(写真は、ソウル地下鉄1号線 竜山(ヨンサン)駅に停車した地下鉄車輌)
我々原左都子親子のソウル旅行における自由行動日は、終日地下鉄を利用して移動した。
我々親子が宿泊したホテルは、ソウル市永登浦(ヨンドンボグ)区に位置していたのだが、永登浦はソウル市中央部より南西へ車で20分程(混雑していなければの話で、東京同様車の多いソウルでは必ずやいつも混雑しているのが実態)の距離の、東京で言うところの“副都心”に該当するべく場所であろうか? 複数のデパートや巨大ショッピングセンター、そしてホテルなどが複合した施設のある大都市であり、相当の大人口を有する地である。
ホテルから地下ショッピングセンターを経由して地下鉄1号線永登浦駅へ向かうのだが、この地下道がまさに東京のターミナル駅の地下道と瓜二つなのである。 ヤング向けのブティックや靴、アクセサリー店等々が軒を連ね、平日の午前中であるにもかかわらず若い世代を中心に人々でごった返している。 (東京でも同様の事をよく感じる私だが、皆さん平日なのに朝から仕事もしないで学校へも行かず、これ程大勢の人がこんな所で一体何してるの?) そうではなく、これも偏に人口密度の高い大都会ならではの人の生活パターン多様化の実態なのであろう。
地下ショッピングセンターの混雑をかき分けつつ駅に到着し、券売機で切符を購入する。
画面を日本語版に切り替えることができ、分かり易く使い易い券売機である。 一回のみ利用券を購入することにしたのだが、乗車料金に加えて“保証料”とやらが加算される。 (ちなみに、この保証料は到着駅の清算機で切符であるカードの回収と共に払い戻しされるシステムであり、カードは回収後再利用されるようだ。)
ソウルの地下鉄の一つの特徴は駅にエスカレーターがほとんどないことである。 東京メトロの場合、近年バリアフリーの観点からエスカレーターとエレベーターの設置が急速に進み、現在ではほとんどの駅に両者が設置されるに至っている。
日頃東京メトロに慣れている私にとって、この階段の上り下りが結構体にこたえる。
駅名等の表記はハングルと漢字、そして英語なのだが、漢字の表記はホームの駅名掲示板等一部に限られている。 そこでホームに辿り着くまではハングルと英語に頼ることになるが、英語の読みのみでは我々日本人には地名を捉えにくい。
我々は竜山駅で地下鉄4号線に乗り換えたいのだが、行き先であるニ村(イチョン)駅に関する表記がなく乗場がわからない。 階段を何度も上り下りした挙句、駅員に確認してやっとホームに辿り着いた。
このホームで電車を待っている時、年配のご婦人に声を掛けられた。 どうやら私を韓国女性だと思った様子で、おそらく「○○駅に行くには、このホームから電車に乗ればいいのか?」等の質問を韓国語で訪ねておられる様子だ。 応えて差し上げたいものの何分韓国語がチンプンカンプンの私である。やむを得ず「Sorry. I,m Japanese.」とのみ返すと、ご婦人は一瞬驚いた様子だったものの、にこやかに「コンニチハ。」と言って下さって、私も「こんにちは。」と返した。
別の駅でも今度は若い男性に同様の質問をされ、同様の対応をした私である。今度の相手はさすがに若い世代だけあって「コンニチハ。」はなかった。
思うに、東京メトロ沿線に住み日頃地下鉄を移動の足としている私の姿は“地下鉄に溶け込んで”いて異国の地においてもその姿に違和感がなかったのであろう。 私自身も地下鉄に揺られながら、一瞬東京メトロに乗っているのかと錯覚しそうになったものだ。
(それ程、ソウルの地下鉄は東京メトロと類似点が多いと言えます。)
逆バージョンもあった。 自販機の日本語版で発券操作をしていると、駅員氏がわざわざ来て親切にも発券の仕方を指南して下さるのだ。 既に発券は十分マスターしていた私であるが、せっかくの好意に応えて日本語ペラペラの駅員さんとお話しつつ一緒に発券した。 永登浦駅までの券を買ったところ、「そんな所まで何をしに行くの?」と聞くので、「これから宿泊ホテルに帰ります。」と応えたところ「日本人が永登浦くんだりのホテルに泊まるのは珍しい」と驚いていた。 (何分、安ツアーを利用したもので… 参考のため、永登浦は上記のごとく大都会であるし、宿泊ホテルは昨年建築されたばかりのお洒落で綺麗なホテルでしたよ!)
前半のニ村(イチョン)での国立博物館見学と、後半の東大入口駅近くの新羅ホテルでのアートフェアを観賞し終わった我々親子は、予定通り地下鉄を利用して帰路に着く。
昼間は比較的空いていた地下鉄であるが、帰りは通勤ラッシュ時間帯に重なることに相成った。 東大入口駅のある3号線から1号線へ乗り換えるターミナル駅である鐘路三街(ジョングノサンガ と読むのだろうか??)駅の混雑は、東京メトロの通勤ラッシュを思い起こすものである。 人の動きに逆らわず同じ歩調で行動することがラッシュ時の心得であることを普段から会得している我々は、無事に永登浦駅に到着した。
さて、ソウルの地下鉄のもう一つの欠点は出口案内が手薄なことではなかろうか?
