。
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随筆紹介  信じがたい   文科系

2013年01月29日 | Weblog
  信じがたい          坂口 安子

 うちには十五才ちかい大型の老犬がいる。人に例えると百歳に近いのだという。犬でも老いていく様はちょっと切ない。呆けているので昼夜逆転し、夜中に外へ出ようとドアを引っ掻く。しかたなく夜更けの徘徊に付き合っているが、ひと気のない夜道は怖いものだ。
 老犬はヨタヨタと歩き、ときに立ち止まったまま長い時間ぼーっとしている。そうなると動かない。かと思うと、何かに取り憑かれたようにトットコ転びそうになりながら急に走り出す時もあり、慌てて追いかけたりもする。
 その日も、途中から小走りになった。おまけに、いつもとまったく違う方向の表通りに向かう。しばらく行くと、前方の路肩寄りに何かが落ちていた。目を凝らすと男の人が仰向けに倒れている。ギョッ! としたが思い切って近づいた。目深にかぶった帽子で顔は見えにくい。「大丈夫ですか?」大声を出したつもりが声がかすれて囁くようになってしまった。無反応、ピクリとも動かない。死んでる? まさか! サスペンスドラマじゃあるまいし。落ち着けと自分に言い聞かせながら、心臓発作かなんかで倒れたのか、それともひき逃げなのだろうか。体に刃物が刺さっているふうでもないし。誰かいませんか? おろおろと周りを見渡す。人っ子ひとりいない。マンションが立ち並ぶ私の知らない場所だ。二階に灯りが点いていた民家を見つけ、チャイムを押した。
 出てきた奥さんに事情を話すと見に来てくれた。どうやら男はこの近辺の一人暮らしの酔っ払いであるらしい。奥さんが男の知人に知らせたが、「関係ない」と断られてしまった。だから、このまま放っておきましょう。奥さんも関わり合いたくないと、帰ろうとする。
 ええっ? ちょっと待って! どう考えてもこのままでは車に轢かれてしまう。すぐ先はカーブになっていて路上は見にくい上に、さっきまで点いていた街路灯が時間センサーでいっせいに消えた。男は闇に放り込まれた。ともかく警察に連絡しなければ。でも、奥さんは関係ないからと迷惑そう。私だって関係ない。だけど見過ごすことはできない。
 運よく、マンションの住人の若夫婦が帰ってきた。彼らがすぐに警察に連絡をして一緒に男の傍に付いてくれた。パトカーが到着するまでの間に車が三台通過した。危なかった。
 老犬を引っ張りながらの帰り道、人の命がかかっていても、関係ないと割り切れるものなのかと不思議でならなかった。それにしても、今宵はいつもは行かない徘徊のコースだった。考えようによっては、老犬が酔っ払いの男の命を救ったのかもしれない。それと、知らずに轢いて加害者になるかもしれない車も出さなかったのだから。
「いいことしたね」老大の頭を撫でてやった。明日からはケータイを持参しなければ。
 
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再び、アベノミックス  文科系

2013年01月28日 | 国内政治・時事問題
 利子率を低くし社会に金が回るようにして、毎年適度な国家財政支出をも図れば、有効需要が生まれて景気は上向き、失業者は無くなると、それがケインズ理論の骨子だった。アベノミックスは、これと同じことを今改めて大々的にやろうとしているにすぎない。消費税贈で収入が増えることを当てにして大きく借金国家財政出動を図りつつ、さらには日本銀行を強権的に動かしてまで。この20年近く自民党政権が利子もほとんど無いほどに金回りを図り、1000兆円もの国家累積赤字を重ねて国家財政出動を図っても効果がなかった政策をさらに強化して、劇薬にまで高めようという意気込みのようだ。だが、この政策は疑似薬同様であって、短期の慰めに終わるだろうことは、以下の理由から明らかである。

