原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

プーチン氏訪朝・金正恩氏と対談、もしも二人が国家首長でなくとて仲良く出来ただろうか??

2024年06月24日 | 時事論評
 早速、2024.06.21付 朝日新聞「社説・プーチン氏訪朝 危険な軍事協力の強化」より、以下に一部を引用しよう。


 決議に背く軍事協力を互いに正当化する意図は明白だ。 国連を舞台に築かれてきた安全保障秩序を形骸化させるふるまいは、看過できない。
 ロシアのプーチン大統領が24年ぶりに北朝鮮を訪れ、金正恩総書記と会談。 安全保障や経済など幅広い分野で協力する「包括的戦略パートナーシップ条約」に署名した。
 条約には、どちらか一方が武力侵攻を受けて「戦争状態」になった場合、他方が「遅滞なく、保有するすべての手段で、軍事的及びその他の援助を提供する」との内容が盛り込まれた。
 まるで、ソ連時代の事実上の軍事同盟関係に舞い戻ったかのようだ。
 プーチン氏は、米欧の「覇権」を終わらせ、新たな世界秩序をつくる意欲をあらわにした。
 さらにプーチン氏は、西側諸国によるウクライナへの武器供与を厳しく非難。 これまで国連の制裁決議に反して北朝鮮から極秘に受けていた弾薬などの共有を、軍事援助の名の下により一層進めてきたい狙いは明らかだ。
 北朝鮮にとっても後ろ盾としてロシアの重みは増している。 核・ミサイル開発を続ける北朝鮮を国連安保保障理事会で擁護。 過去の制裁決議履行状況を調べる専門家パネルも、ロシアの反対で継続できなくなった。(中略)
 北朝鮮としては、ロシアとの蜜月を条約締結で永続的な枠組みにし、連携を強める日米間に対抗したいのだろう。
 だが、一連の動きは秩序の守り手としての国連安保理の権威を傷つけるものだ。 とくに侵略戦争を遂行するため、安保理常任理事国の責任を投げ出したロシアは厳しく非難されるべきだ。 (中略)
 むしれお冷戦時代のような世界のブロック化を望んでいないとされる中国を、どう巻き込んでいるかが重要だ。
 プーチンの訪朝を前に中国と韓国は外交安保対話を開いた。 中国側は朝鮮半島問題の解決に「建設的な役割果たす」と述べたという。 こうした多様なチャンネルを駆使した、ねばり強い努力と知恵が日本を含む西側諸国には欠かせない。

 (以上、朝日新聞「社説」より一部を引用したもの。)




 原左都子の、幼稚かつ身勝手な感想に入ろう。

 ロシアのプーチン大統領という人物の人格の程に対して、理解に苦しむ私だが…
 いえ、一昔前に今は亡き安倍晋三氏と仲よく(と言うよりも安倍氏側の片思いだったのだろうが…)するふりをしていた頃のプーチンさんに対しては、さほどの理解不能感は無かったのだが。
 ウクライナ侵攻開始以降の、異様とも表現できそうなプーチン大統領のウクライナに対する敵意の程に空恐ろしさを抱きつつ。 今尚終わりが見えないプーチンによるウクライナ侵攻に恐怖心を感じている身だが…

 金正恩氏に対しては、自身がこの世に生まれ出た時から国家首長としての運命を背負いつつ、(傍から見ている感想に過ぎないが)若くしてその役割を立派に果たしている存在と言うのか???
 そもそもの国家の体制を考慮した場合、それを今後も一身に背負い力強く実行していく人生を歩むのであろう。
 その金正恩氏が、今回明らかにプーチン氏に懐いている(との表現は正確では無かろうが)、とにかくプーチン氏と仲よさそうにしている映像を見るにつけ。  特に独裁国家首長の役割とは、生易しいものではないのであろう感覚に陥る…


 
 それにしても、朝日新聞「社説」が結論付けている通り。

 プーチン氏と金正恩氏との結びつきとは、世界平和観点からは「危険な軍事協力の強化」でしかないであろう。

 プーチンによる終わりなきウクライナ侵攻に、心を痛めている私だが。 
 そのプーチンが 北朝鮮の金正恩との結びつきを強化しようと企んでいる現在の世界秩序をどうにかせねばならない現状の、世界的軍事態勢でもあるのだろう。
 

我が子が新婚で新居を購入する際に、親は資金的援助をするべきか?

