日々草

「つれづれなるままに・・」日々の事を記す。

謹んで。

2017-06-24 | Weblog
昨日、衝撃のニュースが飛び込んで来て意気消沈。

小林麻央さん 死去

ステージ4という報道から楽観的な状況ではないと推察していたけど、いざ死去ニュースを目にして戸惑いしかない。あたしのような赤の他人ですら無念と寂しさを感じるくらいなのだから、ご本人や身近な人の辛さは察して余りある。海老蔵の大きな眼から生まれるあの睨みは縁起物であるが、その眼からこぼれ落ちる大きな涙粒にさらに心が潰れるのです。


歴代の團十郎は短命で、海老蔵の父である12代 團十郎はもちろん、祖父である先代の團十郎も然り。
しかも業(ごう)が深くって、さらには宗家 成田屋の重責が團十郎の命を奪うこともあるのだろう。




TVのドキュメンタリーの中で海老蔵自身が成田屋の家系は短命であるから、自分もそのつもりで全力で生き急がねばならぬというようなことを語っていて、もしかして次期 團十郎を妻が命を賭して護ったのかもと思うわけです。
本来なら父から子へ受け継ぐべき伝統と技を、自身の力で会得している父や夫の苦労を知っている梨園の妻であり、幼い歌舞伎役者の母だからこそ、息子にその苦労を継がせまいとしたのかとも考えられて、涙、涙。


夫である海老蔵の言葉に何度と使われた「愛」は崇高なアガペーだったからこそ、ここまで哀しみがひろがるのでしょうね。
心から哀悼の意を表します。祈り。
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静岡 登呂遺跡で返り討ち

2017-06-24 | Weblog
おでん屋に集う面々から「えっ、何それ?」,「どこ、それ?」と近すぎる故、身近すぎる故、訝しがれ、馬鹿にされた登呂遺跡。
そういえば青森で三内丸山遺跡に行くと言ったら「土っこ見たって・・」と即座に却下られたものね。
小学校の遠足であって、観光地ではないということか?
確かに洋服ともいえない布切れやら、茶色いかわらけを見てもねえ、面白くないことは百も承知だもんで、行かなくていいでーと言ってみたところで、ウチの相方は行きたいというのだよ。
行きたいのが百なら、つまんないと却下されるのは千にも承知のはずでも感じたい太古のロマン。
それでも行きたいというのは、却下が千なら、美術館には飛びつくはずと万にも承知しているからなのだそうで。


登呂遺跡の横で返り討ち 静岡県立芹沢銈介美術館。
登呂遺跡(の横)来て良かった!

もちろんおでん屋で芹沢銈介美術館にも行くのですと高らかに宣言すれば、なにそれ?あった?行ってことないよーと却下以前に存在が知られていない。
そんなひっそりとした美術館の逆襲。
静寂が心地よい美術館なのであった。

芹沢銈介美術館

芹沢銈介の名前も作品もピンとこないけど、不思議な明るい色遣いと素朴でいながら華やかな意匠で、これほど懐かしく郷愁と親しみやすさを感じるのは芹沢銈介の作品に居酒屋で、蕎麦屋で、小料理屋でお会いしていたから。
ついでにばーちゃんちに掛けられていたあれだということまで思いだして、美術館の作品のように美しくはないけれど、薄汚れて、使いこまれて、見慣れた光景みたいな顔して出会っていたのだ。
カレンダー、団扇、暖簾 、タペストリー「用の美」の代表選手として。
ここで芹沢銈介に出会えた感動は、美術館の静寂を「すっきりとした辛口 一合! 」と叫んで破りたい衝動となる。



開催中の企画展も芹沢銈介初心者にはうってつけ
芹沢銈介の原動力となった紅型の故郷、沖縄がメインテーマにされているんだもの。





沖縄の陽の色で風土、文化、風景、人が飛び込んできたかと思えば、とどめの泡盛。
400年モノ 貴重な泡盛の古酒をのんで感激したという説明文の作品には芹沢銈介が好んで描いた沖縄の大壺、泡盛の壺。

ひっー、たまらん!
心鷲掴みされる作品。


でも、これ写真集のってないのね(泣)
名も知らぬ日用品 民芸の美に芹沢銈介の名が刻まれる。
銈がどうしても鮭に見えて仕方ないのはご愛嬌。

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