 第一に、1980年ごろのスタグフレーション現象によって、ケインズ主義不況脱却手段はいったん歴史から消え去った理論だったはずだ。当時の世界で緩やかなインフレ下でも、世界にずっと不況が続いたからである。そのころまでに企業の利益率が世界的にどんどん落ちていたということだろう。そこで世界中で行われたのがこんなことだった。国家機能、公的機能をできるだけ民間資本に明け渡すこと。資本に安い労働力を求めて世界をさまよわせること。資金を物作りではなくデリバティブや為替操作に投入する金融業務の方が遙かに儲かるという、そういうやり方。などなどである。日本もこの全てをやってきたが、90年代の日本住宅バブル崩壊以降には特に20年近く名目成長率増さえなかった唯一の先進国と言われている。
 第二に、ケインズの時代はもちろん、日本の90年代と比べてさえ、今の日本、世界にはこんな重大弱点があると思う。中産階級が大量に没落してきたのである。ここを正さずして、世界の有効需要や景気などが上向くわけがないと考える。それどころか、ケインズについて、こういう読み直しをする学者なども現れている。「ケインズが現代世界を観たらこういうだろう。失業者をなくすためにいろいろな方策を考えたのであって、失業者が無数にいる景気などに何の意味があるか」
 それどころか第三に、事態はむしろ逆であって、こういう悪循環があったと言ってよいはずだ。物作りに長期投資して職場を増やしていくよりも、短期金融投資で金を転がすほうがずっと儲かるから、社会の金がそちらに回ったと。26日のNHKBS1「ウイズダム 激論」で得た数字だが、世界の年GDPが63兆ドルであるのに対して、世界のデリバティブ売買は601兆、為替売買は955兆ドルということであった(なお、NHKのこの番組自身は実に下らない物であった。格差、自由貿易、金融規制などを扱っていたのだが、その表層だけに触れて、核心を避けているようにさえ感じたものである)。いくら短期資金移動の繰り返しと言っても、凄すぎる額と分かる。このように短期投資が増えるほど、実物経済や中産階級は凋落するという理屈だろう。銀行が昔のように物への長期投資中心ならば、物作り、職場作りに寄り添って、そことの共存共栄を必死に模索していくはずだ。対するに今は逆に、金融が物作りを破壊してきたとさえ言えるのではないか。ギリシャ、スペインなどはそういうことだろう。社会資本に回す金さえ、その何十年分かを奪い取られてしまったとも言える。

 さしあたり以上三つの理由によって、アベノミックスが今時効力を有するわけがないと言いたい。今は、景気をよくするというよりも、正確には「失業者をなくし、中産階級を増やす」と世界が唱えるべきなのだ。ただしこの道が金転がしに抗する道である以上相手が世界金融資本になるのだから、これへの規制策などは国際的にしか進まないだろう。世界金融資本はアメリカなどを通じてこういう国連の動きを抑えてきたのだから。
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随筆紹介  奥さまロード   文科系

