原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

「年齢」は、その人の背景理解に役立つと私も思う

2023年07月26日 | 自己実現
 本日は久々に、朝日新聞記事より話題を引用しよう。


 早速、2023.07.22付朝日新便「多事奏論」より  科学みらい部 次長 岡崎明子氏による“「何歳ですか」聞いて聞かれて 輪切りにされて」の一部を、以下に引用しよう。

 私(岡崎氏)は、2日前に誕生日を迎えた。 今年は、小学高学年の娘が初めて私の実年齢を知って祝う家族の誕生日だった。 
 「これまでずっと黙っていたの?」というツッコミの声が聞こえるが、言い訳をすれば、私は出産が遅く大概のママ友に比べると年上だ。 その自分の年齢がママ友に伝わった瞬間、敬語を使われるのが嫌だった。 (途中大幅略)
 そもそも新聞記者の仕事は、年齢とは切って切れないものがある。 
 新聞記事に年齢があった方がいい理由はいくつもある。 報道は事実を客観的に伝える役割があること、年齢がその人の背景理解に役立つと「自分と同世代だ」と興味を持つきっかけになることなどだろう。 (途中大幅略)
 米国の歴史学者ハワード・チェダコフの「年齢意識の社会学」によると、米国でも年齢が意識されるようになったのは1800年代後半だという。 学年別に学ぶ公立小学校の設立や、「年齢で個人の能力を判断する方が機能的だ」という資本主義の広がりが背景にあるという。 誕生日を祝う習慣も、この頃に生まれたそうだ。 (途中大幅略)
 年齢を確認することが当たり前の文化は、知らず知らずのうちに年齢規範の教科につながりかねない。 (中略)
 と考える自分自身こそ年齢にとらわれていることを深く反省し、数年前、娘にも年齢を白状した。 で、娘の反応は見事だった。
 「ふーん、そうなんだ。 でもママが何歳でも関係無いよ」

 (以下略すが、以上朝日新聞記事より一部を引用したもの。)



 原左都子の私事に入ろう。

 この私も 晩婚。 そして、高齢出産にて一女をもうけているが。

 私の場合は、娘が物心ついた時から自分(と父親)の“正確な年齢”をきちんと伝えておいた。
 そうした方が、むしろ娘も正確な情報の元に混乱なく親と接することが叶うだろうと想像したし。
 それよりも何よりも、両親が高齢である事実の背景に何らの隠すべき事情がないどころか。
 両親揃って長い独身時代を有意義に自己鍛錬しつつ生き、素晴らしい業績(これに関しては私の方は未だ道半ばかもしれないが😖 )を立ち上げてきている事実こそを、娘に正しく理解して欲しかったからに他ならない。

 何も包み隠す事情が無い程に、母であるこの私とて晩婚出産までの人生を精一杯歩んで来ている。 我が内面にその自負は大きく存在した。

 ただ、困惑させられたのは。
 
 (決して自慢話では無く、私にとっては違和感があったのは)、我が見た目の若さ故に娘と同級生の周囲の母親達が“タメ口”をきいてくる事態だった。
 もちろん、それに合わせてこちらも“タメ口”にて対応しましたよ! ただ、話題の内容が所詮噛み合わないと言うのか、何と言うのか… 内心、(これに合わせないと母親としての任務が果たせないのね…)のごとくの、周囲の母親達との付き合いがまるで“奉仕活動”的に思われて、重荷となったものだ。😭 

 これが一変したのが、娘を私立中高へ入学させて後の事だった。
 周囲の母親達の対応が一貫して「敬語」だったのに助けられたし。 娘自身も既に成長している故に、さほど学校現場へ出向かずに済むようになった事実に安堵させられた。



 そんな私は、今現在に至っても思うのだが。

 年齢って、そんなに隠さねばならない事実なのかなあ?? 

 我が方針としては、他者とは年齢をオープンにした付き合いをしたいのが本音だ!

 それはこのgooブログに於いても例外では無いからこそ、私はある程度自身の年齢をオープンにしてきているし。
 また、goo上でお付き合いする相手の方々に対しても、同じく年齢をある程度公開されていらっしゃる方々の方がお付き合いし易い感覚を抱かせて頂いている。


 そんな私が正直言うならば。
 自分の年齢を隠さねばならない人物って、もしかしたら自身の生き様に自信が無かったり、後ろめたさがある等々のご事情があられるのか??? 
 とすら、勘ぐってしまうのだが…


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