2024年06月23日 | お金
 本日のエッセイテーマは原左都子としては珍しく、家族とカネにまつまる話題である。


 と言うのも、本日午前中に我が郷里 親戚のさっちゃん(実母の妹に当たり、近頃電話のやりとりが多い等々 以前から仲よくしていただいている叔母)より電話があったのだが。
 その主たるテーマが、表題のごとくだった故だ。


 お互いの近況を述べあっていたところ、話題が「家族とカネにまつわる話題」に移った。

 さっちゃん曰く、「〇ちゃん(私の事)が30歳頃に単身で自分が住む住居を購入した時には、親御さんからいくらぐらい援助してもらったの??」

 私応えて、「全額自己資金での購入だったよ。 そもそもうちの親(さっちゃんの実姉とその夫)って、元々子どもにカネを使わない人種なのよ。 教育費用ですらケチったんだから、私が単身で暮らす家にカネを出す訳もないと最初から悟っていて、全額自己資金で購入したよ。)

 さっちゃん応えて、「そうだったの! それはビックリだけど、確かに〇ちゃんは医学の仕事をしていて結構自力で稼いでいたよね。 それにしても、本当に親が一銭も出さなかったの?!?」
 私が応えて、「そもそもあの親どもは、私の上京後一度足りとて様子を見にも来なかったよ。 一度何で来ないのか?と聞いたら、〇子(私の事)は何の心配も無くて行く必要が無い、と言ってたよ。  米国の姉の処へは何度か行ってたくせにね。」

 さっちゃんが応えて、「私が思うには、子どもの再スタート時には例えば新居購入等の一助を親が成すべきと考える派で。 長男にも次男にも、それぞれ数百万円単位の援助をしたものだ。 これぞ、親として果たす役割と私は今でも考えているよ。」

 ついでに私が曰く、「あの母親は、私が30歳独身時に自力で新居を購入したと言った途端、すぐさま一人でやって来て、多忙を極めている私を無視してその新居をまるで自分が購入したがごとくにテレビを長時間見たり、ダラダラと自分の好き放題に暮らすのよ。 私としては当時勤労学生でまさに多忙だったし、横でテレビ見て寛がれても迷惑なのできっぱり怒ったよ!  そうしたら、早めに帰ることにしたようだけど、その際に新居祝として5万円だけ置いていったかな??」

 それを聞いたさっちゃんが驚いて、「親から子に対する新居祝金が5万円だけ!!! 到底常識では考えられない!!」

 そこで私が言った。 「だから、あ奴(母親)はさっちゃんへの遺産も5万円でいいと言ってるのよ。 残った遺産に関してはいろいろ私に言ってくるけど、どれもこれも信ぴょう性が無いことばかり。 全部米国のジョージくん(NASA勤務で年俸3000万円也の孫)にやる、と言い始めたり。 そもそも、我が父の遺産とて自分で独り占めして知らんぷりよ。 大した金額じゃないからそれでいいと私も思っているけど。」

 それを聞いてさっちゃんが再びビックリして、「ええ、御主人の遺産を独り占めにしたの!?! それは考えられない話よ!!」
 私が返して、「もう済んだ話だからどうでもいいんだけど、非常識な話でしょ。」


 まだまだお金がらみの話が続いたなあ。

 とにかく、私の叔母であるさっちゃんとの人物は世間常識を十分にわきまえている人で、自身の息子さん達2人の住宅建設費用等々の一部(多く)を心良く負担してあげたとのことだ。



 いやいや、この私は本気で“業突く張り”の実母のカネなど一銭も要らない!!
 今後の葬儀やその他の世話はこの私しかする人間がいない故に、責任もって執り行うが。

 葬儀の後、永代供養墓に入れたらそれで終了さ、 我が実母に対する奉仕活動は。


 実母のカネなど、本気で一銭も要らないが。
 
 そうだなあ、我が最愛の一人娘にはきちんと遺産を残してやりたいなあ。 
 そして、もしも将来婚姻して共同生活に入る場合には、さっちゃんのように出来る限りの援助をして、豊かに暮らしていける土台作りをしておいてやりたいものだ。


原左都子は大人になって以降、何故よく転ぶか??