2013年01月27日 | 小説・随筆・詩歌など
【 奥さまロード       柴田 紀子

 その奥さまは、四十代半ばぐらいだろうか、後ろに多くの車たちを従え、右折車線の先頭でデンッと構えておられる。あっ、今、車が途切れました、はやくお渡りを。でも、奥さまの車は動く気なし。今度は右折の矢印が。ハンドルをお切りくださいませ。デンッ。真っ赤な奥さまカーは、その場に張りついたまま。
 プアーッ、プアーッ、プアッー。すぐ後ろのトラックのクラクションにも、なんのその。奥さま、奥さま、トラックのオジサンが苛ついてますよ。信号待ちをしていた私のほうが慌てた。トラックは、ならば先に曲がっちまえと、奥さまカーの前に出たとたん、ああ、信号の色が変わってしまった。
 再び信号待ち。並んでいたほかの車も巻き添えだ。「ばかやろうっ」。曲がりかけの状態で停まったオジサンは、運転席から顔を出し、奥さまに向って、なんだかんだと怒鳴っている。怒りたくなるよね。だけど奥さまは、平気づらで、デンッ。どうなってるの、この人。私は、さらに彼女に注目。
 そういうことだったのか。右折したすぐの所にあるファストフード店を見て納得。本日は得々セールの日で、多くの客が出たり入ったりしている。ドライブスルーは、車道まで列をなし、後ろにつく余地はない。奥さまは、あそこに並びたかったんだ。そこで、空くまで、ここでお待ちになっている、ってことか。
 これと似た光景を、以前にも見たことがある。スーパーの大安売りの日、中年の奥さまは、店の前にある駐車場が空くのを、路上で待っていたっけ。もちろん、その後ろには、車、くるま、クルマ。それらは、スーパーに入る車だけではない。仕事や急ぎの用で、先を行きたい車もあるのだろうが、耐えている。
 ついに我慢の限界を越えたのか、後続車の白髪交じりの男性が、クラクションを鳴らしだした。たて続けに鳴らす、音の大きさに、まわりの目が集まった。そこで奥さまは、すごすごとハンドル動かして、今度は駐車場に入る歩道でお待ちになった。そのために歩行者や自転車が通れない状態だ。でも、そんなこと関係ないわ、って顔をしている奥さまは、なんて図太い、いや、いい度胸をしていること。
 駐車場はそこだけではない。店の後ろ側や、道をはさんだ向こう側にもあり、停める余裕は十分ある。どちらも、歩いて一分足らずで店に入ることができるのに、そこまでして、店の前に停めたいのか。
 最近、主婦でも、自己中心の人が多くなった。身障者用の駐車スペースに平気で停める。思いやる気持ちがなく、ひと昔前の常識が通らなくなった。道路は今や、奥さま方ご用達の順番待ちロードになってしまったのか。腹立だしいより、さびしくなってくる。】
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新聞の片隅に載ったニュースから(72)     大西五郎

2013年01月26日 | Weblog
新聞の片隅に載ったニュースから(72)

  「大津波予想せず」 検察聴取に東電前会長(2013.1.25 中日新聞)

 東京電力福島第一原発事故をめぐり、業務上過失致死傷容疑などで掲示告訴・告発された東電の勝俣恒久前会長(72)が、検察当局の任意の事情聴取に「大津波は予想していなかった」という趣旨の説明をしていることが関係者への取材で分かった。
 業務上過失致死傷罪を問うには、津波や地震によって放射性物質がまき散らされる事故が起きると予測できた「予見可能性」と、安全対策を怠った「結果回避義務違反」を立証する必要がある。今回の事故では、東電の想定津波六・一㍍を上回る一〇㍍超の津波によって全電源が喪失し、原子炉が冷せなくなったことで放射性物質が拡散したとされる。
 勝俣氏は聴取に「予測を超える大津波が原発の機能を喪失させた」などと説明し、過失を否定したとみられる。
 東電は二〇〇八年、政府の地震長期評価を基に、想定される津波を一五・七㍍と試算。だが、東電の原子力部門は当時社長だった勝俣氏に試算結果を伝えず、「緊急性は低い」として対策を施さなかったとされる。勝俣氏は聴取で、こうした経過も説明したとみられる。
 検察当局は昨年八月、福島県民らの告訴・告発を受理し、東京・福島両地検が捜査。勝俣氏をはじめ清水正孝元社長(68)ら東電幹部や政府関係者の事情聴取を進めている。

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 2008年に東京電力の原子力部門が、政府の地震長期評価を基に、想定される津波を15.7㍍と試算したが、当時社長だった猪俣恒久氏には知らされていなかったということが考えられますか。最高責任者の社長に責任が及ぶのを避けようと、そのような筋書きにした疑いが残ります。そうでないとするなら、東京電力の企業マネジメントシステムがおかしいということになります。
 それだけではありません。2006年に国会で京都大学工学部原子核工学科を卒業した共産党の吉井英勝衆議院議員が、津波により原発の敷地が浸水し、原発の全電源が喪失する危険があることを指摘して政府に対策をとるよう要求しました。以後毎年国会で吉井氏によってこの警告がなされていました。当時はマスコミも原発の安全神話にとらわれていましたから、大きなニュースになることはありませんでしたが、原発を稼動させていた電力会社の経営者は全電源喪失が国会で問題になっていたことを知っていたと考えるのが普通です。すくなくとも原子力部門の人間が知って上層部に報告したはずです。
 また、経済産業省の原子力安全保安院と原子力安全基盤機構は、2004年のスマトラ島沖地震で発生した津波でインドの原発が被害を受けたことから、2006年に「津波で原発の敷地に海水が浸水することについての勉強会」を始めました。東京電力など電力会社はオブザーバーとしてこの勉強会に参加していたことを事故から1年以上たった昨年5月になって東京電力も認めました。しかし2011年12月に公表した事故報告書には勉強会への参加に触れていませんでした。
東京電力の責任逃れの隠蔽体質がここにも顔を出しているということです。

