原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

自民党の萩生田政調会長はじめ副大臣等々、まさに「ダッセーな」

2022年08月20日 | 時事論評
 本日先程見たネット情報より引用しよう。



 旧統一教会と「接点あり」の副大臣ら23人に 新たに4人認める


 「ダッセーな」萩生田氏に元信者


 世界平和統一家庭連合(旧統一教会)との関わりについて、第2次岸田改造内閣を支える副大臣・政務官の計54人を対象に毎日新聞が12日に実施した調査で、当日未回答だった6人のうち5人が20日までに議員事務所を通じて文書などで回答し、教団との接点を認めた議員は4人増えて計23人となった。
 新たに接点を認めた4人は、星野剛士副内閣相▽山田美樹副環境相▽小林茂樹副環境相▽木村次郎防衛政務官。いずれの事務所も今後は教団側と「関係を持たない」と誓った。一方、毎日新聞は井野俊郎副防衛相の事務所に12日以降も回答への協力を再三要請したが、「調査中」と繰り返し、54人の中で唯一回答を得られていない。
 星野氏は「献金やパーティー券の購入記録などはないが、会費を支払ったと思われる記録は残っている」と説明し、過去の選挙では電話かけなどの協力を受けたとした。また、木村氏も2021年衆院選で「地元の第三者を介して名簿提供の申し出があり、提供を受けた」と回答し、選挙で支援を受けたことを認めた。
 教団が関係する会合を巡っては、星野氏は「メッセージを送ったり、秘書が代理出席したりしたと思われる記録がある」とした。山田氏は今年6月の懇談会総会の冒頭に出席し、小林氏は19、20、21年の会合に出席してあいさつした。木村氏は19年3月の懇親パーティーに出席して会費1万5000円を払っていた。

 (以上、ネット情報より引用したもの。)



 原左都子の私見に入ろう。


 第2次岸田改造内閣は、つい最近発足したばかりじゃないか?!!
 その閣僚として入閣した閣僚の多くが、旧統一教会とかかわっていたとの事実。

 これが許せるわけもないだろう!?!

 今回、参院議員に当選したあの“生稲”ナンタラ氏も、その「“萩生田氏”に連れられて、旧統一教会へあいさつに行った」と言う。

 自分が萩生田氏に一体何処の事務所へ連れていかれるのか把握していなかった、との生稲氏の弁明だ。

 よくそれで、若い時代に無事に芸能界を渡って来れたよねえ???


 まさにとにかく、これら自民党と旧統一教会との癒着の程が今に至って尚凄すぎるとの事実だ。

 ここは、旧統一教会の元信者氏がおっしゃる通り。


 旧統一教会と接点がある、副大臣はじめ自民党閣僚23名の皆さん。


 その事実を早期に認め、退陣せねば。


 これから先ずっと。


 国民から「ダッセーな」と後ろ指をさされ続けますよ。 

義母の認知症が元で私が立腹した事件の後日談

2022年08月20日 | 人間関係
 表題のエッセイは、今からちょうど一週間前の2022.08.13に公開したが。


 以下に、その前半部分のみを再掲載させていただこう。

 今朝9時頃の事だ。
 我が家の電話が、高齢者施設に暮らす認知症の義母の名を告げる。
 義母は極度の難聴でもあり特に電話では私の声が聞こえない、と訴えるため、義母からの電話には息子である我が亭主が出る取り決めをしている。
 それにしても、亭主とて認知症かつ難聴を抱える義母との電話での会話にはいつも難義させられるため。 2日前に義母の施設を訪ねた際に、義母には「なるべく電話連絡は控え、施設からの伝言でお願いしたい」と念を押したばかりだ。

 亭主が自室の電話子機で出た義母からの受話器を私の処へ持ってきて言うには。
 「義母がどうしても〇子(私の事)に電話を代わって欲しいと言うので、出てやってくれないか?」
 既に苛つく私が、「電話を代わったって、義母には私の声は聞き取れないよ!」と亭主と押し問答しつつも、義母からの電話に出た。 

