九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

「心で書いて憲法9条理解 立場超え『写九』人気」  キャッチホン

2006年09月23日 15時05分25秒 | Weblog
すでにご存知の方もあろうかと思いますが、
知人から紹介を受けたことをご紹介します。
神戸新聞WEB NEWS(9月19日)のタイトルのような見出しの記事がそれです。
要点は、次のようなことです。

改憲の動きに危機感を抱いていた熊本市の主婦が写経の体験から発案、「これを九条でやれば」。
この主婦は友人の印刷屋に頼み、上質の和紙にうっすらと九条を書いた「写九用紙」を作った。
長野県の大学講師がインターネットで紹介したところ、全国から百件近い反響があった。
神戸にも今年夏に、「平和写九をすすめる会」が発足。この会の呼びかけ人は、
「九条はたった百三十一文字。心をこめて書き写せば理解が深まるはず」
「余白にメッセージを添えて首相官邸に送ったり、平和の学習会で利用したり、
いろいろ活用法を考えて」と呼びかけている。

詳しくは、次のアドレスの「神戸新聞WEB NEWS」をご覧下さい。
 http://www.kobe-np.co.jp/kobenews/sg/0000116483.shtml

なお、検索エンジンで「写九」を検索しますと、関連したHPがさらにありました。


追記
中学1年の夏休み。社会科担当教師による宿題は、
 「憲法の全文をノートに書き写してくること」
でした。
意味がわかっているわけでもないのに、この宿題を果たしたことは、
ある種の満足感をもたらし、いまも記憶に残っています。
就職して、職場の同僚たちから、
 「おまえの中学は、“赤”だ」
といわれて、驚きました。
こんなことがあってさらに忘れられなくなったのかもしれません。
近年になって、再挑戦してみようと思ったことがありますが、果たせていません。
そこへ「たった百三十一文字」という話です。
やれないとはいえないな、と思っているところです。

コメント (3)
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「本土決戦計画」  へそ曲がり

2006年09月23日 12時08分17秒 | Weblog
 戦前の歴史を“あの時代は良かった”と言っている人がいる。これから述べることについてどれだけ知っているのだろうか?
「改憲論者」の殆どは「ポツダム宣言」の受諾を認めない。ごく一部にはしぶしぶ認める者もいるが・・・・。
 もう1年戦争を続けていたらどうなっていただろうか。

「本土決戦」とはどういうものであったか?国民の前にはどんな運命が待っていただろうか。「狂気」の時代であった。
 
 連合軍には「沖縄戦」以後の作戦計画が出来上がっていた。「ダウン・フォール」作戦である。
 作戦は2つに分かれていた。1つは45年11月に九州へ上陸するという「オリンピック作戦」、もう1つは46年3月に関東平野に上陸して日本を分断するという「コロネット作戦」である。

 一方、日本側はこのことを知っていた。対抗する作戦を「決号作戦」と名付けた。国民には「本土決戦」・「一億総特攻」・「一億玉砕」というスローガンが呼び掛けられた。

 具体的にはどんな対策だったか。その一部である。
 
 45年6月に「義勇兵役法」が制定された。「国民皆兵」である。終戦の2か月前であった。中を見ると「勅令」という言葉がやたら目立つ。拒否すれば罰則が付く。

“七条 義勇召集ヲ免ルル為逃亡シ若ハ潜匿シ又ハ身体ヲ毀傷シ若ハ疾病ヲ作為シ其ノ他詐偽ノ行為ヲ為シタル者ハ二年以下ノ懲役ニ処ス
 2 故ナク義勇召集ノ期限ニ後レタル者ハ一年以下ノ禁錮ニ処ス”

 現実性が全くない。1年も2年も続くと思ったのだろうか?しかも全土が戦場である。どこへ収容するのか?
 全員が「軍人」であるから、「陸軍刑法」を適用されて「死刑」判決を受け、その場で「銃殺」されたのではないかと思う。

 大本営陸軍部は「国民抗戦必携」という小冊子を配布していた。そこでは国民が用意すべき武器が書かれていた。
「刀剣、槍、竹槍、鎌、鉈、玄能、出刃包丁、鳶口」などなど。
 出刃包丁を手に、槍ぶすまのように並んだ機関銃や火炎放射器、さらには戦車に向かって突撃していく姿を想像して欲しい。
 
