(写真は、徳島県海部郡美波町に位置する 「日和佐うみがめ博物館 カレッタ」 にて撮影。 うみがめ飼育係の方が、うみがめの甲羅を一生懸命磨いていらっしゃった。)
さて、我が徳島帰省旅行も2日目を向かえた。
1泊目は徳島市よりJRにて30分程で到着する阿南市のホテルを予約していた。 このホテルは元々田舎町の老舗ホテルであるようだが、内部をリニューアルしてなかなか洗練された対応振りだった。 おそらく普段は近隣に位置する企業を訪れるビジネス客を主たる顧客対象として営業しているのであろう。
今回は観光客として訪れた我々にとって、観光案内に関しては手薄感が強く欲しい情報が得られなかったものの、むしろ田舎の宿によくあるごとくの鬱陶しいまでの懇切丁寧さを避けられたのはラッキーだったと言える。
2日目の朝、JR阿南駅より鈍行便を利用してJR日和佐駅へ向かった。
徳島生まれの私にとっても、県南地方へ旅をするのは今回が人生3度目位である。 JR道中「阿波富田駅など昔はなかったよ」、 やれ「二軒屋駅は姉が当時通っていた城南高校の近くだ」、「新野駅の近くには近年甲子園に出場した新野高校があるのかな?」 等々と、東京育ちの娘相手に説明にならない話を取り留めなくしつつ、目指す日和佐駅には40分程の短時間であっと言う間に着いた感覚だ。
JR日和佐駅には案の定コインロッカーはなく、駅内にある観光案内所に旅行鞄を預けた。(格安で荷物を預かってもらえます!) そして有難い事に、おそらく美波町が制作したと思しき地図ももらって、娘と共に美波町の徒歩旅に出た。
昨日とは打って変わり何とも穏やかに晴れた観光日和である。 もっとも海部郡美波町とは日頃より徳島市より3℃程温暖な、海辺の観光に適した地域柄であるようだ。
JR日和佐駅前からまっすぐ日和佐図書資料館を左側に見つつ海方面へ向かうと、その岸壁に漁船と思しき船が多数停留している。
その道を海に向かって横断しようとした時、娘が海風に吹かれてくるくる回る“珍しいお土産もの”を発見した。
これ、何と表現しようか? 私にとっても初めて目にするお土産品である。 原左都子名付けて「ビール缶風車(かざぐるま)提燈」! 今時お土産品も全国区になり日本の何処に旅しても同じ物を目にする機会が多い中、この「ビール缶風車提燈」に関しては私も徳島県南のこの地で初めて目にした。
娘と共に“手作り風”のそのカラフルな提燈を眺めていると、店内よりお爺さんと叔父さん風の二人の男性が出てきて我々にそのお土産の説明をして下さる。 「これは美波町より指示されて地域観光起こしのために我々が提案して創作した土産品です。 廃品のビール缶から苦労して作ったのですよ!」 応えて原左都子曰く「素晴らしい出来栄えですが、どなたかが芸術家でいらっしゃるのですか!?」 叔父さんが応えて曰く「そんなことはないですが、造るのに結構苦労しました」……
(そうだろうな~~)と重々納得しつつそのお土産を買い求め、次なる目的地へと向かう。
上記の「ビール缶提燈」制作者であられる“叔父さん”のアドバイスによれば、「大浜海岸が美しいので是非共見物して欲しい」とのご意向だった。
さすがに地元の人のアドバイスは正しい! 大浜海岸の海の色は「青」だった。
私が過去に訪れた沖縄の海も「真っ青」だったが、それに次ぐ程の青色の海を見るのは都会に住む我々親子にとっては久しぶりの事である。
大浜海岸の海の青さに感激しつつ、そろそろお昼時となり訪れた「うみがめ荘」の昼食も感激ものだった。
我々親子は「うどんと天ぷら定食」を注文したのだが、これが両者共に実に美味しいではないか! 四国は“うどん”が美味しいのは既に全国的に有名だが、“天ぷら”が何とも美味しいのだ。 私が思うに同じ徳島県内の他市で食べる天ぷらよりも、美波町で食する天ぷらの方がずっと美味なのだ!! おそらく、県南の地で取れ立ての海老や野菜類がそのまま天ぷらに調理されて出されているからであろう。
さて、我が美波町の旅もクライマックスに差し掛かる。
今回の我が旅は、数年前にNHK連続テレビドラマ「ウェルかめ」で取り上げられた 美波町の「日和佐うみがめ博物館」を訪れるのが一番の目的だった。
昼食後訪れた上記博物館には観光客の姿はない…。 どうやら“貸切”状態の博物館を娘と共に堪能できる事となりそうだ。 いやいや実にラッキー! こんな場面は徳島県ならではであろう。