 そうしたところ、義母が嫁の私宛に何を訴えてきたのかと言うと。
 「あのねえ、〇子さん。 私は先日自室のトイレでお漏らしをしてしまって、スカートもトイレの床も汚してしまったの。(その話は、先日施設を訪ねた際に義母から既に聞いている。) 困ってすぐに施設のスタッフさんを呼んだのよ。 そしたら綺麗に掃除をして下さったので、お礼に千円札を渡そうとしたら、どうしても受け取ってくれないの。(義母の施設内では、入居者とスタッフの金銭のやり取りは禁止されている。) そこで考えたのだけど、そのスタッフさんに3,4歳の娘さんがいるから、その娘さんが持てそうな可愛いバッグでも買って施設へ送ってくれる?」

 この種の話は、今に始まった事ではない。 
 とにかく施設内でお世話になったスタッフの皆さんに、昔から“カネを握らせる”癖のある義母であり、それをすんなり受け取って下さるとそれで一件落着なのだが… (意外と素直に受け取って下さるスタッフも多いそうだ。)😖
 ところが、どうしても真面目なスタッフさんがいるとこういう事態と相成る。
 結果としてやむを得ず嫁の私がネット通販にて適当な商品を捜して、早速施設に住む義母宛に送る手配をしておいた。 (結果としてスタッフに直接千円札を握らせるよりも、ずっと高額の負担となった。😵  いくら相手が子どもと言えども、商品でお礼をするとなると粗末な物は選べないものだ…)

 (以上、一週間前に公開したエッセイの前半部分のみを再掲載したもの。)


 次の日の日曜日のことだ。

 義母から電話が掛かってきてそれに亭主が出たところ、義母曰く、
 「あのねえ、昨日お願いした子供用のバッグだけど、あれもう要らないから。」 その一言だけ言って、義母は電話を切ったと言う。

 更に怒り心頭の私だが、認知症の義母に腹を立てても疲れるばかりであるし、「もうええわ…」😫 の心境だったものだ。


 
 その後8月17日夕刻に、義母が入居している高齢者施設のケアマネジャー氏より電話があった。
 亭主不在のため私が出ると、何らかの用件(内容忘却)を私に伝えてすぐに電話を切ろうとした。

 義母の「子供用バック」の件で未だ怒り心頭の私が、この件に関してどうしてもケアマネジャー氏に義母の保証人としての怒りの程を伝えておきたいと欲して。
 ケアマネ氏に尋ねた。 「義母の『子供用バッグ』事件の件はご存じですか?」
 それに応えてケアマネ氏曰く、「よく存じております。」
 私返して、「あの件に関して保証人である私は大迷惑を被りました。 もしも、義母がトイレで粗相してそのお礼としてスタッフの方に千円札を手渡そうとした時に、それをスタッフ氏が受け取って下さってさえいれば、こんな鬱陶しい事態にならずに済んだはずです。」
 気丈なケアマネ氏が応えて、「我が施設ではスタッフが入居者から金銭を受け取ることを禁止しています。 今後は、お義母さんから物品を送って欲しいと依頼されても、しばらく放置してくれませんか?」
 私が返して、「それは難しいご意見ですし、一応義母との約束は果たすべきと考え実行するのが一般人として正当だと私は判断します。 ですので、今回子供用バッグを私が施設の義母宛に送ったことを責められる筋合いは無いはずです!」
 
 しばらくケアマネ氏と電話で堂々巡り問答を繰り返しただろうか。
 結果としては、とにかく“施設内では入居者がスタッフにお礼として金銭や物品を手渡すことは禁止” とケアマネ氏が私を説得して電話を切ることとなった。

 これ、やはり私としては怒りが収まらない!

