冒頭表題は、2023.01.07付朝日新聞 文化面「天才観測」より引用した。
原左都子自身の話から始めよう。
既に(前期)高齢者域に達している私だが。
ここのところ、「原左都子エッセイ集」の執筆をお休みする日が増えてきている。
この現象とは、まさに我が高齢化を素直に受け入れている行動とも言える。
当該エッセイ集を公開後、16年以上の年月が経過している。
以前ならば、何が何でも一日一本のエッセイを執筆して公開したい! なる我が願望とそれを叶えるエネルギーが内面からいくらでも湧き出ていたものだが。
これが正直言って、どうあがいてもエッセイテーマが思い浮かばない日が徐々に増えている感覚だ。
そんな時に私がやる代替策とは、バックナンバーの紹介(再掲載)だ。
ラッキーにも(と言っては変だなあ)。
そうではなく、この原左都子も若い頃(とは言えども当エッセイ集開設時には既に50代前半期だったのだが)😝 は、いくらでもエッセイテーマが内面から湧き出て来たものだが。
やはり加齢とは厄介なものだ。 今となっては、エッセイテーマが自然と湧き出る日が少なくなってきている…
そんな我が身の加齢法則の実態を受け入れるべきとの方針に、自然と変化していると説明できよう。
さて、話題を変えよう。
本日見た2024.01.07付朝日新聞「文化」面の “天才観測”コーナーに音楽家のつんく♂さんの談話が取り上げられていた。
以下に、その一部を引用しよう。
僕も天才ではありません。 (中略)
ひらめくなんてことはなく絞り出すように作って数をこなすことで、コツをつかんでヒットを出せました。
プロデューサーの立場としては、才能を発掘して育てる側になる。そこではまた違った見方になる。 (途中大幅略)
大事にしたのは納得感。 人気と実力があっても「最近伸びてないな~」という子は少し下げて、「今回のツアーで調子を上げたいな~」という子を前に。
(以下略すが、以上朝日新聞記事より一部を引用したもの。)
以上、今現在はハワイにて暮らしていらっしゃるらしい つんく♂氏の朝日新聞内の談話を紹介した。
原左都子の私見に入ろう。
上記のつんく♂氏の朝日新聞会見の中の、まさに表題に掲げた「ひらめくなんてことはなく絞り出すんですように作って数をこなす」
なる表現に、現在の原左都子のエッセイ執筆が重なる思いだ。
ただ、私はつんく♂氏よりも、かなり多くの年齢を重ねてきている。
しかも、元々我が本業は「執筆業」ではなかった。(あっ、そうそう。医学関連会社に勤務した時期に一冊の医学書を執筆‣発刊しているし、医学論文をある程度この世に発表しているため、その分野では経験を積んできていると言えるが。)
そう記載して来て思ったが。
この私の日々のエッセイ執筆エネルギー根源とは、それらの過去の活動実績によるものかもしれない。
特に、勤務先企業の一任務としての医学書(全200頁)業務は、確かに我が現在の日々エッセイ執筆の根源となったかもしれない。
あの業務を今思い起すに、今現在公開している「原左都子エッセイ集」執筆の自由さ加減が何ともラクだし、実に有難い!!
その現実を思い起せば、現在のその現実のありがたさが身に染みるという事だ。
まあそれでも、エッセイ執筆が負担に感じる日には小休止するとの結論なのだろうが…