                                       大西 五郎
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先日の中日新聞の「本音のコラム」 で    らくせき

2013年01月25日 | Weblog
佐藤優さんは、クリントン長官が、「アメリカは尖閣列島の日本の施政権を
害そうとするいかなる一方的な行為にも反対する」とした発言について
取上げていました。
そして外務省が「アメリカが一歩踏み込んで日本寄りの姿勢をしめした」
としているには情報操作である、と指摘しています。

ポイントは、主権とは潜在主権と施政権より成り、
アメリカが日本の施政権について強く支持しても
肝心の主権について、中立の立場をとっている現状には
なんの変化もないという点にあると。

このことを知らないはずはない外務省。
知っていてこうした政策広報(情報操作)をしていくと、
後でつじつまが合わなくなると警告しています。

私、ニュースを聞いた時は、これでアメリカが日本側に立ったと
安心しましたが、外交はそんなに簡単なコトではない、と
このコラムは教えてくれました。
(どの国も国益を考えて、二股かけるのは、当然でしょうが・・・)

そういえば、今度のアルジェリアのテロ事件、NHKのニュースは
まるで国の広報のようです。
国は、ほとんど何もしていないのに(できないのに)、
国民のためにちゃんとするべきことをしているという姿勢を
見せるセレモニーを大きく報道しています。
この報道の後ろには、報道されない重要なコトがあるように感じます。

マスコミは、ジャーナリストとして国民に正確な判断材料を
提供する報道をして欲しいものです。




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随筆紹介 花いちもんめ   文科系

2013年01月25日 | 小説・随筆・詩歌など
 花いちもんめ
                                  北 かおる

保育園へのお手伝いに行っている時のこと。五歳の小柄なゆーちゃんが「遊んでくれないの」、メソメソ泣いていた。元気のいいさっちゃんは「だってさ、さっき遊んでやったじゃん」と、チラリと彼女を見てプンと膨れ面をした。「そうだよ、今度は私と遊ぶんだよねぇ」大柄で丸顔の、もう一人が脇から早口で口をはさむ。
 そんなにいじ悪しないで、仲よく遊べないのかな…。言い返せないゆーちゃんが、はがゆい。でも、おとなしい子に強くなれを求めても無理だし、きつい子に優しくも難しい。
 外遊びの時間になり、「花いちもんめ」をやることになった。これは、二組に分かれ、横一列に手をつなぎ向き合う。互いに歌いながら進み、相手から味方に入れたい子を相談して決める。「○○ちゃんが欲しい」と呼ぶ。その子はじゃんけんをする。負けた者は相手チームに入る。この遊びは人数が多い方が面白い。
 一人でポツンとしていたゆーちゃんを「こい、こい」さっちゃんが手招いた。「あのさ、やる?」先程のことは忘れたように誘う。「うん」ゆーちゃんは声を弾ませて答える。でも、ゆーちゃんはなかなか指名されない。勝って嬉しい花いちもんめ…。歌は続く。
 見ているうちに私は自分の子どものころを想い出した。私もまっ先に呼ばれる子ではなかった。いつも、なかなか選ばれなかったあの寂しさ。いつ呼ばれるかドキドキしていたのに…。 はるか彼方のことである。
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「3本の矢」のアベノミクス?!  文科系

2013年01月24日 | 国際経済問題
 ギリシャやスペインがどうしてこんな風になったかを解明する、BBC製作のテレビ番組を見た。その最要点はこう述べられていた。
「例えばギリシャはユーロ加入時以降最近まで、その国家累積赤字を加入条件を満たすようにごまかしていた。その粉飾決算は実は、ゴールドマンサックスが教え、導いたものである。」
 今では有名になったこの「導き」の仕組みについては番組でも何の説明もなかったのだが(難しすぎて説明不能と判断したのであろう)、それでふと想い出したものがある。07年1月21日にここに書いた、記事の事だ。元モルガンの社員、フランク・パートノイという人が書いた「フィアスコ(大破綻というような意味)」という本の紹介記事である。95年3月に日本の多くの会社にAMITというデリバティブ、金融派生商品を売って、それらの会社の粉飾決算を通してやり、大もうけをしたという話なのである。『日本財界が2週間で7500万ドルをパクられた話』というのがその拙稿の題名だった。

