原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

私も新聞購読のお蔭で “もの言える” 人間に成長できたか!?

2022年08月25日 | 自己実現
  (冒頭写真は、朝日新聞2022.08.23付教育関連記事「新聞読む子の平均正答率 高い傾向」より転載したもの。)


 早速、上記朝日新聞記事を以下に要約引用しよう。

 新聞を読む頻度が高い子の方が読まない子よりも全国学力調査の平均正答率が高い。 文部科学省が7月に発表した学力調査の結果から、そんな傾向が浮かんだ。
 調査は4月、小学6年生と中学3年生に実施。教科別のテストのほか、子どもの生活などもついてん尋ねるアンケートも行った。
 このうち「新聞を読んでいますか」という質問について頻度を4択で答えてもらったところ、「ほぼ毎日」と答えた子の国語平均正答率は、小6で75.4%,
中3で74.9%だったのに対し、「ほとんど、または全く読まない」と答えた子の平均正答率は小6で63.9%、中3で68.3%だった。
 ただ、文科省は新聞を読む頻度と正答率の相関関係が弱いとして、「新聞を読むほど正答率が高まる、とまでは言えない」と慎重な見方をしている。
 一方、新聞を読む頻度は年々減っている。 例えば小6の「ほとんど、または、全く読まない」は、22年度には72.7%に増えた。

 (以上、朝日新聞記事より要約引用したもの。)



 原左都子の私事及び私見に入ろう。

 私が育った生家では、昔から“地方新聞”を一筋に購読していた。

 それを私が読み始めた(というより“見始めた”の方がより正解だが)のは、小学校高学年頃からだろうか? 今となっては、特段の記憶が何も無いのだが。
 中高生時代以降は、さすがに興味を持てる記事を読み始めたが、新聞を読むためにまとまった時間を取る程でもなかった。

 そんな私が本格的に新聞を読み始めたのは、医学業務に従事していた20代半ば頃からだった。
 当時はとにかく女が25歳頃を過ぎると、「売れ残り」「行き遅れ」と後ろ指をさされる時代だった。
 私が勤務していた医学関係企業でもその例外ではなく、医学専門職女性であれ、結婚退職が後を絶たなかった。

 周りを見回すと、女子社員は新卒で入社後2,3年の若手ばかり。
 特に困惑したのは、昼休みに社員食堂へ一緒に行く女友達が結婚退職してほぼいなくなった事態だ。
 いや元々昼食など一人でとっとと食べたい主義の私だったことが効を奏して、これは好都合だった。

 そして余った昼休みタイムを何に当てたかというと、「新聞熟読」だった。
 元々どちらかというと“左思想”の私は迷いなく「朝日新聞」を購読し始めたのだが、毎朝自宅の郵便受けに投函されている朝刊を鞄にねじこんで会社へ持参して。
 昼休みの残り時間にそれをむさぼり読んだものだ。 
 その姿は、おそらく課内で有名だったことだろう。 誰も近付けない集中力で、新聞を読み漁ったものだ。

 その後30過ぎて入学した2度目の大学入学後も、この習慣は続いた。 幸い我が大学には一人部屋の自習室が充実していて、そこにこもって朝日新聞を日々熟読したものだ。
 その後の就職先でも、これ(昼飯後新聞熟読タイム)は続いた。


 この習慣は確かに私を“情報通”に仕立ててくれたし、“もの言える”人間として生きていく人生を形作ってくれたと、自己評価している。

 その集大成が、当該「原左都子エッセイ集」であると結論づけられよう。


 最後に、話題を冒頭の「新聞読む子の平均正答率 高い傾向」に戻そう。

 このグラフをよく見ると、「ほぼ毎日読む子」と一番下の「ほとんどまたは全く読まない子」間に、驚くほどの大差は無い。

 この記事は朝日新聞社の記載であり、“身贔屓”記事であるとも言えよう。

 それ程の大差が出ない理由として、「新聞は読まないが本好きの子」も多く存在するであろうし、今時それこそテレビやスマホ類を通して情報収集が得意な子ども達も多いことであろう。
 (それ故に、この記事の扱いは朝日新聞の片隅に小さく掲載されていたに過ぎない。)