 そうは言っても、我が義母とは昔からそういう人種だ。
 いくらケアマネ氏から直に説得されたと言えども、義母は陰でこそこそスタッフに金銭を握らせる癖を辞められるはずもない、と私は想像している。

 今回の場合は、嫁である私に「スタッフの娘さんにバッグを送れ!」との指示だった訳だが。 その種の行為に関しては、今回はケアマネ氏にバレてしまいおそらく指導を受けただろう故に、義母はそれを繰り返すことは無いであろう。


 
 それにしても、私がネット通販で選んで義母に送った子供用バッグはとても可愛い😍 商品で、送料も加えると数千円の出費だったのだが…

 あのバッグは、一体どうなるのだろう?
 認知症故に既にそんなバッグの事などすっかり忘却している義母の部屋の片隅で、誰にも使用されることなく放置される運命なのだろうか???😰 


「原左都子エッセイ集」トータルPVが 昨日900万を突破しました!

2022年08月19日 | 自己実現
 (冒頭写真は、昨日我がエッセイ集左欄より転載した「原左都子エッセイ集」TOTAL PV数。)


 参考だが、我がエッセイ集トータルPV数が800万超えを達成したのは、今年の1月下旬のことだった。

         


 その後、7か月足らずで900万に達した計算となる。


 冒頭写真をご覧いただけるとお分かりだろうが、我がエッセイ集は今年の春頃から、Access Status の数値をトータルPVのみの表示に切り替えた。

 何というのか私自身がこの数値に囚われることなく、今後はさらにエッセイ自由執筆を貫きたい!と考えたのがその第一の理由だ。
 
 特に近頃、このgoo内ですら(“すら”との表現は適切でないかもしれないが)“数値”を重視する方針が激化しているように思われるのだが…😫 

 ブログという媒体の特質として、公開する人々の「個性・多様性」が第一義として尊重されるべきと、私など考えるのだが。 
 どうもそうではなく、「個性」が種々多様なブログをごっちゃ混ぜにして、あえて“ランキング”制度を取り入れることに躍起になり過ぎているような感がある。


 もっと自由奔放に、執筆活動を継続したいものだ!!

 今現在の我がスタンスは、そんなところだ。

 そのためには我がエッセイの執筆環境を整えるべきと考え、ずっと以前よりコメント欄閉鎖、「いいね!」不参加を貫き現在に至っている。


 さらには、今年の春頃にはAccess Statusも total PV数の表示のみとした。

 おそらく今後も、我が「原左都子エッセイ集」はこのスタンスを継続しつつ、日々オピニオンエッセイ執筆・公開を続行致します。

 「原左都子エッセイ集」常連ファンの皆様、時折覗きに来て下さる方、はたまた、そうでない方々も。
 
 今後共 gooブログ「原左都子エッセイ集」を何卒よろしくお願い申し上げます! 😃  
 

安倍元首相の国葬で国民に「黙祷」をせよだと?? これ以上国民を馬鹿にするな!!