2024年06月22日 | その他オピニオン
 (冒頭写真は、今からほぼ10年前の 2014.04.14 に自宅バルコニーにて洗濯もの取入中に激しく転び、右手首及び左鎖骨の二か所を骨折した後の右手首の写真。)


 誰しも、子供の頃にはよく転んだことだろう。
 そしてそれが重傷になったことはまれで、おそらくすぐに立ち上がっては遊びの続きを楽しんだはずだ。

 この原左都子の場合、親のポリシーがかなり歪んでいた(と言うより父親に重度の鼻炎があり、家の中で暴れると埃が舞って父の鼻炎が激しくなるとの理由で、室内で走ったり運動をすることを厳しく禁止されていた。)
 その鼻炎を引き継いでいる私だが、我が娘には決して室内で暴れるな!なる歪んだ指導は一切していないにもかかわらず、とにかく静かな娘は室内で暴れることは無かった。


 さて、一昨日大規模公園内をランニング中に転び、特に右膝にけがをした話題に移そう。

 転倒後2日が経過した今現在、やはり一番の大怪我箇所である右膝がえぐれ傷からの出血が続いている。(それを堰き止める措置は自分で随時施していて、実際はさほどの出血量ではない。)

 今回は身体の右側中心に倒れ込んだ様子なのだが。
 右腕上腕にも痛みが残っていて、上腕を上下するのに難義さもある。

 ただそう考えてみるに今回の転倒による怪我はその程度であって、おそらく日にち薬で日々よくなることであろう。

 要するに、やはり怪我も「骨折」すらしていなければ まさに“日にち薬”と言えよう。



 表題に戻そう。

 この原左都子が大人になって以降に、何度も転ぶ羽目になった最大の理由は、「大雪」時に限定されそうだ。

 南国郷里にも、大雪が降る事が稀にあった。
 
 例えば中学生時代に、私は自転車通学だったのだが。 
 ある日 無情にも朝から大雪に見舞われ、5㎝程の積雪があっただろうか。
 こんな日に、自転車で学校へ行かねばならないの!?!
 朝から恐怖感に苛まれつつ恐る恐るペダルを漕いでいると。 案の定家の近くの曲がり角で激しく転倒した!!
 寒いし痛いし最悪感に襲われつつ、それでも学校へ行かねばならない。😫 
 あの時の最悪の情景は、今尚脳裏にこびりついているが。 幸い、何らの怪我も無く学校へたどり着いた。
 後にも先にも自転車通学中の大雪は、あの日だけだった。


 上京後は、何度も大雪に見舞われた。
 大都会の場合、駅前等は既に人通りが多く雪がかき消されていて助かるのだが。
 我が通勤に当たり、駅で降りてバスに乗るルートがあったのだが、そのルートが(南国出身の私に言わせてもらうと)物凄い積雪だ!!
 同僚の皆さんは、「こんな日に何でヒール靴を履いて来るんだ!!」と私を説諭するのだが。 南国育ちの私にとっては雪の備えの経験が皆無なのだ!
 それでも2度転倒した暁に、私も不本意ながら雪用ブーツを買いましたよ!!
 それにしてもやはり私も若かったのか。 雪道で激しく転んでも、特段の怪我はしなかったものだ。



 なのに何故……  

 高齢域に入ると、転ぶと大怪我になりかねないことを何度も学習させられる身だ。
 もう分かってるよ!! と言いたいのに、どうしてこの私だけが予期せぬ時にこれ程転ばねばならないのか!?!?
 (脚長で元々重心が身体の上部にあること、かつ側弯症で現在は左に身体が傾いているとの、おそらく生まれ持った体型のバランスが悪いとも推測しているが…)


 今尚痛む右膝と右上腕を抱えつつ、これ程に道路上で転ぶ人生を歩まざるを得ない我が身を、心底恨みたい気分だ… 😫 😭 


ランニング中に転倒した私を救ってくれた中学女子3人の素早い対応力に感動!!

2024年06月21日 | 人間関係
 昨日のエッセイにて、いつもランニングをしている自宅近くの大規模公園内のランニングコースで、激しく転んでしばらく起き上がれなかった話題に少し触れた。


 結果としてはどうやら骨折はしなかった様子で、最悪の事態は避けられたようだ。
 それにしても全身各所に擦り傷・打ち身等々を抱え、未だに微熱に悩まされている状況だ。


 昨日のランニング中の転倒事故を思い起してみよう。
 昨日も記したが、我が公園内ランニングコースのスタート地点は、スタート直後から急激な上り坂となる難所だ。

 その上り坂を登り切った所に、園内売店とある程度の広さがある園庭に椅子と机が置かれている場なのだが。
 ちょうど その真横のランニング道で、私は激しく転んだ!!