【 日本財界が2週間で7500万ドルをパクられた話  2007年01月21日
 95年2月27日イギリスの名門銀行ベアリングズ社が倒産した。シンガポール支社の28歳のデリバティブ・トレーダーが10億ドルの損失を出したことが原因である。イングランド銀行が主要銀行に呼びかけて緊急救済検討会議を持ったが、「白紙の小切手にサインすることと同じ」という事態であると認定して、救済を断念。この倒産が、ベアリングズ社に貸していた日本の銀行の焦げ付きや、デリバティブ損失絡みの東京株式市場暴落(14ヶ月続いた)やをもたらし、日本企業の春の決算期は粉飾の必要に迫られていた。従来保守的であった日本企業にたいして、米デリバティブ・セールスの絶好機到来なのである。「手っ取り早く儲けて」損失を隠したがっていた日本企業に「歴然たる詐欺を働いているよう」なデリバティブが、さー売れるぞ! 著者は語る、「誰が実際にベアリングズ社に金を貸していたかかが分かったときの至上の喜び!」!
 モルガンのある上司の言葉「われわれは死に物狂いのクライアントを愛し、彼らを見ると興奮する。われわれは必死の人々からたくさんの金を稼がせてもらってきた」
 しかも、「日本の証券会社はアメリカよりずっと進んでいて、何年も金融的な詐欺を手がけて、みごとに成功していた」、「日本の最大手の投資家たちは、どれだけ切羽詰まっても、もう財務的詐欺を犯すために日本の証券会社を使いたがらなかった」

 一体どんなデリバティブ商品を、モルガンはこの年度末粉飾決算までの1ヶ月足らずの間に売ったのか?

 アメリカン・モーゲージ(mortgage、抵当)・インベスティメント・トラスト、 ここには「高価なプレミア部分」と「安価なディスカウント部分」とが含まれている。この場合具体的には、前者は住宅ローンの支払い時に使われる小切手が政府系の金融機関にプールされるのだが、このプールをモーゲージ証券の基本とするというような担保付抵当証券の一種であり、後者は「アメリカ政府によって将来の特定の日付に支払われるただ1回の支払いである」。
 作者はこれを売った場合の以降の成り行きについて、例えを使ってこう語る。  
 100ドルで、金入りの壺を「いつでも超特大プレミア、利子付きで換金します」という鳴り物入りで売る。体積の半分は金で90ドル、あとの半分は銅で10ドルである(客には中身は見えない)が、その「平均」体積の半分の50ドル分は将来でないと換金できない仕組である。さて客たちが最初の半分を契約後直ぐに換金に来た。「平均」50ドル分が実に90ドルで支払われたのだ。銅を含まず金の部分で支払っただけなのであるが、将来はもっともっと!と、客は一安心。なんせ短期間に8割の利子である。将来はどれだけの利子になるか!
 舞台裏の実際はこうだ。最初に金部分を換金してあげただけ、将来の「半分」は当然、銅の価値しか支払われない。「平均」半分の50ドル分が10ドルにしかならないのである。しかしその将来には、壺を買った担当者も退職、新担当者には「情勢が変わった」とかなんとかで、後は野となれ山となれ!いずれにしても双方共に「他の誰かの問題となるだろう」。

 モルガンのセールスマンたち皆はこの商品を「AMIT」と名付けていたそうだが、こう呼んでいたという。shamit(にせもの)、scamit(ぺてん)と。なおこれを作者はこう語る。「すべてのデリバティブの母であり、ウオール街でも、モルガンの60年の歴史でも最も儲かった取引であった」と。
 この商品を買ったのは日本のリース会社や商社だそうだ。これによるモルガンの利益は7500万ドル、それもわずか2週間の仕事だ! 因みにこの間3月末まで、米国国債市場も急騰したということである。 】