 それにしても、あくまでも「新聞好き」の原左都子としての一番の情報源は、高齢域に入って久しい未だにこの新聞(朝日新聞に限定されているが)である。

 “20代半ばにとった杵柄”とでもいうのか、原左都子にとって「新聞購読」とは今後一生に渡り続行する“楽しみ・生き甲斐”でもあることだろう。

 近い過去に何度か「電子版新聞」への乗り換えを検討したことがあるが。
 それをすると、日がな一日中パソコンに向かっていなければならない光景を思い浮かべてしまい。

 毎月古紙回収に必ずや協力しつつの「紙面新聞購読」を、今後しばらく続行することとしている。


 最後に参考だが、私は自宅食卓にての「新聞の立ち読み」の習慣がある。
 これ、私にとって大きな効用があるのだが。
 立ち読みをすると、まず紙面を一覧可能だ。
 その中から自分が読みたい記事をピックアップして、その記事に集中したり、スクラップできるメリットがある。
 スクラップした記事を、後にじっくりと読み直すことも可能だ。

 そうやって、我が「原左都子エッセイ集」記事は完成・公開しているとも言えるでしょう。
 

安倍元首相の国葬中止を呼び掛ける署名活動に原左都子も同意します!

2022年08月24日 | 時事論評
 (冒頭写真は、朝日新聞2022.08.24付記事より転載した、当該署名活動に関する記事。)


 当該署名活動に関するネット情報を、以下に転載しよう。


 安倍元首相「国葬」中止求め 大学教授や作家など署名呼びかけ
  2022年8月22日 17時33分 安倍晋三元首相 銃撃
 参議院選挙の応援演説中に銃で撃たれて亡くなった安倍元総理大臣の国葬まで1か月余りとなる中、大学教授や作家などが、国葬の実施が憲法で保障する思想の自由に反するとして、中止を求める署名活動を始めると発表しました。
署名活動を始めるのは、東京大学の上野千鶴子名誉教授や、作家の落合恵子氏、東海大学の永山茂樹教授、高千穂大学の五野井郁夫教授など17人です。
 17人は、来月27日に行われる安倍元総理大臣の国葬が法の下の平等や思想、良心の自由などを保障する憲法に反するなどとして、23日からおよそ1か月間、インターネット上で中止を求める署名活動を行うことにしています。
 22日の会見で、永山教授は「誰かを弔う気持ちと同じように弔わない気持ちも重要だ。安倍元総理大臣を弔うように強要することは思想の自由に国家が土足で踏み込むようなものだ」と指摘しました。
 また、五野井教授は「国葬を行う法的根拠がない。われわれの税金を使うことには疑問を感じる」と話していました。
 一方、政府は国葬の実施について「儀式として実施されるものであり、国民一人一人に政治的評価や喪に服することを求めるものではない」としているほか、法的な根拠について「内閣府設置法に内閣府の所掌事務として国の儀式の事務に関することが明記され、閣議決定を根拠として行うことができる」としています。 (中略)
 「国葬」中止求める裁判や反対声明も
 安倍元総理大臣の国葬をめぐっては、実施に反対する市民や学者などのグループが中止を求めて裁判を起こしているほか、一部の弁護士会が反対の声明を出しています。 
 今月9日、安倍元総理大臣の国葬に反対する市民や法学者、弁護士などおよそ230人でつくるグループが国葬の中止などを求めて東京地方裁判所に訴えを起こしました。
 グループは「政府による決定や実施には法的根拠がなく、国会の承認も得ていない。内閣が国会を無視して恣意的(しいてき)に権限を行使したもので憲法に違反する」と主張しています。
 同様の裁判は横浜とさいたま、大阪でも起こされているほか、東京を加えたこの4つの裁判所には国葬中止を求める仮処分の申し立ても出されています。
 このうちの1つの仮処分について、東京地方裁判所は今月2日「『国葬』によって思想や良心の自由が侵害されるとはいえない」などとして退ける決定を出し、市民グループは即時抗告をしています。
 一方、東京弁護士会は今月2日に安倍元総理大臣の国葬に反対し、撤回を求める会長声明を出しました。
 声明では国葬の法的根拠がないことや、学校の現場で半旗の掲揚など事実上の弔意の強制が行われるおそれがあり、憲法で保障された思想・良心の自由の観点からも重大な懸念があるなどとしています。
 このほか神奈川県弁護士会も今月10日に国葬に反対する会長声明を出しています。 