 我が人生に於いては 特に大人になって以降、転ぶ機会が多い私だが。😖 😱 

 あの転ぶ瞬間の浮遊感と言うのか、独特の感覚には慣れてしまっているというのか?!?
 とにかく、途中で止めようが無いのが転ぶ瞬間だが。 特に私の場合身長165cmと女性としては大きい方なので、頭が道路に着くまである程度時間的余裕があるといえばそうだ。 ただ、1年半前の左膝複雑骨折の際は、頭も道路にぶちつけて脳震盪を起している。
 転ぶ途中で、過去の置き土産である左膝骨折箇所のみは守ろう!!などと考える余裕は一切無い。
 出来るならば、頭だけは道路にぶちつけたくはない!! と思ってみたとて、それも結果論でしかない。

 ただし、今回は結果として幸いにも頭を道路にぶちつけることなく済んだのは幸いだった。

 
 転んだ後の事を振り返ろう。
 とにかく、今回の転倒は特に右膝中心に負傷していることは転んだ直後に理解できた。
 ところが左膝の回復が未だに完全ではなく、どうしても両脚が不自由でなかなか起き上がれない。
 これ、困ったなあ。 こんな道路の真ん中で倒れていては、かなり目立つ!
 なんとかして起き上がろうと、必死の覚悟で四つん這いスタイルになっただろうか?

 そこに急いでやって来てくれたのが、売店近くの椅子に座って寛いでいた中学生女子グループの3人だ!

 口々に「大丈夫ですか!!?」 「起き上がれますか!??」等々と叫びつつ、私がそれがなかなかできないのを手伝ってくれようとする。
 「とにかく、椅子まで移動しましょう!!」と3人が協力して、私を公園内の椅子に座らせてくれた。

 こちらとしては、こんな若い世代の方々にお世話になって申し訳なさの極みだが。
 それでも この3人娘、学校でそんな緊急対応を学んでいるのか、とにかく手際がいいし声掛けの仕方も完璧だ!

 私もお礼を言いつつ、「近くの〇〇高校の生徒さんですか?」などと尋ねると、「いえ、中学生です」とのご回答。
 「失礼しました!」と応えつつ、中学生にしてはまさに完璧な対応力だ!!

 ただ、お時間を取っていただくのも申し訳ないと考えた私が、 (転んだ瞬間から 今回は骨折はしていないと判断できたため)椅子から立って歩いてみた。 そうすると、スローペースで歩けるのが判明したため。
 
 中学3人娘さんには丁重にお礼を申し上げて、一人で歩いて帰ることとした。
 中学3人娘さん達も、帰宅の路についたようだ。


 あの転倒から丸一日たった現在、骨折は無いと確信できるものの。
 右膝の身がえぐれていて出血が未だ止まらないのを筆頭に、やはり身体の各所に擦り傷跡や打撲傷を抱え微熱が続いている。


 それにしても、今時の中学生の「有事の際の他者のフォロー」が完璧であることに感動させてもらえた今回の「転倒事故」だった。

 現在は、学校現場に於いてその種の指導教育が徹底しているのであろうか?
 
 それとも、単に昨日の転倒時の出会いに恵まれていたのだろうか?

 とにかく 不幸中の幸いで、あれ程の転倒後のフォローに恵まれた事実を嬉しいこととして振り返ることができる、今回の我が転倒事故だった。


またもや、ランニング中に激しく転んでしまった…

2024年06月20日 | 雑記
 本日午後3時頃のことでした。


 いつもランニングをしている大規模都立公園内を走り始めて、未だ500mにも満たない地点だっただろか。

 この公園内のランニングコースは、私が設定しているスタート地点から早い箇所で急激な上り坂道になるのが特徴なのだが。

 そのため、スタート間もない頃から減速せざるを得ず。 考えようによれば、かなり厳しいランニングコースでもある。


 ただランニングコースの上り坂とは、特に素人ランナーとしては大いなる難所であり、常に最大限の注意を払いつつタイム無視で走っている場所でもある。


 それにもかかわらず、私は本日午後、その上り坂の頂点とも言える場所で激しく転んでしまった…


 現在自宅に帰宅していて、夕食準備も可能な体調ではある。
 
 少し右膝が痛むものの。

 既に左膝複雑骨折との厳しい過去歴・大怪我を体験している身にして、大した怪我では無さそうだ。

 
 それにしても、どうしてこれ程に我が身は「怪我」と縁が深いのかと情けなくもある…


 とにかく今は、痛い身体を引きずりつつの夕食準備中でもあるし。


 この我がランニング中の怪我に関しては、明日改めてエッセイを書かせて頂く予定でおります。


 それはそうとして。
 高齢域に達したと言えどもこれ程「全身全霊!!で転んでしまう」のは、原左都子だけでしょうかね…