日々草

「つれづれなるままに・・」日々の事を記す。

恋する日本語

2011-07-05 | リブレリア
小山薫堂 「恋する日本語」



NHKで同名の番組をやっていた。
一つの言葉から派生する恋物語。
耳慣れない言葉のリズムと短い恋物語という構成が面白かったのだ。
その昔、樹木希林(役名:弥勒さん)がでていた「日本語歳時記 大希林」を思い出す。
あれも結構、好きでよく見てたね。
恋する日本語はたまたま見かけてまた見ようと思っていたら番組が終わっていた。
「玉響(たまゆら)」に終わってしまったわ。

もっとちゃんと番組をチェックしておけばと思っていたら原作本がでていたの。
買って読んだら・・・・番組と同じく玉響に読み終わる。

軽い、非常に軽い。
言葉は美しいのだかもっともっとその言葉の先にある物語が見たいのにね。
なんだか当たり前すぎる展開のショートストーリー。
面白い視点だなと興味を持っただけに不完全燃焼の感否めず。
フローラ逍遥を読んだ時のような読破感がまったくないの。


プリニウス
芭蕉
北原白秋
ガストン バシュラール
オスカー・ワイルドと次々でてくる澁澤ワールドと比べるのが間違いなんだろうけど。


言葉は何をどう考えているかを残すもの。
やっぱり知の遍歴がでてきてしまうのだろうか。
それとも恋を語るには言葉が少なすぎたか。
本より番組(映像)の方が圧倒的に良かったという稀有な出来事。

確かに選ばれた言葉=キーワードは感情を感じるものだから
文字を見るより聴覚とか嗅覚とか反射に近い部分で処理すべきだったのかもね。
そういう意味では「恋する日本語」を映像化したのは正解なのかも。
恋はやっぱり頭で考えるのではなく体で反応するものなんだなとあらためて思う。


そうそう「さくらんぼ」のおすそ分けを頂く。
久しぶりに食べたサクランボ。
甘酸っぱくって瑞々しくておいしい。
高いから自分では買わないので余計に有難い。



さくらんぼを食べていたら
恋する日本語ののなかにあった「番い」という言葉を連想した。
サクランボの姿がそうさせたのか味わいがそうさせたのか。

果物の旬は短く、恋の旬も短い。
恋する果物を食べながら恋する日本語を味わうのも乙なことといえる。

季節の恵み
知の恵み
味わい深し。




















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