 (以上、ネット情報より一部を引用したもの。)



 原左都子も上記「故安倍氏国葬中止署名活動」の趣旨に100%同意する。

 今一度、署名活動趣旨の一部を繰り返すと。
 
 安倍元総理大臣の国葬が法の下の平等や思想、良心の自由などを保障する憲法に反すること。
 「誰かを弔う気持ちと同じように弔わない気持ちも重要だ。安倍元総理大臣を弔うように強要することは思想の自由に国家が土足で踏み込むようなものだ」。
 「国葬を行う法的根拠がない。われわれの税金を使うことには疑問を感じる」
 「政府による決定や実施には法的根拠がなく、国会の承認も得ていない。内閣が国会を無視して恣意的(しいてき)に権限を行使したもので憲法に違反する」

 同様の裁判は横浜とさいたま、大阪でも起こされているほか、東京を加えたこの4つの裁判所には国葬中止を求める仮処分の申し立ても出されている。
 東京弁護士会は今月2日に安倍元総理大臣の国葬に反対し、撤回を求める会長声明を出した。
 声明では国葬の法的根拠がないことや、学校の現場で半旗の掲揚など事実上の弔意の強制が行われるおそれがあり、憲法で保障された思想・良心の自由の観点からも重大な懸念がある。


 えっ、何ですって?!?
 学校現場で半旗の掲揚など事実上の弔意の強制が行われるおそれもあるのですって!?!
 せめて、事情をよく把握できずただ学校の指導に従わざるを得ないであろう子どもたちを「国葬」に巻き込むことのみは是が非でも慎むべきだ!


 この「故安倍氏国葬」に関しては、岸田首相が何ら深い思慮も何もなく安倍氏殺害事件後時間を経過しない時期にこれを発表した時点では、国民の反応は“五分五分”だったと記憶している。

 ところがその後、自民党政権と旧統一教会との凄まじいまでの癒着の程が日々表沙汰になるにつれ、今となっては「国葬反対派」国民が断然多数と認識するに至っている。

 それでも自民政権がこの国葬を強引に実行する理由として、「海外から招く弔問客が多数であること」を挙げているようだが。
 その「海外弔問客」とは、誰一人として“要人”ではないとも聞く。
 それらの海外弔問客を招くことを第一義として「国葬」を実行するなど単なる言い訳に過ぎず、筋違いも甚だしい!

 今一度国民の目線に戻って、岸田首相をはじめとする自民政権は今回の「国葬」を熟考し直して欲しいものだ。
  
 おそらく今回の著名人署名活動により、国民より予想をはるかに超える数多くの「署名」が集まるものと想像する。

 
 「国葬」開催予定日まで、未だ1か月以上の期間がある。

 自民党岸田首相の「故安倍氏国葬中止」の勇断を待ち望みたい思いだが…


今時、可愛い我が子に「親孝行」をして欲しい親などいるの???