2022年08月18日 | 時事論評
 今朝、先程見たネット情報を、以下に引用しよう。


 安倍元首相の国葬で「国民の黙祷」を検討中の政府に「強制するな」と拒否反応続出

    2022年08月18日 

  安倍元首相の国葬で「国民の黙祷」を検討中の政府に「強制するな」と拒否反応続出の画像

 9月27日に開催が予定されている安倍晋三元首相(享年67)の国葬。この件について、政府は野党議員の質問主意書に対する18本の答弁書を8月15日に閣議決定した。その中の黙祷に関する項目がネットで波紋を呼んでいる。
さかのぼること7月8日、銃撃を受けて亡くなった安倍元首相。多くの人があまりにも突然の死を悼んだが、同月14日、岸田文雄首相(65)が「秋に国葬を執り行う」と宣言したことで波乱を起こすことに。
「岸田首相は『憲政史上最長の8年8ヵ月にわたってリーダーシップを発揮した』などと安倍元首相の政治を讃えた上で、国葬を宣言しました。しかし、安倍元首相には熱狂的な支持者がいるいっぽうで、モリカケ問題や桜を見る会、さらに国会での118回にもわたる“虚偽答弁”などから支持しない人も多数います。
また支持者のなかにも、国葬に多額の税金が使われることに疑問を感じる人たちも。国葬に対する反発の声は今なお後を絶ちません」(全国紙記者)
国葬が反対される理由は、もう一つある。それは“安倍元首相と統一教会との癒着”が次々と明らかになっているためだ。
「安倍元首相を銃撃した山上容疑者は、家庭崩壊を招いた実母の統一教会(現在は世界平和統一家庭連合)への多額な献金により、教団に恨みを抱くように。安倍元首相が教団の関連団体のイベントにビデオメッセージを送っていたのを見たことから、深い関係があると思い犯行に至ったと供述しています。事件後、安倍首相が関連団体の発行する雑誌で表紙を飾ったり、教団信者の票を選挙の際に自民党の議員に割り振っていたことも判明しています。
統一教会は昭和の末期から霊感商法などが社会問題となった団体ですから、『反社会的組織と深い関わりがある人物に国葬はふさわしくない』という声も上がっています」(前出・全国紙記者)
そんななか『時事通信』によると野党の質問主意書への答弁書で、政府は安倍元首相の国葬について「企業や学校などに対し弔旗掲揚や葬儀時間中の黙とうを要請するかどうか、葬儀の在り方は現在検討しているところであり、現時点でお答えすることは困難」と記述。つまり“国民に黙とうを要請するかどうか検討中”だというのだ。
7月20日、松野博一官房長官(59)は「国葬儀は国民一人一人に喪に服することを求めるものではない」と会見でコメント。そして8月10日、市民団体が起こした裁判に対して東京地裁は「国葬が国葬儀の方式で執り行われるとしても、これにより、個々の国民に対して、安倍元首相に弔意を表すことや喪に服することを強制することになるとは認められず、弔いの儀式に国民を強制的に参加させることになるとはいえない」としている。
しかし“国民に黙とうを要請するかどうか検討中”という閣議決定がなされた今、Twitterでは「喪に服すことを強制するのでは」と、拒否反応が相次いでいる。
《弔意を強制するものではない、とか最初言ってなかった?》
《普通に弔意を強制しとるやないか》
《まず国葬反対だし、弔旗掲揚や黙とうを要請するかどうかについてなど諸個人の弔意の在り方を政府が国民に強制したり指図するな》
《国葬か否かはほぼ形式的問題と思うのでこれまでノーコメントでしたが、国民に弔意を強制するようなことがあれば全力で反対します》

 (以上、先ほど見たネット情報を引用したもの。)



 原左都子の私見を記す必要も無し!!

 まさに、これ以上国民を馬鹿にするな!! と一国民として怒るしかない。

 言語道断の話題だ。



 この “故安倍氏国葬” に関する原左都子の反論私見に関しましては。

 「原左都子エッセイ集」 2022.08.18,    08.08,   07.30,   
                                                        07.29,    07.23        付等々

  本エッセイ集 バックナンバーにて既に述べておりますので、そちらを参照頂けましたら幸甚です。                                                   


再掲載 「不妊症の友」

2022年08月17日 | 人間関係
 今朝、我が「原左都子エッセイ集」編集画面を覗くと、“昨日の閲覧数ベスト50”内に 冒頭の表題  2008.09.16公開「不妊症の友」がランクインしていた。


 2008.09 と言えば、当該「原左都子エッセイ集」を公開して未だ1年程の時期だ。 
 高齢出産にて産んだ一人娘が、中学生の頃だっただろうか。


 とにかく、当該バックナンバー及び頂いたコメントに対する原左都子の返答の一部を、以下に再掲載させていただこう。

 私は長い独身時代に不妊症の女性何人かと縁があった。
 多くの不妊症の女性にとって何よりも辛いのが子どもの話題であるようだ。子どものある女性との付き合いにおいては、どうしても子どもの話題が中心となる。それを避けるため、当時の私のような子どものいない独身者との付き合いを好む傾向にあるようで、あちらから私に接近して来るのだ。