東京メトロの場合、この出口案内が徹底していると日頃より私は実感している。 出口番号の矢印に従って進むと、必ずや目的とする出口に出られるのだ。
これに比しソウル地下鉄の場合、出口案内が手薄であるが故に途中で行き先を見失ってしまうのである。(単に我々がハングルに無知で、英語の読み取り力がなかっただけかもしれない場合、お詫びします… それにしても数字は世界共通であるはずなのに、出口番号の数字が途中で途切れてしまうのだ。出口間近まで出口番号を掲げて欲しいものである。)
どうしても、ホテルへの帰り道である地下道ショッピングセンターへ辿り着けないのだ。私の判断でやむを得ず地上に出て、周囲の風景を確認しつつホテルへの道を推測することになる。
それにしても、金曜夜の“副都心”永登浦の街は、まるで新宿か池袋のごとく若者をはじめ人また人でごった返していたものだ。
結論として、ソウル地下鉄は東京メトロ同様“利用し易い”交通機関であることは間違いない事実である。
今回のソウル旅行でこの地下鉄を利用したことが、我々親子にとってはソウルが身近な存在であることを実感できた最大の要因でもある。
我々の“ソウル地下鉄珍道中”に、お声をかけて下さった現地ソウルの人はまだ他にも何人かいらっしゃる。
皆さんが日本人である我々親子に暖かく接して下さったことに、心より感謝申し上げます!
我々原左都子親子のソウル旅行における自由行動日は、終日地下鉄を利用して移動した。
我々親子が宿泊したホテルは、ソウル市永登浦(ヨンドンボグ)区に位置していたのだが、永登浦はソウル市中央部より南西へ車で20分程(混雑していなければの話で、東京同様車の多いソウルでは必ずやいつも混雑しているのが実態)の距離の、東京で言うところの“副都心”に該当するべく場所であろうか? 複数のデパートや巨大ショッピングセンター、そしてホテルなどが複合した施設のある大都市であり、相当の大人口を有する地である。
ホテルから地下ショッピングセンターを経由して地下鉄1号線永登浦駅へ向かうのだが、この地下道がまさに東京のターミナル駅の地下道と瓜二つなのである。 ヤング向けのブティックや靴、アクセサリー店等々が軒を連ね、平日の午前中であるにもかかわらず若い世代を中心に人々でごった返している。 (東京でも同様の事をよく感じる私だが、皆さん平日なのに朝から仕事もしないで学校へも行かず、これ程大勢の人がこんな所で一体何してるの?) そうではなく、これも偏に人口密度の高い大都会ならではの人の生活パターン多様化の実態なのであろう。
地下ショッピングセンターの混雑をかき分けつつ駅に到着し、券売機で切符を購入する。
画面を日本語版に切り替えることができ、分かり易く使い易い券売機である。 一回のみ利用券を購入することにしたのだが、乗車料金に加えて“保証料”とやらが加算される。 (ちなみに、この保証料は到着駅の清算機で切符であるカードの回収と共に払い戻しされるシステムであり、カードは回収後再利用されるようだ。)
ソウルの地下鉄の一つの特徴は駅にエスカレーターがほとんどないことである。 東京メトロの場合、近年バリアフリーの観点からエスカレーターとエレベーターの設置が急速に進み、現在ではほとんどの駅に両者が設置されるに至っている。
日頃東京メトロに慣れている私にとって、この階段の上り下りが結構体にこたえる。
駅名等の表記はハングルと漢字、そして英語なのだが、漢字の表記はホームの駅名掲示板等一部に限られている。 そこでホームに辿り着くまではハングルと英語に頼ることになるが、英語の読みのみでは我々日本人には地名を捉えにくい。
我々は竜山駅で地下鉄4号線に乗り換えたいのだが、行き先であるニ村(イチョン)駅に関する表記がなく乗場がわからない。 階段を何度も上り下りした挙句、駅員に確認してやっとホームに辿り着いた。
このホームで電車を待っている時、年配のご婦人に声を掛けられた。 どうやら私を韓国女性だと思った様子で、おそらく「○○駅に行くには、このホームから電車に乗ればいいのか?」等の質問を韓国語で訪ねておられる様子だ。 応えて差し上げたいものの何分韓国語がチンプンカンプンの私である。やむを得ず「Sorry. I,m Japanese.」とのみ返すと、ご婦人は一瞬驚いた様子だったものの、にこやかに「コンニチハ。」と言って下さって、私も「こんにちは。」と返した。
別の駅でも今度は若い男性に同様の質問をされ、同様の対応をした私である。今度の相手はさすがに若い世代だけあって「コンニチハ。」はなかった。
思うに、東京メトロ沿線に住み日頃地下鉄を移動の足としている私の姿は“地下鉄に溶け込んで”いて異国の地においてもその姿に違和感がなかったのであろう。 私自身も地下鉄に揺られながら、一瞬東京メトロに乗っているのかと錯覚しそうになったものだ。
(それ程、ソウルの地下鉄は東京メトロと類似点が多いと言えます。)
逆バージョンもあった。 自販機の日本語版で発券操作をしていると、駅員氏がわざわざ来て親切にも発券の仕方を指南して下さるのだ。 既に発券は十分マスターしていた私であるが、せっかくの好意に応えて日本語ペラペラの駅員さんとお話しつつ一緒に発券した。 永登浦駅までの券を買ったところ、「そんな所まで何をしに行くの?」と聞くので、「これから宿泊ホテルに帰ります。」と応えたところ「日本人が永登浦くんだりのホテルに泊まるのは珍しい」と驚いていた。 (何分、安ツアーを利用したもので… 参考のため、永登浦は上記のごとく大都会であるし、宿泊ホテルは昨年建築されたばかりのお洒落で綺麗なホテルでしたよ!)