 さて、冒頭のBBCの番組でも言っていたが、サブプライム債権組み込み証券って、実はネズミ講権利証と同じ。それに格付け会社のスリーA格付けが付いていたから、凄い時価値が付くだけなのである。今風の時価会計決算だとこの時価で将来の収入部門に組み込んでおく事ができるのであろう。先のAMITであれば、実質10ドルの証券「原価」半値分50ドルが100ドルとか、200ドルとかになるような。こういうやり方で、ゴールドマンがギリシャ国家財政を粉飾したのであろうと推察する。ゴールドマンはこうして、ギリシャという一つの国家までを食い物にしたわけだ。ネズミ講をさらに大々的に長続きさせるためにギリシャ、スペインなどには住宅も無数に作ったという事も含めて。これらのほとんどが、今は、ゴーストタウンになっているというわけだ。
 こんな詐欺をはたらいても誰も捕まらず、またぞろ次のネズミ講を準備できるって、世界はまーなんと「自由(主義)」なんだろう?!

 岩波ブックレット「金融危機は再びやってくる」(伊藤正直・東京大学大学院経済学研究科教授)を最近読み終わったが、その最大要点はこうだ。
「問題の根源が、国際金融システムの側、基軸通貨の側にあるとするならば、こうした一国的対応で問題が解決するとはとても思えません」
「ドル価値の下落とドル・バランスの増大の両者を同時解決するようなシステム改革なしには、金融危機はこれからも再発せざるをえないということです」
「巨大金融機関、巨大企業のもたらすモラル崩壊と無法化は、今や、無視できない度合いに達しているように思われます。市場経済を守りつつ、この災厄を防止するためには、国際金融システムや国際機関を、きちんとした国際公共財として機能するようにすることが大切です」 
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随筆紹介 「複 雑」  文科系

2013年01月23日 | 小説・随筆・詩歌など
 複 雑     坂口 安子   

 娘家族が年始に来て一週間が経過。まだ居る。たいがいそれぐらいは滞在するので覚悟はしていたが、それでもだんだん嫌になってくる。大人六人の三度の食事の世話に、山ほどの洗濯物。それに孫の赤ん坊のものまで増えた。生後半年ほどの女児が、まるで着せ替え人形のように着替えさせられ、私はそれを洗う。娘たちは赤ん坊が可愛くてたまらない。
 当然私たちにも可愛さを分かち合うかのように押し付けてくる。赤ん坊は可愛いが、人見知りをし始めたので世話は大変である。だいたい私は、夫や息子たち、老犬たちの世話と家事で忙しく、近頃は里の母の介護まである。それでもう手いっぱいなのだ。
 空いた時間に、読書に映画・美術鑑賞、友人たちとお喋りやランチもしたい。興味のある学習会にも参加をしたい。年をとつたら自分のための時間ができる。そう思い描いていただけに、まったくの想定外に苛立つ日々だ。
 松がとれたころ、やっと娘が帰り支度を始めた。「まだ帰りたくないなあ」なんて独り言を言っているが聞こえぬふりをする。「もうちょっと、居たいよねえ」と、今度は赤ん坊に話しかけている。しかたがない。「また、いつでもおいで」と心と裏腹なことを言ってやる。私は娘たちが帰ることにホッとして嬉しさが顔に出てしまう。と、娘が突然真顔になって言った。
「もし、私が死んだら、この子は絶対お母さんが育ててね」。
 えっ! また唐突に。しかも帰り際になんてことを言い出すのだ。
「だってこのうちの家系って、代々みんな女の人が短命でしょ。ちょっと不安なの」
 そういえば伯母や、夫の姉も妹も病気で、みな若くして幼子を残したまま亡くなっている。娘にしても生後すぐに実母を亡くしている。その後、いくつかの親戚に預けられていた。二歳になるころ、彼女の父親と再婚した私が引き取ったのだった。
「何をバカなこと言ってるの。正月早々そんなこと言いっこナシ」と私は一笑したが、娘の胸中が妙に切なかった。
「万一、そんなことになっても、赤ちゃんはパパがいるじゃない。彼なら大丈夫よ」。
 私は人のいい、穏やかな婿さんのことを持ち出した。
「だって、彼、そのうち再婚して、その相手の人にこの子は虐められるかもしれないもの」
 おいおい、それって私とあんたの立場と同じでしょ。
「それに、彼の実家であのお義母さんに育てられるのも嫌。だから、お母さんしかいないの。お願い。」そう妙な具合に見込まれた。いやあー、私も、もう子育てはお断りしたい。そんなことより、娘よ。絶対私より長生きしてよね。お願い。