 私自身は結婚に関しても子どもに関してもどうあるべきといったこだわりはなく、両者共にどうしてもどちらかでなければならない(結婚はするべきだとか、子どもは産むべきだとか)というような固定観念は一切なかった。  決してポリシーがない人間という訳ではないのだが、自己の人格形成と自立を常に最優先に考えていた結果、それらの優先順位が相対的に二の次となっていた。

 二者のうち、結婚に関しては事は比較的簡単だ。 結婚とは単なる法的手続きに過ぎないため、たとえ結婚しても解消しようと思えば相手の合意を得て離婚という法的手続きを取りさえすればいつでも独身に戻れる。一端結婚に踏み切ったところで後の融通はいくらでも効くと言える。
 ところが子どもに関してはそうはいかない。 産んでしまった以上一生母親としての人生が待ち構えている。死ぬまで子どもの母親であることを解消することはできない。女性にとって子どもを設けることは、人生における最も重大な意思決定と言えるであろう。(男性にとっても子どもの父親の立場として同様であろうが、世間を見渡すと、どうも子どもに対する責任感は母親の方が強いように見受けられる。)

 不妊症の方々の苦悩は推し量って余りある。 不妊症の女性にとっての大前提は子どもを設けることである。ところが、この人生において最大とも言える意思決定が自分の意のままにならないのだ。 子どもを設ける意思決定を下しているにもかかわらず、神のいたずらでそれが叶わない。これは何とも不条理な事態だ。

 そういう心情を理解した上での不妊症女性とのかかわりであったのだが、正直言って独身の私にとっても“腫れ物に触る”ように神経を使う付き合いだった。
 そもそも基本的な生き方がまったく異なる。 子どもがいないという点では確かに共通しているのだが、あちらは精神的に経済的にご亭主に依存しながら何年も暮らしている人達である。(もちろんそうでない方もいるが。) 独り身ですべての事を独力で執り行っている私とは、バックグラウンドもライフスタイルもまったく異なる。どうしても話の接点が探りにくい。
 その上、子どもの話は厳禁である。 私の場合、決して将来的に子どもを設けないという意思決定を下していた訳ではない。子どもを持つ夢を思い描くこともあった。そういう話題には決して触れられない。心情を理解しつつも気苦労の多いぎこちないお付き合いであった。
 私は晩婚だったとはいえ子供を授かるのは早かった。 私に子どもが授かったことが判明するや否や、不妊症の女性達は皆一斉に私から遠ざかって行った。「(私が)子どもを産もうと考えていたとは思っていなかった…」と言い残して…。 私の配慮心から子どもの話題に一切触れなかったため、子どもに興味がないものと捉えていたのであろう。どうやら裏切られたような感覚があったようだ。 その後、その女性達の誰からも一切連絡はない。

 感動する話もある。 職場で短期間だが一緒だった女性がやはり不妊症だった。その方は十年の不妊期間を経た後、(ご本人の表現によると)神から一子を授かった。
 その女性はそもそも根っからの子ども好きで、自身が不妊症であるにもかかわらず子どもの話は禁句どころか、分け隔てなく他人の子どもを積極的に可愛がる人だった。 そして不妊症も10年にさしかかろうとしていた頃、知人の可愛い赤ちゃんのためにベビードールを編んでプレゼントしようと、心ゆったりと編んでいた時のことだそうだ。 なぜか妊娠しそうな不思議な感覚に包まれたそうである。 その感覚はさまに現実となり、まもなく妊娠が判明したという話だ。 知人の赤ちゃんのためにベビードールを編む彼女の純粋な愛情、ゆったりとした精神が彼女に赤ちゃんをもたらしたのかもしれない。 現在は子ども思いの母の鏡のようなお母様でいらっしゃる。