前半のニ村(イチョン)での国立博物館見学と、後半の東大入口駅近くの新羅ホテルでのアートフェアを観賞し終わった我々親子は、予定通り地下鉄を利用して帰路に着く。
昼間は比較的空いていた地下鉄であるが、帰りは通勤ラッシュ時間帯に重なることに相成った。 東大入口駅のある3号線から1号線へ乗り換えるターミナル駅である鐘路三街(ジョングノサンガ と読むのだろうか??)駅の混雑は、東京メトロの通勤ラッシュを思い起こすものである。 人の動きに逆らわず同じ歩調で行動することがラッシュ時の心得であることを普段から会得している我々は、無事に永登浦駅に到着した。
さて、ソウルの地下鉄のもう一つの欠点は出口案内が手薄なことではなかろうか?
東京メトロの場合、この出口案内が徹底していると日頃より私は実感している。 出口番号の矢印に従って進むと、必ずや目的とする出口に出られるのだ。
これに比しソウル地下鉄の場合、出口案内が手薄であるが故に途中で行き先を見失ってしまうのである。(単に我々がハングルに無知で、英語の読み取り力がなかっただけかもしれない場合、お詫びします… それにしても数字は世界共通であるはずなのに、出口番号の数字が途中で途切れてしまうのだ。出口間近まで出口番号を掲げて欲しいものである。)
どうしても、ホテルへの帰り道である地下道ショッピングセンターへ辿り着けないのだ。私の判断でやむを得ず地上に出て、周囲の風景を確認しつつホテルへの道を推測することになる。
それにしても、金曜夜の“副都心”永登浦の街は、まるで新宿か池袋のごとく若者をはじめ人また人でごった返していたものだ。
結論として、ソウル地下鉄は東京メトロ同様“利用し易い”交通機関であることは間違いない事実である。
今回のソウル旅行でこの地下鉄を利用したことが、我々親子にとってはソウルが身近な存在であることを実感できた最大の要因でもある。
我々の“ソウル地下鉄珍道中”に、お声をかけて下さった現地ソウルの人はまだ他にも何人かいらっしゃる。
皆さんが日本人である我々親子に暖かく接して下さったことに、心より感謝申し上げます!
そして韓国の経済力増強への弛まぬ努力こそが、日韓の距離を縮めた最大要因であることを今回の旅行で実感です。
ソウルのホテル数はもしかしたら東京よりも多いのではないでしょうか? 五つ星ホテルがソウル中心部の至る所にあって、より取り見取りです。
そして東京のホテルが経営難にあえいでいるのと比し、どこのホテルも宿泊客でごった返しています。
ただ韓国の場合、日本と異なり北朝鮮問題や徴兵制問題等国民皆が身近に切実な現実を抱えています。 この辺の緊張感こそが「平和ボケ」日本が国力を失い堕落の一方である実態と大きく異なる部分でしょう。(これに関するテーマは、次回と次々回の旅行記で取り上げる予定です。
韓国にはメタボの人が一人としていないのです。 それは国民食であるキムチのお陰とガイドさんは言いますが、そうではなく、日本人が失ってしまった「緊張感」と自分に厳しい“自己管理力”の成せる業ではないかと私は感じるのです。
そんな韓国の人々が私は好きですし、尊敬します。
1年前の旅行記も読みました。
>鐘路三街(ジョングノサンガと読むのだろうか??)という記事を発見。
正解は下記のとおりです。
日本人が発音するなら
「チョンノSamガ」で通じます。
「ジョングノサンガ」では通じません。
私も2年前の5月に女房とソウルへ行きました。
確かにメタボはいませんね。
お陰様で、ソウル旅行記を読み返すことが出来まして私自身が懐かしい思いです。
スイカさんはハングルに詳しいのですね!
私はさっぱりダメで、この旅行においてももう少しハングルが分かればもっと充実した旅になったであろうことを実感させられました。
それにしても韓国はこんなに近い隣国でありながら、今まで訪れる機会がなかったことが不思議な思いでした。
今度は少しはハングルを勉強して、また気軽に訪れたく思っています。
「原左都子エッセイ集」はこの9月で開設4周年を向かえ、記事本数は2011年9月現在630本を超過しております。
今後もスイカさんがお好みのジャンルの記事をお読み下さって、またコメントを頂戴できることをお待ち申し上げております!