2022年08月23日 | 人間関係
 先日、ネット上で「子供にしてほしい親孝行」は1位は何だ? 」と題する記述があった。
 それは後回しにして。



 いきなり原左都子の私事を記させていただくと。

 高齢出産超難産の末に仮死状態でこの世に産まれ出るとの運命を背負い、幼少の頃から二人三脚で育て上げた我が最愛の一人娘が。
 28歳になり社会人として立派に成長した挙句、親元から独立して旅立っていった。

 あれから3か月以上の月日が流れ、やっと娘なりの“独り立ち”の趣旨・目標が親として見えて来た気がする。

 その娘の独り立ちの目的とは。
 「純粋に独り立ちしたかった」それ以外に考えられない。

 とにかく、幼少の頃程手がかかる子だった。
 娘が大学を卒業し本人自身が職業と就職先を決定して就業するまで、まさにサリバン母の私と二人三脚の日々だった。

 ただとにかく生来的に真面目で頑張り屋の娘であり、就職後も娘なりに最大限の努力を重ね、現在IT技術者としての勤続が7年目に入っているが。

 仕事に多少の余裕ができてきた娘が考えたのだろう。
 (このまま親⦅特に母親)との同居を続けると、どうしても衣食住生活において母親依存となってしまう。 これからは、その依存をも断ち切って本当の意味合いで独立したい、と!)
 そんな娘は、ここ3か月程私に弱音を吐いてきたことが一度も無い。
 たまに娘の部屋を訪ねてみると、掃除洗濯そして食事の準備・片付け等々も娘なりにきちんとこなしているではないか!
 しかも我が娘を一番褒めるべきは、「健康留意度が高い」との点である。

 子どもとは、こんなにもサリバン(私の事だが)の言いつけを守るものなんだ!と感心・感激するばかりである!!
 6月に実施された娘の「健康診断」結果を診ても、何らの異常は無い。(母である私同様に“痩身注意”の一言が書かれているものの、そんなの個人の趣味範囲だ。メタボになるよりずっと健康的だ!と娘にアドバイスしている。)

 まさにこんな親孝行な娘は世に存在し得ないだろう、と産みの母である私が感心させられるような理想的な「一人暮らし」を我が娘は日々遂行している様子である。

 それで十分に我が娘のサリバン母であった私に対する「親孝行」である。😊 



 さて、冒頭に記したネット情報の一部を以下に引用しよう。

 日刊ゲンダイDIGITAL 子供にしてほしい親孝行は何?
 3年ぶりに行動制限のない夏となった2022年。離れて住む両親に、お盆にようやく会いに行けたという人も多いだろう。会いには行ったものの、ちゃんと親孝行ができたのか、喜んでくれたのか、親のホンネが気になるところだ。親は子供にどんなことをしてほしいと望んでいるのだろうか。
 ジブラルタ生命保険株式会社が2021年、20~69歳の既婚男女2000人を対象にインターネットで調査を行い、子供がいる1515人に聞いたところ、5位は「孫の顔を見せてくれる」。
 3位は「一緒に旅行をしてくれる」、2位は「一緒に外食してくれる」で、どちらも一緒に楽しい時間を過ごしたい、と願っていることがわかる。
 4位は「話し相手になってくれる」。もし会いに行けなかったなら、今からでも電話をかけてはどうか。
 そして、1位は「元気な姿を見せてくれる」。もしお盆に会いに行けなかったなら、パソコンを使ってテレビ電話をするだけでも喜ばれること間違いなし、だ。 (途中大幅略)
 この調査では、これまでにした親孝行についても質問している。1位は男女ともに「プレゼントをする」だったが、子供にしてほしい親孝行には「プレゼントをする」は上位に入っていない。 何歳になっても、モノより健やかな子供の姿が親の喜びのようだ。

 (以上、ネット情報より一部を引用したもの。)



 私見でまとめよう。

 ジブラルタ生命と言えば、私が「個人年金」を契約して現在その“微々たる年金”を受け取っている企業ではないか?!?

 ちょっと待ってよ!
 くだらないアンケート調査を年金契約者から得た収入で実施していないで、その分少しでも多くの個人年金を頂戴よ!!
 と言いたくもなるが。😡 

 まあそれは置いておいて。

 最後の部分の「まとめ」のみは褒められるね。
 「子供にしてほしい親孝行には『プレゼントをする』は上位に入っていない。 何歳になっても、モノより健やかな子供の姿が親の喜びのようだ。」

 今時の親たちとはそうであろうし、そうであるべきだ!


