原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

岸田首相は、国会にて安倍氏「国葬」の説明責任を明瞭に果たすべき!

2022年07月30日 | 時事論評
 しつこくも本日も本エッセイ集において、安倍氏「国葬」問題を取り上げる。



 2022.07.28付 朝日新聞「社説 臨時国会 首相は『国葬』の説明を」の前半部分を以下に要約引用しよう。

 政府が閣議決定下安倍元首相の「国葬」について、世論の賛否は割れたままである。
 社説は、極めて異例の追悼の形式が社会の溝を広げ、政治家の業績に対する自由な論評を妨げる恐れを指摘した。
 来週、召集される臨時国会では、国葬を決めた岸田首相自身が、数々の疑問や懸念に直接答えねばならない。 説明責任も果たさず、わずか3日の会期で閉じるなら、国葬に対する違和感を強めるだけだろう。
 参院選直後の臨時国会は、会期は数日で、首相が答弁に立つ機会は無いのが通例だ。 
 与党は今回の同様の方針で、野党に提案した会期は3日間。 現職の国会議員が亡くなった際の習いで、衆院本会議で安倍氏に対する追悼演説は行われるが、国葬をめぐる質疑に応じる考えはない。
 戦前の国葬例は失効し、国葬を直接決めた法令はない。 首相経験者の葬儀は、制ると自民党員の合同葬が定着しており、国葬は半世紀前の吉田茂氏の1例のみだ。 政策への評価が分かれ、森友・加計・桜を見る会をめぐる問題も未解明の安倍氏を特例扱いすることに、疑問を抱く国民がいるのは当然である。
 にもかかわらず、自民党の茂木幹事長は、国葬に反対する野党の主張は「国民の声とかなりずれている」と述べた。これでは、政権が国葬を通じて安倍氏への政治的評価を定めようとしていると疑われても仕方あるまい。
 今回、政府は「国民に喪に服することを求めるものではない」(松野官房長官)としているが、忖度や道庁圧力による事実上の強制とならないよう、首相の口から明確に語るべきだ。

 (以下略すが、以上朝日新聞「社説」より一部を引用したもの。)



 原左都子の私見に入ろう。

 今回の安倍氏「国葬」に関する世論は、賛同派と否定派がほぼ五分五分と聞くが。
 私としては、「国葬否定派」が絶対的に多い感覚がある。
 そりゃそうだろう。 そもそも人の人間関係とは、好みや思想が似た者同士が寄り集まる傾向にある故だろう。

 それにしても、岸首相はとんでもなさ過ぎだ。
 突如安倍氏の「国葬」を実施すると発表後、これに関する世論の反応に応えるでもなく、雲隠れしてしまっている印象すら抱く。

 上記「社説」によれば、今となっては生前の国葬令は失効し、国葬を直接定めた法令は無い。とのことだ。
 そりゃそうだろう。 これぞ世の習性だ。
 今時いくら実績を上げた政治家とて、良識があれば「国葬」などとの大袈裟で国民皆を巻き込んでの葬儀など、“勘弁して欲しい”との感覚を持つのが常識ではなかろうか??

 もしも万が一、この私のために「国葬」をして下さると時の首相から嘆願されても、絶対的にお断りする!! (単なる冗談ですから、皆さんどうか、せせら笑って下さいませ。)😝 
 そもそも我が葬儀は、最愛の娘だけに看取ってもらえれば十分だし。
 むやみに人を集められたならば、恥の感覚すらある。
 死んで尚、恥晒しでいたくもないし、返って我が人生に傷をつけられるような不名誉感や恐ろしさすら抱く。


 安倍さんという人は、どうなのだろう???
 「国葬」をしてもらえることが嬉しいのだろうか?
 それがご本人に確認できないのが残念だが、もしも他界後それを喜んでいるとすると。
 まあ、所詮そのレベルの人材であったのだろう、と終結しそうだ。


 ところで、岸田さん。

 今回の安倍氏国葬に、如何程の国税を費やすの??
 それも、来週召集される「臨時国会」時に国民に明確に提示して欲しいものだ。


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