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ザックジャパン(67)長谷部対岡は2対0 文科系

2013年01月21日 | スポーツ
 また、スポーツナビからのニュースにコメントを付けるが、表記の事があった。ライターはミムラユウスケという方だが、二人の発言をまとめた部分がとても面白い。まず、勝った長谷部の方から。

【 長谷部、再開初戦勝利も「もっと内容を求めないと」
スポーツナビ 2013年1月21日 11:34
 サッカーのドイツ・ブンデスリーガ第18節が19日に行われ、長谷部誠が所属するボルフスブルクは、ホームでシュツットガルトと対戦し、2-0で勝利した。長谷部は後半23分からボランチとして途中出場し、攻守で献身的なプレーを見せた。

 以下は、長谷部(ボルフスブルク)のコメント。
「ゲーム内容は良くなかったですけど、その中で勝ち点3をしっかり取れたことは良かったと思います。これでまた、インターナショナル(欧州チャンピオンズリーグや欧州リーグなどのカップ戦出場権を獲得できる)順位も見えてきました。
(後半戦開始前の)準備期間中はもっと良い試合ができていたのですが、今日は準備期間も含めて一番悪い内容の試合だったと思います。だから、チームとしてはもっともっと良くなると思いますし、もっと良い内容を求めてやっていかないといけないとも思います。
(交代でピッチに入る前には)チームをコンパクトにプレーさせるように監督から言われたので、サイドの選手に中にしぼるように、前の選手にはもう少し下がるように、声をかけていきました」 -Yusuke Mimura from Germany- 】

【 1トップでフル出場の岡崎「自分がチャンスを決めていれば」
  スポーツナビ 2013年1月21日 11:49
(前略)
 以下は、岡崎(シュツットガルト)のコメント。
「(後半2分の決定機について)あの1本を決めないといけなかったです。ブンデスリーガでは初めて1トップでプレーしました。裏を狙うようなプレーを目指していましたが、相手のレベルが高いと思いました。
 ただ、前線ではそれなりにやれていたと思いますし、ヘディングでもそんなに負けていなかったです。あとは、どこかでボールを受けて振り向くかとか、チャレンジすることが必要かなと思います。後半の途中くらいまではプラン通りにいっていたのですが、ジエゴに先制点を取られてからは……。0-0のままだったり、その前の自分のチャンスを決められれば、ゲームの行方は全然違ったなと思います」 】


 長谷部の言葉は、後半の後半途中出場ながらまるで監督談話である。事実、勝ちゲームの最後を締めるべく監督に言われたとおりにチームを組織し直す役割を立派に果たしたのだろう。それも自分の本職・ボランチ出場だから、ある意味先発よりも嬉しかったのではないか。
 岡は岡で、この言葉がとても気に入った。
『「(後半2分の決定機について)あの1本を決めないといけなかったです。ブンデスリーガでは初めて1トップでプレーしました。裏を狙うようなプレーを目指していましたが、相手のレベルが高いと思いました』
 相手のレベルを素直に褒めて、それでももっとできたし勝つチャンスもあったと分析している。それもドイツで初のワントップを任せられた上での言葉だから、面白いのだ。

 二人とも世界で最も伸びているドイツにおいて、それも上位を狙うかというチームで、押しも押されもせぬ中心選手になりおおせたということだろう。チャンピオンズリーグ常連チームの中心選手、内田。いつの間にか、ドイツ2位、そのチームのレギュラーに座っている細貝。4位チームの攻撃の柱・乾。ザックジャパンが、ますます強くなっていく。
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