「日和佐うみがめ博物館」を一見した感想だが、一過疎地の博物館にして実に見所豊富と私は実感した。
NHKドラマ「ウェルかめ」が視聴率の低さを彷徨った事がその後の観光客貧弱さの元凶でもあろうと察するが、それにしても「うみがめ館」は地方の一町にして努力を続けていることを私は高く評価したい。
とにかく展示内容にバリエーションを持たせる努力の程が素晴らしい。
亀の進化史年表の展示があれば、世界規模での海がめの研究調査結果の展示もある。
徳島日和佐町と言えば大浜海岸に毎年海がめが卵を産みに訪れることで有名だが、その歴史的変遷を毎年記録した展示もなされている。 数百匹の海がめが卵を産みに来た年もあれば、わずか2匹の寂しい年もあったようだ…。 子どもの頃から日和佐町の海がめ訪問を心得ていた私も、今回初めてその詳細のデータを把握することが出来た。
最後に順路に従い屋外展示を見る事になった。
そこでは上記写真の通り、男性飼育員の方がうみがめの甲羅を磨いておられた。
その写真を撮らせて頂いていると、飼育員の方が我々に「亀に触れてみますか?」などと言って、亀プールの外に一匹の亀を出してくれるではないか!! いやはやびっくり仰天の中、そのご好意に甘え亀の甲羅に触れる事が叶ったのだ。 飼育員の方に磨かれた亀の甲羅は“つるつる”状態だったのが印象的だ。
「このように亀の甲羅をいつも磨いておられるのですか?」との我が質問に対し、飼育員氏は「一週間に一度、磨いています。」と応えられた。
海に生息している海がめの甲羅は一生に渡って誰にも磨かれることはないであろう。 片や博物館で飼育されている海がめは、大いなる人的加護の下に生命を繋いでいることを改めて実感させられる。 それを保護する責任を背負っている飼育員の皆様の日頃の努力の程にも、大いに心を揺さぶられる思いだ。
日和佐海がめ博物館においては、飼育員氏達の努力により百年近い長寿を保っている巨大海がめも存在するようだ。 何が幸で何が不幸かなどと、人間の世界に照らしつつうみがめ館を去った私でもある。
その後、四国八十八箇所の中でも著名な霊場である日和佐の「薬王寺」を参拝した後、再びJRと路線バスを利用し、娘と共に我が実家へと向かった。
さて、我が徳島帰省旅行も2日目を向かえた。
1泊目は徳島市よりJRにて30分程で到着する阿南市のホテルを予約していた。 このホテルは元々田舎町の老舗ホテルであるようだが、内部をリニューアルしてなかなか洗練された対応振りだった。 おそらく普段は近隣に位置する企業を訪れるビジネス客を主たる顧客対象として営業しているのであろう。
今回は観光客として訪れた我々にとって、観光案内に関しては手薄感が強く欲しい情報が得られなかったものの、むしろ田舎の宿によくあるごとくの鬱陶しいまでの懇切丁寧さを避けられたのはラッキーだったと言える。
2日目の朝、JR阿南駅より鈍行便を利用してJR日和佐駅へ向かった。
徳島生まれの私にとっても、県南地方へ旅をするのは今回が人生3度目位である。 JR道中「阿波富田駅など昔はなかったよ」、 やれ「二軒屋駅は姉が当時通っていた城南高校の近くだ」、「新野駅の近くには近年甲子園に出場した新野高校があるのかな?」 等々と、東京育ちの娘相手に説明にならない話を取り留めなくしつつ、目指す日和佐駅には40分程の短時間であっと言う間に着いた感覚だ。
JR日和佐駅には案の定コインロッカーはなく、駅内にある観光案内所に旅行鞄を預けた。(格安で荷物を預かってもらえます!) そして有難い事に、おそらく美波町が制作したと思しき地図ももらって、娘と共に美波町の徒歩旅に出た。
昨日とは打って変わり何とも穏やかに晴れた観光日和である。 もっとも海部郡美波町とは日頃より徳島市より3℃程温暖な、海辺の観光に適した地域柄であるようだ。
JR日和佐駅前からまっすぐ日和佐図書資料館を左側に見つつ海方面へ向かうと、その岸壁に漁船と思しき船が多数停留している。
その道を海に向かって横断しようとした時、娘が海風に吹かれてくるくる回る“珍しいお土産もの”を発見した。
これ、何と表現しようか? 私にとっても初めて目にするお土産品である。 原左都子名付けて「ビール缶風車(かざぐるま)提燈」! 今時お土産品も全国区になり日本の何処に旅しても同じ物を目にする機会が多い中、この「ビール缶風車提燈」に関しては私も徳島県南のこの地で初めて目にした。