 こうも書かれていた。
「刀や槍を用いる場合は斬撃や横払いよりも背の高い敵兵の腹部目がけてぐさりと突き刺した方が効果がある・・・・格闘になったら『みずおち』を突くか、睾丸を蹴る。あるいは唐手、柔道の手を用いて絞殺する。1人1殺でよい。とにかくあらゆる手を用いてなんとしてでも敵を殺さねばならない」、と。
 格闘する前に殺されているだろう。
 
 特攻攻撃機としては「剣」甲型(キー115)や「タ号特別攻撃機」の生産を急がせていた。主翼以外の材料は鋼管、ブリキ、ベニヤ板などの簡単に手に入るもので作られた。1回使えばよいのである。離陸したら車輪が脱落してしまうようになっていた。着陸など必要が無かったからである。操縦性は最悪で、とても扱い切れるものではなかった。実用化のための改修中に終戦となった。
 
 海軍も考えた。潜水服を着用した兵士を海中に忍ばせ、棒の先に爆薬を装備し、進攻してきた敵の上陸用舟艇を下から突き、自分もろとも爆破させようとする作戦である。爆雷の数発も投下されたら全滅である。
 
 なお、作戦決行の前に、足手纏いになる赤子・幼児・老人などは「殺害」する計画もあった。45年4月に大本営陸軍部が出した「国土決戦教令」に明記されている。
“「敵ハ住民,婦女,老幼ヲ先頭二立テテ前進シ我ガ戦意ノ消磨ヲ計ルコトアルベシ 斯カル場合我ガ同胞ハ己ガ生命ノ長キヲ希ハンヨリハ皇国ノ戦捷ヲ祈念シアルヲ信ジ敵兵撃滅二楕拷スベカラズ”

 こんな作戦が真面目に検討された。「一億玉砕」だから、国民の命はどうでもいいのである。「民族抹殺作戦」である。

 一方、どうしても守らなくてはならないものがいた。「神」である。
「神」とその家族は長野県の「松代」に移すことになっていた。大本営の高級将校もそこへ移ることになっていた。「松代大本営」と呼ばれていた。なお付け加えておくと工事関係者用に「慰安所」も作られていた。現在も残っている。
 完成のために多くの朝鮮人などが酷使された。もし、完成していたら彼らの運命はどうなっていただろうか?「虎頭要塞」のようにされたのだろうか?

 こうして、戦いが終わった後、日本の人口は「ゼロ」になる。「東京裁判」なんて開ける訳がない。被告席に座るものが存在しないからである。裁判がなければ「批判する」必要性もなくなる。かくして「改憲論者」の悲願は達成されるのである。
 残された「神」とその家族はどうなるか。それまで人間と同じ生活をしてきたのだが、衣食をどうするのか。自分たちだけで出来る筈がない。「高天原」にでも帰るのだろうか?
 
 これは決して架空の話ではない。戦争があと1年続いていたらこうなった筈である(「神」の話は別であるが )。「保守系」氏や私など、46年以前に生まれていた人は今日、全員生きてはいない。それ以後に生まれた人は・・・・生まれている筈がない。

 ところで、それより以前に戦争を終わらせることは出来なかっただろうか?出来たという主張もある。
 
 44年6月、「マリアナ沖海戦」があった。この戦いで連合艦隊は壊滅的な敗北を受けた。戦闘能力を失ったのである。
 兵器の差だけではない。技量の差も大きかった。戦闘機の操縦についても、空母からの発艦は出来ても着艦が出来ないというような低下した技量になっていた。
 米軍機の撃墜3機に対し、撃墜された数は200機以上であった。「マリアナ沖の七面鳥狩り」と言われたほどの惨敗であった。
 一方、中国戦線は泥沼状態であった。見通しはまったくなかった。

 直後に、「近衛文麿」が「昭和天皇」に「降伏の上奏」をしたと言われている。但し、国民のことを思ってではない。内乱(革命)が起こって「天皇制」が崩壊することを怖れたということである。しかし、天皇はこれを拒絶した。
 もし、この時降伏していたらその後の沖縄戦はなかったし、広島・長崎への原爆投下もなかった。太平洋戦争での死者のうち、大部分はこの海戦以後である。終戦の時は自分の力で終わらせたと言っていた「昭和天皇」である。としたら、この時なぜ命令しなかったのか?
 よく言われる話である。

 これでも、戦前・戦中の時代が良かったと言うのであろうか?
 さらには、“歴史は当時の人々の熱い想いからしか解釈し得ない。単なる事実の羅列ではない”との主張で、「歴史解釈権」なるものを持ち出した「小堀桂一郎」教授、彼は上記の事実に対し、どんな“熱い想いから”の“解釈”をするのであろうか?
コメント (5)
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