原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

左都子の「自然科学概論」 小講座 ー vol.14 ー

2021年08月20日 | 学問・研究
 (冒頭写真は、原左都子2度目の大学にて受講したA先生による「自然科学概論」講義ノートより転載したもの。)



 今回の「自然科学概論」テーマは前回の続きとなるため、以下に前回の最終部分を復習しておきましょう。


近代科学の背景


  ルネサンスと科学革命との関係
  ルネサンスの美術は自然主義 naturalism を掲げ、自然的事物を忠実に写  し取ることを主題とした。
  これに対し、中世では象徴がテーマとなり、自然的物事を忠実に写し取るとの姿勢は見られなかった。
  絵に対する思想は、抑制されていた。
 
 プラトンは、絵は世界のコピーであるがゆえに二重のコピーであり、これを眺めることは無意味とした。
 絵を描くこと、すなわち、手作業を軽蔑的に見ていた。
 このプラトンの考え方は時代の流れに逆らっていている、と捉えられた。


 アリストテレスは、以下のように説いた。
  ● ポイエーシス : 何かを作り出す活動、制作、テクネー
   (テクネーとは、Ars  体を使って何かを作り出す仕事全般のことであり、「テクネーはビュシス 自然 を模倣する。 機械学もテクネーのひとつ。 これは、動力学的考察中心。 アリストテレスの言うビュシスとは、自ら動くもの との意味。)
  ● テオーリア  : セオリー、理論的活動 
  ● プラクティス : 行為  政治学など


 アルキメデスは静力学を主張し、つりあい、バランスが問題とした。
 絵とは静的なものであり、ピュシスの模倣にはならない、とした。
 
 アリストテレスの興味は『詩学』ポイエーシス、ドラマにあった。


 これに対し、人間の活き活きした動きを模倣するのがテクネー。




           
 プロティノスは絵を認めるが、絵は物質的なものであるため純粋なものと見て取れないとして、結果として否定的に捉えた。
 キリスト教の影響から物体と肉体を同じものして捉え、sensualなものを否定している。 例えば、絵や彫刻を否定的に見ている。

 ルネサンスの自然主義では絵とは世俗権力の飾りであり、中世的絵画のあり方とは本質的に異なる、と捉える。
 数学的自然主義イタリアと、多様、すなわち事細かに描く北欧では社会的背景が異なるが。
 絵描きは社会的地位が低かった(手仕事職人と捉えられていた)ため、その地位を高めていく運動を実施した。
 これに対し、機械づくり職人や工事職人は数学を使用したため高く評価されていた。
 絵描き職人も数学を使うことにより高い地位を得ようとした。
 透視画法等、厳格で測量術のようなものを用いた。

 美の理念化の変化が起こり、アルベルティ(1404~72)は、部分と部分、部分と全体の調和  harmony を音楽とパラレルに説いた。 要するに、美を数学的に説いた。
 それまでは、美とは質的なものとの考えだったが。
 美は円として測ることが可能と、ある意味では表面的な思考となった。


           
 この写真の上部に「コペルニクス革命」なる赤文字があるが。
 どうやら、A先生の授業のテーマの最重要項目として、これが掲げられたようだ。
 この「コペルニクス革命」はノート8ページに渡っているが、今後それを語らせていただこう。


 それは、ひとまず置いておいて。 「科学革命」の話を続けよう。

 近代における新しい美学と科学革命とは密接な関連性があり。
 世界は神が良いものとして作ったため、当然美しいものとして捉えられ。
 「悪」とは、全体を良くするために必要とされた。
 そして世界とは、新しい美の理念に基づいて良いものとされた。

 この頃、コペルニクスが新しい世界像として「天動説」から「地動説」への持論を唱えた。
 これがプトレマイオスより、より精確というわけではなく同程度と捉えられた。 コペルニクスの理論は決して単純ではないにもかかわらず。
 『天体の回転について』なる著書では、離心円、周転円を用いている。
 太陽系のイメージ等、発想の原点にある基本的イメージが単純であり、逆光現象もこれだけで十分に説明できる。



 最後に、原左都子のヘボい感想だが。
 
 ほーーーー。
 コペルニクスの「地動説」によると、“逆光”が説明できるんだ!
 それは確かに、凄いかも!?!


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