娘と共に“手作り風”のそのカラフルな提燈を眺めていると、店内よりお爺さんと叔父さん風の二人の男性が出てきて我々にそのお土産の説明をして下さる。 「これは美波町より指示されて地域観光起こしのために我々が提案して創作した土産品です。 廃品のビール缶から苦労して作ったのですよ!」 応えて原左都子曰く「素晴らしい出来栄えですが、どなたかが芸術家でいらっしゃるのですか!?」 叔父さんが応えて曰く「そんなことはないですが、造るのに結構苦労しました」……
(そうだろうな~~)と重々納得しつつそのお土産を買い求め、次なる目的地へと向かう。
上記の「ビール缶提燈」制作者であられる“叔父さん”のアドバイスによれば、「大浜海岸が美しいので是非共見物して欲しい」とのご意向だった。
さすがに地元の人のアドバイスは正しい! 大浜海岸の海の色は「青」だった。
私が過去に訪れた沖縄の海も「真っ青」だったが、それに次ぐ程の青色の海を見るのは都会に住む我々親子にとっては久しぶりの事である。
大浜海岸の海の青さに感激しつつ、そろそろお昼時となり訪れた「うみがめ荘」の昼食も感激ものだった。
我々親子は「うどんと天ぷら定食」を注文したのだが、これが両者共に実に美味しいではないか! 四国は“うどん”が美味しいのは既に全国的に有名だが、“天ぷら”が何とも美味しいのだ。 私が思うに同じ徳島県内の他市で食べる天ぷらよりも、美波町で食する天ぷらの方がずっと美味なのだ!! おそらく、県南の地で取れ立ての海老や野菜類がそのまま天ぷらに調理されて出されているからであろう。
さて、我が美波町の旅もクライマックスに差し掛かる。
今回の我が旅は、数年前にNHK連続テレビドラマ「ウェルかめ」で取り上げられた 美波町の「日和佐うみがめ博物館」を訪れるのが一番の目的だった。
昼食後訪れた上記博物館には観光客の姿はない…。 どうやら“貸切”状態の博物館を娘と共に堪能できる事となりそうだ。 いやいや実にラッキー! こんな場面は徳島県ならではであろう。
「日和佐うみがめ博物館」を一見した感想だが、一過疎地の博物館にして実に見所豊富と私は実感した。
NHKドラマ「ウェルかめ」が視聴率の低さを彷徨った事がその後の観光客貧弱さの元凶でもあろうと察するが、それにしても「うみがめ館」は地方の一町にして努力を続けていることを私は高く評価したい。
とにかく展示内容にバリエーションを持たせる努力の程が素晴らしい。
亀の進化史年表の展示があれば、世界規模での海がめの研究調査結果の展示もある。
徳島日和佐町と言えば大浜海岸に毎年海がめが卵を産みに訪れることで有名だが、その歴史的変遷を毎年記録した展示もなされている。 数百匹の海がめが卵を産みに来た年もあれば、わずか2匹の寂しい年もあったようだ…。 子どもの頃から日和佐町の海がめ訪問を心得ていた私も、今回初めてその詳細のデータを把握することが出来た。
最後に順路に従い屋外展示を見る事になった。
そこでは上記写真の通り、男性飼育員の方がうみがめの甲羅を磨いておられた。
その写真を撮らせて頂いていると、飼育員の方が我々に「亀に触れてみますか?」などと言って、亀プールの外に一匹の亀を出してくれるではないか!! いやはやびっくり仰天の中、そのご好意に甘え亀の甲羅に触れる事が叶ったのだ。 飼育員の方に磨かれた亀の甲羅は“つるつる”状態だったのが印象的だ。
「このように亀の甲羅をいつも磨いておられるのですか?」との我が質問に対し、飼育員氏は「一週間に一度、磨いています。」と応えられた。
海に生息している海がめの甲羅は一生に渡って誰にも磨かれることはないであろう。 片や博物館で飼育されている海がめは、大いなる人的加護の下に生命を繋いでいることを改めて実感させられる。 それを保護する責任を背負っている飼育員の皆様の日頃の努力の程にも、大いに心を揺さぶられる思いだ。
日和佐海がめ博物館においては、飼育員氏達の努力により百年近い長寿を保っている巨大海がめも存在するようだ。 何が幸で何が不幸かなどと、人間の世界に照らしつつうみがめ館を去った私でもある。
その後、四国八十八箇所の中でも著名な霊場である日和佐の「薬王寺」を参拝した後、再びJRと路線バスを利用し、娘と共に我が実家へと向かった。