 一昔前の親ども(我が親世代がこれに該当するが)の決まり文句とは、必ずや「老後の面倒を看てね」だったものだ。

 我が郷里の母親もこれを未だ50代期に(当時30代だった)私に言ったものだ。 
 その時の我が心情をよく覚えている。(冗談じゃないよ! 私は更なる学問に励みたくて大学に再入学したばかりだ!今後も東京で多忙な人生を歩むつもりだ! アンタ地方公務員の身分で今後ガッポリ年金が入る身だろ? もっとしっかり生きろよ!!)

 義母も、同じ道程を歩んでしまった。
 わずか70代にして「老いては子に従うべきなのよ。私は長女(義理姉)を呼び寄せて二世帯住宅を作り、そこで暮らすわ。」 
 その義理姉は、何と63歳の若さで膵臓癌にてこの世を去った…
 その後、高齢者施設へ入居した義母の面倒を保証人としてずっと看ているのは、長男である我が夫とその嫁の私だ…😭 


 
 今時、「老いては子に従え」などと言い出す親がこの世に存在しないと信じたいし。
 可愛い我が子に「親孝行」をせがむ親どもも、既にこの世から消え去ったものとも信じたい。
 
 老いも若きも、皆が自立心旺盛にこの世を渡って欲しい思いである。 

それ、頭の良し悪しと言うよりも…

2022年08月22日 | 自己実現
 少し前に見たネット情報内に、以下の記述があった。

 おそらく若い世代の方が書かれた文章であると想像するが、以下に一部を引用しよう。


 頭がいい人と悪い人「見た目のどこにお金をかけるか」の考え方の差


 「今の会社で働き続けていいのかな?」「でも、転職するのは怖いな……」。働き方が大きく変わるなか、そんな悩みを抱える人は多いだろう。高卒から、30歳で年収1000万円超という驚きの経歴をもつ山下良輔さんは、そんな「転職迷子」たちから圧倒的な支持を得ている。山下さんは初の著書『転職が僕らを助けてくれる――新卒で入れなかったあの会社に入社する方法』で、自らの転職経験を全て公開している。
 その戦略は「外資系やコンサル業界は、学歴エリートでなくても入れる」「職歴に一貫性はなくてもいい」など、これまでの「転職の常識」を塗り替えるものばかりだ。どうしたら人生を変える転職ができるのか、どうしたらいい会社選びができるのか。この連載では本書より一部を特別に公開する。
 本書では転職面接で大事なのは、「清潔感」だとお伝えしています。
 なかでも髪の清潔感を保つうえで最も大切な「基本」は、こまめに切って、整えること。とにかくボサボサではないこと。これに尽きます。この基本さえできていれば、僕はどんな髪型だろうが、どんなシャンプーを使おうが、奇抜でなければどんなカラーにしようがあまり気にしなくていいと思います。
 奮発して表参道や原宿にあるおしゃれな美容院に行って「劇的な変化」をとげたとしても、定期的に通えなければ清潔感が継続しません。普段から印象をアップさせる効果はゼロに近い。それよりも大事なことは、1000円カットでもいいから月1くらいの頻度で定期的に切ってもらうことです。
 ボサボサに見せないコツは、次の3つです。とはいえ、美容院に頻繁には行けない……という忙しい人におすすめなのが、一部分だけのセルフカット。僕も、5000円くらいのバリカンを通販で購入し、ツーブロックにしているサイドの刈り上げ部分だけは、セルフカットしています。
・横幅を出さない
髪の毛は、サイドの髪が膨らんで、横に広がっていると不潔な印象になります。
・えりあしを短く保つ
えりあしが伸びていると髪の毛を切っていなくて「手入れを怠っている人」という印象になるので気をつけてください。
・前髪が目にかからない
前髪をつくる、つくらないは個人の趣味ですが、仕事では、目にかからない長さに保ちます。

