上記表題は、「原左都子エッセイ集」2022.11.19公開のバックナンバーだ。
これを今一度、以下に読み返してみよう。
朝日新聞2022.11.12付「書評」ページより、門賀美央子氏著「死に方が分からない」に対する文化人類学者・磯野真穂氏による書評「独身、子なし、望む道筋をつける」の内容を、以下に要約引用しよう。
「きれいさっぱり死んでいく」ことは、既に日本では至難の業である。 では、そんな環境下で私の望む死は達成されるのか? 本書ではこのことを考え抜く。
この問いを一人称で考えるに当たり、独身、子なし、兄弟姉妹なしの自分にとっては、キビしい。 何故かと言うと、死に際する意思決定及び対応の代理は親族に限るという法的拘束があるからだ。 (中略)
まず著者は、絶対に望まない状態を明確にする。 ①死後腐って発見されるのは嫌だ。 ②自発的に動けず意思表明もできない状態で生き続けるのは嫌だ。
①に関しては現在のLINEサービス等によりあっさりクリアされる。
他方、②は難しい。 延命措置はもういらないと判断できる身体状況はいななるものか。 例えば外出先でバッタリ倒れ、それを見つけてもらえなかったらどうしたらいいのか。
とはいえ、これにもある程度の道筋をつけて著者は先に進む。 お金があれば、遺体、スマホにある個人データ等々で、これらはお金で解決できる。
でも、お金がなかったら? 著者は、ここでファイナンシャルプランナーに相談を仰ぐ。
「嫌なことを避ける」という平明な視点から、著者は社会の仕組みを調べ上げる。それは自ずから自身の価値と人生の在り方を明瞭にすることに彼女を導く。
「家族がいるから必要ない」。そう胸を張るはあなたこそ、この本を読むべきだ。社会を知ることは己を知る事でもあるのだから。
(以上、朝日新聞「書評」ページより要約引用したもの。)
原左都子の私見に入ろう。
この本の著者である門賀氏(71年生まれらしい)や書評を書かれた磯野氏は、おそらく私め原左都子よりずっと若い年代のお生まれであろう。
門賀氏に関しては71年生まれと明記されているが、私よりも10数年年下で現在50代少しの若さとの計算となる。
やはり、人生観や死生観とは人物それぞれの生きて来た年数により大幅に異なるものであることを実感させられる。
確かにもしもこの私が未だ50歳ちょっとだったとしたら、骨折でなど死んでいられない!との思いが熱く沸き起こる事だろう。
我が50歳頃とは、産んだ娘が未だ中学生になった頃だ。 実際娘のサリバンをずっと担当した我が身としては、娘のためにだけでも生き抜いてサリバン業を全うせねばならない使命感に燃えていたものだ。
年月が流れ、今回路上で転倒し骨折にて救急搬送された時点で私は既に高齢域に達し、娘も家を出て独立し立派に一人で生き抜いている、との環境下だ。
実際、骨折の手術を受けて病棟のベッドで痛みに耐えつつ寝ながら、少し我が脳裏を過ったのは、(このまま私が死に至っても、誰も困らないだろうなあ…)との感覚だった。
それはマイナスの意味合いではなく、むしろプラスの感情だ。
“人に迷惑を掛けずに死にゆける事とは、ありがたいことではなかろうか”なる思いだ。
結果としては、どうやら私はしばらくは多少の不自由は覚悟するべきではあるものの、今のところ“死ぬ運命”ではなさそうなのだが。
年齢を重ねることとは、実際“人に迷惑をかける”との事態から遠のくこととプラス評価できそうにも思える。
そんな意味で、高齢域に突入した今、こんな骨折災難が我が身に降りかかった事態もそう悪いことではないと思えてきたりする。
(以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーより再掲載したもの。)
2024夏が訪れ、本日は私が暮らす東京でも真夏日気温を記録した。
それにもめげず、午後はランニングに出かけた原左都子だ!
いやいや、快適でした!!
何の問題も無く(ランニングタイムは劣化の一途を辿っているが…)この真夏日天候の中で、現在私が目指す距離とタイムを達成できた事実こそが嬉しい!!
一年半頃前の、あの路上での激しい骨折・救急搬送の末の左膝手術との嘆かわしき我が汚点の日々を、今に至って尚思い出さない訳ではないが。
それでも、「死に方が分かった」(これ、本気でそう感じたものです…)なる究極マイナーな心理状態からは既に解放されたと思える日々だ。
もちろん今後更に高齢域に達するに当たり、我が過去の失敗を日々教訓にしつつ生きるべきではあろう。
それでも、今となってはあの「死に方が分かった」なる地獄絵図を忘れ去ろうとしている我がプラスの心理状態に助けられる思いだ。
本日も猛暑の中ランニングに行って完走出来た事実が、とても嬉しい原左都子です!!
老齢域に達している原左都子ですが、今後も引き続きこの世を走り抜きますよ!!!