表題の「蚊に“かまれる”」を、単身上京後の夏場に私が頻発すると。
周囲から「そんな表現するの、〇ちゃん(私の事)だけだよ!」と、皆にせせら笑われたものだ。😁
そういう“東京人”の皆さんは、「蚊に“さされる”」派が断然多く。
中には、「蚊に“くわれる”」派もいたなあ。
これを久々に思い出させてくれたのは、2022.09.05付朝日新聞「天声人語」である。
早速、以下に要約引用しよう。
昨夏、この欄で蚊の話題をとりあげた。 「蚊にかまれる」と書いたところ、読者から相次いで問い合わせをいただいた。 いずれも「かまれる」という言い方は聞いたことが無いとのご指摘だった。
山形県内の読者は電話で、「私は『蚊にさされる』と言うのですが、これは方言でしょうか。」 神奈川県の方からはメールが。「東京で生まれ、東北を転勤し、横浜で半世紀以上を過ごした。『かまれる』という表現は初めて目にした。 どこの地域で『かむ』というのか知りたい」
国立国語研究所(東京都)に、大西拓一郎教授を訪ねた。 蚊に血を吸われる現象をどう表現するか、2009年に全国調査をした。 「さされる」という回答は、秋田、岐阜、長崎など広域に及んだ。 「くわれる」も青森から新潟、愛知、沖縄で確認された。
対照的だったのは「かまれる」だ。 近畿と四国東部に集中し、東日本では使われていなかった。
「それでも、さされるが標準語の地位にあるとは断定できない状況です」
<蚊の居ない夏は山葵のついかない鯛の刺身のやうなもの>と物理学者の寺田寅彦は書いた。 蚊に襲われないと夏を迎えた気がしないそうだ。 とてもそんな境地にはなれないが、それにしても今夏は蚊の襲来が少なかった気がする。 猛暑続きでも蚊も夏バテに参っているのだろうか。
と思いきや、暑さが和らいできたとたん、連中が猛攻を再開した。
(以下略すが、以上朝日新聞「天声人語」より引用したもの。)
原左都子の私事及び私見に入ろう。
上記「天声人語」引用文最後の、「今夏は蚊の襲来が少なかった気がする」に関してだが。
東京に暮らす私は、この“蚊の襲来が少ない現象”が既に数年前に始まりその後ずっと続いている気がする。
その理由に関してだが。
ちょうど藪蚊が都内の大規模公園等々に大量発生した頃から、我が家内での蚊の発生が絶滅した記憶がある。
我が家は、都内大規模公園に比較的近い場所に位置するのだが。
あくまでも私の推測に過ぎないが、その頃から藪蚊感染対策として大規模公園内に大々的に薬剤散布を実施し始めて、その後毎年初夏になる前にその散布が恒例となっていると把握している。
このお陰(とまで言ってしまうと、薬剤の人体への悪影響を無視した表現となり語弊があるかもしれないが)で、大規模公園周辺の家庭で発生する“家蚊”もその薬剤についでにやられ“イチコロ”状態なのではないか?? と推測するのだが。
実際、数年前から我が家では夏の“蚊対策”がまったく必要無くなる程に、家内で蚊が発生していない状況だ。😲
これを有難いと捉えるか、今後の副作用が怖いと考えるべきか、よく分からないまま。 とにかく蚊に“かまれて”痒い思いをする事態から解放され、清々しているのは確かだ。
さて、本題であるその“かまれる”表現に話題を戻そう。
上記「社説」によれば、蚊に“かまれる”との表現を使用するのは「近畿と四国東部」にのみ集中しているとのこと。
そうだよなあ。
どう考察しても、「蚊に“かまれる”」は誤った表現だ。(“くわれる”に関しても同等だが。
蚊さん達は決して、人を「噛んだり」「食ったり」していない。
いや、人の血を吸ってそれを食料としているため、「くわれる」に関しては全面的に誤りとは言えないだろうが。
「かまれる」に関しては100%誤り表現である、と結論付けられよう。
この私はまさに「四国東部」の出身だが、あの辺の人種はそもそも“頭が悪いのか??”
いえいえ、それは表現が悪いとしても。😖
未だに、我が出身地域で「蚊にかまれる」と表現しているとすれば。
そろそろ、「蚊にさされる」と訂正してもよさそうかな…
ただ、地方の方言って。 味わい深い部分もあるしなあ…