 (以上、ネット情報より引用したもの。)



 原左都子の感想を述べよう。

 話題の趣旨が「30代で年収1000万」の方の成功例を語る内容であるようなので、要するにそういう記述なのであろう。

 一番気になるのは、いきなり「頭がいい人と悪い人」の区別論に入るところだ。  
 で、その差の結論とは、「見た目のどこにお金をかけるか」の考え方の差、だそうだ。


 いや、分かるよ。
 この私も30代の頃など(未だ独身だったが)、仕事も頑張ったが、外見(「長身スリム体形」、これは高齢域に入っている現在尚維持しているぞ!)にとことんこだわっていたなあ。
 
 とか思ったら、話題が急に「30歳で年収1000万円超」に移り…
 その山下さんとやらは、自身の経験を著書として出版することにより、その成功をゲットしたとの話ね?

 そして、「本書では転職面接で大事なのは、「清潔感」だとお伝え、なかでも髪の清潔感を保つうえで最も大切な「基本」は、こまめに切って、整えること。とにかくボサボサではないこと。これに尽きます。」

 なんですって!?!
 いやはや、“若さ”って実に可愛くていいねえ!!

 で、引き続き記述を読んでいくと、あくまでも「外見」を整えることに始終して話が締めくくられている。

 いや、確かに「前髪の長さ」って、大事だよね!
 この私も、高齢域に入って以降も「前髪」を垂らしたヘアスタイルなのだけど。


 それで、冒頭に掲げた「頭がいい人と悪い人」の結論はどうなった???

 でも、分かるよ。
 確かに年齢にかかわらず「外見を繕う」のって、結構手間暇かかるものなのよ。 手間暇のみならず、「いつも手を抜いてはならぬ!」なる覚悟も必要だね。
 この私も周囲からよく言われるのが、「どうやったら、そのスリム体形を維持できるの?」なのだが。
 口先では「特段の秘訣など無いよ」と言いつつ、1日5回は体組成計に乗って、少しでも体重が増えていると自分が許せない!気分になって、気合を入れ直しているしねえ。😖 

 まあただ、やっぱりそれと「頭の良し悪し」とは別物だよ。


 でも、ここまで書いてきて分かる気もしてきた。

 「努力」を重ねるという点では、外見を繕うのも「努力」が欠かせないものだものね。

 総合的に色んな方面で努力を重ねていくと、それがその人のプラス評価として周囲に認められるようになる、との結論かな? 


 (文字の大小にバラつきがある点、お詫びします。)

年々低くなり続ける日本の科学技術力指針

2022年08月21日 | 時事論評
 (冒頭写真は、2022.08.20付 朝日新聞「書評」ページより、千葉大学教授・粒子天文学者 石原安野氏が選んだ書籍 共同通信社「日本の知、どこへ」取材班著の「日本の知、どこへ どうすれば大学と科学研究の凋落を止められるか? 」を転載したもの。


 早速、冒頭の著書に対する石原安野氏による「書評・多角的な分析と長期的な検証を」を以下に要約引用しよう。

 基礎研究の重要性と日本におけるその危機的状況について語られることが増えている。 日本の科学技術力指標は年々低くなり続けており、日本人が最も科学者に注目する機会であるノーベル賞受賞者の会見は、受賞対象となった研究成果を生み出してた時代に比べて近年の研究環境が劣化していることへの危機感表明の場となっている。
 一方で、日本では基礎科学の大切さに対する理解や、科学を純粋に楽しむ心があるとも感じている。 いつどのように役に立つか分からない多様な研究が、将来の成果につながる種となる。 その重要性の認識は日本社会の成熟度を示す指標といえるのではないだろうか。 しかし、現状では実際の研究活動に反映されているとは言えない。 それどころか、「面白さ」に突き動かされるような研究は縮小を続けている。 (中略)
 大学の役割を端的に表せば研究と教育だろうが、そのありようは幅広い。 本書から見えてくるのは、一面的な指摘を用いた評価の不十分さ、そして、多角的な現状分析と施策の長期的な検証の必要性だ。
 現状打破のために新たな施策を行うことが悪いわけではない。 それがどのようなデータに基づいたものか、大学の多様性に対応できるのか、後日の第三者による検証が可能かを明らかにしておく必要がある。(中略)
 日本の科学技術力の基盤であり続けるために、社会の一部として発展を続けるために、大学はどうあるべきか。ひとりひとりが身近な問題として考えるきっかけになり得る一冊だ。