 先だっての朝日新聞報道によると、現在各種医療機関において「不妊カウンセラー」の認定を行い、不妊症女性の様々な精神的ストレスを解消するべくカウンセリングを実施しているそうである。
 女性にとって人生最大の意思決定である「子どもを持つ」という選択肢の入り口で苦悩する女性達…。
 う~ん、「子ども」に対してさほどの執着がなかった私が議論に加われる立場にもないのだが、「子ども」とはかけがえのない存在である反面、持ったら持ったで親としての責任は地球よりも重く、苦悩の連続の日々でもあるのだが…。

     

 このエッセイに頂いたコメントに対する、原左都子よりの返答の一部を紹介しよう。

 私の場合、子どもを授かるのはタイムリーで何の苦労もなかったのですが、バックナンバー「医師の過失責任」でも少し述べましたように、出産に関しましては不運でした。
 幸い「死産」には至っておりませんが、仮死状態で産まれた子どもを育てるのは大変でした。今でこそいい子に育ってくれていますが、ここまで来るのに親子で二人三脚の日々でした。
 でもMさんがおっしゃるように、子どもは親を選んで生まれてくるように私も思います。
 たまたま医学的、教育学的バックグラウンドがあった私だから、この子をここまで導けたと自負しています。(個人情報保護の観点から我が子の事情に関しましてはブログ本文では一切触れておりませんので、おわかりになりにくい話だとは思いますが。)

 (原左都子)2008-10-14 16:30:50  Mさん、バックナンバーまでお読み下さって感激です。
 いえいえ、私はちっとも立派ではないです。
 でも親が子を思うパワーは凄いですよね。 ただそれだけなのですが、とにかく「絶対にこの子に後ろ指はささせない!」覚悟だけは母として絶対的にありました。
 本当にずっと付きっ切りでした。
 見よう見真似で育つということが難しい子でしたので、すべてを教え込むのですが、例えば、食べ物を噛むという動作が出来ないのです。これには難儀しました。 他の子よりずっと遅れましたが出来るようになりました。(でも未だに噛むことは苦手のようですが…)
 それから、字が書きにくい子でした。これに関しましては私は元教員と致しまして教育力を発揮しました。でも、小学校入学前の学校説明会時に「保護者の方は、入学までに子どもさんが自分の名前くらい書けるようにしておいて下さい。」と学校の教員から軽く言われた時には、私も頭がぶち切れる思いでした。 それをするのに3年かかる子の存在を教育者たる者が知って言っているのか!!と…。
 今でも忘れられない思い出です。でも、入学までにちゃんと間に合わせました。
 そんな我が娘もすっかり成長してくれておりまして、(2008年当時)私立中高一貫校で勉強に励む子どもに育っています。

 (以上、長くなったが「原左都子エッセイ集」2008.09 バックナンバーより引用したもの。)



 つい最近の現在の話題だが、我が一人娘の幼稚園時代の“お弁当箱”を片付ける機会がありその写真を撮影したのだが。

          

 これらのお弁当箱に日々弁当を作って幼稚園へ持たせていた頃は、まさに上記コメント欄にて記載の通り、娘に未だ発達の“遅れ”が十分目立つ時期だった。
 それでも特にキティちゃんのお弁当箱を気に入ってくれて、完食はできなくとも、真面目にきちんと毎日(おそらく娘の居場所が無く、娘なりにつらい思いを沢山した時期だっただろうが)通園してくれたものだ。


 そんな娘も、この春には家から出て独り立ちしていった。

 さすがに私の教育力の賜物か(??)。
 特に娘に対する指導上主眼とした  “健康に留意しつつ日々きちんと生きる”  との人間にとって一番本質的で最重要項目において、娘は誠実に守ってくれているのに我ながら感心する。

 おそらくこのまま我が娘は、今後もIT技術者として独り身で日々真面目に頑張り通してくれることであろう。


 表題の「不妊症」からは大幅にテーマがずれてしまったことを、お詫びします。