 (以上、朝日新聞「書評」ページより一部を要約引用したもの。)



 この書評を読んで私がいの一番に思い出したのは、2014年春に起きた小保方晴子氏らによる「STAP細胞事件」である。

 何故これを思い出したのかと言えば、この原左都子が国立大学医学部出身であり、私の専門分野が医学実験をこなすことを主眼とした分野だった故だ。

 ただし小保方氏と私の年齢差がおそらく30歳程あり、当然ながら小保方氏の方が真新しい実験に取り組んだであろうと当初想像した。
 参考だが小保方氏は医学部出身ではなく、私立W大学理工学部及び大学院(後に修了認定取り下げ)ご出身のようで、特段「医学」に特化した教育指導を受けられたのではなさそうだ。

 その後すぐに「STAP細胞」研究のいい加減さが国内で吊るし上げられ、その記者会見をテレビ放映にて大々的に執り行った事実をご記憶の国民の皆様も多いことであろう。

 あの記者会見を、医学関係者であり特に医学実験を多数実施してきたこの私が見ないわけも無かった。
 一番驚いたのは、あの記者会見会場に小保方氏が「実験ノート」の一冊も持参せずに訪れたことだ。
 手には白いハンカチが一枚だけ。 そして会場から実験のいい加減さ等々を吊るしあげられる都度、そのハンカチで目頭を押さえる…

 小保方弁護団の会場映写によれば、小保方氏直筆のたった一枚の(何だか可愛い)「マウスの絵」とカタカナで書かれた「テラトーマ」…  あの光景は今尚我が脳裏に鮮明な記憶があるが…
 この人、ホントに自身でネイチャー論文(これも後に取り下げ)を書いたの? W大学博士課程修了のようだが、その立場で「テラトーマ」がカタカナ???

 様々な疑惑を抱えつつ、事の成り行きを観察し続けた結果。
 小保方氏の直属上司、ES細胞の創始者である笹井氏が理研の階段にて自殺、小保方氏の博士論文やネイチャー論文は上述の如くすべて取り下げられ。
 (この辺の小保方氏事件に関しましては、「原左都子エッセイ集」2014.4 ~2015春頃までのバックナンバーに於きまして十数本に渡り詳述しておりますので、ご参照下されば幸いです。)

 その後年数が経過した後に、小保方氏は何と! 都内の著名銘菓店舗にてパティシュエとして勤務しているとの報道。(現在の氏の現況は全く把握していないが。)

 当初の報道では、この小保方氏は私が歩んだ医学分野の実験研究者と同等かと把握したため興味を持ったのたが。(結果としてはまったく異質で、何らの医学研究のバックグラウンドも無い人物だったようだが…)
 その後、氏が如何に身を振られているのかに関しては私の知ったことではないし、一切の興味も無い。


 寄り道が長過ぎたが。
 今回のテーマである「年々低くなり続ける日本科学技術力指針」に話題を戻そう。

 確かに、近年日本人の理化学・医学分野でのノーベル賞受賞者が激減している感がある。 ただ…
 
 現役期間を修了して既に相当の年月が経過している我が身にして、この問題に対し何らかの論評が可能な訳もないが。

 
 少なくとも「STAP細胞事件」のごとく明らかに誤った失態を繰り返すことなく、現在の現役科学者たちが自らの専門に集中する環境を周囲が提供することが叶うならば。

 この国の科学技術力は今後共発展を続けられるであろうと、私は信じる!!